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子牙山遍照院 渾沌堂主人雑記  {大日本国終焉日記 }

半分やけくそです。日本の指導層がここまで阿呆で無慈悲とは。あとは滅亡だけです。 生き延びるが、我々庶民の勝利で、暴露こそが、唯一の最大の攻撃です。

憑依怨霊エトセトラ・・・

福田元昭の「桜の木になろう」  より

上記文抜粋
・・・・・・・・・

(2)「1248.憑依」への非公開コメント 1

 私が知る限りで書かせて下さい。私は今から10年位前にどうにか母を説得して、約20年程所属した新興宗教の洗脳グッズ全般を神社でお炊き上げをして頂きました。(洗脳グッズとは、入信時に三日間の研修を受けると拝受されるペンダントや教本や教団が毎月発刊する冊子など全般。

おみたまと言う洗脳アイテムペンダントの画像→https://blog-imgs-70.fc2.com/u/r/i/uritakego/20140825omitama00.jpg)」

 大人になってから聞かされましたが、母は小学生時代の私の学業成績不振、素行の悪さ、体質や物の考え方など含めて他の子と違い過ぎる為に神に縋る思いで入信したそうです。そして私を入信させれば普通になると思って私を入信させたそうです。これを自身の宿命や運命と申せばそれまでですが、もし母が思い描いていた理想があの当時の一般的な幸せ像ならば、喪った物は多かったと思います。

 その洗脳アイテムのペンダントはお風呂、水泳、レントゲン、手術、性行為の時以外は必ず付けていなければなりません。手かざしの業をする為です。入信をする前、殆どの方が信者から受けた手かざしの業で良い変化が出たからと信じてしまうようです。私の母においては入信時にそのような事は無く、入信直後に私のオデキに手かざしをした事で腫れがひいた様を見て本格的に洗脳をされて行きました。

 私が入信をしたきっかけは、まず入信しないと母が怒り散らすからと言うのが本音でした。それと腫れがひいた事。あとは「日航機墜落事故の生存者も教団に関係していた。」と守護体験談を聞かされたからです。( 少なからずあの事件に対して関心があったので。)

以下のURLに教団が語った体験談があります。
http://www.enpitu.ne.jp/usr10/bin/day?id=104303&pg=20050827
https://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/3760/1100318036/

 しかし、入信後。私を含めて多くの方々が熱心に信仰をすればするほど、人生が迷走するようになりやめて行きました。家庭不和、病気の悪化(教団は基本虫歯以外は手かざしで 治すよう教えていました。本物の氣功などならば良いのですが、洗脳アイテムペンダントを付けての手かざしで出てくる光の正体に問題が有りだと脱会後にネットに書いている方がいました。)

 いじめ 事故 金銭的な不安 子どもの非行(ひきこもり含む)などなど、色々あったようです。

福田さんが書いていらっしゃった以下の文面。
「クロカモは呪詛集団で見えない存在を操る事ができる存在です。ですから見えない存在を憑依させる事もできるのではないかと考えています。」
少なからずその教団では出来ていたのではないか?とやめた方々がネットに書いていました。

入信前→物事が好転したように見せる。
入信後→色々と好転し続ける又は現状維持

 好転をし続けた挙句に突然悪くなる事もあり、そんな信者に対しては「もっと熱心に信仰をしなければ、死ぬ。」「死後の世界で地獄に落とされて神様により魂を消される。」などと叱咤して来ます。一方、奇跡を期待したのに現状維持の方は緩く信仰を続けるか、やめて行く事も多いようです。

 肉体があるうちにやめられたなら、まだマシかもしれません。明らかに霊障だとわかる形で、事件や事故や突然の病気などで亡くなる方も多かったです。

私の所属していた教団の脱会者が2000年前後にある掲示板に集まり、色々と書いていました。
どなたか様が、以下のように書いていました。
1入信をさせる為に守護や奇跡的な事を伝える。
2気をひく為に俗に言う奇跡的な事を見せる。
3それでも、入信しなければ、天変地異や霊障、カルマと言う言葉を使い嚇す。
4入信時の研修で選民意識を与える。
5入信後、不慮な病気や事故に遭いやすなる方がいる。
教団側はこれ見よがしに信仰のぬるさを指摘し、布教活動、奉納、奉仕、カルマの法則、天変地異などを突きつけて更に金銭、精神力、労力を搾取する。
6a信者が逃げ出す
b事故や病気で絶命する
c手かざしの業で出てくる問題有りの光により昏睡状態で寝た切りになる。
7a脱会後、自分の人生を取り戻し幸せになる。
b脱会後、宗教の教えの呪縛により精神的を病む。
(bは義務教育くらいの年齢で入信をさせられた方に多く、鬱病・統失・各種人格障害・パニック障害・双極性鬱病・各種恐怖症などが多く見られる症状)

2、5、6bc、7bは、霊障(呪詛)(呪縛)の可能性が高いのではないか?
奇跡や守護を見せるのも霊障も紙一重の気がする。
などと言う見解でした。

 2000年初期くらいまで教団でインターネットをする人は霊障と教えられていた為に暴露は少なかったと思います。そのような中で教団施設の御神体に黒い狐や黒い蛇を見た方が複数人書き込みをしておりました。

 私自身もその書き込みの数年前に、教団施設から帰宅した母親の身体から黒い毛の生物が出て来て天井裏にのぼり、消えて行くのを見ました。その生物を見たのは入信から11年が過ぎた頃でした。家の中も殺伐としていました。家族もみんな病気がちで祖父は60代で死亡、母親は甲状腺疾患(霊視をして頂くと動物霊と複数の浮上仏霊が憑いていた。)、父(未入信)による、監視やDV深刻化、私、病気と怪我で昏睡状態の時に臨死体験。祖母の持病が悪化。

 このような現象は多くの信者の家庭で見られたことから、教団側が何らかの霊的な操作をしていたのかもしれないと言う意見もネット上で見られました。

 長くなりますので続きます。申し訳ありません。

(3)「1248.憑依」への非公開コメント 2

 私がネットを見るようになったのは結婚後に実家を出てからでした。その頃、パニック障害や鬱病と診断を下されて投薬治療をしていた頃でした。様々な書き込みを見て、教団に所属をした年数が長いとかかりやすくなる症状だと言う事がわかりました。投薬治療をしてから体調が悪くなる一方だった事もあり、断薬に踏み切りました。

以下引用
憑依されない方法は、クロカモも含めてすべての存在を肯定し、すべての存在に対して、愛と真心で接する事だと私は考えます。なーんて事をひょっとしたら、現在の私がこれまた見えない存在にインスパイアーされて書いているのかもしれません。

 私は、断薬を経て正味12年(6年目くらいからは距離を取り始めましたが)の、洗脳と神の名を使った脅しの日々とそれ以前の自分と向き合う事を始めました。幼少期の自分の抱えていた寂しさや弱さに多分に直面しました。親に弱さや幼さ、無知ぶりを指摘される日々。知的な面や思考力が他の子より劣る私に対して怒ってばかりの両親。よその子が悪くても最終的に私を引き合いに出し、私に怒りをぶつける両親。そんな背景の中、私はどんどん素行が悪くなってゆきました。何年もかけて、漸く当時の私を馬鹿にしたり怒りをぶつけていた両親の心情が理解出来てきました。

 ある時、そんな両親にイメージの中で愛を送ってみました。現実的には、感謝出来る事にはありがとうと言い、エゴと思える事にはハッキリと気持ちを伝えました。親に口答えするなと叱られましたが、それを続ける事で漸く親が私にこう言ったのでした。「子供の頃に、ディズニーランドに連れて行ってあげなくてごめんね。」と。まだ、ディズニーランドが人身売買に使われているのを知らない頃でした。

 今なら、複雑な気持ちかもしれませんが。母は還暦を迎え、友人らと初めて行ったディズニーランドが楽しかったらしいのです。攻撃を仕掛ける方はいつも自分が辛かったり、悲しかったり、寂しかったりするからすると言うのが目に見えた出来事でした。

 まだまだ両親による私を馬鹿にする言動は終息しきれてはないのですが、宗教入信の頃よりはマシになったと言えます、

 ちゃんと必要な事を伝えて、それでも憎しみを上回る愛を送るのならば憑依はし難くなるように私は思います。相手の脅しに屈して言いたいことも言えないまま、ただただ赦すとか愛を送る行為は屈折しています。しかし、相手の理不尽さを指摘した上で愛を送ルノは違うように感じています。

 10年程前、宗教の洗脳アイテムペンダントと、数々の教本をお焚きあげしてしまいましたが、それらを処理して気分的にはすっきりしました(笑)。しかし、叩き込まれた教えは呪縛となりその後も私を苦しめ続けました。まるで呪詛です。

 その呪縛的教えを遂行する信者、元信者が多ければ支配層は楽だと思います。私のいた教団では「怒りの感情」に対して否定的で怒る事を禁じられていました。何をされても怒りの反論をしてこないゴイムなんて最高だと思います。

以下引用
日本は呪詛大国です。それが精神病の多さに結びついている可能性があります。つまり呪詛攻撃を受けた人が精神を病むのです。

 日本は宗教、新興宗教。それに2000年代からブームになっているスピリチュアルにも呪詛を感じます。選民意識的に捉え過ぎてノイローゼになった方を何人か知っています。

 長々と大変失礼を致しました。

(4)非公開コメントを拝読して

>他の子と違い過ぎる

 個性が強い事は良い事です。

>知的な面や思考力が他の子より劣る私

 下さったコメントから、知的レベルが高く思考力に優れている事が感じられます。

>私に対して怒ってばかりの両親。よその子が悪くても最終的に私を引き合いに出し、私に怒りをぶつける両親。そんな背景の中、私はどんどん素行が悪くなってゆきました。

 当然の結果ですね。こうした家庭環境ですと、半分以上の確率でぐれるかもしれません。

>ある時、そんな両親にイメージの中で愛を送ってみました。

 成長しましたね。立派です。

>長々と大変失礼を致しました。

 記事に関連したコメントです。気にしないで下さい。
・・・・・・・・
・・・・・・・・・
抜粋終わり



現代を斬る より

上記文抜粋
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 今回は霊感の無い私が採用している粗雑な霊的環境の捉え方を説明してみたい。まず前述した五蘊(色・受・想・行・識)は(物質・反応・思念・行動・精神)ということで3つ目の思念を中心とした左右項目シンメトリー図式の無我なる(相互依存した)潜在意識の世界であり、それ自体が真理の認識なのであるが、私のいう五蘊とはこの正式な五蘊ではなく、苦の原因・輪廻の原因となっている「五取蘊」のことである。つまりお釈迦さまなら生全体をいずれかの部分を特に選別せずに眺め受け入れることが可能なのであるが、我々凡夫は同じ真理世界に生きていながら違う捉え方をする。すなわち本来無我なる五蘊世界の好きなところだけを恣意的に切り取って「これこそが自分の人生!」としているのである。つまり本来何物でもない潜在意識世界の曼荼羅に、人間は銘々勝手に好きなもの(欲望の対象)を投影して、その幻影を実際に追いかけるのである。つまり繰り返すと、五蘊皆空(潜在意識は本来ニュートラル)はサトリの境地だが、凡夫は具体的な幻影を実在世界として捉える。これを「五取蘊」というが、便宜上私はここで「五蘊」を「五取蘊」の意味で使う。そうすれば欲望ぐるぐる人生の輪廻転生を説明しやすいからだ。しつこいですが、本来五蘊は楽(サトリ)、でも五取蘊は苦(迷い)。「因縁はない、因縁はある」もこの視点の違いから来ています。

  で、便宜上五蘊=五取蘊として見ていくと、前世の人生でまだ欲求不満がいっぱい残った、だから違うココロのプロセス(前回とは違った傾向・偏向=異蘊)を発生して、生まれてくる、肉体に霊体が宿ってくるわけです。自分のココロ=霊体は前世からの継続。でも肉体にも、先祖から継承された霊体、そのココロの傾向(因縁)が存在しているわけです。更に重要なのは、このココロの傾向・偏向とは自分でありながら「自他を含む」のです。つまり潜在意識が共通であるからどこかで共有部分があるわけです。従って前世の自分や先祖が受けた、他人の強い怨念を自分の霊体の裡に先天的に潜在化させているのです。で、自分の霊的構造として①前世因縁②先祖因縁③浮遊因縁④守護神霊、この4つの要素を考える。さらにこの①と②に⑤の「怨霊・怨念」が内在、潜在化している、プラス現世で一層取り込む、と考えるわけです。それで特に思春期や試験・恋愛・就職・結婚といった人生の節目に本人の気合がグッと入ると、この⑤「怨念」にスイッチが入り、噴き出してしまうことがあるのです。この際の不幸な怪異現象を単に「因縁」「霊障」と呼び、この霊障問題の解決を釈迦のサトリから拡大転用して「因縁解脱」と呼ぶのです。これは占いの方から来た呼び名で、本来仏教のものではないんですね。

  さらにいつものココロ構えとして、うまいカネ儲けのことばかり、エッチで卑猥なことばかり、傲慢・残酷な目線ばかりな考えを膨らませていると、③の浮遊因縁(失業霊・畜生霊・凶暴霊)という欲望を増強・増幅・極端化させる霊が媒介として憑依してくるわけです。欲望が③の浮遊因縁霊を引き寄せ、そしてこれが本人が先天的に抱えた⑤の「怨霊」とマジンガーZのようにドッキングするわけです。こういう逸脱があるから、成功哲学は危険な側面があるといえるのです。ただ勿論願いは叶うんですよ。ただ不要なオプションも大量に憑いてくる可能性があるといいたいわけ。怨霊の量と出方は人それぞれですから、潜在化したまま一生表面化しないかも知れません。

  で、私が採り上げる真如苑・阿含宗・創価学会などの新興宗教の本尊霊はこの③の浮遊因縁霊に相当するわけです。とにかくパワーは増幅するんですから、それは間違いない。ただ事態はアレ? こんな筈じゃなかったという方に進んでいきます。元来本人に潜在する怨霊が、本人の欲望を膨らませ、浮遊因縁を引き寄せる、といった構図ですね。この浮遊因縁自体が霊感・霊視能力を持っている場合もあります。“天の声”かも知れません。浮遊因縁に対して「あなたはどなたですか?」と尋ねれば怨霊とドッキングした浮遊霊は「私は神です、仏です、あなたのためを想っています」と答えるでしょうね。なにしろ本人の潜在意識を知悉しているんですから。

  供養とか霊の浄化儀式とかは漠然とやっても効果は薄いのです。ピンポイントではっきりと名指しするのが要点です。小林さんの後ろで「佐藤さ~ん!」と絶叫したところで、絶対に振り向いてくれないのです。しかし自他の怨霊や浮遊因縁霊は欲望に未練・執着が強いから憑依してくるわけですからそうは正体を現しません。甘糟先生の連載でお化けの見えるタクシー運転手の話がありましたが、もし私が怨霊や浮遊霊なら、野武士やお岩さんにはなりません。タクシー運転手になって、あることないこと喋ってお客を不必要に動揺させますね。霊力が強いと、そういう化作(けさ=悪霊による騙しのテクニック)に長けてくるのです。

  阿含宗や創価の会員に見せかけて内実は真如苑の霊だったりします。被害者は阿含や創価の霊に対してお祓いをするから、いつまでやっても一向に効かないわけです。宗教の霊能占いも同じです。回答者自身が教団霊に洗脳されて騙されていますから「あなたにはこれこれの霊が憑いています、本当です」といわれて数十万出して特別供養を申し込んでも「それは大丈夫です、ただ次が・・・」「供養に対するあなたの気持ちがなっていないのです」とかいわれ、どんどんお布施をとられます。従って宗教を脱会しても、厳密には潜在意識からこの怨霊や浮遊霊を除染しないと、入会中と同じような現象が日常でも継続することになるのです。「教団からお力を頂いて霊能力が開発された」というのも、これらと全く同じです。実際のリアルな状況よりも、本人の見たいもの・教団の見せたいものが見えてしまい、それらを真実で価値あるもの、と信じ込むわけですね。

  雨のそぼ降る今日夜間の買物帰りに、コートで頭上まですっぽり覆った細身の女の人がヨタヨタ・・・ギョッ、どう見ても首なし人間ですよね! もう本当にくだらないシンクロばかり
・・・・・・・・・
・・・・・・・・・
抜粋終わり

おなじく より

上記文抜粋
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洗脳似非宗教、阿含宗の欺瞞(織田隆弘「加持の力」より

  •  ・・・例えば、桐山密教・阿含宗というのがありますが、この人の著書を見ますと、いかにも摩訶不思議なことができるように書いてあります。しかしあれは偽者であって、そういう摩訶不思議なことができるものでもないし、本当のインチキです。私は桐山の本を見たとき、これはインチキだと思い、高野山真言宗内に警告を発して注意を喚起しました。その結果、高野山大学の教授で桐山が主宰する「月刊密教講座」の執筆陣に参加していた方々は、皆驚いてその執筆を中止してしまったわけです。彼の本を注意して読みますと、専門家ならそれがインチキである事、正統密教ではなく似非密教・疑似密教であることがすぐ解るのですが、一般の方、特に正統密教の何たるかをご存知でない方には、「桐山大僧正はどんなことでもできる、密教的大神秘主義(オカルト)だ、奇跡を行える聖者だ」と、すぐ過信・妄信してしまう。これは桐山独特の文章の魔術に引っかかってしまうからなんです。特に若い学生諸君に、引っかかる人が多いのは困りものです。
  •   桐山教団だけではありません。ただ金儲けのための事業としてやっている宗教が余りにも多い。この種の新興宗教教団は、宗教本来の目的である衆生済度に力を尽くすというよりも、いかにして信者を増やそうかと、入信者の尻を叩いたり、教団内の地位という餌を与えたり、脅かしたり賺したりいろいろ方策を巡らしています。しかし本当に人を救うためには、救う立場に立つものが本当に真心をこめて懺悔して、仏さまに触れ、仏と入我我入し、仏さまのありがたさが本当に実感でき、そこで初めて化他の行(他人さまを助けようとする事)ができるのです。言い換えるならば、まず自分が悟らなければ人は救えないという事です。創価学会の例を見ますと、一頃の布教の仕方は「他の宗教は皆邪教なんだから、神棚でも仏壇でも踏みつけ火を点けて焼き払え」と教えていました。こんな凄まじい事が平気でやれるほどに他の宗教は邪教だという事を信者の頭に叩き込む。それがあの教団の目標の一つであったのです。そういう乱暴なやり方で洗脳されて、悟りを得た人、苦悩から救われた人があったかというと、それはいない。(抜粋、一部改変)
  真言宗の僧侶、お坊さまと一口にいっても、教理教学に強い学者肌の碩学教授、祈祷に秀でる職人肌の修法師、または市民のよき相談相手となり、地域の心の支えとして慕われる好々爺の和尚さま等、その活動分野は様々です。学者・祈祷師・カウンセラーなど、僧侶の多様な活動を承認しているのが真言宗の懐の深さです。この四谷密門会の織田大僧正は修法家・事相家としての視点・良識から阿含宗・創価学会らは危険な教団だと判断、警告されたのでしょう。新興宗教の著作は既存の宗教学者・仏教研究家の著作が引用されて(盗用されて)いるのですが、盗用された当の学者先生方は「私の学説が新興宗教にも認められた!」と考えて教団の会報への執筆や集会での講演依頼などを引き受けてしまいます。そこで自説を採用してくれた教祖を「仏教教理に造詣が深く、仏教の現代興隆への貢献を称えます」とギャラも通常より高額なのでしょう、ついヨイショして持ち上げてしまいますから読者・聴衆の会員も、大学教授の肩書から教祖のパワーへの信憑性をますます強めてしまうのです。インチキ宗教と雖も、布教の源泉である教団出版物には、特に教団のメジャー化の過程においてはおバカで傲慢丸出しな事は書けません、注意して読めばその兆候は散見しているのですが。「あなたの陽の当たらない人生に光を当てる!」というさりげない浪花節、万人に潜む隠れた自尊心へのサービス提供が新興宗教の商品です。でも気持ちよさの代償は高く付き、その結果「高い授業料をとられた~w」の洒落だけでは済まない顛末も多々あるのが現状です。良識ある碩学や温情厚い善男善女が何故騙されるのでしょうか。
  • ・・・しかるに後世になって密教が絶対他力であることを忘れたのか、観想に打ち込んだけれどもその観想がなかなか成就しないので、いろいろな亜流密教が出てくるようになった。
  
  •   その一つにヨーガが密教の源だといって、ヨーガ術を密教より大切に考えて念力行者になってしまった人もある。もしそれで三昧現成して、所謂仏さまになった方があったとすればそれもよいでしょう。でもそういう人はいなかったのです。浄らかな境涯にも入らないのにお加持をするから、おかしな念力を使うようになってしまった。念力を使ってでもある程度の事はできます。これは今日の心理学の方でも証明されている事です。ですから私は念力では何もできないとは言いません。しかしそれはお大師さまの説かれた本当の密教ではないと信ずるのであります。つまり悟りと関係がない術なのです。桐山密教―これは素人でも訓練の仕方によっては超能力が付くかのように思わせぶりを書いて、さも自分もある修法(念力の護摩)をやったかの如く上手に書いて売り物にしている、とんでもないことです。蝋燭の火を龍の形にするとかお不動さまの形にする等、こういう現象をすべて否定する事はいけない。そういうちょっと不思議な働きをする自然霊がいるのです。でもそれは低級な自然霊の働きであって、人間の念力ではない。これらを仏さまや菩薩さま、正神の顕現と勘違いをしやすいのです。(同)
  まず私の卑見仮説では、悟りとは「人生の苦悶を軽減するためには、自我・霊魂に付随する特権意識(への期待)を否定・払拭して、自我を認めた生活をする事」と解釈します。当然より高度で深い境地は予想されますが、とりあえずはこれで四諦・八正道への手掛りはつかめると思うのです。従ってどんなに修行しても「仏」や「法華」等の概念を「我執」や「特権」の代名詞として用いる限り、仏教としては無意味であり、かえって害悪だという事になります。読者の方々のお考えは如何でしょうか。

  さて以上の考えから「我執に依存した念力」の行使は真理(自然法則)に逆らって不幸・自滅するという考えが生まれてきます。阿含宗・創価学会等の新興宗教の特徴は「この教団は他とは異なる特別な教団であり、それを主宰する教祖は因果応報の制約を受けない特別な人間で、教祖に連なる会員は特別な人間なのだ、各自の超能力・霊能力の強さによって教団の功徳が示されるから、能力強化には教団に無償奉仕し、お布施を供養し、教団内で出世して位階をもらうことだ、そのためには自分のダウン(後続会員)を勧誘するのだ、そいつの功徳を上に吸い上げるのだから」というものです。こうして新興宗教会員は仏法と正反対の我執を悪戯に強化して行くのです。現代の自由主義社会ではその態度がうまく行くケースもあるでしょう。しかし大概の場合上手く行くのは短期間だけで、後はその短い成功の反動(リバウンド)としての人心の乖離、社会的信用の失墜による借金・窮乏、怨霊・魔霊を願望実現に利用した代償としての治療不能の難病発症や頓死・・・等の悲惨な末路が待っています。四谷密門会は長年桐山密教の欺瞞と虚偽性、危険性を指摘して現在はその啓蒙活動の役割は一通り果たし終えたと自認しています。しかし一方で窮した阿含宗は戦没者慰霊を盾に落ち目の自民党にすり寄り新自由主義を礼賛、桐山密教を糾弾していた週刊新潮もアンチ創価の立場から阿含の星まつりの提灯記事を毎年掲載するような体たらくです。桐山さんは「密教占星術Ⅰ」で「立正佼成会・庭野教祖の『仏法を交通法規のように遵守せよ』との立場には賛同できない、私は創価学会・池田大作の『因縁によって悪を行わざるを得ない人間』という立場に共感する」という旨の文章を著しています。交通ルールを守るのは誰だって窮屈に感じます。不要の場所も正直あるでしょう。しかし大混雑する都会の交差点や高速道路で大勢が「感情の起伏でやむにやまれず」交通法規無視の運転を始めたらどうなりますか?「生き残った奴は勝者、死んだ奴はアホな敗者」で済ませる気なのでしょうか、まさに我執に耽溺した浅薄皮相な考えといわざるを得ません。

  阿含経の講義でも二言目にはすぐ「私は最終解脱した特別な聖者だから解っている、だけど君たちには解らない」と我執丸出しで有耶無耶にお茶を濁します。釈迦は一人称を「この特別な俺様が」ではなく「我々は」と法を説いたのです。そこまで我執に対する意識が消滅しているのです。だから我執に伴う苦悶も無い。これは我慢・辛抱とは違う次元です。阿含宗で成績がいい人は、実際桐山さんを含めて他所の宗教で修行して来た人間ばかりです。阿含宗しか知らない生え抜きの会員は行き場も居場所も失くし、呆然と佇んでいるのが現状です。阿含の星まつり、UHFで全国に中継されると思いますが、そのテレビ中継ですらなるべく見ないことをお勧めします。キャンプファイヤーの周囲に目には見えない無数の怨霊群がたかり、心的波長の加減によっては参拝者・視聴者にその怨霊が“通り魔的に”憑依してしまう可能性があるからです。「心霊写真を見てたら不幸になった~」ケースと同じです。阿含の星まつりに10年以上通い続け、「何もいいことなかったよ、最近はますます貧乏になった」と涙している人が沢山いるのです。しかも驚くべき事にその当人は周囲からの強引な説得の結果、また関東から京都へ旅費をかけて出て行き、キャンプファイヤーを絶望的な思いで見つめているのです。・・・これはご本人にも問題があると思いますが、そのような人たちの集団・集合だということです。上記から共通するのは尤もらしい表層的な教義・広告に惑わされ、霊的な汚染・欺瞞性に洗脳され無頓着であるという事です。

  以前ご高齢の大峰山の先達行者の先生に電話で相談をした事がありました。その行者先生は電話口でいきなり私の長年に及ぶ問題の原因とその解決法(方災・方位除けをするということ)をズバリ答えたのです。私は内心そうではないかと薄々は感じていましたが、その確証も得られませんでした。行者先生の気さくですが経験と知識に満ちた話は延々30分程度続き、修験道の話、修行の話になり、「いまは修行ブームで夏場は大忙し、学校や職場でキレてしまう心の弱い人が大峰修行で沢山よくなっているよ」というのです。そこで阿含宗の名前が出ました。私が知っていると答えると、「阿含宗?あれは修験道を取り入れたいい宗教だよ、うちにも阿含宗の会員さんが来ているよ、皆熱心でいい人だよ」と言うのです。私は内心「こんな本場のベテラン専門家も認める本格的な教団なのかな」と思いました。しかし話が相談申込書の送付に及ぶと、言葉の行き違いがあったのか、何か誤解をされたのか、いきなり「俺を年寄りだと思ってバカにするな!」と物凄い早さ・剣幕で愚痴を言い(聞き取り不明)、慌てるこちらの謝罪も聞かずに一方的に電話を切ってしまわれたのです。私は行者先生の霊視力や親身な人間性に感嘆していたので、非常に唐突な印象を受け呆然としました。そこで私は「教義や組織はともかく、阿含宗の霊的な側面を肯定してはいけない、たとえ本場のベテラン行者であっても」と肝に銘じたものです。大峰修験のまともな神仏が阿含宗の姦詐・欺瞞の霊質を察知して嫌っているのでは?とも考えたものです。

  現在教団は戦没者慰霊によって靖国神社へ黒塗りの車で参拝する新たな会員層を開拓しているようです。阿含の星まつりに参加する予定の皆さん、それでもよろしかったら是非どうぞ。ちなみに私は川崎大師の星供養で早くも幸運が舞い込んでいます。お釈迦さまや弘法大師も「お布施が少ないから説法しない!祈祷もしない!」と癇癪を起こして不貞腐れたでしょうか?愛人問題で訴訟沙汰を起こし、美食と謀略のやり過ぎで脳梗塞・脳腫瘍(!!)を発症し、それでもなお反省の色無く、評判・勲章・利権等、俗世に執着し続ける姿が大聖者にふさわしいものでしょうか?そこにはお釈迦さまや弘法大師が人生を懸けて示した「人徳」の二文字は見る影もありません。
中山忠光、大日本皇道立教会を調べてみて下さい。阿含宗が創価学会や国家主義と因縁浅からぬ関係である事が解る筈です。
照真秘流や新興宗教たる真言宗金剛院派からして眉唾ものでしょう。創立当初から宗教法人の優遇税制を目当てにしたインチキ・イカサマ商売です。
似非霊能によるマッチ・ポンプ(放火と消火の自作自演)現象に目を眩ませられてはなりません。一見尤もらしい営業活動の端々にどこか非常識な違和感、胡散臭い自己矛盾が蔓延しています。山科警察署、京都税務署は手をこまねいている場合ではありません。霊的被害の他に、明白な違法行為や訴訟沙汰も数多く引き起こしている今後要注意の宗教団体です。南無大師遍照金剛
・・・・・・・・
・・・・・・・・
抜粋終わり


>中山忠光、大日本皇道立教会を調べてみて下さい。阿含宗が創価学会や国家主義と因縁浅からぬ関係である事が解る筈です。
照真秘流や新興宗教たる真言宗金剛院派からして眉唾ものでしょう。創立当初から宗教法人の優遇税制を目当てにしたインチキ・イカサマ商売です。
似非霊能によるマッチ・ポンプ(放火と消火の自作自演)現象に目を眩ませられてはなりません。

これはある意味「創価学会も、国家主義と仲がいい」という証拠。

まあともわれ、参考に。


お読みくださりありがとうございます。

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高プロは、ブーメンランか。

幻の桜 より

上記文抜粋
・・・・・・・・・

ちなみに
これらの情報はこはるちゃんが教えてくれたのだと想います


そしてその事を教えてもらった時 



エネルギーがつながってる時

痕跡に 必ずあらわれる 」

ということばを想いだしました


・・・・中略・・・・

この数年 
ねこたちは次々死に
いるかちゃんまで行方不明になってしまった



ひどすぎる


結局
ねこたちにごはんあげをしても
いいことなんて何もなかったのでは


本心ではないのですが
そんな感情が飛ばされてきて
そんな疑問を発しました




すると
木さんの声が聞こえました


とてもくっきりはっきり
でも木さんは
ちょっと言いにくそうにしながら
こう言いました




いいことがないわけではなかった

命は かろうじて守られた 」


命が守られた?

私はキョトンとしました


ねこたちは次々死んでいます

なのに一体 
命が守られたって?



でも
木さんはこう言いました


「 
おまえたちの命が守られた

おまえたちは
ねこたちに命を救われた 

面倒を見る者の命を
面倒を見られてる者が守る
これは自然にごく当然に起こる緩衝  」


そういう事を言われました 


そして
こんなイメージを
見せてもらいました




世界の表の座の権力者たちは

数百人以上の恨みや取り返しの想いを
時には
数千人 数百万人以上の恨みや厄を 
無関係な者達に祓ってくる


人々を傷つけ搾取してる人たちが 
言いがかりのような誘導で
純粋な想念に錯覚させ
搾取されてる人たちに祓っていた


祓うたびに
搾取してる人たちにはやさしい雰囲気が付き
搾取されてる人たちには くすんだ気が
悪人のような雰囲気がついていた 




特に
この数年は激しかった


多くの人たちと同じように 
お前たちにも
死の呪 取り返しの呪いが
すさまじい勢いで祓われていた




もし
おまえたちが
ねこたちの面倒を見てなければ



都会で飼い殺しにされていたか
もう命を奪われていた



おまえたちが
ねこたちの面倒を見続けたことで

お前たちはある程度 
自由に活動ができた


例え
経済的に不自由な想いをしても
その事で 
かろうじて生き続けることができた



それだけ
この数年の
序列の上位から下位に属する者たちへの攻撃はすさまじいもの 」





お前たちは気づかなかったかもしれぬ


もう集合体同士の戦いになっていったのだ


世界側の集団
序列に帰依する者たちの集団と

自然側の集団

二つの集合体は
想念の領域で
もう戦いあっている

 」(木さんのことば)


・・・・・・中略・・・・・・・


くまちゃんが
「 ぼくは離婚しない するならそっちで勝手にして 」と言われると
それ以上先には 行動を進ませることができないようでした





もしあの離婚しろの想いが何かの呪だったとしたら


そして
もし
それがうまこちゃん
いるかちゃんたちに刺さってしまった結果


二人が離れ離れになる緩衝が起こったとしたら


その事を木さんに聞いて 
すごくやるせなくて 呆然としました





そして
同時に
憤りも感じました




木さんは
ねこたちが私たちの命を庇ってくれた事が
いいことと言ってくれた




でも
お祓いしてた権力者の人たちは
なぜ悪いことが起きないの?




今も座について
派遣社員や
外国人実習生のような弱い立場の人を増やし続け 
搾取を続け
富を独占しながら
舞い上がっている



もし彼らが
このようなお祓いをさせてるのなら
なんで彼らには 悪いことが起きないの?



彼らはどうして守られてるの?


そう想ったら
木さんは こう教えてくれました



守ってくれた猫たちの気
動物たちの気 
植物の気 
その気が序列に運ばれている 



序列の上位に
その気が運ばれると
無意識的に 序列をくずす動きをさせられる 


自然には 序列はない



動植物の守りある者を攻撃すると
その気が運ばれ 
世界は朽ち滅ぶ


ゆえに
昔の権力者層は
動植物の守りあるものを決して攻撃させなかった

そこに厄を飛ばさなかった 

気を交えたくなかったから  」





本当にかばってくれる存在が誰もいなくなった時
権力者層は消えていく 

たとえ
目下に社員がたくさんいたとしても
部下がたくさんいたとしても



本心から 
その存在を守る 
庇うという想いがない限り 
守りのエネルギーは発生しない




彼らはその時
抱えていた者たちが 
自分の守りに足りえなかったことに気づくだろう


支配層が今 抱えているのは 
序列に帰依してるだけもの



そして
序列に帰依するだけのものは
守りにはならない


彼らには
権力者を気分をよくはさせれても
守ることはできぬのだ




それに気づいた時
序列の意味のなさを
はじめて気づくだろう

そして 
序列と共に消え去ってゆくだろう
」(木さんのことば)



・・・・・・・・
・・・・・・・・・・
抜粋終わり


高プロ法案だが・・・

愛社精神が壊れ、ドンドン内部告発が出てくる。

日本国内でなく、海外・中・露・アメリカ・英国・フランスとエトセトラ・・・

ドンドン内部の日本巨大企業の醜い不正が世界に流出していく・・・。



お読みくださりありがとうございます。

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仮説。

京の風 より

上記文抜粋
・・・・・・・・・



・・・・・・・
・・・・・・・・
抜粋終わり



なぜ、劉邦が、漢帝国の創始者になったのか。

あるいは、何故は長く続き、中華圏の統一の原型になったのか。


確かに、は、統一し、素晴らしい制度も作った。

でもそれは秦以外の地方の人にとれば、「秦のローカルルールの押し付け」にしか感じなかったのではないのか。

始皇帝死後、秦は崩壊する。それは秦帝国は始皇帝の個人商店で、秦帝国は「秦王国」の出張所でしかなかったってことだと思う。

で、その後、楚漢の戦いがある。

なぜ、劉邦に多くの人が付いたか?また楚の項羽だと、の名門で、そのルールの押し付けを恐れた・敬遠した。ってのも大きいように思う。

劉邦は?・楚のあたりの沛の人間。でも庶民で、あり、戦国時代の王族でも名門でもない。

ある程度、フリーに次代を構想できる可能性が大きいからだ。

で、それを実現させたのが漢だった。秦以外の地方でも納得いく政治なり思想で運営された。


それは、他者から見ても、「魏{楚なり魯} の劉邦」でなく、「漢の劉邦」だから成功したのではないのか。



お読みくださりありがとうございます。

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悪魔のささやき。

幻の桜 より

上記文抜粋
・・・・・・・・


元々結界とは
だれかの想いと誰かの想いを入れ替えることで
作られたと



誰かが望んで これになりたいと想った想いと
別な誰かが望んだ これになりたいと想った想いを

その想いにやってくる現象を
気づかないうちに交換させることで
作られたのが 結界でした


例えば華やかな場所で有名になって暮らしたい人がいたとします

そして
もう一方では地味な場所だけど
愛される仲間たちに囲まれて ずっと楽しく暮らしたいひとがいたとします

その両者の現実をいれかえると
有名になりたい人が 地味な場所で 好きでもない人たちに囲まれて暮らすようになり

仲間たちに囲まれて暮らしたい人が 華やかな場所だけど
孤独に暮らすようになるかもしれません


両者の想いを踏みにじったのが 結界です

みんなの想いを踏みにじっていくのが結界で
その中で 喜ぶ存在は 誰かの想いを踏みにじることで喜びを感じる
妬みにとりつかれた者たちです


妬みにとりつかれた者たちによって
このような誘導も 流布されました



自分がして欲しいとおもうことを
他の人にもするのがよいのよ 」


これは一見
やさしいささやきのようにも見えます


でもよくよく考えると
おかしいことに気づきます


自分がしてほしいことは
自分がそうなりたいから そう想う

だったら他人よりも
まず 自分にそれをしなければならない



なのに他人にそれをしてしまえば
自分のなりたいエネルギーを
自分がしてほしいエネルギーを 他人に渡してしまうことになる


結果
自分が生きたかった人生を 他人が生きるようになる
他人が生きたかった生涯を 自分が過ごすようになるという現象が起こってきます 


でも
みんななりたいものは違います

たとえ同じ目標を目指してるように見えても
目指すもの なりたいものは その存在によって必ず微差があり 
ひとりひとりが違います 



それなのに
相手のしたかったことが
自分にやってきたら

自分のしたかったことが
他の誰かにやってきたら

それで想いは踏みにじられてしまう


自分がなりたかった自分とは違う人生を送らされている

このような緩衝が
現在 社会のあちこち
全世界で巻き起こっています


そしてこのような緩衝は
元々 王の女たちと呼ばれる女性たちの誘導で
発っされてきました




王の女たちは
自分のいう事を聞いてくれそうな男性を見つけると



その男性に トップになって欲しい
王様に乗って欲しい
支配層になってほしい


その事で自分が王の母 王の妻 王を作った女になりたい
と想って
しゃにむに現実をのせさせる女性たちです 


例えその男性が王様になりたくないと想っても
というか
彼女らのいう事を聞いてくれる男性には
まず王様になりたいという意志を持ってる人はいないのですが


その男性の想いを見ようともせず

○○君の為には ○○君の為にはこれがいいはず
絶対にトップになってもらわないと
と想って
しゃにむに現実をのせていきます


それが彼が望んだ人生とは違う人生でも
王様を作るためには 
こっちの方がいいはずだ 
と彼の望みも踏みにじります



そして
王を作るためには
彼の想いだけではなく
みんなの想いも踏みにじる必要があります


なぜなら王を作るには
本当に中心になりたい と想った人もいて
その人を含め たくさんの人と現実を入れ替えないといけないから


そして
現実を入れ替える為には

みんなが望んでるものを入れ替える社会や
磁場を作らないとできないから


その為
みんなの望んだ現実を入れ替えるような
世界が作り出され それが維持されてきました





好みの人に王様になって欲しい

その想いで
みんなが王様を作る犠牲にされたのが
これまでの世界の歴史です



私は王の女達が大嫌いです
自分が王になりたいのならともかく

教育ママのように
望んでいない人を無理矢理王様にさせる人たちは

しかもその為に
みんなのなりたいものを入れ替えさせ
犠牲にさせてきた王の女達は不要な存在とおもっています



そして
昔 私はよくこうおもっていました


みんながよくなりますように

神社やお寺 パワースポットに行くと
よくそのおねがいを発していました


でも最近気づきました

よくなるとは
誰にとってのよくなるということなんだろう?



善悪を決めているのは
支配層であり
社会のトップです


だから
みんながよくなるというのは
みんなが支配層にとって 王の女たちにとってよくなることを意味してるのではないか

そのような意味にとらわれて
そこにエネルギーや運が運ばれてしまうのではないかと
感じはじめてきました




だから
私は 最近 こう想いはじめています

みんなが なりたいものになれますように
みんなが そのおのおのが なりたいものになれますように


みんなが そのおのおのが望んだものになること
それが王の女たちの世界を壊すことだと 
想っています


・・・・・中略・・・・

そして
こはのみならず
みんな なりたいものになれれば
自分もなりたいものになれます


自分がなりたいものになることが
みんながなりたいものになること


こはのなりたいものになることが
自分のなりたいものになれることを感じています



・・・・・・・・・
・・・・・・・
抜粋終わり

>そしてこのような緩衝は
元々 王の女たちと呼ばれる女性たちの誘導で
発っされてきました

>王の女たちは
自分のいう事を聞いてくれそうな男性を見つけると

>その男性に トップになって欲しい
王様に乗って欲しい
支配層になってほしい

>その事で自分が王の母 王の妻 王を作った女になりたい
と想って
しゃにむに現実をのせさせる女性たちです 

>例えその男性が王様になりたくないと想っても
というか
彼女らのいう事を聞いてくれる男性には
まず王様になりたいという意志を持ってる人はいないのですが

>その男性の想いを見ようともせず

>○○君の為には ○○君の為にはこれがいいはず
絶対にトップになってもらわないと
と想って
しゃにむに現実をのせていきます

>それが彼が望んだ人生とは違う人生でも
王様を作るためには 
こっちの方がいいはずだ 
と彼の望みも踏みにじります

>そして
王を作るためには
彼の想いだけではなく
みんなの想いも踏みにじる必要があります


確か、新井さんが、天才天界さんの動画を見て「最大の秘密結社はマザーだ」と書いていた。

ちょど、同じように思うことがでてきたように思う。

>私は王の女達が大嫌いです
自分が王になりたいのならともかく

>教育ママのように
望んでいない人を無理矢理王様にさせる人たちは

>しかもその為に
みんなのなりたいものを入れ替えさせ
犠牲にさせてきた王の女達は不要な存在とおもっています


同感。

学校教育ってのは、残念ながら、この「王の女」=糞ばばと同じことを、集団で善意行っている倒錯の悪夢なのですは・・・


>「自分がして欲しいとおもうことを
他の人にもするのがよいのよ 」

>これは一見
やさしいささやきのようにも見えます

>でもよくよく考えると
おかしいことに気づきます

>自分がしてほしいことは
自分がそうなりたいから そう想う

>だったら他人よりも
まず 自分にそれをしなければならない

同感。

ていうか、「自分がしてほしいこと」と「他の人がしてほしいこと・必要な事」は、違う。

のに、それを押し付ける。善意でも悪行で暴虐ある。

これをいうのは、耶蘇教だ。特にカソリックとか新教。

実は耶蘇は「マザー=鬼婆」のフロントなり、「マザー=鬼ババ」の元締めかもしれない。


>みんなが そのおのおのが望んだものになること
それが王の女たちの世界を壊すことだと 
想っています

女性への搾取が「王の女」を生んだ。と言い得るのかもしれないが、そもそもドルイド教とか古い宗教は「女性」が強い。
ので、それは一部しか当てはまらない。

「母性」のもつ、負の面であり、それを誤魔化すために「糞じじい」があるように思える。

ちょうど「国際秘密力の両建て構造」と同様に。

とはこれは、一面の事実であってすべてではない。が確実に存在する要素・原因でもあります。


お読みくださりありがとうございます。

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褒められるとうれしくなる。劉秀をほめまくっている?

京の風 より

上記文抜粋
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【新井信介の『天下御免の「日本論」』:日本という国家の特徴(その③)】(収録時間:9分30秒)

【新井信介の『天下御免の「日本論」』】の<シリーズ第2弾>の「その③」(第3回目)の今回は「文化的なシンボルから権力の核心へ!!」について、です。
(収録時間:9分30秒)



・・・・・・・
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抜粋終わり

新井さんが、劉秀さんを褒めまくっているので、載せます。

まあ、好きなモノが褒められると、うれしいものです。

お読みくださりありがとうございます。

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