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故国の滅亡を伍子胥は生きてみれませんでしたが、私たちは生きてこの魔境カルト日本の滅亡を見ます。
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P R
みずがめ座時代 より

上記文抜粋
・・・・・・・・
特別なことよりも日々の生活


夢を持つことは大切だ、という大掛かりな戦略にまるで乗せられたかのように、テレビで雑誌で色々な場所で、夢を持つことの大切さが語られます。

ちょうど卒業や入学シーズンだったので、時期にもぴったり合って、別れの言葉や出会いの言葉では、夢が重要な位置づけになるのが一般的。

マスコミにはオリンピック選手が登場して、夢を持つことの大切さを語る、、学校の先生も目的は夢の達成であるかのように生徒へのアプローチを欠かしません。

周囲がそんな感じですから、誰もが、何か夢をもたなくちゃいけないのかしら、、、というほぼ強制的というより、呪術的な力が働いていいるのが、今の日本のような気がします。

もちろん、夢を持つことは良いことでしょうし、励みになることも事実です。ただ、夢は自然に出てくるものであって、それを持たねばいけない、、、という類のものとは違うと思います。

いずれ出てくるといいね、、、そんなところが無難だと私は感じますが、何もないよりは、夢はあったほうが良い、、、と、生徒や学生を送り出す側、また受け入れる側としてはそう思うのでしょう。そういっておけば無難だという気もしますし。

ただ、フリーエネルギーの原理がわかってくるに従い、原理に沿わないものがいかに多いかに気づきます。

夢の達成は結果ですから、求めるものとは違います。勝手に訪れるものです。

夢を求めることが大切というより、夢が結果として訪れるような日々の生活が大事になるわけです。

学校の先生方もマスコミももちろん、そのことが言いたいのだと思います。確かにその通りなのです。

夢の達成や大きな出来事や感動的な事柄は、結果として出てくるもので、結果を生み出す原因となるのが、日々の生活です。

日々の生活の質を上げることが、本当の私たちの目的であり、やるべきことなのですが、そうなるとインチキなものが存在しにくくなるため、夢が利用されてきた現実があると思います。

夢があると、日々の生活の質の向上から逃げている人にとっても、人々の日々の生活の向上に責任がある立場の人たちにとっても、とても都合が良いのです。

日々をふしだらに送っていて何もしない若者にとっても、夢なら語れますし、今のダメな自分の生活に対する理由付けもできます。

国民の生活の質を貧しくし、利益を一部にしか回さない制度や仕組みに携わる人たちにしてみても、国民が日々の生活よりも将来のあてにならない夢に心を奪われている方が安心できます。

オリンピックやスポーツや何等かの名誉ある賞などが、国の運営を大きく助けている面が根本的にあるのです。

かつての東京オリンピックの時などは、オリンピックなんかやる必要なんてない、、、とでも発言したら、それこそ仲間はずれにされたと思うし、まずそんな風に考える人もいませんでした。

東京にオリンピックがやってきて、テレビでは王や長嶋がホームランを打っている、、、新幹線が開通したよ、、そんな感動にケチをつけることなど、微塵もないし、皆がそう思っていたわけです。

夢の手応えが日々の中にあったので、皆がそう思えたのでしょうが、この原理は本当に世界的に使われ、もっともらしい未来の姿を考えさせてお金を出させる、、、国を自由に扱う、、、いつしか一部の人たちの私物国家になっていった面があると思います。

政治家の仕事は、ですから、何かもっともらしい夢を見せて、そのために国から予算を出させ、その予算を使って子分を集め、子分たちにあまい汁を吸わせて、その構造を長く続けさせる、、、これに尽きるわけです。

そうなると、夢に躍らせられた一般庶民には、日々の生活に回してもらえる予算が少なくなります。

当然、不満が出てきますので、今度はその不満を聞き、あたかもその不満を解消させるような形での政治が必要となるわけですから、今度は国民の側に沿う、、、という形での政治勢力ができることになります。

本当にそのようにしてくれればバランスが取れて良いのですが、残念ながら、本気で国民の日々の暮らしの質を上げる方向へは行かず、そうしたポーズのスタイルによって、政治生命を維持する形が先行してきました。

かつて、何でも反対する社会党、、といわれた時代がありましたが、自民党に何でも反対していれば、一定の支持は得られるので、そのスタイルにはまり、お互いでその構造を守りあう形になってしまいます。

昔、私はとある雑誌にそのことを書いた記憶があります。自民と社会党は助け合っているので、いざとなったら手を握っても助け合うよ、、、と。そして間もなく、あっと驚く自民党と社会党は協力し、社会党政権が生まれたことがあったのです。

こうした茶番の根底にあるものが、実は将来の夢なのです。

夢の実行による民意の獲得と、夢の実行に伴う不条理を突く、という形での双頭作戦そのものでした。

夢や特別なものを求める以上、私たちはこうした構図をどうしても作ってしまいがちです。

特別なものを求めて、人生を棒に振る人のなんと多いことでしょう。

自分はそんなにすごい人間でしょうか、、、自分はそんなに人と違う特別な存在でしょうか、、、自分は本当に他の人よりの偉いのでしょうか、、、、、

実際の自分と離れ、人はコンプレックスに支配されることで、いつしか、夢や特別なものが、重大なもののように見えてきてしまうのです。

そんなものは、あるわけがありません。特別なものは、確かに存在しますが、それは、結果として勝手に訪れるもので、来なかったとしても、何もおかしなことではないのです。

本当に意味があるものは、日々の生活以外にはないのです。この質をおとしめ、この喜びを奪うことで維持できている政党も個人も、私はフリーエネルギーの本質からずれているので、成功することはないと思います。

特別なものを求めるのは、自分の劣等感から来ている以外にないのです。人生に特別なものなどありません。

結果として特別なものが来てしまうことがあるだけ。

目を覚まして、だまされず、決して犠牲にしてはいけないものに早く気づく必要がある、、、そんな時代になっている気がします。




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・・・・・・・・
抜粋終わり



日常こそ、大事。


お読みくださりありがとうございます。

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