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故国の滅亡を伍子胥は生きてみれませんでしたが、私たちは生きてこの魔境カルト日本の滅亡を見ます。
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徽宗皇帝のブログ 1月24日

上記文抜粋
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「分割」「競争」「優劣」という西洋精神の支配に疑問を持とう


久しぶりに「イランラジオ」から転載。
下の記事は、世界中の非白人国家の高校生に読ませるべき「超簡潔な中東現代史」である。もちろん、イギリスの三枚舌外交とか、アフリカ・中東植民地分割とか、学校では学ぶだろうが、それが現在も続いている、という事実を知らない若者がほとんどだろうと思うからだ。(この事実を引用2の「ロックウェイ・エクスプレス」記事がはっきりと示している)

私は何度かこのブログで述べているが、世界はいまだに帝国主義時代の真っ最中なのである。ただ、その主体が国家から企業や大資本に移りつつある(いや、もともと帝国主義の主体は大資本なのだが、それが国家という枠を超えつつあると言うべきだろう)、というだけの話だ。
学校で学ぶ歴史も、それを現代とは無縁の「終わった話」としているのでは、まったく何の意味もない知識である。過去は現在にそのまま続いている、という意識が大切だ。

何よりも大事なのは、「西洋文明の精神」とは略奪の精神である、という認識だ。

自ら生み、育てるのではなく、他人の生み育てたものを略奪することこそが賢い生き方である、という狩猟民族、海賊民族の精神こそが西洋文明の精神なのだ。ただし、それはもちろん西洋庶民の精神ではなく、王侯貴族や富裕層における精神である。別の言い方をすれば、人間全体を「主人と奴隷」あるいは「人間と家畜」に分ける精神だ。

そして、大きく分類すれば白人は「主人」であり、非白人は「奴隷」、また白人は「人間」であり、非白人は「家畜」、小さく分類すれば、同じ白人でも資本家や貴族は「主人」であり、「人間」だが、労働者は「奴隷」であり「家畜」である、という思想が西洋文明の本質なのである。
このように、「分けること」そして「優劣をつけること」が、西洋文明の精神の一般化である、とも言える。これはまた科学の精神の基本でもあるから、西洋において科学が発達したのは当然である。「一視同仁」の東洋精神からは科学は生まれない。
そして、どんどん分けていった結果が最後には「1%対99%」の世界、新自由主義の世界、あるいはNWOによる「人間牧場」の世界になるのである。

だが、その「分け方」も「優劣」も、実は分ける側の恣意でしかない。

自分に属するものは優れている、属さないものは劣っている、とするだけのことである。要するに、幼稚な自己愛を基準とした差別と区別を暴力と権力で世界中に広げていっただけのことだ。
しかしながら、こうした「分けること」「優劣をつけること」は、世界中の人間の精神を拭いがたく汚染している。
スポーツにおける勝利至上主義もその一つであり、その手段としての体罰を肯定する思想も、「優劣」がすべてという思想が根底にある。

話がまた収拾がつかなくなりそうだから、この辺にしておくが、とにかく、合理的思考の基本には<分けること>がある、というのはデカルトが『方法序説』で述べた通りである。これはまったくの真理だ。
「分ける」のはまだいい。だが、「優劣」とは、だいたいがある種の主観の押し付けや欺瞞であることが非常に多い、ということを(東洋人としては)常に肝に命じ、「誰もが等しく、生きる権利と幸福になる権利を持っている」という思想を多くの人に広めていくべきだと私は考えている。
言い方を変えれば、「競争によって優劣をつけることは必要最小限度に留め、全員が同じように幸福になる道を探そう」ということだ。(たとえば「村野瀬玲奈の秘書課広報室」によれば、会社の経営者の給与の上限は、その会社の最低給与の20倍までとする、という政策案がフランスの政党の一つから出ているが、これなどがその例になる。)
確かに競争によって人間は進歩もするだろう。だが、競争とは常に勝者と敗者が生み出されるということだ。勝者が得る分、敗者が失う。これが競争の本質だ。
そして、勝者がより多く恵まれるのは当然だろうが、実はその競争の成果は、「競争させる側」(胴元・支配者)がより多く取るのである。

まあ、こんなのはただの観念論である。
しかし、少なくとも、「競争がすべて」ではないし、まして「勝つのがすべて」ではない。協力と共感(墨子の言う「兼愛=無差別愛」でもいい)は、あるいは競争よりも多くのもの(物質的なものとは限らないが)を全員にもたらすかもしれないのである。

我々が真に戦うべき相手は、西洋ではなく、西洋文明の精神である。
つまり相手を「分割」し「互いに戦わせる」という分割統治がその発露であるところの、「分けること」「優劣をつけること」を疑いの目で見直すことである。

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抜粋終わり

然り然り!

競争は修羅の精神。修羅は人間以下。

で、競争崇拝の西洋精神は、人間以下の精神になるので、気を付けろ!

再見!
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