忍者ブログ
故国の滅亡を伍子胥は生きてみれませんでしたが、私たちは生きてこの魔境カルト日本の滅亡を見ます。
2024/05     04 < 10  11  12  13  14  15  16  17  18  19  20  21  22  23  24  25  26  27  28  29  30  31  > 06
Admin | Write | Comment
P R
国際秘密力研究 より

上記文抜粋
・・・・・・・・・・・・

ツイートまとめ テーマ:国際秘密力が好む「片目」のシンボリズムを解析する。「シンボル」は「言語」と同じ仕組み。シンボリズムを無効化する方法についても考究する。
〇香港のデモ参加者の女性が警察の攻撃で右目を負傷したという事で、右目を手で覆い左目だけを出すサインをデモのシンボルにしていた。ホルスの目は右目だが、ホルスの左目は「ウジャトの目」と言って知恵の象徴であり、これが西洋では「プロビデンスの目」となった。左目がデモの象徴。意味深である。

〇エジプト神話でホルスが父のオシリスの仇を討つ為にセトと戦った時に左目を失い、その左目はホルスの下から離れてエジプト全土を旅して見聞を広めて知恵を身に着け、最終的に知恵の神トートによって回復されてホルスの元に戻ったという話がある。ホルスの左目が知恵の象徴なのはかかる神話に由来する。

〇西洋で秘密結社などが使用する「プロビデンスの目」(オールシーイングアイ)は知恵を象徴するホルスの左目(ウアジェト、ウジャトの目)が元ネタだと思われる。プロビデンスの目は「摂理」「全知全能」「知恵」「理性」等を象徴すると思われる。ある意味、国際秘密力が目指す超監視社会の象徴である。

〇「目」が知恵の象徴なのは古代エジプト人や西洋人に「真理」とは「見る」ものという観念がある事を窺わせる。「真理」が視覚的な対象として自分に対するもの(対象)としてあるイメージである。これは実体論と符合する。この辺は以前文字文化について考察した時に多少論じた。https://kokuhiken.exblog.jp/30410929/

〇何かを見ると対象の快・不快に応じて欲や怒りが生じる。じっと凝視し続ける「目」は「見る」だけでなく「欲」や「怒り」のシンボルにもなり得る。「万物を見る目」は「万物に対する支配欲」をも象徴し得る。監視するのは支配する為である。ある意味国際秘密力の正体を如何なく示すシンボルと言える。

〇目自体は人の有用な感官だが、わざわざ目をシンボルとする事には独特の意図が込められているはずである。「見る」事から連想して「知恵」「摂理」「全知全能」「理性」「監視」等が想定される。シンボルは記号の一種なので、必ず「意味」と対応する。基本的に能記と所記からなる言語と同じ構造である。

〇「プロビデンスの目」は一般的には「知恵」「全知」「摂理」等の象徴とされる。これらは「見る」及び「見る対象」を指す。「何かの対象を見る」という認識作用には欲や怒りの感情を伴う事もある。「全てを見る」とは「全てを支配する(という欲)」事や「全てを破壊する(という怒り)」事にも通じる。

〇目のシンボルは「見る事への執着」を示していると考える。目は他の器官と同様に大切だが、わざわざ図像化してシンボルにするのは目や目の認識作用(見る)を特別視しているからだろう。客観的な「見る」だけならシンボルにする必要はない。目のシンボルは支配欲も示すとの分析は的外れでもないと思う。

〇目自体は大切なのに、目のシンボルが気味が悪いのは何故か。按ずるに「見る事」に伴う執着や作為を感じさせるからではあるまいか。誰しもジロジロと見られたら嫌な気がするであろう。それと似ている。目のシンボルの誇示は知恵の誇示であり、支配への執着でもある。とても傲慢な感じがする訳である。

〇民俗学で言う「邪視」(南方熊楠が命名)という民間伝承があった。悪意を持って相手を睨み付けると呪いをかけられるとする迷信である。邪視の例からしても「目」のシンボルは只の器官や認識作用の象徴ではなくて「悪意」のような何らかの情念(欲や怒りなど)をも象徴している可能性が高いと言える。

〇邪視の伝承は中東以西の地域に多く見られるようである。ヨーロッパでは邪視の迷信が盛んだったようである。目に力があり睨む事で悪意や憎悪、嫉妬のような情念を飛ばし相手に危害を加えるとする発想。かかる文化的土壌も片目のシンボルの文化的背景の一つなのではと推測する。https://ja.wikipedia.org/wiki/邪視

〇陰謀追及界隈では「右目と左目」という事がよく言われる。結社が片目をシンボルにしているので右目と左目で何らかの系統分けが出来そうに思われる。ネタ元の「ホルスの目」は右目は「ラーの目」とも言われて太陽の象徴である。一方ホルスの左目は「ウジャトの目」であり月の象徴で知恵の象徴でもある。

〇ホルスの右目(ラーの目)は太陽の象徴なので「権威」などを象徴していると推測する。ラーはエジプト神話では太陽神であると同時に創造神ともされ、後に同じ太陽神のアメンやアテンと習合したとされる。エジプトの太陽信仰が一神教の誕生に繋がったとするとホルスの右目は一神教の象徴にもなり得る。

〇左目は「知恵の象徴」とされるが、西洋的「知恵」は大きく分けて2種類ありと見る。神秘主義的な「知恵」(神智=テオゾフィー)と理性主義的な「知恵」(啓蒙主義が代表)。ここから「右目=権威主義的な一神教的勢力の象徴」「左目=神秘主義的又は理性主義的な勢力の象徴」という仮説を立ててみる。

〇裏権力の思想派閥を①一神教②神秘主義③理性主義の三派閥ありと分析しているが、右目は①、左目は②③に一応該当。とは言え、右目的勢力の基督教会が左目のシンボルを用いている場合もあると思うので、一概に断定する事は難しそうである。少なくとも「右目と左目の両建あり」という事は言えると思う。

〇「片目のシンボル」について分析したが、「シンボル」自体の構造を考察してみる。シンボルは何らかの図像やモニュメントなど視覚的な要素で何らかの意図や思想を示している。図式化すると「視覚像+意味」。これは言語の構造と同じである。言語は音声や表記と概念から成る。図式化すると「能記+所記」。

〇音声や文字など言語の表現面を「能記」で、それらが示す概念が「所記」である。能記と所記は切り離す事が出来ないが、相互の結び付きは恣意的とされる。例えば「エン」という音で丸い形(円)も関係性(縁)も示す事が出来る。これをソシュールの説では「恣意性」、唯識では「名義相互客塵性」と言う。

〇唯識の「名義相互客塵性」は「名」が能記に、「義」が所記にそれぞれほぼ相当する。これら相互の関係が鏡と鏡に付着した塵の関係の如くに本来的な必然的結び付きではないという意味である。この考えだと言葉の表記や音声それ自体に実体がある訳ではない、即ち言葉は「空=無実体」という捉え方になる。

〇この考え方を参考にしてシンボルについて考察する。シンボルも言語と同じで基本的に「能記+所記」の構造である。「片目」「ピラミッド」という形自体に「力」がある訳ではない。その形に対応する意図や思想、誰の意図か、シンボルの背景にある文化など形とその背後の関係性全体の分析が重要と考える。

〇「片目」や「ピラミッド」という「形」自体に力があると考えるのは一種の実体視又は物象化的な錯視だと言える。特定のシンボルの形の背後にある意図や思想、主体(如何なる個人や集団の意図・思想か)、背景にある文化的土壌などの全体の関係性や構造を分析する事でシンボルを解析出来ると考える。

〇シンボルの「形」自体に力があると考えるとかえってシンボルに「力」を与えかねない。勿論これはオカルト的な意味ではない。主観的な思想的影響力という意味。シンボルの形自体に力があると考える人が増えるとシンボル自体に力があるとする共同主観が形成され、結果的に思想的影響力を強化しかねない。

〇シンボルはその形(視覚像)自体が力を持っているのではなく、そこに込めた意図や思想、その意図や思想を込めた個人や集団、それらの背景を為す文化的土壌や文脈等の関係性の総体として機能する。これらの全体の関係構造の結節点がシンボルの形である。シンボルの形はそれ自体で力を持つ実体ではない。

〇故に一つのシンボルを分析する為にはその背後にある関係性や構造をも分析しなければならない。そうする事で性質を見破り無効化する。その実シンボルなど気にしなければ何の効果も無い。只の形だ。例えば近代イルミナはフクロウをシンボルとしたが、野生のフクロウからすれば知った事ではないのである。

〇よく「思考停止はダメ」と言うが、本当に問題なのは思考停止より「思考誘導」である。本当に思考停止したらシンボルや思想の意味も伝わらない(思想の意味を受け取るのは思考の作用である)ので対洗脳という意味ではある意味最強である。だが、心配せずともこのような事は常人には殆ど不可能である。

〇問題なのは思考が停止する事より思考が他者に操られる事である。思考停止は洗脳防御という意味ではある意味「最強」だが、逆に思考が止まっているので積極的に陰謀追及する事も出来ない。故に陰謀追及では「正しく思考する」事が重要である。正しい思考は「事実と道理に沿って思考する事」と定義する。

〇思考停止は「守り」では最強だが、「攻め」が出来ない。そもそも我々常人にはほぼ不可能。それより「思考誘導」を警戒し、正しく思考する事が重要である。事実と道理に沿って思考し、思考を他者に操られないように注意する。シンボルによる洗脳を防ぎ、同時にシンボルを解析し無効化する事が出来る。

〇「正しい思考」は原始仏教では「貪瞋痴(貪欲・憎悪・無知)の無い思考」「欲・怒り・害意の無い思考」とされる。これを参考とすると「正しい思考」とは「主観的な感情で事実を歪めずに冷静に事実を観察し思考する事」と言えようか。逆に思考誘導では感情を煽る。要するに思考誘導の逆を考えるとよい。

〇思考誘導では事実を歪めて又は捏造し、感情を煽る。正し思考はこれの逆で事実を歪めず、感情も煽られない。欲や怒りを煽り、事実を歪めた嘘を刷り込み、それによって思考を誘導する。故に大事な事は①事実を歪めず冷静に観察する事。②事実や道理に沿って思考する事。③感情を煽られない事。となる。

〇「思考停止」の補足。思考停止とは感覚は機能しているが思考の作用は停止しているので、感覚的な情報を概念的に理解したり、概念を使って思考する事はしておらず、文章や画像、映像など五感を通して刷り込まれる思想工作も只の視覚像や音という感覚としてしか受け取らないので洗脳する事は出来ない。

〇「思考停止」について考察する事で「思考」の性質を浮かび上がらせ思考誘導の防止方法ついて論理的に結論を導く事が出来る。①「思考」は感覚以外の認識作用である。②思考が止まれば思考が誘導される事も無い。③思考しないと陰謀追及も不可。④思考があれば誘導され得る。⑤正しい思考が必要である。


https://twitter.com/kikuchi_8/status/1169687092261085185


・・・・・・・・・
・・・・・・・・・
抜粋終わり



よく読みましょう。


お読みくださりありがとうございます。
PR
Comment
Name
Title
Mail(非公開)
URL
Color
Emoji Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字
Comment
Pass   コメント編集用パスワード
 管理人のみ閲覧
物語が力!
  • from ローレライ :
  • 2019/09/18 (14:41) :
  • Edit :
  • Res
物語が力なのは怪談も革命も同じである。
Re:物語が力!
2019/09/18 21:28
>物語が力なのは怪談も革命も同じである。

然り。
<< BACK  | HOME |   NEXT >>
Copyright ©  -- 渾沌堂主人雑記~日本天皇国滅亡日記 --  All Rights Reserved

Designed by CriCri / Material by White Board / powered by NINJA TOOLS / 忍者ブログ / [PR]