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故国の滅亡を伍子胥は生きてみれませんでしたが、私たちは生きてこの魔境カルト日本の滅亡を見ます。
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国際秘密力研究 より

上記文抜粋
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ツイートまとめ テーマ:西洋の「魔法」VS東洋の「心法」

易経は「占いの書」と「義理の書」(哲学の書)という二つの側面がある。義理の書として易経が説く人生哲学は「謙虚」に集約されると思う。驕るとろくなことがないという「真理」は古代も今も変わらないのだろう。慎みを宝とした老子や我執を戒める仏教など年月に耐えてきた思想は大体同じことを言う。

支那の知識人は合理主義的な所があるので、易経は占いの書というより義理の書として読まれる傾向が強まっていったようだ。歴史や経験則から来る「こうすれば大体大過ないだろう」という事が説いてある。要するに「謙虚で慎みがあれば、過ちは少なくできる」という趣旨である。予言の書などではない。

終末予言などがしょっちゅう流行しているが、当たったためしはない。それより「傲り昂ぶるとろくなことがない」という人生の経験則は相当な確率で当たる。終末思想、救世主待望論に惑わされるより、着実に人間の心のあり方を考えた方が有意義である。仏陀の「無記」とはそういう意味だと解釈している。

〇易経の説く所では、四季の様に事物には勢いが伸びる時節と縮む時節があり、要するにバイオリズムだが、事物の循環の中でその時その場で適正な行動を選択する「中庸」が重要であるとする。勢いが伸びても驕らず縮んでも落ち込み過ぎない、中正の態度である。直線的な時間観の終末思想とはかなり異なる。

〇西洋の終末思想では、「世界の終わりが来て救世主が降臨して最終戦争が起きて」という断定的に空想を語るのが特徴だが、易経では「予言」というより、人生や歴史の経験則を「大体こうすれば大過はないのでは?」と人間の身の処し方を諭す形である。前者は宿命論だが、後者は「生き方指南」の趣である。

〇仏陀が「世界は有限か無限か」など答えの出ない形而上学的問いを「苦の克服」という実践には役に立たない命題として避けた態度を「無記」と言う。妙な終末論やオカルトが陰謀追及者を惑わし「援兵化」する道具になっているが、現実的な命題を中心とする「無記」の態度は誘導防衛策としても適切である。

〇易経のよい所も、空想的予言を語るのではなくあくまで歴史や人生の経験則に則って生き方の指針を示す所である。陰陽思想も元々は自然の観察から得られた一つの世界観モデルに過ぎない。自然界で四季が循環する様に人事もまたしかり、という解釈である。東洋の古典は現実的であまり飛躍が無い所が良い。

〇東西の「悟り」観も対照的である。西洋では神秘主義などで「神との合一」と言うように人間の外にある何かと合一する事で完全になる、という発想である。東洋では初期仏教の「阿羅漢」が「煩悩という賊を殺した=殺賊」と言われるように、人間の内にある余計なものを削ぎ落とした時に現れる境地を言う。

言い替えると、「悟り」について、西洋では「足りないものを付け加える」という方向性であり、東洋では「余計なものをそぎ落とす」という方向性である。「何かを付け加えないと完全にならない」というのが西洋神秘主義の発想である。東洋では「余計なものを削ぎ落とせば平穏な境地に至る」という発想。

〇神道でも仏教でも「清浄」を重んじるが、人間の心の内面の中にある汚いもの、邪悪なものを払うという方向性である。西洋では、逆に、人間の外側にある究極的な存在と合一する事で完全になるという発想である。前者では「完全になりたい」という願望自体が無い。後者は言ってみれば我執の立場である。

〇このように、東洋の思想は西洋の思想に比べて、どこまでも現実に根差しており、簡潔である。人それぞれ好みがあると思うが、東洋思想は、このシンプルさ、現実からの飛躍の少なさが良い所だと思う次第である。安心感がある。終末予言や神秘主義にありがちな異様な高揚感とは逆の澄み切った境地である。

〇仏教は究極実在との合一を説く神秘主義とは違う。原始仏典を見ても、貪欲や憎悪、傲慢など過剰な欲望や負の感情を取り除く事をひたすら説いているだけである。つまり「諸悪莫作 衆善奉行」の実践である。これは鳥巣禅師白居易に言った様に「子供でも知っているが老人でも実践は難しい」ものである。

〇スッタニパータ1089 師(ブッダ)は答えた、トーデイヤよ。諸々の欲望のとどまることなく、もはや妄執が存在せず、諸々の疑惑を超えた人、──かれには別に解脱は存在しない。●これは要するに煩悩を去る事がイコール悟りだという意味だと解釈する。阿羅漢も「殺賊」と言われる。神秘性は無い。

〇仏教における「悟り」「解脱」とは「煩悩を克服する事」という明解で簡潔な意味である。究極実在か何かと合一したり、神秘体験をする事ではない。前者は結社的な思想であり、後者は薬物でも代用可能である。ティモシー・リアリーを見ても分かるように薬物を使った洗脳技術は神秘主義と密接である。

〇オウムは薬物を使用していたが薬物に対する貪欲、執着は「煩悩」として退けるのが仏教であろう。「不飲酒戒」は現代で言うと薬物に対する依存を断ち切る戒めと見る事も可能である。薬物を使用する神秘主義やカルトは仏教とは真逆である。薬物まみれのカルト勢力は「水瓶座の陰謀」計画の影響下にある。

〇強烈な執着はしばしば悪行を結果する。執着の対象が「神秘体験」でも同じである。「神秘体験」を得ようとして、妙なカルトに入り、薬物漬けにされて、偽旗テロのコマにされる、なんて事もあり得る。オウムという偽旗テロ集団がまたぞろ暗躍しているようだが、騙されて入らないようにすべきである。

〇常識的に考えて人殺しや薬物を勧める宗教がまともでない事は確かだろう。言うまでも無い事であるが普通の倫理道徳から外れるカルトからは距離を置いた方が無難である。西洋伝来のカルト宗教は信仰心が道徳を簡単に凌駕してしまう所がある。東洋の思想では道義道徳、法=ダルマに従う事自体を重んじる。

〇「よく易を修める者は占わず」という言葉があるが、これは道理を説く易経を理解している者は万事自分で判断ができるので占う必要が無い、という意味である。要は判断力を鍛えれば占いに頼る必要はないという事である。カルトは手相占いなどを勧誘の手段とするが判断力でそんなものは斥ける事ができる。

〇西洋が「魔法」だとしたら、東洋は「心法」だと言えるかもしれない。西洋は現実に効果を示す技術を中心とした知の体系であり、タヴィストック研究所の心理戦術もこの系譜を引く。東洋では仏教が心のあり方を中心に考え、易経が結局占いから義理の学問になったように「心法」を重視する体系である。

心理戦術=魔法に対抗するには心法が有効なのではないか。心法とは心を修め判断力を鍛えるもの。判断力は分かるが「心を修める」などという精神論で対抗?つまり、人間の欲望や感情などの弱点に付け込み罠を仕掛けるのが心理戦術なので、少なくとも弱点の自覚があれば、それだけ付け込まれる隙は減る。

〇例えば、極端な事を言えば「殺賊=煩悩という賊を殺した」と言われる初期仏教の阿羅漢とかなら精神的弱点=煩悩が皆無な訳だから、タヴィストック戦術もなす術なしだろう。だが、現実には完全な「殺賊」など難しいから、少なくとも弱点の自覚をして油断なきよう心掛けたらリスクが減るのではないか。

〇タヴィストック研究所の心理戦術では人々の欲望や恨みつらみに働きかけ、それを増長させて操作する。謂わば人が持つ「煩悩」に訴えかける訳である。従って逆に言うと「煩悩」の無い「殺賊」なら引っ掛けようがない訳である。だが「殺賊」は難しい(だから心理戦術が効く)。内省と弱点の自覚化が重要。


https://twitter.com/kikuchi_8/statuses/718470180385325056

(了)


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抜粋終わり


同じく より

上記文抜粋
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ツイートまとめ テーマ:鴨長明「方丈記」の冒頭文から「事=現象」と「理=法則」について考察する

〇理と事を示す鴨長明「方丈記」の冒頭文「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」。「ゆく川の流れは絶えない」という不変のあり方は理であり、「もとの水にあらず」は常に変化する個別の現象を表す。そしてこの理と事は常に相即している。流れない水はない。水を離れて「流れる」は無い。

事=現象理=法則の関係を理解するのに「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」ほど適切な具体例はないと思う。松尾芭蕉の不易流行や易経の三義「不易・変易・簡易」の不易と変易もそうである。変化する現象は「無常性」という不変の理と一枚である。これこそ色即是空であり理事無礙。

理=法則、道理というのは常に事=現象から離れていない。事があるからこそ理があり、理があるからこそ事がある。西洋などでは「理」を実体視するところから様々な形而上学が作られていった。鴨長明のように「流れる川」という具体的な現象に即して理を見極めていくのが日本人の探求のあり方であった。

〇「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」を認識主体の立場から言うと、流れる様子=視覚、水の音=聴覚、手を入れたら冷たい触覚、これら視覚・聴覚・触覚という感覚の複合に「水」「河」という名称を付与。「もとの水にあら」ざる変化する感覚複合に名称を与えると「ゆく河の流れ」に。
https://twitter.com/kikuchi_8/statuses/720285257602195456

(了)


※参考 ツイートまとめ テーマ:破タヴィストック戦術について考える


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抜粋終わり


同じく より

上記文抜粋
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ツイートまとめ テーマ:熊本地震及び人工地震関連①
熊本地震で亡くなられた方々に対して謹んで哀悼の意を表します。

そして、怪我をされた方々、今もなお避難生活を余儀なくされている方々に対して心よりお見舞い申し上げるとともに、一日でも早く平穏な日常が戻ることを心より願います。

・・・・中略・・・・

〇最近工作員があまり出てこないと思っていたら、人工地震への言及はやっぱり「湧いてくる」と実感。「波形が似ている」と言っただけで過剰反応者がどこからともなく出現する。

〇「熊本地震と人工地震の波形が似ている」と言うと「直下型地震だろ」というツッコミが来るのは想定していた。そのありうるツッコミに対しては「では、人工地震と直下型地震では波形は全く同じなのか?なんらかの差異があるのか?あるとすればそれはどのようなものか?」を聞こうと思っていた。

〇そして実際に聞いてみた所、論点は飛ぶわ、逆質問はしてくるわで、まともな答えは無かった。「直下型地震と人工地震の波形が同じ」なのであれば、直下型と断定するからにはその根拠を示す必要があるし、違うのであれば、どのような違いがあり、熊本地震にはその特徴がみられる事を証明する必要がある。

〇工作員の皆様が「湧いてくる」トピック程、裏権力にとっての重要事項なのだろうと推測する。その中でも「人工芝」と「人工地震」はツートップである。TPPもトップ事項だと思うが、自民党が嘘つきなのはもはや弁明の仕様も無く明らかなためか意外とあまり湧いてこない傾向がある。

〇今まで工作員に遭遇した経験から、彼らには色々「技」がある事が分かった。かかる「工作員忍術」の一つに「赤の他人を装って連携するの術」がある。ツーマンセルなのだが、それを隠して偶然の様に同時に仕掛ける訳である。ネトウヨ系は単独で現れる事が多いが、それ以外は複数同時に出現する事が多い。

〇工作員業界の中で動員力と組織統制力では横文字左翼系がかなりあるようだ。多数の工作員が一気に仕掛けてきた事がある。変質者的な粘着ストーカーぶりではやはりカルト系が突出している。長期間に渡り特定人に粘着し続けるという精神に異常を来していないとできないであろう作業をこなすことができる。

〇熊本地震直後に米軍が被災地入りするというのは、東日本大震災後の「トモダチ作戦」やイスラエル軍の被災地入りを思い出した。【熊本地震で米軍支援受け入れ オスプレイで物資輸送】http://www.nikkei.com/article/DGXLASFS17H2P_X10C16A4PE8000/

〇福島原発と言えばマグナ社だが、原発のみならずインフラ建設や掘削事業への外国企業の参入は禁止すべきではないだろうか。ベクテルの様な諜報機関と繋がった企業の参入は特に厳禁である。インフラや地中に何かを仕掛けられたら、国民と国土を人質に取られたようなもの。もはや安全保障上の問題である。

〇ちきゅうの掘削作業員は外国人のようだ。昨夜教えて頂いたが、全国各地で地熱発電の為の掘削をしている模様。この場合、ちきゅう方式で作業を外国人に委ね る事を厳重に禁じておくべきだ。怪しい連中は人様の国に来て穴を掘るのはやめろ。「穴掘り外人」等がいないか全国津々浦々で目を光らせるべき。

〇江戸時代に想定された攘夷の対象はメリケン、エゲレスなど漠然としていた。しかし今や西洋の権力構造の解明が進んで、どのあたりが真に日本の敵かが見えてきた。「敵」は必ずしも特定の異国や異国民そのものにあらず。そこに寄生して支配者を気取っている奥の院サイコパス集団こそが真の「敵」である。

〇南宋末、元に抵抗して忠義を貫いた文天祥に「正気の歌」がある。あまりにも理不尽な事象が次から次に世を覆ってしまって、無意識に慣らされてしまいかねない時代になってしまった。今ほど、悪は悪、間違いは間違い、とはっきり突っぱねる事が出来る「正気」を保つ事が重要な時はないと思う次第である。

https://twitter.com/kikuchi_8/statuses/720649828661743617
https://twitter.com/kikuchi_8/statuses/722099125630578688

(了)



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抜粋終わり



同じく より

上記文抜粋
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ツイートまとめ テーマ:「真の攘夷」とは

OECDの幹部が人様の国に来て、「消費税は15パーセントまで引き上げるべきだ」とか抜かしていた。何様のつもりだ?ワンワールドが実現した気になって、世界政府気取りであれこれ指図している風の態度が滑稽である。「攘夷」とは単なる外国人排斥ではない。不当な土足の侵入者を打ち払う事である。

〇つまり、NWOとはこういう事である。ある土地の運命に直接関係が無い(=どうなろうが知った事ではない)、責任も無い「世界政府」が、住民の頭越しにあれこれ適当に指図をしてきて、その地域の運命が決められてしまうという事である。その地域、土地の運命はそこに住む人間が決めるべき事である。

〇「人間が決めるべき」と言っても、人間中心主義ではなく、殺害による死亡が非常に少なかった事が証明された縄文人の様に、人や自然と調和しつつ、皆が所を得るようなあり方で「和を以て貴しとなす」集議によって決するのが望ましいのは言うまでも無い。日本古来の理想。これを守るのが真の攘夷と存ず。

https://twitter.com/kikuchi_8/status/720291701852471296


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抜粋終わり



お読みくださりありがとうございます。
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