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故国の滅亡を伍子胥は生きてみれませんでしたが、私たちは生きてこの魔境カルト日本の滅亡を見ます。
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P R
反戦な家づくり より

上記文抜粋
・・・・・・・・
日本国は大日本帝国の「社名変更」なのか?

日本国憲法をもつ現在の日本国と、70年前の今日に敗戦した大日本帝国は、同じ国なのか? それとも違う国なのか?
誰か、明確に答えられる人はいるだろうか?

企業に例えて言うと、
①りそな銀行
②日本航空
③ライブドア

のどのパターンなのか、ということ。

①りそな銀行は、破綻処理もせずに延命させたので、いわゆる「実質国有化」になった2003年以前と以降は、全く同じ会社である。

②日本航空は、2010年に会社更生法を適用し取締役は辞任している。が、更正法は会社の「再生」をはかるものであり、人的にも子会社の社長がCOOに就任するなど、同じ会社と言うことができる。

③ライブドアは、堀江の2代目と、現在のLINE傘下の3代目は、人的にも組織的にもまった別物だ。ライブドアという名は、ブランド名として残っているに過ぎない。

こうして分類してみると、日本の1945年の前と後は、かなり不完全な②日航パターンだったと言える。役員の全員辞任もしていないし、一度辞任したものが大臣や総理として復活しているのだから、限りなく延命措置に近い破綻処理だっといえる。

その一番の証拠が、ここに明記されている

20150815-1.jpg

そう、日本国憲法の御名御璽である。

社長は替わったかもしれないが、会長は名誉会長としてそのまま在籍し、新憲法はその名誉会長の名前で発布されたのである。
役員の一部は処分し、社名変更して定款や就業規則は書き換えたけれども、「同じ国」なのである。

国家の定義を「国土、国民、統治権」とするならば、国土は植民地を返し、沖縄と小笠原を米国に献上したけれども、大きな分割等はなく、国民も同様。そこに、統治権の継承があれば、日本国と大日本帝国は「同じ国」だということになる。

■■

ここが、戦後日本にしかけられた罠なのである。

安倍晋三が70年談話の中で、「戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません」と言ったことが、問題になっている。

産経新聞などは大喜びしているが、「もう謝罪しないという意味か」」という批判も多い。
私は、産経の主張に与するわけではないが、このことば自体は間違っていないと思う。

なぜならば、「日本国に大日本帝国の責任をそのまま継承させ、しかもその責任をいつまでも曖昧にさせる」ことは、米国の占領政策だからだ。支配するには、スネに傷をもっていたほうが好都合なのだ。
「謝罪しろ」と言いながら、でも謝罪はさせない。それが米国の日本支配のキモであり、謝罪を拒否するいわゆる歴史修正主義の連中は実はまんまと米国に利用されているのである。

だから、一度きちんとカタをつけることは、それ自体は必要なことなのである。
問題は、ではそのために何をするのか だ。

産経は、1985年のヴァイツゼッカー大統領の演説を引き合いに出している。いわゆる「荒れ野の40年」である。
(「荒れ野の40年 全文 http://r.binb.jp/epm/e1_6434_07022015122740/ )
産経が言いたいことは、ドイツだって謝罪していないんだから日本も謝罪する必要は無い ということ。

「自らが手を下してはいない行為について自らの罪を告白することはできません」
「ドイツ人であるというだけの理由で、粗布の質素な服を身にまとって悔い改めるのを期待することは、感情をもった人間にできることではありません」
という部分を引用した産経は、その直後の文言を見ていないのだろうか。

ヴァイツゼッカーはその後にこう言っている。

「しかしながら先人は彼らに容易ならざる遺産を残したのであります。
 罪の有無、老幼いずれを問わず、われわれ全員が過去を引き受けねばなりません。全員が過去からの帰結に関り合っており、過去に対する責任を負わされているのであります。」

「問題は過去を克服することではありません。さようなことができるわけはありません。後になって過去を変えたり、起こらなかったことにするわけにはまいりません。しかし過去に目を閉ざす者は結局のところ現在にも盲目となります。非人間的な行為を心に刻もうとしない者は、またそうした危険に陥りやすいのです。 」

過去に対する責任はある。それは、目を閉ざさず心に刻むことだ。
ごめんなさいという口先の謝罪ではなく、過去を引き受けることこそが、責任の取り方だ、と言っているのだ。

もちろん、戦後のドイツにおいてナチス時代の大臣が閣僚に復活することはあり得ないし、党員だったというだけで大スキャンダルになる。
ナチスドイツとの決別を徹底してきたし、それを外交的にもアピールしてきた。

安倍晋三が「戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません」というのならば、せめてドイツ程度のことはやれ、ということだ。
自分の祖父を戦犯として弾劾するくらいのことは、最低限やってから言え ということだ。

そして、安倍談話を批判する人たちも、「謝ってないじゃんか」というだけでなく、「口先の謝罪ではない責任の取り方」を真剣に考えるべきだ。
それは、まさに目を閉ざさず心に刻むことであり、なによりも、大日本帝国からの決別だ。
社名変更ではない、新しい日本をどうやって作るのか。
日本の文化はその多様性ごと継承しつつ、国家権力としては生まれ変わる。そのためにどうしたらいいのか。

この道筋を諦めないことが、唯一「過去に責任を負う」ということではないだろうか。


  2015年8月15日
  敗戦70年目にして、大日本帝国からも占領軍からも自立できていない日本にて

・・・・・・・
・・・・・・・・
抜粋終わり


まずは、大日本帝国=日本国を、日本人の手により滅亡させることである。

天皇家は、せいぜい「一宗教法人」として厚遇するしか・・・ない。

皆殺しも国外追放もしないけど。


私は甘すぎるのだろうか・・・それとも過酷すぎるのだろうか・・・・


お読みくださりありがとうございます。

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