忍者ブログ
故国の滅亡を伍子胥は生きてみれませんでしたが、私たちは生きてこの魔境カルト日本の滅亡を見ます。
2024/05     04 < 10  11  12  13  14  15  16  17  18  19  20  21  22  23  24  25  26  27  28  29  30  31  > 06
Admin | Write | Comment
P R
https://shutou.jp/post-3791/

景公霊山河伯を祠って雨を禱らんと欲す、晏子諌む【第十五】

斉で大いに日照りして、ひと夏を越えた。
景公は群臣を召して問うて
「雨が降らなくて久しい。民は飢えつつある。 わしは人に卜をさせたら
『山の神や水の神のたたりである』
と言う。寡人は人民から祭祀の費用を少し割当てて徴集しようと思う。よいだろうか」

と言った。

群臣で答える者がいなかった。

晏子は進んで
「いけません。これを祀っても益がありません。霊山は石からできており、草木は髪のようなものです。久しく雨が降らなければ、髪は焦げ、 身も熱してしまいます。霊山も雨を待ち望んでいるはずです。これを祀ってもどうして益がありましょうか」
と言った。

公は「それでは河伯を祀ろうと思う。いいだろうか」と言った。

晏子は
「いけません。河伯は水をもって国とし、魚とすっぽんをもって人民としています。 久しく雨が降らなければ泉は枯れて、川は干上がり、国は滅び、人民はいなくなります。河伯も雨が降るのを待ち望んでいます。これを祀ってどうして益がありましょう」
と言った。

公は
「どうしたらよいだろうか」
と言った。

晏子は
「君は宮殿を避けて野に宿り、霊山河伯と憂いを共にすれば、それを幸いとして雨が降るでしょう」
と言った。

ここにおいて景公は野に宿り、3日で天は雨を降らせ、民は作物の植付けや種まきができた。
景公は
「善いかな、晏子の言は有用で恩恵に富んでいる」
と言った。

・・・・・・・・・・・・
PR
https://shutou.jp/post-3791/

景公楚巫をして五帝を致して、以って徳を明らかにせしめんと欲す、晏子諌む【第十四】

楚の巫女の微が裔款の推挙で景公に見え、対談すること三日にして、景公はこれを喜んだ。
巫は
「公は神明を主宰する方であり、五帝の統率者です。公は位について17年。事がまだ成就しないのは、五帝がまだ降下していないためです。五帝を呼び、 もって君の徳を明らかにしましょう」
と言った。

景公は再拝稽首してこれに従った。

巫は「郊外を巡って五帝の位置を確認しましょう」と言った。
そこで牛山に行ったが、まだ登らなかった。
巫は「五帝の位置は国都の南にあります。 物忌みして後に登るようお願いします」と言った。
公は百官に命じて物忌みの道具を巫に渡させ、裔款がすべてこれを司った。

晏子はこれを聞いて、公に見えて「公は楚の巫の命で牛山で物忌みをなさるのですか」と言った。
公は「そのとおりだ。五帝を呼んで寡人の徳を明らかにすれば、 神は寡人に福を下さるであろう」と言った。

晏子は

「君のおっしゃることは過っております。古の王は、徳を厚くしてもって世を安んじ、行いを広めて、人民を保ちました。
そのため諸侯はこれを戴いてもって君となし、人民はこれに帰して、もって父母としました。
ですから天地は常に和して失せず、星や日月の運行は乱れませんでした。
君の徳行が立派で、天と並び、また四時(一年)のめぐりのごとく、広大無辺であってはじめて帝王の君、 神明の主になることができます。
古では政治を疎かにして祭りを盛大にしようとせず、わが身の行いを反省することなく、巫に頼ろうとしませんでした。
いま政は乱れて行いは偏り、 五帝の明徳を求めて賢人を棄て、巫を用いて帝王の身になろうとしています。
民が君に徳があると認めていないのに、福は降ってはきません。
君が帝王になろうとするのは難しいでしょう。
なんと惜しいことでしょう、 君は位が高いのに論じることが低級であるのは」

と言った。

公は
「裔款が巫を推挙して寡人に命じて『ためしに見て、考えてみてください』と言ったのだ。 寡人は見てこれを喜び、その道を信じて、その言ったことを行ったのだ。いま夫子はこれをそしった。巫を追放して、裔款を捕らえよう」
と言った。

晏子は「巫は追放してはなりません」と言った。
公は「どうしてか」と問うと、答えて
「巫が追放されれば、諸侯でこれを用いることがあるでしょう。
諸侯を巫の言により惑わすことは、諸侯をあなどることになり、不仁の行いです。巫を東方に移して、裔款を捕らえてください」
と言った。

公は「わかった」と言い、巫を東方に移し、裔款を捕らえた。

・・・・・・・・・・・・・・
https://shutou.jp/post-3791/ より

上記文抜粋
・・・・・・・・・・
景公封人の祝の不遜を怒る、晏子諌む【第十三】

景公は麦丘で遊び、その邑人に問うて「何歳であるか」と言った。答えて「私は85歳です」と言った。
景公は「長寿である。私を祝せよ」と言った。
邑人は「君の年齢を胡公よりも長くなれば、国家にとって幸いです」と言った。
公は「よろしい。さらに祝せよ」と言うと、
邑人は「君の世継は、みなわたくしと同じように長寿になりますように」と言った。
公は「よろしい。さらに祝せよ」と言った。

邑人は「君が民に罪を得ることがありませんように」と言った。
公は
「民が君に罪を得ることがあっても、君が罪を民に得るということはありえない。 どうしてそのようなことがあろうか」
と言った。

晏子は諌めて
「君は過っております。疎遠なる者に罪があった場合には、親密な関係の者がこれをとりなします。賤しい者の罪は、貴い者がこれをとりなします。
君侯が罪を得ても、これをとりなす者はおりません。
桀紂は君侯に誅されましたか、民が誅しましたか」と言った。

公は
「寡人は道理に暗かった」

と言った。ここに邑人に麦丘を賜うて邑とした。


・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・
抜粋終わり

天皇を取りなすものは、いない。

自分で自分を罰しなかった。

ので、今でも無責任にのさばり続ける。

民で罰せれなかった。

となると、このままいくと、外国勢力に、天皇家は皆殺しになるであろう。

予言である。

このまま、戦争責任の謝罪も、失政の謝罪もせず、天皇制を続行し続ければの話である。


お読みくださりありがとうございます。
https://shutou.jp/post-3791/  より

・景公病久しくして癒えず、祝史を誅して以って謝せんと欲す、晏子諌む【第十二】

景公はかゆくなる病気になり、マラリアを併発して、1年経っても回復しなかった。

会譴・ 梁丘拠・晏子を召して問うて
「寡人の病は重い。史(記録を司る官)の固と祝(神を祭る官)の佗に山や川の神霊を祭り、宗廟を祭らせて、 生贄や玉を十分に備えないことはなく、その数はいつも先君桓公よりも多かった。恒公が一回すれば、寡人は複数回行った。
にもかかわらず病は癒えるどころか、ますます悪くなっている。わたしはこの二人を殺して、上帝に謝ろうと思う。よいだろうか」
と言った。
会譴と梁丘拠は「いいでしょう」と言った。
晏子は答えなかった。
公は「晏子はどうか」と問うた。
晏子は「君は祈祷をすることは益があるとお考えですか」と言った。
公は「そうだ」と答えた。
晏子は冠を脱いで謝罪して
「もし神に幸を求めることがその人に益をなすならば、 人に災いをくだすこともまた同様にありえることといえます。君は輔弼の臣を疎んじ、忠臣を押さえ込んで、諫言を出させないようにしています。いま聊摂より東、 姑尤より西には人民が多くおります。人民は君をとがめ、恨み、これを上帝に訴える者がたくさんおります。一国の人民がそしって、たった二人が幸を求めております。 たとえよく祈祷する者でもこれでは勝てません。
さらに祝が実情を直言すれば、わが君をそしることになり、また君の過ちを隠したら、上帝を欺くことになります。上帝が霊力を有しているならば、 これをだますことはできません。上帝が霊力を有していないのなら、祈祷すること自体が無益なことになります。
願わくば君よ、よくお考えください。無罪を刑することは、夏・商の滅びた所以です」

と言った。
公は「よくぞわが迷いを解いてくれた。冠をつけなさい」と言い、会譴に命じて斉の政の担当を解き、梁丘拠に賓客を司る任務を解かせて、すべて晏子に併任させた。
晏子は辞退したが、許されなかった。3人は景公の命を受けて退出した。

晏子が政治を司って月が改まると、景公の病気は治った。

公は「昔、わが先君桓公は管子(管仲)をもって国力をつけ、狐と穀をこれに賜い、宗廟の鮮(供え物)のためとした。その忠臣に賜うことは、 忠臣を評価することである。子はいまの忠臣である。寡人は子に州と款を賜おうと思う」
と言った。
晏子は辞退して
「管子はひとつの美点、嬰はそれにおよびません。宗廟に鮮肉を備えることは嬰はできません」
と言い、ついに辞退して受けなかった。


・・・・・・・・・・・・・


お読みくださりありがとうございます。
https://shutou.jp/post-3791/  より

・景公適子陽生を廃して荼を立てんと欲す、晏子諌む【第十一】
淳于の人が女を景公に納れて、荼を生んだ。景公はこれを愛した。諸臣は謀って太子陽生を廃して荼を立てようとした。 公はそのことを晏子に告げた。

晏子は
「いけません。身分の賤しい者を貴い者と匹敵させるのは、国の害となります。
年長者を廃して、年少者を立てるのは、乱のもとです。
陽生は年長であり、 国人はこれを太子に戴いています。君はそれを変えてはなりません。地位によってつける衣服が異なるように、賤は貴に及びません。
太子を立てることにもきまりがあり、庶子は世継ぎを乱しません。願わくば君よ、荼に教えるのを礼をもって行ない、悪い道に陥らせることのないように。 これを導くに義をもって行ない、利得に没頭させることのないように。長少の道を行ない、庶子嗣子のすじみちをはっきりさせてください。

陽生が君主となりましたら、荼もまた美食に飽き音楽を楽しむことを得て、何の心配もありません。

長を廃して少を立てれば、臣下に教えがなり立ちません。 庶子を尊び嗣子を卑しめるのは、荼のためにもよくありません。

長少に区別なく、庶子嗣子に区別ないのは、賊を作り出して奸臣を立てるもとです。君はこれをよくお考え下さい。
古の名君は楽しみを尽くそうとしなかったわけではありません。
楽しみが度を過ぎることは悲しむべきことなのです。
愛する者を立てようとしなかったわけではありません。不義なことは憂うるべきものなのです。
そのため楽しみを行うのは節度をもって行ない、子を立てるのは道に従ったのです。
讒言とへつらいによって君に仕えるやから(田乞)は信頼するに足りません。

いま君が讒言の臣の権謀を用い、乱夫の言を聴き、長を廃して少を立てれば、臣は恐れます、やからが君の過ちをもってその悪を助けて、その利を成そうとすることを。 君はこれをよくお考え下さい」と言った。

公は聴かなかった。

景公が没すると、田乞と田常は、荼を殺して陽生を立て、また陽生を殺して簡公を立て、 簡公を殺して、斉をのっとった。

・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・
抜粋終わり


子供や愛する人が、かわいい・大事・愛していると思っても、権力・地位は容易に与えてはいけない。

それが、その愛する人や子供を殺すことになる。

権力・地位は公器。それを自分の愛憎だけで決めると、やがては自分と自分の愛する者を殺す。それ以前に、社会・組織を混乱して破壊させる。
<< BACK  | HOME |   NEXT >>
Copyright ©  -- 渾沌堂主人雑記~日本天皇国滅亡日記 --  All Rights Reserved

Designed by CriCri / Material by White Board / powered by NINJA TOOLS / 忍者ブログ / [PR]