ヒラリーの疑惑は氷山の一角。国際秘密力の連中はもっとおぞましい事をしているはずである。この鬼畜連中を権力の座から追放しなければ世界が破壊される。オカルト犯罪も絶対防止。あんな鬼畜連中の為に無辜の人間が犠牲になる事などあってはならない。ハロウィン前後は特にオカルト犯罪防止月間だ。
— 菊池 (@kikuchi_8) 2016年10月16日
人の痛みを知り、他人への思いやりを持つ=仁。目的だけではなく手段も道理に適っている必要がある=義。サディズムとマキャベリズムはその反対。要するに国際秘密力とは昔風に言えば「仁義に反する輩」という事である。仁は慈悲でもあるが、慈悲は人間だけでなく全生命が対象なので範囲がもっと広い。
— 菊池 (@kikuchi_8) 2016年10月16日
愛と慈悲の違いを考察する。愛は東洋では執着の意味であり、どこかエゴが伴う。愛は対象を自分の思い通りにしたいという我執の延長である場合も多い。普通は無償でないからわざわざ「無償の愛」と言う。慈悲は我執=エゴを多少なりとも制する所に出てくる。貪欲だと人を思いやる余裕が無くなるからだ。
— 菊池 (@kikuchi_8) 2016年10月17日
貪欲だと他者を思いやる余裕が無く、自分の都合を優先しがちである。対象を破壊したいという感情である憎悪は慈悲の反対。他者を見下す傲慢さは共感を妨げる。だからこれらを制する事と慈悲は連関している。仁は己を修めた所に発揮される。惻隠の心が洗練されて仁になる。慈悲や仁は克己と表裏一体。
— 菊池 (@kikuchi_8) 2016年10月17日
仁・義という配置は絶妙だと思う。仁だけでは情に溺れる可能性があるから義という準則で歯どめをかけ、義だけだと人の情を無視した杓子定規になりかねないので仁で包み込む。あらゆる道徳の根底には思いやりがあると思う。思いやりあってこその道義道徳である(仁あっての義)。秘密力には仁義がない。
— 菊池 (@kikuchi_8) 2016年10月17日
仏教学者中村元氏は慈悲が倫理の根底だと解説していた。倫理道徳とは慈悲心が色々な人間関係や場面・情況に応じて様々に表れたもの。杓子定規に「こうしろ」「ああしろ」ではなく、慈悲心に基いて他者を思いやった適切な行動をする事=倫理道徳。逆に慈悲が無い秘密力連中の行動は全てが不適切である。
— 菊池 (@kikuchi_8) 2016年10月17日
耶蘇の「真の愛」っていう話は、多少傾聴に値するかもしれない。慈悲の感情は多くの場合に「平等の関係」でなくなることが多い・と。
でもそもそも仏法は「慈悲」は平等でも普通に起きうるし、それを前提にしている。
そもそも「真の愛」という言葉・概念にとらわれて、仏法の「慈悲」とかディスるのは、本当に「真の愛」であろうか?
菊池先生は、私のいいたいことを、見事に言葉にしてくださって大変ありがたいです。
お読みくださりありがとうございます。