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故国の滅亡を伍子胥は生きてみれませんでしたが、私たちは生きてこの魔境カルト日本の滅亡を見ます。
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酔生夢人のブログ  1月23日
上記文抜粋
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昭和天皇は生物学研究者でもあったようだが、侍従が天皇にある草の名前を聞かれた時に、「雑草」だ、と答えると、「雑草という植物は無い」と(多分、厳しい口調で)言ったそうである。
私は、昭和天皇の戦争責任問題などは別にして、昭和天皇の人格が優れていたことを、こうした些細な言動の中から窺うことができるように思う。
私のように「生きる価値のある人間と、この世から除去したほうがいい人間がいる」というような思想の人間と、「雑草という植物は無い」と言った昭和天皇とでは、人間のレベルが違うなあ、と思うし、それが天皇教育というものの一つの現れだと思うから、私は「尊皇主義者」なのである。
「雑草という草は無い」という思想は、人間世界に置き換えれば、「あらゆる人間は等しく生きる権利があり、等しく幸福になる権利がある」という、民主主義の根本理念になる、と言えば強弁になるだろうか。
そのような「民主主義的象徴天皇制」というのが今の憲法の特徴であり、特長なのである。だからこそ世界でも稀な、貴重な憲法なのだが、その憲法を弊履のごとく捨てようとする動きが、今日本の政治の中心にある。
そして、国民の生きる権利、幸福になる権利の最悪の否定が、憲法改定の向こう側に待っている戦争であることは言うまでもないだろう。


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抜粋終わり

昭和天皇は、敗戦とその処理の件で「最低最悪の天皇」になりかけている。

九条を変えると、昭和天皇は「アト」以下の最低の人間になる。

戦争がなけれ、きっと昭和天皇は明君と言われても何の不思議もない人に思えるが。



北畠顕家だったか、
「天皇は、何を信じても結構ですが、どの宗派・宗教も粗末に扱ってはいけません。」

昔の明治以前の日本には

「雑草という植物は無い」

という精神が普通にあった。


もったいない・・・・


再見
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