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半分やけくそです。日本の指導層がここまで阿呆で無慈悲とは。あとは滅亡だけです。 生き延びるが、我々庶民の勝利で、暴露こそが、唯一の最大の攻撃です。

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産めよ増やせよ大和撫子 より

上記文抜粋
・・・・・・・・・・

未来は未知と情熱の組み合わせでくる。過去からはこない  

こういう構造を過去に視線を縛り付ける役割が

NHKなどの

マスゴミです

要するに敗戦に民族の視線を固定させることで


現状を受け入れさせる

こういうトリックが効くのはせいぜい3代だろう


若者よ、ジジイと暴れて見ないか?




・・・・・・・・・
・・・・・・・・・
抜粋終わり


金玉満堂ブログ より

上記文抜粋
・・・・・・・・・
便利になりたいという思い

未来は未知と情熱の組み合わせでくる。過去からはこない

とおっしゃる

もう一つ

便利になりたいという思い

それを叶えて差し上げようと思う奉仕の心



・・・・・・・・
・・・・・・・・・
抜粋終わり


お二方の言い分を、端折っていうと、愛ですは・・・人間愛ですは・・


マザーテレサが「日本は愛が薄い国」って言った。

で、日本人の愛の薄さは、職人たちの超絶技巧も、オタクたちの超テクノロジーも、手の打ちようがなかった・・・。挙句は・・。

中韓に、技術も経済も、追い抜かれた・・・・


で、もっとも愛の薄い「日本国の権力者」「天皇真理教徒」が日本人を支配している。

これでも明日があるというのかね・・・・。

天皇制なくして愛を回復。革命起して日本復興。


お読みくださりありがとうございます。

拍手[2回]

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みずがめ座時代 より

上記文抜粋
・・・・・・・・
個と場


私たちを取り囲む場所と、個人の意思や個人の思いとでは、基本的にどちらが強く影響されるかと考えた時、答えは場にあると思います。

仲間と楽しく語らう、平安で豊かな場に、一人でも批判的でおっかない感じの人が来たら、それまでの楽しい豊かな雰囲気はなくなります。個々の中にある思いはやさしさや思いやりにたとえ満ちていたとしても、その場では場の雰囲気が優先されてしまうわけです。

豊かでやさしく思いやりに満ちたものは、繊細で押しつけがありません。反対に批判的で暴力的なものは、一方的で他のものを押しやってしまいます。

戦争が近づけば、軍歌が町に流れ、平和の思いを圧倒するような雰囲気になっていくことは、日本でもドイツでも戦前に体験した通りです。今の日本も何となくそんな雰囲気に近づいている気もしますが、昔と今とでは個々の思いが違い過ぎるので、戦争など起こせませんし、万が一起こしたとしても、一体、誰が戦うのか、好戦派としても非常に心もとない状況でしょう。

ともあれ、その場に占める力は、豊かさや平安よりも、強圧的なものが強いことは事実です。

家庭内で父母が強圧的であれば、その家庭は強圧的な場を作りますので、そこに居る人は誰一人、平安でも豊かでもなく、基本的に怯えています。

子が成長する家庭という場で、怯えながら育った人と、平安で豊かで、やさしさの中で育った人とでは、天地の差があって当然なのです。

このように場は個よりも優先する性格があります。なので、良い場で育ったり、良い場の中に居られることは、本当の意味での幸福とつながりやすくなります。

なので、私たちの生きる本当の目的は、端的に言えば、良い場をつくることにほかなりません。

それぞれがそれぞれの場でどのように振る舞い、その振る舞いからもたらされるものは、平安なのかそれとも暴力なのか、、、それに尽きるわけです。

何も理想論で言っているわけではありません。また、幸福に至る色々な要素の中で、たったひとつだけ場の重要性を取り上げることに違和感を覚える人もいることでしょう。

行動で平和運動をしている人もいますし、戦争の悲惨さを訴えかける運動をしている人もいます。それは大変意味ある行動であることは事実です。私が言いたいのは、そういうことではなく、あくまで場の重要性であり、こうした平和思想も反対運動も、それを受け入れる場がない限り実現しないという点です。

まず場なのです。実はフリーエネルギーの法則がそれです。場の重要性なくしてフリーエネルギーは訪れません。スタップ細胞の実験でも成功する場合と失敗する場合があるのは、行っている内容やプロセスにその原因があるのではなく、作られる場に違いがあるからなのです。

場。その場を作る人に原因があるのです。荒れた意識の人には好い場は作れないのです。

荒れた意識、良くない思い、暴力的な発想などは、すべて個の悲観的な一方性から来るもので、全体と切り離されたところにあります。暴力的な発想には、お互いという概念がないのです。全体と切り離された個を押し出すだけ。

周辺の場を支配することで勝ったと思うのは、孤独ということです。

話しが再び精神論に流れていくので戻しますが、場とエネルギーの関係なくしてフリーエネルギーは語れません。

それを一言で言うと、重力につかまっているか、重力から自由になっているかで決まります。

重力の影響が少なくなるほど、フリーエネルギー現象は訪れるのです。場をいかに軽くするか、いかに無に近づけるか、、、、

私は子供のころから、女性の自然な集まりの中にいることに、独特の快適さを感じていました。一人はさやえんどうの皮をむき、一人は裁縫をしており、一人は隅で本を読んでいる、、、真中には果物やお芋などが置いてあり、時折お茶を飲みながら、それぞれがそれぞれの作業をしている、、、、お芋を取って宿題をしている子にあげている母や叔母、、、

何が話しの主題かもわからない会話の中には、ただただ自然さがあふれている、、、

私の子供時代にはそんな記憶がいっぱいありましたが、それこそがフリーエネルギーの原点である場であったのです。

強圧的なものが支配する場は、周辺場をつくるには強烈ですが、本当の力はありません。

なので、軍事による一方的な方向性は絶対ではなく、絶対でないどころかエネルギー本質から決定的にずれますので、実際には誰一人幸福にしません。

それで儲ける武器産業に携わる人ですら、結果的に不幸に落とし込むでしょう。誰一人幸福にしないのです。眼の前しかわからないからそんなことを平気でしてしまうのです。

フリーエネルギーは反重力に近い、重力から自由になれた時に訪れるものであり、場を強圧的に収めているところでは、あるものだけの限定的な世界であり、それ自体の持つエネルギーを亡くした時点で終わってしまいます。

空気で膨らんだ風船の口を開けるようなもので、すぐにエネルギーは枯渇してしまいます。

皆さんは私の考えを甘いと取られるかもしれませんが、事実だから仕方ありません。

皆さんが元気で生きていられるのは、強圧的な場の中で安泰を得ているからではなく、皆さんは忘れているかもしれない、皆さんはどこかで体験した安らかな場の思いによって、実は生かされているのです。

命を生かし、はぐくむものは、場にあります。場がなければ、エネルギーは訪れません。

そして、場を作る責任はすべての個にゆだねられているのです。そこをエネルギー空間にするのも、苦しい放出空間にするのも、あなた次第という選択の自由の中で私たちは生きているのです。

今の悲しい場の時代に、ある讃美歌を思い出しましたので、その歌詞を下記します。うろ覚えなので、もしかしたら間違っているかもしれませんが、おおまか、内容はあっていると思います。(讃美歌228番)

ガリラヤの風 かおるあたり あまつ御国は近づけりと  のたまいてより いく千歳ぞ
来たらせたまえ 主よ御国を

戦いの日に いこいの夜に 御国をしたう熱き祈り 捧げられしはいく千度(ちたび)ぞ
来たらせたまえ 主よ御国を

憎み争い 後を絶ちて 愛と平和は四方にあふれ みむねのなるは いづれの日ぞ
来たらせたまえ 主よ御国を



・・・・・・・・
・・・・・・
抜粋終わり


話はかわるが、なぜ若者にまだそこそこ安倍政権の支持があるのか?

それは、まさに学校の教室を安倍政権が再現しているから・・・

このような劣悪な環境に今の学校はなっていて、そこで育った・・・


小泉郵政選挙の結果は、まさに受験戦争を生き延びた若者たちの価値観の表れだった。
で、簡単にだまされたけど・・・。

まさにすでに30年前のいじめ自殺から、今の日本がこうなる可能性は示唆されていた。


てのが私の仮説。



お読みくださりありがとうございます。

拍手[2回]

幻の桜 より

上記文抜粋
・・・・・・・・


はじめはカオス

自と
他の区別がない 

すべての所有物はみんなのもので 

財運も富も 健康も美貌も 意識もみんなのもの 

それがカオス 」





(・・;)







自我とは
なにを所有しているか


どのエネルギーを 
誰が所有しているか
どの意識を誰が所有しているかの概念 


自我が強くなればなるほど
カオスは見えなくなる 

だって 
混ざりあいを否定するのが自我だから



 」




(・・;)・







意識が絡みあって
混ざりあったエネルギー体の領域がカオス 


でも
カオスがみえると
表出した現象をすべて入れ替えることができる


だって
すべての所有物は 

みんなのもの カオスにあるから



すべてはカオス
すべて
みんなの所有物 


だから
カオスを見れる人が 
みんなの所有物に潜って 
それを誰かの自我に持ってくるだけ 


それにより表面の現実現象は
激変してしまう

 」




(・・;)!





豪邸も
豪華絢爛な衣装も
首相の座も
国の領土も
愛しい人の心すら 

カオスに潜って
誰かの自我に持ってくる

それで現実は入れ替わる
現実の勢力圏は変えられる 」





(・・;)






あのね
運の入れ替えができる人って
すべてをカオスと想い 
自と他を区別できてない人なんだよ 



自分の想いと 
他人の発した想いの区別もできない
そういうピュアな存在だから


現象の出先
現実を変えられる


現代で言えば
統合失調症 分裂症と呼ばれるような症状の人たちは 

古来 
力のある者たちに抱えられていた

その理由はただ一つ 


運をどんどん入れ替えられるから

彼らは自と他の区別がついてない

だから 
周囲に促されるまま
悪意なく
それができる 

悪意がまったくないから運の入れ替えができる

悪意を持つものは
運の入れ替えを行えるものではない


命令を発っしてるもの達 」(あめで聞いたことば)





その言葉のあと
名前について
こういう事も聞きました



「 
運ぶ想念はね

人で言えば
三歳児以下の概念なの



子供は無意識的に自分のなまえで自分を呼ぶでしょ?


ゆきちゃんはね 」

あっくんはね 」


それと同じ


音を聞く想念は
誰かの名前を呼んでる人を 
その誰かだ
と感じてしまったりする


秘書が社長のそばで
社長社長と連呼すれば

音を聞く想念が 
社長本人ではなく
社長と呼んでる秘書を社長と感じてしまうことがある


その秘書の意で
会社のコードが動かされたりもする 


運ぶ想念は子供のように無邪気


だから
誰かが嫌いな人の悪口を言えば
その誰かに嫌いな人の気や運を運んだりもする



嫌いな人の名を呼ぶほど
自分が嫌いな人のようになってしまうことがある 」(あめで聞こえてきた言葉)





その言葉を聞いて
こういうことを想いだしました





それは
今から10年ぐらい前
当時あった某野党が
まだ政権をとる前ぐらいの事


その野党の
衆議院議員の政治家さんの講演会みたいなものが開かれるのを知って



それに興味を持ったくまちゃんは
MAHAOを連れて
その講演会を見に某さいたま市まで行ったのですが
(― ― )(・・;)トコトコトコ


行ってみると
もう講演会ははじまっていて
前の席が空いていたので
そこにいそいそとふたりで座りました
(― ― )(・・;)イソイソ



来場者は2-30人ぐらいいました 

壇上にいた野党の衆議院の政治家さんが
最後に来場した人
ひとりひとりに意見を聞いていたのですが



くまちゃんに順番が回った時
くまちゃんが
その政治家さんを「 E先生 」と言う感じで呼びました


くまちゃんが
「 E先生 」「 E先生 」と呼ぶと

その政治家さんの足は
少しイライラして落ち着きない様子になり

でも表情はイライラを抑えながら
笑顔でこう返しました


「 あのー
前回の講演会でも言ったのですが

私の名前を呼ぶ時は
先生と呼ばないようにしてください

〇〇さんと呼んでくださるよう 
たびたびおねがいしているんです 」(政治家のE先生のことば)


なんでもその政治家さんの話によると
前回の講演会の時も誰かに 
「 E先生 」と呼ばれたみたいで
その時に「 Eさん 」と呼ぶように
来場者や支援者にお願いしてるとの事だそうです



でも
その政治家さんの講演会にはじめて行った
くまちゃんもMAHAOも
当然そのことは知りません



そしてそれを話したE先生の声のトーンが
本当に怒りを抑えてるような イライラ交じりのトーンに聞こえたので 


なんであの国会議員の先生は
そんなにイライラしたり怒るんだろう?

くまちゃんは
ただ 「 E先生 」と呼んでいただけなのに

そんな感じの事を想っていたのですが
(・・;)


あめで上の言葉を聞き
こう感じました 


運ぶ想念がたくさんいる会場
そこで国会議員を先生と呼ぶと


場の想念は
先生 先生と連呼した人に
先生の運を運んでしまうのかもしれない 


それも感じたから
国会議員の先生は
先生と呼ばれることを嫌がったのかもしれない


そんな感じの想像もしました



そういえば
夢を見ると
よくくまちゃんの姿と
MAHAOを錯覚してる人が多いのも目にするのですが
(*'▽')(― ― )ヽ(゜◇゜ )ノヽ(゜◇゜ )ノ  (・・;)~?



そういえばそういえば
よく家では
くまちゃんは
MAHAOの名を呼んでいます



でもくまちゃんが
MAHAOの名を呼ぶたび


音を聞く運ぶ想念は
くまちゃんにMAHAOの気をどんどん運んでいくようで



それも
夢でMAHAOの姿と 
くまちゃんの姿が入れ替わって見える要因なのかもしれない
と想いました




そういえば
想い返せば
こんな事もありました
(・・;)!



その昔 某テレビ番組を見ていて


そこに出演してる某大物女優さんが 
飼っているたくさんの小犬ちゃん達に
部長とか
課長とか役職名を次々付けてるという話をしていました 


その時
何故か理由もわからず
その行動に少し恐怖感を感じたけれど


あれも家で
役職名を呼ぶことで 
運ぶ想念に部長や課長
会社の役職のコードを統括させる錯覚をさせる為なのかもしれないなあと
想いました


そういえば
くまちゃんはその某大物女優さんをエキストラをしてた時
目撃したみたいで
こういう風に言っていました


何故あの女優さんが
ドラマの主役に使われてるのかよくわからない

特に演技力があるわけでもないし
オーラがあるわけでもない

枕営業かもしれないけれど

あの女優さんより若くてセクシーな女優さんはいっぱいいるし

なんでなんだろう? 」(くまちゃんのことば)




そういえば
社長社長と呼んでいるホステスさんが
後になって
社長になる事例も耳にしました


実はそういうのも
飲んでる場で
社長と呼んだ人を錯覚してしまう事が
関係してるのかもしれません



でも
もともと
会社の社長とかって
社長が変わった時に
最初
いろいろな違和感を感じても 

2-3か月すると
社長が変わったことを意識しなくなるぐらい
みんなが平常運転になる

要は社長や部長って
誰が成っても同じだよねー



その程度の存在だから
こんな簡単な術で運が簡単に入れ替わるんだな
(*´・ω・)(・ω・`*)ネー


と想いました



というわけで
今日は名前について音で運ばれる運について
お話しましたが
(>ω<)/



名前には
音で運ばれる運だけではなく
視覚イメージで運ばれる運もあるようです


音と視覚
その二つで運ばれる運気で 

音は行動運を
名前の視覚イメージは雰囲気を運んでいるようで



その行動と雰囲気の総合で
名前全体の運勢が決まるようです



例えばしんぞうちゃんは
音で聞くとあべ しんぞう 
猪突猛進な行動運が運ばれてるのですが
字にすると安倍晋三
謙虚で穏やかでおとなしい女性のような雰囲気が運ばれてるそうです







名前についての音と視覚の
総合占いについては


またいろいろ聞けたら
またいつか詳しくご説明できればなあとも想っています
(・・;)





ちなみに
くまちゃんと講演会に行った
野党の件の衆議院議員の先生は
後に政権をとった時に
大抜擢されて官房長官になりました



このブログで 
度々悪魔王子と呼んでいて
最近 新しい政党を作って
その党首様におさまられたごようすです





すべてはカオス

オーラをのせれる人がいる


特に
頭のおかしいと呼ばれてる人ほど
他人にオーラをのせやすい

だって
ピュアな子供のような人に


あの人に 竜神様がついている 」


あの人は 天使のオーラがついている 」
と言うと


信じやすくて
信じる想いが オーラを現出させやすい


そして
オーラが綺麗になるとそこに人が群がって
人の現実がやってくる 」




代々
呪われてる系譜って
オーラを気にするの



だって
オーラが剥げてると
恨みや怒りの念がすぐに飛ぶから


だからオーラをつけようと
ピュアなものを抱えようとする


でもね
ずる賢い人にはオーラは
つけれないんだよ 


今の
世界の支配層の末裔たちに
抱えられてる人たちは
持ち上げられてる人たちは 
みんな
ピュアなふりをしたずる賢い人ばかり

悪い人と良い人のオーラって
時に似て見えるの


月の緩衝時
その錯覚は多くなって 


ある時を境に
その錯覚の気が剥げる


みんな時を待っているの

その時を待っているの 」(あめで聞こえてきたことば)





・・・・・・・・
・・・・・・・
抜粋終わり


意味深だな・・・


お読みくださりありがとうございます。

拍手[2回]

http://www.geocities.jp/npowaro/raku-36.htm 

上記文抜粋
・・・・・・・・

どのような呪術を使ったのかと聞く楚の別の部族長・熊繹に対して周公旦は

「こちらが礼を履めば、むこうも履まざるを得ません。友好の使者であれ、戦さの使者であれ、礼としてそうなる。これがわたしのいう礼の力というものです。」

とこたえる。礼は人と人との交わりのあり方以上に、鬼神と交感できる形式でもある。

・・・・・・・・・
・・・・・・・
抜粋終わり


大事なことと思う。

こちらが無礼をしたら、無礼が返ってくる。

こちらが拙くとも礼節守っているように努力すると、相手もそれなりに気を使って応対してくれる。

ましてや、ヘイトなど繰り返し差別を続けていると、当然それが返ってくる。


それを忘れてはいけない。


それがわからないのが「愚か」っていうのでそれが今の日本国の指導者・官僚・経済界なのである・・。


お読みくださりありがとうございます。

拍手[1回]

読めないニックネーム 再開版 より

上記文抜粋
・・・・・・・
☆かおりのすけ☆‏ @kaorinosuke 7月17日
次々現われる変な雲に名前を付けてしまえば、皆思考停止。わざと間違った名づけの呪術への対策は、
孔子がすでに教えてくれている。
名づけの呪術は、
「人知を超えた確かめられないことの断定」
とセットであることが多い。
こちらも孔子は対策している。

孔子
「必ずや名を正さんか」
「適切な名前をつけよ」

「いまだ生を知らず、焉んぞ死を知らんや」
「死んだらどうなるか知らない」

「怪力乱心を語らず」
「人知を超えたものを語るな」

儒教も無記だし、スピリチュアル否定。

孟子の易姓革命論
「徳を失った王は王の資格を失っているから殺して良い」

孟子「トップがクズなら殺して良い」

支配層が無能だったりクズならぶっ殺してOKな儒教。
血統の断絶ではなく、徳の断絶が易姓革命の根拠。

儒教は両親や君主が間違っていたら子供や臣下が
「あなたは間違っている」って言いなさいって教え。
上に盲従せよという教えだと騙るプロパガンダに惑わされないように。

孔子
「たとえ鞭で打たれようとも親の誤りは正せ」

「三回諫言してもダメなら君主の元を去れ」

ボスが明らかに間違っているなら部下が苦言を呈さないといけないという
諫言も儒教の教義。

適切な名づけ、無記、易姓革命、諫言
を抜いたら儒教カルトであり儒教ではないので注意!
悪政用の万教帰一カルトは上記の悪政を防ぐ教えを抜いているのが特徴。
儒仏の道徳の破壊を実践中の支配層。
せっかく漢字圏に生まれたのだから中国古典を読まないと損だよ!

「儒教は上位者への盲従を説く」との誤解についての解説
https://togetter.com/li/664524
では原文と翻訳のセットで丁寧に解説されている。
一部抜粋。・・・・・・・
・・・・・・
抜粋終わり

子子子子子さんは、改めて思うによくわからん。

ねこたさんは、「耶蘇金系の工作員」とは言ったが、まあ普通でないのは確かだ。

もしかして、ねこたさんが工作員に嵌められた可能性も捨てきれない。で私もそれにうかうか嵌った可能性もある。

ただ私は「理趣経」と修験と孫老思想が金鉱脈と思っているので、少し違和感があるけど・。

まあ、でも、いい文章はどしどし載せるのが私の流儀なので。


老子がいうに「本当の真理は、決まりきった固定のものでない。本当の名前は、固定された名前でない。」
http://www.eonet.ne.jp/~chaos-noah/tao/tao_1.htm

後忘れていたけど、天皇制は、儒教ではない。万世一系など易性革命がないので、これはカルト宗教です。

まあ天皇家自体は「政治権力を捨てて、宗教的権威として生き延びた。今後一切政治には関わらない」ていえば、存続は可能。家としては・・・。

「政治的な」意味での禅譲を果たしているから・・
なのにまた明治で政治的な強大な権力を持ってしまった。ので、また今でも易姓革命で地位か命が狙われる対象になったのだから。
いっそ天皇制やめて、一宗教法人になったほうが、確実に生き残れるけど・・

それができないから、日本が滅びるのか!!ってわかるよね。


お読みくださりありがとうございます。

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