故国の滅亡を伍子胥は生きてみれませんでしたが、私たちは生きてこの魔境カルト日本の滅亡を見ます。
2024/05 04 < | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 | 17 | 18 | 19 | 20 | 21 | 22 | 23 | 24 | 25 | 26 | 27 | 28 | 29 | 30 | 31 | > 06 |
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谷間の百合 より
上記文抜粋
・・・・・・・・・
自分が変わらない限り決して真理に近づくことはできません。
最近はそのことに費やす気力、体力が衰えてきたので、あまりしなくなったのですが、わたしの癖というか趣味は家の中の模様替えです。
ひところは3か月に一回は家具の配置転換をしていました。
ところが、夫は、落ち着かないとかよその家に帰ってきたみたいだと不機嫌になるのです。
わたしは、いろいろ違う家の気分が味わえて新鮮ではないかと言うのですが、男(古い)は、自分は外で浮気をしても妻は家の中にで~んとして動かないでほしいという願望があるから家具の位置が変わるのも嫌なのでしょう。
根底が揺らぐような気がするのでしょうか。
こんなことを書いた後で、マドモアゼル愛さまの記事を引用するのは気が引けるのですが、しかし、その部分を読んで頭に浮かんだのが上記のことでしたので一ミリくらいは関連があるのかも、あってほしいと思って書きました。
「飯島先生とは久しぶりにお会いしましたが、新たな発明、さらに高度な発展がお会いするたびに見られます。
先生は、釈迦もキリストも、日々、今でも変わっています、、、とおっしゃる。日々変化していなければ高度な霊でも神でもないと。
私たちはつい権威化された変化しないものが凄いと思いがちですが、実は反対なんですね。常に変化している中にしか真理は存在しない、、、イエス様もお釈迦さまもそうした存在だとおっしゃるのです。」
謎のような言葉ですが、わたしはここを読んで、イエスや釈迦の教えが変わるのではなく、自分が変わることによって、教えも変わってくる(分かってくる)という意味なのではないかと思いました。
真理は簡単に理解できるものではなく、まして、自分が頑として変わらずにいて真理の方から近づいてくるということはあり得ないことだからです。
何度も書いてきましたが、わたしは「変わらずに生き残るためには、変わらなければならない。」という言葉が好きです。
わたしが、小沢さんが好きで信頼するのも、小沢さんがこの言葉を好きだということが大きいのです。
人は「変わる」ことを「ぶれる」ことと誤解していませんか。
「ぶれる」とは、揺れ動く、一所に定まらないという意味です。
逆に「ぶれない」とは、動かない、一所に留まっているということです。
つまり、精神やこころが停滞、沈滞しているということです。
それでは、永遠にイエスや釈迦の教えに近づくことは不可能です。
「ぶれる」と言って「変わる」ことを非難するのは、自分のこころが凝り固まっているからでしょう。
だから、周りが変わると不安になるのです。
だから、十年一日変わることのない右翼ブログに張り付いて、安心を得たいのだと思います。
政治家にとって「ぶれる」「変わる」ということは政策が変わるということではなく臨機応変とか進取の精神があるかどうかということだと思います。
まったく外交ができないのはそういう精神がないからに違いないのです。
どうか、こころを揺らしてみてほしい。
もしかしたら、自分の考えは間違っているのではないかと疑ってみてほしい。(わたしはそうしてきました)
浅薄なレッテルだけの知識で憲法改正を企み、日本を戦争に引きずり込もうとしている総理を支持することは真理に背くことです。
大罪です。
・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・
抜粋終わり
>政治家にとって「ぶれる」「変わる」ということは政策が変わるということではなく臨機応変とか進取の精神があるかどうかということだと思います。
まったく外交ができないのはそういう精神がないからに違いないのです。
なるほど。そういうことですよね。
「無常」を日本人が大きな肝にしてきた。でも明治以降それがどんどん破壊されてきた。
「偽神道」と「偽造日本の伝統」すなわち、日本軍的思想・尊皇妄想・日本会議カルト洗脳である。
お読みくださりありがとうございます。
上記文抜粋
・・・・・・・・・
自分が変わらない限り決して真理に近づくことはできません。
最近はそのことに費やす気力、体力が衰えてきたので、あまりしなくなったのですが、わたしの癖というか趣味は家の中の模様替えです。
ひところは3か月に一回は家具の配置転換をしていました。
ところが、夫は、落ち着かないとかよその家に帰ってきたみたいだと不機嫌になるのです。
わたしは、いろいろ違う家の気分が味わえて新鮮ではないかと言うのですが、男(古い)は、自分は外で浮気をしても妻は家の中にで~んとして動かないでほしいという願望があるから家具の位置が変わるのも嫌なのでしょう。
根底が揺らぐような気がするのでしょうか。
こんなことを書いた後で、マドモアゼル愛さまの記事を引用するのは気が引けるのですが、しかし、その部分を読んで頭に浮かんだのが上記のことでしたので一ミリくらいは関連があるのかも、あってほしいと思って書きました。
「飯島先生とは久しぶりにお会いしましたが、新たな発明、さらに高度な発展がお会いするたびに見られます。
先生は、釈迦もキリストも、日々、今でも変わっています、、、とおっしゃる。日々変化していなければ高度な霊でも神でもないと。
私たちはつい権威化された変化しないものが凄いと思いがちですが、実は反対なんですね。常に変化している中にしか真理は存在しない、、、イエス様もお釈迦さまもそうした存在だとおっしゃるのです。」
謎のような言葉ですが、わたしはここを読んで、イエスや釈迦の教えが変わるのではなく、自分が変わることによって、教えも変わってくる(分かってくる)という意味なのではないかと思いました。
真理は簡単に理解できるものではなく、まして、自分が頑として変わらずにいて真理の方から近づいてくるということはあり得ないことだからです。
何度も書いてきましたが、わたしは「変わらずに生き残るためには、変わらなければならない。」という言葉が好きです。
わたしが、小沢さんが好きで信頼するのも、小沢さんがこの言葉を好きだということが大きいのです。
人は「変わる」ことを「ぶれる」ことと誤解していませんか。
「ぶれる」とは、揺れ動く、一所に定まらないという意味です。
逆に「ぶれない」とは、動かない、一所に留まっているということです。
つまり、精神やこころが停滞、沈滞しているということです。
それでは、永遠にイエスや釈迦の教えに近づくことは不可能です。
「ぶれる」と言って「変わる」ことを非難するのは、自分のこころが凝り固まっているからでしょう。
だから、周りが変わると不安になるのです。
だから、十年一日変わることのない右翼ブログに張り付いて、安心を得たいのだと思います。
政治家にとって「ぶれる」「変わる」ということは政策が変わるということではなく臨機応変とか進取の精神があるかどうかということだと思います。
まったく外交ができないのはそういう精神がないからに違いないのです。
どうか、こころを揺らしてみてほしい。
もしかしたら、自分の考えは間違っているのではないかと疑ってみてほしい。(わたしはそうしてきました)
浅薄なレッテルだけの知識で憲法改正を企み、日本を戦争に引きずり込もうとしている総理を支持することは真理に背くことです。
大罪です。
・・・・・・・・・
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抜粋終わり
>政治家にとって「ぶれる」「変わる」ということは政策が変わるということではなく臨機応変とか進取の精神があるかどうかということだと思います。
まったく外交ができないのはそういう精神がないからに違いないのです。
なるほど。そういうことですよね。
「無常」を日本人が大きな肝にしてきた。でも明治以降それがどんどん破壊されてきた。
「偽神道」と「偽造日本の伝統」すなわち、日本軍的思想・尊皇妄想・日本会議カルト洗脳である。
お読みくださりありがとうございます。
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