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半分やけくそです。日本の指導層がここまで阿呆で無慈悲とは。あとは滅亡だけです。 生き延びるが、我々庶民の勝利で、暴露こそが、唯一の最大の攻撃です。

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イギリスのEU離脱の件。

あとどうでしょうね。

雷火豊 3爻


参考 1

上記文抜粋
・・・・・・


三爻 爻辞 豊其沛。日中見沫。折其右肱。无咎。
(そのはいをおおいにす。にっちゅうまいをみる。そのゆうこうをおる。とがなし。)
対処法 「沛」は天幕。「沫」は星くず。「右肱」は右ひじのこと。「天幕を更に大きくかけた。暗黒の中、まるで日中に星くずを見るようだ。右 ひじを折って不便であるが、問題はない」。実力が発揮できなかったり、右腕と信じていた者に裏切られたりする危険性のある時ですが、相手は小物で問題あり ません。しかし、安全第一に考える時です。
◎あなたの考え方、進み方に問題点があります。よく反省し、改めましょう。


・・・・・・
・・・・・・
抜粋終わり



参考 2

上記文抜粋
・・・・・・

豊とは、大、盛大、という意。

この卦は離を明とし、震を動とすれば、明らかにして動く様子である。
明らかでないときは通暁するところなく、動かざるときには何事も為し得ない。
とすれば、逆にこの卦のように、明らかにして動くときには、その事は盛んにして大なるに至るはずである。
だから豊と名付けられた。
また、震を雷とし、離を電(雷光=稲妻)とすれば、雷電相合うときには、その勢いが最も盛大なときである。
だから豊と名付けられた。
また、離を太陽とし、震を動くとすれば、太陽が動きながら天下を照らし臨み、その光明盛大な様子である。
だから豊と名付けられた。
また、離を明とし智とし、震を威とし勇とすれば、智勇兼ね備わっている様子である。
智勇兼ね備わっていれば、その威明は盛んに大なるものである。
だから豊と名付けられた。

卦辞
豊亨、王*假之、勿憂、宜日中、

豊は亨(とお)る、王(おう)之(これ)に*假(いた)る、憂(うれ)うる勿(なか)れ、日中(にっちゅう)に宜(よろ)し、

*假の字は、沢地萃と同様に、通本では仮の正字体の假としているが、中州はイ(ニンベン)では誤りであって正しくは彳(ギョウニンベン)だと指摘している。
しかし、JISにもユニコードにもその字はないので、*假で代用しておく。

豊は勢いが盛んで大なることだが、そうであれば何事も亨通するものである。
だから、豊は亨る、という。
また、明らかにして動くときには、事に臨んで疑い惑い優柔不断になることはなく、そうであるのなら、何事も遂げられないことはない。
だから、亨る、という。

次の文節の王とは、一般的に言う王者のことであり、至尊の称号にして、絶大な勢力を保ち、巨万の富とともに君臨している者である。
この卦は、このように隆盛を誇っているときであり、とすれば王は、このときすでに豊に至っていることになる。
だから、王、之に*假る、という。
この場合の之は、豊の時を指す。
しかし、天地陰陽の法則では、永遠長久に豊大であることはない。
豊盛も極まれば、次には必ず衰える。
とすれば、その衰えるときが来ることを、予め憂い、あれこれ画策しようと慮りたくもなるが、徒に憂いても、それでどうにかなるわけではない。
豊盛を保ちたいのであれば、そんなふうに憂いて右往左往するよりも、まずは日月が下土を照臨するように、施策に偏りがないのが、重要である。
もし、依怙贔屓などがあるときには、凶衰の道が忽ちに至るものである。
これは、王者の最も慎み深く戒めることである。
日中すれば則ち日は傾き、月満ちれば則ち欠ける。
王者の盛衰もまたこの如くである。
なんとかその中を保持するよう心がけないといけない。
だから、憂うる勿れ、日中に宜し、という。
なお、日中というのは、遍く照らして依怙贔屓ないことと、盈虚消息を警戒することの、両方の意を兼ねている。



・・・・・中略・・・・

九三、豊其沛、日中見沫、折其右肱、无咎、

九三(きゅうさん)、其(そ)の沛(とばり)を豊(おお)いにす、日中(にっちゅう)に沫(ばい)を見(み)る、其(そ)の右肱(うこう)を折(たお)る、咎(とが)无(な)し、

沛とは、幕の類にして、その覆い暗ますことが蔀よりもさらに深いことの喩えである。
沫とは、北斗星などとは違う名も無い小さく弱々しく光る星のことである。
暗まされることが愈々甚だしく、日中に小さく弱々しく光る星さへも見える、ということである。
そもそも九三は離明の卦の一体に在って、上は上六の爻に害応されている。
その害応するところの上六は、覆い暗ますところの主にして、人を暗ますことは六五よりも甚だしい。
だから、其の沛を豊いにす、日中に沫を見る、という。

右肱とは、右の腕を指す。
右は利き手にして、有用の股肱の臣という義である。
ただし、この九三の爻は、上六の応位なので、上六の股肱の忠臣である。
としても、上六は昏暗残忍の主なので、自己の悪を助けて諂い媚びる者でないと、却ってこれを不忠、不良と思う。
そこで、真面目な忠臣である股肱の輔弼の九三を害応して、毀折(きせつ)する。
これは愚昧の至り、昏暗の極たる者である。
だから、其の右肱を折る、という。
しかし、害されたとしても、それは九三に落ち度があるわけではない。
だから、咎无し、という。


・・・・・・
・・・・・・
抜粋終わり


自損事故?かわからんが、結構「痛い」ようだが、誰が・・・て思う。




タロットでは、

ヘキサグラム法で

1 過去 4正 {皇帝 正}参考

2 現在 19逆 {太陽 逆}参考

3 未来 15逆 {悪魔 逆}参考

4 対策 14正 {節制 正}参考

5 周囲の情況 12正 {つられた男 正}参考

6 当事者の内心 2逆 {女教皇 逆}参考

7 結論 7正 {戦車 正}参考


戦争もあるかも・・・

あるいは、そのままEUが分裂するかも・・・


自然の流れに任せた方がいい・・・。




ヒスもあったというのが、タロットの見立て・・・

15逆だから、なにか一気に「厄落とし」のようなことがあるのか


ともわれ、これにて。


お読みくださりありがとうございます。

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5月6日のソチの日ロ首脳会談について易とタロットに聞いてみました。


易 地火明夷 の不変爻

参考

参考



上記文抜粋
・・・・・・・・

明夷、利艱貞、

明夷は、艱(くるし)んで貞(ただ)しきに利(よ)ろし、

この卦は、君子は小人に傷(やぶ)られ、賢臣は暗君に傷られるときである。
こんなときに君子たる者は、先ず第一に、艱難(こんなん)であることを覚悟し、自らはどんなに艱難しても、貞正であるよう心がけるべきである。
例えば、殷(いん)末の紂(ちゅう)王の非道に、周(しゅう)の文王や、箕子(きし)の取った方策のように。

周の文王は、六十四卦の卦辞を作った人物である。
殷を将軍家とすれば、言わば周は外様大名である。

紂王は民衆を酷使し、自らは酒池肉林の乱痴気騒ぎを楽しみ、それを諫める者は片っ端から征伐していたので、誰も咎めることはできなかった。
君子として立派な人間になるよう心がけていた文王としては、こんな世の中は辛い。
しかし、外様だから、紂王を諫めようとすれば、他の人々と同様に、即刻征伐されるのはわかりきっている。
そこで、今は明夷暗主の時と覚悟し、耐え難きを耐え、忍び難きを忍び、内には文明貞正の徳を修めていても、敢えてその素振りを外に見せず、君子たる善政は自分の領地内だけにし、紂王に対しては柔順の臣節尽くした。
それでも不審を抱かれ幽閉もされたが、そのときも文句は言わず、ひたすら時運の艱難に安んじていた。
その文王の態度は、次第に民衆を動かしていった。
やがて文王が没して子の武王の時代になる頃には、多くの人々の願いは周に託され、その武王の元に人々が蜂起し、殷は滅亡し、周の時代になったのである。

一方の箕子は、殷の宗室であり、紂王の叔父である。
要するに親族内戚なのだが、君子たる人間を目指していたので、その非道を不愉快に思っていた。
しかし諫めれば殺されるし、従えば自らも非道の片棒を担がなければいけない。
そこで、殺されず、しかも非道に加担しない方法はないかと思案した。
思いついたのは、気が触れたように装うことだった。
すると紂王は、気が触れたと信じ、それ以上、箕子に何も命令しなくなり、殺されることもなかった。

外様大名と親族内戚では、手段はことなるが、とにかく二人共、このように明夷の時局を艱難して貞正を守り通したのであって、そういう思いが、艱しんで貞に利ろし、という言葉となったのである。



・・・・・・・
・・・・・・・・
抜粋終わり

ロシアは戦略的に、日本は阿呆さゆえに、この会談の成果を話さない。と見える。


タロットで、大アルカナだけをつかってみました。

1・過去 7{戦車} の正 参考 

2・現在 10{運命の輪} の正 参考  

3・未来 18{月}の逆  


ふと思い出したのが、故シュワルナゼ元グルジア大統領が
「レイキャビック米ソ首脳会談は、実は大成功だった。あれから、米ソの話し合いが恒例のモノになり冷戦終結へつながった」と回想している。
たしか、あの時マスコミは比較的冷淡な反応だったが・・・。

それと同じようなモノも感じる・・・。


以前易に聴いて得た卦で「沢水困」で、「言っても信じられない」ってこと・・・。


日本マジヤバイ!特に保育園問題は、ホに次ぐ大問題・・・。


言ってもダメだから、言わない・・・日本側は阿呆さで、ロシア側は戦略的見地で・・・

上記文抜粋
・・・・・・・・

棟とは、屋根を支える大事な木なので、材木の中でも、その材質が傑出大過なものを選んで使うものである。
しかしその棟も、多くの木材を載せ負うと、材力の分に大いに過ぎ、橈んでしまう。
これは、人事に於いても同様である。
人それぞれ能力には限度があり、その人の能力を大いに過ぎる仕事を任されれば、棟が橈んでしまうように、その任に堪えられず、失敗を招いてしまう。
だから、大過なれば棟橈めり、という。

そもそも天運には窮通があり、時勢にも過不及がある。
君子ならば、それを弁え知る必要がある。
今、大過のときに当たって、その任に居り、その職を掌ろうとする者は、必ず大いに過ぎる非常な大材力大手段がないときは、その事を遂げるのは難しい。
しかし、その大いに過ぎる大材力大手段があれば、しかる後には、物事を成すことは可能である。
だから、往く攸有るに利ろし、という。
そして、しかる後に事物は遂げ成るから、亨る、という。

・・・・・・・
・・・・・・・・・・
抜粋終わり

日本会議阿呆倶楽部とアビ首相の「アホウ政権」には「大きすぎること」で「棟がたわむ」ような話ですけど・・・

結果的に阿呆すぎて「言わない・黙っている」のは、18{月}の逆の「不安が晴れていく」ように行くかもしれない・・・


でも過剰な仕事でへたばるかも・・・・


て異端・外道な見立てのやり方での判断です。


お読みくださりありがとうございます。

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熊本大震災。

あのあと、「熊本・九州中部大震災の後の日本は・・・」

と易に聞きました。




地沢臨 の不変爻


http://www.keisho.server-shared.com/64/k19.html

上記文抜粋
・・・・・・・
卦  辞
臨。元亨利貞。至于八月有凶。
(りんはおおいにとおるていによろし。はちがつにいたりて、きょうあり。)

運  勢
「臨」は臨機応変の臨、臨むということ。「地沢臨の時、大いに通じる。貞正であれば良い。八月に至ると凶あり。」勝海舟が幕末に希望 に燃えて太平洋を横断した時の舟名「咸臨丸」はこの卦からとられたものです。
旧12月は現在の1月で、陽が長じ始めた「地沢臨」に当たり、また、旧8月は 現在の9月で、陽が衰え始めた「20風地観」に当たります。
地沢臨の今は春爛漫の時、希望に燃えて進みましょう。新規の計画も良し、会社の中では地位の昇 進や昇給もあるでしょう。しかし、いずれは満開の花も散ることを心して進むべきです。


・・・・・・・
・・・・・・・・
抜粋終わり

http://uqmk.blog106.fc2.com/blog-category-24.html

上記文抜粋
・・・・・・・・・・・
卦辞
臨、元亨、利貞、至于八月、有凶、
臨(りん)は、元(おお)いに亨(とお)る、貞(ただ)しきに利(よ)ろし、八月(はちがつ)に至(いた)りて凶(きょう)有(あ)らん、

およそ事業というものは、その願い臨むことの情が正しく、志も堅く、行いも篤いときには、その事業は必ず遂げられるものである。

だから、臨は元いに亨る、という。

しかし邪な情に流され、自己中心的になり、自分だけの利益を考えるようでは、臨みは儚く消えてしまうもの。
だから、貞しきに利ろし、という。

八月とは、十二消長で風地観に当たる月である。
十二消長では、地沢臨は旧暦十二月の卦であり、正月は地天泰、二月は雷天大壮、三月は沢天夬、四月は乾為天、五月は天風姤、六月は天山遯、七月は天地否、八月は風地観、九月は山地剥、十月は坤為地、十一月は地雷復である。

八月の風地観は、地沢臨の顚倒卦(上下逆さにした卦)であるとともに、雷天大壮の裏卦であるので、これを大衰の卦ともいう。
地沢臨は二陽下に長じる卦であり、風地観は二陽上に衰える卦である。

したがって、今は地沢臨で陽が長じて吉であっても、陰陽消長は天地の定理にして、いつかは陽が衰え、陰が長じて風地観となるときも来るのであって、そうなったら凶となることも有るから、やるべきことは早くやってしまわないといけないのである。

だから、八月に至れば凶有らん、という。


・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・
抜粋終わり



大いなる衰退もあるかも・・・

ていうか不変爻だったから、「8月に至りて凶」が気になる。


福田さんが「5月4日の長崎の大地震に注意。人工地震も可能性大」という説。

大愚先生も「5日・6日に人工地震あるかも。安倍氏の訪ロを止めるための大地震もある。


飯山先生は、この説を口を極めてののしっているが、私も「プレートを動かす地震までは・・」
とは思うが、それを誘発させるための「人工地震」を目論むことはあるだろうし。
そもそも慶長三大地震が、三連発で起きたことを考えると、人口でなくても天然で大地震もあり得る。
のだけど、それはどうなのか?って思いますけど・・・

それに備えるのは、普通に健全に思える。


のに、それを否定するのは、少しおかしいよね・・・。


ともわれ、この易の「つぶやき」も考慮してね。



お読みくださりありがとうございます。



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再度「これからの「日本人」は・・・」と易に聴きました。

風雷益 の不変爻


http://uqmk.blog106.fc2.com/blog-category-47.html 

上記文抜粋
・・・・・・・・・
八卦のshinrai-n.gif震(しん)の上に、sonfuu-n.gif巽(そん)を重ねた形。

益は、益す、増加する、といった意。

交代生卦法によれば、もとは天地否より来たものとする。
天地否の九四が来たって初に居り、初六が往きて四に居るのが、この風雷益である。
これは上を損(へら)して下を益す様子である。
だから益と名付けられた。

しかし、山沢損同様に、これも全体から観れば剛柔の交代のみであって、損益はない。
それなのに、ことさら益という。
それは、国家経済を以って喩えれば、上君主の驕りを減らして、下万民を賑わし恵むときは、その国は大いに富むものである。
また、内卦を自分、外卦を相手とすれば、外を減らして内に益し、相手を減らして自分に益す様子である。
また、草木を以って言えば、上の枝葉を透かし減らし、その枝葉を肥料として下の根元に撒くときは、その草木は大きく育つものである。
また、家屋をもって言えば、上の棟木を減らして下の柱を益すときには、その建物は強固にして、倒壊の危険は少なくなり、安全性が益す。
したがって、これらの様子から、ことさらに、益と名付けられた。

また、交代生卦法に従って言えば、天地否の初往き四来るは天地陰陽の二気が上り下って相交わることである。
陰陽の二気が交わるときは、必ずよく雨を成す。
坤地はその雨を承(う)けて、震巽の草木を生じるものである。
天地の草木百物を発生養育するのは、益の根本である。
だから益と名付ける。

また、震を動くとし、巽を従うとすれば、これは自分が動いて相手が従う様子である。
自分が動いて相手が従うときには、互いに相助け益すことになる。
だから益と名付けられた。
また、震を長男とし男とし、巽を長女とし女とすれば、長男長女すなわち男女が相交わり相助け益す様子であり、そうであれば子孫は繁栄するものである。
だから益と名付けられた。

しかし、風も雷も形のないものであり、常に動いているものであり、損益のものである(乾の最下の陽を損したのが巽、坤の最下に陽を益したのが震である)。
雷は陽の気の動きであり、風は陰の気の動きである。
そもそも陰陽は、相助けて益すものである。
雷が奮えばそれに呼応して風が怒り、風が烈しいときは雷が呼応して轟く。
これは雷と風が相助け合って益している様子である。
だから益と名付けられた。

・・・・・・中略・・・・・

卦辞
益、利有攸往、利渉大川、

益は、往(ゆ)く攸(ところ)有(あ)るに利(よ)ろし、大川(たいせん)を渉(わた)るに利(よ)ろし、

往く攸とは、おこなうことを言い、この卦では、上を損(へら)して下を益すことを指す。
また、この卦は二五共に中正を得て、君臣相益す様子である。
だから、往く攸有るに利ろし、という。
また、大川を渉るときには、舟に楫(かじ)が必要だが、巽も震も木とする卦であり、その木は楫として利用するものである。
また、巽を従う、震を動くとして、従って動く様子とし、巽を風とし従うとし、震を舟とし動くとすれば、震巽二木の舟が風に従って動き行く様子である。
だから、大川を渉るに利ろし、という。


彖伝(原文と書き下しのみ)
益、損上下益、民説无疆、自上下下、其道大光、
益(えき)は、上(うえ)を損(へ)らして下(した)に益(ま)す、民(たみ)の説(よろこ)ぶこと疆(かぎ)り无(な)し、上(うえ)自(よ)り下(した)に下(くだ)る、其(そ)の道(みち)大(おお)いに光(ひか)れり、

利有攸往、中正有慶、利渉大川、木道乃行、
往(ゆ)く攸(ところ)有(あ)るに利(よ)ろしとは、中正(ちゅうせい)にして慶(よろこ)び有(あ)るなり、大川(たいせん)を渉(わた)るに利(よ)ろしとは、木道(もくどう)乃(の)行(おこな)わるるなり、

益動而巽、日新无疆、天施、地生、其益无方、凡益之道、与時偕行
益(えき)は動(うご)いて而(しこう)して巽(したが)う、日(ひ)に進(すす)むこと疆(かぎ)り无(な)し、天施(てんし)、地生(ちしょう)をなす、其(そ)の益(ま)すこと方(ほう)无(な)し、凡(およ)そ益(えき)之(の)道(みち)、時(とき)与(と)偕(とも)に行(おこな)わる、


象伝(原文と書き下しのみ)
風雷、益、君子以見善則遷、有過則改、
風雷(ふうらい)は、益(ま)し、君子(くんし)以(も)って善(ぜん)を見(み)れば、則(すなわ)ち遷(うつ)り、過(あやま)ち有(あ)れば、則(すなわ)ち改(あらた)む、


・・・・中略・・・・

42 風雷益 爻辞

上九━━━
九五━━━
六四━ ━
六三━ ━
六二━ ━
初九━━━○

初九、利用為大作、元吉、无咎、

初九(しょきゅう)、用(もち)いて大作(たいさく)を為(な)すに利(よ)ろし、元吉(げんきち)なり、咎(とが)无(な)し、

今、下を益すという時に当たって、初九は陽剛の才徳が有り、正を得て、なおかつ成卦の主爻にして、内卦震の主である。
さて、下を益すというにも二途が有る。
ひとつは、家毎に食料や金銭を配布することである。
しかし、こんなことは、無尽蔵の財でもなければ、継続的に続けられるものではない。
したがって、こういうことを以って、下を益すとは言えない。
本当に下を益すと言えることは、例えば水害対策をしたり、新しい農法や技術を導入したりといったように、民が生活し働くための基本的な環境整備をすることである。
このように、民の生活に有益な事業を行うことが大事なのであって、これを大作と言う。
だから、用いて大作を為すに利ろし、という。
この事業により、民が豊饒になれば、まさに大善の吉であるとともに、こうしてこそ、益の時の宜きに適い、咎はないのである。
だから、元吉なり、咎无し、という。


上九━━━
九五━━━
六四━ ━
六三━ ━
六二━ ━○
初九━━━

六二、或益之、十朋之亀、弗克違、永貞吉、王用亨于帝、吉、

六二(りくじ)、之(これ)に益(ま)すこと或(あ)れば、十朋(じっぽう)之(の)亀(き)も、違(たご)うこと弗克(あたわじ)、永(なが)く貞(つね)あれば吉(きち)なり、王(おう)用(もち)いて帝(てい)に亨(すすめまつ)る、吉(きち)なり、

今、下を益すの時に当たって、六二は柔中の徳を以って九五剛中の君に応じている。
これを以って九五の君は、六二の忠臣に委ね任せて、下を益そうとし、六二の忠臣は、よくこの君命にしたがって、下を益すことに勤め励む。
だから、之に益すこと或れば、という。
之とは天下万民を指す。
上の驕奢を省き損(へら)して、それを下民のために使うことである。
このような態度であるのならば、十朋の霊亀に問い質すとも、善であり吉であることに、間違いない。
だから、十朋之亀も、違うこと弗克、という。
これは、大善の吉だ、ということを込めた賛辞である。

このように下民を賑わし益すことは、間断があってはいけない。
永く続けてこそ、意味がある。
だから、永く貞あれば吉なり、という。

かつて周の先王は、至仁の政を以って下民を賑わすに当たり、自身の誠敬の志と、下民悦楽の情とを以って、上帝に亨った。
そうすることで、多くの福を得たのである。
だから、王用いて帝に亨る、吉なり、という。
この王とは、周の先王のことである。
帝は上帝のことで、上帝とは、天の運行を司る最高の神であり、天帝などとも呼ばれる。
ともあれ、下民を賑わし益すのであって、王も胸を張って上帝に亨ることができるのである。


上九━━━
九五━━━
六四━ ━
六三━ ━○
六二━ ━
初九━━━

六三、益之用凶事、无咎、有孚中行、告公用圭、

六三(りくさん)、之(これ)を益(ま)すに凶事(きょうじ)を用(もち)うるとも、咎(とが)无(な)し、孚(まこと)有(あ)って中行(ちゅうこう)ならば、公(こう)に告(こく)して圭(けい)を用(もち)うべし、

この六三には善悪二つの面がある。
六三は陰柔不中正にして内卦震の震動の極に居る。
これが悪い方に影響すれば、妄りに動いて利益を求めようとしているものとする。
これは道を失うことの甚だしい者である。
しかし、今は益の時なので、何かを益さないといけない。
その六三の行動に問題があるのなら、六三にとって好ましくないこと=凶事=罰を益し与えたとしても、それを咎める人はいない。
だから、之を益すに凶事を用うるとも、咎无し、という。

ところで、三爻と四爻は全卦の中ほどの位置である。
六爻が行列して進んでいるとすると、六三は先走らず遅れず、中ほどを行っていることになる。
とすると、六三は問題を起こす場合もあるが、このように静かにみんなに従って慎ましく孚信を以って中ほどを行っている場合もある。
これが第二の面であって、もし、そうであるのなら、これを誉め、六四執政の大臣は九五の君公に告げて、褒美=賞を与えるべきである。
だから、孚有って中行ならば、公に告して圭を用うべし、という。
圭とは賞のことである。

ともあれ、六三は、陰柔不中正にして内卦震の極にいるので、良い事も悪い事もしてしまうのである。
悪い事は罰し、良い事には褒美を与え、良し悪しをきちんとすることが大事なのである。


上九━━━
九五━━━
六四━ ━○
六三━ ━
六二━ ━
初九━━━

六四、中行告公従、利用為依遷国、

六四(りくし)、中行(ちゅうこう)をもって公(こう)に告(もう)して従(したが)わる、依(よ)ることを為(な)し、国(くに)を遷(うつ)すに用(もち)うるに利(よ)ろし、

六四は柔正を得て宰相の位に居るので、よく中行の道を以って公に告げる者である。
したがって、その言葉を聞き入れてもらえる。
だから、中行をもって公に告して従わる、という。

そもそも今は、下を益すべき時なので、下民を賑わし益して、国の基を強くするのが大事である。
下民に疾苦するところがあれば、速やかに救済して安からしめるべきである。
常に、民が飢えや寒さの患いのないようにしないといけない。
それが宰相の職であり任である。

そもそも国を開き、民人を安堵させ、足らし益して繁昌させることは、国都とするべき適切な場所を得ることである。
もし、国都とするべき場所がないときは、民が依り頼むところを失うことである。
もとより国都を建てることは、民の利便性を図り、その居に安堵させることを目的としているのである。
したがって、その国都が、民にとって不便で引っ越したいと思うようなところであれば、その時宜に中して、国都を下民が安堵する場所に遷すのもよい。
これは下を益すということの中でも、最も大なることである。
だから、依ることを為し国を遷すに用うるに利ろし、という。


上九━━━
九五━━━○
六四━ ━
六三━ ━
六二━ ━
初九━━━

九五、有孚恵心、勿問元吉、有孚恵我徳、

九五(きゅうご)、恵心(けいしん)に孚(まこと)有(あ)れば、問(と)うこと勿(なか)れ、元吉(げんきち)なり、我(わ)が徳(とく)を恵(けい)とするに有孚(ちがいな)し、

今、上を損(へら)し、下を益すの時に当たって、九五の君は、剛健中正の徳が在り、孚信誠実で、よく自分を省み、華靡を止め、下民を益し厚くすることを専らとする者である。
そもそも君上に、よく恵心が有り、兆民を益し厚くすることがこのようならば、これこそ君徳の最上にして、大善の吉であることは、問わずとも自明である。
だから、恵心に孚有れば、問うこと勿れ、元吉なり、という。

君上の徳が、すでにこのようであるのならば、下民は必ずやその君徳を恩沢仁恵として感謝するものである。
君上の徳こそが、下民にとっては恵なのである。
だからね我が徳を恵とするに有孚し、という。


上九━━━○
九五━━━
六四━ ━
六三━ ━
六二━ ━
初九━━━

上九、莫益之、或撃之、立心勿恒、凶、

上九(じょうきゅう)、之(これ)を益(ま)すこと莫(な)くして、之(これ)を撃(う)つこと或(あ)り、心(こころ)を立(た)つること恒(つね)勿(なか)ればなり、凶(きょう)なり、

上九は不中正の志行にして、上を損(へら)して下を益すというこの時であっても、その身は益の全卦の極に居て、道を失い、利を貪るの念が甚だしい者である。
したがって、下に益すことは考えず、自身の利益のみを求め貪るのである。
これは、時に悖(もと)り、道に逆(さから)い、人に背(そむ)くことである。
このような人物なので、他人もまた上九に味方することはなく、却って寇として撃つ者も出てくる。
だから、之を益すこと莫くして、之を撃つこと或り、という。

およそ、利を貪ることの甚だしい者は、進退共に利に由らないことはない。
不仁を恥じることなく、不義をも畏れず、直接の利が見えなければ勤め励むことのない小人である。
したがって、その心志、心の立ち様は変動して定まることがない。
これは恒常のない人である。
人として常の徳を失ってしまうのは、言うまでもなく凶である。
だから、心を立つること恒勿ればなり、凶なり、という。



・・・・・・・・
・・・・・・・・・・
抜粋終わり

>およそ、利を貪ることの甚だしい者は、進退共に利に由らないことはない。
不仁を恥じることなく、不義をも畏れず、直接の利が見えなければ勤め励むことのない小人である。
したがって、その心志、心の立ち様は変動して定まることがない。
これは恒常のない人である。
人として常の徳を失ってしまうのは、言うまでもなく凶である。
だから、心を立つること恒勿ればなり、凶なり、という。

我利我利の、エゴイズムで、自分だけ利益をむさぼることを正義とするような、たとえばネオコンや巷の愛国者とか、経団連とか、は凶です、死です。

でも

>今、上を損(へら)し、下を益すの時に当たって、九五の君は、剛健中正の徳が在り、孚信誠実で、よく自分を省み、華靡を止め、下民を益し厚くすることを専らとする者である。
そもそも君上に、よく恵心が有り、兆民を益し厚くすることがこのようならば、これこそ君徳の最上にして、大善の吉であることは、問わずとも自明である。
だから、恵心に孚有れば、問うこと勿れ、元吉なり、という。

自分の利益を、自他の及ぼし

「他人とともに楽しむのはその楽しみも長い」

という風な人には、ハッピーが吉が待ち構えています。


そういう意味で、なにか当たってそうな答えに思います。


お読みくださりありがとうございます。

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先日、易で「今後の日本は・・・」と漠然とした感じで聴きました・・・・・。

ちょっと怖いですは・・・

沢水困 3爻

http://uqmk.blog106.fc2.com/blog-category-52.html 

上記文抜粋
・・・・・・・・
47 沢水困(たくすいこん)

・・・・中略・・・

困とは、苦しむ、困窮して自らの力では打開できない、という意。

易位生卦法によれば、もとは水沢節から来たものとする。
水沢節は、坎の水が兌の沢の上に在り、沢水が溢れず枯れずほどよくある様子である。
それが今、上下が入れ替わると、兌の水は悉く漏れ下り、この沢水困となる。
これは、沢水が涸渇した様子であり、困窮厄難を示す。
だから困と名付けられた。

また、内卦の坎は一陽二陰の間に陥り、二陰のために覆われている様子、外卦の兌は一陰が二陽の上に在り、これも二陽が一陰に覆われている様子である。
また、下の坎は陽卦、上の兌は陰卦であり、陰卦をもって陽卦を覆っている様子である。
また、陰は小人の道、陽は君子の道であり、陽を男子とし、陰を女子とすれば、君子は小人に覆われ、男子は女子に覆われている様子である。
男子が女子に覆われるというのは、男性が色仕掛けで誘惑する女性の言いなりになっていることである。
これらは、困窮の至って甚だしいことである。
だから困と名付けられた。

・・・・中略・・・・

卦辞
困、亨、貞、大人吉、无咎、有言不信、

困は、亨(とお)る、貞(ただ)しかるべし、大人(たいじん)は吉(きち)、咎(とが)无(な)し、言うこと有れども信ぜられじ、

この卦は、坎を険難、兌を悦ぶとすれば、険難のときに悦んでいる様子となる。
険難のときであっても悦んでいるのは、一見問題がありそうだが、実はこれこそ困のときの正しい道なのである。
天命に身を委ね、その困窮に甘んじ、時期を待つしかないときである。
徒に悩んでも解決するものではない。
とすれば、その険難に置かれている状況を悦び楽しみとするのが、一番精神衛生にもよいし、そのようにしていれば、人間としての器の大きさも評価されるのである。
逆に、困窮を脱しようと右往左往しても、おいそれとは脱出できないものである。
なんとか現状を打開するためにと、甘い見通しを立てて無理して金策に走り、結局は失敗し、さらに借金に借金を重ね、ついには泥沼に陥ることがあるように。
したがって、今置かれている険難の状況を悦び楽しむ余裕こそが大事なのである。
そうしていれば、やがて必ず困窮を脱するときが来るものである。
だから、困は亨る、貞しかるべし、という。
亨るというのは、今すぐにではない。
貞しく、というのは、この場合は、険難を悦ぶ余裕で耐えることである。
困のときだからこそ、貞しく険難を悦ぶ余裕で耐えていれば、いつか困窮から脱して、そのときに亨通する、ということである。
大人ならば、どんなに困窮しても、天を恨まず、他人を咎めず、ひたすら貞正の道を守り、険難を悦び、時が至るのを待つものである。
右往左往するのは小人である。
だから、大人は吉、咎无し、という。
咎无しとは、道に違はざることである。
これが小人ならば、凶、咎有り、ということになる。
およそ人は困苦のときに遇うと、必ずその困窮を緩和し、険難を脱しようと、数々の辛酸を舐め、恥辱を耐え、耳を低くして尾を伏せ、他人に哀れみを求め、救済を乞い、哀しみ訴えるものである。
しかし、そうして訴えても、どこまで相手から信用され、助けて貰えるだろうか。
世の中というのは、そんなに甘くない。
自分がその困窮をあれこれ言っても、話半分にしか聞いて貰えないのが普通である。
だから、言うこと有れども信じられじ、という。


彖伝(原文と書き下しのみ)
困、剛揜也、
困(こん)は、剛(ごう)揜(おお)はるる也(なり)、

険以説、困而不失其所亨、其唯君子乎、
険(けん)にして以(も)って説(よろこ)ぶ、困(くる)しんで而(しこう)して其(そ)の亨(とお)る所(ところ)を失(うしな)わざるは、其(そ)れ唯(ただ)君子(くんし)乎(か)、

貞、大人吉、以剛中也、
貞(ただ)しくせよ、大人(たいじん)なれば吉(きち)なりとは、剛中(ごうちゅう)なるを以(も)って也(なり)、

有言不信、尚口乃竆也、
言(い)うこと有(あ)りとも信(しん)ぜられずとは、口(くち)に尚(たよ)れば乃(すなわ)ち竆(きゅう)する也(なり)、

象伝(原文と書き下しのみ)
沢无水、困、君子以致命遂志、
沢(さわ)に水(みず)无(な)きは、困(こん)なり、君子(くんし)以(も)って命(めい)を致(いた)し志(こころざし)を遂(と)ぐ、

・・・・・・中略・・・・

六三、困于石、據于蒺*梨、入于其宮、不見其妻、凶、
*梨は正しくは草冠に梨という字で、茨など棘がある植物のこと。
この字(図形として作成)→ri_toge.gif
しかし、JIS規格にもユニコードにもないので、意味は異なるが音が同じ*梨で代用しておく。

六三(りくさん)、石(いし)に困(くる)しみ蒺*梨(しつり)に據(よ)る、其(そ)の宮(みや)に入(い)りて、其(そ)の妻(つま)を見(み)ず、凶(きょう)なり、

石とは九四を指し、蒺*梨とは九二を指す。
宮とは六三の居所、妻とは上六を指す。

今、困の時に当たって、六三は陰柔不才、不中不正にして、下卦坎の険(なや)みの卦の極に居る。
その上、応爻の援助はなく、九四の陽剛に承け、九二の陽剛に乗っている。
したがって、前に進もうとすれば九四の堅剛な石に遮られて進めず、後ろに退こうとすれば、九二の蒺*梨の鋭利な棘に刺され阻まれて退くこともできず、進退共に窮まっているのである。
これは、困窮の至って甚だしい者である。
だから、石に困しみ蒺*梨に據る、という。

まして六三は、九四の陽に承けると九二の陽に乗るという険みが有るだけではない。
自身の居所の六三の位もまた、坎の険みの極にして、あまつさえ上六の応位の妻が有るとしても、これもまた陰柔にして相応じてはいないので、その妻に会えない。
したがって、安んじるところがなく、援助もない。
困の至極、凶の最大なる者である。
だから、其の宮に入りても其の妻を見ず、凶なり、という。


・・・・・・・・
・・・・・・・・・
抜粋終わり


>其(そ)の妻(つま)を見(み)ず、凶(きょう)なり、


これは、なにか保育所に入れなかったママさんが、「日本死ね」っていったのと呼応しているように思える・・・

あと

>言うこと有りとも信ぜられずとは、口に尚(たよ)れば乃ち竆(きゅう)する也。

新井先生とかも「ホのことを黙っているし誤魔化しているが、それはもうだめだ」

という趣旨のことを言われてますが、まさにこの言葉のとおりです!!


その挙句のはても易も言ってます変卦で・・。

沢風大過 3爻

参考
http://uqmk.blog106.fc2.com/blog-category-33.html

上記文抜粋
・・・・・・・・・
28 沢風大過(たくふうたいか)
takufu.gif大過 巽下兌上(そんか だじょう)

八卦のsonfuu-n.gif巽(そん)の上に、sdataku-n.gif兌(だ)を重ねた形。

大過とは、大いに過ぎる、大なる者が過ぎる、ということ。
易では、陽を大、陰を小とするのだが、この卦は四陽二陰にして、陽爻が陰爻よりその数が過ぎている。
だから大過と名付けられた。
なお、四陽二陰の卦は、他に雷天大壮、天山遯をはじめ、いくつかあるが、それならなぜ、ことさらにこの卦だけ大過というのか、ということになるが、それは、内外主客をもって、卦の形を判断するからである。
そもそも主は内にして、客は外に位置するものである。
したがって、主を陽とし、客を陰とすれば、この卦は四陽が主として内にあり、二陰が客として外にあるわけである。
とすると、主が客よりも大いに過ぎている。
だから大過と名付けられた。
逆に、雷山小過の場合は、二陽が内に主としてあり、四陰が外に客としてあるが、これは客の小なる陰が主の陽なる大よりも過ぎているから、小過と名付けられたのである。
念のために付け加えると、陰は主となるべきものではないので、陰が内にある山雷頤や風沢中孚は、大小過と名付けられなかったのである。

もとより主には勢いがあり、客には勢いはないのは、兵家の主戦客戦という語にもあるとおりである。
この卦は、勢いのある主たる陽剛が、勢いのない客たる陰柔に過ぎている。
対する雷山小過の場合は、客の勢いのない陰柔が、主の勢いのある陽剛に過ぎているわけだが、客は過ぎているとしても、そもそもが勢いのない者だから、大いに過ぎるとは言えないので、小過と名付けられたのである。

・・・中略・・・

卦辞
大過、棟橈、利有攸往、亨、

大過(たいか)なれば、棟(むなぎ)橈(たわ)めり、往(ゆ)く攸(ところ)有(あ)るに利(よ)ろし、

棟とは、屋根を支える大事な木なので、材木の中でも、その材質が傑出大過なものを選んで使うものである。
しかしその棟も、多くの木材を載せ負うと、材力の分に大いに過ぎ、橈んでしまう。
これは、人事に於いても同様である。
人それぞれ能力には限度があり、その人の能力を大いに過ぎる仕事を任されれば、棟が橈んでしまうように、その任に堪えられず、失敗を招いてしまう。
だから、大過なれば棟橈めり、という。

そもそも天運には窮通があり、時勢にも過不及がある。
君子ならば、それを弁え知る必要がある。
今、大過のときに当たって、その任に居り、その職を掌ろうとする者は、必ず大いに過ぎる非常な大材力大手段がないときは、その事を遂げるのは難しい。
しかし、その大いに過ぎる大材力大手段があれば、しかる後には、物事を成すことは可能である。
だから、往く攸有るに利ろし、という。
そして、しかる後に事物は遂げ成るから、亨る、という。


彖伝(原文と書き下しのみ)
大過、大者過也、棟撓、本来弱也、
大過(たいか)は、大(だい)なる者(もの)の過(過)すぎたる也(なり)、棟(ムネ)撓(たわ)むとは、本末(ほんまつ)の弱(よわ)ければ也(なり)、

剛過、而中、巽而説、利有攸往、行乃亨也、大過之時大矣哉
剛(ごう)過(す)ぎたれども、而(しか)も中(ちゅう)にして、巽(ととの)って而(しこう)して説(よろこ)ぶをもって、往(ゆ)く攸(ところ)有(あ)るに利(よ)ろし、行(おこな)えば乃(すなわ)ち亨(とお)るとなり、大過(たいか)之(の)時大(おお)いなる哉(かな)、


象伝(原文と書き下しのみ)
沢滅木、大過、君子以独立而不懼、遯世无悶、
沢(さわ)が木(き)を滅(め)っするは、大過(たいか)なり、君子(くんし)以(も)って独立(どくりつ)して而(しこう)して懼(おそ)れず、世(よ)を遯(のが)れても悶(いきどお)ること无(な)かるべし、


・・・・・・中略・・・・

九三、棟橈、凶、

九三(きゅうさん)、棟(むなぎ)橈(たわ)めり、凶(きょう)なり、

卦辞に棟と言うのは、全卦を棟の象に取ってのことである。
爻辞では、この九三に、棟橈む、九四に、棟隆んなり、と、この両爻の辞だけに、棟と言う。
これは、全卦の棟のその中間を取ってのことである。
今、この大過の時、過陽の卦に在って、九三は陽爻を以って陽位に居り、なおかつ不中である。
そもそも棟というのは、そこにかかる力が、棟が持っている力を過ぎれば、必ずその任に堪えず、橈み、さらに重さが甚だしければ折れることもある。
これを人事に擬えるときは、国家が背負っている重さに耐え切れず、まさに傾き覆るに至ろうとする時勢である。
とすれば、凶であることは言うまでもない。
だから、棟橈めり、凶なり、という。

なお、上六と陰陽相応じている。
これは陰陽が相助け合う義に取るのが普通だが、棟を以って言うと、上にある応爻は、九四や九五とともに、九三が負い載せている者であって、九三を助ける者ではない。
むしろ、却って九三に重みを増しているだけである。
したがって、上九は応爻ではあるが、実際には何の助けにもならないのである。



・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・
抜粋終わり


棟木が折れる・・・


地震?ホの日本経済の壊滅?

あります、確実に・・・。なにか痛撃が・・・


日本に死を!そうすれば日本人が生き延び繁栄するだろう・


お読みくださりありがとうございます。

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