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故国の滅亡を伍子胥は生きてみれませんでしたが、私たちは生きてこの魔境カルト日本の滅亡を見ます。
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P R
読めないニックネーム(再開版)  より

上記文抜粋
・・・・・・・・・・・・

ミロク信仰を咎める法華経。植木雅俊『梵漢和対照・現代語訳 法華経』 『サンスクリット原典現代語訳 法華経』。マグダラのマリア、ベヨネッタ、ハンター×2、ファイアパンチ
Posted on 2023.05.05 Fri 19:42:13 edit

植木雅俊『梵漢和対照・現代語訳 法華経』 岩波書店(上・下)、2008年
植木雅俊『サンスクリット原典現代語訳 法華経』(上下)、2015年

梵漢和対照・現代語訳版よりも、サンスクリット原典現代語訳版のほうが読みやすい。
後者は、梵語原典と、鳩摩羅什による漢訳の文語訳が載っていない。現代語訳と少ない註釈と解説ぐらいだ。


植木雅俊『梵漢和対照・現代語訳 法華経』 岩波書店(上・下)
2008年

■上巻

はしがき
翻訳に当たって、これまでの訳の再考を踏まえて以下の四点を自らに課した。

①正確を期す
(岩波文庫の岩本裕(ゆたか)の訳の誤りを指摘している。
具体的には、崇め尊ぶ対象が「経典」である箇所なのに、「如来」を対象にしてしまっている)

②意訳・深読みをしない

日本語としてよほど読みにくくならない限り極力、サンスクリット語の文章の雰囲気を残すようにした。

③掛詞も見落とさないで訳出する

④曖昧さを残さない

nimitta-(有相)(鳩摩羅什「空無相無作」の箇所のサンスクリット原文の検証について)


第1章:序(序品第一)

p.7
偉大な人であるマイトレーヤ(弥勒)菩薩

ブラフマー神群に属する一万二千人の天子たちに従われたサハー(娑婆)世界の主であるブラフマー神(梵天)も伴っていた。
(1万2千強調。サハーは娑婆)


p.57
註釈23
仏典ではブッダのことをしばしばjina-(勝利者)と呼んでいる。勝利者という語は、原始仏教においてもしばしば見られる。ただし、それは他者に対しての勝ち負けを言っているのではなく、自己に勝つこと(克己)として語られている。

『ダンマパダ』には次のようにある。
「実に自己に克つことは、他の人々に勝つことよりもすぐれている。自己を調えている人の中で常に自己を抑制している修行者――このような人の勝利したことを敗北したことになすようなことは、神も、ガンダルヴァ(天の伎楽神)も、悪魔も、梵天もなすことができない」

仏教で最も重視されたことは、「真の自己」に目覚めることであるが、それは自己に勝つことによってなされる。

「真の自己」って表現は誤解されそうなので避けた方が良いのでは?
「本当の私」というアートマンみたいなものを見つける意味にとられかねないじゃん。
欲望を滅し、執着しなくなったことが勝利。これが「真の自己」という意味で使っているのだろうが、それなら、「悟りの境地」でいいじゃん。
)

p.65

未来における成仏の予言(授記)

p.41
アジタ(弥勒)

あの”名声を求めるもの”という名前の菩薩で怠け者であったところの人がいた。アジタよ、まさにあなたこそが、その時、その状況で怠け者であったその”名声を求めるもの”という名前の菩薩であったのだ115。

仏教化したミトラつまり弥勒〔の前世〕は怠け者だったと書いている。弥勒の格を下げて、弥勒信仰を咎めるための記述


註釈p.68から
114
燃燈仏(ねんとうぶつ。ディーパンカラ)は、はるかな過去において、釈尊の前身であった青年に「汝は、将来必ず釈迦牟尼仏となるであろう」と予言(授記)したとされる。この説話は、紀元前3世紀ごろの西北インドに起源するようで、南方仏教にも伝わったが、北方仏教で特に重視された。燃燈仏(ねんとうぶつ。ディーパンカラ)授記をテーマにした浮き彫りが、パキスタン北部からアフガニスタンの一部にかけたガンダーラ美術圏で多数発掘されている。

115
ここでは、マイトレーヤ(弥勒)に対していささか厳しい評価がなされている。マイトレーヤ信仰が強まるのは、クシャーナ王朝になってからと思われる。ガンダーラ仏教美術では釈尊の成道以前(=菩薩)、成道以後(=仏陀)の姿、そしてマイトレーヤの菩薩像が礼拝の対象として彫刻されていた。マイトレーヤ信仰に対するゾロアスター教の影響を指摘する学者もいる。ガンダーラ美術の影響を受けた中インドのマトゥラーやアヒチャトラでも水瓶を持ったガンダーラ式のマイトレーヤ菩薩が見られる。その二例には、「マイトレーヤ像」という文字が刻まれている。マイトレーヤ信仰は、大乗と小乗のいずれにも受け入れられていた。ただし、『雑譬喩経』の冒頭(大正蔵、巻四、499頁中)には、弥勒菩薩に会いたくて死にきれなかった高僧の話が登場する。弟子たちから「弥勒の教えには、六波羅蜜や、四無量心、四恩、四諦の教えと何か異なる点があるのでしょうか」「異なることがないのなら、弥勒の出現を待つ必要などないではありませんか」と諭されて目が覚め、弥勒菩薩を待つことなく阿羅漢に達して往生したという話である。こうした話が記録されているということは、マイトレーヤ信仰に対して仏教徒の中にも疑問を持っていた人たちがいたということであろう。『法華経』も、特にこの序品第一(第1章)や湧出品第十五(第14章)においてマイトレーヤに対していささか皮肉を込めた態度を取っている。
(「お釈迦様の教えと、弥勒の教えが同じなら、お釈迦様の教えを実行すれば良いだけだから、弥勒信仰は不要では?」ってことだ。
バラモン・ヒンドゥー教や、ミトラ教の影響はなかったの?

クシャーナ朝 - 世界史の窓
http://www.y-history.net/appendix/wh0201-051.html
” クシャーナ朝
1世紀頃、イラン系民族が北西インドを支配して建てた王朝。東西貿易ルートを抑え、2世紀ごろ全盛期となった。そのカニシカ王は仏教を保護し、そのもとでガンダーラ美術が栄えた。
〔画像省略。「1~3世紀 クシャーナ朝の統治範囲」。マトゥラーとプルシャプラが含まれている〕
 古代インド(近代前)の紀元1世紀中頃、中央アジアから北インドにかけて支配を及ぼしたイラン系の国家。東西交易の大動脈を抑えて繁栄した。2~3世紀ごろの統治者カニシカ王は、前3世紀のマウリヤ朝のアショーカ王と並んで仏教の保護にあたった王として知られている。
・POINT・ 教科書ではマウリヤ朝とクシャーナ朝は連続して説明され、いずれも仏教を保護したことを中心にとりあげられるので、同じような王朝と思いがちだが、同じインド史上の王朝であっても違いがかなりあることに注意しよう。まずマウリヤ朝は前3世紀にガンジス川流域に興ったインド人の国家であるが、クシャーナ朝は後1世紀ごろバクトリア方面から北インドに入ったイラン系国家(次第にインド化したが)であるこを押さえよう。また、クシャーナ朝の支配は南インドには及ばなかったこともを地図で確認しておくこと。

大月氏国とクシャーナ朝
 クシャーナ朝(クシャーン朝とも表記する)は中央アジアの大月氏国の支配を脱した同じイラン系民族のクシャーナ族が、西北インドに侵入してつくった国家であり、中国の史書(漢書)にも貴霜として現れる。
 月氏ははじめ中国のすぐ西にいたが、前2世紀後半に匈奴に敗れて西方のバクトリア(現在のアフガニスタン)に大移動し、大月氏国を建てた。漢の武帝が同盟しようとして張騫を派遣したあの大月氏国である。大月氏国は国土を有力な5諸侯に分けて統治させていたが、この5諸侯については、大月氏の一族と見る説と、土着のイラン系有力者と見る説とがある。そのうちの一つであるクシャーナ族の首長クジューラ=カドフィセスが1世紀の中ごろ、他の4諸侯を制圧して王を名乗り、西方のパルティアと戦った。続いて北インドのインダス川流域にも進出し、ガンダーラ地方のプルシャプラ(現在のペシャワール)を都として支配した。大月氏はイラン系の遊牧民であったが、ガンジス川流域に支配を及ぼすことによって、次第にインド化し、仏教も取り入れるようになった。<世界各国史(新版)『南アジア史』2004 山川出版社 p.86 などによる>

カニシカ王の仏教保護
 クシャーナ朝の第3代カニシカ王(その即位年は78年、128年、144年の三説があるが、2世紀前半のいずれかであろう)は仏教に帰依し、マウリヤ朝のアショーカ王に続く仏教の保護者となった。またこの時代に、ギリシア・ローマ起源のヘレニズムと、ペルシアのイラン文化、さらに中国と中央アジアの文化が融合し、ガンダーラ美術が開花した。都はガンダーラ地方の中心地のプルシャプラ(現在のペシャワール)であったが、その支配が岩持する川流域に及んだので、今日のデリーの近くのマトゥラーを副都とした。またこの時代に、仏教の革新運動としてナーガールジュナが登場し、大乗仏教が成立した。
カニシカ王の像 マトゥラー近郊の遺跡から、カニシカ王の像と言われるものが出土している(山川詳説世界史教科書 p.57)。これは頭部を欠いているが、中央アジア風の外套を身につけてベルトをしめ、フェルトの長靴を履いており、「遊牧民らしい出で立ち」となっていてクシャーナ朝が本来遊牧国家であったことをよく示している。

クシャーナ朝の支配領域
 クシャーナ朝はインドの王朝といっても、民族系統はイラン系と考えられ、またその支配領域も現在のアフガニスタン、イラン東部からパキスタンのパンジャーブ地方、インドのガンジス川上流から中流にかけてであった。インド全土を支配したのではないことに注意する。その支配は、ガンジス下流やデカン高原以南には及ばず、デカンにはインド亜大陸の先住民族であるドラヴィダ人の国家であるサータヴァーハナ朝が存在し、さらにその南にはチョーラ朝(前期チョーラ朝)とパーンディヤ朝があり、インド洋交易圏で活動していた。
クシャーナ朝のインド化 イラン系民族であるクシャーナ族は、前2世紀末ごろ、バクトリアに侵入して定住し、さらに紀元後1世紀ごろに領土を拡張し、パルティアやインド北部を征服してクシャーナ朝を建てた。彼らはバクトリア語を話し、ギリシア文字を使い、ゾロアスター教の拝火儀式も行っていたが、その本拠をインドに移すに従い、バクトリア語もゾロアスター教の信仰も棄て、プラークリット語(文語であったサンスクリット語に対するインドの俗語)を話し、大乗仏教の熱心な保護者となった。それによって仏教は内陸アジアに広がっていったが、北伝仏教の中の弥勒菩薩信仰は、ゾロアスター教の救世主思想の影響があったと考えられている。<メアリー=ボイス/山本由美子訳『ゾロアスター教』2010 講談社学術文庫 p.168>

クシャーナ朝と東西貿易
 クシャーナ朝時代は地中海をローマ帝国が支配していた時代で、ローマ帝国の支配下のギリシア人商人がペルシア湾からアラビア海に進出し、季節風貿易を展開した。前1~3世紀には、クシャーナ朝だけではなく、デカン高原のサータヴァーハナ朝やインド南端のチョーラ朝も、インド洋交易圏の季節風貿易を利用したローマとの交易を行っていた。インドからは胡椒などの香辛料、宝石、真珠、象牙、綿布などが輸出され、ローマからはぶどう酒やオリーブ油がもたらされたが、常にインド側の輸出超過であったので、ローマから代金として金貨がインドにもたらされた。クシャーナ朝ではローマからもたらされた金をもとに、ローマ貨幣に模して大量の金貨を造った。

後漢、ローマ帝国との関係
 クシャーナ朝の王は、東の漢帝国(後漢)に使者を送っている(『後漢書』ではクシャーナ朝も大月氏として出てくる)が、ローマ帝国のトラヤヌス帝の時にインドから使者というのもクシャーナ朝の王の使者であろうと言われている。

クシャーナ朝の衰退
 クシャーナ朝は3世紀に西方イラン高原に起こったササン朝ペルシアに圧迫され衰退した。同じころ、ローマ帝国も3世紀の危機といわれる衰退期に入っており、ローマとの交易も衰えたことがクシャーナ朝の衰退の要因の一つと考えられている。
” (着色は引用者)



第2章:巧みなる方便(方便品第二)
p.77
〔七つの〕覚りへの要件(七覚支)(しちかくし)

本書では
( ):言葉の言い換え
だが (しちかくし)は私がルビの代わりに書いた。
〔 〕:筆者による言葉の補足


p97から
シャーリプトラよ、私はただ一つの乗り物(一乗)、すなわち〔衆生を〕ブッダへと到らせる乗り物(仏乗)(ぶつじょう)について衆生たちに法(真理の教え)を説くのだ。シャーリプトラよ、〔そのほかに〕何か第二、あるいは第三の乗り物が存在するのではない 63.
〔法を法たらしめる〕根本の理法(法性)(ほっしょう)はこれなのである。

衆生たちにただ一つの乗り物(一乗)、すなわち、一切種智(仏智)(ぶっち)を終着点とするブッダに到る乗り物(仏乗)(ぶつじょう)について法を説かれたのである。

p145から
63の注釈。
(↓鳩摩羅什による漢訳の文語訳)
「余乗の若しは二、若しは三有ること無し」について。
けれどもサンスクリット原文を厳密に読めば、これは唯一を強調するレトリックであり、「声聞」「独覚」とも、「二乗」「三乗」とも読むのは誤りであることがわかる。

注67
(岩本訳や中公版の誤訳について)
筆者(本書の著者である植木)、
「如来たちは、巧みなる方便である三つの乗り物(三乗)による教示を通して、そのただ一つのブッダの乗り物(一仏乗)を説かれるのである」と訳した箇所は原典では次のようになっている。
省略
(岩本訳では)
「唯ひとつの仏の乗り物」を「三種の乗り物」という言葉に置き換えられて説かれるだけで、名前は変わっても同じものかという誤解を与えかねない余地がある。
それに対して中公版は次の通りである。
「三つの乗り物に分解して」
この場合は、原点にない「分解して」という言葉を補って訳した結果、「仏陀の乗り物」を三つに分解したものが「三つの乗り物」であるかのような誤解を招きかねない懸念が残る。

一仏乗と三乗との間には、「止揚」という関係が無視できない。
三乗は一仏乗を言い換えたものではない。
分解したものでもない。

三位一体とかほざいているスピ系がいそうだな


p169
註200
私にとって、この世に声聞〔と言われる人〕はだれ一人として存在しないのだ」と

一仏乗の思想によって「声聞と言われる人」を見ると、その人たちも本来、菩薩であって「声聞〔と言われる人〕はだれ一人として存在しないのだ」という意味なのである。
声聞がいなくなるとは、声聞が菩薩になるからではない。
それは、この方便品で展開される「声聞の菩薩への止揚」という考えに反するのである。「菩薩になる」のではなく、「本来、菩薩である」と法華経は主張しているのだ。これは、仏教史上画期的な発言である。
この世に声聞と言われる人はだれ一人として存在しないとは、法華経の根本思想の主張。


禅みたいだな。仏になるのではなく、すでに仏であることに気づく。言葉だけでなく心でも理解しないといけない)
(法華経などにいちいち『』をメモでつけないことがある)


・・・・・・・・中略・・・・・・・・

〔 〕は筆者による言葉の補足なのだが、補いすぎでは?
愛語って誤訳っぽいんだよな。キリスト教流入以前はよくても流入後はダメでしょ。
和顔愛語は駄目だけどな。和顔軟語でないとな。


p396
注95
「四摂事」は、catvāri saṃgraha-vastūni(〔人びとを〕包容〔して救うため〕の四つの事柄)を漢訳したもので、
①dāna(布施=施しを与えること)、
②priyavacana(愛語=慈愛の言葉)、
③arthacaryā(利行=他人のためになる行為)、
④samānārtha(同事=他人と協力すること)――の四つからなる。

高楠順次郎による編集の『大正新修大蔵経』(全百巻)だと「和顔軟語」。欄外の注には、「軟=愛」と表記されている。しかし、現在流布している比較的入手しやすい『無量寿経』のテキストや資料には、「和顔愛語」となっている。意図的に「愛」に変えようとしている奴らがいるってことだ。
仏教では愛は渇愛を想起させるので悪い印象がある。まあ良い意味でも使われるんだけどさ。
無量寿経というなかの和顔軟語というのを、愛にむりやりすり替え、和顔愛語と改竄した経典を広めたグループの一員が高楠順次郎。
高楠順次郎はエスペランティストで、
1906年に黒板勝美らと共に日本エスペラント協会の結成に参加し、東京支部長。
1919年に日本エスペラント学会が設立された際は、当初は評議員として参加。
世界連邦派の仏教を耶蘇化させるための憑依戦術系の工作員。
神戸の裕福な高楠家の婿養子となり、その援助で英国に留学、オックスフォード大学でM.ミュラーに師事し、その後、ドイツやフランスにも留学しているあいだにスカウトされたのだろう。
仏典もできる限り昔に出たものを読まないとダメだね。
仏教は神秘主義という完全に間違ったデマを広めた神智学系の鈴木大拙と、
エスペラントの高楠順次郎がからむ本で仏教を学んではいけない!
仏教経典改竄を平気でやるヤソ勢力。エスペラント大好き大本教の王仁三郎「仏教を滅ぼせ」


・・・・・・・・・中略・・・・・・・

p572から
注17
女人成仏を説く『法華経』において、このように女性を悪と並べてブッダの国土から排除するのは、例外的なことである。シャーリプトラなどの他の声聞たちのブッダの国土においては、女性は全く排除されていない。刈谷定彦博士は、この箇所の描写は後世の付加であろうと述べている。著者は、『無量寿経』の思想を割り込ませたものだと考える。その詳細は、cf.植木雅俊著『仏教のなかの男女観』、岩波書店、pp.243-249。
(
新約聖書のマグダラのマリアの特別な地位を見るに、マグダラのマリアもどうみても使徒なのに、使徒が男ばかりなのを思い出すな。
娼婦でない可能性が高い。そもそも娼婦という解釈も女性差別が混ざってそうなんだよな。
外典ではマグダラのマリアは使徒(イエスの弟子)なんだよな。使徒だったのを男尊女卑的に改悪したのだろう。仏教みたいにな。

https://twitter.com/nekonomical/status/1338483666045923328 と続き

紀元前後のインドでは現代で言う小乗仏教が多数派で、大乗仏教は少数派だったのだ。『般若経』は大乗仏教の側から小乗仏教の出家者たちを批判、『維摩経』は保守的で権威主義的な部派仏教を糾弾するものとして書かれたのだ。そして『法華経』は小乗と大乗の対立を止揚するものとして書かれたのだ。
画像
午後11:12 · 2020年12月14日·Twitter Web App

原始仏教から小乗仏教(=「説一切有部」と言う部派が代表)に至る流れで、小乗仏教の権威付けのために多くの改変がされているのだ。

例えばゴータマは「私は人間である」と原始仏教では語っているのに、小乗仏教では「私は人間ではない、ブッダである」と人間離れしたものに祭り上げられたのだ。
午後11:18 · 2020年12月14日·Twitter Web App


・・・・・・・・・中略・・・・・・・

p95から
マンジュシリー〔菩薩〕が言った。
「良家の息子よ、サーガラ龍王の娘(龍女〔りゅうにょ〕)がいるのだ。〔その娘は〕生まれて八年で、大いなる智慧をそなえ、研ぎ澄まされた能力を持ち、智に基づいた身体と言葉と心の行ない(身口意〔しんくい〕の三業〔さんごう〕)を具えており、あらゆる如来が説かれた象徴的表現の意味を会得していて、ダーラニー(陀羅尼)を得ており、あらゆる事物や衆生に対して精神集中する幾千もの三昧(ざんまい)を一瞬にして獲得しているのだ。

〔サーガラ龍王の娘は〕次の詩句(偈)(げ)を述べた。
私にとって完全なる覚りは思うがままであり、その際、私の証人は如来であります。


尊者シャーリプトラ(舎利弗)
「(前略)女性は、今日まで五つの位に到達したことはないからだ。
第一はブラフマーの位、第二はインドラの位、第三は大王の位、第四は転輪〔王(のう)〕の位、第五は不退転の菩薩の位である」

仏どころか不退転の菩薩にすらなれねーよって小乗の立場で言っている。
シャーリプトラは汚れ役だな


一切世間の〔人々の〕眼前において、また長老シャーリプトラの眼前において、その女性の性器が消えてなくなり、男性の性器が現われ33、そして、サーガラ龍王の娘は、自ら真の菩薩であることをはっきりと示した。

サハー〔娑婆〕世界

p107
注33
「女性の性器が消えてなくなり、男性の性器が現れ」という箇所は、「変成男子(へんじょうなんし)」(変じて男子と成る)と漢訳された。この言葉尻をとらえて、「女性に対する差別」「時代思潮の制約から完全には自由になっていない限界」などといった論評がなされている。ところが、原文の前後を読むと、変成男子は、女性の成仏に必要不可欠な条件として描写されているのではなく、小乗仏教の偏頗な女性観にとらわれた人に、女性の成仏が可能なことを説得するための手段として用いられていることが分かる。


デーヴァダッタという悪人でも成仏できる=仏陀になれるという悪人成仏が重要。
①女性でも、②年齢が8歳(1桁の子供)でも、③人間でなくても、仏になれると書いたのが重要。
女人成仏思想。

スピ系が勝手に、両性具有属性とかドラコニアンとかシェイプシフトとか言ってそうな箇所だな。

・・・・・・・・・・中略・・・・・・


 人類史上初めて唱えられた平等思想
平等は、「へいとう」と読まないで、「びょうどう」と読む。漢音ではなく、呉音の読み方がなされるということは、「平等」が仏教用語であることを意味している。それは、サンスクリット語のサマ(sama)、あるいはその名詞形サマターの漢訳語である。中村博士は、1949年に出版した『宗教における思索と実践』で、「人類の歴史において『平等』ということを最も明瞭な自覚を以て最初に唱えたのは、インドの仏教徒であった」と論じている。
 歴史的人物としての釈尊の教えに近い原始仏典では、際立った平等思想が説かれ、釈尊在世中の教団内ではそれが実現されていた。釈尊は、決して権威主義的ではなく、原始仏典では自分のことを「人間」であり、「善き友人である私」と語っていた。弟子たちから「ゴータマ」、あるいは「ゴータマさん」「君よ」と呼ばれても、全く意に介することはなかった。釈尊在世当時の男女の弟子たちが自ら綴った詩集『テーラ・ガーター』『テーリー・ガーター』を読むと、女性たちが男性たちに勝るとも劣らず、溌剌として「釈尊の教えを成し遂げました」「解脱しました」と語っている(拙著『仏教のなかの男女観』第二章を参照)。ブッダという語は「目覚めた人」という意味で、原始仏典では特定の一人を指す固有名詞ではなく、普通名詞として複数形で用いられていた。釈尊の最初の説法の際の五人の弟子たちの覚り(原文ママ)の場面の描写は、釈尊の場合と全く同じ表現になっていた。
 ところが、釈尊入滅後、次第に様相は変化する。釈尊が亡くなって100年ほど経った紀元前三世紀後半以降、教団は分裂を繰り返し、部派仏教(いわゆる小乗仏教)の時代に入る。そこにおいて、教義の緻密な体系化がなされる一方で、男性・出家者中心主義、隠遁的な僧院仏教という傾向を強め、煩瑣な教理の研究と修行に明け暮れ、遂には民衆と遊離してしまった。その中でも特にガンダーラを中心に西北インドで勢力を振っていたのが説一切有部であった。こうして、保守・権威主義的な傾向を強め、在家や女性に対する差別が始まり、仏弟子を意味していた「声聞」から在家や女性は排除されてしまい、小乗仏教の男性出家者をさす言葉に限定された。その結果、大乗仏典で「声聞」という語は、もっぱら小乗仏教の男性出家者を批判する場面で用いられることになった。
 こうした思想情況に対して、紀元前後ごろに平等の旗印を掲げて思想運動を展開したのが大乗仏教であり、それが法華経の一仏乗の思想へと結実した。

 
 小乗仏教の差別思想
 原始仏典では、在家も出家も男女の別なく仏弟子とされ、在家であっても「智慧を具えた聖なる仏弟子」とまで称されていたが、小乗仏教では在家と女性が仏弟子から排除された。
 原始仏典で代表的な仏弟子は、在家・出家・男女の区別なく列挙されていて、女性の智慧第一、説法第一もいたし、在家の説法第一もいた。釈尊の教えを理解できなくて智慧第一の女性に質問し、明快な答えを聞いて感動した男性出家者の話も記録されている(拙著『仏教のなかの男女観』96~100頁を参照)。それなのに、小乗仏教では女性と在家の代表的な仏弟子が削除され、「智慧第一のシャーリプトラ(舎利弗)」「多聞第一のアーナンダ(阿難)」などと男性出家者のみの十大弟子に限定された。
 原始仏典で釈尊は、「私は人間である」と語っていたが、小乗仏教では「私は人間ではない、ブッダである」と神格化され、釈尊の言葉に仮託して、「私を喬答摩(ゴータマ)などと呼ぶものは、激しい苦しみを受けるであろう」とまで語られるようになった。最古の原始仏典とされる『スッタニパータ』に、「まのあたり即時に実現され、時を要しない法」(中村元訳『ブッダのことば』)とあったにもかかわらず、小乗仏教では、何劫(こう)(kalpa)もの天文学的な時間をかけて修行(歴劫修行〔りゃっこうしゅぎょう〕)してやっとブッダになったとされ、ブッダが人間離れしたものとされた。
  釈尊はその歴劫修行の結果、遥かな過去のディーパンカラ仏(燃燈(ねんとう)仏)のもとで未来成仏の予言(授記)がなされたとされ、ブッダとなるまでの釈尊を「覚り(bodhi)が確定している人(sattva)」という意味でbodhi-sattva(菩提薩埵(ぼだいさった)、略して菩薩)と呼んだ。それは紀元前二世紀ごろのことであった。小乗仏教で菩薩は、釈尊と未来仏のマイトレーヤ(弥勒)に限定され、ブッダになれるのは、釈尊とマイトレーヤのみとされた。男性出家者はブッダにはなれないが、阿羅漢にはなれる。その阿羅漢には、どんなに徳があり、学識があったとしても在家は至ることはできない(在家非阿羅漢論)。ましてや女性は、女性であること自体で絶対に成仏できない(女人不成仏(にょにんふじょうぶつ))とされた。原始仏典では、多くの女性出家者が「ブッダの教えを成し遂げました」「解脱しました」と語り、また在家について「世俗の生活のままで究極の境地に達し得るという思想が表明され」(中村元著『ゴータマ・ブッダⅠ』)ていたのとは、大変な様変わりである。

生まれで差別する(性別含む)って放っておったら勝手にそうなるんだろうな。

初期経典に覚りに達した女性がいっぱい出てくるんだよな。岩波文庫から『尼僧の告白』って題名で出てる『テーリーガーター』など。
『テーリーガーター 尼僧の告白』は釈尊の女性弟子たちの発言録で、涅槃に至った人々もいる。
女人不作仏は釈迦の教えではないとよくわかる。
法華経の悪人成仏と女人成仏は革新的。悪人成仏の初期仏教の扱いは知らないけどね。
「かくのごとき車に乗る人は、男であろうと、女であろうと、実にこの車によって、安らぎ(ニルヴァーナ)のもとに至るであろう。」(中村元訳「相応部経典」より)


 大乗仏教の平等思想と差別思想
 それに対して、紀元前後に興起した大乗仏教は、仏弟子(声聞)として仏の説かれた教え(声)を学ぶ(聞く)のみの小乗仏教の自利(じり)の修行に飽き足りず、ブッダと同じく菩薩行を修してブッダの覚りを得ること、人々に対して利他行(りたぎょう)を貫くことを理想とした。その大乗仏教運動の先駆けが『般若経』編纂者たちによってなされた。
 彼らは、自らの掲げる教えをマハー・ヤーナ(偉大な乗り物)と称し、伝統的仏教をヒーナ・ヤーナ(貧弱な乗り物)と貶称(へんしょう)した。それぞれ、「大乗」「小乗」と漢訳された。大乗は、「覚り(bodhi)を得ることが確定している人(sattva)」という意味で小乗仏教が用いていた菩薩(bodhi-sattva)という言葉を、「覚り(bodhi)を求める人(sattva)」と読み替え、成仏をあらゆる人に開放するという仏教本来の平等思想を打ち出した。
 (だから、大乗は仏教ではない、というのも誤りなんだよね
 )
『法華経』をはじめとする大乗仏教の主張は、「釈尊の原点に還れ」をスローガンとする"仏教のルネッサンス運動"であったと言っても過言ではない。


・・・・・・・・・中略・・・・・・・・

引用者注:
法華経などでわかるように、大乗仏教はミトラ=弥勒信仰を咎めるわけよ。
対して「仏教を滅ぼす」思想の大本教系は「みろくの世(ミトラの世)」を強調する。
仏教大嫌い思想なので、仏教が「良くない」と言っていることを崇めたり褒めたりするわけだ。


提婆達多(デーヴァダッタ)は教団を分裂させた悪人とされてきたのだ。しかし『法華経』では彼を仙人として登場させ、しかも釈尊が『法華経』の教えを請うため奴隷になって仕えたと語られるのだ。悪人とされた提婆達多もブッダの善き友であり、成仏できるのだ。
八歳の龍女でも成仏できるのかという話が面白いのだ。まず龍なので「畜生」なのだ。そして八歳というのは、当時の価値観で「胎児」とされるのだ。そして女性差別は激しく、夫が亡くなったら妻は火の中に飛び込まなければならない慣習だったのだ。(寡婦焚死、ヒンディー語で「サティー」と言うのだ)

このような背景があった上で、龍女は悟りを持っていることを語るのだ。しかし聞いている方(智積菩薩)は簡単に納得できないのだ。そこで龍女は説得のために男性に変身(変成男子)して、成仏の姿を見せ、大衆を説法し、人々を歓喜させたのだ。菩薩も沈黙してしまうのだ。

善女龍王像 長谷川等伯・画



 釈尊は多くの世界に現れては、それぞれの国土で如来としての自分の名前をそれぞれに名乗る。
 (並行世界論じゃん。その発想自体に法華経が影響しているかも。日本語以外の言語の翻訳の歴史についてはよくしらないけど)

こうして、多くのブッダ、如来たちが、釈尊という「永遠のブッダ」の化現(けげん)したものだとして統一した。
(お経がたくさんある理由の説明ね)

 釈尊は、「遥かな昔に覚りに達し、量ることのできない寿命の長さを持ち、常に存在し続けている」(本書下巻、92頁)、すなわち、久遠以来ずっとブッダであり、存在し続けて説法している。
 「永遠のブッダ」は「果徳」であり、「菩薩行の実践」は「因行」に当たる。そうすると、これは報身のことを示す「因行果徳身(いんぎょうかとくしん)」ということになる。永遠性に根差しつつ、現実とのかかわりを持って菩薩としての働きをなし続ける存在だということである。
 
 以上が、法華経の原型とされる部分の概略である。
 (寿命があるなら永遠じゃないじゃん。
久遠実成(くおんじつじょう)=無量無辺の遥かな過去において釈尊が成道していたこと)

 衣裏珠(えりじゅ)の譬え(授記品)
 (
 人名みたいだ。エリ、エリージュちゃん)

p.294から

(大乗非仏論について著者が書いた箇所にて。富永仲基が)
p.294、植木 雅俊〔うえき まさとし〕訳『サンスクリット原典現代語訳 法華経』(下)(の植木の解説より)

大乗仏典の文献学的考察において独創性を発揮したことは大いに評価されるが、『法華経』の思想的内容にまでは理解が及ばなかったといえよう。中村元先生が、「思想の研究において文献学のみに頼って研究する人を、私は信用しません」と語っておられた(拙著『仏教学者 中村元――求道のことばと思想』(四三頁を参照)ことを思い出す。



終わりに
法華経も、形骸化され、権威の象徴に祀り上げられることもあるかもしれない。
それは、ほかならぬ法華経自身が「正しい教え(正法)に似て非なる教え(像法)」という言葉を用いて懸念していたことである。
(スピリチュアル仏教のことかな?
法華経が懸念していたのが像法だもんな。
スピ信者って法華経が好きっぽいんだよな。憑依できそうな箇所があるでしょ?
まさに像法じゃねーか。いや像法どころか邪教というか外道だな。だって根本が違うからな)

あとがき
p299
本書の出版のために手直しした『法華経』の現代語訳
(梵語があるのとは訳文が違うということだ。

マジで素晴らしい翻訳と解説だったよ!)

・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・
抜粋終わり

>植木雅俊『梵漢和対照・現代語訳 法華経』 岩波書店(上・下)、2008年
植木雅俊『サンスクリット原典現代語訳 法華経』(上下)、2015年


一度、これ読んでみるか。


法華経は、結構工作員の詐術の舞台にもなっているので、良いの探すのが難しいけど。ありがたいです。


お読みくださりありがとうございます。





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読めないニックネーム 再開版 より

上記文抜粋
・・・・・・・・・・
現在大衆を支配しているカルトの内、頂点レベルは「全て」「キリスト教(中身)+X(外見で偽装)」!
メーソン思想(科学主義)、スピリチュアル、神智学、人智学、ニューエイジ、ニューソート、自己啓発、食事療法カルトなどといくら外見を変えても、大衆支配のツールの本丸は「キリスト教システム」なのはずっと変わっていません。ただ単にパッケージと味付けをリニューア ルした商品が並んでいるだけで、本質はずっとキリスト教(絶対者の存在と動物蔑視など。ギリシャ哲学で武装したのがキリスト教神学)。

過去記事
オウムはインド風に偽装しているけど
神vs獣の善悪二元論・
終末論・
ハルマゲドン・
隣人愛
でわかるように中身はキリスト教!オウム思想の中核は神智学
(インド風キリスト教。創世記とギリシャ哲学の動物蔑視)
の霊性進化論
=神か獣かの善悪二元論+霊的カースト制度。
神智学がユダヤ陰謀論=キリスト教の伝統を広めるのに協力。
大田俊寛著『現代オカルトの根源』(ちくま新書)。
「誠の神様はただ一柱」とする大本教は「天地の創造神」というキリスト教的な神を導入しつつも多神教の枠組みを一応維持していた平田派神学以上にキリスト教。
http://yomenainickname.blog.fc2.com/blog-entry-75.html

・・・・中略・・・・


マサの先生 @naophon
14年3月2日
宇宙人も環境問題も、根っこは同じなんですよ。 外的要因による危機を演出して、人間という種が集団で同じ行動を取るようにする。そうやってひとまとめにしたほうがコントロールしやすいから。
これはCFRに調べさせた「アイアンマウンテンレポート」で詳しく書いてある。

kobo_q @kobo_q
13年11月13日
UFO見ると「宇宙人が乗ってる」と思っちゃう人の想像力はたかが知れている。宇宙人じゃなくて未来人かもしれないし、異次元人かもしれない。無人 機かもしれないし、ロボットが操っているかもしれない。乗り物じゃなくて生命体なのかもしれない。見たものが見間違いや錯覚である可能性もある。

子子子子子(ねここねこ)
@noranekonote 善の宇宙人VS悪の宇宙人は、 #日ユ同祖論 での本物ユダヤVS偽ユダヤと同じ嘘。前提を無自覚に受け入れさせる為の二元論の罠。聖書のユダヤ人を宇宙人に置き換えただけ。結局は聖書に見えない聖書思想による洗脳。遺伝子分布云々はデマ。実在しない人の子孫はない。


魔法使いハンターねこた @lanekota
@kitsuchitsuchi @azkdeathcore まず、キリスト教的な世界観の崩壊で雲の上に天使がいないとわかるとチベットの超人が現れ、チベットが未開の地でないとわかると宇宙人が現れた。実によくできてます。
2014年4月15日 16:39

大田俊寛 ‏@t_ota 2012年12月9日
いわゆる「マヤの終末予言」の期日とされる2012年12月21日が近づいてきた。しかし実際には、マヤの暦における長期歴(約5126年周期)が一巡するというだけであり、古代マヤ人が「アセンション」や「人類滅亡」を予言していたというわけではまったくない。
この種の説が広まる切っ掛けとなったのは、ニューエイジ系の思想家ホゼ・アグエイアスが、1987年に『マヤン・ファクター』という本を公刊したこと。実はこの本では、2012年の終末予言だけではなく、それまでのあいだに何が起こるかということが色々と予言されている。
例えば、1992年以降、各地域の中心に「太陽の神殿」という瞑想センターが作られる、太陽・惑星問題協議会が設立され、軍備の撤廃と共産制の樹立が実現 される・・・等々。『マヤン・ファクター』を直接読んでみると(特に第8章)、マヤの予言は「すでに外れている」ということが良く分かる。/終

大田俊寛 ‏@t_ota 2010年5月9日
(3)オカルト人種主義。神智学では、人間が霊的な進化を遂げると主張されるが、こうした霊的進化論は、しばしば人種論とも結びついた(どの民族が霊格が高いか、など)。オカルト的な人種主義は、ナチズムの人種論の先駆を為したことが指摘されている。

マコ・スクリームキャット ‏@MacoSakura 7月6日
エヴァンゲリオン始めサブカルの分野に大きな影響を与えている一種のオカルティズムである「霊性進化論」は、オームの中心教義でもあり、カルト化を放置すると危険なものだ。ある種の優生思想。そういったものの入り口にあるオカルティズムも同様に注意が必要だろう。

Carolyn ‏@CarolynMistress 2012年5月30日
優生学はかなり古くからあるようだが、プラトンはその考えを非常に明確に示している。彼が余りにも理想化されているため、このことは注意深く隠されてきたのだ。

ken ‏@kenkatap 2012年10月7日
ナ チスが優生思想を考えついたのではない
▼古代ギリシャ哲学者、プラトンもそうした考え方をしていた
▼『国家』で「最もすぐれた男たちは最もすぐれた女たち と、できるだけしばしば交わらなければならないし、最も劣った男たちと最も劣った女たちは、その逆でなければならない。」としている【櫻井J】

政治哲学bot ‏@Staatsphilosoph 3月5日
プラトンは、民主主義の友ではなかった。プラトンは、詩人にも大衆にも人間の形成と指導を任せようとはしなかった。哲学者こそが支配すべきなのである。国家が哲学者の洞察によって導かれるならば、秩序と正義が支配するであろう。


菊池 ‏@kikuchi_8 2月21日
オ ウム事件についての番組をやっていたが、麻原彰晃は「物質世界から抜け出せ」「肉体は魂の牢獄」という趣旨の事を言っているが、これは明らかに仏教ではな くグノーシス主義の思想である。仏教では物質は「無記」(価値中立)とする。宗教的な基礎知識があれば、カルトに簡単に騙されることはない。

kakuyu @southmtmonk • 5月15日
ひょっとすると、近年頻繁に目にするようになった「意識が高い」というフレーズも、霊性進化論からきているのかもしれないね。


U @wayofthewind • 5月11日
神道も大本教もロスチャイルドなら、オウムのバックにもロスチャがいる? @lanekota“神道カルトの理想が北朝鮮みたいですが。ちなみに「現代オカルトの根源」という本読みましたが、大本教のオウムの理想は同じなのですね。ビックリしました”

大貫剛 ‏@ohnuki_tsuyoshi 12月8日
前世紀エウアンゲリオン RT @aumsupreme: エウアンゲリオン・テス・バシレイアス オウム真理教がロシアから放送していたラジオ番組。オウムソングや麻原教祖の説法などを流していた。地下鉄サリン事件から3日後の放送が最後の放送 pic.twitter.com/ItYRUyKt06

(エウアンゲリオンとエヴァンゲリオン。オウムとエヴァは共に神智学とニューエイジ派生。
新約聖書の原典は古代ギリシャ語。神聖世界。ハルマゲドン。オウムとエヴァの中核と背後にいるのはキリスト教思想とキリスト教勢力)


・・・・・中略・・・


オウムの思想の根幹は「霊性進化論」

それでは、麻原彰晃やオウム真理教を動かしていた幻想とは、一体何だったのか。オウムの思想に対しては、私はすでに『オウム真理教の精神史』『現代オカルトの根源』という二著によって一通りの分析を終えていますので、ここではもう詳しくはお話ししませんが、現在の私は、オウムとは、「霊性進化論」という思想潮流から生まれた宗教団体の一つであったと考えています。
霊性進化論の源流を作り上げたのは、一九世紀後半に活躍したロシアの霊媒、ブラヴァツキー夫人という人物です。当時の世界では、ダーウィンの進化論が広範に普及し、その影響から、旧来のキリスト教信仰が大きな打撃を受けていました。こういう状況のなかでブラヴァツキーは、スピリチュアリズムと進化論を融合させることにより、「神智学」と呼ばれる新たな宗教運動を創始したのです。
それによれば、本当の意味での人間の進化とは、肉体のレベルではなく、霊性のレベルにおいて生じる。人間は地球において、七段階の進化を遂げることが予定されており、現在は物質的進化の極点に達しているが、今後は霊的進化への反転が生じることになる。簡単に言えば、「物質文明から精神文明への大転換」が起こることが予言されたのです。神智学の教えはその後、ニューエイジやポストモダンの諸思想に幅広い影響を与えていきました。
オウム真理教の最終目的もまさに、「物質文明から精神文明への大転換」を起こすことに置かれていました。オウムの内部でそれは、「種の入れ替え」という言葉によって表現されていた。現在の人間は物質的欲望に縛られて動物化しているため、これを粛清し、その後に霊性のレベルの高い神的人類から成るユートピアを建設する──それこそがオウムの目指していたことでした。オウムが起こしたあらゆる事件は、このような最終目的を実現するための布石として行われたのです。

なぜ裁判はオウム問題の本質に触れることができないのか
オウム真理教の本質を理解すれば、それによって引き起こされた数々の事件が、「思想犯」と呼ぶべきものであったことが分かります。ゆえに、オウム事件に対して裁定を下そうとすれば、本当は、その主要な原因となったオウムの思想自体の理非を問わなければならない。
ところがここで、大きな問題が現れます。それは、現行の日本の法制度においては、思想そのものの罪を問うことができない、ということです。
そんなことは当然だ、と思われるかもしれませんが、歴史を振り返ってみれば、思想の罪を問わないというのは、むしろ例外的な事態であることが分かります。人類の長い歴史のなかでは、社会を脅かす恐れのある「危険思想」に対しては、何らかの仕方で制裁が加えられるというのが普通でした。
ナザレのイエスが処刑されたのは、彼の説く「神の国」の思想がローマ帝国の統治にとって障害となると考えられたからでしょうし、中世のキリスト教社会では、「異端審問」がたびたび行われました。戦前の日本でも、治安警察法や治安維持法といった「治安立法」が存在していた。それらの法に基づき、「国体の変革」につながる恐れがあるという理由から、共産主義の他、数々の新興宗教団体に対する弾圧が行われてきたのです。
しかしながら、近代の社会が成熟するにつれ、「治安立法による思想犯の取り締まり」は、次第に行われなくなりました。それは、国家の安全よりもむしろ、信教の自由や思想・表現の自由を優先すべきだという見解が、大勢を占めるようになったからでしょう。
とはいえ、成熟した近代社会において、思想犯がまったく現れなくなったというわけではありません。戦後の日本の例で言えば、連合赤軍事件とオウム事件が、思想犯の典型であったと見ることができます。
連合赤軍やオウムは、それぞれの思想に基づき、現在の世界の体制を根本的に変革することを目指していた。ゆえに、これらの事件を裁こうとすれば、先ほど述べたように本当は、その思想の理非をまず問わなければならない。
しかし現行の法制度では、思想の罪を問うことはできず、法廷での議論はどうしても、武器をどうやって調達したか、犯行計画を事前にどこまで知っていたか等、あくまで即物的な内容に限定されてしまう。そのため、裁判に長い時間を費やしているにもかかわらず、いつまで経っても本質的な問題に話が及ばない、という不全感が残り続けることになるのです。
くれぐれも誤解しないでいただきたいのですが、だからといって私は、あらためて思想の罪を法廷で裁くべきだ、「異端審問」や「治安立法」を復活させるべきだ、と考えているわけではまったくありません。思想の罪を問わないということは、これまでの人類が長い試行錯誤を重ねた末にようやく獲得した原理であり、安易にこれを手放すことが、社会の改善につながるとは到底考えられないからです。
しかしながら、再び話を戻せば、法廷で裁かれないからといって、思想の罪自体が消えるわけではない。私たちはむしろ、思想の罪を法廷では裁かず、信教の自由や思想・表現の自由を最大限尊重するということに決めているのだから、そういった罪や責任は、国家権力が介在しない仕方で、市民社会の側からの自発的意志や見識に基づいて問うていく必要があります。私たちはそのことを、もっと明確に自覚しなければなりません。

オウム事件に対する思想的責任の範囲

オウム真理教事件に対する思想的責任や、道義的責任について考えてみると、問題の範囲は実に、オウムという団体やその信者のみに限定されなくなります。オウムの思想は、彼らがまったく独自に編み出し、彼らだけが主張していたという性質のものではないからです。
先に述べた霊性進化論というオカルト的な宗教思想、さらには、「物質文明から精神文明への大転換」といった類の空虚で粗雑な革命論は、一九世紀から現在に至るまで、世界中で蔓延し続けてきました。ここでは話を日本に限定すれば、オウム問題については、宗教団体の分野、アカデミズムの分野、メディアの分野のそれぞれにおいて、思想的・道義的責任が問われるべきではないかと思います。
まず、宗教団体の責任について。麻原彰晃はオウムを創始する以前、さまざまな新興宗教に関与し、それらの団体が公刊している著作を通して、霊性進化論の枠組みについて学んでいきました。特別な修行を積むことによって神に進化しうる、物質文明が遠からず破局を迎えるといった観念は、オウム以前にも多くの宗教団体によって主唱されていた。そして、日本の多くの人々は、それらの団体の教えを通して霊性進化論の思想に慣れ親しむようになり、そのなかで、よりラディカルな実践に身を投じたいと考えた一部の人間たちが、オウムに足を踏み入れていったのです。
私は昨年公刊した『現代オカルトの根源』において、霊性進化論の思想的系譜について具体的な考察を行ったのですが、それが原因でいくつかの宗教団体から抗議を受け、団体の広報担当者と長時間にわたって議論を交わすことになりました。結果的に、それは私にとって、教団の内実をうかがい知ることができるという点で、とても興味深い体験となりました。
とはいえ、その際にこちらから、団体の教義の性質について公開の場で議論させてほしい、あるいは、オウム事件に対する団体の見解を公にしてほしいという要望を出したのですが、残念ながらそれらには応じてもらえなかった。しかしオウムは、七〇年代以降に生じた「宗教ブーム」という大きな流れのなかから現れた存在であり、そうしたブームを同じくした他の教団が、完全に思想的責任を免れうるということにはならないはずです。

次に、アカデミズムの責任について。これに関しては、すでに多くの機会に言及してきましたので、詳しくは述べません。しかしながら、大学においてニューエイジやポストモダンの思想が蔓延していたことが、多くの大学生がオウムに入信した要因の一つとなったことは、疑うことができないでしょう。また、そうした種類の空言が未だに完全には消え去っていないことは、人文学の信頼性と生産性を大きく損なっていると考えます。
霊性進化論の関連で少し付言しておけば、人文系の研究者のなかには、神智学の代表的な思想家の一人であるルドルフ・シュタイナーの信奉者が、かなりの数で存在しています。一昔前に流行した「シュタイナー教育」の影響が、まだ残っているということなのでしょうが、しかし研究者であれば、シュタイナーの思想や世界観が全体としてどのような性質のものであったのか、もっと明確に認識しておくべきであると思います。

最後に、メディアの責任について。もう忘れられたことかもしれませんが、麻原彰晃はオカルト雑誌『ムー』の愛読者であり、一時期はそのライターとしても活動していました。彼の思想は『ムー』によって育まれ、また初期のオウムの活動は、『ムー』によって広く認知されていった。
しかしオウム事件以後も、同誌は編集方針をまったく変えることがなく、オウムの教義と同工異曲の「メシア論」や「陰謀論」を掲載し続けています。また、霊性進化論的なオカルト思想は、徳間書店の「超知ライブラリー」や「5次元文庫」といったシリーズの書物によって、今も広められている。大手出版社が堂々とオカルト本を売り捌いているというのは、世界的に見ても稀な現象でしょう。

二〇一二年にオウム最後の逃亡犯として逮捕された高橋克也被告の所持品のなかには、中沢新一氏の『三万年の死の教え──チベット『死者の書』の世界』(角川書店)という書物が含まれていました。この書物は、NHKが一九九三年に放映した、「チベット死者の書」というスペシャル番組をもとに作られています。
番組の内容は、一言で言えば、チベットの寒村における素朴な葬式の様子を描いたものにすぎないのですが、派手なCGや音響を随所に用いることにより、「死後の世界」をリアルに実感させるような演出が施されている。
この番組は当時、オウムが布教の手段の一つとして使用していたことが知られています。地下鉄サリン事件以前は、こうした番組が公共放送でも流されていたのです。今でもDVDが販売されていますので、一度視聴してみれば、オウムが日本社会で受容され、成長していった当時の雰囲気を実感できるかもしれません。
オウムとは直接的な関わりを持たなかったとしても、その背景となる思想を広めてしまったことで密かに良心を痛めている人は、今も日本社会のなかに沢山いるのではないかと思います。
来年は、地下鉄サリン事件から二〇年という節目を迎え、最後のオウム裁判となる高橋被告の裁判も始められるでしょう。本当にオウム事件を総括したいと思うのであれば、責任を感じつつも口ごもっている人々に勇気をもって発言してもらい、オウムの思想が日本全体にどこまで浸透していたかを明らかにすることが必要です。”

・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・
抜粋おわり


おなじく より

上記文抜粋
・・・・・・・・・・
菊池 @kikuchi_8 · 4月3日

まるでカトリック。キリシタン神学の影響を感じる→出口王仁三郎「祈りは天帝にのみすべきものである。他の神様には礼拝するのである。私はそのつもりで沢山の神様に礼拝する、そはあたかも人々に挨拶すると同様の意味においてである。誠の神様はただ一柱しかおはしまさぬ、他は皆エンゼルである。」
出口王仁三郎の考えでは「神」とはただ一柱であり、それ以外は全て「エンゼル」(天使)だと。「天地の創造神」というキリスト教的な神を導入しつつも多神教の枠組みを一応維持していた平田派神学をさらに超えて一神教化させている。完全にキリシタン神学であり、少なくとも神道や仏教以外の何かだ。

子子子子子(ねここねこ) ‏@kitsuchitsuchi
陰謀論者の本を私は読まない。 初詣の初出は明治18年で、参詣客が多いのはご利益ではなく交通網のおかげだと暴露したのが『鉄道が変えた社寺参詣』。 これに神道=和風キリスト教と金剛峯寺の建立が明治2年なのを加えると、初詣は✝製の偽伝統に金を集める行事だと判る。

陰謀論者の本を読む代わりに『現代オカルトの根源』を読むべきです!
アイクも登場しますよ。アイク本読もうとしているなら先にこの本を読むべきです。
本書は私のお勧め本ランキングの上位に位置します。
ナチスも大本教もオウムもユダヤ=フリーメーソン陰謀論を唱えていて、どれも思想の中核がキリスト教と選民思想!





・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・
抜粋おわり


霊性進化論は、カルトの本丸の一つ。

なんかコピペをしにくかったので、今日はこれにて。

宇宙人も、霊性進化論のネタ。

これで騙して、人を食う。

オウムが跋扈した一因は、「知的な学問」としての宗教しか認識されないから。

そもそも宗教って修行して、身体にも影響を与える。

あるいは「理解」としてもそれは「第二義的」として、身体的に「わかる」って感覚なり自分のモノとすることの大事さが、抜けているから。

それの重要性が一番深刻な学問って、「兵法」ですは。

「知っている・理解している」でも、勝てません。馬謖趙括とかみたらわかるよね。歴史ってそんな「だメンズ」も多く名を残している。
まあこれは自戒もありますけど。


でも宗教って、それを「外側の学問」ってしていると、それを忘れてしまい間違い・錯誤を犯す。

王陽明も「理解はまだ二義的。わかるって体験・自分で良知を実現するのが一番大事」{伝習録・下巻}っていっている。
まあ彼が思想家ってだけでなく、不敗の名将ってのもあるからの指摘。

近代以降の学問は、「わかる」ってあまりないし。

さらに「知るのに理解するのに苦労した!!」て成功体験と苦労による「傲慢・仏教的にいう慢」という過ちで、知による傲慢が生じて、知が知でなくなる。
その過ちの典型が、ネオコンや新自由主義やアホリベラル派の「カラー革命賛美」である。







お読みくださりありがとうございます。





読めないニックネーム より

上記文抜粋
・・・・・・・・・・

疑うことは相手のことを知ろうとすることです。
信じることは相手のことを知らないようにすることです。
どんなことでも、自分で検証できることだけを正しいと信じなさい。
自分で検証できないことへの真偽の判定は保留にしなさい。
検証できないことを利用する詐欺師に騙されないために。


――子子子子(ねここねこ)の本ブログを再開した動機表明のはじまりはじまり――

子子子子子
「相変わらずですね、皆さん。初めまして。ですけど、僕が誰だか分かりますよね?
僕はね、皆さん、最早、貴方たちの世界に関わるべきではないと考えていたんですよ。その掃き溜めの様な世界に付き合っていると、本当に、嫌になっちゃうんだ。だから、あんたらの茶番劇にだって、あれからずっと、口出ししなかったでしょ?
全部、解ってたのに。言ってみれば、大いなる無駄に、疲れちゃったんです。残念ながら。
でもね、最近のは酷いよ、酷過ぎる。こんな茶番なのに、ちっとも笑えませんよ。だから極めて不本意だけど、僕はまた、貴方がたに挑戦しなくちゃならない。何日後になるか知らないけど、茶番劇団の卒業生達と同窓会をしますよね?
そこで今度こそ、本当の事を話して下さい。今度また嘘っぱちの演技をしたら、貴方をこの舞台から消去しなくちゃあならない。

で、この舞台上の茶番劇を暴いて、終わらせて、世の中の不正を正すんだ、って告発している陰謀論者は沢山いるけど、大半がその茶番劇団のメンバーじゃないか。
では、僕が言いたいことを一気に言っちゃうよ。聞いた人の一部がしばしの間、精神的に逝っちゃうようなことをね。声を大にしても聞こえないから、
文字を大にして言っちゃうよ。

 キリスト教と和製キリスト教である神道(特に大本教)系陰謀論者いすぎ!
 ユダヤ『だけに押し付け』陰謀論ってユダヤという財務担当だけ叩いてオーナーは叩かせないための陽動作戦!
 フリーメーソンが悪魔崇拝だから駄目だとか叩いている人が、
大切な前提知識としてキリスト教の定義する「悪魔」が何を隠す為かを言わないんだよ!

 悪魔=科学と智識=錬金術で、


 科学者=錬金術師=悪魔=魔女や魔術師で、


 科学実験=悪魔の儀式で、


 百科事典=科学の本=悪魔の本で、

科学研究しているメーソンが百科事典を作って広めた、って説明しない時点で主張が意味不明だよ!

 理由は、フリーメーソンが悪魔崇拝だと叩く論法自体が、バチカンがメーソンを弾圧した際の論法と同じだからだよ! 


 ペストが起こったのもユダヤのせいにして叩きまくったのはバチカンだよ!


 善良な神がペストや悪魔を作ったのはどうして? って聞かれたら困るからだよ!


 キリスト教で支配するためには悪魔が必要不可欠なんだよ!


 そもそも『ユダヤ』っていうのが、キリスト教が作った不満をそらして集中させるための捏造民族なんだよ!

 科学=悪魔ってことは隠しているよ!
 で、メーソン=悪魔崇拝って叩いている陰謀論者がキリスト教系あるいは和風キリスト教の神道系信者ばっかり……
ってこの人ら単なるバチカンの手先じゃないか!
 何、メーソンはカトリックと対立しているからメーソンは良い奴って?
 あなたの敵(=悪)と戦っているからあなたの味方(=善)ってあなたは聖書の世界の住人ですか?
敵の敵はあなたの味方とは限らないでしょうが!
昔は科学探究していて反カトリックのメーソンも、今やバチカンとグルだよ!
対立なんて単なる見せかけ。小競り合いを共倒れしない程度にやっているだけだよ!

 それに加えて酷いのが、
 道教を無視した日ユ同祖論!
子子子子子の読み方が何通りあるかを考えたら、子音表記のヘブライ語の発音を根拠にした同祖論なんて無意味ってわかるでしょ!
ニクダー(母音記号)なしだと正しい読みなんてヘブライ文字だけ見ても分からないんだよ!
 ダビデの星がユダヤのマークになったのは17世紀からだよ!
そもそもダビデは旧約聖書に登場するんだから、キリスト教やイスラム教が使ってもおかしくない!
マークの成立年代すら検証しない時点で歴史検証ではない!
 で、なんで日本人がユダヤ人の末裔って言っている奴らがクリスチャンと朝鮮人なんだよ!
しかも、キリスト教徒や半島人という日本の伝統に一番かけ離れた奴らが、天皇崇拝しているんだよ! 
現人神はイエスキリストの訳語だよ!
明治以前は天皇は仏教徒か道教家だったから『神』なわけないでしょうが!
せいぜい『神秘的存在』程度だよ!
 何、アマテラス?
天皇は道教用語なんだよ!
天皇は道教の最高神・天皇大帝の略称で、天皇大帝は『北極星』のことだよ!
太陽じゃないんだよ!
 何、三種の神器を根拠に明治天皇が南朝を正統としたって?
神器自体がもともとは道教由来だよ!
天皇大帝は象徴として剣と鏡の二種の神器を持っていて、実際に日本の皇室でも二種の神器だったんだよ! 
三種になったのは後からだし、神器なしで即位した例があるから、神器なんて正統性の根拠にならないよ!
 何、神道? 
神道ってのは道教と日本列島土着の信仰が混ざって産まれたもので、純日本産なんてありえないよ! 
しかも江戸末期以降は単なる日本版キリスト教だよ!
『神道』自体が道教用語なんだよ!
「墓場」って意味もあるんだよ!
神仏習合というのは、仏教が他の宗教を乗っ取る為の政策だよ!
本地垂迹説っていうのは、仏こそが本体であり、神なんてまやかしの姿という思想だよ!
神仏習合はあたかも神と仏が対等であるかのように錯覚させるための デマ!
仏教圧倒的優位が正しい!
今の神道=和風キリスト教、を隠す為に神仏習合のデマを流すんだよ!
現地の土着の素朴な信仰を乗っ取るのはキリスト教の得意技だよ!
当時の反仏教勢力に近づいてどんどんキリスト教化していくんだよ!
 蘭学者は言うまでもなく、長崎の出島を管理していた佐賀藩もクリスチャン組織なんだよ!
 国学者だってキリスト教化されているんだよ!

国学者(アンチ仏教)の平田篤胤なんて、キリスト教を

和風にしただけの思想だよ!


そして平田篤胤派の「神道」の変形が国家神道=天皇一神教=和風キリスト教だよ!

皆があると思い込んでいる『神道』なんて明治以降のでっちあげなんだよ!
①道教の一派
②キリスト教の一派
③強いて言えば単なる自然崇拝
以上のどれかでしかないんだよ!
 何、万世一系の天皇の正統性?
伊勢神宮を参拝した天皇なんて明治以前にはいないよ!

キリスト教に乗っ取られる前は天皇も皇族も仏教徒だったんだよ!


 伊勢大神宮寺という『仏教が神社を管理支配するための寺』を隠しているよ!

 ガーター勲章を貰うという

『キリスト教に逆らいません宣言』

した明治以降の天皇に正統性なんてあるわけないでしょうが!


 しかも今の天皇家は北朝を自称している癖に、南朝が正統だとしているから、『我々北朝の天皇家は正統ではないので天皇になる資格はありません』って宣言しているんだよ!

王族が『自分たちは王族になっちゃいけないんです』宣言するなんて滅茶苦茶すぎるでしょ!
 しかも、北朝のはずの今の天皇家にとっては逆賊のはずの南朝崇拝者を優遇したり、南朝に味方したから北朝にとっては反逆者の宗教施設の伊勢神宮を優遇したりしているし、どう見ても南朝系天皇がやることをしているよ!
今の天皇が北朝に偽装した南朝だとするとすべて辻褄が合うんだよ!
三種の神器を南朝が正統だという根拠とした明治天皇の主張って、三種の神器がないと天皇になれないと『神皇正統記』で主張した南朝の北畠親房の論法そのままじゃないか!
 『和風キリスト教である神道を信仰する南朝系偽天皇』と、日ユ同祖論という嘘を守るために、道教を完全に無視した歴史がまかり通っているんだよ!

 道教について学べば、ぜーんぶ嘘っぱちだってわかるんだよ!


 ひも付き陰謀論者は、本当に触れられたくないところについては一言も言わないし、それこそが答えだよ!


 道教系陰謀論者を一人でもあなたは知っていますか?


 イスラム系陰謀論者を一人でもあなたは知っていますか?

 陰謀論とは
①他人と共有できるものを使い
②他人の主観=客観、で修正しつつ
③一番可能性が高い結論を探す
④論理的検証作業。


つまり、あるかどうか確かめられないもの=完全に主観依存のもの、で妨害可能。

だから似非陰謀論はスピリチュアル+宇宙人等の反証不可能なものがセット。


僕の思いが少なくとも一部の方々には伝わったと思います。では最後に締めの名言めいた言葉を。

陰謀論者を疑うのは陰謀論者に対する礼儀。
信じるな。疑え。もし信じたいなら、まずは徹底的に理詰めで疑え。
あなた自分で調べ検証すれば真実に近づける。
あなたが何もせず依存すれば嘘が与えられる。

検証しようがないことを信じちゃいけないよ!」

※前半部は、攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX
第4話 視覚素子は笑う INTERCEPTER の警察上層部の自作自演の場面を元に作成。
嘘がバレそうになったらわざと「嘘でした」とバラす方が被害が少ないし、本質を誤魔化せる、ということを教えてくれた回です。
311の遠因であるアポロ捏造を、「カメラが写っていない写真=カメラなしで作った写真(当時の技術力を考慮)=捏造写真」の観点で暴露している回でもあります。
アポロ月に行った詐欺で一番突くべきは放射線で乗組員が全員死亡することです。311と絡めてどうぞ。放射線のせいでフィクションのように宇宙に逃げられないから人口削減は仕方ないっていうのが肌の白い支配者の姿勢です。

 てなわけで、
 私が定義する「まともな」=偏らないように気をつけていて、キリスト教やメーソンとかのカルトに所属していない、陰謀論者を判定するためのチェックリストを作ってみました。
 チェックをくぐり抜ける者は極少数で、今いる陰謀論者はほぼ全滅します。
 項目をすべてクリアしている陰謀論者なんて恐らくいませんが多くをクリアしている人は実際にいますし大変貴重な人材です。

 陰謀論者は特定の支配者の派閥に属していて、属している派閥については完全に無視か、本質からわざとずらして騙っている人が多いです。私がそうであるかどうかの判断はあなたにお任せします。

本記事の要約(判定項目最短版)
(私のツイートより引用)

 神道・天皇・神器は道教用語。明治以降に三位一体の「神」道教=日本版キリスト教に変質。「初代天皇」天武は道教家。天武が作らせた記紀は道教思想が色濃く神道は格下扱いなので神道の経典に不適。陰陽道は日本版道教。高句麗と共に無視される道教。

 日油同祖論破りの忍術「同祖論は侵略用の思想。記紀は漢文で道教色が濃い。道教が神道と一番似ている。神道は道教用語で格下扱い。皇室の思想は道教と仏教。道教の最高神=北極星=天皇大帝は剣と鏡の二種の神器を持つので天皇即位にも剣と鏡の二種の神器が登場し後に三種になる」

 江戸末期以降の神道系宗教の名前だけを見るとキリスト教系と区別できないことがある。『古事記』では神道を「本教」等と表現。偽国学者でクリスチャンな平田篤胤の『本教外篇』は本教=和風キリスト教にしたもので、国家神道=天皇一神教や大本教という和風キリスト教の手本。

 多くの陰謀論者が隠すこと。
①耶蘇教では科学=悪魔
②メーソン製の百科事典
③国家神道と大本教=和風耶蘇教
④明治以前の皇室思想は仏教と道教で神社支配の為の神宮寺
⑤メーソンの有色人種容認と白人至上主義の派閥対立
⑥耶蘇教はミトラ教や拝火教やエジプト神話等の変形
⑦テンプル騎士団銀行⑧選帝侯。


 陰謀論者検定。明治以前は天皇は仏教徒か道教家で、天皇も神道も道教用語で、神道も陰陽道も和風道教だったが、バチカンとメーソンが明治維新起こして作った南朝系偽天皇は和風キリスト教の国家神道=天皇一神教徒になったので、大多数がイメージする神道なんて幻想。合格者いる?

 神道=和風耶蘇教徒の南朝系偽天皇が嘘の中核①明治以前の天皇は仏教徒か道教家②天皇も神道も道教用語③神道は和風「鬼道かつ神道の道教」④陰陽道は道教の理論面の和風発展形⑤明治維新はバチカンとメーソンの仕業⑥国家神道=和風耶蘇教=天皇一神教徒の偽天皇⑦神道の中身は昔は道教で今は耶蘇教。

 選挙に行くよう誘導する陰謀論者はインチキ。
民主主義と秘密選挙は、世襲制を維持する為に、奴隷が自分で意志決定している錯覚を与える技術。君主=人形すら隠せて大衆に責任転嫁。支配者側が選挙に行けと洗脳してくるのだから行かないのが正解。投票率を二割以下にすれば出来レースが明白になる。

私は選挙に行かない。選挙に行く人が激減すれば不正は更に鮮明になる。国民の選択(笑)という逃げ道を塞げる。立候補させた時点で奴隷側の負け。選挙制度だけはまともだと思っている人は現実を見ていない。憲法で絶対に支配者が変えさせない箇所は九条や天皇ではなく秘密投票制=票の移動の隠蔽技術。


 最短版は紹介し終えたので、
陰謀論者判定用チェックリスト(簡易版)をまず紹介し、後に詳しい版+私なりの説明を少々加えたものを載せます。チェックリストの項目は、ほとんどの陰謀論者が(恐らく意図的に)無視する箇所を多く盛り込んでおりますことは最短版を見ればおわかりかと思います。

 陰謀論者判定用チェックリスト(簡易版)

「陰謀論者を疑うのは陰謀論者に対する礼儀。
信じるな。疑え。もし信じたいなら、まずは徹底的に理詰めで疑え。
あなた自分で調べ検証すれば真実に近づける。
あなたが何もせず依存すれば嘘が与えられる。」

①キリスト教系信者ではないか。

②バチカンの悪行と手口を指摘しているか。

③キリスト教にとっては「悪魔=科学=異教の智識」であるから、科学研究をしているフリーメーソン(とフリーメーソン製の科学の本である百科事典)を弾圧した時期があったが、今やグルであると指摘しているか。

④神道系信者ではないか。

⑤明治以降から実質今でも、日本の国教となった国家神道がキリスト教を現地に合わせて和風にしただけの天皇一神教であり、現人神はイエスキリストの訳語だと指摘しているか。


⑥明治以前は日本の皇室の思想は仏教と道教であり、天皇は仏教徒だったことを指摘しているか。


⑦仏教を国教化した皇室が採用した本地垂迹説は仏が神々よりも上だという思想であり、仏教が神道(キリスト教に変質前)を管理し支配するために神宮寺を作ったと指摘しているか。

⑧いかにも昔からずっと神社でしたと嘘をついている神社が昔は寺に管理されていたあるいは寺だったことを指摘しているか(反逆組織候補ですから監視して当然)。

⑨フリーメーソンには大別して二つの派閥――有色人種容認派(フランスとスコットランドなど)と白人至上主義派閥(イングランドとアメリカなど)があると指摘しているか。

⑩フリーメーソンのマークが有色人種国家エジプトの建造物+太陽神の目であることから、メーソン思想本流は有色人種容認派(最初の人類は黒人)であると指摘しているか。

⑪「ユダヤ(=銀行利権名)」人は本来有色人種であり、文字が書けたがゆえに一神教(ゾロアスター、ミトラ教、アトン一神教かその変形)を維持できて、銀行業を請け負ったことを指摘していて、バチカンや皇帝に困った時の生贄にされていて、「ユダヤ陰謀論はキリスト教の伝統」であることを指摘しているか。

⑫十字軍で植民地と信者を拡大したことから奴隷貿易と銀行と保険の土壌ができ、テンプル騎士団が白人の大銀行となり、この頃から有色人種「ユダヤ(銀行利権の名前)」の特権だった銀行業を単なる白人が奪っていくことになることを指摘しているか。

⑬有色人種であるはずのイエスキリスト(実在しない)を白人に捏造することで白人用の一神教であるキリスト教を作ったことを指摘しているか。

⑭キリスト教とユダヤ教の元ネタである、太陽神ミトラ(ミトラス)教、ゾロアスター教、エジプト神話、アトン一神教などに言及しているか。


⑮大本教がキリスト教及びフリーメーソン思想の改造版であり、

それゆえに大本教が新興宗教メーカーとなっていることを指摘しているか。


⑯海軍と海賊と奴隷貿易と銀行業とキリスト教の布教と植民地はすべて一体だと指摘しているか。


マイノリティ支配=その地域の少数派に間接統治させ、悪事がばれたら全部その少数派に罪を押しつけて処分する(例えばユダヤ押しつけ陰謀論。クリスチャンと和風キリスト教の神道家が言っている不思議)、の手法に言及しているか。


⑱魔女狩りやペストや自然災害を切っ掛けとするデマによる虐殺には、キリスト教にとっての悪魔=科学者や(有色人種の)銀行家潰しと技術と智識と金を奪う目的もあったことを指摘しているか。

⑲スピリチュアルの元祖的存在の神智学も、シュタイナー教育洗脳してくる人智学も、ニューエイジも、単にキリスト教の弱点――神が悪魔を作ったことなど――を消した、キリスト教の変形に過ぎないと指摘しているか。

⑳選帝侯という、神聖ローマ皇帝を選ぶ投票権を持っていて、しかも通貨発行権と「ユダヤ」(の銀行家)の保護(=管理支配)権を持っていた、銀行家の親玉にして後の王族にまでなった者すらいる大貴族について言及しているか。

21。皇室の思想は道教と仏教であり、
「天皇」という称号ですら道教の最高神=北極星=天皇大帝の略称であること、
その天皇大帝は剣と鏡の二種の神器を持つので天皇即位にも剣と鏡の二種の神器が登場し後に三種になること、
そして「初代天皇」天武は道教家であるから記紀は道教思想が色濃く神道は格下扱いされていて神道思想の根拠にならないこと、
そして道教が神道と一番似ているのは神道はそもそも道教用語だからであり、
陰陽道ですら日本版道教であると指摘しているか。

・・・・・・・・・
・・・・・・・・・
抜粋おわり

>マイノリティ支配=その地域の少数派に間接統治させ、悪事がばれたら全部その少数派に罪を押しつけて処分する(例えばユダヤ押しつけ陰謀論。クリスチャンと和風キリスト教の神道家が言っている不思議)、の手法に言及しているか。

在日や部落の方々に押し付ける、天皇家のやり口。



著名な先生でも、工作員ですは。見事です。


>神が悪魔を作ったこと

絶対善など立ち上げると、絶対悪が生まれる。

必然なのである。


それがダメだから、仏教も老荘も、善悪って忌避する。




お読みくださりありがとうございます。
国際秘密力研究 より

上記文抜粋
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ツイートまとめ テーマ:裏権力の全派閥の思想的地図を描く。国際秘密力研究に於ける思想分析の現時点の集大成的内容。両建に嵌められない為のガイドとしてもご活用ください。

〇安倍が麻生を教皇に「フランシスコ」と紹介した由。麻生の洗礼名と教皇の名前が同じという訳である。教皇はイエズス会出身。おそらく麻生もイエズス会の宣教師に洗礼を受けたと推測される(確実なソースは未確認)。謂わば現代のキリシタン大名である。戦国時代と構図は何も変わっていないと言えよう。

〇明治以後の日本の基督教陣営は「カトリック対プロテスタント」両建構造と見る。前者は支配層や所謂上流階級に浸透した。宮中・宮内庁周辺にはカトリック関係者が多い。後者は在野知識人などを中心に広まり、明治時代に啓蒙主義と同時に流入したので左翼陣営と近い場合も多い。「西早稲田」人脈が典型。

〇その昔イエズス会は戦国大名という当時の支配層をキリシタン化させて彼らに武器・弾薬を供給し交易の利で釣って走狗化し対日侵略の先兵に仕立てた。軍隊で正面から日本を攻略するには当時の日本の武士は強すぎたのである。故に走狗化して侵略の先兵とする方針を取った。今も変わらない戦略だと見る。

〇イエズス会出身のフランシスコ教皇は「貧困の撲滅」を主張するが、同じイエズス会系の組織であるCSISはTPPやFTAAPという包括的奴隷条約を推進し新自由主義政策を広めて貧困と格差を拡大させている。貧困撲滅を掲げるSDGsと究極のFTAである新WTOの同時進行と重なる。右手と左手に過ぎない。これが両建。

〇裏権力の思想派閥を①一神教②神秘主義③理性主義の三大派閥に分類している。イエズス会は勿論①の派閥に分類出来る。イエズス会創設者のイグナチウス・デ・ロヨラが「霊操」という書を書いており、限りなく神秘主義的ではあるが、「神との合一」は説かないので一神教の範疇に収まっていると見ている。

〇自称グノーシス派はイエズス会を“批判”するが、これは②神秘主義の思想派閥による①の派閥との両建抗争に過ぎない。つまり裏権力の思想派閥同士の両建抗争である。基督教陣営は「カトリックVSプロテスタント」両建構造があり、この陣営の総体がさらに神秘主義陣営との両建構造をなすという入れ子構造。

〇プロテスタント系勢力はイエズス会批判と同時に天皇批判をする事が多いが、これは明治以後の基督教陣営の「支配層・上流階級・保守陣営に浸透したカトリックVS在野反体制知識人を中心に浸透したプロテスタント」という両建構造の傍証の一つ。謂わば“上と下から”の対日分進合撃である。左右両建に対応。

〇支配層・上流階級に浸透し走狗化・傀儡化する。一方は紐付き反体制勢力を育成する。横文字左翼人工芝一味の主要メンバーにはプロテスタント関係者が多い。フリーメイソンで言うと英国系と仏蘭西系にほぼ対応。現に保守系のカトリック知識人が英国被れだったり、プロテスタントが左翼と近かったりする。

〇英国系フリーメイソンと仏蘭西系フリーメイソンの中間は米国系フリーメイソンだと推察出来る。「英米系」とまとめられるが、米国を建国したフリーメイソンは仏蘭西系とも密接な関係があった。大東社のラ・ファイエットは独立戦争に参加し、ベンジャミン・フランクリンは九人姉妹ロッジに属していた。

〇このスレッドは裏権力の全派閥の思想的地図を描く事をテーマとしたい。裏権力の各思想派閥は他派閥を批判するので傍から見て部分的には正論を言ったりする。その正論の部分を見て特定の思想派閥、宗教、イデオロギーの陣営に引っ張り込まれる人は多い。思想的地図があるとかかる事態を防げると思う。

〇特定派閥が部分的には正しい事を言っていても、全体の構図の中で位置付けると只の両建抗争に過ぎないという場合は多い。ある思想的立場を全体の構図の中に位置付け分析する事が出来れば裏権力派閥に取り込まれるような事態を防げると考える。その為のガイドの指針となるような「地図」を作ってみたい。

〇英国系フリーメイソンは有神論・君主制支持で、仏蘭西系フリーメイソンは無神論(を許容。無神論者だけではない)・共和制支持だが、有神論で共和制支持のプロテスタントは石屋との関連ではこれまで未分類だったが、英国系石屋と仏蘭西系石屋の中間と言える米国系フリーメイソンに分類出来るだろう。

〇次に猶太系勢力について。猶太教徒は基本的に①一神教の派閥である。猶太密教とされるカバリストですら「神との合一」は説かないので②神秘主義の派閥ではないと見る。啓蒙主義の影響が強い大東社(仏蘭西系フリーメイソン)が親猶太人的で猶太系の革命家も多いので、猶太は③理性主義の派閥にも多い。

〇思想的地図により全体の構図の中に位置付けると特定派閥の動きの意味がクリアに分かるようになると思う。例えば、ニューエイジャーが「グノーシス派」を名乗り急に猶太や基督教を批判し出したのは②神秘主義派閥の立場から①一神教派閥の猶太教・基督教を批判している両建抗争の構図と分かる訳である。

〇思想的地図は特定の人物の解析にも応用できる。例えば、W氏は政治思想的には③理性主義派閥の大東社のシンパで、魔術師・魔女を名乗る自称・仏蘭西系薔薇十字団員なので②神秘主義派閥をも掛け持ちしていると分析できる。ミスターX666氏は神秘主義の立場から猶太基督教を叩いているので無論②の派閥。

〇裏権力の全派閥を射程に収める陰謀追及を追求している。特定の派閥のみを批判する者からは「希釈している」と言われた事もある。否!希釈に非ず。ありとあらゆる裏権力派閥を全て分析し尽し、全ての裏権力派閥の急所を全力で突き、全的な「破国際秘密力(国際秘密力を破る)」を目指しているのである。

〇国際秘密力の侵略の手法を①憑依型戦術と②革命型戦術に分類している。①は侵略対象国の歴史や伝統を改竄して乗っ取ったり、現地の統治者や支配層を傀儡化する手法である。②は現地の民衆を扇動するなどして紐付きの反体制勢力を育成し実力で現地の体制を転覆させる手法である。人工芝工作もこの一種。

〇Ⓐ憑依型戦術とⒷ革命型戦術は裏権力の三大思想派閥①一神教②神秘主義③理性主義とはどう対応するか。歴史的に①はⒶもⒷも使う。例:支配層のキリシタン化やキリシタンの武装反乱。②はⒶを使う事が多い。例:万教帰一思想などを唱えて付会。③は殆ど専らⒷ。例:コミンテルン工作、人工芝運動など。

〇「イルミナティ」なる呼称について。陰謀追及界で「イルミナティ」と言う場合二通りの意味があると見る。①裏権力の総体又は中枢部を指す場合。②1776年にアダム・ヴァイスハウプトが創設した啓明結社を指す場合。①の場合は総体を指すので分類不可。②は啓蒙主義結社なので理性主義派閥に分類出来る。

〇#日米FTA のような包括的奴隷条約の推進は走狗を政府中枢や議会に送り込んで、最終的にグローバル資本が国の主権を奪うクーデター工作なので憑依型戦術と革命型戦術の両方の要素がある。売国政治屋は昔のキリシタン大名に相当する。裏権力の傀儡が権力を握って日本を売る。構図は何も変わっていない。

〇裏権力の三大思想派閥①一神教②神秘主義③理性主義は全て実体論を奉じる。「実体」とは「他の原因・条件に依存せず、それ自体で存在する恒常不変なもの」を意味する。これを人間の「外」に想定するか、「内」に想定するか、「外」と「内」に想定するかの違いでそれぞれの思想傾向が分かれてくる。

〇①の猶太教や基督教は「ヤハウェ」や「ゴッド」という実体を人間の「外」に設定する。②のグノーシス主義は「グノーシス」という実体を「内」に設定する。同じく②の新プラトン主義は内なる実体と外なる実体(一者、ト・ヘン)の「合一」を志向する。③の啓蒙主義は「理性」なる実体を内に設定する。

〇③理性主義では内にも外にも実体を設定する。例えば唯物論や素朴実在論などは人間の「外」に「物質」という実体を想定するし、デカルト以来の近代哲学では「自我」「理性」「精神」という実体を人間の「内」に想定する。このように「実体」をどこに設定するかであらゆる西アジア以西の思想を分類可能。

〇常住不変の「実体」というものは認識可能な無常な現象の中には確認されない。故に「ある」とも「ない」とも断定する事は出来ない。基本的に形而上学的な独断に属する。だが、この「実体」を如何に想定するかで思想傾向が分かれてくるので思想派閥の分類・分析の為には実体観の考察は有意義なのである。

〇各裏権力派閥に取り込まれて思想的末端分子となった者は自らの思想派閥への批判を他派閥の者からの批判と思い込む傾向がある。それだけ両建構造の狭い世界に生きている訳である。例えば、グノーシス一味を批判すると神秘主義派閥と両建対立する一神教派閥の人間だと決めつけてくる。視野狭窄の極みだ。

〇思想的地図シリーズの続き。次は悪魔教について。悪魔教は二種類ありと見る。有神論的悪魔教と無神論的悪魔教である。前者は①一神教派閥に、後者は②神秘主義派閥に分類出来る。前者は基督教を反転させたような一神教の一種である。後者はニューエイジの思潮の一つである。アントン・ラヴェイが代表。

〇裏権力の中枢の連中は悪魔教信者と言われる。この場合は有神論的悪魔教の可能性が高いと推測する。無神論的悪魔教はニューエイジの思想の一つで、ロックンロールなどの対抗文化とも関係があり、米国の「悪魔教会」はこの一派の団体である。逆五芒星がアイコンの横文字左翼がいたが、これは後者だろう。

〇絶対善の概念があるから絶対悪の概念も成立する。対概念の相互依存性である。「善なる絶対神」の観念があるから絶対悪の象徴の「悪魔」の観念も出てくる。歴史的に具体的に言うとペルシャの善悪二元論が起源。これが後期猶太教に影響し、基督教の成立に繋がった。故に悪魔教は基督教文化の一部である。

〇悪魔教の成立過程を分析し図式化する。①ゾロアスター教のペルシャ的二元論が成立。②セレウコス朝圧迫下の猶太教に影響し後期猶太教が成立。③基督教が成立。④「悪魔」の観念が形成。異教の神々などを「悪魔」とする。⑤基督教の悪魔観を受け入れつつ「悪魔」に肯定的価値評価を与える悪魔教が成立。

〇「唯一絶対の善なる神」という観念は世界の「悪」の起源を説明する為に論理必然的に「絶対の悪神」「悪魔」の存在を要請する。かくして善悪二元論が成立。歴史上ではペルシャの二元論が猶太教に影響して「後期猶太教」が成立し、後に基督教の形成に繋がったと見る。これと表裏をなすのが悪魔教と分析。

〇悪魔教は基督教と表裏をなすものと見るが、グノーシス派も重なる部分がある。グノーシス主義では猶太教や基督教の「造物主」を「デミウルゴス」という悪神と見なす。デミウルゴスが創造した宇宙を「悪」と見なし、そこから霊魂を解放するというのがグノーシス主義の反宇宙的二元論という教義である。

〇基督教と表裏をなす悪魔教も古代の猶太教・基督教周辺の思潮の中から出たグノーシス主義も猶太教・基督教の「造物主」概念を一応認めた上で、それに対してマイナスの価値判断を下す訳である。つまり、宗教的概念を共有しつつ価値判断を反転させているのである。これは両建同根と言い換える事が出来る。

〇悪魔教は基督教文化圏が出た基督教文化の付属物である。「絶対善」の観念と対になって「絶対悪」の観念が出る。後者の象徴が「悪魔」である。絶対善神の信仰者は絶対悪神又は悪魔の存在も信じる。これは対概念の相互依存性からくる論理的な必然性。対概念に限らず概念は他の概念との差異で確立する。

〇西洋で「デモーニッシュ」という言葉は「力」を連想させるようだが、ファウスト博士の物語の如く悪魔教の「悪魔と契約して超越的な力を得る」という観念は人間が全てを支配するという人間中心主義にも繋がる発想である。人間一般ではなく特定の集団に限定すると裏権力の寡頭独裁の論理そのものとなる。

〇つまり「悪魔から特別な力を与えられた悪魔崇拝者が全てを支配する」という観念である。基督教の「人間が自然や動物を管理・支配する」という発想もこれと同型。基督教は「神」を立てるが、「神」以外に対してはあくまでも人間が「主人」なのである。「人間が中心」という論理の骨格は悪魔教と同じ。

〇「神」中心の基督教から「人間」中心のルネサンスへという歴史があったが、「神と悪魔」の対比は「神と人間」の対比と重なる。こらら「神」「悪魔」「人間」は全て実体論的観念である。悪魔教では「悪魔」が「神」に代わり、人間中心主義(近代ヒューマニズム)は「人間」が「神」に代わるという論理。

〇ルシファー主義は「人間中心主義」の「人間賛歌」でもある。ルシファー主義の「光」の象徴は近代的「理性」を掲げる啓蒙主義のシンボルでもあり得る。そう考えると有神論的悪魔教と無神論的悪魔教は決して無関係でないと分かる。無神論的悪魔教は「人間が神」とするニューエイジの一思潮だからである。

〇ルシファー主義の「光」の象徴が近代的「理性」を掲げる啓蒙主義のシンボルでもあり得るとするならば、裏権力の三大思想派閥の一つ③理性主義の派閥とも関わってくる。このように「悪魔教」の分析を通じて裏権力の三大思想派閥①一神教②神秘主義③理性主義が相互に密接に繋がっている事が見て取れた。

〇裏権力(国際秘密力)を思想的側面から①一神教②神秘主義③理性主義の三大派閥に分類し分析してきた。これと国内の裏権力派閥Ⓐ統一協会系Ⓑ大本教系Ⓒ大東社系はどのように対応するのか。まずⒶは基督教をベースとする朝鮮系の新興宗教なので①に分類出来る。教祖の個人崇拝の傾向が強いのが特徴。

〇通常の基督教が「イエス」を救世主とするのに対して朝鮮の基督教系新興宗教は「イエス」より教祖の「権威」を高く設定して教祖を救世主のように崇める個人崇拝の傾向が強いのが特徴である。統一系右派は明治を礼賛するが、明治時代に長州閥の伊藤博文らが作った所謂「天皇教」は基督教をモデルにした。

〇次にⒷ大本教系。Ⓑは①一神教と②神秘主義に関わる。大本教は神道系新興宗教の源流。「天地の創造主」という観念を平田派国学から受け継いでいる。平田派はキリシタン神学の影響を受けているので、この点で①に分類される。出口王仁三郎は「神は唯一。他はエンゼル(天使)」みたいな事を言っている。

〇大本教の開祖は出口直だが、実質的に教義を作ったのは出口王仁三郎と浅野和三郎だとされている。彼らはスウェーデンボルグの思想や神智学など西洋のオカルト思想を導入して教義を拵えた。故に西洋神秘主義の派閥。浅野は海軍の英語教官で神智学や英国心霊学に傾倒していた。英国系石屋の系列である。

〇次にⒸ大東社系。Ⓒは当然の如く③理性主義の派閥である。Ⓒだけ国内の組織名でないのは、この勢力には陣営全体を統括又は包括、包摂する程の組織がないからである。この陣営の老舗は日本共産党だが、「共産党系」と括るには影響力が小さい(戦後の初期は別)。故に左翼の源流に当たる大東社で括った。

〇Ⓑ派閥はオカルト業界や所謂「陰謀論」業界にも強い影響力を持っていると見ている。日猶同祖論など「偽史」にも深く関わっている。オカルト、紐付き「陰謀論」、偽史等々の各種思想ツールの製造と流布。伝統的な思想や歴史を西洋の裏権力に都合がよいものに改竄する工作「憑依型戦術」を担当する派閥。

〇裏権力の三大派閥①一神教②神秘主義③理性主義は全て実体論を信奉する点では同じ。皆「究極の実体」を設定する。その中身が「神」「悪魔」「イデア」「一者(ト・ヘン)」「グノーシス」「人間」「理性」「自我」「精神」「物質」等々色々あっても、「究極の実体」を設定する思想枠組みは変わらない。

〇このスレッドでは思いつく限りあらゆる角度から裏権力全体の思想的見取り図=思想的地図を描いていくつもりである。全体を俯瞰して見る事が出来ると各勢力の立ち位置が明瞭に分かるので、特定派閥に引っ張り込まれて両建に嵌められる事態を防ぐのに資する事が出来ると思う。その為のガイドになればと。

〇自称グノーシス一味のにわか猶太教・基督教批判は論理的な基督教批判にスピ色を注入して乗っ取ろうとしているかのようである。英国系フリーメイソンの影響下にある勢力お得意の憑依型戦術だろうか?しかも、基督教批判自体も薄っぺらい。かなり周回遅れなのだが、己らでは「最先端」と思い込んでいる。

〇英国系フリーメイソンは有神論・君主制支持、仏蘭西系フリーメイソンは無神論(も認める)・共和制支持、米国系フリーメイソンは有神論・共和制支持、と分類・分析した。英仏系はこれまで多く指摘したが、米国系は。ジョン・ロックの基督教を理論的前提とする社会契約論が米国系石屋の思想だと見る。

〇以前、有神論・君主制支持の英国系石屋と無神論(を許容する)・共和制支持の仏蘭西系石屋の中間が有神論・共和制支持の米国系石屋だと分析したが、基督教プロテスタントの有神論を前提として社会契約を論じたジョン・ロックの思想が有神論・共和制支持の米国系フリーメイソンの思想に相当すると分析。

〇次にフリーメイソンと猶太の関係について。昔の陰謀研究では「ユダヤ・フリーメイソン」という呼称が用いられていた。これは猶太と石屋の密接な関係と同時に、両者は本来別だった事を含意していると見られる。その猶太と石屋の関係は如何。まず英国系石屋。英国系石屋は親猶太と反猶太の場合がある。

〇英国系フリーメイソンは当初は猶太人は入れなかった。後に門戸が開かれたようだ。オランダなどから来た猶太系金融業者の勢力伸長と軌を一にすると推測。この歴史的経緯を反映してか、英国系石屋は親猶太と反猶太の場合があるようだ(両建)。例えば石屋メンバーと猶太系団体が両建抗争をする事もある。

〇英国系フリーメイソンの影響下でブラバッキーが作った神秘思想が神智学である。つまり神智学は英国系石屋の系列の思想。この神智学が影響してアーリア主義的な「アリオゾフィ」という神秘思想が出来た。これがナチズムに影響を与えたので、ナチズムの源流を英国系石屋の思想と見る事も無理ではない。

〇神智学が後にニューエイジ思想を生み出したので、ニューエイジも英国系フリーメイソンの系列の思想である。神智学に傾倒するニューエイジャーが「グノーシス派」を名乗り急に猶太や基督教を叩き出したのも、思想の系列から見ると別段驚くべき現象ではないと分かる。彼らの猶太や基督教叩きは両建抗争。

〇次に仏蘭西系石屋。大東社は啓蒙主義的なフリーメイソンで、猶太との関係では専ら親猶太的である。大東社員が反猶太の場合は皆無なのでは。末端でもそれが言える。大東社シンパのW氏は朝鮮人を叩く事はあっても、猶太人の悪口を言う事はない。反猶太の場合もある英国系と違い、仏蘭西系は専ら親猶太。

〇裏権力の全派閥の分析をしていると「希釈」「真の敵を見えなくさせる」とか言われる事がある。その指摘は全く当たらない。CFR、CSIS、自公政権などはっきりした日本の「敵」を断固追及しつつ、あらゆる裏権力派閥を全方位的に分析している。思想分析等は喫緊の情勢論をしっかりやった上で行っている。

〇吾人の陰謀追及は二段構えである。眼前の日本解体工作の追及が最優先。その上で思想や歴史など裏権力の全体像を描く分析をする。陰謀追及は二種類ありと見る。①情勢論的陰謀追及。②学究的陰謀追及。日米FTAなどの売国政策の追及は①である。これが喫緊の最優先課題である。②は裏権力の思想分析等。

〇CFRやCSIS、ジャパンハンドラーズ、自公政権、別動隊の野党等々ははっきりとした目に見える日本国民の敵である。眼前の「真の敵」は明確に断定する。その一方で、これらに反対すると見せかける世界連邦派などの動きにも目を配る。その上で裏権力の中枢=黒幕の追及の為に裏権力の全派閥の分析をする。

〇CSISなどの眼前の敵より深い所にいる国際秘密力の中枢が何なのかは諸説あって容易に断定し難い。だが、思いつく限り裏権力派閥を全方位的に分類して追及すれば「黒幕」にもヒットすると考える。裏権力の全派閥を一つも討ち漏らさないようにして急所を全力で突く。こうすればどれが黒幕でも結果は同じ。

〇宮本武蔵は目付けには「観の目」と「見の目」があると述べている。表層の現象とその本質の両方を見抜く観察眼が必要という事と解釈。陰謀追及でも複眼的・重層的な視点が重要性だと考える。「見の目」にて情勢論を明確に論じつつ、「観の目」で全体の構造を分析する。この両者を陰謀追及の両輪とする。

〇売国政策など喫緊の情勢問題の追及は「見の目」、裏権力の総体の構造分析や思想解析は「観の目」に相当する、と個人的には解釈。陰謀追及には①情勢論的陰謀追及と②学究的陰謀追及があり。陰謀追及者は①に特化するタイプ、②に特化するタイプ、①と②両方をやるタイプがいる。吾人は三番目のタイプ。

〇①に特化する陰謀追及者から見ると②は迂遠に映るかもしれないし、②に特化する陰謀追及者から見ると①は表層的に映るかもしれない。だが、両者は車の両輪である。以前述べたように末端現象の「事」には本筋の「理」が表れる。事の追求無くして理は明らかにならず、事は理を離れては明らかにならない。

〇情勢論的陰謀追及と学究的陰謀追及の位相を分けているので、裏権力派閥の全方位的解析をやるからといって決して眼前の敵を曖昧にするような事にはならない。眼前の敵をきっちり見定めた上での事である。「見の目」と「観の目」を使い分ける如く、複眼的・重層的に陰謀追及を行うのが個人的には理想。

〇さて、裏権力内のワンワールド化工作の路線の違いで大きく「グローバリズム派」と「世界連邦派」に分けているが、これと裏権力の三大思想派閥①一神教②神秘主義③理性主義の関係はどうだろうか。グロ派にも世界連邦派にも①~③がそれぞれいるが、グロ派は①、世界連邦派は②③が比較的に多いと見る。

〇例えば、米国に拠点を置くグローバリズム派の新自由主義政策を大票田や実働部隊として下支えしているのが米国の基督教福音派である。福音派は言うまでもなく①である。新自由主義政策とセットのネオコン政策を指示しているのもこの一派である。福音派の日本側カウンターパートが右派系新興宗教である。

〇国内の世界連邦派には宗教関係者が多い。新興宗教だと大本系人脈が中心的勢力である。この一派は既に述べたように②神秘主義の派閥である。神道や仏教など伝統宗教関係者もかなり取り込まれている。彼らは一神教や西洋神秘主義的発想をするのが特徴。神智学に影響を受けた鞍馬寺の信楽香雲は顕著な例。

〇次に③理性主義派。グロ派の一角であるネオコンは元々トロツキー主義からの「転向」組なので理性主義派閥と見なせよう。彼らはヘーゲル的な進歩史観を信奉している。大東社が掲げる啓蒙主義は進歩史観が特徴。ネオコン以外だと理性主義派は概ね世界連邦派に分類する。大東社系左翼も世界連邦派である。

〇①グローバリズム派と②世界連邦派と国内の三大裏権力派閥Ⓐ統一系Ⓑ大本系Ⓒ大東社系の関係は如何。これは明確。Ⓐが①で、ⒷとⒸは②だろう。これに関してはほぼ一致すると思う。とは言え、統一の機関紙に世界連邦運動に肯定的な記事が載るなど、世界連邦運動は全派閥が広く賛同していると推測する。

〇裏権力の②神秘主義派閥、フリーメイソンで言うと英国系の思想的末端分子の自称「グノーシス」一味は予防ブロックして他人の悪口を言うしか能がないとはかなり情けない。仏蘭西系のデマ屋W氏ですらブロックはしてきてない。グノ一味は異論があるなら直接どうぞ。度胸があるならば。いつでも歓迎する。

〇グノーシス一味は幾らなんでも臆病すぎる。親玉らしきY氏とG氏のツーマンセルは1、2度仕掛けてすぐにブロックしてきた。その子分らは端から予防ブロック。ミスターX666氏は周回遅れの薄っぺらい「基督教批判」がY氏に酷似。まともな人がツイを止めてこんなのが増殖。陰謀追及界隈の質が下がる一方。

〇基督教批判の主要な論客がツイッターからいなくなって、神智学やらニューエイジやらを信奉する連中が「グノーシス主義」を名乗ってスピ色を注入した薄っぺらい周回遅れの「猶太教・基督教批判」を展開。自分らが「最先端」と自惚れ。そんなに自信があるなら予防ブロックなどせず論争をしてみなさい。

〇グノ一味はグノーシス主義批判をする者を「工作員」呼ばわりするのが特徴。自己投影である。にわかに自称「グノーシス」一味が出てきたのは陰謀追及界隈の質を下げる為の工作ではないかと思える。実際もし愚ノ一味が増殖すると陰謀追及界隈が英国系フリーメイソンの影響下に取り込まれてしまう。注意。

〇私に下手に論争を仕掛けて普段装っている理知的な仮面が剥がれて異常な偏執狂とばれて正体が露呈した者らがいる。論争になるとどうしても「地」が出るのである。工作員の正体を暴くのは論争が一番。論争は地が出るので誤魔化せない。私も熱血+粗忽者の地が出るが(笑)相手の正体を暴けたらそれでよい。

〇そう言う意味では端から私をブロックして逃げている自称「グノーシス」一味のやり方は「賢い」と言えない事は無い。自称グノ一味は非常に情けないチキンな連中ではあるが、陰謀追及界隈で大本系人脈の影響がせっかく減退したのに、こういう連中が増殖すると、再び取り込まれかねないので注意喚起した。

〇「予防ブロックで異論を見えない状態にして徒党を組み、信者を囲い込んで同じ世界観を刷り込む」というあり方はカルトそのものだと気づいてないのだろうか。オウムもグノーシス主義の影響を受けたカルトだった。彼らは紐付き「陰謀論」を思想ツールとした。陰謀追及界隈でのオウム化工作を警戒する。

〇陰謀情報をエサにカルト又はカルト化に引っ張り込もうとする動きを警戒すべき。これまで良質な陰謀追及者の方々がツイッターを去るのを何度も見てきた。逆に、「にわか」のタチも質も悪い連中が幅を利かせ陰謀追及界隈の質を下げる。まさに悪貨が良貨を駆逐する。そうならない為にも警鐘乱打を続ける。

〇陰謀追及をしていると様々な思想信条の追及者との交流が出来る。思想分析とその思想を信じる人達への攻撃は別だと考えている。それははっきり言っておきたい。ここがデリケートで難しい所。特定の思想信条を持っているだけで排除したり工作員認定したりするつもりはない。個人の思想信条は内面の問題。

〇人様の内面に土足で踏み込むのは野蛮だと考える。あくまで思想の論理を客観的に分析するのみ。だが、特定の思想に執着して徒党を組み人を囲い込んで、他者を誹謗中傷したりデマ工作を行うような連中は遠慮なく工作員認定する。こういう連中はその「行い」を見れば工作員認定されても仕方ないのである。

〇思想分析が特定の思想を信じているというだけで人を攻撃したり工作員扱いしていると誤解される恐れがあるのではと以前から気になっていたので思想分析のスタンスを一度明確にしておきたかった。特定の思想を他人に押し付けたり、他者を攻撃したりしない限り、誰が何を信じても干渉するつもりはない。

〇とは言え、思想と人格は密接なので、思想を批判・吟味すると自らの人格を傷つけられたように思う人がいても不思議はない。ここが非常に難しい所である。だが、吾人の「筆誅」は「行為」を基準にしているとご理解頂きたい。思想信条だけの故に他者を攻めた事は一度もない。工作員は「行為」で決まる。

〇「グノーシス斬り」は以下のスレッドで尽きている。途中自称「グノーシス」一味の主要人物との「香ばしい」論争がある(この直後ブロックしてきた)。一年以上前にここまで斬っているのに、まだ動いているとはとんだゾンビ軍団だ。仏蘭西系も相当だが、英国系石屋もしぶとい。
「最近方々で「グノーシス」という言葉を目にする事が増えた気がするのでグノーシス主義について分析しておく。グノーシス主義は「認識論上の錯誤から生まれた形而上学」というのが吾人の分析である。人間の心の問題を物質の問題に転嫁したのである。物質に対する「欲」の問題を「物質が悪い」とした。」https://twitter.com/kikuchi_8/status/1012743539967422465

〇「グノーシス斬り」はブログにも書いていた。
破グノーシス主義①https://kokuhiken.exblog.jp/29633166/  

破グノーシス主義②https://kokuhiken.exblog.jp/29645735/

〇自称グノーシス一味は「初期のフリーメイソンは正しかった」みたいに言う。近代メーソンの「憲章」を作ったのはジェームズ・アンダーソンという長老派の牧師である。彼らが批判する基督教の牧師がメーソン憲章を作成した訳である。矛盾も甚だしい。自称グノ一味は英国系石屋の思想的末端分子である。

〇自称グノーシス主義者は「日本人はグノーシス主義的」と言って取り込もうとするが、惑わされるべからず。英国系石屋が得意とする憑依型戦術の典型。日本には反宇宙的二元論などないし、その昔は才知に驕る事を「さかしら」として戒める気風があった。「日本人は猶太人」と言う日猶同祖論と同じ手口。

〇日本人を褒めるフリをして自陣営に取り込もうとするのである。以前この手口を「上げて落とす」やり方と指摘した。「日本人は真の猶太人」「日本は隠された聖書の国」とか言って猶太教や基督教の枠組みに引っ張り込む、「日本中心の世界統一」と言ってワンワールド化に誘導するなど様々な手口がある。

〇日本では「さかしら」を嫌う。これは知恵の軽視ではない。知に執着し知に驕る事への戒めである。「グノーシス(知識)」を誇る事は「さかしら」である。明治以前の日本では決して知を抑圧する事は無かった。理知的思潮があると、それに批判的な思潮も出て社会の総体で見ると均衡している事が多かった。

〇例えば、奈良平安の学問仏教に対して鎌倉仏教が出た。江戸時代に主知的な朱子学が広まると、朱子学を批判する古学が出た。古義学の伊藤仁斎は朱子学の「理」への偏重を批判し現象主義的な一元気論を説いた。古文辞学の荻生徂徠は自然界の「理」を極め尽せるという前提に立つ理論知そのものを否定した。

〇さらに儒学自体を「理」に偏る「漢心(からごころ)」と批判し「事(具体的な事物や文献)」に拠るべき事を文献実証主義的な姿勢で主張する国学が出た(キリシタン化した平田派は別)。実は国学の方法論は徂徠の古文辞学の影響を受けている。古学も国学も総体として「理」重視の朱子学との対比である。

〇このように日本の思想史では理知的な思潮があると必ずそれに対抗する思潮も出て総体としてみるとバランスが取れていた。互いの思潮はあくまで学問や議論の上では激しくぶつかり合ったが、相互に潰し合うようなことはせず、実際には共存し影響を与え合った。これが「殲滅」「両建文化」の西洋との違い。

〇「理」を重視する理知的思潮とそれを批判する「事」を重視する思潮の総体が日本の思想史なので日本人を主知主義的と見なして「グノーシス主義的」などと決めつける憑依型戦術に注意すべきである。具体的な「物」「事」を重視し理論知を否定した徂徠が元々朱子学者だったように、理と事は相補的である。

〇江戸幕府の文教政策では朱子学を正統としたが、朱子学を批判する古学や国学、陽明学その他も存在を許され活発だった。江戸時代までは仏教でも各宗派の僧侶が奈良の学問寺で三論や唯識、因明などの学問を学ぶ習慣があったようである。理知的な学問仏教と実践仏教が相互に殲滅し合うような事はなかった。

〇「自力」と「他力」というカテゴリもある。西洋では「他力」の基督教と「自力」のグノーシス主義や理性主義が敵対するが、日本では仏教の自力宗と他力宗が共存した。そもそも仏教は「因縁」「縁起」を言うのが究極的には「自力」も「他力」もないという事なのだろう。ここにも日本と西洋の違いがある。

〇グノーシス派が「知識」に過剰に執着するのは極度に反知性主義的な基督教の反動である。教会が支配した西洋中世に於いては知的活動は極度に抑圧された。それ故、西アジア以西の古代以来の知的潮流は「秘教」として地下に潜り秘密結社を形成した。極端な知の抑圧と極端な知への執着は表裏一体である。

〇極度の反知性主義的な抑圧体制などなかった日本では、その反動としてのグノーシス主義的な思潮もなかった。西洋とは歴史と社会の構造が違うのである。歴史的文脈の違う異質な社会同士を付会して「日本人はグノーシス主義的」などと言うのは日本人を西洋的枠組に取り込もうとする思考誘導と言う他無い。

〇日本に極度の反知性主義的抑圧体制など無かった事を示す例を挙げる。大阪に山片蟠桃という町人学者がいた。蟠桃は「無鬼論」を唱えた。ここで言う「鬼」とは「霊魂」や「神霊」を指す。「無鬼論」は謂わば「無神論」である。蟠桃は無鬼論故に抑圧される事もなく各藩に重用され終生富裕な商人であった。

〇山片蟠桃の同時代の西欧で無神論者が言論を何ら抑圧される事も無く、社会的に重用され終生富裕な商人として過ごす、という事があり得たとは思えない。価値判断ではなく社会の違いを述べているのみ。文脈の違いを無視して反知性主義とその反動の知性至上主義という枠組みを当てはめる愚を批判している。

〇兼好法師の徒然草に「強ひて智を求め、賢を願ふ人のために言はば、智恵出でては偽りあり 才能は煩悩の増長せるなり 伝へて聞き、学びて知るは、まことの智にあらず」とあり。これはグノーシス主義批判としても読める。鎌倉時代随一の知識人にしてこの言あり。「日本人はグノーシス主義的」は僻事なり。

〇グノ派は「強ひて智を求め、賢を願ふ人」である。「智恵出でては偽りあり 才能は煩悩の増長せるなり」とある如く「知恵」を誇って思考誘導し、才知に執着し他人を囲い込もうとするのは支配欲という「煩悩」の増長に他ならない。「伝へて聞き、学びて知」ったグノーシス(知識)は形而上学的独断なり。

〇兼好法師の言う「まことの智」とは。スッタニパータで仏陀がトーデイヤという学生から「諸々の欲望のとどまることなく、もはや妄執が存在せず、諸々の疑惑を超えた人」について質問されて「智慧のある人であるが、しかし智慧を得ようとはからいをする人ではない」と述べている。智慧に執着しない事。

〇反知性主義の反動としての知性至上主義はあまりに「智慧を得ようとはからいをする」ので、「まことの智」から遠ざかっている、と兼好法師ならば言うかもしれないと想像する。正直、「グノーシス(知識)」を誇る自称グノ派に「智恵」があるとは到底思えない。知への妄執はかえって知を鈍らせると思う。

〇グノーシス派を批判するのは基督教だけではないし、基督教を批判するのはグノーシス派だけではない。両方批判する視点もある。日本人は元から歴史的文脈が違うのでそれが可能なのである。故に裏権力は傘下の派閥に取り込んで両建に絡めとろうとしてくる。その罠を見破り、両建の枠の外から追及すべき。

〇両建の枠の外から追及する為には日本人としての立ち位置を確認する必要があるので、徒然なるままに日本の思想と歴史の構造について考察してみた次第である。国学、仏教、儒学とかいう特定の思想学問だけでなく、日本の歴史と文化と社会の構造を総体的に見て「日本及び日本人の立場」を考察した次第。

〇「猶太教・基督教を批判するのはグノーシス派だけ」
「グノーシス派を批判するのは猶太教・基督教だけ」と思い込ませて両建の思想枠組みに取り込もうという罠に要注意である。この罠を破る為に猶太教・基督教とグノーシス主義を両方批判する即ち「破両建=両建破り」する視点があるという事を示した。

〇自称グノーシス主義一味は「漫画やアニメはグノーシス主義に満ちている」と言う。これはある意味その通り。だが、それ故に彼らの論理が破綻する。漫画やアニメの供給元は各メディアである。メディアは裏権力支配下。裏権力がグノーシス派を弾圧しているなら何故グノーシス思想の流布を許しているのか。

〇自称グノ派は「漫画やアニメは基督教が嫌がるグノーシス主義に満ちている」と言う。「基督教が世界を支配している」のに漫画やアニメを配信する各メディアは支配せずグノーシス主義の宣伝を放置しているという不自然な仮定となる。この時点で論理破綻。故に基督教とグノーシス主義が両建なのは明らか。

〇漫画やアニメの制作者は個々の漫画家や制作会社としても実際の発表は出版社やテレビ局を介する。「新聞やテレビは基督教に支配されているが、漫画やアニメは別」という仮定は不自然。裏権力が傘下のメディアを通じ「漫画やアニメを利用してグノーシス主義を宣伝している」と解釈する方が自然である。

〇一方、漫画やアニメ以外の出版業界はどうか。例えば猶太教や基督教を批判した書物を書店で探してみるとよい。それらを称賛する本に比べると批判的に研究した本は圧倒的に少ないはずである。全くない場合もあろう。また学校の教科書は勿論大抵の歴史本ではキリシタンは「迫害された」としか書かれない。

〇漫画やアニメ、ゲーム等では「悪魔」「デビル」「ルシファー」が善玉で登場する事は確かに多い。「悪魔くん」「デビルマン」等々数え上げたらきりがない。一方で、それ以外の時代物ドラマなどではキリシタンは必ず被害者として描かれるし、ハリウッドでは猶太人が悪役として描かれる事は絶対にない。

〇要するに裏権力支配下の各種媒体に於いて猶太教や基督教の批判を抑止する事と、グノーシス主義を宣伝する事は、部署による「担当」の違いというだけである。つまり、「両建」である。グノーシス主義が裏権力から抑圧されているならメディアが供給するアニメ、漫画、ゲーム等々に溢れているはずがない。

〇また、陰謀本業界で何故、基督教系と並び大本教系が多いのか?大本系が本当に「抑圧」されているなら、これはあり得ぬ事。プロの陰謀本業界では基督教系と大本教系(シンパ含む)は双璧なのである。ミスターX666氏が言う如く大本系が反基督教なら何故陰謀本業界で両者が双璧なのか?ここでも論理破綻。

〇このように平気で論理矛盾を犯す「グノーシス」とは一体なのか。人間の「知」は間違いを犯すものである。その事を謙虚に認める事からよりよき知恵も出るはずである。老子は「知恵出でて大偽あり」と言った。まさにグノーシス主義者に送りたい言葉。さかしい浅知恵を振りかざすと大きな偽りが出てくる。


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抜粋おわり


これの記事もよく読んでくれたらありがたいです。


お読みくださりありがとうございます。
気をつけろ。もう一つの悪夢。「大本・法華ワンワールド」

太田龍氏って評価が高い。

でも腑に落ちなところもある。

なにかわからんが。

でも

少し気になる面をいくらか載せる。


http://mujaki666.seesaa.net/article/169807397.html より  


上記文抜粋
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妙法蓮華経は、万巻の仏典の中でバラモン教的なるものとの戦いの究極の到達点ではなかろうか。
この法華経信徒集団は、インドで滅び、中国でも成立せず、ただ日本においてのみ古神道の真髄と結び付いた形で、日蓮聖人によって産み出され得た。
内村鑑三が五人の代表的日本人の一人として、日蓮を挙げたのは誠に道理にかなっている。
日蓮は単なる仏教徒ではない。
日蓮は、神道と仏教の真髄と儒教の核心を結合した日本民族の精神的柱である。
日蓮には「神国王御書」「立正安国論」「守護国家論」の著作がある。
日蓮が出現していなければ、戦国末期からのユダヤの日本侵攻の謀略の前に、日本民族は既に滅びていたかも知れない。
神道と法華経。
これが、日本文明の原理となるであろう』

そして太田氏は、日蓮の宗教を「法華神道」と呼んでいる。

『日蓮の法華神道は、この大悪魔(ユダヤ)を破折し折伏する使命を以てこの日本列島に出現した。
神道には「破邪」の機能はない。
従って、もし日本民族に神道のみが存在するとしたなら、大悪魔の滲透と侵攻に対する免疫力が働かなかったであろう。
つまり、神道も滅ぼされたであろう。
仏教の日本化、日本化された仏教(その頂点に日蓮の法華経が位置する)あるが故に、日本民族は今日まで古神道(人類始原の文明の正統性を今日に伝える)の枠組を維持し得たのではないだろうか。


・・・・・・・
・・・・・・・・・・
抜粋終わり

は?

ようは「日蓮法華による他宗旨撲滅を推奨?」

ても思える。


ちなみにもう一個

読めないニックネーム より   


上記文抜粋
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 詳しくは本ブログの右側にある
カテゴリのうち、
日ユ同祖論の根拠は聖書(捏造)
にある過去記事をどうぞ。
(内容を要約したタイトルだけで十分な気がしてきた)

聖書が根拠の日ユ同祖論の矛盾と対策。
日ユ同祖論を広めているのはキリスト教と和風キリスト教(神道、大本教系)。
ユダヤ・在日押しつけ陰謀論者はイエズス会の手先。
東電は上智大学=イエズス会支配。電通神社支配のマスコミはキリスト教に逆らえない。ねこたさんの陰謀論者の宗派リスト 。
派閥別工作員の特徴リスト(ねこた製)。
http://yomenainickname.blog.fc2.com/blog-entry-44.html


大本教は一神教=「誠の神様はただ一柱」。
大本教系カルトが日ユ同祖論をキリスト教布教用に暗躍。
○ユ同祖論は世界中にあり、17世紀に布教の為に日ユ同祖論を発明したのもイエズス会=キリスト教。
17世紀にダビデの星をユダヤのマークに決めたのもイエズス会=キリスト教。
日ユ同祖論を布教用に発明したのがイエズス会であることは日本語版ウィキになく英語版に記述(日ユ同祖論の目的の隠蔽)。
http://yomenainickname.blog.fc2.com/blog-entry-76.html





・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・
抜粋終わり





http://ocean24.blog136.fc2.com/blog-entry-605.html  


上記文抜粋
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法華系では「神天上の法門」と呼んで、神々不拝を説いた。末法の時代には、護法の善神はことごとく天に上っており、空家となった神社には魔が棲みついているとする。そのため神社を拝し神社に寄進することは、法華経をそしる謗法の大罪をおかすことになるとされていた。しかし鎌倉以来、皇室は真言宗の檀家となり、真宗でも日蓮宗でも、きびしい神々不拝は時とともに少数派の信念へと狭まっていった。(『天皇制国家と宗教』村上重良著P36より)

 
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抜粋終り




zeraniumのブログ
 

上記文抜粋
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   すでにお伝えしたように、その宗教組織や団体の指導者がどのような霊的レベルにあるかによります。それはどこまで、宇宙の法則に対して忠実に生きているかということです。ですからあなたが買う物や、家へ持ち帰る物には気をつけてください。そうした物を家へ持ち帰ることにより、邪悪なエネルギーとあなたの家とが繋がれてしまうことも実際に起きています。

   一度そうしたエネルギーと繋がると、邪(よこし)まなエネルギーは強いことから、より大きな神々やそうした存在の力でなければ、それを断ち切るのは困難な場合が多いのです。しかも特に、現在のアセンションによるエネルギーの変換期においては、ネガティブな存在たちが人類を逸脱させて霊的進化を妨げようとしており、そうした像に入り込むことで利用しています。

   眺めるのと祈るのとは違います。
   ですからめったに手を合わせたり、祈ったりするべきではありません。多くの場合、そうした像の後ろにどのようなエネルギーが潜んでいるかわからないからです。いつも本物の神々が存在するわけではなく、中にあるものがあなた方には見えないからです。

   祈ることと尊重することとは違います。
   祈りを上げるということは、契約をすることと繋がる場合が多いのです。実は願いも祈りもエネルギーなので、そうした場所で祈ったり願ったりしたことでその場所のエネルギーを持ち帰り、それが自分だけでなく家族にまで影響を与えることがあります。福を呼ぶつもりで家に持ち帰った小さな像が、後に自分や家族の人生に大変なことをもたらす場合があるので、十分に注意してください。


”ホワイトブラザーフッドが語った『日本の新しい霊的現実』のすべて”
          神社仏閣にいた神々はすでに立ち去りました
  book『もっと悟って もっとアセンション』 A・ジョルジェ・C・R/高木友子

・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・
抜粋終わり



zeraniumさんのブログの記事は、西洋スピリチュアル系の記事です。
それと「日蓮宗」の日蓮の神祇排斥の意見がそっくりでしょう。

大本教も「敵は仏教」と明言してます。


大本の二代目教主出口王仁三郎は、欧州に布教と勉強に行きます。そこでどうも神智学系の「キリスト・ユダヤワンワードル」の毒に汚染されて帰ってきます。

それと大本・日蓮宗系集団の双方に出入りしていたのは、石原莞爾等の軍部の若手将校です。

石原たちは、欧米の「キリストユダヤ・ワンワードル」に警戒をして、その対策として「日蓮宗・大本」に向かいましたが、しかし、大本も、日蓮宗もすでに「ワンワールド」思想の洗脳を受けていたのです。

創価学会の発足時の幹部や日蓮系新興宗教の創始者の多くは「キリスト教徒」との方が関係が深かったといわれてます。

前の敗戦は、海外の「ユダヤ・キリストワンワールド」と国内の「大本・日蓮法華ワンワールド」の「欧米ワンワールド勢力」の左右の手によってなされた「負けるのが前提の茶番」でもあったのです。


日蓮宗系新宗教も、キリスト教系の思想家・宣教師に、「ワンワールド」の洗脳をうけている。


それには下手したら、天皇も噛んでいるように思われます。



太田龍も、その洗脳下にいる可能性大であります。


下手すると、新井信介氏も飯山一郎氏も、知らず知らずに「法華・大本ワンワードル」の毒に侵されている可能性大です。




一応、今の陰謀論はほぼ、どちらかの「ワンワールド」思想に毒されているので、用心ください。


・・・・・・・・・・


再掲です。


私も忘れないようにしたいです。


追記

日蓮宗は、良くも悪くも分派が多く、昔はキリスト教やムスリムのように正当性を争って激しく罵倒し合っていた。
でも近世以降は、まあ日本らしくマイルドになっているみたいです。

身延系のあるいは、日蓮宗の明治以前からある宗派と、その後のキリスト教の悪影響を受けた新興宗教・新宗教は、結構違うと、教団や集団単位では見た方が良いと私は思います。

明通寺の和尚さんの社会運動での師匠は、日蓮宗のお坊さんですし、佐々井秀嶺師の、インドでの先輩も、日蓮宗の方です。
良い活動をしている人も沢山います。

が、個々人レベルでは、統一教会や阿含宗とかに真言宗の坊さんが参画して、悪事なりカルトの片棒を担ぐ人が居るように、個々人レベルでは、その辺は、怪しい人もいる可能性は否定しません。





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