忍者ブログ
故国の滅亡を伍子胥は生きてみれませんでしたが、私たちは生きてこの魔境カルト日本の滅亡を見ます。
2024/04     03 < 10  11  12  13  14  15  16  17  18  19  20  21  22  23  24  25  26  27  28  29  30  > 05
Admin | Write | Comment
P R
リテラ より

上記文抜粋
・・・・・・・
日本のお笑い芸人はなぜ政治風刺ができないのか? マキタスポーツ、水道橋博士が語ったその根本的原因とは?


お笑い芸人がワイドショーに進出するようになって久しい。『バイキング』(フジテレビ)の雨上がり決死隊、『スッキリ!!』(日本テレビ)司会の加藤浩次、コメンテーターとして『白熱ライブ ビビット』(TBS)出演するオリエンタルラジオ・中田敦彦など、例をあげていけば枚挙に暇がない。
 しかし、彼らがそういった情報番組のなかで普段のバラエティ番組で見せるような仕事ができているかといえば、まったくそんなことはない。
 本業のお笑いで見せる横紙破りなキャラクターが嘘のように、情報番組のなかで彼らは「世間の声」を代弁する「優等生」として振る舞っている。中田敦彦がベッキーのことを「あざとい」と断罪したことが象徴的なように、情報番組に出た芸人たちは、世間の常識に抗って笑いを生み出す存在ではなく、世間の常識を体現するだけの存在になってしまっている。
 だから、『ワイドナショー』(フジテレビ)の松本人志や『ノンストップ!』(同)コメンテーターの小籔千豊のように、もはや政権与党の公式コメンテーターのごとく振る舞う人間が出てくるのもまったく不思議な流れではない。安全保障に関する問題にせよ、女性の社会進出に関する問題にせよ、彼らはその「保守オヤジ」っぷりを遺憾なく発揮しているが、それも、どんどん保守化する世間の空気に過剰適応した結果なのだろう。
 そんななか、サブカルファンから熱狂的な人気を得ている芸人のマキタスポーツが「TV Bros.」(東京ニュース通信社)2016年7月30日号の連載コラムのなかで、かなり鋭い発言を繰り出した。彼はまず、先の参院選における候補者の演説を振り返り、こんな感想を漏らす。
〈安倍さんの全く音楽的じゃない喋りを思い、これを選ぶ日本人の感性に対して「やっぱなんか理由があんじゃないの?」って思ってしまいました。ああいうなんの魅力もない人を“上に頂いておく”という「日本人と政治」に対しての感慨です〉
 そのうえで、マキタスポーツは、こんな疑問を投げかけるのだった。
〈「政治と笑い」って日本人は不得手ですよね。政治家をおちょくるやつで、面白いの見たことない〉

確かに、日本の芸人たちは「政治」をテーマにするのがとても苦手だ。前述のように、昨今では情報番組にも多数の芸人が進出しているが、その場で彼らがすることは笑いを生み出すことではなく、お茶の間の視聴者が溜飲を下げるような「模範的回答」を口にするだけだ。そこには、ブリーフに茶色い染みをつけていた「アホアホマン」の姿も、女性アイドルだろうと関係なく投げ飛ばす「爆裂お父さん」の姿もない。彼らがこれまでコント番組で行ってきた論争を呼ぶような行動は、テーマが「政治」になった瞬間、一気に鳴りを潜めてしまう。
 翻って、欧米諸国のコメディアンたちが「政治」をテーマにするときの態度は真逆だ。
 古くは、ヒトラーを徹底的に揶揄したチャールズ・チャップリン、英国王室、教会、軍人、警察など硬直した権威の欺瞞を茶化し続けたモンティ・パイソンなど、欧米のコメディアンは常に議論を呼ぶような内容を伴いながら笑いを生んできた。
 現在、そうした動きの急先鋒として存在するのがサシャ・バロン・コーエンだろう。彼の出世作となった2006年公開の映画『ボラット 栄光ナル国家カザフスタンのためのアメリカ文化学習』は、人種差別、女性差別、同性愛差別といったタブーに敢えて土足で踏み込むことで、現在のアメリカに巣くうグロテスクな「差別問題」の構図をブラックジョークとともにあぶり出してみせた。
 彼らが「政治」に向き合う態度は、日本の芸人たちの「優等生」的態度とは正反対のものである。
 サシャ・バロン・コーエンの映画は世界24カ国以上で初登場1位を獲得するなど世界的に人気を博しているが、日本において彼の作品は「カルト」の域を出るものではなく、その状態はいまでも続いている。
 その理由は、日本の芸人たちが情報番組で「世間の声」の代弁者となってしまう風土と地続きなのは間違いない。サシャ・バロン・コーエンを絶賛し、日本にも彼の存在を紹介すべく尽力し続けてきた水道橋博士は、ウェブサイト「映画.com」のインタビューにこう答えている。
「コメディの力や破壊力を世界中に知らしめている。そこは本当にリスペクト。日本のお笑いに求められている過激さは、アメリカやイギリスとまったく違う。僕はどうしても同調圧力に負けてしまう」
 水道橋博士は「同調圧力」と表現しているが、それは詰まるところ、権力を「風刺」して世間に波風を立てるような芸を展開するなという「圧力」だろう。そして、元来「空気を読む」スキルが異常に高く、それゆえにバラエティ番組のみならずあらゆるジャンルの番組に進出していった芸人たちは、空気を読み過ぎてしまい、結果として単なる「優等生」と成り果ててしまう。それは「空気を読む」ことに長けているが故の弱点でもある。



 だが、欧米のコメディアンたちがやっているのは、敢えて空気を読まず、世間に波風を立てることで笑いを起こす「風刺」である。日本の笑芸には、この「風刺」がない。これに関し、前掲「TV Bros.」でマキタスポーツはこのように書いている。
〈これに関しては「パーティがないからパーティジョークの必要無し」ってことだと。「社交の場」の在り方は名称上パーティであっても、向こうのパーティとは違いますよね。同じように、向こうで「政治」と言ってるものと、相変わらず日本の「政治」は違うんだと思うんです、向こうの政治や、政治的な場にはジョークが必要なんでしょう。「風刺」がないとダメなんですよ、マナー的に。日本は風刺が無くてもやってけるんです。だから日本人がやってる「政治」は、政治じゃないのかもしれない〉
 笑いに「風刺」を入れるためには、当然、権力に対する強烈な皮肉や、ギリギリの表現が求められる。空気を読み過ぎる日本の芸人たちからは、こういった表現に挑戦しようという意識が生まれないのだが、日本のお笑いに「風刺」が生まれない原因は芸人たちのその特性だけにあるのではない。少しでも尖った表現は排除しようとするテレビ局のスタッフにも問題がある。
 映画ライターの高橋ヨシキ氏は、モンティ・パイソンが「アーサー王伝説」をパロディ化し王室や教会を徹底的にバカにし尽くした映画『モンティ・パイソン・アンド・ホーリー・グレイル』をテーマにした、作家・高橋源一郎との対話のなかで、「お笑い」「コメディ」の本質的な役割についてこう話している。
「まあ、もともとコメディっていうのはそういうことをするジャンルなはずですね。つまり、権力をもっている方が強いに決まってるんだから、もってない側は何が出来るかっていったら、何も出来ないんだったらただ押さえつけられるだけになってしまうんですけれども、その代わりこっちはギャグにして笑い飛ばすことぐらいは残されているっていう。それが許されなくなるんだったら、ホントそれは恐怖社会ですよね」(『すっぴん!』(NHKラジオ)16年7月8日放送分より)
 松本人志や小籔千豊とは違い、世間の空気に迎合しないで、一流の「風刺」を情報番組のなかで見せてくれる芸人は現れるのだろうか? 
(新田 樹)



・・・・・・
・・・・・・・・
抜粋終わり


犬が求められる日本。

マボサク的にいうと地獄ですは。


目先の空気を読んでも、社会の世界の地球の空気は読まない。


まあ、ニホンジンっていう猿には笑いも高級すぎる。ジョーク・コメディーなど人間でないので不可能ですは。


geneumiのブログ  より

上記文抜粋
・・・・・・・

フィリピン国民以外は俺の主人じゃない

引用元はBuzzFeed Japan 9月7日(水)5時0分配信 より
〈引用開始 ☞は当ブログ管理者の意訳〉

ASEAN首脳国会議を前に、フィリピンのドゥテルテ大統領が発した前代未聞の暴言は、オバマ大統領との首脳会談を中止にさせた。
一体どんな発言だったのか。振り返ってみよう。
【BuzzFeed Japan / Kantaro Suzuki】

旧宗主国への怒り(1%への怒り)に改めるのが正しい

問題の発言は、ASEAN首脳会議に出席するため、ラオスへ出発する際の記者会見で飛び出した。

オバマ大統領は首脳会談で、ドゥテルテ大統領が推し進める犯罪対策に対して「人権侵害の恐れがある」と忠告するとみられていた。当然、記者からもドゥテルテ政権の犯罪対策に関する質問が上がった。

これに対して、ドゥテルテ大統領は、まくし立てるような口調で、かつての宗主国アメリカ批判を繰り返した。



「誰も俺に口出しすべきでない。我が国は独立国だ。誰も俺に講釈を垂れる権利は持っていない」


(No body should interfere. This is independent country. No body has the right to lecture on me)



「我々は平等な立場であるはずだ。我が国は小国だ。経済的にも厳しい。しかし、侮辱は容認できない」


(We are supposed to be equal. My country might be small, hardly keep up on economic problems but i will not allow myself insulted)



「俺は主権国家の大統領だ。もう植民地ではないんだ。フィリピン国民以外は俺の主人じゃない」


(I am a president of a sovereign state and we have long ceased to be a colony, I do not have any master except the Filippino people)



ドゥテルテ大統領は、オバマ米大統領からの「人権侵害に対する忠告」を、旧宗主国からの「侮辱行為」と受け取ったようだ。
(1%のポチに過ぎないオバマなんて、どうでもいいのである。ポチの陰に隠れた1%を引きづり出されては困るのはアメリカである)

さらに興奮したドゥテルテ大統領は、米国との戦闘でイスラム教徒が殺害された植民地時代の歴史に触れながら、アメリカ批判を続けた。

フィリピンは16世紀から約300年にわたってスペインに植民地化されてきた。米西戦争後はアメリカに支配され、太平洋戦争中は日本にも占領された。



不正義がまかり通る植民地政治でフィリピン人は、宗主国の前に膝まずくことを強いられ、長い間、苦渋を飲んできた。

ドゥテルテ大統領の地元であるミンダナオ南部は、フィリピンでも最も貧しい地域として知られている。

一方、イスラム教徒が多く、植民地時代のスペインも最後まで完全に支配できなかった地域でもある。

オバマ大統領との会談や麻薬組織に対する人権侵害とは直接関係ない話にまで言及したドゥテルテ大統領。鬱積した不満を吐き出すかのように、タガログ語を交えて汚く言い放った。



(オバマ大統領は)ではなく(☞ 1%は)敬意を払うべきだ。とやかく言うんじゃない。
プータンイナモ(son of a bitch)!フォーラムで罵ってやるぞ!


【you must be respectful, do not just throw away questions and statement, Putang Ina Mo!(son of a bitch), murahin kita diyan sa forum na ‘yan. (I will curse you in that forum)】

会場では小さな拍手も
英字紙インクワイアラーがアップデートした動画を見ると、ドゥテルテ大統領の暴言に対して記者会見場で小さな拍手が上がっていることがわかる。
☞(1%に向けて、愚かな息子たちよ、地球人類に敬意を払え、さもないとぶちのめすぞ、この野郎!と言っている。拍手が起こって当然だろう)

日本人の感覚から見れば、アメリカの大統領に対して「アバズレの息子(son of a bitch)」と言い放つとは信じられない暴言だ。しかし、植民地支配からの負の遺産を今でも背負うフィリピンには、かつての宗主国アメリカをも恐れない強面大統領を支持する国民が多くいるのだ。
ドゥテルテ大統領はアバズレの息子と言っていない。ふざけるにも程があるネジ曲がった解釈。この際言っておきたいのは、メディアの中の人ほどリテラシーに欠ける。言わされているくせに、驚くほど情弱。それをあたかも日本人を代表するような決めつけは噴飯もの、ポチ同士で庇い合うのは勝手だが、読者を小馬鹿にして騙せると思っているならとんだ阿呆である)

貧困と犯罪の街キアポ
オバマ大統領を罵る文脈で、ドゥテルテ大統領が名前を口にした一つの街がある。首都マニラにある「キアポ」という地区だ。

(繰り返すがオバマ大統領を罵る文脈ではない。アメリカ政府に巣食う1%に投げつけている)



有名な教会やモスクがあるため、日本人観光客が訪れることもある地区だ。だが、一歩裏道に入れば、違法薬物や警官の偽制服まで何でも手に入るブラックな街だ。

この街で模造品を売って生計を立てているのは、総じて貧困層のフィリピン人。そして、ドゥテルテ大統領の地元ミンダナオ出身のイスラム教徒が多い。



「俺は誰の前にもひざまずかない。例外は、深刻な貧困と飢餓に苦しみながら、キアポ地区を歩いているフィリピン人だけだ」


(I do not, I said, I do not kneel down before anybody else, except for the Filipinos in Quiapo walking in misery and in extreme poverty and hunger)



そう言った後、ドゥテルテ大統領は、いかなる非難を受けようとも、犯罪対策の手を緩めない考えを改めて強調した。



「最後の麻薬密売人が殺されるまで、これまで通りの方針を貫く。誰かが俺の態度にごちゃごちゃ文句を言っても、関係ねえ」


(Until the last pusher is out of the streets, until the last manufacturer is killed, we will continue, and I will continue and I don’t give a shit about anybody observing my behavior)



人権侵害と批判されながらも強硬姿勢を崩さない強面大統領。

もし、日本がフィリピンのような深刻な貧困問題に直面したら、私たち日本人はドゥテルテ大統領のような政治家を支持するのだろうか。
(架空の条件をねつ造して、日本人の目を事実からそらそうとする記事には反吐が出る。日本は充分に貧困である。しかも選管ムサシのおかげで1%のポチしか選べない。
民主主義にほど遠く、独立国家にもほど遠い植民地。かたや、本質を直球批判するドゥテルテ大統領は独立した民主国家の代表である。日本人は1%以外は俺の主人じゃない政治蚊しか選べない。ドゥテルテ大統領のように自国民以外俺の主人じゃないと言い切る政治家を選ぶ自由がないのである)
〈引用終わり〉

この記事のタイトルは、
[ドゥテルテ大統領の暴言に潜むフィリピンの怒り 根深い社会問題と鬱積する不満]だが、何でこんなふざけたタイトルをつけるのか理解できない?

麻薬ビジネスの元締めがアメリカ1%だっちゅうことは、世界の常識である。
根深い社会問題の根っこはアシュケナージ偽油ダ屋(イルミナティ、イエズス会)にある。

いつまでも過去にこだわって鬱積を溜め込んでいるのではない。
まさに今、苦しんでいるのは誰のせいか?
1%のせいである。

ときおり交えたタガログ語をねじ曲げた翻訳で1%の直接批判ではなく、ポチ、オバマの個人攻撃にすり替えたい意図がミエミエ。

Putang Ina Mo!(son of a bitch)。
タガログの直訳は「愚か者の母親、あんたの」である。

(son of a bitch)のbitchにはアバズレ、雌犬、転じて売女のニュアンスがあるが、 Putangに売女のニュアンスはない。

単純に「この馬鹿野郎!」である。

1%の馬鹿野郎どもの麻薬ビジネスで迷惑を被る被害国として1%に【馬鹿野郎どもの息子】と、言っている。
タガログ語で夫婦はアサワである。
ワイフとハズバンドの別はなく、アサワ。
つまり、Ina(母親)は総じて親のこと。
暗に麻薬の元締め☞ブッシュファミリーを示唆している。

murahin kita diyan sa forum na ‘yan.
(I will curse you in that forum)も恣意的な翻訳である。
英訳をさらに日本語にすると呪ってやる(罵ってうやる)になるが、タガログ語では、呪うと言うニュアンスは全くなく、単純に打つ(ヒット)すると言っている。
つまり「口はばったいことをいうなら、フォーラムでぶちのめすぞ!」と、言っている。
その裏側には1%をフォーラムで引きづり出してやろうか、という意味が込められている。

オバマ大統領に向けた個人攻撃にすり替えたいのは山々でも、オバマに向かって何を言おうが何にもならないことくらい誰でも知っている。

表メディアは1%を守るための道具なので、悪意に満ちた印象操作を繰り返すが、こんなモノに引っかかるのは情報三流国民。

タガログ語は一つの言葉に結構重複する意味があり、簡単な単語の羅列でも軽妙洒脱なニュアンスから、非情に辛辣な意味合いまでの違いを声色のトーンで表現する。

日本語だって、江戸っ子のベランメイ口調は、一見乱暴だが、その中に愛情のこもった温かさがあるように・・・。

ま、あえて、タガログ語を交えることで、逆に焦点をボカス意味もあった。
どうせポチどもが1%を庇うのは明らか。
世界中のポチメディアの反応くらい織り込み済みである。

フィリピン人は、長い植民地時代に口語のニュアンスを幅広く使い分ける能力を鍛えたのである。
スペイン統治時代、非を認めたら殺された。
だから、彼らは絶対に非を認めず謝らない。
明らかに非があっても、直ぐには「ごめんなさい」とは言わない。
「ごめんなさい」と非を認めた途端、殺された苦い記憶があるからである。
主張すべきは断固主張する。
シンプルな表現の中にフィリピン人だけに分かるニュアンスがある。

繰り返すが、ドゥテルテ大統領がギリギリの言葉で罵しるのはポチではない、1%である。
フィリピン人に限らず、マトモな人々は、真意を汲み、彼の言動を支持する。
なぜなら、1%は人類共通の敵、地球最悪の言葉で侮辱するに値する連中。

絶対的正義、麻薬撲滅運動を「人権」を根拠に批判する前に、アメリカ大統領をして1%ごときが、それを言う資格があるのか?
まして、中国と微妙な問題を抱えるフィリピンは人権問題と絡め手で揺さぶられるわけにはいかないのである。

アメリカ政府はビビって引き下がっただけのこと、フィリピン側は痛くも痒くもない。
ドゥテルテ大統領は主権国家の代表として、至極真っ当な外交を行っているに過ぎない。

アメリカ大統領の陰に隠れた1%が世界の盟主だったのは過去の話。
なんなら、国際懐疑の場で引きづり出してやろうか?
さすが元検事、オフシャルな場での喧嘩のやり方を良く心得ている。

こんな中途半端な記事を書いて1%の名誉を守ろうとするポチメディアも哀れだが、これからはよ~く立場をわきまえてモノを言わないと総スカンを喰らうのはアンタの方である。



・・・・・・・
・・・・・・・・
抜粋終わり



人型ワンワンの日本上級市民。真っ当な犬たちからみても恥ずかしい。


お読みくださりありがとうございます。
PR
Comment
Name
Title
Mail(非公開)
URL
Color
Emoji Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字
Comment
Pass   コメント編集用パスワード
 管理人のみ閲覧
<< BACK  | HOME |   NEXT >>
Copyright ©  -- 渾沌堂主人雑記~日本天皇国滅亡日記 --  All Rights Reserved

Designed by CriCri / Material by White Board / powered by NINJA TOOLS / 忍者ブログ / [PR]