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故国の滅亡を伍子胥は生きてみれませんでしたが、私たちは生きてこの魔境カルト日本の滅亡を見ます。
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P R
神戸だいすき より

上記文抜粋
・・・・・・・・

Y田家だったと思ったけどね・・・母の従姉妹が嫁いだ先。代々跡取りが自殺する。
夫が自殺して、息子が事故死した、その女性は、「拝み屋さん」のところへ行って「なぜ?うちでは、代々戸主がろくな死に方をしないのか?」と、問いました。

すると、町の霊能者は祭壇に向かって祈り、神様の意向を聞きました。
そして、こういったのだそうです。
「先祖に金貸しがいて、無慈悲に取り立てをしたのです。
その相手の一人に、病気で寝たきりの人がいた、ところが金を返せと言って、何もかも、持ち去った。寝ている布団まで持ち去られて、その病人は”恨む恨む七代恨む”と、空をにらんで絶命した。だから、あんさんのところでは、代々戸主が自殺する、そして、あなたの息子さんで7代目だから、そこで、家が絶えたのです」

この話は伝説ではなく、祖父の家に、孤独な身を寄せ、家の仕事を手伝いながら細々老いを養っていた人から聞いた話だから・・・私は、因業なことをすると、子子孫孫にまで祟ることを子供のころに肝に銘じました。

因果の理法から逃げられる人はいない。
・・・・・・・・
・・・・・・・・
抜粋終わり


福田元昭の「桜の木になろう」  より

上記文抜粋
・・・・・・・・
747.加計学園の千葉科学大学開校は、銚子シングルマザー愛娘殺人事件の原因となったのではないか?

・・・・中略・・・・

(3)松谷美花

 後に銚子シングルマザー愛娘殺人事件の犯人と呼ばれる事になる松谷美花さんは、北海道札幌市に生まれた。2000年7月に婚姻し、2000年12月に娘・可純(かすみ)さんを出産した。

 当時、夫には少なくとも借金が600万円程度あり、他にも借金をしているようだった。夫の借金を返すために松谷美花さんは両親などの家族が住んでいて自分の名義だった実家を担保に借金をした。当該借金は夫が返済し松谷美花さんには負担させないことが約束されていたが、結局その借金が原因で2002年夫と離婚した。娘を引き取り『シングルマザー』となった。

 離婚後も元夫が松谷美花名義の借金をなかなか返してくれないので、元夫のもとを訪れて借金を返すよう催促したが、効果はなかった。離婚した後、以前に松谷美花さんが北海道の実家の土地を両親に無断で担保に入れたことで、実家とも絶縁状態となっていた。

 離婚後各地を転々とした後、2007年12月20日、松谷美花親子は千葉県銚子市豊里台3丁目1068番地の148県営住宅3-104号に入居した。松谷美花さんは東庄町<とうのしょうまち>の学校給食センターで働く事になった。午前8時から午後3時までの勤務で午後0時から午後1時までは休憩時間となっていた。ただし、土日祝日に加え、学校が春夏冬休みのときは、仕事も休みとなり、休みの期間には収入がなかった。時給850円で、6月と12月に出勤日数を応じて割増支給があった。

http://www.jlaf.jp/menu/pdf/2015/151008_01.pdf#search=%27%EF%BC%92%EF%BC%90%EF%
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・・・・・中略・・・・


(5)税金を強奪し地方自治体を破壊する加計学園

 千葉科学大学開校の約3年半後、松谷美花親子は銚子市に転居したのだった。その段階では、千葉科学大学誘致に伴う銚子市の財政赤字は顕在化していたが、詐欺師・野平匡邦は2009年5月〜2013年5月、再び銚子市長を務める事ができた。

 誘致の条件として加計学園側は銚子市に、完全整備済みの土地15haを無償譲渡するよう求め、さらに上物(校舎)建設費などの補助金約95億円を要求してきた。最終的には約77億5千万円の補助金を銚子市が加計学園に出すことで落ち着いた。土地は無償貸与となった(本部キャンパスは売買)。ただし、「(土地の)所有権の譲渡については協議する」との一筆が入った。底地(建物の下の土地)を持たなければ、学園側は銀行から低利融資が得られなかったからだ。

 野平市長<当時>は、誘致費用約93億円(その後の交渉で約77億5千万円)のうち、半分は国から持ってくると約束したが、結果的にゼロ円だった。金額が大きすぎるので市と大学が協議して約8億円分は美術館を作って市民に還元する、となったがいまだに美術館はできていない。

 銚子市は千葉科学大学誘致の借金を今なお年間約4~5億円支払い続けている。市の財政が圧迫された。ゴミ袋の値段が倍になり、市立病院の経営危機が起きた。市民の多くは『第二の夕張になってほしくない』と思っている。税金を強奪し地方自治体を破壊する加計学園、ここにあり!

http://www.asyura2.com/17/senkyo222/msg/256.html

(6)生活保護申請を拒む「水際作戦」

 財政赤字に悩む地方自治体の中には生活保護申請を拒む「水際作戦」が決行されたりしている。加計学園の千葉科学大学開校で深刻な財政赤字に陥っている銚子市も「水際作戦」を決行している!

 つまり加計学園の千葉科学大学開校は、銚子シングルマザー愛娘殺人事件の原因となった。つまり「744.ルワンダは日本より安全なのか? 」の(16)などで取り上げた加計孝太郎が松谷可純さんを死に追いやったのだ!!! 744はこちら。加計孝太郎が死に追いやったのは、白石徹衆議院議員だけではないという事です!

・・・・・・中略・・・・


 web上には可純さんの将来の夢はモデルとの書き込みがある。将来の夢をモデルと書き込んでいるサイトの方が、拙ブログの様に将来の夢を看護師と書き込んでいるサイトと比べ、弱者に対する視点が冷淡で生存権の認識が希薄で松谷美花さんを責める傾向が強い。

(9)家賃の滞納 ヤミ金

 やがて松谷美花さんの県営住宅の家賃滞納が常態化していった。可純さんが中学に上がる頃(2013年3、4月頃)から制服代などでお金が必要になったとして、2013年2月には、社会福祉協議会から借り入れをした。借入限度額12万5000円を借り、社会福祉協議会と相談の上、分割で返済していた。

 しかし、それでも足りず、松谷美花さんは同じ頃ヤミ金からお金を借りた。ヤミ金への返済は週ごとに1万円返済するという内容で、返済が遅れると電話がかかり続け、脅され怒鳴られ返済を迫られていた。

(10)2度目の「水際作戦」

 母親の公判供述によれば、ヤミ金の返済に追われている頃、どうしようもなくて1万円でも2万円でもいいからお金を貸して欲しいという気持ちで生活保護の相談に行った。前回の相談と同じように収入なども全部話した。

 市の職員からは「申請してもいいけどあなたの場合は支払われる額はない気がする。」と言われ、前に相談したときと同じように仕事をしているという理由で断られたためあきらめるしかないと思ったという。銚子市役所による不当極まりない2度目の「水際作戦」だった!

http://www.jlaf.jp/menu/pdf/2015/151008_01.pdf#search=%27%EF%BC%92%EF%BC%90%EF%
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(11)銚子市の主張

 これに対し、銚子市の説明では、母親は、2013年4月5日、銚子市社会福祉課に行き、「生活保護がどのようなものか教えて下さい」と聞いた。職員は、事情を聴取し、パンフレットを見せ、「もし本格的に受けたければ、所得の分かる給与明細を持って来て下さい」と言った。母親は、「何かあれば、来ます」と言って帰ったが、その後、来なかったという。

(12)銚子市の主張のみを垂れ流しする圧倒的多数の記事

 この件に関するweb上の圧倒的多数の記事は、銚子市の主張のみを垂れ流しているだけで、母親の主張を取り上げていない。多くの執筆者は自分が銚子市の主張のみを垂れ流す偏向記事を書いている自覚がない様だ。

 そうした中、今回の記事でしばしば引用している「千葉県銚子市・県営住宅追い出し母子心中事件調査報告書」は、松谷可純さんの母親・松谷美花さんの主張を掲載している数少ない記事です。

★「千葉県銚子市・県営住宅追い出し母子心中事件調査報告書」
http://www.jlaf.jp/menu/pdf/2015/151008_01.pdf#search=%27%EF%BC%92%EF%BC%90%EF%
BC%91%EF%BC%93%E5%B9%B4%EF%BC%94%E6%9C%88%EF%BC%95%E6%97%A5+%
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 下のリンク先の記事も松谷美花さんの主張を掲載している数少ない記事です。この記事に書いてある通り、生活保護の申請は自由です。そこを隠ぺいするのが行政の仕事になっている自治体が多い。

http://m-b4d216a51d67d000-m.cocolog-nifty.com/blog/2015/06/post-e51f.html

(13)住宅の明け渡しに至る経緯

 2013年3月31日、松谷美花さんは県営住宅の入居許可が取り消された。母親には同年4月に滞納家賃2ヶ月分を送金するなど居住意思のうかがえる行動が見えたものの、県は、取消しから約3ヶ月後の7月には明渡訴訟を提起した。その後の経緯は次のとおりです。

 2013年7月19日、県・明渡訴訟を提訴(千葉地方裁判所八日市場支部)。11 月18 日、判決(県の明け渡しを認める判決)、母親は裁判には出席しなかった。

 2014年5月23日、強制執行の事前通知(県現地調査)。8月19日、強制執行の申立。8月27日、強制執行の催告(裁判所)、自宅内への催告書の掲示。9月24日、強制執行断行(裁判所)・同日事件発生。

 この間に県は、母親本人と一度も接触を取っていない。なお、母親は裁判には欠席したが、母親の公判供述によれば、当日、体調を悪くして裁判所に電話して行けないと伝えた、裁判所から10月30日までに反論する必要について伝えられていたというが意味が分からなかったという。

http://www.jlaf.jp/menu/pdf/2015/151008_01.pdf#search=%27%EF%BC%92%EF%BC%90%EF%
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(14)母親と千葉県との電話によるやり取り

 母親の公判供述によれば、2014年5月頃、強制執行の紙を自宅に来て貼りに来るという通知があったので、県に何とか明け渡しをやめてもらえないかという気持ちで電話をした。県には「待ってくれないか。話をしてくれないか。」ということを伝えた。県の人は「決まってしまったことだから。」と答えたが、自分としては話をこれからすればまだ明け渡しは大丈夫だとそのときは思っていたという。

 一方で、千葉県による説明では、2014年5月23に母親宅に徴収員が訪問した際に不在だったので、催告書を郵便受けに投函した、その後、母親から電話があり、「8月に退去する。強制執行はもう少し待ってほしい」と伝えてきた。しかし、母親は、8月になっても退去しなかったし、母親からは県に連絡もなかったため強制執行に踏み切ったという。

(15)母親の心理状態

 強制執行に至るまで母親はどのような心理状態にあったのか。母親の公判供述の一部を取り上げると次のとおりである。

 強制執行の催告として、8月末に自宅内への強制執行の催告書が自分の留守中に貼られていた。自宅に帰ってきてこれを見たときに「もうだめだな」と思った。その後には、引っ越しはお金がなくてできないと考え、9月から自分が死ぬしかないと思うようになり、自殺サイトにアクセスし、これから死ぬのだからと思って気力と体力がわかず12日を最後に仕事には行っていない。

 ぎりぎりまで娘と一緒にいたかったので明け渡しの日に死のうと思った。自分だけ死んで娘は国に保護してもらうつもりだった。娘を学校に送ってから死ぬつもりだった。娘が自分の体調を心配し学校を休むと言ったので計画が狂った。当日のことは今は全く覚えておらず、なんで娘を殺すことになったのか分からないという。

(16)事件当日

 2014年9月24日、千葉県銚子市の県営住宅で、松谷美花さんが中学2年生の娘(可純さん)を絞め殺すという事件が発生した。その4日前に行われたばかりの中学校の運動会で、娘が使っていた赤いハチマキでクビを絞めるという、凄惨な犯行だった。

 遺体発見時、可純さんはTシャツとズボン姿で居間として使っていた6畳間に倒れていました。遺体の損傷は4ヵ所。顔面は赤紫色にうっ血していたようです。現場は6畳の和室が二間、4畳半の計3部屋ですが、4畳半の部屋にはアイドルのポスターが貼られていた。おそらく、そこが可純さんの部屋だったようです。冷蔵庫の上には、家賃の督促状が積まれていた。この母子は、極度の困窮状態に追い込まれていたのだ。

http://ameblo.jp/town-watch/entry-12112456635.html


(17)強制執行当日の執行補助業者による証言

 強制執行当日に荷物の運搬、梱包等を行う補助業者が、自宅内に入った当時の状況、母親の言動等について、公判で証言した。

 同証言によれば、通常は催告の段階から業者として同行するなどして関与するが、今回は、別の業者が入っていて関与できなかった、債権者である千葉県からは、「母子家庭で連絡が取れない」とだけ引き継ぎを受けていたとのことである。自宅内へ入った際の状況は以下のとおりである。

 家の中に入ったとき、母親の横にうつぶせになった被害者(娘)がおり亡くなっていると思った。母親は思ったより穏やかで、TVの画面を指して、「これ、うちの子なの」「頭に巻いている鉢巻きで首を絞めちゃった」と言うので、「なんでそんなことしたの?」と聞くと、「生活が苦しい」「お金がない」「市の役人の方からもお金を借りた」などと言った。

 「なんでこんなことしたの?」など聞いたら、母親は、反応せず、娘を触ったり、娘の頭を撫でたり、毛布を掛けたりしていた。母親が「このDVD<娘が映る運動会の動画>が終わったら、後を追って死ぬんだ」と言ったので、自殺させたくないと思い、掴んだ母親の手を強く握った。自分の制止を振り切ろうとするような素振りはなかった。

http://www.jlaf.jp/menu/pdf/2015/151008_01.pdf#search=%27%EF%BC%92%EF%BC%90%EF%
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(18)事件名

 この事件の事件名は、「銚子シングルマザー愛娘殺人事件」ではなく、「千葉県銚子市・県営住宅追い出し母子心中事件」とすべきです。

(19)松谷美花さんと不幸にも母親に殺された可純さんに捧げる<転載記事・一部抜粋>

http://hyonmoku58.blog.fc2.com/blog-entry-1507.html

 松谷美花さんが課されるだろう「罪」を「無」にすべく、裁判官に資料として提出する予定であった。しかし、森田健作はそれを妨害し、松谷美花さんは、第一審において、懲役7年の実刑判決を受け、上訴したとは聞いていないから、どこかの刑務所で、償わなくてもいい罪を償っている。

 千葉県知事鈴木栄治(森田健作)および千葉県県土整備部住宅課県営住宅滞納対策班は、松谷可純さんを殺した張本人であると同時に、母親たる松谷美花さんを懲役7年の刑に処した極悪人である。

 松谷美花さんは、強制執行日に、可純さんを、彼女が運動会で使っていた赤白ハチマキで絞殺し、自分も死ぬつもりで、可純さんがそのハチマキをして参加していた運動会の録画を観ながら呆然(ぼうぜん)としていた。

 明白な親娘心中事件であり、その原因を作ったのが、千葉県知事鈴木栄治(森田健作)、千葉県県土整備部住宅課県営住宅滞納対策班および千葉県銚子市長越川信一および同市社会福祉課面接担当鹿野・佐藤その他生活保護担当全員にある。

 北海道札幌市白石区東札幌6丁目で発生した佐野湖末枝・恵姉妹見殺し事件同様に、この親娘心中事件も、また、生活保護法第25条で保護の実施機関に義務付けられた急迫職権保護制度で絶対に防げた。

 親子心中と生活保護制度との関係については、生活保護法制定の主軸にいた元特高課長・小山進次郎が、編著「生活保護法の解釈と運用」165頁で、次のように述べ、その意義を強調している。

 時たま新聞紙上に現われる親子心中事件の中でそれらの人々と生活保護制度とが結びつけられていたならば或いは悲劇が避けられたかも知れないと推測された事件が絶無でなかつただけにこの点の注意が特に必要であると思う。小山進次郎『改訂増補 生活保護法の解釈と運用(復刻版)』(1975年3月1日、社会福祉法人・全国社会福祉協議会)165頁

(20)松谷美花さんと刑務所の同じ工場で作業をした方の証言

 この人と刑務所で同じ工場にいました。陰はありましたが、あんなアナログなバカみたいな作業やるなかで、普通に仕事やれてましたよ。頭悪いと班長とかやれないよ。美人とはいえないけど、色気もあった。ただ、よく泣く。

 頭悪くないし、気もきくんだから、子供さえおらんだら、人並みの生活できる仕事やれたんじゃないの? 愚鈍な犯罪者というよりは、普通のその辺にいるおばさんだよ、感じのいい。本当になんもできない人も刑務所には多いけど、できる人は班長やらされる。

http://danshi.gundari.info/welfarewell-being-fucking-well.html

 web上には、松谷美花さんは頭が悪いとする書き込みがある。書いた方に読ませたい証言です。


・・・・・・・・
・・・・・・・・・
抜粋終わり


>先祖に金貸しがいて、無慈悲に取り立てをしたのです。
その相手の一人に、病気で寝たきりの人がいた、ところが金を返せと言って、何もかも、持ち去った。寝ている布団まで持ち去られて、その病人は”恨む恨む七代恨む”と、空をにらんで絶命した。だから、あんさんのところでは、代々戸主が自殺する、そして、あなたの息子さんで7代目だから、そこで、家が絶えたのです



銚子市親子心中事件は、

おなじなのである。

札束と権力で、人を殺す。

殺人なのである。国家が無辜の民衆を殺しているのである。
金持ちが罪なき病人を殺しているのである。


孟子はこういう

http://sorai.s502.xrea.com/website/mencius/mencius01-04.html

上記文抜粋
・・・・・・・・

孟子「人を殺すのに棍棒と刀を使うのは、何か違いがあるでしょうか?」

梁恵王「同じですな。」

孟子「では、人を殺すのに刀と政治を使うのは、何か違いがあるでしょうか?」

梁恵王「同じ、、ですな。」

孟子「王の厨房にはでっかい肉があり、王の厩舎にはまるまると太った馬があり、一方で人民の顔は飢えでやつれ、野には飢えて野垂れ死にしている者がある。
これは、獣をけしかけて人を食わせるというものです。

獣どうしの共食いでも、人は見ていてイヤな気がするものです。
いったい人民の親となって政治をしている君主が獣をけしかけて人を食わせる所業をやめないで、これで人民の親といえるでしょうか。

仲尼(孔子)はこう言っています、
「俑(よう。人型のハニワ)を初めて作った者は、きっと子孫も絶えたであろう」と。
この意味は、実際の人間に似せた人形を土に埋めるのに用いたのを、(人間を侮辱した行為だとして)非難したのです。人形に対してすらこれほど共感できるのに、いわんや子である人民を飢え死にさせるというのはいかがなものでしょうか?」

・・・・・・・
・・・・・・
抜粋終わり


棍棒を使おうと、剣や毒薬を使おうと、札束や権力を使おうと、殺人である。

当然、悪事で、恨みは心頭であり、「ともに天を抱かず」になる。国家だろうと金貸しだろうと。

もうちょい孟子から
http://sorai.s502.xrea.com/website/mencius/mencius02-06.html

上記文抜粋
・・・・・・・

孟子が斉の宣王に言った。
孟子「たとえば、王の家臣で楚国に外遊しようとするものがあったとします。その者が彼の友人に留守中妻子を預けたとします。しかし外遊から帰ってみれば、妻子を飢えて凍えさせていたとします。王はこの家臣をどう扱いますか?」
斉宣王「そのような者は、見捨ててしまうでしょうな。」
孟子「たとえば、士師(裁判長官)が配下の者どもを管理できないとしたら、王はこの士師をどう扱いますか?」
斉宣王「そのような者は、罷免してしまうでしょうな。」
孟子「では、国境内が統治できていない。さあどう扱えばよいのでしょうか?」
宣王は、左右の側近を向いて、別の話題に転じた。

・・・・・・・
・・・・・・
抜粋終わり


http://sorai.s502.xrea.com/website/mencius/mencius04-04.html

上記文抜粋
・・・・・・・・
孟子が平陸(へいりく。山東省)に行って、そこを治める大夫(上級家老)の孔距心に言った。

孟子「あなたの配下の持戟の士(戟を持つ一般家臣)が一日に三回隊伍を離れる規律違反を犯したならば、この者を罷免するでしょうか?」

孔距心「三回も待たずに罷免しますよ。」

孟子「ほう。ならば、あなたもまた隊伍を離れるに等しい行為を多くしていませんか?凶作飢饉の年にはあなたの領地の人民はどうですか。老人と病人が溝に転がり落ちて倒れているではありませんか。壮年の者が幾千人も四方に離散してしまうではありませんか。(職務怠慢でしょうが。)」

孔距心「ですがそのようなことは、それがしの為しうる範囲のことではありません。」

孟子「今、人から牛羊を委託されて飼っている者がいるとします。その者は必ず家畜のための牧地とまぐさを探すでしょう。牧地とまぐさが探しても見つからなければ、その者は牛羊を持ち主に返すでしょうか、それとも黙ってそれらが飢え死にするのを見ているでしょうか?(職務怠慢なのに、なぜ領地を返上しないのですか。)」

孔距心は言った、「確かにこれは、それがしの罪です。」

他日、孟子は斉王に会見して言った、「王の国の都市を治める家臣をそれがしは五人知っておりますが、その中で自らの罪を自覚しているのは孔距心だけです。」
こうして、孟子は王に対して孔距心との問答の内容を語った。斉王もまた言った、「確かにそれは、小生の罪です。」

・・・・・・・
・・・・・・・
抜粋終わり


もう一発
http://sorai.s502.xrea.com/website/mencius/mencius02-08.html

上記文抜粋
・・・・・・・

斉の宣王が質問した。

斉宣王「殷の湯王が夏の桀王を追放し、周の武王が殷の紂王を討伐したというのは、本当にあったことなんですか?」

孟子「本当にあったと伝えられています。」

斉宣王「武王はももともと紂王の家臣でした。臣がその君主を殺してもよいのですか?」

孟子「仁をだめにする者、この者を名付けて「賊」。義をだめにする者、この者を名付けて「残」。残賊の者は、ただの一人の男です。紂とかいうただの一人の男を武王が誅殺したとは聞いていますが、臣が君主を殺したとは聞いていません。」

・・・・・・
・・・・・・・
抜粋終わり



札束・権力、さらに今では放射能で殺人を続ける殺人鬼を逮捕拘禁・必要あらば処刑せよ。

首相であろうと、天皇であろうと、悪政を為すものは、大量殺人鬼なのである。


お読みくださりありがとうございます。
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