故国の滅亡を伍子胥は生きてみれませんでしたが、私たちは生きてこの魔境カルト日本の滅亡を見ます。
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文殊菩薩 ブログ版 より
上記文抜粋
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佐藤優の教育論 東洋経済Online H.25/01/31
佐藤優の教育論
「偏差値を追うと人格が歪む」
『子どもの教養の育て方』特別編(その1)
東洋経済ONLINE 2013年01月31日
"知の怪物"と呼ばれる作家の佐藤優氏は「現在の日本には3つのエリートがいる」と指摘する。
第一は、古いシステムを動かすノウハウを持っている「旧来のエリート」、第二は、社会、政治の混乱期に、急速なキャリアの上昇を行った「偶然のエリート」。この2つのエリートが日本を牛耳るかぎり、日本は閉塞状態から抜け出すことはできない。
今の日本に本当に必要なのは、第三の「未来のエリート」だ。子どもや若者が本物の教養を身につければ、日本は10年後に大きく変化する。
では、どうすれば若者は佐藤氏のような教養人になれるのか? どうすれば子どもを教養人に育てられるのか?――そんな疑問に、5児の母であり、前衆議院議員の井戸まさえ氏が迫る。
※本対談は『子どもの教養の育て方』の未収録部分を編集した特別版です
偏差値が高い学校が、いい学校とは言えない
井戸:親としては、子どもは勉強ができる子であってほしいし、偏差値の高い学校に入ってほしいと思いますが、それが本当に子どもにとって幸せなのかということについては、よく考えなければいけません。勉強以外のところで才能を持っている子もたくさんいるわけです。
偏差値を重視する子育てについては、どう思われますか?
佐藤:教育ということになると、どうしても偏差値とか進学とか、そういったことを基準に考えがちです。しかし、その弊害というのもすごくあります。経験から少しお話ししましょう。
僕の卒業した埼玉県立浦和高校というのは、県内の公立高校の中でも難しいといわれて、200点満点の試験で180点くらいとらないと合格しなかった。
井戸:全国の公立高校の中でもトップクラスの学校ですよね。
佐藤:それでちょっと話は飛ぶようですが、灘とか開成といった難関私立高校の入試は、中学の段階を超えた問題を出すんです。高校1年生の1学期終了分くらいまでの問題が出ます。そのわずか3カ月の違いが、入試のときの決定的な差になるんです。
これに対して浦和高校の場合は、埼玉県の統一入試だったので、中学の範囲を超えた出題はない。それだから、絶対にミスをしないというスタイルの受験勉強が必要になりました。こういう勉強は、官僚になるための準備としてはいいのですが、創造力はつきません。
外務省に入ってみると、雰囲気が基本的に浦和高校の繰り返しだったんですね。表面上はみんな愛想がよくて、要領がよくて、頭がいい。ただ、ほとんどが「一番病」なんです。
佐藤:僕は外務省で教育係をやったんです。キャリア、ノンキャリア問わずにロシア語を教えるのですが、特に語学の場合は、適性が影響するので、適性がある人間だと頭が3つくらい抜けちゃう。
みんな最初は、どんぐりの背比べだと思って一生懸命勉強するんです。ところが、ある人間が頭1つ抜けちゃっていつも1位で固定すると、2番目以下はいっさいやる気を失う。そうすると個別指導に切り替えないといけなくて、集団指導ができないんです。
それから、外務省で初の例だったのですが、文部教官の発令を受けて、東大の駒場の専門課程で教鞭を執っていたんです。ご存じの方もいると思いますが、教養学部の専門課程というのは、東大の法学部よりも内部進学点が高い。極端な秀才の集まりで、その中で特に成績のいい連中が集まるのが総合社会科学分科の国際関係論コースです。
そこの中から試験で勝ち抜いてきたのが、外務省のキャリア職員では多いわけです。しかし、そういう人物が幼児プレーが趣味だったりするんです。僕が見てきた中で、そういう比率がかなり高い。
この前、東京大学教養学部を退官された、山内昌之先生と話していて、先生ご自身は北大の出身なのですが、何か根源的な問題が東大教養学部の中の超エリート養成にはあるのではないかと言っていました。
偏差値の中で育てると、極端な歪みが出てしまうケースが多い。それが今の外交の体たらくにつながっていると思います。
井戸:すごく優秀な人たちなのに、どこかが欠落している。官僚を見ていると、私も大丈夫かなと思うときがあります。
佐藤:そこのところが、偏差値教育と関係していると思うのです。
実力以上に努力すると、人の足を引っ張る人間になる
井戸:国会議員の中にも多いのですが、むやみやたらと自己評価が高い人がいます。謝ることができないというのもそうだと思うんですが、「何様型」の人がすごく多いんです。
佐藤:そういう人が多いのは、人間というのは自己中心的な動物だからです。特に近代になると、そういうふうになってくる。物事を自分の頭で組み立てるから。
でも、そこで「何様型」の人に教えてあげるといいのは、「実力とかみ合っていないと滑稽だよ」ということ。プライドは高いけれども実力は低いというのを、客観的に見ることができるようになればいいのですが。
井戸:「何様型」は、人を蹴落としたりけなしたりすることによって自分が上がるみたいなところがありますよね。
佐藤:その話で思い出すことがあるのですが、僕が外務省で研修指導をしているときに非常に困ったのは、外交官試験でバネが伸び切って入ってくる連中でした。
井戸:それはどういうときにわかるのですか?
佐藤:苦節何年という人たちですね。外務省に入るまでに4~5年かかったとか。あるいはノンキャリアでも、たとえば短大を出てから別の大学に行って、大変な努力をしてはい上がってきたとか。
そういう人たちは、努力好きなのはいいのですが、もともとの資質とか記憶力とかが関係するので、死ぬほど努力しても伸びに限界がある。そうすると、人の足を引っ張り始めるんです。そこが問題なんですね。
出世はしょせん相対的な競争だから、努力もするんだけれども、プラス人の足を引くということをやれば速いんですよ。
基本的には、霞が関というのはそういう人たちの集団ですね。だから、「何様型」というのは、霞が関には多い。また、そういう性格を隠す知恵がちょっと足りない人がいる。それで不必要な敵をつくります。
学校以外の世界を体験させることも重要
井戸:もう1つ、偏差値教育の弊害というか、エリートで東大に入りましたというような人が、自分は人格も優れていると思い込んでしまうことがありますよね。そういう人はパワハラ(パワーハラスメント)なんかしても、本人は悪いと思っていないんです。
佐藤:人格が優れていることと、高等教育を受けていること、責任ある仕事に就いて、おカネも稼ぐことができるということ、これらは実はまったく関係していません。全部それぞれ別の概念だということを理解しておかないといけませんね。
井戸:対人関係でも、有名私立とか国立の一流校を出た人たちが、たとえばコミュニケーションが上手かといったらそうではなく、大丈夫かなと思う人たちもいっぱいいます。言葉が汚なかったり。国会議員でもそうです。立派な教育課程を経てきた人が、なぜそうなるのか不思議です。
佐藤:それは、その人が教育課程の中で、それ以外の社会を知ったり、ほかの教育とか、教養をつける機会がなかったからだと思います。
井戸:ということは、偏差値の高い私立中学に入れたとしても、「チームプレー」を学ばせたり、違う世界を経験させることは大事なのでしょうか。たとえば地域の野球チームに入れてみるとか。
佐藤:とても意味があると思います。スイミングスクールやサッカーでもいいでしょう。ただ、具体的にはスポーツばかりではなく、何かほかのことでもいいかもしれません。教会に通うことでもいいと思う。
井戸:学校以外の場でほかのチャンネルというか、触れ合えるものをということですね。
私の友人でも、子どもに熱心に受験勉強をさせているお母さんがいます。彼女が言うには、「やっと中学受験が終わったと思ったら、そこからまたもっとハードな毎日が待っているような状態になって、それが高校生まで切れずに行くというのはすごいことだと思った。これについていけるのは、どこかで感覚がマヒしているか、よっぽど勉強が好きか、我慢強いかというところがあるのでは」と。
その子はお母さんもしっかりしているので大丈夫だと思うのですが、そういう受験競争の中で育つべき部分が育たず、それが大人になったとき、どこかいびつな形で出るということはあるような気がします。
佐藤:外務省の中で、僕はさんざんそういう例を目の当たりにしました。
外務省の幹部が鈴木宗男さんの前で土下座をしたり、「浮くも沈むも大臣と一緒です」と涙を流したりする光景を何度も見てきました。鈴木さんを前にして震え上がっているのも見た。
でも、僕はこれらを全部芝居だと思っていたんです。政策実現のためのテクニックなんだと。ところがそうではなくて、どうも本当に怖かったみたいです。
どういうことかというと、彼らは中学生か高校生のときに、必ずいじめられたことがある。そのときのいじめっ子と鈴木さんが重なるんです。
僕は、例の事件で検察から取り調べを受けました。検察官というのは、司法試験を受かったから、一応成績はいいわけです。ただ、実はトップクラスはいない。トップクラスは裁判官になるんです。でも、司法試験だって苦節何年の世界です。実のところ、中央や早稲田といった私大からのたたき上げが結構多いんです。
そうすると、検察官になったとき、今までいじめられてきた暗い青春のその部分を、取り調べで被疑者をいじめ返すことによって復讐してやるみたいな、暗い感じのやつが多いんです。
井戸:受験や競争の世界だけで育ってしまうと、バランスのとれた大人にはなれないということですね。
佐藤優(さとう・まさる)
作家・元外務省主任分析官
1960年、東京都生まれ。同志社大学大学院神学研究科修了。 2005年に発表した『国家の罠 外務省のラスプーチンと呼ばれて』で第59回毎日出版文化賞特別賞受賞。06年に『自壊する帝国』で第5回新潮ドキュメント賞、第38回大宅壮一ノンフィクション賞受賞。『読書の技法』『獄中記』『交渉術』『外務省に告ぐ』『国家の「罪と罰」』など著書多数
井戸まさえ(いど・まさえ)
前民主党衆議院議員(兵庫1区)。
1965年、仙台市生まれ。東京女子大学文理学部史学科卒業。松下政経塾9期生。東洋経済新報社勤務を経て経済ジャーナリスト、兵庫県議会議員を2期勤め、2009年より民主党衆議院議員として、衆議院内閣・法務・消費者特別各委員会理事を歴任した。5児の母。
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抜粋終わり
マドモアゼル愛氏が「エリートには怨み・怨念が多い」と。
再見!
上記文抜粋
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佐藤優の教育論 東洋経済Online H.25/01/31
佐藤優の教育論
「偏差値を追うと人格が歪む」
『子どもの教養の育て方』特別編(その1)
東洋経済ONLINE 2013年01月31日
"知の怪物"と呼ばれる作家の佐藤優氏は「現在の日本には3つのエリートがいる」と指摘する。
第一は、古いシステムを動かすノウハウを持っている「旧来のエリート」、第二は、社会、政治の混乱期に、急速なキャリアの上昇を行った「偶然のエリート」。この2つのエリートが日本を牛耳るかぎり、日本は閉塞状態から抜け出すことはできない。
今の日本に本当に必要なのは、第三の「未来のエリート」だ。子どもや若者が本物の教養を身につければ、日本は10年後に大きく変化する。
では、どうすれば若者は佐藤氏のような教養人になれるのか? どうすれば子どもを教養人に育てられるのか?――そんな疑問に、5児の母であり、前衆議院議員の井戸まさえ氏が迫る。
※本対談は『子どもの教養の育て方』の未収録部分を編集した特別版です
偏差値が高い学校が、いい学校とは言えない
井戸:親としては、子どもは勉強ができる子であってほしいし、偏差値の高い学校に入ってほしいと思いますが、それが本当に子どもにとって幸せなのかということについては、よく考えなければいけません。勉強以外のところで才能を持っている子もたくさんいるわけです。
偏差値を重視する子育てについては、どう思われますか?
佐藤:教育ということになると、どうしても偏差値とか進学とか、そういったことを基準に考えがちです。しかし、その弊害というのもすごくあります。経験から少しお話ししましょう。
僕の卒業した埼玉県立浦和高校というのは、県内の公立高校の中でも難しいといわれて、200点満点の試験で180点くらいとらないと合格しなかった。
井戸:全国の公立高校の中でもトップクラスの学校ですよね。
佐藤:それでちょっと話は飛ぶようですが、灘とか開成といった難関私立高校の入試は、中学の段階を超えた問題を出すんです。高校1年生の1学期終了分くらいまでの問題が出ます。そのわずか3カ月の違いが、入試のときの決定的な差になるんです。
これに対して浦和高校の場合は、埼玉県の統一入試だったので、中学の範囲を超えた出題はない。それだから、絶対にミスをしないというスタイルの受験勉強が必要になりました。こういう勉強は、官僚になるための準備としてはいいのですが、創造力はつきません。
外務省に入ってみると、雰囲気が基本的に浦和高校の繰り返しだったんですね。表面上はみんな愛想がよくて、要領がよくて、頭がいい。ただ、ほとんどが「一番病」なんです。
佐藤:僕は外務省で教育係をやったんです。キャリア、ノンキャリア問わずにロシア語を教えるのですが、特に語学の場合は、適性が影響するので、適性がある人間だと頭が3つくらい抜けちゃう。
みんな最初は、どんぐりの背比べだと思って一生懸命勉強するんです。ところが、ある人間が頭1つ抜けちゃっていつも1位で固定すると、2番目以下はいっさいやる気を失う。そうすると個別指導に切り替えないといけなくて、集団指導ができないんです。
それから、外務省で初の例だったのですが、文部教官の発令を受けて、東大の駒場の専門課程で教鞭を執っていたんです。ご存じの方もいると思いますが、教養学部の専門課程というのは、東大の法学部よりも内部進学点が高い。極端な秀才の集まりで、その中で特に成績のいい連中が集まるのが総合社会科学分科の国際関係論コースです。
そこの中から試験で勝ち抜いてきたのが、外務省のキャリア職員では多いわけです。しかし、そういう人物が幼児プレーが趣味だったりするんです。僕が見てきた中で、そういう比率がかなり高い。
この前、東京大学教養学部を退官された、山内昌之先生と話していて、先生ご自身は北大の出身なのですが、何か根源的な問題が東大教養学部の中の超エリート養成にはあるのではないかと言っていました。
偏差値の中で育てると、極端な歪みが出てしまうケースが多い。それが今の外交の体たらくにつながっていると思います。
井戸:すごく優秀な人たちなのに、どこかが欠落している。官僚を見ていると、私も大丈夫かなと思うときがあります。
佐藤:そこのところが、偏差値教育と関係していると思うのです。
実力以上に努力すると、人の足を引っ張る人間になる
井戸:国会議員の中にも多いのですが、むやみやたらと自己評価が高い人がいます。謝ることができないというのもそうだと思うんですが、「何様型」の人がすごく多いんです。
佐藤:そういう人が多いのは、人間というのは自己中心的な動物だからです。特に近代になると、そういうふうになってくる。物事を自分の頭で組み立てるから。
でも、そこで「何様型」の人に教えてあげるといいのは、「実力とかみ合っていないと滑稽だよ」ということ。プライドは高いけれども実力は低いというのを、客観的に見ることができるようになればいいのですが。
井戸:「何様型」は、人を蹴落としたりけなしたりすることによって自分が上がるみたいなところがありますよね。
佐藤:その話で思い出すことがあるのですが、僕が外務省で研修指導をしているときに非常に困ったのは、外交官試験でバネが伸び切って入ってくる連中でした。
井戸:それはどういうときにわかるのですか?
佐藤:苦節何年という人たちですね。外務省に入るまでに4~5年かかったとか。あるいはノンキャリアでも、たとえば短大を出てから別の大学に行って、大変な努力をしてはい上がってきたとか。
そういう人たちは、努力好きなのはいいのですが、もともとの資質とか記憶力とかが関係するので、死ぬほど努力しても伸びに限界がある。そうすると、人の足を引っ張り始めるんです。そこが問題なんですね。
出世はしょせん相対的な競争だから、努力もするんだけれども、プラス人の足を引くということをやれば速いんですよ。
基本的には、霞が関というのはそういう人たちの集団ですね。だから、「何様型」というのは、霞が関には多い。また、そういう性格を隠す知恵がちょっと足りない人がいる。それで不必要な敵をつくります。
学校以外の世界を体験させることも重要
井戸:もう1つ、偏差値教育の弊害というか、エリートで東大に入りましたというような人が、自分は人格も優れていると思い込んでしまうことがありますよね。そういう人はパワハラ(パワーハラスメント)なんかしても、本人は悪いと思っていないんです。
佐藤:人格が優れていることと、高等教育を受けていること、責任ある仕事に就いて、おカネも稼ぐことができるということ、これらは実はまったく関係していません。全部それぞれ別の概念だということを理解しておかないといけませんね。
井戸:対人関係でも、有名私立とか国立の一流校を出た人たちが、たとえばコミュニケーションが上手かといったらそうではなく、大丈夫かなと思う人たちもいっぱいいます。言葉が汚なかったり。国会議員でもそうです。立派な教育課程を経てきた人が、なぜそうなるのか不思議です。
佐藤:それは、その人が教育課程の中で、それ以外の社会を知ったり、ほかの教育とか、教養をつける機会がなかったからだと思います。
井戸:ということは、偏差値の高い私立中学に入れたとしても、「チームプレー」を学ばせたり、違う世界を経験させることは大事なのでしょうか。たとえば地域の野球チームに入れてみるとか。
佐藤:とても意味があると思います。スイミングスクールやサッカーでもいいでしょう。ただ、具体的にはスポーツばかりではなく、何かほかのことでもいいかもしれません。教会に通うことでもいいと思う。
井戸:学校以外の場でほかのチャンネルというか、触れ合えるものをということですね。
私の友人でも、子どもに熱心に受験勉強をさせているお母さんがいます。彼女が言うには、「やっと中学受験が終わったと思ったら、そこからまたもっとハードな毎日が待っているような状態になって、それが高校生まで切れずに行くというのはすごいことだと思った。これについていけるのは、どこかで感覚がマヒしているか、よっぽど勉強が好きか、我慢強いかというところがあるのでは」と。
その子はお母さんもしっかりしているので大丈夫だと思うのですが、そういう受験競争の中で育つべき部分が育たず、それが大人になったとき、どこかいびつな形で出るということはあるような気がします。
佐藤:外務省の中で、僕はさんざんそういう例を目の当たりにしました。
外務省の幹部が鈴木宗男さんの前で土下座をしたり、「浮くも沈むも大臣と一緒です」と涙を流したりする光景を何度も見てきました。鈴木さんを前にして震え上がっているのも見た。
でも、僕はこれらを全部芝居だと思っていたんです。政策実現のためのテクニックなんだと。ところがそうではなくて、どうも本当に怖かったみたいです。
どういうことかというと、彼らは中学生か高校生のときに、必ずいじめられたことがある。そのときのいじめっ子と鈴木さんが重なるんです。
僕は、例の事件で検察から取り調べを受けました。検察官というのは、司法試験を受かったから、一応成績はいいわけです。ただ、実はトップクラスはいない。トップクラスは裁判官になるんです。でも、司法試験だって苦節何年の世界です。実のところ、中央や早稲田といった私大からのたたき上げが結構多いんです。
そうすると、検察官になったとき、今までいじめられてきた暗い青春のその部分を、取り調べで被疑者をいじめ返すことによって復讐してやるみたいな、暗い感じのやつが多いんです。
井戸:受験や競争の世界だけで育ってしまうと、バランスのとれた大人にはなれないということですね。
佐藤優(さとう・まさる)
作家・元外務省主任分析官
1960年、東京都生まれ。同志社大学大学院神学研究科修了。 2005年に発表した『国家の罠 外務省のラスプーチンと呼ばれて』で第59回毎日出版文化賞特別賞受賞。06年に『自壊する帝国』で第5回新潮ドキュメント賞、第38回大宅壮一ノンフィクション賞受賞。『読書の技法』『獄中記』『交渉術』『外務省に告ぐ』『国家の「罪と罰」』など著書多数
井戸まさえ(いど・まさえ)
前民主党衆議院議員(兵庫1区)。
1965年、仙台市生まれ。東京女子大学文理学部史学科卒業。松下政経塾9期生。東洋経済新報社勤務を経て経済ジャーナリスト、兵庫県議会議員を2期勤め、2009年より民主党衆議院議員として、衆議院内閣・法務・消費者特別各委員会理事を歴任した。5児の母。
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抜粋終わり
マドモアゼル愛氏が「エリートには怨み・怨念が多い」と。
再見!
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