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半分やけくそです。日本の指導層がここまで阿呆で無慈悲とは。あとは滅亡だけです。 生き延びるが、我々庶民の勝利で、暴露こそが、唯一の最大の攻撃です。

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読めないニックネーム 再開版 より


上記文抜粋
・・・・・・・・・
よってメモ。


前書き
~「西洋の輪廻=バラモン教型」を完全否定するのが仏教型輪廻~

瞑想の実践だけでなく、
瞑想の理論と仏教の教義の正確な理解のための座学もやらないと
大きな効果は得られない。
座学と実践の両輪、中道こそが大事。

だからこの前書きも読んでほしい。

効率よく正確な知識が得られる学び方についてまず書く。

私はある思想をきちんと学ぶときは複数の学者の翻訳・解説書を必ず読む。
複数の学者の見解を学びそれを比較検討して自分なりの判断を下している人でなければきちんと学んだ人とは言えないし
それはブログ記事のつまみ食いではほぼ不可能だからだ。


本当に仏教を学びたいなら実績ある学者である中村元の本は必読。
中村元先生などの『スッタニパータ』の和訳すら読んだことがないのに釈迦の仏教(原始仏教)なんて正確に語れないし、
大乗仏教を語るなら中村元先生の『龍樹』にある『中論』と解説ぐらいは読んでいないと正確に語れない。
禅に関しては神智学思想で仏教を曲解するの鈴木大拙の本は読んではいけない。
オススメの学研の『禅の本』などを読めば禅は神智学やニューエイジなどを完全否定していることがわかる。
改竄した経典を広めることに協力した、エスペランティストの高楠順次郎がからむ本も読んではいけない。



自分の思想を完全否定する、真逆の思想をきちんと学ばないと偏るので
私はさまざまな思想の本のメモを残している。

思想Aと、Aと真逆の思想をセットで比較しながら学ぶと頭に入りやすい。

実践例として

バラモン教型輪廻=輪廻する本体(不滅の霊魂)あり

仏教型輪廻=輪廻する本体なし


について対比して述べる。

バラモン教型輪廻を採用しているのがオルフェウス教。
オルフェウス教は
死こそ生、
肉体は魂の牢獄(霊肉二元論)、
原罪(戒律を守る修行で解除可能)、
霊魂の不死ゆえに輪廻、
菜食主義など元ネタがバラモン教。

オルフェウス教はピタゴラスの輪廻思想の元ネタ。

ヤソはオルフェウス教の原罪(解除可能)を解除不可能な内容に改悪。

ヤソの原罪思想も遡ればバラモン教のカルマ論。

グノーシスの至高神との一致の元ネタもバラモン教の梵我一如だろう。

ニューエイジの輪廻もバラモン教型で、
仏教型(本体となる霊魂無し。輪廻とは変化のプロセスであり、無我ゆえに輪廻する)ではない。

仏教をやたらと敵視する思想をさかのぼると、
元祖アンチ仏教であるバラモン教に行きつく。


西洋哲学の基盤であるプラトンもバラモン教型輪廻思想。

”魂は不死であり、すでに何度も生まれてきており(…)魂が学び知っていないことは何もないのだ。
したがって、徳(アレテー)についても他のさまざまなことについても、
なにしろ魂が『以前にもう』知っていたことなので、魂がこれらを想起できることには何の不思議もない”
プラトン『メノン』

ヤソ=正統派キリスト教
(新約のゴッドは旧約のヤハウェと同じ派)
は輪廻否定だが、

異端派キリスト教
(ヤハウェは悪だからキリスト教のゴッドではないというグノーシス派など)
には輪廻肯定のものがある理由がよくわかる。

正統と異端の両建にはバラモン教思想がからんでいて、
バラモン教と拝火教とミトラ教
とアトン一神教とユダヤ教の
混合率の違いという見方もできる。


次は仏教型輪廻
(本体となる霊魂無し。輪廻とは変化のプロセスであり、無我ゆえに輪廻する)。

仏教の立場は要は↓

ねこた

”耶蘇教信者は仏教と耶蘇教は同じなんて、
またまたマニさんみたいな事言っちゃってるけどさ

引用
《西洋思想すべて
「ゴッドや不滅の霊魂など、永遠の不変の超越的なものが実在する」

仏教
「全部、妄想だね」》
これのどこが同じなんだよ教えてくれ

多少詳しくすると



仏教
「至高神は妄想。
よって、至高神との一致も認識(グノーシス)も不可能。

仏法の智慧(般若)は、
空、縁起、諸行無常、諸法無我、一切皆苦、涅槃寂静を認識することで、
認識(グノーシス)などの虚妄なる実体への執着を消滅させ、
平静な心を獲得し解脱するためにある。

不滅の本体は実在しないので本体のあるバラモン教型輪廻は不可能」
ブッダが答えなかった形而上学的命題を「十難無記」などというが、
その中に「霊魂と肉体は同じであるか。別であるか」という命題がある。
グノーシス思想は明確に「霊魂と肉体は別である」という立場に立っている。
これはれっきとした一つの形而上学的立場だ。
仏教の無記とは相容れない事が明白である。



↑の根拠となる、

これらがなければ仏教ではないという、
仏教の教義に必須の四条件
(諸行無常、一切皆苦、諸法無我、涅槃寂静)
には
霊魂が実在か非実在か不明
霊魂な実在
霊魂は実在しない
は含まれていない。

原始仏教の釈迦は無記だから当然。
孔子の不語怪力乱神も実質、釈迦の無記。


ヤソも新ヤソも儒教を曲解して叩くことから、
耶蘇にもにとって脅威。注意。


仏教必須要素はわずか漢字十六文字(四字熟語四つ)で終わるのがすごい。


仏教は正統派ヤソも異端派キリスト教も完全否定。

異端派キリスト教は新ヤソ(※)の基盤の一つ。



※新ヤソ
=新キリスト教
=既存のキリスト教を叩いて布教する、一神教的多神教カルトで
国家神道、スピリチュアル、ニューエイジ、
人型限定宇宙人、神智学、大本教、
生長の家=ニューソートなどと定義している。
やっていることはイエスとゴッドと終末論の言い換え。
「不滅の実体=霊魂」思想は絶対維持。



天台宗の人の霊魂観↓

止観明静アットGeorge_Tom_Yさん

”霊魂が実在すると信じる人は、体感として霊魂を知覚する。
でもそれは記憶が作りあげた幻影だ。

霊魂は実在するとも非存在とも立証することはできない。
あたかもあるが如く知覚することがあるが、
それは自己の内部表現を見ているのであって存在の実証とはならないのである。

スピリチュアリズムに騙されてはいけない。
過去の因縁が強力に働くことを信じるのがスピリチュアリズムの病癖である。
真実は、現在の自分の選択こそが未来を約束する。過去はもう終わったことだ。


説一切有部において輪廻とは魂を前提とした生まれ変わりの思想ではなく、
行為によって生じた作用が影響を残し、
その影響によって次の行為が生まれるという永続的な働きそのものを指す。

すべてはあるがまま、因縁によって生じ滅する。
そこに意味を見出せば輪廻となり、意味から離れると解脱となる。

魂は連続しないが、業が相続する、というのが説一切有部の説です。

仏教では魂の連続としての輪廻を否定する。

科学的に言えば身体の組織・原子レベルでは常に入れ替わっているので、常に輪廻していると言える。”

(説一切有部は竜樹が否定したのだが、この人は天台宗なのに採用しているが大丈夫なのか?
説明しやすいものを持ってきただけかもしれないが。

魂は不滅でも実体でもないから、
構成要素などが入れ替わって別の魂になると解釈すれば、
前世が実在するという輪廻と矛盾しない。
昔は醤油だったが今は味噌みたいな感じ?)


以上を理解したうえで仏教の瞑想をすると非常に効果が高まる。

では以下のメモなどで上座部仏教の輪廻や霊魂観や認識論を学びつつ、
気づきの瞑想を実践してみてください。


・・・・中略・・・・


・内的な徳性を本当に育もうとするのであれば
そこに近道はありません。王道はないのです。


・・・・中略・・・・・

プラユキ・ナラテボー(公式)
? @phrayuki
1 時間1 時間前

プラユキ・ナラテボー(公式)さんがなる@なか卯通い決定をリツイートしました

「長く伝承されているとて信じることなかれ。教本に書かれてあるからとて信じることなかれ。わが師の言葉なりとて信じることなかれ。説者が堪能だからとて信じることなかれ…実践しても益がなく、不利益や苦しみをもたらすものであれば、それを捨てるがよい」と説いたブッダの教えを彷彿させる立て看板




・・・・・・・・・
・・・・・・・・・
抜粋終わり


結構いいと思いますよ。



これも参考に

さらに抜粋
・・・・・・・・・


https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%83%97%E3%83%AD%E3%83%86%E3%82
%B9%E3%82%BF%E3%83%B3%E3%83%88%E3%81%AE%E5%8A%
B4%E5%83%8D%E5%80%AB%E7%90%86 …プロテスタントの労働倫理 〉天職としての仕事に励むことの必要性、現世での成功、(キリスト教による)魂の救済、ということが強調されており、カルヴァン主義の概念に基づいている。
1件の返信 0件のリツイート 0 いいね
マルアフ・ハ・マーヴェット
? @pendulum318
2017年3月3日

証言⑤江原啓之。スピリチュアルの人。スピリチュアルの元ネタも神智学。ここからさまざまな自己啓発に派生。自己啓発は「苦しいのは修行が足りない」という自己責任原則で信者を洗脳して奴隷にする詐欺の手法。
1件の返信 0件のリツイート 0 いいね
マルアフ・ハ・マーヴェット
? @pendulum318
2017年3月3日

自殺予防団体って名前は大元の思想を隠すためのダブルスピーク。本来の目的は自殺の問題からそっち系の思想に誘導し、信者を増やすこと。予防と防止の細かい差異にこだわらせて大元の思想から逸らすのも詐欺の手法。
1件の返信 0件のリツイート 0 いいね
マルアフ・ハ・マーヴェット
? @pendulum318
2017年3月3日


・・・・・・・・・
・・・・・・・・・
抜粋終わり



お読みくださりありがとうございます。

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PR
谷間の百合 より

上記文抜粋
・・・・・・・・・・・
続 セクハラ考 
惜しんでも余りある米山知事は潔く辞任してしまいました。
米山さんのことを思うと、なぜかわたしは悲しくなります。
女性に縁のなかった人が、何とか女性とお付き合いできないものかと思いあぐねてやっと見つけたのが「出会い系」だったのでしょう。
記者会見での米山さんは、どこまで正直なの、どこまで誠実なのと驚くほどの対応でした。
「自分は(相手の女性が)好きでした。」の一言が本当に悲しく胸に響きました。
米山さんに限らず、女性に縁のない男性はゴマンといるでしょう。
むかしならそういう男性(女性)を地域のコミュニティーは放ってはおかずに相手を見つけて救済していたのではないでしょうか。
社会からそういう風習や慣習がなくなって若者は見捨てられたも同然になりました。
こういうことからも少子化の根が深いことが分かります。
米山さんは最近までツイッターで橋下徹を批判していましたが、その橋下徹はコスプレ不倫が露見したときなんと言ったか。
これでもう娘に制服を着ろと言えなくなったと開き直ったのです。
わたしはその発言に心底驚き、こんなことを言う人間は世界に二人といないだろうと思ったものでした。


セクハラの問題は本筋ではありません。
そんなことに時間をとらせてはいけません。
きのうは福島瑞穂さんなどが黒い服を着て「me too」のプラを掲げながら財務省に抗議に押し掛けていましたが、あまり見たくない光景でした。
辻元清美さんも「女を舐めているのかと思いました。」と言っていましたが、舐められていることを前提に言っているようで感心できませんでした。
幸い女性には母性があることになっています。
男はほんとうにいつまでも子ども(バカ)なんだからという母親の視線で男性を見るというのも一つの手ではないでしょうか。
セクハラを糾弾することで社会がよくなるとは到底思えないのです。
現実には、逆にミソジニー(女嫌い)ミサンドリー(男嫌い)が急激に増加しているのを感じます。
わたしはそれが悲しく且つ恐ろしいのです。
笑われるかもしれませんが、わたしはセクハラ問題も男女を敵対させるための、支配形態の一つである「分断して統治する」の一環だと思っています。
時代が変わったのだと言う人がますが、日本自らが変わったのではありません。
外国で興った思想や運動を有難く押し戴いているということです。
そして、わたしはそういう思想(セクハラ、禁煙)を胡散臭く思っているということです。

キュウリやナスはすこしでも形が悪いと規格外だということではねられます。
人間界もそうなってきたというか、とにかく規格外になって仲間外れになることを極端に恐れる社会になりました。
それがまた新たな差別の温床になります。

・・・・・・・・・
・・・・・・・・・
抜粋終わり

>男はほんとうにいつまでも子ども(バカ)なんだからという母親の視線で男性を見るというのも一つの手ではないでしょうか。
>セクハラを糾弾することで社会がよくなるとは到底思えないのです。
>現実には、逆にミソジニー(女嫌い)ミサンドリー(男嫌い)が急激に増加しているのを感じます。
わたしはそれが悲しく且つ恐ろしいのです。

間違えではないとは思う。けど

>男はほんとうにいつまでも子ども(バカ)なんだ

ので、それに苦しめられる女性もあふれるほど沢山いる。
ので、そのアホが悪を為さないように、「男女平等」でしつけないといけない面もある。
てそれほど大多数ではないが、ネトウヨセレブ・安倍信者のような阿呆は、「男女平等・セクハラ許すまじ」でしつけるのが肝心。


「シャイだから嫁さんに「ありがとう」ともいえない」は、そもそもその現象は対人関係障害に近く、「礼は往来を尊ぶ」ように、感謝の言葉すらかけれないのなら、こりゃ~治療と訓練の対象ですは。

法華経だったか「唯仏与仏」・ただ仏と仏。で相互礼拝の相互供養・・。

男女も同じで「礼は往来を尊ぶ」

無礼には無礼が返ってくる。

感謝には感謝が返ってくる。



お読みくださりありがとうございます。




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中外日報 より

上記文抜粋
・・・・・・・
大相撲と女人禁制 聖と俗との調和の転機

2018年4月13日付 中外日報(社説)

1980年代後半と記憶する。西日本の由緒ある神社の例大祭で「女は下りろ」事件があった。舞台を組んで神楽が奉納された。各新聞社の記者が舞台の隅に上がり撮影を始めた。その一人は女性記者。当時はまだ、女性記者は少なかった。一瞬、奏楽が中断され、神官や世話役から「女は下りろ」の声が上がった。伝統の行事として神楽の舞台は、女人禁制とされてきたからだ。

翌日の各紙は「神社側、女性記者の取材を阻止」と報じた。ところが神社界機関紙の記述は「女性記者、伝統の祭事を中断させる」であった。いわば聖・俗両界の見解の対立である。

新聞各社としては、公開の行事の取材に女性差別に基づく制限を加えることは、報道の自由への侵害であると主張したものだ。だが神社側からすれば、宗教的信念による伝統は、信教の自由として守らねばならない。

神社の地元では、報道機関と神社界との険悪な関係が長期間続いたといわれる。

ある有名神社の海上祭典では、御座船と供奉船は女人禁制とされている。また祇園祭の長刀鉾の稚児は、祭事の期間中は母親と離され、男性の調理したもの以外は口にしない。仏教界の一部でも近年まで、女人結界が存在した。外国の宗教にも女性差別の慣習が見られる。

修験道のある幹部によると終戦直後、米軍の女性将校や将官夫人らが奈良県の洞川集落を訪れ、大峯山に登ろうとした。だが地元民が、大峯山の女人禁制は宗教的伝統によるものだと説明したところ、信教の自由は尊重すると言って引き返したという。

先頃、大相撲の地方巡業に際して、土俵上で挨拶していた男性市長が急病で倒れ、居合わせた女性看護師が駆け寄って救命処置を始めたら「女性は土俵から下りなさい」のアナウンスが行われたことが論議を呼んだ。

日本相撲協会の理事長は「人命に関わる事態に、女人禁制にこだわったのは適切でなかった」として、女性看護師に感謝の意を表した。しかし次の巡業地の女性市長が、土俵上からの挨拶を希望したのに、協会は土俵下からの挨拶を求めたというので、新たな論議を呼んでいる。

理事長が、緊急時には女人禁制にはこだわらぬと言明したのは一つの転機だ。例えば、部外者が土俵に上がるときは、男女を問わず特製の上履きを着け、直接土俵を踏まないようにするといった慣例は作れないだろうか。聖と俗の調和は早いに越したことはない。

・・・・・・
・・・・・・・
抜粋終わり


霊場の「女人禁制」は、ファンタジーの面と「男が女性性に帰るためにむしろ現実の女を遠ざけるというのは精神世界ではありうるロジックだ」の双方がある。

その辺を
>修験道のある幹部によると終戦直後、米軍の女性将校や将官夫人らが奈良県の洞川集落を訪れ、大峯山に登ろうとした。だが地元民が、大峯山の女人禁制は宗教的伝統によるものだと説明したところ、信教の自由は尊重すると言って引き返したという。

てのもあるのだから。


お読みくださりありがとうございます。

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アバンギャルド精神世界 より

上記文抜粋
・・・・・・・・・
禅と念仏-1

三十年の修行

禅と念仏をやるのは、禅浄双修といい、禅関策進という書でお目にかかることができる。ところがそれを実地にやって開眼した人がいた。それが黄檗宗管長加藤慈光氏。

『私は二十歳で僧堂に入り、昼参夜参公案禅を参究したが、三年目頃から幾多の公案を透過しても、理会的解会的なことはできても真実の見性成仏はできないことを痛感するようになり、『禅関策進』を繰返し繰返し幾度も読み、自分の信念に間違いのないことを確認した。

老師方にもこのことを尋ねたが、ただ公案を一通りすませて悟後の修行に研鑽しなさいと言うことで、満足の行く回答は一つも得られなかった。

以後見性の因縁に深い老師方を尋ねるうちに、天龍の台岳老師の見性の因縁を聞き、大正九年雨安居に天龍に掛錫し、入室の時老師にその信念を申上げ、激励の言葉をいただいて孜々として精進した。

三夏を過ぎて後、黄檗禅堂独立のため呼び戻された。しかし進む道は一本である、見性成仏は何処にいてもできる己れの信念次第と思って祖山に帰った。』
(講座禅 第5巻/西谷啓治/禅と文化 筑摩書房 P321から引用)

禅と念仏とは、どっちつかずであって、一道専心でないから中途半端なものに思われがちである。ところが、一個の人間を見ると、ある時期には、只管打坐、ある時期には公案禅、ある時期には、念仏など、自分にあったものをその時の精神状態に応じて、変えていくことはままあることである。

この本気で物事に取り組む、本気で物事をやることが軽視される時代にあって、簡単に冥想法を変えすぎるのは、いささかどうかと思われるところもある。だが、例えば只管打坐専一にやり続けた人間が必ずしも身心脱落するとは限らないという側面も考えると、精神状態が坐相を決めるということもあるから、変えすぎることを一概には否定できにくい面はある。

ともあれ、加藤慈光氏は、見性に大いに心残りを持ちながら、天龍での修行にピリオドを打った。

・・・・・・・・
・・・・・・・・
抜粋終わり

>禅と念仏とは、どっちつかずであって、一道専心でないから中途半端なものに思われがちである。ところが、一個の人間を見ると、ある時期には、只管打坐、ある時期には公案禅、ある時期には、念仏など、自分にあったものをその時の精神状態に応じて、変えていくことはままあることである。

>この本気で物事に取り組む、本気で物事をやることが軽視される時代にあって、簡単に冥想法を変えすぎるのは、いささかどうかと思われるところもある。だが、例えば只管打坐専一にやり続けた人間が必ずしも身心脱落するとは限らないという側面も考えると、精神状態が坐相を決めるということもあるから、変えすぎることを一概には否定できにくい面はある。

当人の意思なり覚悟の継続が一番大事で、やり方は、その方便ってことかな。


おなじく より

上記文抜粋
・・・・・・・・
禅と念仏-2


◎土を相手に念仏三昧

加藤慈光氏の続き。
禅では、老師にマンツーマンで質問をする制度が認められている。それが入室参禅。

『それ以来入室はせず、行住坐臥純一無雑の境に入ることにこれ努めた。
断食接心も七回、滋賀県慈恩寺、大阪府梅岩寺、和歌山県那智山などで、十日ないし十五日の独接心をした。天龍以来七年半、一通りの苦労を尽したが、ついに悟得することが
できなかった。

刀折れ矢尽きて地蔵寺に住職した。しかし王田老師の禅会には必ず随喜して、禅会の補佐と坐禅は怠らなかった。

繭来二十年を経て、終戦後農地開放の時五反二畝の田を小作より返して貰い、農業を始めた。その時、動中の工夫は静中の工夫にまさること百千万倍の語を思い、昭和二十二年五月一日より家族とは用件以外一切口をきかぬことを約束して、土を相手に念仏三昧に入ることにした。

一週間にしてほぼ念仏三昧に入ることを得て、歓喜勇躍正念相続にこれ努めた。

五月二十三日十一時半、昼のサイレンを聞いて寺に帰り、足を洗うため井戸端で水を吸み冷水を足に掛けた、その瞬間何のありがたき因縁ぞや、豁然としてこの事を了得した。

禅に志して満三十年、五十にして初めてこれを得るとは。歓喜の涙は目に溢れ、手の
舞足の踏む所を知らずと言うもかくやと思われた。早々に衣を改め、木堂に登り、仏天に対し今日あらしめた広大の加護を謝しました。』
(講座禅 第5巻/西谷啓治/禅と文化 筑摩書房 P321-322から引用)

この後、悟後の修行に入るのだが、大燈国師、関山国師もそれには苦労したことを引き、これを行解相応、行とは行動、解とは悟りで、悟った人間の社会的不適応の調整には苦労したらしいことを述べている。

念仏に切り替えて一週間でマントラ・シッディに入り、その正念を家族とも口を利かない沈黙によって保ち、生業は他人と会話をしなくても済む農業。

こうして、最後まで投げない執念が30年ののち実を結んだのだろう。

それにしても大悟以前でも正念というのだろうか。大悟以前も正念だったら逆転はない。あらゆる宇宙の滅亡もない。

・・・・・・・
・・・・・・・
抜粋終わり

宗教ってのはそれなりに使えるモノが多いが、あまりに汚れて、その汚濁で、自他を傷つけている。
そういう意味で「洗濯」「掃除」しなければ、危ない。

でも「マインドフルネス瞑想」も用心した方がいいのかも・・・

それに倫理観とか概念も持たないと危ないかも・・





概念・思想も知らないと、瞑想法も、技術~魔術になる。





追加で王陽明の記事も

おなじく より

上記文抜粋
・・・・・・・・・
仕事の上での修行

◎事上磨錬

王陽明の特徴は、仕事の上での修行を説いたことにあるように思う。知行合一とか事上磨錬とは、毎日の仕事の中で、知的に知った天の理を実地に適用していくのが修行であるという意味に読める。

王陽明の修行は、3本立てであり、儒学の教義の研究が一つ、端坐澄黙して静一を求めるというメディテーションが一つ、そして仕事の上での修行が一つである。

仕事の上での修行とは、インドの分類では、カルマ・ヨーガになるのだろうが、四書の中庸に「誠なるものは天の道なり、これを誠にするものは人の道なり」とあり、また王陽明も「それ天地の道は誠のみ、聖人の学は誠のみ」(南岡の説)と語り、天の道である誠を実現するのは、人の行為つまり日常の仕事であることを言う。

日々の、善であり無私である、仕事や、家事や、学生の人だったら勉学の積み重ねによっても、ついには誠に至るのである。

王陽明は、抜本塞源論で、中国の歴史・社会では、功利があまりにも優先され過ぎたことによって、本当に天の理を求める方向に儒学が行かなかったをことを嘆いている。そうした風土の中で、誠を実現する手段としては、まず学による概念の確立と実際の仕事の上でのそれの実現が優先度が高いとしたようだ。

現代もこれだけ功利優先の時代になってしまえば、この2手法が有効と考えられるが、今度は知性が進化しすぎて、誠の正当性について容易に疑念をさしはさまれる惨状であるため、その柱の片方は既に崩れさっている。

王陽明は、冥想については、あまり多くを語っていないのか、後世の弟子達は教義・哲学への関心が高いため冥想への関心を惹かなかったのか、冥想にはあまり言及がない。
また王陽明自身が、大悟はある特定の坐法によるものではないと見ていたことも影響があるかもしれない。

当時も今も冥想しづらい環境だが、日々の仕事を誠心誠意こなしていくことも、ひとつの冥想たりえることを私も信じている。


・・・・・・・・・
・・・・・・・・
抜粋終わり


誠実に生きる・・・これが一番大事だろう。

あと瞑想とか・・・


真摯に生きる・究極を生きるってのは、多分宗教別や宗派・やり方など、あまりこだわってはいけないのだろう。

自分自身、いかに真摯に慈悲を持って生きるか・・・

宗教・思想もそういう意味での「大変革」というか「大洗濯」に時代に入ったのだろうかね・・


信じるのもその方便にすぎない・・・


まあ仮説です。


>まず学による概念の確立と実際の仕事の上でのそれの実現が優先度が高いとしたようだ。

空海も「まず書物を読んで学問してから、修行しよう」と言っていたとか。






お読みくださりありがとうございます。

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幻の桜 より

上記文抜粋
・・・・・・・・・・
残飯嫁 中古嫁について考察の記録










さて今日は
ねこねこの話
(>ω<)/




少し前になるのですが 
えんえんがこんな事を教えてくれました
(>ω<)ノシ))パタパタパ














知ってますか?

女性の想ってるやさしい男の人と
男性が想ってるやさしい男の人って
ぜんぜん意味がちがうんですよ 」





(・・;)






ほら
男性の人はよくこういうじゃないですか?

女性はやさしい人がいいっていうけど
選ぶのはDQNだったり
浮気性だったり
薄情なヤリチンとか
ひどい男を選ぶ場合が多いって


でもですよ
女性は嘘を言ってるわけではないんですよ


ただ単に
男性が想ってるやさしい人と概念が違うってことなんです 」






(・・;)








男性がイメージするやさしい人って
弱者にやさしかったり
周囲の人たちにやさしい人の場合が多いじゃないですか?


でも
多くの女性が想っているやさしいはそうじゃないんです


自分のいう事を聞いてくれる人
自分の言いなりになってくれる人がやさしい人なんです 」





(・・;)!







自分を想うままに動いてくれる

DQN行為でも
他人を傷つける行為でも

自分の想いのままに動いてくれる人



時には
自分を悲劇のヒロインのように見せてくれるような人 


どんな残酷な行為をしてでも
自分を守ってくれるような人  

そういう男性をある種の女性はやさしい男の人と呼んでいるです 」


(・・;)・



知ってますか?

DQNやいじめっ子って
男の意志でできてるんじゃないです

だって男は大体において
ヒーロー願望が強いですからね

ある種の女性たちの願望や意志で
DQNやいじめっ子が生まれているんです



それともう一つ言いますと


犯罪行為で捕まってる人で
本当に悪意を持ってやってる人って本当にわずかなんです


大半は
命令を聞きやすかったり
動かされやすい人なんですよ 

悪い人の
言いなりになった人が
刑務所に入れられてる人たちなんです 





(・・;)・






本当に悪意を持ってる人は
自分では実行しない事が多いです 

誰かにやらせるタイプなんです


そういえば去年
アパートで
大量に人が殺された事件があったじゃないですか?


ああいうのも
犯人が望んでというより

誰かが想念的に命令して起こった事件なんでしょうねー



ちょうど選挙の時とかでしたからねー 」




(・・;)・







それとですよ

言いなりになってくれる人って
ものすごくモテる事も多いんですけどね


難点もあるんですよ

本当に命令を聞きやすい人は
他人の命令も聞いたりするです


その場合
命令を聞きやすい一人の人を
多数の人で奪い合う
争奪戦になったりもするのです

みんな
自分が動かせる駒を欲してますからね


えんえんは駒の中の駒ねこです 」(えんえんのことば)













ある種の女性は言いなりになる人をやさしいh人と想う


そういうことを教えてもらったのですが



ひとつ疑問もわきました
(・・;)?



一体
なんである種の女性たちは言いなりになる人が好きなんだろう?



もしもMAHAOの前に
言いなりになる男性があらわれたとしたら
何を言っていいのかよくわからないので逆に困ってしまうのに



そして
おそらく
相手の男性も

何をしていいのかわからず
お互い困ってしまうかもしれない



それなのに
一体なぜ 
言いなりになる人を求める人がいるんだろう?
(・・;)?




そんなことを想っていると
想念の声が聞こえてきて
こんな事を教えてくれました





言いなりになる人

それがいるから
宗教や国が作れる


集合体を構築でき
社会を維持でき
経済を動かせるのも言いなりになる人がいるから 


ブームやムーブメント
ヒット作やベストセラー
社会現象のすべても 
人気の政治家も
大スターも

たくさんの言いなりになってくれる人がいるから
作り上げることができる


言いなりになる存在が欲しいものは
現実を操縦したいと想っているの 


そして言いなりになる存在がいないと
変化も生まれない


」(その時聞こえてきた言葉)





・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・
抜粋終わり

>ある種の女性たちの願望や意志で
DQNやいじめっ子が生まれているんです

この意見、一部当たっている。

ねこたさんが、このことを「ママ友カルト」「ドルイド教的」とか言って、口を極めてののしっている。

なんというか、男の責任感でなく、女性の中の「クソババア」的な支配の無責任構造も噛んでいる。

これを加速させているのが、一種の「男尊女卑的・バカ親父が表の顔」といういびつな男社会。

馬鹿男が威張ることで、クソババアの怨念が子供・周囲に伝染する。


日本の「男尊女卑」は、どちらかと言うと、「母親と糞ガキ」の系統の「女嫌い=女性への教父と蔑視」があるように思える。

父性の「責任感」がなく、母性の壊れた形の「カーリー神」的なモノが、日本のいじめ・DQNの一つの母体に思える。


ちゃんとしたことは書けないが、なんとかこんな感じで。

お読みくださりありがとうございます。

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