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故国の滅亡を伍子胥は生きてみれませんでしたが、私たちは生きてこの魔境カルト日本の滅亡を見ます。
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徽宗皇帝のブログ より

上記文抜粋
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人権と「みんな仲良く」

考えてみると、「人権」とは「権利」であり、「利」は常に「利害の衝突」を生むものである以上、「みんな仲良く」は、「権利の範囲や内容」をうやむやにさせるという、小学校教育における悪質な「空気醸成装置」でもあるわけだ。

アメリカなどだと、基本的に「自分ファースト」だから、お互いが自分の権利を主張するのは当然、という感じのように思う。まあ、テレビドラマなどを見ていれば、そういう文化の雰囲気は伝わってくるのである。

私は、「Major」という野球漫画が昔から嫌いで、しかし野球自体は好きなので、野球放映の無いつれづれにこの漫画のアニメ化されたものを見ていると、案の定、主人公が実に嫌な性格である。
そのどこが嫌なのかというと、要するに、「エゴイスト」なのだが、エゴイストというより「自分ファースト」なのだ。行動のすべてが自己中心、自分の意思や欲望がすべてに優先する「俺様」人間で、私がその周囲の人間なら殺意さえ抱きそうな主人公なのだが、逆にアメリカあたりだとこれが普通なのではないか。私自身、「自分の欲望を口に出したり要求したりする」ことを恥ずかしく思う、という、日本人的な属性の鋳型にはめ込まれてしまっている、と思わないでもない。
まあ、人権の「権」とは本来は「秤(はかり)」の意味だ、と何かで読んだような記憶があるが、個々人の欲望や意思は他人の欲望や意思と衝突するのが当然であり、その衝突を「秤」で公平化したものが「人権」だ、と言えるのではないか。

つまり、社会生活において「ここまでは許容される」と決められたものが人権だろう。したがって、他人を殺すことなどは、明らかに他人の人権の完全な否定であり、最も重い罪となるわけだ。他人の悪口を言う、嘘で他人を陥れる、他人の物を盗むなど、大小さまざまな事柄に関して、それぞれ境界線が引かれることになる。

そして、繰り返しになるが、「みんな仲良く」だと、この境界線が透明化され、無意義化されることになる。「みんな仲良く」を教えるのは小学校低学年まででいい。中学年からは「人権」とは何か、他人の人権を侵害するとは何かを教えるべきだろう。それが無いから「いじめ問題」が起こるのではないか。




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抜粋終わり

「みんな仲良し」の社会は、その中の強者が弱者を搾取・いじめるをその他の構成員が厭わない限りに許容される。
それが「学校」である。また日本の組織である。

当然いじめはなくならない。


「みんな仲良し」だけでは、不幸になる。いじめと殺戮が隠蔽され、それがたまったマグマのように時に爆発する。

時には「不戦不和」の関係で行く人間関係もあるのだ。

偽りの「仲良し」を演じているような社会は、簡単に裏切りモノが出る社会である。それが日本。



お読みくださりありがとうございます。




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