故国の滅亡を伍子胥は生きてみれませんでしたが、私たちは生きてこの魔境カルト日本の滅亡を見ます。
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「理性」とは人間の心の機能の一部に過ぎない。「理性=推求し推論する能力」と言える。「推求する能力」は唯識では「意識」という心王に伴う「尋」「伺」という心所に分類される。啓蒙思想では神の如く扱われる「理性」だが、唯識では数ある心理作用の一つに過ぎない。心的能力はトータルで見るべき。
— 菊池 (@kikuchi_8) 2016年8月31日
理性を推論能力とすると唯識では「尋」と「伺」がそれである。これは「不定」の心所に分類される。「不定」とはその働きが善とも悪とも定まっていないという意味である。逆に善にも悪にも働くという事でもある。理性は間違って働く場合もある。啓蒙主義等の理性主義にはこの洞察が欠けているのである。
— 菊池 (@kikuchi_8) 2016年9月2日
私はある意味での「理想主義」っぽい、スタンスはある意味では左翼のリベラルだろう。
でも理性を信じるてのは無理。
理性は大事だが、「心的作用の一部」にすぎないし、それだけを絶対視しても、おかしなことが起きる。
愚性も、心的作用で、それも時に英知に達した言行の原因になる。
理性信仰は、「アホ信仰」と同じで、似非右翼と「アホさ」では変わらない。
まあ呟きみたいなものです。
お読みくださりありがとうございます。
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