故国の滅亡を伍子胥は生きてみれませんでしたが、私たちは生きてこの魔境カルト日本の滅亡を見ます。
今の日本はどうなるを易に聴いてみた。
すさまじい壊れっぷだが、まだ壊れない・・トコトンまでいくかな・・・
http://iching.malo.jp/36e.html#.W-wKpK14q7Q
上記文抜粋
・・・・・・・・・
36e 地火明夷の五爻変、水火既済に之く
【キーワード】
・地火明夷:暗闇、敗北、失敗
・水火既済:成就
【表面に表れたヒント】
・日が沈み辺り一帯は闇に包まれている。まるで見通しが立たない。
・疑心暗鬼となり力を発揮することができない。
・傷心の時であり、今はひたすら耐えるしかない。
【ヒントを解釈する指針】
・誤解を恐れては何もできない。知恵を誇るより隠す方がよい。
【背後に隠された微妙な機微】
・この世は雑然としているから面白いのであって、あまり整然としていては面白みに欠ける。一からやり直すこと。
・・・・・・・・
・・・・・・・
抜粋終わり
アホが跋扈して、暗黒の時代。
全部ぶっ壊せ、天皇から天皇までとことん・・・
一からやり直す・天皇って妄想は当然消去だな。
つれづれに、ネットの易をやったら、このようなもの・・・まあその通りですは・・
お読みくださりありがとうございます。
すさまじい壊れっぷだが、まだ壊れない・・トコトンまでいくかな・・・
http://iching.malo.jp/36e.html#.W-wKpK14q7Q
上記文抜粋
・・・・・・・・・
36e 地火明夷の五爻変、水火既済に之く
【キーワード】
・地火明夷:暗闇、敗北、失敗
・水火既済:成就
【表面に表れたヒント】
・日が沈み辺り一帯は闇に包まれている。まるで見通しが立たない。
・疑心暗鬼となり力を発揮することができない。
・傷心の時であり、今はひたすら耐えるしかない。
【ヒントを解釈する指針】
・誤解を恐れては何もできない。知恵を誇るより隠す方がよい。
【背後に隠された微妙な機微】
・この世は雑然としているから面白いのであって、あまり整然としていては面白みに欠ける。一からやり直すこと。
・・・・・・・・
・・・・・・・
抜粋終わり
アホが跋扈して、暗黒の時代。
全部ぶっ壊せ、天皇から天皇までとことん・・・
一からやり直す・天皇って妄想は当然消去だな。
つれづれに、ネットの易をやったら、このようなもの・・・まあその通りですは・・
お読みくださりありがとうございます。
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ながれながされ・・・
一応正真正銘の「発達障害」ってことになりまして。
で、それを利用した「障碍者自立支援」の「就労自立支援」を使おうと思いまして・・・
で、その前に、「発達障害向けの薬」を飲むことになりまして。
で、それは「ストラテラ」ってやつ
ストラテラ 参考
脳への打撃は、「非中枢神経系」なので、大きくは無いが、
肝臓とか胃腸はきついとか。
で、「どうかな」と易に聴いてみた。
坎為水 二爻
参考
・・・・・・・・
〈爻辞〉
「坎に険あり。求めて小しく得」
〈読み方〉
かんに けんあり。もとめて すこしく う。
<爻辞の意味>
「とても困難なところに陥っている。しかし求めるうちの少しばかりは希望が叶う」
「坎為水」の卦(か)は「困難に処する道」について説かれている卦です。
そんな中この二爻は、大変な困難の中にいますが、求めるうちの少しは叶えることができると言っています。
それは自分の中に強さや正しさを持っているからです。
・・・・中略・・・・
<説明の要点>
二爻は内卦の主爻です。
坎為水の卦で「亨る」というのは「剛中を以ってなり」です。
険中に陥って、なお亨るというのは剛中だからで、その意味でこの爻は、自分の孚を貫いて「往きて功有る」成果を収めなくてはなりません。
それは決して、楽々と亨通を得るのではありません。
百の努力に対して十の意が叶う程度……「求めて小しく得」程度なのです。
この爻は自ら、坎の険中にあり、更にまた外卦の坎が上にあって、未だ険中より脱することができないからです。
(加藤大岳述 易学大講座 現代語要訳)
・・・・・・・
・・・・・・・・・
抜粋終わり
悪くは無いが・・・
>百の努力に対して十の意が叶う程度……「求めて小しく得」程度なのです。
で
・・・・
こういう解釈も
参考
変卦は
水地比 の2爻
参考
・・・・・・・・・
<説明の要点>
水地比は地水師とちょうど反対の卦で、師が争いであるのに対し、比は親しむです。
師は、下に水があり、地が上にあって相背くかたちでしたが、比は下に地があり水がこれを潤すので、互いに居るところを得て相親しむのです。
比の字は、人が二人並んだ形です。
対峙するのではなく、近しみ交わるのです。
従って、並ぶと言っても競争するのではありません。
比には「並ぶ」「交わる」「親しむ」「助ける」「和む」「楽しむ」といったような楽しい意味があります。
「比は吉」とは、親和することは良いことだということです。
「筮に原ね」というのは、人と交わる時、悪い人と交わってもいけないし、分不相応な相手を求めてもいけない…交わるべき人を見定めて交わるために、筮を執って問うように誠の気持ちで考えよということです。
「元永貞にして咎なし」とは、先輩には先輩のように、同輩なら同輩のようによく礼を履んで(ふんで)交際する…これを幾久しく、どんな時でも忘れなければ咎はないということです。
しかし比にも悩みがあります。
五爻のように地位の高い人が衆と親しもうとすれば、心の落ち着きを得ない人、何事も不安定な人がこぞってやってきます。それが「寧からざるもの方に来る」です。
「後夫は凶」とは、良い人と親しくするのなら、ぐずぐずしていてはダメ、早い方が良いということです。
「善は急げ」、時期を失ってはダメということです。
(加藤大岳述 易学大講座 現代語要訳)
・・・・・・・・
・・・・・・・・・
抜粋終わり
参考2
難しい判断・・・
て思っていたが、そもそも風邪ひいているみたい。
で、今日は確実に服薬は延期です。
難しいですは・・
追記
本当のこというと
賢脳丹 参考
副作用を考えなくて済むってことで、これが本当はファーストチョイスにすべきかな。
お読みくださりありがとうございます。
一応正真正銘の「発達障害」ってことになりまして。
で、それを利用した「障碍者自立支援」の「就労自立支援」を使おうと思いまして・・・
で、その前に、「発達障害向けの薬」を飲むことになりまして。
で、それは「ストラテラ」ってやつ
ストラテラ 参考
脳への打撃は、「非中枢神経系」なので、大きくは無いが、
肝臓とか胃腸はきついとか。
で、「どうかな」と易に聴いてみた。
坎為水 二爻
参考
・・・・・・・・
〈爻辞〉
「坎に険あり。求めて小しく得」
〈読み方〉
かんに けんあり。もとめて すこしく う。
<爻辞の意味>
「とても困難なところに陥っている。しかし求めるうちの少しばかりは希望が叶う」
「坎為水」の卦(か)は「困難に処する道」について説かれている卦です。
そんな中この二爻は、大変な困難の中にいますが、求めるうちの少しは叶えることができると言っています。
それは自分の中に強さや正しさを持っているからです。
・・・・中略・・・・
<説明の要点>
二爻は内卦の主爻です。
坎為水の卦で「亨る」というのは「剛中を以ってなり」です。
険中に陥って、なお亨るというのは剛中だからで、その意味でこの爻は、自分の孚を貫いて「往きて功有る」成果を収めなくてはなりません。
それは決して、楽々と亨通を得るのではありません。
百の努力に対して十の意が叶う程度……「求めて小しく得」程度なのです。
この爻は自ら、坎の険中にあり、更にまた外卦の坎が上にあって、未だ険中より脱することができないからです。
(加藤大岳述 易学大講座 現代語要訳)
・・・・・・・
・・・・・・・・・
抜粋終わり
悪くは無いが・・・
>百の努力に対して十の意が叶う程度……「求めて小しく得」程度なのです。
で
・・・・
こういう解釈も
参考
変卦は
水地比 の2爻
参考
・・・・・・・・・
<説明の要点>
水地比は地水師とちょうど反対の卦で、師が争いであるのに対し、比は親しむです。
師は、下に水があり、地が上にあって相背くかたちでしたが、比は下に地があり水がこれを潤すので、互いに居るところを得て相親しむのです。
比の字は、人が二人並んだ形です。
対峙するのではなく、近しみ交わるのです。
従って、並ぶと言っても競争するのではありません。
比には「並ぶ」「交わる」「親しむ」「助ける」「和む」「楽しむ」といったような楽しい意味があります。
「比は吉」とは、親和することは良いことだということです。
「筮に原ね」というのは、人と交わる時、悪い人と交わってもいけないし、分不相応な相手を求めてもいけない…交わるべき人を見定めて交わるために、筮を執って問うように誠の気持ちで考えよということです。
「元永貞にして咎なし」とは、先輩には先輩のように、同輩なら同輩のようによく礼を履んで(ふんで)交際する…これを幾久しく、どんな時でも忘れなければ咎はないということです。
しかし比にも悩みがあります。
五爻のように地位の高い人が衆と親しもうとすれば、心の落ち着きを得ない人、何事も不安定な人がこぞってやってきます。それが「寧からざるもの方に来る」です。
「後夫は凶」とは、良い人と親しくするのなら、ぐずぐずしていてはダメ、早い方が良いということです。
「善は急げ」、時期を失ってはダメということです。
(加藤大岳述 易学大講座 現代語要訳)
・・・・・・・・
・・・・・・・・・
抜粋終わり
参考2
難しい判断・・・
て思っていたが、そもそも風邪ひいているみたい。
で、今日は確実に服薬は延期です。
難しいですは・・
追記
本当のこというと
賢脳丹 参考
副作用を考えなくて済むってことで、これが本当はファーストチョイスにすべきかな。
お読みくださりありがとうございます。
易の 40 雷水解 41 山沢損 42 風雷益 43 沢天カイ のことを少し
序卦伝 より
http://www14.plala.or.jp/kigaku/99_blank001076.html
上記文抜粋
・・・・・・・・
蹇とはなやむことである。物事はもってなやんで終わってはいけない。ゆえにこれを受けるに解をもってする。
解とはゆるいことである。ゆるくすればかならず失うところがある。ゆえにこれを受けるに損をもってする。
損をして止めなければ、かならずます。ゆえにこれを受けるに益をもってする。
まして止めなければ、かならず決(決壊)す。ゆえにこれを受けるに夬をもってする。
・・・・・・・
・・・・・・・・・
抜粋終わり
http://blog.i-abilities.com/2015/06/10/post-760/
上記文抜粋
・・・・・・・
【毎日易経】
解とは緩なり(序卦伝)二進も三進もいかない水山蹇の状態から,難が解ける雷水解につながる。水は坎。陥る状態。それが雷によって動く。動けば険難が解けるという。どんなに困難な状態であってもいずれ動くのである。#易経 #雷水解
【毎日易経】
損して已まざれば必ず益す(序卦伝)雷水解を受けて山澤損。山澤損は,減損,減らすという意味。下のもの,臣や民から減らして,上に益する卦象。君子に徳がなければなすことはできない。また損し続ければやがて得するようになるということで,風雷益が続く。#易経 #山澤損
【毎日易経】
益して已まざれば必ず決す(序卦伝)山澤損を受けて風雷益。風雷益は上を損して下を益す。下が厚ければ,上もまた安らかでいられる。民にとっては喜ばしい状況。しかしそれだけではいずれまた決壊する。よって澤天夬で受ける。#易経 #風雷益
・・・・・・・
・・・・・・
抜粋終わり
こんな流れ。
雷水解
http://ekikyou-dokugaku.com/raisuikai.html
上記文抜粋
・・・・・・・・・
〈説明の要点〉
「解」は「とける」ということです。
この解という字は、刀で牛角を割くという意味で「判つ(わかつ)」と同意です。
切り割いて見るのですから、解には「よくわかる」という意味があって、解釈とか理解とかいう熟語ができています。
しかし、この卦名の解は、そこまで推究せず、単に今までは一つであったものを判つという事象から「とく」(解放)、「はなす」(解散)「ゆるむ」(緩懈)というような意味を当てています。
内卦の坎は冬であるのに対し、外卦の震は春であり、雷です。
すなわちこの卦は春にあって寒気の緩み解ける象で、これを解と名づけました。
これを人事に推してみますと、坎の険阻から震の奮動をもって解散されることにもなり、坎の難みを震の出動をもって脱することにもなり、また、天下の坎の邪悪が震の喜びをもって解消するというようなことも卦の象意とすることができます。
従ってこの卦は、険を前にして艮まることを余儀なくされた蹇の状態が解消するのだと考えられます。
しかし険中に止まっているうちに自ずとこの解消の気運が訪れたと解するよりも、いかにして険難を脱出しようとする努力が現れたと見るべきです。
難みが解け憂いに閉ざされたことが和み緩むというのが、この卦の大意です。
これを自然の上に推せば、閉ざす陰の気を破って、雷・雨の鼓動恵澤
をもって草木の発芽出土をなすことであります。
これを天下の上に推せば、民の辛苦を緩め衆を安心させることです。
これを君子の上に見るならば、小人を去らせて禍根を除くことです。
爻象は主に、後者の小人を解き除くことをもって卦を考え、卦象は前二者の意としております。
「解は、西南に利ろし」とあります。
この西南は、蹇の時と同じで坤陰を指し、先立たないことを意味しています。
易きにつくことを教え、孤高を去って衆俗に親しむべきことを表したものです。
解は、難みの離れ散ろうとしているときなので、厳酷な態度で臨み民心を委縮させるような事があってはならない。
易きについて従い服して来るようなやりかたをして初めて解の道に適うのです。
これがすなわち「解は西南に利ろし」であり、治国平天下の解なのです。
天下の蹇と言えば、戦争や飢饉などのために困難に耐えているといった場合ですが、そういった時には農耕地も放っておかれているものなので、平和の兆しが見え出した時には、真っ先に荒廃している土地の復興に力を注ぎ、疲弊した民を鼓舞することが大事です。
「解は西南に利ろし」とある具体的な事象です。
「往く攸」というのは、険難脱出のために救済の施しをするということです。
この卦の外卦は坎の外に難を免れています。
内卦は、坎が未だ消えず、難みの中にあるわけで、すでに難みの解けたところと、まだ解けきらないところがあるとも言えます。すでに難みの解けたものに対しては、その上に更に施しを加える必要はないと戒めたのが「其れ來り復りて吉」のほうです。
戦争や天災などで難んだ後に、それらの者に救いの手を差し伸べてやるのが解の道ですが、もうその必要のない者に施しを加えるのはいけません。
欠乏に耐え、復旧に張りきっているところへ、あまり施しを厚くするとその裕さに泥み、その発奮を失い「解は懈なり」で、怠りのほうの解になってしまいます。
それが甚だしくなれば、そのような災難が再び来る事をひそかに望むようにさえなってしまいます。
これを卑近なところに見るならば、火災保険の弊害などが適例です。
保険の制度そのものは大事なものですが、会社同士の競争により必要以上の保証が契約されるため、いつ焼けても損はないといった気持ちを抱かせる…もっと言えば、保険金目当てに放火する者が現れたりする。これは、難みを解く施しが厚過ぎて、かえって解の道に添わない結果を招きます。
それを戒め「往く攸なければ、其れ來り復りて吉」と言っています。
そのように厚過ぎず、乏し過ぎず、中を保つというのが易の一つの思想です(内卦の中を得ている二爻を主にした見方)そして「往く攸あれば、夙くして吉」とは、救うべきを救うのには急を要することを示しています(これは四爻の震の主爻を指しています)。
(加藤大岳述 易学大講座 現代語要訳)
・・・・・・・・
・・・・・・・
抜粋終わり
山沢損
http://ekikyou-dokugaku.com/santakuson.html
上記文抜粋
・・・・・・・・・・・・・
〈説明の要点〉
この「山沢損」の損とは、たとえば商売などで儲けられなかったという意味の損ではなく、当然、損すべきことのために財を失い減らすという意味です。
儲けた、損したといった意味ではありません。
損をして、それを惜しむのではなく、損したことに自ら満足を感じる…そういう財の失い方であって、たとえて言えば、租税を納めるとか、災害に遭って苦しんでいる人のために私財を拠出するといったのがこの「損」の意味です。
しかし占いに関しては「失うことに惜しみを感じる」という解しかたも必要となります。
外卦艮は山、内卦の兌はその山の下にある澤です。
澤は、その深さが深いほど、その山を一層高いものにさせます。
そこに、己を減らして他を益すという意味を見ています。
ですから己を損して他を益し、しかもそこに必然の意義を見出し、その欠損を惜しまないのが本当の損ということになりますが、それは真の誠孚がなくてはできません。
それを「損は孚あり」と言っています。
本来、物を失い減らすということには咎があるべきですが、このような誠孚の行いでしたら咎があるはずがありません。
損すべき正しい損でしたら、それは進んで損すべきなのです。
そのことを「元吉。咎なし。貞にすべし。往く攸あるに利ろし」としています。
そして、孚ある損ならば、必ずしも物の豊富なことを求めるわけではありません。
貧者の一燈と言いますが、そういった誠孚があれば、あえて物の多寡にこだわることはありません。
それが「曷をか之を用いん。二簋用て享すべし」なのです。
簋とは、神前に供える食物を盛る器のことですが、正式には八簋を用います。略式ですと四簋となりますが、それを更に簡素にした二簋で祭祀をするということは質素の至りであります。
しかし、それでも孚が充実しているならば、それで良いのです。
(加藤大岳述 易学大講座 現代語要訳)
・・・・・・・・・
・・・・・・・・
抜粋終わり
風雷益
http://ekikyou-dokugaku.com/fuuraieki.html
上記文抜粋
・・・・・・・・
〈説明の要点〉
この前の卦である「損」を逆さまにしたのが、この風雷益で、意味もまたアベコベです。
「益」とは「ます」と読むことでも分かりますが、益し加えることで、減らして少なくする損とは、すべて正反対の有様、やりかたであると見て良いでしょう。
また、益も損も同じことなのに、立場の相違によって生まれる見方の区別であるとも言えます。
一方から他を益せば、益した方は損していることになるからです。
益すというと「儲け」と捉えがちですが、ある時は儲けを意味する事もありますが、益の本当の意味は儲けることではありません。
この卦を理解するためには、とても大事なことです。
従って、損も益も、それは偏在しているものを水平にしようとする易の「中」を尚ぶ思想から見るものです。
損が泰の内卦の陽を損して外卦の空しいのを益したのとは逆に、否の内卦の空しいのを益し補ってやるために外卦の陽を移すという動きです。
益は否の卦から来ています。
そのことを色々な事柄に当てはめてみますと、社会的には下々が乏しくて否の困苦をなめている場合に、上から施して民を恵み救うということになりますし、個人の徳性に関して言えば、及ばざるところがあった場合には、他の全うなものを見て習い補うことにあたるでしょう。
農耕に当てれば、肥料や農具や人員の足りないところに、それを給付するようなことが、やはり一つの益なのです。
このように、益と損は離して考えることのできない密接なものなのです。
益と言うのは、ひとつの水平運動のようなものなので、益してやるほうは満ちて裕かであるに違いありません。
それゆえ、動きとして見る時は、一つの水平運動であるけれども、一つの相(すがた)として眺めれば、益は満ちて裕かな様であると言えるでしょう。
損の時のように上行するのではなく、この卦の場合には、上にあるものを下に及ぼすのですから、上に蓄えていたものを下に施し、否の窮塞を打開する意味があります。
また、上の裕かな場合には、それを上の欲しいままにせず、余沢を下に及ぼすという意味もあります。
これを天下に推して言う時は、庶民は上の仁徳に喜んで服し、その仁政が大いに輝いているとなります。
このような時には、進んで事をなしても通じ、あえて大事を決行する危険を冒しても成るのです。
卦辞では、損の時のように咎にも貞にも触れておらず「往く攸あるに利ろし」と言い「大川を渉に利ろし」と断じています。
これは、五爻・二爻の中爻が、共に正を得ているところから、益すという行いが道に適って、しかも慶びをもたらします。
(加藤大岳述 易学大講座 現代語要訳)
・・・・・・・・
・・・・・・・・
抜粋終わり
沢天夬
http://ekikyou-dokugaku.com/takutenkai.html
上記文抜粋
・・・・・・・・・
〈説明の要点〉
「夬は決なり」と言って、夬に三水偏をつけたのが決です。
ですから決断とか決定とかに熟して用いられるように、何かの勢いが極まるところまで行って、それを一思いに片づける(定まる)と言った意味の文字です。
あるいは一つの激しい勢いをもって分裂する事などにも使います。例えば「決壊」などといった感じです。
なぜ、そのような意味をこの卦に見たかと言えば、象に則して言えば内卦は乾の天、外卦は兌の水です。
水が天上に在る、と言っても、この水は天上にある水ですから水気と見ます。
水気が高く天上に上っているので、それが凝って勢いが極まると雨となって降るからです。
地上において、これを見てみますと、外卦の兌を沢とします。
沢は窪地に水が貯まったもので、上の一陰が入口、下の二陽が水です。
そしてこの卦を初爻から上爻まで全てで見ますと、沢の水が更に充実し、深さが増します。
そのように水が増せば、その水はどこかへ溢れなくてはならなくなります。それが決壊の象です。
しかしむしろ、その卦が夬と名づけられたのは、消長卦としての見方からによるものでしょう。
陰陽消長の理から、下の五陽が上爻を決断するのですが、そのことをこの卦では、どういう事柄に当てているのでしょうか?
それは、上爻は陰で小人です。この小人が、この卦では一番高い所にいるのです。
それを社会に当てはめますと、力の足りない人、徳においても欠けるような人が、そういった高い地位に就いているのは正しくないし、世を誤り民を苦しめる基となるので、それを決し去るべきである、という風に見ています。
「王庭に揚ぐ」というのは、力量もなく徳望も少ない小人が一番高い位に就いているため、善政が行われない……そこで王庭に揚げ訴えて、その事を明らかにしようとするのです。
どうしてそんな辞があるのか、象から見て行きますと、外卦の兌を喜悦とし、侫人とし、口先ばかりとします。上爻は、その主爻です。
また、兌を説くとし、訴えるとし、告げるとし、乾を官としますので、陰邪・小人の上爻を去らせることが正しいと王庭に揚げ訴えると見ての辞です。
現実的には、権謀や術策として行われたりもしますが、本来はそうであってはならない、ほとばしる熱誠からでなくてはなりません。
自分の地位昇進のためだとか、偽善行為であってはならず、あくまでも天下国家の福祉を願うところからの夬でなくてはなりません。
それを「孚にて號う」と言っています。
そして、上爻は本来、王の師伝・顧問官などであり、そういう高位高官の非を揚げ訴えるのですから「厲うき有り」です。
訴える側、訴えられる上爻、そして一般の人民等、それぞれに厲うさがあるわけですが、ここでは「孚にて號う厲うき有り」ですから、訴える側の厲うさを意味しています。
「告ぐるに邑よりす」とは、上爻のような陰邪な小人が国政を司ったり、その背後にいたりすれば、それに対する不平不満が遠い村々からも起こって来るということです。
あの小人を処分するか交代させるなどして欲しいと、段々下から声が湧き、遠いところからも叫ばれるようになるというのです。
一つの会社にしても団体にしても、これは大変な事態なのですが、ではその陰爻を?尽するため武力暴力を用いて良いかと言えば「戎に即くに利ろしからず」で、それはよろしくないと言っています。
それは上爻とは、君の師伝・顧問官など高位にある爻なので、もし武力を用いれば相手もまた防ぎ戦うこととなり、理がいくらこちらにあっても私闘となる恐れがあり、世を乱すことにもなります。
小人を決し去るために世を乱し、人を殺傷するのは良いことではなく、決し去る気運というものが自ずと出てくるという意味です。
「往く攸有るに利ろし」とは、正しい者(陽爻)が正しいことを主張して陰邪を決していくのだから、あえて武力を用いなくても、途中で志を曲げるべきではなく、往くところまで往くべきだ、終わりを遂げるべきだと言っているわけです。
(加藤大岳述 易学大講座 現代語要訳)
・・・・・・・・・
・・・・・・・・
抜粋終わり
こんな感じ・・
お読みくださりありがとうございます。
追記。
40~43は、今の動きかな・・・
たとえば、規制緩和とかして{解}、米百俵とかいって耐乏を要求する{損}。
で、一部のセレブ・権力層だけ資産を増して{益}、で日本経済が決壊する{カイ}
で、
43~40となると
たとえば、現体制が決壊して{カイ} 庶民の生活が回復して{益}
で、既得権層の富を奪い尽くして{損}で、問題は解決{解}
となれば、万々歳ですけど。
序卦伝 より
http://www14.plala.or.jp/kigaku/99_blank001076.html
上記文抜粋
・・・・・・・・
蹇とはなやむことである。物事はもってなやんで終わってはいけない。ゆえにこれを受けるに解をもってする。
解とはゆるいことである。ゆるくすればかならず失うところがある。ゆえにこれを受けるに損をもってする。
損をして止めなければ、かならずます。ゆえにこれを受けるに益をもってする。
まして止めなければ、かならず決(決壊)す。ゆえにこれを受けるに夬をもってする。
・・・・・・・
・・・・・・・・・
抜粋終わり
http://blog.i-abilities.com/2015/06/10/post-760/
上記文抜粋
・・・・・・・
【毎日易経】
解とは緩なり(序卦伝)二進も三進もいかない水山蹇の状態から,難が解ける雷水解につながる。水は坎。陥る状態。それが雷によって動く。動けば険難が解けるという。どんなに困難な状態であってもいずれ動くのである。#易経 #雷水解
【毎日易経】
損して已まざれば必ず益す(序卦伝)雷水解を受けて山澤損。山澤損は,減損,減らすという意味。下のもの,臣や民から減らして,上に益する卦象。君子に徳がなければなすことはできない。また損し続ければやがて得するようになるということで,風雷益が続く。#易経 #山澤損
【毎日易経】
益して已まざれば必ず決す(序卦伝)山澤損を受けて風雷益。風雷益は上を損して下を益す。下が厚ければ,上もまた安らかでいられる。民にとっては喜ばしい状況。しかしそれだけではいずれまた決壊する。よって澤天夬で受ける。#易経 #風雷益
・・・・・・・
・・・・・・
抜粋終わり
こんな流れ。
雷水解
http://ekikyou-dokugaku.com/raisuikai.html
上記文抜粋
・・・・・・・・・
〈説明の要点〉
「解」は「とける」ということです。
この解という字は、刀で牛角を割くという意味で「判つ(わかつ)」と同意です。
切り割いて見るのですから、解には「よくわかる」という意味があって、解釈とか理解とかいう熟語ができています。
しかし、この卦名の解は、そこまで推究せず、単に今までは一つであったものを判つという事象から「とく」(解放)、「はなす」(解散)「ゆるむ」(緩懈)というような意味を当てています。
内卦の坎は冬であるのに対し、外卦の震は春であり、雷です。
すなわちこの卦は春にあって寒気の緩み解ける象で、これを解と名づけました。
これを人事に推してみますと、坎の険阻から震の奮動をもって解散されることにもなり、坎の難みを震の出動をもって脱することにもなり、また、天下の坎の邪悪が震の喜びをもって解消するというようなことも卦の象意とすることができます。
従ってこの卦は、険を前にして艮まることを余儀なくされた蹇の状態が解消するのだと考えられます。
しかし険中に止まっているうちに自ずとこの解消の気運が訪れたと解するよりも、いかにして険難を脱出しようとする努力が現れたと見るべきです。
難みが解け憂いに閉ざされたことが和み緩むというのが、この卦の大意です。
これを自然の上に推せば、閉ざす陰の気を破って、雷・雨の鼓動恵澤
をもって草木の発芽出土をなすことであります。
これを天下の上に推せば、民の辛苦を緩め衆を安心させることです。
これを君子の上に見るならば、小人を去らせて禍根を除くことです。
爻象は主に、後者の小人を解き除くことをもって卦を考え、卦象は前二者の意としております。
「解は、西南に利ろし」とあります。
この西南は、蹇の時と同じで坤陰を指し、先立たないことを意味しています。
易きにつくことを教え、孤高を去って衆俗に親しむべきことを表したものです。
解は、難みの離れ散ろうとしているときなので、厳酷な態度で臨み民心を委縮させるような事があってはならない。
易きについて従い服して来るようなやりかたをして初めて解の道に適うのです。
これがすなわち「解は西南に利ろし」であり、治国平天下の解なのです。
天下の蹇と言えば、戦争や飢饉などのために困難に耐えているといった場合ですが、そういった時には農耕地も放っておかれているものなので、平和の兆しが見え出した時には、真っ先に荒廃している土地の復興に力を注ぎ、疲弊した民を鼓舞することが大事です。
「解は西南に利ろし」とある具体的な事象です。
「往く攸」というのは、険難脱出のために救済の施しをするということです。
この卦の外卦は坎の外に難を免れています。
内卦は、坎が未だ消えず、難みの中にあるわけで、すでに難みの解けたところと、まだ解けきらないところがあるとも言えます。すでに難みの解けたものに対しては、その上に更に施しを加える必要はないと戒めたのが「其れ來り復りて吉」のほうです。
戦争や天災などで難んだ後に、それらの者に救いの手を差し伸べてやるのが解の道ですが、もうその必要のない者に施しを加えるのはいけません。
欠乏に耐え、復旧に張りきっているところへ、あまり施しを厚くするとその裕さに泥み、その発奮を失い「解は懈なり」で、怠りのほうの解になってしまいます。
それが甚だしくなれば、そのような災難が再び来る事をひそかに望むようにさえなってしまいます。
これを卑近なところに見るならば、火災保険の弊害などが適例です。
保険の制度そのものは大事なものですが、会社同士の競争により必要以上の保証が契約されるため、いつ焼けても損はないといった気持ちを抱かせる…もっと言えば、保険金目当てに放火する者が現れたりする。これは、難みを解く施しが厚過ぎて、かえって解の道に添わない結果を招きます。
それを戒め「往く攸なければ、其れ來り復りて吉」と言っています。
そのように厚過ぎず、乏し過ぎず、中を保つというのが易の一つの思想です(内卦の中を得ている二爻を主にした見方)そして「往く攸あれば、夙くして吉」とは、救うべきを救うのには急を要することを示しています(これは四爻の震の主爻を指しています)。
(加藤大岳述 易学大講座 現代語要訳)
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・・・・・・・
抜粋終わり
山沢損
http://ekikyou-dokugaku.com/santakuson.html
上記文抜粋
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〈説明の要点〉
この「山沢損」の損とは、たとえば商売などで儲けられなかったという意味の損ではなく、当然、損すべきことのために財を失い減らすという意味です。
儲けた、損したといった意味ではありません。
損をして、それを惜しむのではなく、損したことに自ら満足を感じる…そういう財の失い方であって、たとえて言えば、租税を納めるとか、災害に遭って苦しんでいる人のために私財を拠出するといったのがこの「損」の意味です。
しかし占いに関しては「失うことに惜しみを感じる」という解しかたも必要となります。
外卦艮は山、内卦の兌はその山の下にある澤です。
澤は、その深さが深いほど、その山を一層高いものにさせます。
そこに、己を減らして他を益すという意味を見ています。
ですから己を損して他を益し、しかもそこに必然の意義を見出し、その欠損を惜しまないのが本当の損ということになりますが、それは真の誠孚がなくてはできません。
それを「損は孚あり」と言っています。
本来、物を失い減らすということには咎があるべきですが、このような誠孚の行いでしたら咎があるはずがありません。
損すべき正しい損でしたら、それは進んで損すべきなのです。
そのことを「元吉。咎なし。貞にすべし。往く攸あるに利ろし」としています。
そして、孚ある損ならば、必ずしも物の豊富なことを求めるわけではありません。
貧者の一燈と言いますが、そういった誠孚があれば、あえて物の多寡にこだわることはありません。
それが「曷をか之を用いん。二簋用て享すべし」なのです。
簋とは、神前に供える食物を盛る器のことですが、正式には八簋を用います。略式ですと四簋となりますが、それを更に簡素にした二簋で祭祀をするということは質素の至りであります。
しかし、それでも孚が充実しているならば、それで良いのです。
(加藤大岳述 易学大講座 現代語要訳)
・・・・・・・・・
・・・・・・・・
抜粋終わり
風雷益
http://ekikyou-dokugaku.com/fuuraieki.html
上記文抜粋
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〈説明の要点〉
この前の卦である「損」を逆さまにしたのが、この風雷益で、意味もまたアベコベです。
「益」とは「ます」と読むことでも分かりますが、益し加えることで、減らして少なくする損とは、すべて正反対の有様、やりかたであると見て良いでしょう。
また、益も損も同じことなのに、立場の相違によって生まれる見方の区別であるとも言えます。
一方から他を益せば、益した方は損していることになるからです。
益すというと「儲け」と捉えがちですが、ある時は儲けを意味する事もありますが、益の本当の意味は儲けることではありません。
この卦を理解するためには、とても大事なことです。
従って、損も益も、それは偏在しているものを水平にしようとする易の「中」を尚ぶ思想から見るものです。
損が泰の内卦の陽を損して外卦の空しいのを益したのとは逆に、否の内卦の空しいのを益し補ってやるために外卦の陽を移すという動きです。
益は否の卦から来ています。
そのことを色々な事柄に当てはめてみますと、社会的には下々が乏しくて否の困苦をなめている場合に、上から施して民を恵み救うということになりますし、個人の徳性に関して言えば、及ばざるところがあった場合には、他の全うなものを見て習い補うことにあたるでしょう。
農耕に当てれば、肥料や農具や人員の足りないところに、それを給付するようなことが、やはり一つの益なのです。
このように、益と損は離して考えることのできない密接なものなのです。
益と言うのは、ひとつの水平運動のようなものなので、益してやるほうは満ちて裕かであるに違いありません。
それゆえ、動きとして見る時は、一つの水平運動であるけれども、一つの相(すがた)として眺めれば、益は満ちて裕かな様であると言えるでしょう。
損の時のように上行するのではなく、この卦の場合には、上にあるものを下に及ぼすのですから、上に蓄えていたものを下に施し、否の窮塞を打開する意味があります。
また、上の裕かな場合には、それを上の欲しいままにせず、余沢を下に及ぼすという意味もあります。
これを天下に推して言う時は、庶民は上の仁徳に喜んで服し、その仁政が大いに輝いているとなります。
このような時には、進んで事をなしても通じ、あえて大事を決行する危険を冒しても成るのです。
卦辞では、損の時のように咎にも貞にも触れておらず「往く攸あるに利ろし」と言い「大川を渉に利ろし」と断じています。
これは、五爻・二爻の中爻が、共に正を得ているところから、益すという行いが道に適って、しかも慶びをもたらします。
(加藤大岳述 易学大講座 現代語要訳)
・・・・・・・・
・・・・・・・・
抜粋終わり
沢天夬
http://ekikyou-dokugaku.com/takutenkai.html
上記文抜粋
・・・・・・・・・
〈説明の要点〉
「夬は決なり」と言って、夬に三水偏をつけたのが決です。
ですから決断とか決定とかに熟して用いられるように、何かの勢いが極まるところまで行って、それを一思いに片づける(定まる)と言った意味の文字です。
あるいは一つの激しい勢いをもって分裂する事などにも使います。例えば「決壊」などといった感じです。
なぜ、そのような意味をこの卦に見たかと言えば、象に則して言えば内卦は乾の天、外卦は兌の水です。
水が天上に在る、と言っても、この水は天上にある水ですから水気と見ます。
水気が高く天上に上っているので、それが凝って勢いが極まると雨となって降るからです。
地上において、これを見てみますと、外卦の兌を沢とします。
沢は窪地に水が貯まったもので、上の一陰が入口、下の二陽が水です。
そしてこの卦を初爻から上爻まで全てで見ますと、沢の水が更に充実し、深さが増します。
そのように水が増せば、その水はどこかへ溢れなくてはならなくなります。それが決壊の象です。
しかしむしろ、その卦が夬と名づけられたのは、消長卦としての見方からによるものでしょう。
陰陽消長の理から、下の五陽が上爻を決断するのですが、そのことをこの卦では、どういう事柄に当てているのでしょうか?
それは、上爻は陰で小人です。この小人が、この卦では一番高い所にいるのです。
それを社会に当てはめますと、力の足りない人、徳においても欠けるような人が、そういった高い地位に就いているのは正しくないし、世を誤り民を苦しめる基となるので、それを決し去るべきである、という風に見ています。
「王庭に揚ぐ」というのは、力量もなく徳望も少ない小人が一番高い位に就いているため、善政が行われない……そこで王庭に揚げ訴えて、その事を明らかにしようとするのです。
どうしてそんな辞があるのか、象から見て行きますと、外卦の兌を喜悦とし、侫人とし、口先ばかりとします。上爻は、その主爻です。
また、兌を説くとし、訴えるとし、告げるとし、乾を官としますので、陰邪・小人の上爻を去らせることが正しいと王庭に揚げ訴えると見ての辞です。
現実的には、権謀や術策として行われたりもしますが、本来はそうであってはならない、ほとばしる熱誠からでなくてはなりません。
自分の地位昇進のためだとか、偽善行為であってはならず、あくまでも天下国家の福祉を願うところからの夬でなくてはなりません。
それを「孚にて號う」と言っています。
そして、上爻は本来、王の師伝・顧問官などであり、そういう高位高官の非を揚げ訴えるのですから「厲うき有り」です。
訴える側、訴えられる上爻、そして一般の人民等、それぞれに厲うさがあるわけですが、ここでは「孚にて號う厲うき有り」ですから、訴える側の厲うさを意味しています。
「告ぐるに邑よりす」とは、上爻のような陰邪な小人が国政を司ったり、その背後にいたりすれば、それに対する不平不満が遠い村々からも起こって来るということです。
あの小人を処分するか交代させるなどして欲しいと、段々下から声が湧き、遠いところからも叫ばれるようになるというのです。
一つの会社にしても団体にしても、これは大変な事態なのですが、ではその陰爻を?尽するため武力暴力を用いて良いかと言えば「戎に即くに利ろしからず」で、それはよろしくないと言っています。
それは上爻とは、君の師伝・顧問官など高位にある爻なので、もし武力を用いれば相手もまた防ぎ戦うこととなり、理がいくらこちらにあっても私闘となる恐れがあり、世を乱すことにもなります。
小人を決し去るために世を乱し、人を殺傷するのは良いことではなく、決し去る気運というものが自ずと出てくるという意味です。
「往く攸有るに利ろし」とは、正しい者(陽爻)が正しいことを主張して陰邪を決していくのだから、あえて武力を用いなくても、途中で志を曲げるべきではなく、往くところまで往くべきだ、終わりを遂げるべきだと言っているわけです。
(加藤大岳述 易学大講座 現代語要訳)
・・・・・・・・・
・・・・・・・・
抜粋終わり
こんな感じ・・
お読みくださりありがとうございます。
追記。
40~43は、今の動きかな・・・
たとえば、規制緩和とかして{解}、米百俵とかいって耐乏を要求する{損}。
で、一部のセレブ・権力層だけ資産を増して{益}、で日本経済が決壊する{カイ}
で、
43~40となると
たとえば、現体制が決壊して{カイ} 庶民の生活が回復して{益}
で、既得権層の富を奪い尽くして{損}で、問題は解決{解}
となれば、万々歳ですけど。
社会科学者の随想 より
上記文抜粋
・・・・・・・・
④「『口裏合わせ』だけで退陣だろう『底』が抜けた国の無残」(『日刊ゲンダイ』2018年4月10日,https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/226864 から)
・・・・・・・
・・・・・・
抜粋終わり
日本の「底」が抜けたように感じる人が増えている。
ツイッターでもそういうセンテンスを良く見る。
で、底が抜けた国家が社会がどうなるか?
易に参考になりそうなものがある。
火風鼎 の卦にありそう。
http://uqmk.blog106.fc2.com/blog-category-55.html
上記文抜粋
・・・・・・・・・
九四、鼎折足、覆公餗、其刑*屋、凶、
*屋は、屋を偏、刂を旁とした文字で、意味は誅戮を被ること。
この字(図形として作成)→aku.gif
しかし、JIS規格にもユニコードにもないので、意味は異なるが*屋で代用しておく。
九四(きゅうし)、鼎(てい)の足(あし)を折(お)る、公(こう)の餗(あつもの)を覆(くつがえ)す、其(そ)の刑(かたち)*屋(あく)たり、凶(きょう)なり、
この卦の二三四爻はみな陽剛なので、鼎に実(煮炊きする具)が入っている象である。
四に至っては、鼎に実が満ちている象である。
四は初の応位である。
初は鼎の足にして、一陰の微弱なものである。
今、鼎の実が過ぎ満ちて、その重さに耐えられず、足が折れる象がある。
だから、鼎の足を折る、という。
鼎にして足を折る時には、鼎も実も共に覆るというものである。
これを人事に推す時は、九四は宰相執政の位にして、応位の初六は陰柔不中正の下賎の小人である。
したがって、初六陰柔が佞媚を以って諂いを献じれば、九四の大臣はこれを喜び、甘んじて信用し寵愛する。
初六は陰柔下賎なので、下に在る応位より相助けるのではなく、却って大敗大害を勧め献じるのである。
もとより九四もまた、不中不正の爻なので、表は陽爻の賢良の態度をしていても、内心は陰柔の情欲を欲しいままにする。
したがって、その国家の大任に堪えず、公の餗を覆して、大事を破敗するのである。
だから、公の餗を覆す、という。
そもそも鼎とは、例えば国家である。
餗とは、煮物といった料理であり、人事に推せば天下の億兆の民である。
その塩加減などの味付けは政教である。
これを掌って煮炊きするのが、宰相の職であり任務である。
これは国家の公事にして、天下万民の安危治乱に関わることである。
宰相執政の任は、天下の公事の最大なる者にして、私家小事の万億を以ってしても比較するべきことではない。
しかし九四の爻は、己の才力徳量をも測らず、妄りにこの重大な任に当たり、不中不正の志行を以って、任意随情にこれを斡旋し、あまつさえ同気相求めて、初六陰柔不中正の小人を寵愛する。
これが顛覆を来たす所以である。
今、国家の鼎と万民の餗とを顛覆すれば、これを掌る大臣はその責その罪を逃れることはできない。
だから、その刑*屋たり、という。
*屋とは、誅戮を被る様子を言い、刑とは、刑罰の総称であり、その刑罰は誅戮に値する、といった意であって、その凶であることは当然である。
だから、凶なり、という。
・・・・・・・
・・・・・・・・
抜粋終わり
http://www.keisho.server-shared.com/64/k50.html
上記文抜粋
・・・・・・・
爻辞
鼎折足。覆公〓。其形渥。凶。
(ていあしをおる。こうのそくをくつがえす。そのつみないころさる。きょう。)
対処法
「「〓」はご馳走。「渥」は重刑のこと。「鼎の脚が折れて、公のご馳走がひっくり返ってしまった。重刑に処せられ凶」。基礎がひ弱な ため重荷に耐えきれず、ひっくり返ってしまう時です。実力をわきまえるべきです。または右腕と する部下は慎重に選ぶこ と。
◎あなたの考え方、進み方に問題点があります。よく反省し、改めましょう。
・・・・・・・
・・・・・・・・
抜粋終わり
で、
山風蠱 になる。
上記文抜粋
・・・・・・・・
この卦は、敗壊の意であり、そんなときに元いに亨ることはない。
しかし、だからと言って、敗壊を放っておくわけにはいかない。
折りを見て、いつかは修復する必要がある。
としても、修復するには、そのことについて深い知識と技能が必要である。
要するに、その蠱の敗れたことについて、元いに亨通している必要があり、そういう人物であればこそ、敗壊を修復可能なのである。
だから、蠱は元いに亨る、という。
例えば、パソコンが壊れたとき、パソコンのことをよく知らなければ、修理に出すしかないが、パソコンに精通していれば、自分でどこが壊れたかを調べ、部品を取替えて直せるのと、同じことである。
また、巽を従うとし艮を止めるとすれば、従って止まる様子である。
大きな川を渡るときは、人命に係わる大事であり、逆を慎み順を尚ぶことが第一である。
無理せず時に従って止まり、風、波、水嵩の利ろしきを得て渡れば、過失も少ない。
だから、大川を渉るに利ろし、という。
また、甲(こう=きのえ)は十干の始めである。
だから、甲の日を事の始めとする。
甲に先立つこと三日は辛(しん=かのと)の日であり、辛は新と同音同義である。
甲に後れること三日は丁(てい=ひのと)であり、丁は丁寧の義である。
壊れ極まって、今これを修復する道は、先ず既往の敗壊の原因を悉く改めて新しくし、改新した以後は丁寧に扱い、再び壊れないようにしないといけない。
だから、甲に先だつこと三日、甲に後れること三日という。
・・・・・・・・
・・・・・・・・
抜粋終わり
だけど爻辞となると・・
続いて抜粋
・・・・・・・・・
六四、裕父之蠱、往見吝、
六四(りくし)、父(ちち)之(の)蠱(やぶ)れに裕(ゆる)めり、往(な)すこと見吝(いやしめ)らる、
六四は陰柔不才にして、父の蠱を見ながらも、これを修復することに緩慢怠惰で、遂には修復できない者である。
だから、父之蠱れに裕めり、という。
子としてその父の失敗を修復しないで放置して平然としていれば、不孝の子として、何処に往き何をするにしても、軽蔑されるものである。
だから、往すこと見吝らる、という。
・・・・・・・
・・・・・・・
抜粋終わり
難題の立て直しだけど、前任者の過ち・前君主の過ちを放置して、破滅する様を描いている。
こうなる可能性もあると易は示唆する。
でも、
同じ火風鼎 より
http://uqmk.blog106.fc2.com/blog-category-55.html
上記文抜粋
・・・・・・・・
初六、鼎顛趾、利出否、得妾以其子、无咎、
初六(しょりく)、鼎(てい)の趾(あし)を顛(さかしま)にする、否(ひ)を出(いだ)すに利(よ)ろし、妾(めかけ)を得(え)て以(も)って其(そ)れ子(こ)あらば咎(とが)无(な)し、
初六は鼎を用いる初めとする。
鼎を用いて煮炊きをするときは、初めに、逆さにして中の汚れを落とし、洗い清める。
だから、鼎の趾を顛にする、否を出すに利ろし、という。
初六は鼎の趾に当たる。
否とは中の汚れのことである。
さて、九二は陽爻にして男子である。
初六は陰爻にして女子である。
また、初を子とする。
九二は初六に比している。
したがって、この初六と九二との関係は、九二が初六の妾を得て、また初の子を得た様子である。
正式な結婚ではなく、妾を得るというのは、いささか醜いことではある。
しかし、妾であっても、子を得る時には、世継が絶えず、祭祀相続することを得るのである。
これは、大切な鼎をひっくり返すことは醜いことではあるが、そうやって洗い清めてこそ、その後に煮炊きして美味しい料理を作れる、というが如くである。
だから、妾を得て以って其れ子あれば、咎无し、という。
・・・・・・・
・・・・・・・・
抜粋終わり
>これは、大切な鼎をひっくり返すことは醜いことではあるが、そうやって洗い清めてこそ、その後に煮炊きして美味しい料理を作れる、というが如くである。
トコトン、そこの汚れをひっくり返して流し出しきらないと、新しい「美味しい料理」は作れない。
後日追加で書くけど、今日はこれにて・・
敗戦で天皇制をうやむやに残したのが、4爻で、その変卦と変爻
今度は天皇も当然ひっくり返して流しだし、洗い清めないと「新しい日本」は作れない。
お読みくださりありがとうございます。
上記文抜粋
・・・・・・・・
④「『口裏合わせ』だけで退陣だろう『底』が抜けた国の無残」(『日刊ゲンダイ』2018年4月10日,https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/226864 から)
・・・・・・・
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抜粋終わり
日本の「底」が抜けたように感じる人が増えている。
ツイッターでもそういうセンテンスを良く見る。
で、底が抜けた国家が社会がどうなるか?
易に参考になりそうなものがある。
火風鼎 の卦にありそう。
http://uqmk.blog106.fc2.com/blog-category-55.html
上記文抜粋
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九四、鼎折足、覆公餗、其刑*屋、凶、
*屋は、屋を偏、刂を旁とした文字で、意味は誅戮を被ること。
この字(図形として作成)→aku.gif
しかし、JIS規格にもユニコードにもないので、意味は異なるが*屋で代用しておく。
九四(きゅうし)、鼎(てい)の足(あし)を折(お)る、公(こう)の餗(あつもの)を覆(くつがえ)す、其(そ)の刑(かたち)*屋(あく)たり、凶(きょう)なり、
この卦の二三四爻はみな陽剛なので、鼎に実(煮炊きする具)が入っている象である。
四に至っては、鼎に実が満ちている象である。
四は初の応位である。
初は鼎の足にして、一陰の微弱なものである。
今、鼎の実が過ぎ満ちて、その重さに耐えられず、足が折れる象がある。
だから、鼎の足を折る、という。
鼎にして足を折る時には、鼎も実も共に覆るというものである。
これを人事に推す時は、九四は宰相執政の位にして、応位の初六は陰柔不中正の下賎の小人である。
したがって、初六陰柔が佞媚を以って諂いを献じれば、九四の大臣はこれを喜び、甘んじて信用し寵愛する。
初六は陰柔下賎なので、下に在る応位より相助けるのではなく、却って大敗大害を勧め献じるのである。
もとより九四もまた、不中不正の爻なので、表は陽爻の賢良の態度をしていても、内心は陰柔の情欲を欲しいままにする。
したがって、その国家の大任に堪えず、公の餗を覆して、大事を破敗するのである。
だから、公の餗を覆す、という。
そもそも鼎とは、例えば国家である。
餗とは、煮物といった料理であり、人事に推せば天下の億兆の民である。
その塩加減などの味付けは政教である。
これを掌って煮炊きするのが、宰相の職であり任務である。
これは国家の公事にして、天下万民の安危治乱に関わることである。
宰相執政の任は、天下の公事の最大なる者にして、私家小事の万億を以ってしても比較するべきことではない。
しかし九四の爻は、己の才力徳量をも測らず、妄りにこの重大な任に当たり、不中不正の志行を以って、任意随情にこれを斡旋し、あまつさえ同気相求めて、初六陰柔不中正の小人を寵愛する。
これが顛覆を来たす所以である。
今、国家の鼎と万民の餗とを顛覆すれば、これを掌る大臣はその責その罪を逃れることはできない。
だから、その刑*屋たり、という。
*屋とは、誅戮を被る様子を言い、刑とは、刑罰の総称であり、その刑罰は誅戮に値する、といった意であって、その凶であることは当然である。
だから、凶なり、という。
・・・・・・・
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抜粋終わり
http://www.keisho.server-shared.com/64/k50.html
上記文抜粋
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爻辞
鼎折足。覆公〓。其形渥。凶。
(ていあしをおる。こうのそくをくつがえす。そのつみないころさる。きょう。)
対処法
「「〓」はご馳走。「渥」は重刑のこと。「鼎の脚が折れて、公のご馳走がひっくり返ってしまった。重刑に処せられ凶」。基礎がひ弱な ため重荷に耐えきれず、ひっくり返ってしまう時です。実力をわきまえるべきです。または右腕と する部下は慎重に選ぶこ と。
◎あなたの考え方、進み方に問題点があります。よく反省し、改めましょう。
・・・・・・・
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抜粋終わり
で、
山風蠱 になる。
上記文抜粋
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この卦は、敗壊の意であり、そんなときに元いに亨ることはない。
しかし、だからと言って、敗壊を放っておくわけにはいかない。
折りを見て、いつかは修復する必要がある。
としても、修復するには、そのことについて深い知識と技能が必要である。
要するに、その蠱の敗れたことについて、元いに亨通している必要があり、そういう人物であればこそ、敗壊を修復可能なのである。
だから、蠱は元いに亨る、という。
例えば、パソコンが壊れたとき、パソコンのことをよく知らなければ、修理に出すしかないが、パソコンに精通していれば、自分でどこが壊れたかを調べ、部品を取替えて直せるのと、同じことである。
また、巽を従うとし艮を止めるとすれば、従って止まる様子である。
大きな川を渡るときは、人命に係わる大事であり、逆を慎み順を尚ぶことが第一である。
無理せず時に従って止まり、風、波、水嵩の利ろしきを得て渡れば、過失も少ない。
だから、大川を渉るに利ろし、という。
また、甲(こう=きのえ)は十干の始めである。
だから、甲の日を事の始めとする。
甲に先立つこと三日は辛(しん=かのと)の日であり、辛は新と同音同義である。
甲に後れること三日は丁(てい=ひのと)であり、丁は丁寧の義である。
壊れ極まって、今これを修復する道は、先ず既往の敗壊の原因を悉く改めて新しくし、改新した以後は丁寧に扱い、再び壊れないようにしないといけない。
だから、甲に先だつこと三日、甲に後れること三日という。
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抜粋終わり
だけど爻辞となると・・
続いて抜粋
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六四、裕父之蠱、往見吝、
六四(りくし)、父(ちち)之(の)蠱(やぶ)れに裕(ゆる)めり、往(な)すこと見吝(いやしめ)らる、
六四は陰柔不才にして、父の蠱を見ながらも、これを修復することに緩慢怠惰で、遂には修復できない者である。
だから、父之蠱れに裕めり、という。
子としてその父の失敗を修復しないで放置して平然としていれば、不孝の子として、何処に往き何をするにしても、軽蔑されるものである。
だから、往すこと見吝らる、という。
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抜粋終わり
難題の立て直しだけど、前任者の過ち・前君主の過ちを放置して、破滅する様を描いている。
こうなる可能性もあると易は示唆する。
でも、
同じ火風鼎 より
http://uqmk.blog106.fc2.com/blog-category-55.html
上記文抜粋
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初六、鼎顛趾、利出否、得妾以其子、无咎、
初六(しょりく)、鼎(てい)の趾(あし)を顛(さかしま)にする、否(ひ)を出(いだ)すに利(よ)ろし、妾(めかけ)を得(え)て以(も)って其(そ)れ子(こ)あらば咎(とが)无(な)し、
初六は鼎を用いる初めとする。
鼎を用いて煮炊きをするときは、初めに、逆さにして中の汚れを落とし、洗い清める。
だから、鼎の趾を顛にする、否を出すに利ろし、という。
初六は鼎の趾に当たる。
否とは中の汚れのことである。
さて、九二は陽爻にして男子である。
初六は陰爻にして女子である。
また、初を子とする。
九二は初六に比している。
したがって、この初六と九二との関係は、九二が初六の妾を得て、また初の子を得た様子である。
正式な結婚ではなく、妾を得るというのは、いささか醜いことではある。
しかし、妾であっても、子を得る時には、世継が絶えず、祭祀相続することを得るのである。
これは、大切な鼎をひっくり返すことは醜いことではあるが、そうやって洗い清めてこそ、その後に煮炊きして美味しい料理を作れる、というが如くである。
だから、妾を得て以って其れ子あれば、咎无し、という。
・・・・・・・
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抜粋終わり
>これは、大切な鼎をひっくり返すことは醜いことではあるが、そうやって洗い清めてこそ、その後に煮炊きして美味しい料理を作れる、というが如くである。
トコトン、そこの汚れをひっくり返して流し出しきらないと、新しい「美味しい料理」は作れない。
後日追加で書くけど、今日はこれにて・・
敗戦で天皇制をうやむやに残したのが、4爻で、その変卦と変爻
今度は天皇も当然ひっくり返して流しだし、洗い清めないと「新しい日本」は作れない。
お読みくださりありがとうございます。
DEEPLY JAPAN より
上記文抜粋
・・・・・・・・・
中国王さん、ロシア モルグロフさん、忙しく立ち回る
ただのメモなんですが、
今日は中国の王外相が、ロシアでモルグロフ外務次官を訪ねていた。
このコンビは、つい10日ほど前、モルグロフさんが中国で王さんを訪ねていた。
http://www.fmprc.gov.cn/mfa_eng/zxxx_662805/t1543811.shtml
中国外務省のページによれば、北朝鮮問題を話したと書かれている。モルグレフさんは極東の専門家だから実際そうなんだろうと思う。
さてこのモルグレフさんは、ついこの間、ラブロフ外相が21~22日に日本を訪問した際にも日本に来ていた。
この写真の左側のラブロフさんの向こう側(左手)にいる人がモルグレフさん。思わぬところで見つけてしまっていたのですよ。この写真はちなみにロシア外務省のtwitterにあったもの。
この間ここで貼ったもの。
乾坤一擲にもならなかったイギリスの策謀
ということから考えて、日本の外務省関係者が、今般の北朝鮮の金さんの中国訪問をまったく予想もしていなかったということはないのではあるまいかと思うんだが、どうでしょう。
もちろん、秘密は秘密だとしても、なんらかの動きがあることを示唆されていた可能性は大ではないの?だって秘密にして出しぬく意味なんてない。子供の喧嘩じゃないんだから。
TASSにさっき出ていた記事によれば、
・菅さんが、「北京を含む様々なチャネルとツールを通じて北朝鮮との対話を維持する」と言った
・しかし、シンゾーアベが北朝鮮の金さんと会うかどうかについては明言を避けた
"We maintain dialogue with North Korea through various channels and tools, including the embassy in Beijing," he said, however dodging the question whether a possible meeting between Prime Minister Shinzo Abe and North Korean leader Kim Jong-un was being looked at.
More:
http://tass.com/world/996609
とあり、その前には、朝日新聞がシンゾーアベが6月に金と会う段取りになっているようだと書いた、ともある。
The Asahi newspaper reported earlier that a Japan-North Korea summit meeting may take place already this June. According to the newspaper, this matter was discussed at a recent session of Kim Jong-un’s Worker’s Party of Korea. If actually organized, this will be the first Japan-North Korea summit since December 2011.
これらを総合して考えるに、朝鮮半島の問題に対する日本の反応、動向、態度を中露、or 中露アメ両朝鮮は待っている、というところなのではあるまいか。
だってほら、実のところ日本の現在というのは朝鮮戦争レジームですんで、日本の中の言論環境を含め、実は大きな問題がかかってるわけでしょ。日本はそれをどうするんだよ、なんだけど、なんせ政権ががたついている始末。
しかしじゃあシンゾーアベを下したからといって、何かはっきりとしたスタンスを持った次の政権があるのかというとそれもない。そもそも国内では、北朝鮮といえば敵以外の話をしていない(笑)。率直にいって、一人冷戦思考&志向の日本をどうしたらいいのか誰にもわからない。
どうするんだろうか。困ったな、と日本国民のごく少数も思ってるが、アメリカを含む周辺も思っているといったところでしょう。
・・・・・・・・・
・・・・・・・・・
抜粋終わり
>一人冷戦思考&志向の日本をどうしたらいいのか誰にもわからない。
第二次大戦、最後までごねて戦っていたのが、日本ですから、まあ同じ轍を行くのですは。
参考
>東アジアのこれからの問題は中曽根、安倍、麻生、統一教会=日本会議問題、清和会問題です
で、
参考
>要するに北朝鮮の「悪」の部分、即ち核ミサイル開発、テロ支援、偽札、麻薬などの犯罪行為は全て名前に「日」が無い将軍様のせいではなく、日本国内に存在する北朝鮮の本体、即ち大日本帝国軍部残党人脈・満州派・皇室・黒龍会人脈・在日韓国人・在日朝鮮人・暴力団・世界連邦脳炎患者などの「寄生虫」のせいと認定されたわけです。(爆wwwwwwww
易で「今の日本の現状は?」と聴いた。
沢山カン の6爻
http://ekikyou-dokugaku.com/takuzankan.html
http://ekikyou-dokugaku.com/takuzankan6.html
上記文抜粋
・・・・・・・・
まずは、やさしい解説から
━ ━○
━━━
━━━
━━━
━ ━
━ ━
<爻辞>
「其の輔頬舌に咸ず」
<読み方>
その ほきょうぜつに かんず。
<爻辞の意味>
「その口先に感じる」
「沢山咸」とは「感じる」ことについて説かれた卦(か)です。
そんな中この上爻は、口先に感じると言っています。
これは、感じたことをすぐにペラペラと口に出してしゃべったり、あるいは感じてもいないことを口先だけで、あたかも感じているようにペラペラとしゃべったりするということです。
いずれにしても浅はかな者を示しています。
・・・・中略・・・
加藤大岳述 沢山咸 上爻
<説明の要点>
「輔頬舌」とは、口舌のことです。
上爻は、体の最上部で顔に当たるのですが、兌の主爻なので、口舌で表されています。
陰柔不中で卦の極にあり、感ずることも浅はかで誠実さがない。
「口先ばかりで感ずる」といった、本当は感じてもいないことを口先だけで言い繕っているというわけです。
(加藤大岳述 易学大講座 現代語要訳)
・・・・・・・・
・・・・・・・・
抜粋終わり
>これは、感じたことをすぐにペラペラと口に出してしゃべったり、あるいは感じてもいないことを口先だけで、あたかも感じているようにペラペラとしゃべったりするということです。
>いずれにしても浅はかな者を示しています。
なんかそのものですな日本の為政者たちを表してます。日本の庶民もそうなりつつある。
安倍政権はもっとすごいのが出た。
坎為水 初爻
http://ekikyou-dokugaku.com/kanisui.html
http://ekikyou-dokugaku.com/kanisui1.html
上記文抜粋
・・・・・・・・
まずは、やさしい解説から
━ ━
━━━
━ ━
━ ━
━━━
━ ━○
〈爻辞〉
「習坎。坎萏に入る。凶」
〈読み方〉
しゅうかん。かんたんに はいる。きょう。
<爻辞の意味>
「穴の中の穴に陥っている。凶」
「坎為水」の卦(か)は「困難に処する道」について説かれている卦です。
そんな中この初爻は、穴の中にできた更なる穴の中に落ちてしまっている状態です。
ひとつの穴に落ちてしまっただけでも抜け出すのが困難なのに、この初爻は穴の中の穴に落ち込んでおり、とうてい抜け出すことなどできないのです。
・・・・・中略・・・
加藤大岳述 坎為水 初爻
<説明の要点>
習坎とは、本卦のところの説明の通り重険です。
坎を穴とすれば、穴の中に穴のある所です。
しかも、この爻は最下位にあるので、穴の底に陥っているようなものです。
「萏」というのは、穴の中の小穴のことで、穴の中で一番深い底にあたります。
ですから、出ようとしても容易に出られません。
習坎を穴に象ってみると、この爻が陰柔不正で重険の卦の最下位にいることを上記のように見ることが出来ますが、これを社会生活の上に考えてみますと、坎は刑罰であり、法律です。
それが二つ重なっているこの卦は、重犯の象です。
一度、罪を犯して法に触れ罰を受けたなら、すぐに行い改めるのではなく、また罪を重ねるのです。
それも険しい坎苦に満ちた世の道に処し「維れ心亨る」の誠孚を貫く事の出来ない陰柔な爻だからで「行きて尚ばるるあり」の坎の意に適わない爻であると言うべきでしょう。
このような陰柔な者が「道を失う」ことを免れるためには、傍の正直な者の力添えに頼らなくてはなりません。
しかし、応爻の四爻もまた陰柔で、他を救うどころではないし、比爻の二爻は陽正であっても「坎に険あり」で、なんとか坎の中で己を支えているのだから、この初爻にまで手が及びません。
(加藤大岳述 易学大講座 現代語要訳)
・・・・・・・・
・・・・・・・
抜粋終わり
>習坎を穴に象ってみると、この爻が陰柔不正で重険の卦の最下位にいることを上記のように見ることが出来ますが、これを社会生活の上に考えてみますと、坎は刑罰であり、法律です。
>それが二つ重なっているこの卦は、重犯の象です。
>一度、罪を犯して法に触れ罰を受けたなら、すぐに行い改めるのではなく、また罪を重ねるのです。
まさにその通り・・・・・・・
真心が無い国・政権は、衰え滅びるものです。
お読みくださりありがとうございます。
上記文抜粋
・・・・・・・・・
中国王さん、ロシア モルグロフさん、忙しく立ち回る
ただのメモなんですが、
今日は中国の王外相が、ロシアでモルグロフ外務次官を訪ねていた。
このコンビは、つい10日ほど前、モルグロフさんが中国で王さんを訪ねていた。
http://www.fmprc.gov.cn/mfa_eng/zxxx_662805/t1543811.shtml
中国外務省のページによれば、北朝鮮問題を話したと書かれている。モルグレフさんは極東の専門家だから実際そうなんだろうと思う。
さてこのモルグレフさんは、ついこの間、ラブロフ外相が21~22日に日本を訪問した際にも日本に来ていた。
この写真の左側のラブロフさんの向こう側(左手)にいる人がモルグレフさん。思わぬところで見つけてしまっていたのですよ。この写真はちなみにロシア外務省のtwitterにあったもの。
この間ここで貼ったもの。
乾坤一擲にもならなかったイギリスの策謀
ということから考えて、日本の外務省関係者が、今般の北朝鮮の金さんの中国訪問をまったく予想もしていなかったということはないのではあるまいかと思うんだが、どうでしょう。
もちろん、秘密は秘密だとしても、なんらかの動きがあることを示唆されていた可能性は大ではないの?だって秘密にして出しぬく意味なんてない。子供の喧嘩じゃないんだから。
TASSにさっき出ていた記事によれば、
・菅さんが、「北京を含む様々なチャネルとツールを通じて北朝鮮との対話を維持する」と言った
・しかし、シンゾーアベが北朝鮮の金さんと会うかどうかについては明言を避けた
"We maintain dialogue with North Korea through various channels and tools, including the embassy in Beijing," he said, however dodging the question whether a possible meeting between Prime Minister Shinzo Abe and North Korean leader Kim Jong-un was being looked at.
More:
http://tass.com/world/996609
とあり、その前には、朝日新聞がシンゾーアベが6月に金と会う段取りになっているようだと書いた、ともある。
The Asahi newspaper reported earlier that a Japan-North Korea summit meeting may take place already this June. According to the newspaper, this matter was discussed at a recent session of Kim Jong-un’s Worker’s Party of Korea. If actually organized, this will be the first Japan-North Korea summit since December 2011.
これらを総合して考えるに、朝鮮半島の問題に対する日本の反応、動向、態度を中露、or 中露アメ両朝鮮は待っている、というところなのではあるまいか。
だってほら、実のところ日本の現在というのは朝鮮戦争レジームですんで、日本の中の言論環境を含め、実は大きな問題がかかってるわけでしょ。日本はそれをどうするんだよ、なんだけど、なんせ政権ががたついている始末。
しかしじゃあシンゾーアベを下したからといって、何かはっきりとしたスタンスを持った次の政権があるのかというとそれもない。そもそも国内では、北朝鮮といえば敵以外の話をしていない(笑)。率直にいって、一人冷戦思考&志向の日本をどうしたらいいのか誰にもわからない。
どうするんだろうか。困ったな、と日本国民のごく少数も思ってるが、アメリカを含む周辺も思っているといったところでしょう。
・・・・・・・・・
・・・・・・・・・
抜粋終わり
>一人冷戦思考&志向の日本をどうしたらいいのか誰にもわからない。
第二次大戦、最後までごねて戦っていたのが、日本ですから、まあ同じ轍を行くのですは。
参考
>東アジアのこれからの問題は中曽根、安倍、麻生、統一教会=日本会議問題、清和会問題です
で、
参考
>要するに北朝鮮の「悪」の部分、即ち核ミサイル開発、テロ支援、偽札、麻薬などの犯罪行為は全て名前に「日」が無い将軍様のせいではなく、日本国内に存在する北朝鮮の本体、即ち大日本帝国軍部残党人脈・満州派・皇室・黒龍会人脈・在日韓国人・在日朝鮮人・暴力団・世界連邦脳炎患者などの「寄生虫」のせいと認定されたわけです。(爆wwwwwwww
易で「今の日本の現状は?」と聴いた。
沢山カン の6爻
http://ekikyou-dokugaku.com/takuzankan.html
http://ekikyou-dokugaku.com/takuzankan6.html
上記文抜粋
・・・・・・・・
まずは、やさしい解説から
━ ━○
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<爻辞>
「其の輔頬舌に咸ず」
<読み方>
その ほきょうぜつに かんず。
<爻辞の意味>
「その口先に感じる」
「沢山咸」とは「感じる」ことについて説かれた卦(か)です。
そんな中この上爻は、口先に感じると言っています。
これは、感じたことをすぐにペラペラと口に出してしゃべったり、あるいは感じてもいないことを口先だけで、あたかも感じているようにペラペラとしゃべったりするということです。
いずれにしても浅はかな者を示しています。
・・・・中略・・・
加藤大岳述 沢山咸 上爻
<説明の要点>
「輔頬舌」とは、口舌のことです。
上爻は、体の最上部で顔に当たるのですが、兌の主爻なので、口舌で表されています。
陰柔不中で卦の極にあり、感ずることも浅はかで誠実さがない。
「口先ばかりで感ずる」といった、本当は感じてもいないことを口先だけで言い繕っているというわけです。
(加藤大岳述 易学大講座 現代語要訳)
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・・・・・・・・
抜粋終わり
>これは、感じたことをすぐにペラペラと口に出してしゃべったり、あるいは感じてもいないことを口先だけで、あたかも感じているようにペラペラとしゃべったりするということです。
>いずれにしても浅はかな者を示しています。
なんかそのものですな日本の為政者たちを表してます。日本の庶民もそうなりつつある。
安倍政権はもっとすごいのが出た。
坎為水 初爻
http://ekikyou-dokugaku.com/kanisui.html
http://ekikyou-dokugaku.com/kanisui1.html
上記文抜粋
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まずは、やさしい解説から
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〈爻辞〉
「習坎。坎萏に入る。凶」
〈読み方〉
しゅうかん。かんたんに はいる。きょう。
<爻辞の意味>
「穴の中の穴に陥っている。凶」
「坎為水」の卦(か)は「困難に処する道」について説かれている卦です。
そんな中この初爻は、穴の中にできた更なる穴の中に落ちてしまっている状態です。
ひとつの穴に落ちてしまっただけでも抜け出すのが困難なのに、この初爻は穴の中の穴に落ち込んでおり、とうてい抜け出すことなどできないのです。
・・・・・中略・・・
加藤大岳述 坎為水 初爻
<説明の要点>
習坎とは、本卦のところの説明の通り重険です。
坎を穴とすれば、穴の中に穴のある所です。
しかも、この爻は最下位にあるので、穴の底に陥っているようなものです。
「萏」というのは、穴の中の小穴のことで、穴の中で一番深い底にあたります。
ですから、出ようとしても容易に出られません。
習坎を穴に象ってみると、この爻が陰柔不正で重険の卦の最下位にいることを上記のように見ることが出来ますが、これを社会生活の上に考えてみますと、坎は刑罰であり、法律です。
それが二つ重なっているこの卦は、重犯の象です。
一度、罪を犯して法に触れ罰を受けたなら、すぐに行い改めるのではなく、また罪を重ねるのです。
それも険しい坎苦に満ちた世の道に処し「維れ心亨る」の誠孚を貫く事の出来ない陰柔な爻だからで「行きて尚ばるるあり」の坎の意に適わない爻であると言うべきでしょう。
このような陰柔な者が「道を失う」ことを免れるためには、傍の正直な者の力添えに頼らなくてはなりません。
しかし、応爻の四爻もまた陰柔で、他を救うどころではないし、比爻の二爻は陽正であっても「坎に険あり」で、なんとか坎の中で己を支えているのだから、この初爻にまで手が及びません。
(加藤大岳述 易学大講座 現代語要訳)
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・・・・・・・
抜粋終わり
>習坎を穴に象ってみると、この爻が陰柔不正で重険の卦の最下位にいることを上記のように見ることが出来ますが、これを社会生活の上に考えてみますと、坎は刑罰であり、法律です。
>それが二つ重なっているこの卦は、重犯の象です。
>一度、罪を犯して法に触れ罰を受けたなら、すぐに行い改めるのではなく、また罪を重ねるのです。
まさにその通り・・・・・・・
真心が無い国・政権は、衰え滅びるものです。
お読みくださりありがとうございます。