故国の滅亡を伍子胥は生きてみれませんでしたが、私たちは生きてこの魔境カルト日本の滅亡を見ます。
2024/05 04 < | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 | 17 | 18 | 19 | 20 | 21 | 22 | 23 | 24 | 25 | 26 | 27 | 28 | 29 | 30 | 31 | > 06 |
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水瓶座時代 より
上記文抜粋
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幻影に気づくことから始まる覚醒の道 (前編)
私たちは最初にできたイメ―ジによって周囲や社会を眺めます。三つ子の魂の正体です。最初に作られたこのイメージは、子供時代に限らず、成長したのちも、私たちがそのことに気づくまで生涯にわたって続きます。
そのイメージは時々現れてくるものではなく、四六時中にわたります。私たちは最初に作られたイメージで自分を認識しようとし、周囲や社会も認識しようと、常日頃、そうした無意識化の中にいるのです。最初に作られたイメージの眼鏡を常に掛けている状態と言ってもよいでしょう。
最初にできたこのイメージは、理由あってのものではなく、私たちの意識が介在しないまま、最初にイメージしたという、ただそれだけの理由によって、生涯にわたって私たちに付きまとうのです。
しかし、まだ判断も未熟な幼少期の私たちが抱いたこの世の印象や自分像が、正しいわけがありません。事実でないに決まっているのです。なのに、私たちはそれをずっともち続けてしまう、、、
考えてみれば、とても怖いことです。私たちの人生は、事実ではない幻影を見るところから出発し、それに気づくまで、永遠にその幻影が本物だと思いながら生涯を生きてしまうのです。自分のことも、人のことも、社会のことも、すべて最初のイメージの眼鏡で見、それが本当であると思って生き続けているのです。
この世は幻影であると言いますが、この世が幻影であるというより、私たちが見ているものがすべて幻影なのです。幻影は無意識であり、幻影が幻影であると意識されるまで、それは続きます。強制力を持って幻影は続くわけです。
幻影、、、嘘を事実と思いながら送る人生が、素晴らしいものとなるでしょうか。なるわけがありません。幻影を事実と思いつつ生きても、本当の手応えを得ることはできないので、どうしても気持ちが暗くなったり、不安になったり、不安定にならざるを得ないからです。
多くの人はなぜ不機嫌なのでしょうか。なぜ、苦しむのでしょうか。なぜ、楽しめないのでしょうか。幻影を事実だと思っているからです。そう思いたいからです。それしかないからとも言えます。
しかし、そんな私たちでも、時には元気はつらつとなり、きちんと未来について考え、手応えをもって活動することがあります。
それは、幻影が消えている時なのです。どんなに最初に作られた幻影が強制的であっても、幻影は意識の光の前では、まったくの無力です。影は光に照らされたら存在できません。私たちが意識的な態度を取り、意識的に生きている時、幻影は単に日頃の眼鏡ではあり続けるものの、力を持つことはできません。
しかし、意識的な態度や行動、意識的な目的を持てないまま生きる人は、容易に幻影につかまります。幻影の眼鏡は常にあるのですから、無意識的になったとたんに生まれ持った幻影がすっと入り込んできて、私たちを支配します。
不機嫌、弱気、落ち込み、自信喪失、落胆、暗さ、不適切な怒りや極端な反応は、私たちが意識的でいられず、幻影に捉えられている時の症状なのです。
人は意識的に生きない限り、エネルギー不足に陥ります。なぜなら、意識そのものがエネルギーだからです。意識とは、何かに関心を向けたり、何か方向だったものへ無心に注ぐ関心です。微細な圧と言ってもよいのですが、微細な圧があれば反作用があり、エネルギーがもたらされます。
幻影に捉えれている時は、私たちはエネルギーを失います。幻影は意識のみによって消えますので、幻影に捉えられている時は、意識的でないことを意味します。なのでエネルギーが入らず、いらだったり、元気でなくなったり、不安になったり、弁解を始めたりするわけです。
人生はこの幻影と意識との常日頃の争いと言ってもいいかもしれません。幻影の無意識の領域が大きくなれば、私たちはその分受け身となり、与えられるものに対して不服しか言わない、つまらない生涯に陥っていきます。
意識の領域が大きくなれば、人は老人になっても元気でいますし、自分の道を歩んでいますので、その手応えと満足から口うるさくなることもないし、自分の人生に満足しています。
まさに、幻影の生涯を送る人と意識的な生き方をした人との違いです。何も老人になるまでもなく、この両者の領域争いは常日頃行われています。どんなに意識的に一時的には生きた人でも、生まれつきの幻影の眼鏡に再び捉えられ、人生の浮き沈みを演出します。
多くの人が、幻影と意識の狭間を行き来しながら生きており、幻影に偏った時は不幸となり、意識的な生き方をしている時には元気で幸福なのです。エネルギーの観点から見れば、それは当然です。意識からエネルギーが入り、無意識からエネルギーが奪われて行くためです。
人生の目的はより意識された存在になる以外にないということでもあります。
それには、自身の中にある幻影がどのようなものであるかを理解することが大切になってきます。面白いことに、そこにはパターンがあり、そのパターンがその時々で入り混じることはなく、同一の幻影のパターンが、生涯にわたって一人の人に続くのです。
幻影のパターン自体は人によって違うものの、一人づつは同じ幻影のパターンを持ち続けながら生涯を生きるのです。AさんにはAさんの幻影のパターンが生涯続き、BさんにはBさんの幻影のパターンが生涯続くのです。
私たちが捕まる無意識のパターン、捕まる幻影は常にその人にとっては同じものなのです。これは考えてみれば不思議です。色々な、様々な無意識が存在しているはずなのに、個々での捕まるパターンが常に同じ。それが幼少の最初に抱いたイメージであり、それは永遠に変わらないということでもあります。
この構造には、実は大きな救いが隠されています。自分特有の独自の落とし穴があるということは、それさえわかれば、それさえ意識できれば、幻影に踊らされる人生からさようならできるということになるからです。
そのことを教えてくれたのが、占星術でした。何回かお話しさせていただいてきた、月の星座が私たちが抱く幻影のパターンを教えてくれていたのです。
出生の月なんか自分は知らないし、そんなこと考えたこともない、、、というのが通常の人ですが、それでも確実に出生時の月の星座によって、その幻影のパターンがその人を支配しているのです。
なぜかは、私にもわかりません。占星術発生の大元からの秘密でもあったことでしょう。もしくは、占星術を人類に与え、幻影の仕組みを理解させるために、宇宙人がもたらしてくれた学問であったのかもしれません。
とにかく、理由はわかりませんが、私たちは生まれた時に幻影を見、そのパターンを持って生涯を送ります。そのことが、人類の覚醒を遠ざける働きをしているのですが、そのパターンを知ることで、覚醒に導く働きを占星術は負っているのかもしれません。
ですので、占星術にどんなに批判的な方でも、下記の月の12星座をご覧になれば、自身に働いてきた幻影の正体がわかります。本気で真剣に考えてくだされば、まず例外なく、確かにそうだった、、、とわかります。それによって、本当は自分が何に苦しんでいたかがよく理解できますので、その落とし穴にもう落ちることはなくなるわけです。そうなれば生きることが楽になっていきます。
出生時の月が私たちに与える幻影には、例外はありませんので、あなたの出生時の月の星座をぜひ調べてみてください。調べ方は、ネットで「無料ホロスコープ」と検索すれば、必ずあなたの出生の月の星座を調べることができます。
それに沿って、下記の内容を自身に当てはめてお考えください。実際の12星座の月の解説は次回、続いてお届けいたしますので、お楽しみにお待ちください。
月を知ることは、自身の幻影を知ることであり、それを知れば、覚醒が始まります。占星術の意義は本当に大きなものがあると思います。
明日には、続きをアップできると思いますので、できましたら、それまでにご自身の出生時の月の星座をお知らベくだされば、楽しめると思います。なを、月の調べ方についてのご質問は受け付けできませんので、その点はご自身でよろしくお願いいたします。
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抜粋終わり
天皇制と言う妄想の幻想をさらに見せさせられる日本人。
その幻想に気が付き正気になれば、万事解決。
お読みくださりありがとうございます。
上記文抜粋
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幻影に気づくことから始まる覚醒の道 (前編)
私たちは最初にできたイメ―ジによって周囲や社会を眺めます。三つ子の魂の正体です。最初に作られたこのイメージは、子供時代に限らず、成長したのちも、私たちがそのことに気づくまで生涯にわたって続きます。
そのイメージは時々現れてくるものではなく、四六時中にわたります。私たちは最初に作られたイメージで自分を認識しようとし、周囲や社会も認識しようと、常日頃、そうした無意識化の中にいるのです。最初に作られたイメージの眼鏡を常に掛けている状態と言ってもよいでしょう。
最初にできたこのイメージは、理由あってのものではなく、私たちの意識が介在しないまま、最初にイメージしたという、ただそれだけの理由によって、生涯にわたって私たちに付きまとうのです。
しかし、まだ判断も未熟な幼少期の私たちが抱いたこの世の印象や自分像が、正しいわけがありません。事実でないに決まっているのです。なのに、私たちはそれをずっともち続けてしまう、、、
考えてみれば、とても怖いことです。私たちの人生は、事実ではない幻影を見るところから出発し、それに気づくまで、永遠にその幻影が本物だと思いながら生涯を生きてしまうのです。自分のことも、人のことも、社会のことも、すべて最初のイメージの眼鏡で見、それが本当であると思って生き続けているのです。
この世は幻影であると言いますが、この世が幻影であるというより、私たちが見ているものがすべて幻影なのです。幻影は無意識であり、幻影が幻影であると意識されるまで、それは続きます。強制力を持って幻影は続くわけです。
幻影、、、嘘を事実と思いながら送る人生が、素晴らしいものとなるでしょうか。なるわけがありません。幻影を事実と思いつつ生きても、本当の手応えを得ることはできないので、どうしても気持ちが暗くなったり、不安になったり、不安定にならざるを得ないからです。
多くの人はなぜ不機嫌なのでしょうか。なぜ、苦しむのでしょうか。なぜ、楽しめないのでしょうか。幻影を事実だと思っているからです。そう思いたいからです。それしかないからとも言えます。
しかし、そんな私たちでも、時には元気はつらつとなり、きちんと未来について考え、手応えをもって活動することがあります。
それは、幻影が消えている時なのです。どんなに最初に作られた幻影が強制的であっても、幻影は意識の光の前では、まったくの無力です。影は光に照らされたら存在できません。私たちが意識的な態度を取り、意識的に生きている時、幻影は単に日頃の眼鏡ではあり続けるものの、力を持つことはできません。
しかし、意識的な態度や行動、意識的な目的を持てないまま生きる人は、容易に幻影につかまります。幻影の眼鏡は常にあるのですから、無意識的になったとたんに生まれ持った幻影がすっと入り込んできて、私たちを支配します。
不機嫌、弱気、落ち込み、自信喪失、落胆、暗さ、不適切な怒りや極端な反応は、私たちが意識的でいられず、幻影に捉えられている時の症状なのです。
人は意識的に生きない限り、エネルギー不足に陥ります。なぜなら、意識そのものがエネルギーだからです。意識とは、何かに関心を向けたり、何か方向だったものへ無心に注ぐ関心です。微細な圧と言ってもよいのですが、微細な圧があれば反作用があり、エネルギーがもたらされます。
幻影に捉えれている時は、私たちはエネルギーを失います。幻影は意識のみによって消えますので、幻影に捉えられている時は、意識的でないことを意味します。なのでエネルギーが入らず、いらだったり、元気でなくなったり、不安になったり、弁解を始めたりするわけです。
人生はこの幻影と意識との常日頃の争いと言ってもいいかもしれません。幻影の無意識の領域が大きくなれば、私たちはその分受け身となり、与えられるものに対して不服しか言わない、つまらない生涯に陥っていきます。
意識の領域が大きくなれば、人は老人になっても元気でいますし、自分の道を歩んでいますので、その手応えと満足から口うるさくなることもないし、自分の人生に満足しています。
まさに、幻影の生涯を送る人と意識的な生き方をした人との違いです。何も老人になるまでもなく、この両者の領域争いは常日頃行われています。どんなに意識的に一時的には生きた人でも、生まれつきの幻影の眼鏡に再び捉えられ、人生の浮き沈みを演出します。
多くの人が、幻影と意識の狭間を行き来しながら生きており、幻影に偏った時は不幸となり、意識的な生き方をしている時には元気で幸福なのです。エネルギーの観点から見れば、それは当然です。意識からエネルギーが入り、無意識からエネルギーが奪われて行くためです。
人生の目的はより意識された存在になる以外にないということでもあります。
それには、自身の中にある幻影がどのようなものであるかを理解することが大切になってきます。面白いことに、そこにはパターンがあり、そのパターンがその時々で入り混じることはなく、同一の幻影のパターンが、生涯にわたって一人の人に続くのです。
幻影のパターン自体は人によって違うものの、一人づつは同じ幻影のパターンを持ち続けながら生涯を生きるのです。AさんにはAさんの幻影のパターンが生涯続き、BさんにはBさんの幻影のパターンが生涯続くのです。
私たちが捕まる無意識のパターン、捕まる幻影は常にその人にとっては同じものなのです。これは考えてみれば不思議です。色々な、様々な無意識が存在しているはずなのに、個々での捕まるパターンが常に同じ。それが幼少の最初に抱いたイメージであり、それは永遠に変わらないということでもあります。
この構造には、実は大きな救いが隠されています。自分特有の独自の落とし穴があるということは、それさえわかれば、それさえ意識できれば、幻影に踊らされる人生からさようならできるということになるからです。
そのことを教えてくれたのが、占星術でした。何回かお話しさせていただいてきた、月の星座が私たちが抱く幻影のパターンを教えてくれていたのです。
出生の月なんか自分は知らないし、そんなこと考えたこともない、、、というのが通常の人ですが、それでも確実に出生時の月の星座によって、その幻影のパターンがその人を支配しているのです。
なぜかは、私にもわかりません。占星術発生の大元からの秘密でもあったことでしょう。もしくは、占星術を人類に与え、幻影の仕組みを理解させるために、宇宙人がもたらしてくれた学問であったのかもしれません。
とにかく、理由はわかりませんが、私たちは生まれた時に幻影を見、そのパターンを持って生涯を送ります。そのことが、人類の覚醒を遠ざける働きをしているのですが、そのパターンを知ることで、覚醒に導く働きを占星術は負っているのかもしれません。
ですので、占星術にどんなに批判的な方でも、下記の月の12星座をご覧になれば、自身に働いてきた幻影の正体がわかります。本気で真剣に考えてくだされば、まず例外なく、確かにそうだった、、、とわかります。それによって、本当は自分が何に苦しんでいたかがよく理解できますので、その落とし穴にもう落ちることはなくなるわけです。そうなれば生きることが楽になっていきます。
出生時の月が私たちに与える幻影には、例外はありませんので、あなたの出生時の月の星座をぜひ調べてみてください。調べ方は、ネットで「無料ホロスコープ」と検索すれば、必ずあなたの出生の月の星座を調べることができます。
それに沿って、下記の内容を自身に当てはめてお考えください。実際の12星座の月の解説は次回、続いてお届けいたしますので、お楽しみにお待ちください。
月を知ることは、自身の幻影を知ることであり、それを知れば、覚醒が始まります。占星術の意義は本当に大きなものがあると思います。
明日には、続きをアップできると思いますので、できましたら、それまでにご自身の出生時の月の星座をお知らベくだされば、楽しめると思います。なを、月の調べ方についてのご質問は受け付けできませんので、その点はご自身でよろしくお願いいたします。
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抜粋終わり
天皇制と言う妄想の幻想をさらに見せさせられる日本人。
その幻想に気が付き正気になれば、万事解決。
お読みくださりありがとうございます。
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これまで書いてきたように「面倒臭い!」と感じる場合は「人と会話をする時に嫉妬の発作を受け続けてきたから」ということになります。
ずっと母親の愚痴を聞かされてきた、とか。
人の話を聞くと、みんなの嫌な感情を流されて嫌な思いしかしてこなかった!という感じの人たち。
これって脳のネットワークで優れた可能性が相手に伝わる。
その未来の可能性に「ビビビッ!」と嫉妬して相手は破壊的な人格に変身する。
そして、口を開けば「否定的な話のオンパレードじゃ~!」という感じになるから「話を聞くのはいや~!」という条件づけがなされてしまう。
口を開けば「近所の〇〇さんがゴミ出しのことで嫌味を言ってきて、あの人だってちゃんとやっていない!と言ってやったら、今度は他の人にわたしの悪口を回して!」という感じ。
他人がこれを聞くと「あー!不快な気分を解消するために話をしたいんだな!」と思うのですが、これを聞かされている当人は「なんだかどんどん嫌な気分が広がっていく!」となるのは、そこに嫉妬の電流が隠されているから。
その嫉妬の電流から逃れようと「そんな近所の人のことを言ってもしょうがないじゃない!」と話を終わらせようとすると、さらに最悪な話が出てくる。
それは嫉妬が発作だから、それを鎮めようと触れば触るほど「どんどん発作がひどくなる~!」ということになるから。
そして、その嫉妬の電流に感電して「もう!いい加減にしてよ!」とこっちが発作を起こしてしまって「あーあ!またやっちゃった!」と最悪な気分になることができちゃう。
これを何度もなんども繰り返すことで、この「話を聞く時に嫉妬の電流を受ける」というのが条件づけられてしまう(まあ、学習性無力のことなんですけどね)。
人の話を聞く時に「ひや~!電流が流されてくる~!」と体が条件づけで固まってしまう。
すると「弱者!」になってしまうから、相手が自動的に嫉妬の発作を起こして、話をしている最中に破壊的な人格に変身しちゃって「ビビビッ!」となるんですね。
そうなると「わたしはいつもいいように利用されているだけ!」とか「みんなの感情を垂れ流されているだけ!」という感じになって「人との親密感が感じられない!」ということになる。
一般的な言葉に変えると「信頼できる友達がいない」という状態。
連絡できる友達はいるけど、いつも連絡をすると不快な感情を流されちゃう、という感じになっちゃう。
連絡をした後に「あ!やっぱりやめとけばよかった」と後悔しちゃう。
旅行とか食事とかに誘うのだけど「やっぱりわたしがただ一方的に利用されている感じ!」になってしまうのも条件づけがなされていて、嫉妬を受ける体質に改善されているから。」
http://insight-fap.jugem.jp/?eid=2772
から引用
人の話を聞くと嫌な感情を流される。そして、それの想定を強要される。ならば人の話を聞くこと自体を嫌がる·面倒臭がるのは必然だと思います。
> 人の話を聞くと嫌な感情を流される。そして、それの想定を強要される。ならば人の話を聞くこと自体を嫌がる·面倒臭がるのは必然だと思います。
その通りですよね。
書き込みありがとうございます。