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故国の滅亡を伍子胥は生きてみれませんでしたが、私たちは生きてこの魔境カルト日本の滅亡を見ます。
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P R
闇の正体は 偽ユダヤ (グローバリズム)  より

上記文抜粋
・・・・・・
沖縄の核兵器  日米の公然の合意

☆ 米国が 機密解除をしたということは、核が 実際は 日本が開発したのだ ということを いつでも公表できるという メッセージとも 私には思えます。

なにかあったら 米ではなく 黒幕の日本を告発できる。

かつて 沖縄には 核があった けれど 今は ない? とは 思えないのですが ・・・

核を持ち込まないという非核3原則の 大嘘を せせら笑うような動きが 世界の 「政治家」の連携があるといいのですが。

◎ 米政府がかつて沖縄に核兵器を配備していた事実を明らかに

沖縄はアジア最大の「核爆薬庫」だった

出典
ja.wikipedia.org


沖縄はアジア最大の「核爆薬庫」だった

かつて沖縄には1000発をゆうに超える核弾頭が持ち込まれていたとされます。

これは韓国や台湾に搬入されていた米軍核戦力を遥かに上回るものであり、

沖縄が米軍の核ミサイル基地として極めて重要視されていたことを示しています。

更に、恐るべきことにこの沖縄から核ミサイルが発射される寸前まで事態が進行したこともあるとされています。

1962年10月28日のキューバ危機に際し、読谷の核ミサイル発射基地は非常警戒態勢下に置かれ、実際にミサイル発射命令が下ったといいます。

しかしながら、当直士官が命令を拒否した為、時間的な齟齬が生じたことで、ギリギリのところで発射取り消し命令が間に合ったそうでうす。

米政府は、沖縄に1972年の日本本土復帰まで核兵器を配備していた事実を機密扱いすることを取りやめた。

国防総省はサイト上で、

「1972年5月15日の沖縄の日本復帰前に、米国の核兵器が沖縄に配備されていた事実」の機密指定を解くと表明した


出典
時事通信ニュース:沖縄に核配備、機密扱いせず=写真も公開−米政府


ジョージ・ワシントン大学の国家安全保障公文書館が19日、国防総省による機密指定解除の動きを指摘し、併せて沖縄に配備された核兵器の写真を紹介した

時事通信ニュース:沖縄に核配備、機密扱いせず=写真も公開−米政府

かつて沖縄に配備されていた「核兵器」の写真が公開される

https://twitter.com/reireiusagi/status/700836146989797380

沖縄戦における米軍占領以来、旧沖縄県を中心とする南西諸島(琉球諸島、奄美(あまみ)諸島を含む)地域は日本本土から行政分離された

沖縄復帰運動(おきなわふっきうんどう)とは -

1952年(昭和27)4月28日発効の対日講和条約第3条によって、同地域は無期限にアメリカ合衆国の施政権下に置かれることが確定した

沖縄復帰運動(おきなわふっきうんどう)とは -

1950年代初頭から復帰運動が起こり、運動が先行した奄美諸島は1953年12月に返還されたが、軍事基地が集中している沖縄諸島は取り残された。


沖縄復帰運動(おきなわふっきうんどう)とは -


1972年5月15日。第2次世界大戦から27年後、沖縄は本土復帰を果たしました。

冷戦下ではその沖縄に「核兵器」が持ち込まれていたのである

読谷に配備されていた核ミサイルが発射寸前の状態に置かれたことも

キューバ危機に際してはミサイル発射命令が下されたこともあったという

www.businessnewsline.com

キューバ危機に際してはミサイル発射命令が下されたこともあったという

この時は当直士官の命令拒否などが重なり、発射取り消し命令が間に合ったため、第三次世界大戦の火ぶたが切って落とされることは無かった。

沖縄に「核兵器」が配備されていることは公然の秘密であった

https://matome.naver.jp/odai/2145593084380338101

☆ 明治からの 「エタ」、日本乗っ取りたちは 「被害者」ぶることが 一つの 身の処し方ですね。

沖縄に基地を望んだのは ヒロヒトである

核兵器特許をもつのも エタ族であるなら

なにも 米の被害者ぶることはありません。

けれど 米はいつでも そのことを 公表できるということだと思います。

そうさせないためには 天皇種族は ATMになる。

・・・・・・・
・・・・・・
抜粋終わり


おなじく より

上記文抜粋
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明治新政府が展開した天皇神格化教育

☆ より正確に言うと 世界金融支配層が 天皇を利用した。

そして 天皇も その立場と利権を 多いに 受け入れた ということが 欠けていると思いますが ・・・

なにはともあれ 「作られた」「NWOとして人民を支配 摂取するために」と いう 単純なことですね。

◎ 明治新政府が展開した天皇神格化教育~

天皇になど関心なかった明治初期の一般庶民

太刀川省治 ( 57 大阪 建築士 ) 18/03/02 AM00 

明治維新とは、薩長の下級武士勢力が英国(その背後にロスチャイルド)を後ろ盾にテロ、ゲリラ戦を展開し、徳川政権から権力を奪った軍事クーデターに過ぎない。

天皇という空疎な「権威」を徹底的に利用し、異常なカルト国家を作り上げた。

その必然的な帰結が「維新」からわずか77年後の破滅的敗戦である。


ブログ「読む・考える・書く」2018.1.3記事より一部引用

リンク

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(前略)

■ 天皇になど関心のなかった明治初期の一般庶民

「維新」以来150年、敗戦を経ても基本的には変わらなかった天皇制美化教育の結果、大半の日本人は、明治以前から天皇は尊崇されてきたかのように思い込まされている。

だが、これは事実ではない。武士階級や尊皇思想にかぶれた一部の豪農層などは別として、一般の庶民にとっては天皇などそもそも知らないか、知っていても自らの生活には関係のない存在に過ぎなかった。

それどころか、明治維新の「志士」たち自身、天皇を「玉ギョク」と呼び、自分たちの権威付けのための道具としてしか見ていなかったことがよく知られている。

井上清 『天皇制』 東大新書 1953年 P.226

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彼らが孝明天皇の明白な意志にそむき、はては宮廷に大砲をうちこんでまでも天皇の欲せざることをなしとげようとしたことに何よりもよく現われている。

倒幕派の最高首領たちは天皇のことを「玉」という隠語でよんだが、じっさい彼らは天皇を現実の人格として尊敬したのではなく、自己の手に獲得すべき玉として、彼ら自身の権力の源泉としか考えなかったのである。

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とはいえ、被支配層である人民大衆には、自分たちの権力の源泉である天皇の権威を絶対的なものとして信じさせる必要があった。

成立したばかりの明治政府は、そのための教育宣伝に大変な苦労をしている。

井上清 『天皇制』 東大新書 1953年 P.228,229

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 成立早々の新政権は(略)「天皇親政」や天皇の神的権威を宣伝するのにあらゆる手段をつくした。

(略)民衆は天皇とは何ものかも知らないので、これに天皇を宣伝するには政府もよほど苦心した。

 六八年 (明治元年) 三月新政府の九州鎮撫総督が管内の人民に発した諭書には、

「此日本いう御国には、天照皇大神宮様から御つぎ遊ばされたところの天子様というものがござって、是が昔からちっとも変ったことのない日本国の御主人様じゃ、

ところが七八百年も昔から乱世がつづき、色々の世の中には北條ぢゃの足利ぢゃのという人が出て来て、終には天子さまの御支配遊ばされた所を皆奪い取り己が物にしたれども、

天子さまというものは、色々御難儀遊ばされながら、今日まで御血統が絶えず、どこまでも違いなき事じゃ。

何と恐れ入ったことじゃないか」と、「天子様というもの」を人民に紹介し「何と恐れ入」らせねばならなかった。

 千年以上も天皇のひざもとの京都府でも、六八年十月、当局はとくに日本は「神州というて」、

「天孫」が国を開き天孫の血統今につづきその「御恩沢」が深いのに報い奉る志がなくてはならぬとおしつけておき、

次に「かく申せば一銭の御救に預りしこともなく一点の御厄介になりしこともなく、わが働きにてわが世を渡り、さらに御国恩を蒙りたる覚なしと思ふ者もあらんかなれど」と、

問わず語りに京都府民が天皇を有難くとも何とも思っていないことを役人自からがばくろした。

なおこの「諭告」の漢字にはすべてかなをつけ、意味をかなで注するなど用意周到である。

 六九年(明治二年)二月(旧暦)、戦乱の終ったばかりの奥羽各地では、

人民が旧政府にまさる天皇政府の搾取と圧政に反抗して一揆・世直しをするので、政府は一の諭告を発した。

その中に「天子様は天照皇大神宮様の御子孫にて、此世の始りより日本の主にましまし、神様の御位正一位など、国々にあるも、

みな天子様より御ゆるし被遊候わけにて、誠に神さまより尊く……」という(以上、「明治文化全集』雑史編雑纂)。

天子様は「正一位稲荷大明神様」よりもえらいのだと教えてやらなければ、人民には天子様がどんなものかもわからなかったのだ。


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http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&t=6&k=2&m=333803

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・・・・・・・
抜粋終わり


この巨悪たる天皇制が日本人を狂わせた。

その一例を・・・

戦闘教師「ケン」 激闘永田町編  より

上記文抜粋
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裁量労働制のお話

ある赤軍将校の回想によれば、シベリアに抑留された日本兵は何も言わなくとも勝手にノルマ(ロシア語)を超過達成するため、次々とノルマを増やされた挙げ句、過労死を続発させたという。これに対して、ドイツ兵は絶対に課せられたノルマ以上に働こうとはしなかったらしい。
何って裁量労働制の話である。もう一つ個人的なエピソードを。

小学生の頃、文化祭の準備をしていた時、自分の作業が終わったので「塾があるので帰ります」と宣言したところ、クラスの全員から非難され、屈服したことがある。自分としては、「お前らがダラダラおしゃべりしているから作業進まないんじゃねぇか、何で黙々と作業して早く終わらせた俺がお前らの作業を手伝わなきゃならねぇんだ!」という思いだったが、同級生の全員を敵に回す勇気は無く、従うほか無かった。私は小学生ながらこの非合理性と理不尽さに憤慨したものの、それを説明するだけの理論的背景は有しておらず、封印するほか無かった。あれから早や40年である。

日本の大多数の企業では、まず無能な管理職が自らの責務をわきまえずに膨大な作業を「部局全体の仕事」として部下に丸投げする。社員は「自分の仕事」が終わっても、「全体ノルマ」が達成されない限り、帰宅することも許されない空気下にあるため、他人の仕事を手伝うよりは自分の仕事を終わらせずに延々と続けるのが合理的選択となる。残業規制の不在がこの傾向に拍車を掛ける。
この残業手当の肥大化による人件費の高騰が、今回の「裁量労働制の拡大適用」に繋がっている。要は「残業代ださなければ、残業しなくなるだろうから、人件費も抑制できるし、長時間労働も無くなる(はず)」というのが、エリート層の見通しなのだ。
しかし、これが正しければ残業代に最初から上限が定められている霞ヶ関官僚は、恐らく夜8時か9時前には帰宅できているはずだが、そうなっていないこと自体、ハナから空想論であることを示している。

また、日本型雇用では採用時に職掌範囲が定められないため、作業や職務の範囲が無限定かつ無制限になっている。つまり、日本の社員は「会社にある仕事の全てが全社員の仕事」として背負わされている。

これは、私も担っていた教職で説明すると分かりやすい。日本以外の大半の国では、教員の仕事は基本的に授業と生徒指導に限定されており、それ以外の事務作業などは学校事務員が担っている。そのため、教員は校長などから職掌外の仕事を命じられても、「それは自分の仕事では無い」と堂々と反論でき、それは全く正当な権利となっている。例えば、英国の教員組合などは、毎年学校の管理部門と全作業を列挙し、その一つ一つを「これは教員の仕事、これは事務側、これは管理職」などとギリギリ詰めているという。
ケン先生もロシアで仕事をしていた時は、そこここで"Это не моё дело."(それはオレの仕事じゃねぇ、オレには関係ねぇ)という言葉を慣用句のように聞かされ、「じゃあ誰が担当なんだよ?!」とウンザリさせられたほどだ。
だが、労働者としては、自分の授業さえ終われば、後の授業準備は自宅でやろうが、学校の職員室(研究室)でやろうが、まさに裁量の範囲だった。

これに対し日本の教職は、授業と生徒指導以外に山のような事務作業がある上、初等教育の場合は給食費の徴収やら家庭訪問があり、学級通信のようなものも毎日のように作り込むことが求められ、授業外の作業を膨大に抱えている。小学校はまだマシな方で、中学校や高校では部活動の指導が週に10時間以上入る上に、週末にも練習やら大会の引率などを行う必要があり、残業代も代休も無い状態に置かれている。大学教員ですら、やたらとイベントや課外授業が多い上に、事務員が減らされて多くの事務を教員が担う状態にある。さらに中レベル以下の大学では、中高で行われているような生徒指導や就職指導についても教員の仕事にされてしまい、授業と授業準備あるいは研究に割ける時間が激減している。
結果、日本の教育水準と研究水準は凄まじい勢いで急低下している。

つまり、裁量労働制の裁量は、職掌範囲が限定されているからこそ労働者の裁量権が発揮されるのであって、日本のように無定量の作業を押しつけられ、それを拒否できない労使関係が固定化している国では、裁量労働制の拡大適用は「無制限死ぬまで勝負」を全労働者に強要することにしかならないだろう。
その行き着くところは、過労死続発による社会不安の増大、少子化加速、健康水準の悪化(医療費の高騰)、労働士気の低下、時間換算の給与低下に伴う消費減などで、死屍累累の上に生産力が低下、市場も縮小するという最悪の結果をもたらすだろう。

にもかかわらず、霞が関官僚や財界などのエリート層は「勝手に死ぬヤツが勝手に増えるだけ」と考えている。まぁ連中からすれば、自国民など「ノルマを増やせば勝手に超過達成する日本兵」を見ている赤軍将校の気分なのだろう。
これに対して、労働組合ナショナルセンターを僭称する連合は、反対デモを打つわけでもなく、ましてゼネストなど検討すらしていない。その姿勢がブルジョワジーをつけあがらせている。この点でも連合は労働者に何らの寄与もしておらず、むしろ害悪をまき散らしている。

自分は勝手に逃げ出させていただきますわ。

・・・・・・・
・・・・・・・
抜粋終わり


>また、日本型雇用では採用時に職掌範囲が定められないため、作業や職務の範囲が無限定かつ無制限になっている。つまり、日本の社員は「会社にある仕事の全てが全社員の仕事」として背負わされている。

これは結構重要・・・


>シベリアに抑留された日本兵は何も言わなくとも勝手にノルマ(ロシア語)を超過達成するため、次々とノルマを増やされた挙げ句、過労死を続発させたという。これに対して、ドイツ兵は絶対に課せられたノルマ以上に働こうとはしなかったらしい。
何って裁量労働制の話である。

なるほど・・

ていうか奴隷なのである、日本の労働者は・・・

>にもかかわらず、霞が関官僚や財界などのエリート層は「勝手に死ぬヤツが勝手に増えるだけ」と考えている。まぁ連中からすれば、自国民など「ノルマを増やせば勝手に超過達成する日本兵」を見ている赤軍将校の気分なのだろう。

日本のエリートとは、日本人でなく占領軍・植民地支配者である。

て戦前から同じ精神だから、そもそも天皇が日本を不当に占拠する最大の詐欺師なのである。


お読みくださりありがとうございます。
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