院長の独り言さんのサイトより
http://onodekita.sblo.jp/article/81758887.html


<転載開始>
 原発事故以降、「科学技術」立国なる言葉が如何にまやかしだったか、イヤになるほど見せられました。そもそも、理系人間はどちらかと言えば、頭はいいのかもしれないが、暗い、人付き合いが悪い、とは言われていたものです。それでも、自分の専門分野-理系-に関わることは、あるていど自分の頭で考えているのだろうとばかり好意的に考えていたのは事実です(私自身も一応はばりばりの理系ですから)。

 が、それをまったく打ち消すアンケートを突きつけられて、呆然・愕然させられました。
原発稼働ゼロ、知っているのはたった15%――阪大1年生へのアンケートで
オルタナ 10月17日(木)18時57分配信

全国で稼働する原発がゼロであることを知っているのは、わずか15%――。大阪大学の大澤五住(おおざわ・いずみ)教授が同大学の1年生を対象に行ったアンケートで、現在の日本の電力供給に占める原発の比率について、大半の学生が正しく理解していないことが分かった。(オルタナ編集委員=斉藤円華)

アンケートは10月2日、大澤教授が担当する、環境問題をテーマにした講義の初回の授業で実施。同大学の理工系学部に通う1年生113人が回答した。それによると、原発を今後どうするべきかについてたずねる質問では、「今すぐ稼働を停止し、二度と使わないで廃炉にする」と答えた人は6人(5.3%)にとどまる一方、少なくとも一部の原発については再稼働を認める意見が全体の9割を占めた。

そして、現在の日本の電力供給に占める原発の比率について、「0%」(稼働ゼロ)と回答したのは17人(15%)だったのに対し、最も回答が多かったのは「15%」で22人に上り、次いで「20%」が22人、「25%」が11人と続いた。「30%以上」と答えた人も12人いた。

国内の原発は関西電力大飯原発4号機が9月15日に停止して以降、稼働ゼロの状態が続く。ところがアンケートに答えた学生の大半はその事実を知らず、原発が稼働しているものと思い込んでいた。大澤教授は今回の結果に「正直びっくりした」と話す。

多くの学生が、新聞やテレビニュースを見ていないのではないか。高校や大学でも原発が授業で取り上げられたり、話題となったりする機会はほとんどない。そもそも社会全体が話題のテーマから原発を避けている風潮もあり、一般を対象に同様のアンケートを行っても似たような結果になると思う。メディアもその責任の一端を担っている」(大澤教授)

2013113001.jpg大澤 五住 (おおざわ いずみ、Izumi Ohzawa)

この記事の元になった、ブログを見てみましょう
原発と被曝に関する大学一年生の意識アンケート:大阪大学の場合 2013年10月14日月曜日
原発と被曝に関する意識のアンケートを阪大の1年生を対象に、できるだけ予断を持たせないようにして、環境問題に関する初回の授業で実施しました。危惧はあったのですが、実際、この結果にかなりショックを受けています。

多くの学生は、現在(2013年9月16日以来)日本で稼働している原発はゼロであることを知りません。知っていた学生は113人中の17人(15%)でした。これが通常の単なる知識の問題なら、そう気にする事はないのですが、原発が今この瞬間も使われているという誤解は、それがどうしても必要だ、再稼働できないと電気が足りないだろう、という間違った結論に直結します。
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図1:稼働原発ゼロという事実を知っているか?

 このような大きな問題さえ、阪大理系一年生の間では誰も話題になどしていないことが良くわかります。このような大きな問題さえ勉強せず、知らないとすれば一体何をしに大学に行っているのでしょうか。阪神の勝敗や、お姉ちゃん、バイトのことしか考えていないと言ったら、いいすぎでしょうか。仮にも旧帝国大学の中でもナンバースリーと言われる理系学生の集団とは、とても思えません。このように無知ですから、以下の質問もとても信じられないようなことばかり出てきます。(私は見たくありませんでした)
このためか、すくなくとも一部の原発には再稼働を許容する意見が90%を占めました。「今直ぐ稼働を停止し、二度と使わないで廃炉にする(廃炉自体は時間がかかる)」を選択した学生は113人中、たった6人(5.3%)でした。
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図2:原発に関する選択

福島産の農産物に関しては、66%が「食べて応援」か「産地は気にしない」と回答しました。また、グラフ化はしていませんが、現在の食品(肉、野菜、魚等)に含まれる放射性物質の基準値が100Bq/kgであることを知っていた学生は、113人中10人でした。

阪大生が、世の中の事、特に原発や放射能汚染の状況に疎いという可能性もないわけではありませんが、残念ながら、おそらくこれが大学生だけでなく、多くの日本の人たちの意識ではないかと思います。原発に対する正しい判断に必要な基本知識は、非常にあやふやな状況であると、結論づけることができるでしょう。

FacebookやTwitter等のSNSでは、良く似た考えがフィードバックされることもあって、こんな事は当然知っているだろうと思い込んでいる傾向があるのかもしれません。私も油断していました。それにしても、こんな状況では脱原発は簡単にはいかないことはわかります。

【追記】 --- 念のためですが、今は彼らは普通以上にはよく知っているはずです。また、多くの学生が、もっと自分から知る努力をしなければ、とコメントをくれました。また、阪大のあるいは理工学系の学生が特に知らないわけでもないと思います。新聞の一面記事になったわけでもなく、当日の原発関連ニュースを注意して聞いていなければ、聞き逃した可能性は高いでしょう。一般の人や大学教授でさえ、知っているかあやしいものです。この状況ではマズいと考える方は、
「#2013年9月15日より日本では全ての原発が停止しています」を、tweetに付けたりして、世の中に知らせてはいかがでしょうか?
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実施日:2013年10月2日 
実施 対象:大阪大学 理工学系学部(複数学部、複数学科)の1年生
有効回答数: 113
2学期の初回の授業で、原発について私の意見や考えは何も言わずに実施。
注意として以下の指示:
「アンケート結果(統計)はネット公開します。 これに同意出来ない場合は、白紙で提出してください。 退出時に伏せて提出してください。」

ネット上にはアンケート全体のまとめも掲載されています。気分が悪くなりますが、現在の阪大生の意見と言うことで、紹介させていただきます。
1.原発をどうすべきか?<その他の意見>
・代替の発電所を作り、その能力に応じて廃炉にする。
・人のいない砂漠などに作り、エネルギーを大都市に送る。
・代替エネルギー開発で効率がよいものができたら廃炉にすべきだ。
・設計書を見直し、新たに再び研究し、作り直す。
・原発を止めると地元経済がまわらない。
今すぐにでも自民党どころか、維新の会、幸福の科学にスカウトされそうなくらい筋金入りです。さすが、維新の会の地元とでも称すべきでしょうか。
9.原発、放射能、被曝に関しての感想や意見
・福島原発に起こった事故に対して企業や国が早急な大書を求められるのは当然のことだが、そのことと、全ての原発を廃棄するのは別問題であるように思う。何故これまで原子力発電に頼っていたのか、それに代わる新エネルギーとは一体何なのか、この点をしっかり考える必要があるだろう。
「危険である」と言わなければ、叩かれる風潮があったので実際どうなのかわかったもんじゃない。国は研究発表を自力で読めるだけの理系教育を推進すべき。
・自分は放射能について全く詳しくないですが、福島県産の野菜をあまり食べたいと思いません。こういうことが原発事故の後にも残っているので、政府が解決するよう努めてほしいです。
原発はクリーンエネルギーなので安全に利用すべき。
・解決しなければという意識を殆どの国民が持っているが、当事者になることは避け始めるのが現状だと感じます。住んでいる地域、年齢等関係なく、問題について正しく認知し、自分が何をできるかを考えていくべき。また、大人はそのようなことを考えるきっかけを子供に積極的に与えることも必要だと思います。
・高速増殖炉の事故で亡くなった人の死に方をもっとメディアで伝えるべきだと思う。染色体損傷について。
・わざわざ「食べて応援」のようなスローガンを掲げて、福島県産の食物をアピールするのは逆効果だと思う。
・地球温暖化や、アフリカで電力需要が増えることを考えると、原発は必要である。原発は安全性に疑問があるという人がいるが、
日本の技術は高水準であり、問題はない。問題があるのは、廃棄物の方である。放射能が怖いので福島には行きません。
・核融合を完全なものにするために、ヘリウムの開発を進めていくべきだと思う。
・自分も含め、原子力の基礎的な知識を多くの人が持つべきだと思う。
・震災後の原発などの復興はなかなか進まないと思う。
原発は積極支援するべきである。現代の電力は原発以外にない。
・今ある原発の中には老朽化が進んでいるものもあり、それをどうさせておくよりも、
新しい原発を作った方が安全ではないか。それを頭ごなしに否定するのはよくない。
・ニュースや新聞は過敏になりすぎている気がする。もうあれから3年も経とうとしているわけだし、気にし過ぎなくてもいいと思う
・原発は暴走すると大変恐ろしいものですが、稼働していない期間が長引くと日本の高いレベルの技術者がいなくなってしまうのではないかと危惧しています。やはり原発は継続して技術を後世に伝えていくべきだと思います。
技術がもっと発展すれば、より安全に原発を使用できると思う。今回の地震で学んだことを次の技術へ応用するのが僕たちの仕事であると思う。
・高速増殖炉の研究を続けるべき。
・心配なのはわかるけど、海外メディアなど放射能等に関して過剰反応しすぎなんじゃないかと思うときがあります。
・目に見えない分、やはり怖いイメージが多い。福島を応援したい気持ちは大きいが、その分不安も大きい。
喜んで、学徒動員に走り、神風特攻隊に志願していった若者ともろにかぶります。3年もたったから安心なんて、本当に理系の学生なのでしょうか。セシウムの半減期すら知らないと言わざるを得ません。それにしても、理系バカもここまで来ればもはやあっぱれです。理系に国の舵取りをさせてはならないと今一度、強く感じました。そして、大学生だというのにあまりにも評論家としか言えないような意見。本当にキミタチは、大学生か!と言いたくなるほどです。
 そしてこのような学生たちを相手にされている教授にただただ脱帽です。
 それともアレでしょうか。すきあらば、東芝、日立、三菱重工や関西電力に就職できるよう今のうちからごまをすっているのでしょうか。保健物理を修得すれば、簡単に就職先は見つかるようですから


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抜粋終わり


阪大生が、東大と心中か。

まあ、「大学行くと負け」なのが、再度わかった。


http://d.hatena.ne.jp/ohnosakiko/20131123  より  


上記文抜粋
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「偉い男」ほど厄介なことになる

 


父が入居している有料老人ホームの、介護士の人に聞いた話である。


「施設に入って認知症が急速に進むのは、女性より男性です。その中でも多いのが、会社の社長さんとか学校の先生。社会的には「偉い立場」で、ずっとこれまで自分が指図する側で来た人ですね。それが、環境が変わって人から看てもらうようになった時、気持ち的に自分の立場を受け入れられなくて、おかしくなってしまう」。


そうでしょうとも‥‥と、父を見ていて思った。


社長さんはどうなのか知らないが、教師は現在、大昔に言われたような「偉い人」ではない。「先生」が「先生」というだけで一応尊敬の眼差しで見られた時代は、とうに過ぎ去った。でも今、老人ホームにいる人は「先生がまだ偉かった時代」を生きてきた人である。89歳の父はまさにその典型だろう。


高校教師を長年勤め、頭のてっぺんから足の先までガチガチの先生気質だった父。家族の上にも父親兼教師として君臨してきた父。ボケ始めてますます頑迷になっていった父。


その父は、ホーム入居半年で、言葉と記憶をほぼ失った。




ジェンダーと古典的な先生気質の共通項は、何か。「物事を決めるのは自分」「上に立っているのは自分」という支配者的な意識だ。会社の社長など、多くの人を束ねリーダーシップを発揮しなければならない職業でも同じだろう。その自意識が強烈なプライドとなって、長い職業生活の支えになってきた人は多いだろう。


ところが、周囲の人に世話してもらわねばならない立場になり、自分に関する大事な物事が周囲の人によって決められていく中で、何の力もなくただそれに唯々諾々と従うしかない*1‥‥というふうに、自分の立場や環境が激変してしまうと、それに気持ちがついていけず、現実を否認し、壊れ始める。


父の言うことがおかしくなりやがて言葉が出なくなった時、教師としての誇りで岩盤のように強固に凝り固まっていた父の心に、無数の細かい亀裂が入っていくのが目に見えるような気がした。これはもう元には戻れないと思った。




今年の春、ホームヘルパーの実習で幾つかの介護施設に行った。印象に残ったのは、女性の方がコミュニケーションが活発で、いろいろな作業を積極的にやる人が多いということだ。こちらが挨拶をして返してくれたり、話しかけてくるのも全員女性。


男性でも、「どんなお仕事なさってたのか、お話伺ってもいいですか」などと水を向けると結構喋る人はいるものの、レクリエーションの時間は概して消極的で、「何でこんなことせにゃならんのだ」とばかりにムッツリとそっぽを向いている人が時々いた。こういう人は認知症が進みやすいと言われる。


そもそも老人介護施設において、男性は女性よりずっと人数が少ない。多くが自宅で妻に介護されて亡くなるからだろう。父のいるホームも同様で、女性たちの中に点在している男性は、食堂でも大抵いつも一人きりでぽつねんとしている。


女性同士では時々噛み合わないながらも言葉を交わしていたりする(喧嘩もある)が、男性同士でやりとりしているのは見たことがない。終の住処で、せめて数少ない同性と仲良くし、残りの人生を少しでも居心地良く過ごそうとするのかと思っていたのだが、全く違っていた。そういう発想は女性のもののようだ。




もともと、外で仕事をし家のことは妻任せだったような男性は、環境に柔軟に対応し何でもないコミュニケーションを楽しむという習慣がない。特に今、老人ホームにいる世代の男性は戦後の高度経済成長の中で仕事に邁進した会社人間で、仕事を離れたところでの人間関係が貧弱だった人が多いのではないかと思う。


一方その世代の女性は、家事・子育て・近所のおつきあいなどを同時にこなしつつ、同性で集まっておしゃべりしたり地域の活動をしたり、子どもとの関係も夫よりは密だったりして、日常的にさまざまな水準のコミュニケーションを体験している。相手との距離を測り、共感を旨とする人間関係を維持しようという習慣も身に付いている。


もちろんそれに当てはまらない人はいるだろうから、全体的な傾向としての話である。こうした男女の社会的位相の違いがある上に、社長や教師など特定の職業で醸成されたメンタリティが加わることによって、「上に立つ仕事」を務めた老人男性特有の難しさが浮かび上がってくるのだ。




少し前、母が父を訪ねて行った時、食堂に新しい入居者の男性がいた。半身不随だがまだ矍鑠とした雰囲気で、見舞いに来ていた奥さんに新聞を持たせ、「次、16面!」「次、32面!」と大きな声で命じ、その度に奥さんは手早く新聞を畳み直して夫の前に差し出す、ということをやっていたという。


施設のスタッフが「先生」と呼びかけていたので、母は「この方も学校の先生だったのね。校長先生かしら」と思ったが、後で聞いたら元は医師でどこかの院長だった。「先生」違いだったが、「上に立つ」意識が強い点では近い。


別の日に母が行くと、先日自分の奥さんが来たことはすっかり忘れて「ちっとも見舞いに来ん」と怒っていた。母が「お元気そうですね」と話しかけると居ずまいを正し、「私は◯◯科の医者をやっておりましてな。あなたはあまり顔色が良くないようだ。具合の悪いところがあれば見てあげますからいつでも来なさい」と言ったそうだ。




父は上記の「先生」のような経緯を経て言葉が出なくなり、終日無言でほとんど目を閉じたままになった。


父の口から時々発せられるのは、「アイ!(「ハイ」のつもり)」という返事だけである。そんな返事を、家にいる頃家族にしたことはない。ホームに来て、毎日のように介護士に「先生、これから◯◯しますよ?いいですか?いいならハイってお返事して下さい」と言われて、言うようになったのだ。


全身の機能が低下してきている中での「アイ!」は、中身のない自動的な反応にも見える。しかも介護士や私の呼びかけには時々応えるのに、母の呼びかけには何故か一切反応しない。


「しょっちゅう来て話しかけてるのに、お父さん何にも言ってくれない。私のこと嫌いになったのかしら。こんなところに入れやがってって怒ってるのかしら」と母は嘆いた。


介護士の人は、「おうちでも威張ってらした方ほど、そういう態度になりがちなんです。本当は奥様に傍にいてほしいのに、いざ来られると素直になれなくて、無視したりしちゃうんですよ」と言った。「そういう気質は、どんなにボケても最後まで残るんです」。


厄介なものですね、「偉い男」ってのは。




余談。


先日、母から電話があった。


「今日、お父さん、やっと口開いたの。「お父さん」で反応しないから、昔あなたが小さい頃に呼んでた「パパ」でやってみた。パパ、ママよ~、ママ来たわよ~、パパ~って大声で。そしたらいつもの「アイ!」じゃなくて、小さい細い声で「ハイ」って言ったの。そんで自分で無理矢理目を開けようとしてね、片目しか開かなかったけど。私よママよわかる?って言ったらまた小さい声で「わかる」って言った。嬉しかったわ、奇跡が起きたって思ってねえ」


会話はそれきりで終わりだったようだが、母は有頂天だった。私は「良かったねぇ」を繰り返した。


鼻持ちならない先生気質に凝り固まったまま柔軟性を失い、ひび割れてバラバラになった父の心。最期の時が近くなってやっと、その一部に一瞬暖かい血が通ったように思えた。





●追記1


スターが多くついていたブックマークコメントの質問に答えたいと思います。


id:tail_y これ、自分もボケてもレクリエーションをやらされるのはなんか嫌だし、単純に施設の方の準備がこういう男性に向けて作られていなくて、そういうところに入れられちゃった結果悪化していくっていう可能性は無いの? 2013/11/23


http://b.hatena.ne.jp/tail_y/20131123#bookmark-170467338




そういう可能性もあると思います。しかし自宅介護は無理、介護施設は手が足りないという状況では、なかなか良い解決策がないようです。




レクリエーションは、手遊び、リズム体操、図画工作、書道、輪になってする簡単なゲーム、パズル、クイズ、輪投げや玉転がし、カラオケ(あるいは合唱)、囲碁将棋・カルタ*2など。まるで幼稚園のお遊びだと感じる方も、中にはいるかもしれません。


また利用者への言葉遣いは、「おじいちゃん」「おばあちゃん」という呼びかけや赤ちゃん言葉はNGとなっています。ただ耳の遠い老人が多いので、大きな声でわかりやすくゆっくりという喋り方になり、それが子どもに言っているようだと傍から見えることはあります。




レクリエーションは全員で行うものが多いですが、合わない人も当然います。合わないのでやりたがらない人に無理に薦めることはありません(強制されると思っている人がいるようですが、それはないです。女性でも参加しようとしない人はいます)。他には、ボランティアが来て、演奏やダンスやマジックショーなどを楽しむことも時々ありますし、遠足などの行事もあるようです。


レクリエーションは基本的に、施設利用者の健康(運動不足解消やボケの進行防止)と娯楽のために行われますが、介護スタッフの人数がどこでもぎりぎりなため、個々の利用者に応じたきめ細かい対応はなかなか難しいのではないかと思われます。私の見て来たのは中クラスの介護施設なので、富裕層向けのところだと違うのかもしれませんが。




また、父もそうでしたが、男性は特に「こんなところに入れられてしまった」「他の老人と一緒にされたくない」という思いの強い人が多く、積極的に環境に溶け込もうという意思が女性より薄弱に見受けられます。介護士に横柄な態度を取ったりするのも、どちらかというと男性が多いようです(これからは違ってくるかもしれませんが)。


もちろん例外もあります。私の見てきた中では、まだ頭も比較的しっかりしており普通に歩ける男性が一人いらしたのですが、その方は食事の配膳をいつも手伝っていました。その施設では、配膳はその方の役割ということになっていて、それなりに仕事意識を持ってなされていたようです。「これも運動不足解消とボケ防止になると思ってね」と仰っていました。そういう男性もいます。




全体的に女性も男性も、ゆっくり話を聞いてくれる人を求めているように思います。一旦話しだすと、それはそれはよくお話になる人が結構います。自分の半生について、時々質問もされつつ興味をもって肯定的な態度で聞いてもらうというのは、孤独な老人にとって精神的に非常に良い効果があるのではないかと、実習で感じました。


しかしそうしたことも、介護スタッフが少ない現場ではなかなか難しいことだと思います。




‥‥というか。


デイサービスに通える間はまだいいでしょうが、全面的に介護が必要になって施設入居となった時、多くの人が目も耳も衰え頭の回転も集中力も鈍り、それまで楽しめていた趣味がやれなくなったり興味を持てなくなっている、もっとずっと単純なことしかできなくなっている可能性がある(好むと好まざるとに関わらず)ことを、あまり想像しない人もいるんだなと、ブコメを眺めて思いました。




●追記2


「先生」と呼ばれる女性は?ジェンダーというより職業の問題では?というブコメも散見されるので、書いておきます。




「先生がまだ偉かった時代」を生きてきた介護世代の元・先生(社長さんなども含む)の女性は、女性の社会進出が進んでいない中で物凄く頑張ってこられた人が多いので、プライドも男性と同じかそれ以上に高く、従って認知症が急速に進み「厄介」なことになる確率が、(例えば専業主婦だった女性より)高いかもしれないと思います。


また私事ですが、義母の友人たちの中で一番初めにボケ始めたのが、長年教師を勤めてきた方でした。仕事に非常に熱意と使命感をもって取り組んできた人(私の父もそうでしたが)ほど、燃え尽き症候群の後にそうなっていく傾向があるのではないかと思います。




ただ現・介護世代は、社長さんも先生も男性の割合が圧倒的に多いので、「偉い女」が厄介なことになる事例よりも「偉い男」が厄介になる事例が目につきやすいということです。


冒頭の介護士の話にも、「社長さんや先生の女性には一人もそういう人がいない」ということは含意されていません。何百人もの利用者を見て来た中で、強い傾向の話として言えることを仰っていると思います。




それと、社長さんは別として、学校の先生で管理職に上がって行くのはやはり圧倒的に男性なので、「先生」という「偉い女」も、職場では下の立場となります。昔だと、「男の先生」とは違ったものが「女の先生」に求められたこともあったでしょう。


また教職と家庭の両立に苦労してきた女性も多いでしょうから、その点も、その世代に多い仕事一本やりの男性とはメンタル面が異なってくると思います。




総合して考えると、少なくとも現在の介護世代においては、単純に元・先生の男性と元・先生の女性を比較した場合、男性の方により認知症が出やすいジェンダー的な条件はあるのではないでしょうか。


先生(特に初等教育)に女性が多くなった今、その方達が介護施設を利用するようになる頃は、また違う傾向が見えてくるのかもしれません。とても興味があります。ただその頃は既に私もボケている可能性大ですが‥‥。


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抜粋終わり

偉いってなんでしょう。

本当に「偉い人」は、ボケても尊敬され、なによりも愛される。

それは「徳」があふれているからだ。

強さや肩書の「偉さ」は、つかの間の神仏の恩寵におごっている勘違いなのである。





お読みくださってありがとうございます。