故国の滅亡を伍子胥は生きてみれませんでしたが、私たちは生きてこの魔境カルト日本の滅亡を見ます。
5月6日のソチの日ロ首脳会談について易とタロットに聞いてみました。
易 地火明夷 の不変爻
参考
参考
上記文抜粋
・・・・・・・・
明夷、利艱貞、
明夷は、艱(くるし)んで貞(ただ)しきに利(よ)ろし、
この卦は、君子は小人に傷(やぶ)られ、賢臣は暗君に傷られるときである。
こんなときに君子たる者は、先ず第一に、艱難(こんなん)であることを覚悟し、自らはどんなに艱難しても、貞正であるよう心がけるべきである。
例えば、殷(いん)末の紂(ちゅう)王の非道に、周(しゅう)の文王や、箕子(きし)の取った方策のように。
周の文王は、六十四卦の卦辞を作った人物である。
殷を将軍家とすれば、言わば周は外様大名である。
紂王は民衆を酷使し、自らは酒池肉林の乱痴気騒ぎを楽しみ、それを諫める者は片っ端から征伐していたので、誰も咎めることはできなかった。
君子として立派な人間になるよう心がけていた文王としては、こんな世の中は辛い。
しかし、外様だから、紂王を諫めようとすれば、他の人々と同様に、即刻征伐されるのはわかりきっている。
そこで、今は明夷暗主の時と覚悟し、耐え難きを耐え、忍び難きを忍び、内には文明貞正の徳を修めていても、敢えてその素振りを外に見せず、君子たる善政は自分の領地内だけにし、紂王に対しては柔順の臣節尽くした。
それでも不審を抱かれ幽閉もされたが、そのときも文句は言わず、ひたすら時運の艱難に安んじていた。
その文王の態度は、次第に民衆を動かしていった。
やがて文王が没して子の武王の時代になる頃には、多くの人々の願いは周に託され、その武王の元に人々が蜂起し、殷は滅亡し、周の時代になったのである。
一方の箕子は、殷の宗室であり、紂王の叔父である。
要するに親族内戚なのだが、君子たる人間を目指していたので、その非道を不愉快に思っていた。
しかし諫めれば殺されるし、従えば自らも非道の片棒を担がなければいけない。
そこで、殺されず、しかも非道に加担しない方法はないかと思案した。
思いついたのは、気が触れたように装うことだった。
すると紂王は、気が触れたと信じ、それ以上、箕子に何も命令しなくなり、殺されることもなかった。
外様大名と親族内戚では、手段はことなるが、とにかく二人共、このように明夷の時局を艱難して貞正を守り通したのであって、そういう思いが、艱しんで貞に利ろし、という言葉となったのである。
・・・・・・・
・・・・・・・・
抜粋終わり
ロシアは戦略的に、日本は阿呆さゆえに、この会談の成果を話さない。と見える。
タロットで、大アルカナだけをつかってみました。
1・過去 7{戦車} の正 参考 1・2
2・現在 10{運命の輪} の正 参考 1 2
3・未来 18{月}の逆 1・2
ふと思い出したのが、故シュワルナゼ元グルジア大統領が
「レイキャビック米ソ首脳会談は、実は大成功だった。あれから、米ソの話し合いが恒例のモノになり冷戦終結へつながった」と回想している。
たしか、あの時マスコミは比較的冷淡な反応だったが・・・。
それと同じようなモノも感じる・・・。
以前易に聴いて得た卦で「沢水困」で、「言っても信じられない」ってこと・・・。
日本マジヤバイ!特に保育園問題は、ホに次ぐ大問題・・・。
言ってもダメだから、言わない・・・日本側は阿呆さで、ロシア側は戦略的見地で・・・
上記文抜粋
・・・・・・・・
棟とは、屋根を支える大事な木なので、材木の中でも、その材質が傑出大過なものを選んで使うものである。
しかしその棟も、多くの木材を載せ負うと、材力の分に大いに過ぎ、橈んでしまう。
これは、人事に於いても同様である。
人それぞれ能力には限度があり、その人の能力を大いに過ぎる仕事を任されれば、棟が橈んでしまうように、その任に堪えられず、失敗を招いてしまう。
だから、大過なれば棟橈めり、という。
そもそも天運には窮通があり、時勢にも過不及がある。
君子ならば、それを弁え知る必要がある。
今、大過のときに当たって、その任に居り、その職を掌ろうとする者は、必ず大いに過ぎる非常な大材力大手段がないときは、その事を遂げるのは難しい。
しかし、その大いに過ぎる大材力大手段があれば、しかる後には、物事を成すことは可能である。
だから、往く攸有るに利ろし、という。
そして、しかる後に事物は遂げ成るから、亨る、という。
・・・・・・・
・・・・・・・・・・
抜粋終わり
日本会議阿呆倶楽部とアビ首相の「アホウ政権」には「大きすぎること」で「棟がたわむ」ような話ですけど・・・
結果的に阿呆すぎて「言わない・黙っている」のは、18{月}の逆の「不安が晴れていく」ように行くかもしれない・・・
でも過剰な仕事でへたばるかも・・・・
て異端・外道な見立てのやり方での判断です。
お読みくださりありがとうございます。
易 地火明夷 の不変爻
参考
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上記文抜粋
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明夷、利艱貞、
明夷は、艱(くるし)んで貞(ただ)しきに利(よ)ろし、
この卦は、君子は小人に傷(やぶ)られ、賢臣は暗君に傷られるときである。
こんなときに君子たる者は、先ず第一に、艱難(こんなん)であることを覚悟し、自らはどんなに艱難しても、貞正であるよう心がけるべきである。
例えば、殷(いん)末の紂(ちゅう)王の非道に、周(しゅう)の文王や、箕子(きし)の取った方策のように。
周の文王は、六十四卦の卦辞を作った人物である。
殷を将軍家とすれば、言わば周は外様大名である。
紂王は民衆を酷使し、自らは酒池肉林の乱痴気騒ぎを楽しみ、それを諫める者は片っ端から征伐していたので、誰も咎めることはできなかった。
君子として立派な人間になるよう心がけていた文王としては、こんな世の中は辛い。
しかし、外様だから、紂王を諫めようとすれば、他の人々と同様に、即刻征伐されるのはわかりきっている。
そこで、今は明夷暗主の時と覚悟し、耐え難きを耐え、忍び難きを忍び、内には文明貞正の徳を修めていても、敢えてその素振りを外に見せず、君子たる善政は自分の領地内だけにし、紂王に対しては柔順の臣節尽くした。
それでも不審を抱かれ幽閉もされたが、そのときも文句は言わず、ひたすら時運の艱難に安んじていた。
その文王の態度は、次第に民衆を動かしていった。
やがて文王が没して子の武王の時代になる頃には、多くの人々の願いは周に託され、その武王の元に人々が蜂起し、殷は滅亡し、周の時代になったのである。
一方の箕子は、殷の宗室であり、紂王の叔父である。
要するに親族内戚なのだが、君子たる人間を目指していたので、その非道を不愉快に思っていた。
しかし諫めれば殺されるし、従えば自らも非道の片棒を担がなければいけない。
そこで、殺されず、しかも非道に加担しない方法はないかと思案した。
思いついたのは、気が触れたように装うことだった。
すると紂王は、気が触れたと信じ、それ以上、箕子に何も命令しなくなり、殺されることもなかった。
外様大名と親族内戚では、手段はことなるが、とにかく二人共、このように明夷の時局を艱難して貞正を守り通したのであって、そういう思いが、艱しんで貞に利ろし、という言葉となったのである。
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抜粋終わり
ロシアは戦略的に、日本は阿呆さゆえに、この会談の成果を話さない。と見える。
タロットで、大アルカナだけをつかってみました。
1・過去 7{戦車} の正 参考 1・2
2・現在 10{運命の輪} の正 参考 1 2
3・未来 18{月}の逆 1・2
ふと思い出したのが、故シュワルナゼ元グルジア大統領が
「レイキャビック米ソ首脳会談は、実は大成功だった。あれから、米ソの話し合いが恒例のモノになり冷戦終結へつながった」と回想している。
たしか、あの時マスコミは比較的冷淡な反応だったが・・・。
それと同じようなモノも感じる・・・。
以前易に聴いて得た卦で「沢水困」で、「言っても信じられない」ってこと・・・。
日本マジヤバイ!特に保育園問題は、ホに次ぐ大問題・・・。
言ってもダメだから、言わない・・・日本側は阿呆さで、ロシア側は戦略的見地で・・・
上記文抜粋
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棟とは、屋根を支える大事な木なので、材木の中でも、その材質が傑出大過なものを選んで使うものである。
しかしその棟も、多くの木材を載せ負うと、材力の分に大いに過ぎ、橈んでしまう。
これは、人事に於いても同様である。
人それぞれ能力には限度があり、その人の能力を大いに過ぎる仕事を任されれば、棟が橈んでしまうように、その任に堪えられず、失敗を招いてしまう。
だから、大過なれば棟橈めり、という。
そもそも天運には窮通があり、時勢にも過不及がある。
君子ならば、それを弁え知る必要がある。
今、大過のときに当たって、その任に居り、その職を掌ろうとする者は、必ず大いに過ぎる非常な大材力大手段がないときは、その事を遂げるのは難しい。
しかし、その大いに過ぎる大材力大手段があれば、しかる後には、物事を成すことは可能である。
だから、往く攸有るに利ろし、という。
そして、しかる後に事物は遂げ成るから、亨る、という。
・・・・・・・
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抜粋終わり
日本会議阿呆倶楽部とアビ首相の「アホウ政権」には「大きすぎること」で「棟がたわむ」ような話ですけど・・・
結果的に阿呆すぎて「言わない・黙っている」のは、18{月}の逆の「不安が晴れていく」ように行くかもしれない・・・
でも過剰な仕事でへたばるかも・・・・
て異端・外道な見立てのやり方での判断です。
お読みくださりありがとうございます。
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