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故国の滅亡を伍子胥は生きてみれませんでしたが、私たちは生きてこの魔境カルト日本の滅亡を見ます。
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P R
読めないニックネーム より

上記文抜粋
・・・・・・・・・

ババリアのイルミナティ
○キリスト教系組織 ×ユダヤ
○梟がシンボル ×一つ目
○ロスチャイルドは創始者と無関係
○イエズス会士バリュエルに陰謀の黒幕にされる
○秘密結社と悪魔崇拝・ユダヤ・ルシファーを結びつける情報は全てバチカンのデマ。真の黒幕は自分が黒幕になる情報を流さない。


菊池 ‏@kikuchi_8
結社は大抵の東洋思想は憑依して都合よく利用するが「空」の思想だけは無視する。万有が収斂する「究極の実在」のような実体を否定するからであろう。一神教も神秘主義も、「神」「一者」という「一つ」に集約するが、「空」は「世界には中心点がない」とするものの見方なので、人心支配用には不向き。

まことにその通り。デモ信者の対話のできなさは宗教信者と酷似。ニューエイジはLSDで「神秘体験」。この三者本当に同じ範疇。引用:娯楽は支配層が用意する。デモも支配層が用意する。宗教も支配層が用意する。宗教とデモも麻薬であり、娯楽の一つ。http://yomenainickname.blog.fc2.com/blog-entry-101.html

神秘主義の究極目的は「非日常的意識状態を経験すること」と考える。この意識状態を引き起こすために、各種瞑想や激しい踊り、奇怪な密儀などが行われる。薬物で変性意識状態を引き起こす事がこれに加わる。非日常的な意識状態に到達する事が目的なら、薬物に手を出す必然性は初めからある訳である。

日常からかけ離れた意識状態に大した価値はないのではないか?と疑問に思わない神秘主義者たち。「神秘体験」の主な問題点は二つ。
①異常体験下では正常な判断能力思考能力が失われる事。泥酔したり、所謂「ラリる」状態と変わらない
②異常体験を経たことで「自分は特別な存在」という傲りが生じる事。

ニューエイジ文化が麻薬臭いのは、「神秘体験」という名の異常精神状態を体験したい、という衝動によるものと思われる。異常精神状態を惹起するには、瞑想だろうが密儀だろうがイベントによる集団催眠だろうが薬物だろうが代わりはない、と。ニューエイジの気持ち悪さは異常体験志向に由ると思われる。

ニューエイジ批判をすると、逆五芒星=逆ペンタグラム(バフォメットの象徴とされる)を掲げるニューエイジャーからキチガイ呼ばわりされた事があったが、文字通りキ○ガイな意識状態を到達目標とするニューエイジャーがそれを言うのはツッコミどころがありすぎて、逆に返す言葉を選ぶのが大変だ(笑)

「ニューエイジは仏教の影響を受けた」というが「仏教を曲解した」が正解。感情や欲望を調整して平静な意識状態を保つ事を目指すのが仏教。神秘主義は自我と究極実在の合一を目指すものだが、仏教は「無我」「空」が基本なので、実体としての自我も究極実在も否定。前提条件からして神秘主義と相違。

「神秘主義は自我と究極実在の合一を目指すもの」と書いたが、これは自我=アートマンと宇宙の究極原理ブラフマンの合一を説くバラモン教の「梵我一如」思想が典型。これを否定する所から始まった仏教が神秘主義のはずがない。最初から「実体」を認めないのだから「実体」間の合一を説く道理がない。

西洋神秘主義の基盤には「一者」との合一を説く新プラトン主義があると思うが、この新プラトン主義は基本的にバラモン教の梵我一如思想と同質である。違いは、自我と究極原理との間に段階を置いているか否かだけである。新プラトン主義では一者・ヌース・プシュケー・ヒューレーの四段階が想定される。

1960年代にヒッピーたちが禅に傾倒して日本に参禅に来たことがあるそうだ。だが、禅は「平常心是道」とか「正念相続」とか言うようにあくまで平常な日常のあり方を重んじる、神秘主義とは無縁なもの。ヒッピーは禅を神秘主義と紹介した神智学協会員でもある鈴木大拙の影響を受けていたと思われる。

ティモシー・リアリーはスマイル・メッセージという妙な文章を残している。ニューエイジそのものの内容だが、「全ての生命体が故郷への帰還しなければならない」という事を言っている。一つの「始原」に収斂させようとする志向性は新プラトン主義以来の西洋神秘思想の系譜を引いている事がよく分かる。

@sakurakouyouhen @3nihonzin アセンションがどういう妄想かは存じませんが、ティモシー・リアリーがLSDを摂取して体験した幻覚の描写がプロティノスの「神秘体験」とそっくりの描写でした。キリスト教で言う「携挙」のニューエイジ版だと思われます>アセンション

「時間の一性」というのは、「リンゴ、みかん、バナナ」等が「果物」という類概念で括れるように、個別存在を貫く最高度の「普遍者」が「時間」という事だろう。全ての存在を包摂する「一=実体」。これは万有をイデアの中のイデアである「一者=ト・ヘン」で括った新プラトン主義の変奏。進歩が無い。

これは結局、諸々の個別存在を包括する普遍者を「時間」とし、さらに「一性」とすることで実体視・形而上学化させた、新プラトン主義以来中東以西によくある、ありふれた形而上学の一種。複雑に見える近代哲学は基本の骨格は極めて単純。古代哲学+耶蘇教の変奏でしかないのだ。ネタは簡単に割れる。

「時は一性」=アリストテレスの「プロス・ヘン」(一へ向けて)というテーゼの「ヘン」に「時間」を当てた思考。「ヘン」とは一なる実体。多様な存在者を一なる実体で包括するという事。何のことは無い、「時は一性」とは「時は実体」という事であった。新プラトン主義のト・ヘン=一者は究極の実体。

神智学教義の三本柱の一つ。明らかに新プラトン主義の流出説の影響を受けている。→「全宇宙の根底には、一つの絶対的で人智を超えた至高の神霊や無限の霊力が存在しており、見えるものも見えないものも含めた万物の根源になっている、という思想。」http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E6%99%BA%E5%AD%A6 …

「〇〇は一性=一者=ト・ヘン」という思想を振りかざす西欧近代哲学信者も「一者」という概念装置を使い回している以上新プラトン主義の後裔。そしてブラヴァッキーの神智学教義の三本柱に明らかな通り、神智学も新プラトン主義の流れ。西欧近代哲学信者とスピ信者が同類というのは誇張ではないのだ。

ネタが暴かれると脆いのはキリスト教徒も、スピリチュアル信者も、西洋近代哲学信者も同じでありますね。砂上の楼閣だから、その土台が暴かれると非常に脆弱。彼らの前提を客観的に分析しようとしたり、相対化しようとすると、彼らは「あばれる」。自己客観視・自己相対化ができない。「一者」三兄弟。

新プラトン主義は通常の人間には「究極真理=一者」は把握できないとする点で密儀宗教と結びつきやすい。「真理」を把握したと称する一部の神官団と奴隷信者衆というカルトの典型的な形態に非常に都合がよい構成である。秘密結社が教義の中核として新プラトン主義を採用したのには理由がありそうだ。

神秘主義の特徴
①なんらかの非日常的な意識状態をもって到達目標とする
②そのためには自我なり魂と、何らかの究極に実在(「一者」「宇宙意識」)などとの「合一」を強調する
③その意識状態に到達する為の何らかの儀式・イニシエーションが設定される(これは狭義の儀式に限らず音楽ライブ等も含む)

西洋の神秘主義の流れがサブカルチャーという装いでかなり浸透していると思われる。その証拠に本来は既存文化への「対抗文化」のはずが、「普通の人」の文化扱いになっている。ここに日本独特の問題がある。つまり元々キリスト教社会ではない日本には西洋神秘主義が侵入しやすい。大本教や鞍馬寺が例。

日本の思想国防上の課題は現地の伝統に組み付いて換骨奪胎して侵入を図ってくる西洋神秘主義の基本的思想フレームを明確に把握し、日本の伝統思想との違いを明確に認識し、伝統思想やポップな文化の装いで入り込んでくる思想ウィルスを見抜いて摘出する事であろう。これは明治から一貫した課題である。

例として仏教と神秘主義の相違点を挙げる。仏教に置いては意識外に設定される究極実在と合一する、という思想パターンではなく、あくまで現実の心を調整し、貪欲や瞋恚などの強い負の情念を自制し取り除く、という事に重点が置かれる。縁起=無実体=空が基本であり、従って究極実在は設定されない。

伝統思想と神秘主義を見分ける際の一つの指標になるのが、この「実体」「究極の実在」を想定するか否かという点。仏教に限らず日本の伝統的霊魂観では魂が増減する=気の固まり、みたいな非実体的イメージで捉えられている。支那の現象主義=気一元論と相性がよい。禅=神秘主義とした鈴木大拙は誤り。

谷口雅春が言う「中心帰一世界」や「最高理念」というものは新プラトン主義で言う「一者」に相当すると思われる。最高の形而上学的実在があり、諸事物はそこから発生しそこに帰一するという西洋神秘主義的な思想パターンである。この思想にかぶれている保守とは「西洋の伝統を保守」という意味かも。

新興宗教が伝統思想を換骨奪胎して破壊する一つの型は西洋の実体主義的思想を伝統思想的な用語で言い替えてひそかに導入する、という手口である。谷口雅春は仏教の「実相」という用語を「イデア」的な意味で使用した。「中心帰一世界」なる用語で新プラトン主義的「一者」を表現。西洋神秘主義と同型。

かかる「尊皇思想」は明治以前には存在しない。西洋形而上学の言い替え。「天皇」を「一者」とすると、そのまま新プラトン主義となる。→谷口雅春「天皇への帰一の道すなはち忠なり。忠は、天皇より出でて天皇に帰るなり。天皇は一なり。ハジメなり。一切のもの、天皇より流れ出て、天皇に帰るなり。」

1)スピリチュアリズムは西洋神秘主義から派生した。西洋神秘主義の根には古代の新プラトン主義がある。新プラトン主義と言えば「一者」。そして前述の「時は一性(一者)」この様に近代哲学信者とスピ信者が同類だというのは決して誇張ではないことが分かる。一者の観念はキリスト教神学に影響。

2)つまりキリスト教、スピリチュアル、西欧近代哲学は根を同じくする「だんご三兄弟」ならぬ「一者三兄弟」なのである。そしてこの三兄弟は社会組織で言うと、キリスト教会・英国系フリーメイソン・仏蘭西系フリーメイソンにおおよそだが、それぞれ対応する。根を同じくするこれらの分進合撃戦術。

3)西洋思想は複雑に見えるが案外単純である。同じ基本概念を装いを変えて何千年も使い回しているに過ぎないからだ。その基本概念とは主に二つ。一つは「実体」。もう一つはそこから生まれる二元論である。実体という概念が理解できれば西洋思想は至極単純であることが分かる。実体=自存的な基体。

4)西洋思想を見抜くポイントは「何に実体を置くか」と「何と何の二元論か」である。この二つのポイントに着目することで西洋のコケオドシの体系はあらかた解剖される。例えば、実体を神に置くのがキリスト教、自我がそこに合一する究極実在に置くのが神秘主義、理性や物自体などに置くのが近代哲学。

5)「時は一性」なんて言うのもその一バージョン。「時」に実体を置いたわけだ。一旦実体が設定されると「実体」とそれ以外の二元論となる(実在と現象など)。実体が複数設定されると実体Aと実体Bの二元論となる(善と悪など)。小難しい表現をしていても西洋思想はかかる基本的枠組みの使い回し。

6)今まで実体視された概念の具体例を挙げる。「四大」「原子」「イデア」「一者」「造物主」「善と悪」「自我」「理性」「精神と物質」「物自体」「時間」さて、次はどこに置く?どこに於いても大差はないが。「イワシの頭」はどうだろうか?まあ、頑張ってくれ。>西洋人及び脳内西洋人達 (了)

キリスト教世界で言う「神」と「悪魔」は一対。「西欧思想フルボッコシリーズ(笑)」で書かせて頂いた、①実体を設定②二元論的構図を設定(この場合は実体を複数設定し、その実体Aと実体Bの二元論)という順序で言うと、神・悪魔という二つの実体が設定され、この二つが二元論的に対置される構造。

地中海オリエント・西欧(中東以西と取りあえず呼ぶ)の文明の推移は「神中心→人間中心」という流れである。哲学的に分析すると、「神」に実体を置く世界観から「人間」に実体を置く世界観への遷移である。超越者を実体視しても人間を実体視しても、その帰結は排他独善的な支配と破壊の衝動である。

太田龍氏が「西洋文明の根本は我欲我執」と書いておられたが、本当にその通り。さらに分析すると、この我欲我執は「実体観」から来ている。例えば仏教が実体観を排斥するのは、単なる哲学的関心からではなく、「実体」という観念が必然的に執着を引き起こすからだ。執着は主に貪欲と怒り→支配と破壊。

執着は「実体」という対象へ向けて二方向に発現。対象を引き寄せる方向で行けば「貪欲」に、対象を排除する方向に行けば「瞋恚」(怒り)に。それは実体視を引き起こす「無知」による、とする。貪瞋癡の三毒とは事実を錯認し「実体」を仮構する「癡=無知」を根本とする。実体を執する西洋=癡の文明。

耶蘇教徒や近代哲学信者と話すと分かるが、「実体」に執する者達は自己相対化ができないので、友好的で対等な対話がほぼ不可能である。対等な対話の為には各自の自己相対化が必要だが、それが彼らには不可能なのだ。彼らは実体観への執着が強い程異なる考えの者とは闘争か支配の関係しか構築できない。

という訳で、太田龍氏の言う「西洋文明は我欲我執が根本」という指摘は、実感的にも納得が行くのである。「実体」を一旦立てると、それがどのようなものであれ、執着を引き起こし、闘争や支配の衝動に駆り立て、その貪欲さはとどまるところを知らない。寛容さを失い、他者と共存ができなくなるのだ。

仏教は仏陀が「自己と法に頼れ」と弟子に言い残したように「法」を重視する教えである。法とはいくつか意味がある。人が則るべき規範であり、宇宙の法則であり、法則によって存在する事物である。総じて一定の規範や決まり、法則を意味しており無秩序や混沌と言うニュアンスの「虚無」とは真逆である。

(iseakira ‏@iseakira 6月15日
@kikuchi_8 法を重視するとともに、それを絶対視せず疑って研鑽するベクトルを第一に重要視することで、固定観念化を牽制しているところがポイント。

菊池 ‏@kikuchi_8 6月15日

@iseakira さすがであられます。まさにおっしゃる通りですね。「法が真理」と言うと実体視が起きやすい。だから法を実体視しない、「空亦復空」の実践が大事だと。「法」を実体化したら形而上学と同じになってしまいますからね。実践や現象と相即的に「法」を理解すべきだと思います。)

西洋近代哲学信者は仏教を虚無主義と曲解するが前述の通り間違い。イメージだけで物事を論じストローマン(相手の主張をねじまげて解釈する詭弁の一種)を駆使するあたり、キリスト教原理主義者が異教徒を「悪魔崇拝者」と妄想するのと酷似。やはり近哲信者は耶蘇やスピと共に「だんご三兄弟」だ(笑)

では何故に西欧近代哲学信者は仏教を虚無と曲解するのか?それは特殊な思考傾向に由来するはっきりした理由がある。彼らは個々の事物や現象を自存的な実体と見ることしかできない。従って実体であるはずの事物や現象が無常である事に耐えられないのだ。だからプラトンの様に形而上学的実体に逃げ込む。

現象は常に変化するが、そこには変化しない規則性・法則性がある。つまり現象には変化と不変の性質が含まれている訳である。華厳と易経の表現を借りると「事は易にして不易」という事である。ここを見抜けない者は現象の変化に頼りなさを覚えイデア説や一神教など数々の形而上学的迷信を作り上げた。

「法を重視するとともに、それを絶対視せず疑って研鑽するベクトルを第一に重要視することで、固定観念化を牽制しているところがポイント。」というiseakiraさんのご指摘は非常に重要。ここを見逃すと、仏教であろうと形而上学に堕してしまう。「久遠本仏」みたいなのが出てくるのだ。

「因」も「果」も無窮なる大宇宙の産霊の生成作用のある一点に便宜上つけられた記号に過ぎない。ある一点に「一者」を想定した時点で無窮の生々たる宇宙の実相であるかんながらの大道から外れてしまっている。

一神教の「唯一神」観念といい、神秘主義の「一者」といい、はたまた「近代的自我」の哲学といい、宇宙の生々の一点を観念化し矮小化し固定化した上でそれを無上の存在とあがめるせこい思想である。(なのに自分達は無上の神を崇めていると傲り高ぶっている)

8)日本神道では神は全て「天地初発之時」と同時もしくはそれ以降に天地の内側に成り、おわしますと考える。また純粋な生成力としての産霊の神を根源的な神としている。これは天地の創造者を想定する一神教や実体的な根源的一者からの流出を説く西洋神秘主義などとは、根本的に異なる神観だと言える。

14)最後に一つ。「エホバ」にしろ「物質」にしろ意識外に超越項を設定し、そこに根源性を見るという点で猶太教と唯物論は発想が似ている。猶太思想たる所以であろう。「イデア」や「一者」を意識外に想定するプラトン主義は猶太宗教と習合し、猶太フリーメイソン思想の一大特質をなす。

「我思う故に我あり」ではなく「我思う故に思う我あり」ではなかろうか。「思う」ことからわかるのは「思う」ことだけであるのに、「思う」という作用から離れた「我」という主体を導いたのは誤謬である。「我」も「造物主」も「一者」もすべて同質である。実体に執するのが西洋思想の特質である。

現世より来世を真の世界(本つ世)とする発想は、スウェーデンボルグ思想の影響を受けたらしい大本神学とよく似ている。背後世界を真の実在の世界とし、現世をかりそめの世界とする思想は、「造物主」を説くキリスト教も、不完全な物質界から超越した「一者」との合一を説く神秘主義も共通している。

4)神道・仏教は一神教と習合できないのはもちろん、西洋神秘主義とも習合できない。なぜなら神秘主義は「一者」のようなある特異点を設け、そこへの帰一を求めるが、神道や仏教は万物万象万有そのものに最初から神宿り、空性・仏性ありとするから、「帰一」も「合一」も必要ないのである。

3)さて、この新プラトン主義と仏教、とくに真言密教が似ていると言われることがあるので、違いをはっきりさせておきたい。まず新プラトン主義について。この哲学では「一者」のような純粋な実在がまず存在し、現象世界はそこから段階を追って劣化して出現したものだとする。

19)流出説に立つカバラ思想と縁起説に立つ真言密教とはまったく異質である。事物の関係的成立、つまり縁起的世界観が仏教の根本である。関係性を必要としない「一者」のようなものを想定する流出説と縁起説は完全に相反する。両立は不可能だ。

20)神道にキリシタン神学を入れて別のものに変えてしまった平田神道のように、日本の伝統仏教に組み付いて、換骨奪胎して別のものに変えてしまおうというしつこい策動の存在を感じる。「一者」のような実体思想を入れたらもはや仏教ではなくなってしまう。

12)変化する現象の根底に変化しない実体を据えるのは根本的に間違いである。起動や態様や状態という変化を持たない「一者」や「造物主」から現象界が生ずることは論理的にありえない。このような矛盾が根底にある一神教と神秘主義を両輪とする西洋思想はすべて不可能であろう。

@lanekota おお、なるほど。私は西洋思想の核には「実体」(それ自体で存在し永遠不変な実在)という概念があると考え、キリスト教の造物主概念、西洋神秘主義で言う根源の「一者」などはその一形態だと考えております。

新プラトン主義に関しては限りなく汎神論に近い部分を持ちながら、物質世界を一者から劣化して流出した世界だと考えて、結局物質世界には神聖なものを見出さず、だからこそ、段階的上昇を経て一者との合一体験を求めている以上、汎神論にはなりきれていないと。

「不変の創造主が万物を創造する」「不変の一者が万有を流出する」一神教も神秘主義も第一原因である不変の実体が万有を創造したり流出したりとする。しかし、不変の実体はいつまでたってもそのままであろう。変化しないのだから。形而上学は当たり前の道理を無視したところに成立する。

結論:キリスト教と大東社・イルミナティは根を同じくする双子みたいなもの。英国フリーメイソン系の神秘主義も兄弟である。神秘主義の基礎は新プラトン主義であり、ここでは根源的実在としての「一者」を信奉する。キリスト教では「造物主」、神秘主義では「一者」、理性崇拝では「理性」、根は同じ。


一神教の「天地の創造主」という概念は、すべてに先立つとイメージされて実体視された「時間」の人格化から発展した可能性があるのでは、と考えている。「空間」より「時間」の方が一神教の超越者に形象化されやすいようだ。時間崇拝→一神教の可能性。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BA%E3%83%AB%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%83%B3 …

古代の仏教哲学者が「時に別体なし」と言って、時を実体視する事を否定していたのは、時を実体視すると、いずれ人格化され排他独善的な一神教のような怪物を生み出すことを予見していたからだとしたら、これはとてつもない叡智と先見性と言える。一神教の発生を根から封じているという事になるからだ。

相対性理論では時間と空間は相互浸透的であり自存的な「絶対時間」「絶対空間」というものが否定されているそうだ。まさに「時に別体なし」。「時は一性=時は一者」なる形而上学はこの意味でも成り立たないことが明らかとなる。「時は一性」ではなく「時は空性」が正解。空性=自性(実体)の欠如。

「時間」を「一性」にしろ「一者」にしろ「(一神教的な究極実体としての)神」にしろ、形而上学的に立て、自存視する所から、排他独善的なカルト思想が生まれる面があると分析する。人間が持つ推論能力である「理性」を実体視して崇拝する理性崇拝と同断なのだ。つまりイルミナティ的カルト思想。


少しは実のある議論として語ると、「時は一性=時は一者=時は神」なる見解はこれの近現代版と言える→引用:ズルワーン (Zurvān) は、後期ゾロアスター教の一派ズルワーン教に於ける創造神。その名は時間を意味する。【ズルワーン】http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BA%E3%83%AB%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%83%B3 …

1)ここ数日西洋哲学信奉者と対話にならない対話のような事になった。しかし、見ておられた方がいたらお分かりな通り後半はほぼ不毛なやり取りとなった。とは言え、費やした時間を無駄にしないために一応それなりの収穫はあったので感想と気づいたことをまとめておこうと思う。

2)対論相手の方は「時間の一性」という事を盛んに仰っていた。「一性」とは「ト・ヘン」の事らしい。つまり、究極の実体。新プラトン主義の「一者」=ト・ヘンの概念はキリスト教の神学に影響したことはよく知られている。つまり、「時間は一性」とは「時間は神」という新手の形而上学なのである。

3)これはズルワーン信仰に見られる様に時間を絶対神とする中東宗教の系譜に連なる傾向的思考と言える。「時間は一性」はかかる傾向的言説であるので「その思考は無意識(自覚されざる)の前提があるのでは?」と問うた。だが「私に実体としての無意識などない」と言う明後日のお答えを頂き戸惑った。

4)「あれ、これはどこかで見た反応だな?」と思った。そう、キリスト教徒、カルトやスピ信者がその信仰を客観的に分析されたり、相対化された時の火病反応とほぼ全く同じなのだ。西洋近代哲学はそもそも牢固としたキリスト教社会の中から生まれた産物。同根なので反応が同じである意味当然であった。

5)西洋近代哲学はキリスト教文化が前提。西洋近代哲学信者はその当たり前のことを指摘され、相対化されることを嫌うらしい。彼らにとってキリスト教的世界観は絶対の前提らしいのだ。しかも、そこに無自覚な所が始末に負えない。反応の仕方を見ると、西洋哲学信者はスピ信者とほぼ同類だと思う。

6)カントの霊魂論は当然当時のキリスト教文化の霊魂観が前提とされていて、特殊西欧的な相対的なものに過ぎないので、それを指摘する為に「霊魂観は文化的に相対的」と言ったら「文化論」?と意味不明の反発をされた。キリスト教的霊魂観は文化的に相対的ではなく普遍的と言いたいかのようだった。

7)しかし、これは本人には無自覚の様に見えた。つまり、本人も自覚できない程キリスト教的前提が染みついているのだ。そのことがありありと見て取れた。今回の対話での収穫と結論:近代哲学=キリスト教の変奏と改めて実感できたこと。西洋近代哲学信者は本質的に通俗的なスピ信者と同類だという事。

西洋近代哲学信者は「私はキリスト教徒ではない」と言っていたが、「キリスト教的前提があるのでは」という問いは「あなたはキリスト教徒か?」という問いではない。「あなたが信奉する哲学思想はキリスト教の土壌から出てきており、その特殊性・相対性に無自覚ではないのか?」と問うたわけである。

西洋近代哲学信者の世界観的前提を客観的に分析しようとしたり、相対化しようとすると、スピ信者とほぼ同じ反応をすることに気づいた。どちらもキリスト教の土壌から生まれただけによく似ている。理論武装の度合が高く、一般にも「インテリ」と思われているので彼らを「高級スピ信者」と命名したい程。

スピ信者と西洋近代哲学信奉者の共通点は、彼らの世界観的前提を客観的に分析しようとしたり、相対化させようとすると、火病を発症すること。西洋近代哲学は一見冷静な合理主義に見えるが、基本的にキリスト教の土壌から生まれたその変奏でしかない。その意味でスピと近代哲学は実は同根同類なのだ。

西洋近代哲学信者はキリスト教的世界観という前提があるので、実は脆弱である。彼らの依拠する前提は西欧キリスト教文化という相対的なものに過ぎないのに、彼らはそれを隠蔽した上で「普遍性」を偽装している。そこに触れると、まるでカルトやスピ信者の火病のような反応をすることがあるようだ。

1)「時間は一性」などというものは今まで中東以西にいくらでもあった単なるありふれた形而上学の一種である。つまり「時間は一性」→「時間はト・ヘン=一者」→「時間は究極実在」→「時間は神」。後期ゾロアスター教のズルワーン信仰みたいなものを近代的にソフィストケイトしたものにすぎない。

2)要するにキリスト教の変奏に過ぎないわけである。実にありふれた形而上学。それで認識論を解決した、などと喧伝されるので遠回しに「力技」と申したわけである。「新しい形而上学を作ったところで解決になってないですよ」という意味だ。

西洋近代哲学信者との不毛な「対話」の時間を無駄にしない為のまとめ、以上でありますm(_ _)m西洋近代哲学というのは、いくら理知的に見えるようにいかめしく装飾していても、所詮キリスト教をベースとする脆弱なコケオドシに過ぎない事が改めてよく分かった次第である。(了)



iseakira ‏@iseakira 6月10日
@kikuchi_8 というか、あまり哲学にこだわっても、実際の問題とは乖離してることが多いので、浮世離れした議論にしかならないです。
哲学はお戯れにはいいけれど、やはり現実こそ正視すべきです。自分は哲学の人とは合わないことが多い:p
・・・・・・・・
・・・・・・・・
抜粋終わり

iseakira ‏@iseakiraさんは、兵書を知らん。哲学は兵学・兵書でもある。




おなじく より

・・・・・・・・・
子子子子子(ねここねこ) ‏@kitsuchitsuchi 2014年9月23日
@makeanovel 出口なおは元金光教信者。✝光金教→大本教→生長の家✝
教祖の金光大神の側近である佐藤範雄は赤十字メンバー。
フジ産経(一つ目マーク)のボスである日枝久は金光教信者で、フジテレビ=集英社作品アニメというラインを作ったWASP至上主義系の人で英国から勲章授与。

風の子 ‏@makeanovel 2014年9月23日
物語には人を動かすほどの強大な力があるので、古来より、才能のあるストーリーテーラーは宗教や政治、支配者に取り込まれてきたんだろうなとも思います。物語には魔力みたいなものがあるので、支配者は警戒したし、利用したくもなったと。 
@kitsuchitsuchi


・・・中略・・・・・

帰ってきた魔法使いハンターねこた ‏@lakudagoya 7月4日
松下幸之助はマスゴミに大量のカネをバラ撒いてカルトを作って文字通り神と讃えられた。これはベンジャミンの本にも書いてあった事けど、戦後躍進した日本企業は戦前には軍需産業に関わってた。その軍需産業の技術を転用して家電を作ったんだよ。あとは結社の技術移転とかな。戦争が文明を発達させる。

おいらは何で戦争の女神アテーナーが智恵や工芸の女神でもあるのか理由がわからなかった。それは戦争が文明や技術を発達させるからなんだね。元軍需企業 だった日本企業は、敗戦を迎えながらも民需品を作ることで世界征服の機会を70年間ずっと待ってたんだよ。日本企業は大日本帝国の同窓会なんだよ。

U ‏@wayofthewind 2014年4月19日
ミネルヴァの梟は黄昏に飛ぶ。すべての学門は後付け(笑) イルミはそれを知っているから、フクロウを象徴として用いる。 @lanekota

ヴォルフィー ‏@CosiFanTutte708 7月8日
Die Eule der Minerva beginnt erst mit der einbrechenden Dämmerung ihnen Flug. ミネルヴァの梟は来るべき黄昏の時に飛び立つ。 この言葉めっちゃ共感できるわ笑


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抜粋終わり

>ミネルヴァの梟は来るべき黄昏の時に飛び立つ。 この言葉めっちゃ共感できるわ笑

学問の軍事利用の激化。その通り。


さらに抜粋
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NeNe高台院豊臣吉子 ‏@koudaiin 2013年6月15日
論語はフランス語に訳されフランス貴族の間でシノワズリと呼ばれる空前の中国ブームが巻き起こった。思想界においても儒教の易姓革命はヴォルテール、モンテスキュー、ケネーといった思想家らに大影響を与え啓蒙思想の発展に寄与

魔法使いハンターねこた@限定復帰ちう ‏@lakudagoya 7月2日
ヌッポンの極右とお花畑新左翼どもがやたらと中国ラブなのもグラントリアンの流れなんだよねー。もともとフランス革命は中国の易姓革命のパクりだし、列島より大陸にシンパシーを持つシナ人やサンカがそっちとくっついちゃうのは必然だったと。フランスの学生運動でも中国のプッシュやってたしね。

Shinya Watanabe 渡辺真也 ‏@curatorshinya 1月14日
もしもフランス革命の引き金になったボルテールの啓蒙思想が、孔子の『論語』における易姓革命から影響を受けていたとすると、讖緯説から皇紀2600年という年号を捏造して明治政府を立ち上げた明治維新における尊王攘夷という運動も、易姓革命という思想のヴァリアントだと言えるのではないか。

四書ボット ‏@shisyobot
『孟子』易姓革命2:1の訳(仁、正義を破壊する者をそれぞれ賊、残と言い、一夫(一人の民)と呼ぶ。武王が一夫の紂を殺したと聞くが、君主の紂を殺したとは聞かない。)仁義に反した紂王は君主ではないから、殺しても君主に背いたことにならない、と孟子は言い、君子(の姓)を変える革命を認める。

『孟子』易姓革命1:先帝を討伐して天下をとった臣下について尋ねた斉の宣王への、孟子の応え。「仁を賊(そこ)なう者これを賊(ぞく)と謂い、義を賊なう者これを残と謂う。残賊の人は、これを一夫と謂う。一夫紂を誅(ちゅう)するを聞けるも、いまだ君を弑せるを聞かざるなり」(梁恵王章句下)


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抜粋終わり


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