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天木直人 ブログ より
上記文抜粋
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アフリカのコンゴ民主共和国(旧ザイール)に存在する日本大使館の三等書記官が公金を使い込み、その証拠を隠滅するために放火したという衝撃的な事件が報道された。
この事件にはいまの外務省が抱えている深刻な問題が満載だ。
それを順不同に列挙して見ると以下のとおりだ。
1.いまから十年ほど前、外務省の会計担当官が官房機密費を競馬や愛人に流用したというスキャンダルが外務省を襲った。それをきっかけに外務省の公金管理のずさんさが次々と明るみになり、外務省は再発防止策を講じて今後は万全を期すと世論に誓った。それがまったく機能していなかったということだ。外務省だけに任せておいては公金流用事件はなくならないという証拠だ。
2.なぜ在外公館でこのような事件が起きるのか。それは国民の監視が届かないからである。しかも欧米やアジアの大きな国に存在する大使館ならまだ日本のメディアや在留邦人の目がある。しかし僻地の国に存在する大使館はそこで何が行なわれていようがブラックボックスとなって放置され続ける。
3.おまけにそのような国に置かれる大使館は職員が少ない弱小公館であるがゆえに仕事が一人の人間に任せっぱなしになる。これが今度の事件のもう一つの原因である。
4.ここで問題とされなければならないのは、外務省は権限拡大のために毎年そのような国の大使館をどんどん増やし、予算と人事の拡充を図っていることだ。そして毎年それが認められてどんどんと弱小公館が増えて行っている。壮大な税金の無駄遣いだ。不祥事の温床をみずから作っているようなものだ。
5.そして何と言っても今度の事件の最も衝撃的なことは公金使い込みの証拠を隠滅するために放火したというところだ。日本大使館という場所は、治外法権で保護されている日本国家の分身のような場所だ。国家公務員の外交官が自らの手で日本国の分身を放火する。それだけでも前代未聞の醜聞である。
6。おまけに証拠隠滅だ。関係書類が焼却されてしまえば場合によっては今度の事件は迷宮入りすることになる。悪知恵のはたらく所業だ。しかしこの証拠隠滅は外務省のお得意芸である。日米密約の証拠は一部焼却されたため本当のところがわからずじまいで幕引きされてしまった。おりから特定秘密保護法案が強行採決されようとしている。今度の事件は絶妙なタイミングで起きたというわけだ。
ざっと考えてもこれだけの問題点が指摘される。
メディアはこれらを参考に今度の事件を正しく報道し、外務省の抱えている問題の深刻さを国民に正しく報じて欲しいと思う。いまの外務省はまともな外交ができる状況にはないということである(了)
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抜粋終わり
楽しい!!!
Resurrection : ヤポネシア、夜明けと目覚めの光楽:無双(太極)PS陰陽論Nonpolar(Taiji) Platonic Synergy Yin-Yang Theory より
上記文抜粋
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民主主義とは何ぞ哉:経済主義的似非民主主義と個的共生体:身体・氣・自然の新しい神々:西洋文明崩壊
民主主義の問題であるが、当然ながら、国民の代表ということで、国会議員が選出されるのであるが、結局、今日、政治は経済主導であり、その他の様々なことが等閑にされるのであり、結局、経済民主主義とは、民主主義に値しないということである。
つまり、今日の民主主義は似非民主主義であるということである。
正当な民主主義にするには、政治の脱経済化が必要である。植草一秀氏が述べていたが、一切献金を廃止するというは正しいと思う。
また、結局、日本の場合は、官僚支配の問題がある。
ここが諸悪の根源である。
これが全体主義を生むのである。つまり、選良主義、選民主義があるのであり、民衆・国民は見下されるのである。
そう、官僚制度は差別制度なのである。封建制度である。専制である。
持論は官僚も選挙で選出するべきであるが、きわめて難しいだろう。
思うに、政治は自壊に任せた方がいいのかもしれない。
自衛的に生存を考えた方がいいかもしれない。
思うに、そのとき、個的共生の視点が出てくるのである。
観念でなく、経験としてである。
なにか、ローマ帝国が崩壊過程にあり、キリスト教が勃興してきた時代に似ているのかもしれない。
今は信仰ではなく、感性である。直観である。そう、新しい神は、身体である。身体が神である。また、氣も神である。少なくとも、身体と氣が神である。氣的身体神である。
そう、自然も神である。そうすると、身体、氣、自然が新三位一体の神ということになる。
とまれ、新自然共生体へ民衆は向うべきだろう。もう、国民云々ではないだろう。個民である。
追記:太陽を入れるのを忘れた。太陽も神である。
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抜粋終わり
お読みくださってありがとうございます。