故国の滅亡を伍子胥は生きてみれませんでしたが、私たちは生きてこの魔境カルト日本の滅亡を見ます。
2024/05 04 < | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 | 17 | 18 | 19 | 20 | 21 | 22 | 23 | 24 | 25 | 26 | 27 | 28 | 29 | 30 | 31 | > 06 |
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http://dotplace.jp/archives/12751
上記文抜粋
・・・・・・・・・
他にも、サステナブルな社会創生を目指して行動指針を語り合うイベント「ソーシャルデザインカンファレンス」を主宰するムラタチアキさんは、「単なる利益追求ではなく、社会貢献を前提にしたコトやモノのデザインのこと」*8 と定義するなど、それぞれの立場によって微妙な差異はあるが、概ね共通しているのは、(1)社会的な課題を、(2)クリエイティブに解決する、ということだろうか。
■社会的な課題って?
ここでいう社会的な課題には、気候変動や戦争、難民といったグローバルなものから、まちづくり、高齢者福祉、子育て支援といったローカルなものまで、挙げてゆけばキリがない。しかもそれらは本来、そう簡単にくくれるものではないものだ。
ひとくちに子育て問題といっても、「鹿児島に引っ越したばかりで、仕事の関係で出張も多いのだけど、子育て経験のある鹿児島の友人がおらず、結果“引きこもり育児”に陥り、夫婦ゲンカが増えてしまう問題」といった具合で、現場の数だけ課題がある、という方が現実だろう。(お察しの通り、上記は僕のケースです)
その解決のために、公的な仕組みがあることは本当にありがたい。『サンエールかごしま *9 』という託児サービス付きの施設が開催する手芸教室に参加することで、妻が同じ境遇にある知人と知り合いになれたりするのは、それなりに大きい。
その一方で、すべて人まかせにするのではなく、自分たちで解決するという選択肢ももちろんある。
兼松家の場合、妻はもともとゲームのシナリオライターをやっていたので、「愉快なお話を書ける」という特技がある。そこで紆余曲折を経て、「物語育児」という、子どもと関わりあいながらそれを文章にまとめて発信するという新たなプロジェクトを始めた。
そうすることで「子育てか?(子どもを預けて)表現活動か?」という究極の選択を乗り越え、子育てと表現活動を一致させることができた。それが奏功したのか、前よりも夫婦ゲンカが少なくなったのだ。
僕たちにとってあくまで託児サービスは対症療法的な解決策であって、本当に効果のある解決策は自分たちの内なる変化にあった。それこそ取り組むべき課題の本質というものだろう。
[後編に続きます]
注
・・・・・・・・
・・・・・・・・・
抜粋終わり
後編 より
上記文抜粋
・・・・・・・・
■“自分ごと”と“社会ごと”をつなぐ
前編の最後に、兼松家として子育て問題とどう向き合っているのか、という話をしたが、グリーンズでは、そんな「“自分ごと”からはじめるソーシャルデザイン」というメッセージを大切にしている。
きっとそれは“プロ市民”と揶揄されるようなものとは次元の違う、市民社会の前向きな成熟 *1 なのだと思う。
個人の自宅だけではなく公共的な施設も含めて、エネルギー源をどうするのか? どこの交通インフラを整えれば、人びとの暮らしが本当に豊かになるのか? これからの学校教育のあり方は、いったいどうすればいいのだろうか? 高齢者社会における医療費負担は? …
それら“日本の論点”は、当事者にしてみれば切実だが、多くの人にはたいてい「自分には関係ない」と思いがちだ。しかし、本来それらのビッグなテーマこそソーシャルデザインの本丸であり、そろそろその距離を埋めていく必要がある。誰もが急に当事者になりうる時代、他人行儀なことを言っている場合じゃない。
そこで希望となるのは、ソーシャルデザインによって、“自分ごと”と“社会ごと”が一致しはじめている、言わば社会的に目覚めつつある僕たち市民だ。ひとりひとりが小さな成功と失敗の体験を重ねながら、それを実績として立法や行政といった大きな舞台の現場に立ち、建設的な熟議を促していく。少し遠回りかもしれないけれど、その方がより真っ当なビジョンを描けそうな気がする。
だからこそまずは、ひとりひとりのスイッチを押していくこと、そしてスイッチの入ったひとりひとりの活躍の場を広げていくこと。そういうことをグリーンズとして、全うしていきたいと思っている。
■ソーシャルデザインはバズワード?
やや話がそれたので、本筋に戻そう。
“ソーシャルデザイン”という言葉は広がっている。そして“ソーシャルデザイン”を掲げる主体も増えている。それはとても素晴らしいことだし、期待もしているのだけど、一方で、単なるバズワードになってしまう可能性もある。
今まで上手く行かなかった施策をラベル替えだけして、結局は課題の構造そのものが変わることのないまま、本質からずれた取り組みを行ってしまうかもしれない。
最初の実験的な段階はそれでいい。しかしそれが毎年のように続いてしまうと、「期待してみたけれど、やっぱり失望した」という感じで、下火になるどころか、反動を生み出すことさえあるだろう。
だからこそ、うわべだけのキーワードが先行するような事態は避けなくてはいけない。大切なのはそのソーシャルデザインなるものに、いのちをふきこむことだ。それはもちろん、自戒も込めて。
ソーシャルデザインの領域は、意思決定という民主主義の根本的な構造そのものを再編する場合もあるから、楽しいことばかりではないし、取り組む本人も葛藤の連続である。そんな中で目に見えた変化が訪れるまでには、おそらく、というより、必ず時間がかかる。
四半期のサイクルに追われるファストな時代にあって、長期的な視野で持続可能な社会を本気でつくっていくためには、根本のところから見直す必要があるだろう。
■ソーシャルデザインの時代に求められる5つの力
短距離走のために鍛えた体では、100kmのウルトラマラソンはこなせない。もしかしたらひとりで100km走らなくとも、みんなで役割分担をしながら、運動の得意な彼は10km、苦手な僕は100mと、それぞれのできる範囲で襷をつなげたっていい。
そんなソーシャルデザインの時代に求められる、自分たちの”あり方”のシフト。それは例えば、こんな根本的な力を身につけていくことだと思う。
(1)心を開いて対話し、刻々と変化する課題を全体的に捉える力
(2)物事の本質を見極め、その場にある可能性を創造的に引き出す力
(3)大いなる目的を分かち合い、目の前のことを公平に判断する力
(4)手元に溢れている資源を、見返りを求めずに提供する力
(5)自分の心や体に耳を傾けて、積極的に気分転換する力
そしてこれらのすべては、1200年前の空海の言葉と見事に響き合っている。次項から、ひとつひとつ紐解いていこうと思う。
■“方便”としてのソーシャルデザイン
この項の最後に、真言宗で最も大切な経典のひとつ『大日経』の中から一文を紹介したい。「ここに空海の教えの核心がすべて詰まっている」と言われるが、僕はここにソーシャルデザインの真髄も見ている。
菩提心を因となし、大悲を根となし、方便を究竟となす
さとりを求める心(菩提心)を原因とし、大いなるあわれみ(大悲)を根とし、手だて(方便)を究極的なものとするのである。
――宮坂宥勝『密教経典』p.31 より
仏教らしい言葉である“菩提心”とは、「悟りたい(迷いを払い去り、永遠の真理を知りたい)と願って努力する心」であり、そこには「この世界のために貢献したい」という“衆生救済”の思いも含まれる。
誰もが備えているそんな“菩提心”がそもそもの源泉としてあり、ふとあるとき社会的な課題に困っている人と出会うことで、にわかに“大悲”が生まれる。
それを解決しようとする自分発のプロジェクトが“方便” *2 となって、物事が前向きに動きはじめる。その流れのなかで、豊かなご縁が育まれ、まるで大きなつながりの中で自分が生かされているような、大らかな心地に包まれることもある。
そして、その人ならではの生き方、表現の仕方と、プロジェクトでの活動がひとつに重なるとき、人は太陽のように輝いた表情を見せる。言わば以前のわたし(小我)は彼方に消え、次元の違う本当のわたし(大我)と出会ったのだ。
ソーシャルデザインに励む姿そのものが、悟りそのものである。「方便を究竟となす」とは、そういうことでもあるのではないだろうか。そのキラキラした姿は、周りの誰かの秘めた可能性をも遍く照らし、いつかその種も大地に根を張り、この世界に芽吹いていくだろう。
父や母だったり、恋人や子どもだったり、仕事の仲間やクライアントだったり。ときにはお寿司屋さんのカウンターでたまたま隣りに座ったり、落とした財布を拾ってくれて急いで届けてくれたり。日々巡りあう数奇なご縁は、織り重なって尽くせないほどに味わい深い。
そんな重々無尽のネットワークのなかで、僕たちはお互いがお互いを照らし合っている。その美しい光景の中に「既に自分もある」とハッと気付くこと。それこそソーシャルデザインに関わるすべての人にある日やってくる、大いなるサプライズギフトなのである。
[ソーシャルデザインのそもそも 了]
・・・・・・・・・
・・・・・・・・
抜粋終わり
なんか役に立つかも知れない。
clubbiのブログ より
上記文抜粋
・・・・・・・・・・
石手寺の大事なことに悩み相談があります。どのお寺でも悩み相談をしているかというとそうでもないようです。先日、尾道の浄泉寺さんでインド仏教指導者の佐々井聖人のお話を聞きましたが、そのときの質問者の問いが「今のお寺は悩みを聞いてもらおうと門を叩いても出てきてくれない」というものでした。
昔は、お寺というのは住職の私物ではなく皆のものでした。戦後間もなくのときは、食べていけない人が寺にやってくると泊めていました。石手寺でも納屋などに何人も居たのを覚えています。その後、困窮者を泊めることもなくなり、相談に来た人に応対することも減ったようです。
・・・・中略・・・
そういえば仙遊寺さんも熱心と聞きます。ご住職さんは在家の出身と聞きました。先代方丈さんも在家出身です。当然ですね。大方のお寺が世襲になったのはつい最近のことですから。世襲になってからお寺は閉鎖的になりました。どうしてだと思いますか。
私の謎解きですが、先代方丈さんは家が貧しくて、それでも勉強をしたかったので、お寺に丁稚奉公して夜学に行かしてもらったのです。法文学部を出たといっていました。その頃は寺も貧しくて、先々代さんは旧九州帝大の教授で、その給金で弟子を育てていたようです。そんなことで、お寺に入ってやっと食べることができたし大学に行くことができたのが先代さんです。
だからお寺にすがろうとしてやって来た人々を追い返したことがないということです。仙遊寺さんも同じ心境ではないかとお察しします。
人間は自分がされたように恩返しをするのでしょうか。頭では慈悲行しなければならないと思っていてもなかなか大胆にはできません。身についたことは考えなくてもすいすいとできるのです。
・・・・・・・・
・・・・・・・・・
抜粋終わり
マボサクとかが「仏教の害」とかいうのは、どうも「世襲坊主」の影響が巨多に思える。
世襲坊主といっても、仏教の教団社会の上層部のことがメインで、特にあの連中は「元皇族の門跡」とか「摂関家の末裔」とか言う連中が、ほぼ教団の上層部を支配している。
のだから、天皇制の汚染どっぷりのなかで仏教を学んでもそこまで正気になれない。
門跡の元皇族のさまが、飢えたホームレスを助けたり、年越し派遣村で炊き出しをしていたかね・・・
一応仏教も、「おてらおやつクラブ」とか動き出しはしているが、そもそもリベラル界隈の宗教嫌いが多い連中のなかでも、10年前ほどの「年越し派遣村」「派遣切り」という貧富の格差拡大あたりから「助太刀」を求める声はあったのだが、その時はカルト教団か耶蘇くらいだったわけで。
だいたいの坊さんの生活はどうも「中産階層の最下級」レベルのようであったようだ(地方の寺院の苦境と、中央・京都や東京の繁栄の格差と収奪構造・・・・}が、坊主になる修行先には、門跡や本山の偉い金持ちの子弟と交流して、それが「当たり前」のようになってういたのではないのだろうか?
そういう感覚では、十年かかるわけだ、貧困対策をして、そこそこ順調になるのには・・・
で、宗教の世界も「天皇制滅亡」しないと、こりゃ、日本人は絶滅しそうですな・・。
ということで、「仏教のつかいどころ」はまだあるけど「天皇制滅亡」しないと、「夢殿の収奪装置」ってことは是正できないって感じ・・・。
表題と上手くかみ合わないけど、今回はこれにて。
お読みくださりありがとうございます。
上記文抜粋
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他にも、サステナブルな社会創生を目指して行動指針を語り合うイベント「ソーシャルデザインカンファレンス」を主宰するムラタチアキさんは、「単なる利益追求ではなく、社会貢献を前提にしたコトやモノのデザインのこと」*8 と定義するなど、それぞれの立場によって微妙な差異はあるが、概ね共通しているのは、(1)社会的な課題を、(2)クリエイティブに解決する、ということだろうか。
■社会的な課題って?
ここでいう社会的な課題には、気候変動や戦争、難民といったグローバルなものから、まちづくり、高齢者福祉、子育て支援といったローカルなものまで、挙げてゆけばキリがない。しかもそれらは本来、そう簡単にくくれるものではないものだ。
ひとくちに子育て問題といっても、「鹿児島に引っ越したばかりで、仕事の関係で出張も多いのだけど、子育て経験のある鹿児島の友人がおらず、結果“引きこもり育児”に陥り、夫婦ゲンカが増えてしまう問題」といった具合で、現場の数だけ課題がある、という方が現実だろう。(お察しの通り、上記は僕のケースです)
その解決のために、公的な仕組みがあることは本当にありがたい。『サンエールかごしま *9 』という託児サービス付きの施設が開催する手芸教室に参加することで、妻が同じ境遇にある知人と知り合いになれたりするのは、それなりに大きい。
その一方で、すべて人まかせにするのではなく、自分たちで解決するという選択肢ももちろんある。
兼松家の場合、妻はもともとゲームのシナリオライターをやっていたので、「愉快なお話を書ける」という特技がある。そこで紆余曲折を経て、「物語育児」という、子どもと関わりあいながらそれを文章にまとめて発信するという新たなプロジェクトを始めた。
そうすることで「子育てか?(子どもを預けて)表現活動か?」という究極の選択を乗り越え、子育てと表現活動を一致させることができた。それが奏功したのか、前よりも夫婦ゲンカが少なくなったのだ。
僕たちにとってあくまで託児サービスは対症療法的な解決策であって、本当に効果のある解決策は自分たちの内なる変化にあった。それこそ取り組むべき課題の本質というものだろう。
[後編に続きます]
注
・・・・・・・・
・・・・・・・・・
抜粋終わり
後編 より
上記文抜粋
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■“自分ごと”と“社会ごと”をつなぐ
前編の最後に、兼松家として子育て問題とどう向き合っているのか、という話をしたが、グリーンズでは、そんな「“自分ごと”からはじめるソーシャルデザイン」というメッセージを大切にしている。
きっとそれは“プロ市民”と揶揄されるようなものとは次元の違う、市民社会の前向きな成熟 *1 なのだと思う。
個人の自宅だけではなく公共的な施設も含めて、エネルギー源をどうするのか? どこの交通インフラを整えれば、人びとの暮らしが本当に豊かになるのか? これからの学校教育のあり方は、いったいどうすればいいのだろうか? 高齢者社会における医療費負担は? …
それら“日本の論点”は、当事者にしてみれば切実だが、多くの人にはたいてい「自分には関係ない」と思いがちだ。しかし、本来それらのビッグなテーマこそソーシャルデザインの本丸であり、そろそろその距離を埋めていく必要がある。誰もが急に当事者になりうる時代、他人行儀なことを言っている場合じゃない。
そこで希望となるのは、ソーシャルデザインによって、“自分ごと”と“社会ごと”が一致しはじめている、言わば社会的に目覚めつつある僕たち市民だ。ひとりひとりが小さな成功と失敗の体験を重ねながら、それを実績として立法や行政といった大きな舞台の現場に立ち、建設的な熟議を促していく。少し遠回りかもしれないけれど、その方がより真っ当なビジョンを描けそうな気がする。
だからこそまずは、ひとりひとりのスイッチを押していくこと、そしてスイッチの入ったひとりひとりの活躍の場を広げていくこと。そういうことをグリーンズとして、全うしていきたいと思っている。
■ソーシャルデザインはバズワード?
やや話がそれたので、本筋に戻そう。
“ソーシャルデザイン”という言葉は広がっている。そして“ソーシャルデザイン”を掲げる主体も増えている。それはとても素晴らしいことだし、期待もしているのだけど、一方で、単なるバズワードになってしまう可能性もある。
今まで上手く行かなかった施策をラベル替えだけして、結局は課題の構造そのものが変わることのないまま、本質からずれた取り組みを行ってしまうかもしれない。
最初の実験的な段階はそれでいい。しかしそれが毎年のように続いてしまうと、「期待してみたけれど、やっぱり失望した」という感じで、下火になるどころか、反動を生み出すことさえあるだろう。
だからこそ、うわべだけのキーワードが先行するような事態は避けなくてはいけない。大切なのはそのソーシャルデザインなるものに、いのちをふきこむことだ。それはもちろん、自戒も込めて。
ソーシャルデザインの領域は、意思決定という民主主義の根本的な構造そのものを再編する場合もあるから、楽しいことばかりではないし、取り組む本人も葛藤の連続である。そんな中で目に見えた変化が訪れるまでには、おそらく、というより、必ず時間がかかる。
四半期のサイクルに追われるファストな時代にあって、長期的な視野で持続可能な社会を本気でつくっていくためには、根本のところから見直す必要があるだろう。
■ソーシャルデザインの時代に求められる5つの力
短距離走のために鍛えた体では、100kmのウルトラマラソンはこなせない。もしかしたらひとりで100km走らなくとも、みんなで役割分担をしながら、運動の得意な彼は10km、苦手な僕は100mと、それぞれのできる範囲で襷をつなげたっていい。
そんなソーシャルデザインの時代に求められる、自分たちの”あり方”のシフト。それは例えば、こんな根本的な力を身につけていくことだと思う。
(1)心を開いて対話し、刻々と変化する課題を全体的に捉える力
(2)物事の本質を見極め、その場にある可能性を創造的に引き出す力
(3)大いなる目的を分かち合い、目の前のことを公平に判断する力
(4)手元に溢れている資源を、見返りを求めずに提供する力
(5)自分の心や体に耳を傾けて、積極的に気分転換する力
そしてこれらのすべては、1200年前の空海の言葉と見事に響き合っている。次項から、ひとつひとつ紐解いていこうと思う。
■“方便”としてのソーシャルデザイン
この項の最後に、真言宗で最も大切な経典のひとつ『大日経』の中から一文を紹介したい。「ここに空海の教えの核心がすべて詰まっている」と言われるが、僕はここにソーシャルデザインの真髄も見ている。
菩提心を因となし、大悲を根となし、方便を究竟となす
さとりを求める心(菩提心)を原因とし、大いなるあわれみ(大悲)を根とし、手だて(方便)を究極的なものとするのである。
――宮坂宥勝『密教経典』p.31 より
仏教らしい言葉である“菩提心”とは、「悟りたい(迷いを払い去り、永遠の真理を知りたい)と願って努力する心」であり、そこには「この世界のために貢献したい」という“衆生救済”の思いも含まれる。
誰もが備えているそんな“菩提心”がそもそもの源泉としてあり、ふとあるとき社会的な課題に困っている人と出会うことで、にわかに“大悲”が生まれる。
それを解決しようとする自分発のプロジェクトが“方便” *2 となって、物事が前向きに動きはじめる。その流れのなかで、豊かなご縁が育まれ、まるで大きなつながりの中で自分が生かされているような、大らかな心地に包まれることもある。
そして、その人ならではの生き方、表現の仕方と、プロジェクトでの活動がひとつに重なるとき、人は太陽のように輝いた表情を見せる。言わば以前のわたし(小我)は彼方に消え、次元の違う本当のわたし(大我)と出会ったのだ。
ソーシャルデザインに励む姿そのものが、悟りそのものである。「方便を究竟となす」とは、そういうことでもあるのではないだろうか。そのキラキラした姿は、周りの誰かの秘めた可能性をも遍く照らし、いつかその種も大地に根を張り、この世界に芽吹いていくだろう。
父や母だったり、恋人や子どもだったり、仕事の仲間やクライアントだったり。ときにはお寿司屋さんのカウンターでたまたま隣りに座ったり、落とした財布を拾ってくれて急いで届けてくれたり。日々巡りあう数奇なご縁は、織り重なって尽くせないほどに味わい深い。
そんな重々無尽のネットワークのなかで、僕たちはお互いがお互いを照らし合っている。その美しい光景の中に「既に自分もある」とハッと気付くこと。それこそソーシャルデザインに関わるすべての人にある日やってくる、大いなるサプライズギフトなのである。
[ソーシャルデザインのそもそも 了]
・・・・・・・・・
・・・・・・・・
抜粋終わり
なんか役に立つかも知れない。
clubbiのブログ より
上記文抜粋
・・・・・・・・・・
石手寺の大事なことに悩み相談があります。どのお寺でも悩み相談をしているかというとそうでもないようです。先日、尾道の浄泉寺さんでインド仏教指導者の佐々井聖人のお話を聞きましたが、そのときの質問者の問いが「今のお寺は悩みを聞いてもらおうと門を叩いても出てきてくれない」というものでした。
昔は、お寺というのは住職の私物ではなく皆のものでした。戦後間もなくのときは、食べていけない人が寺にやってくると泊めていました。石手寺でも納屋などに何人も居たのを覚えています。その後、困窮者を泊めることもなくなり、相談に来た人に応対することも減ったようです。
・・・・中略・・・
そういえば仙遊寺さんも熱心と聞きます。ご住職さんは在家の出身と聞きました。先代方丈さんも在家出身です。当然ですね。大方のお寺が世襲になったのはつい最近のことですから。世襲になってからお寺は閉鎖的になりました。どうしてだと思いますか。
私の謎解きですが、先代方丈さんは家が貧しくて、それでも勉強をしたかったので、お寺に丁稚奉公して夜学に行かしてもらったのです。法文学部を出たといっていました。その頃は寺も貧しくて、先々代さんは旧九州帝大の教授で、その給金で弟子を育てていたようです。そんなことで、お寺に入ってやっと食べることができたし大学に行くことができたのが先代さんです。
だからお寺にすがろうとしてやって来た人々を追い返したことがないということです。仙遊寺さんも同じ心境ではないかとお察しします。
人間は自分がされたように恩返しをするのでしょうか。頭では慈悲行しなければならないと思っていてもなかなか大胆にはできません。身についたことは考えなくてもすいすいとできるのです。
・・・・・・・・
・・・・・・・・・
抜粋終わり
マボサクとかが「仏教の害」とかいうのは、どうも「世襲坊主」の影響が巨多に思える。
世襲坊主といっても、仏教の教団社会の上層部のことがメインで、特にあの連中は「元皇族の門跡」とか「摂関家の末裔」とか言う連中が、ほぼ教団の上層部を支配している。
のだから、天皇制の汚染どっぷりのなかで仏教を学んでもそこまで正気になれない。
門跡の元皇族のさまが、飢えたホームレスを助けたり、年越し派遣村で炊き出しをしていたかね・・・
一応仏教も、「おてらおやつクラブ」とか動き出しはしているが、そもそもリベラル界隈の宗教嫌いが多い連中のなかでも、10年前ほどの「年越し派遣村」「派遣切り」という貧富の格差拡大あたりから「助太刀」を求める声はあったのだが、その時はカルト教団か耶蘇くらいだったわけで。
だいたいの坊さんの生活はどうも「中産階層の最下級」レベルのようであったようだ(地方の寺院の苦境と、中央・京都や東京の繁栄の格差と収奪構造・・・・}が、坊主になる修行先には、門跡や本山の偉い金持ちの子弟と交流して、それが「当たり前」のようになってういたのではないのだろうか?
そういう感覚では、十年かかるわけだ、貧困対策をして、そこそこ順調になるのには・・・
で、宗教の世界も「天皇制滅亡」しないと、こりゃ、日本人は絶滅しそうですな・・。
ということで、「仏教のつかいどころ」はまだあるけど「天皇制滅亡」しないと、「夢殿の収奪装置」ってことは是正できないって感じ・・・。
表題と上手くかみ合わないけど、今回はこれにて。
お読みくださりありがとうございます。
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