故国の滅亡を伍子胥は生きてみれませんでしたが、私たちは生きてこの魔境カルト日本の滅亡を見ます。
2024/05 04 < | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 | 17 | 18 | 19 | 20 | 21 | 22 | 23 | 24 | 25 | 26 | 27 | 28 | 29 | 30 | 31 | > 06 |
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国際秘密力研究 より
上記文抜粋
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ツイートまとめ テーマ:思想派閥の分析ポイントについて
〇西洋の思想は基本的に実体論的思想である。「実体」とは簡単に言えば、「他の存在に依存することなく、それ自体で存在する存在」。具体的にはキリスト教の「ゴッド」や、新プラトン主義で言う「一者」、グノーシス主義で言う「霊魂」、近代哲学で言う「自我」「理性」、唯物論で言う「物質」等である。
〇思想派閥を分析するには「実体」を基準に分析するとよいと思う。①実体を認めるか否か②人間の内と外いずれに実体を設定するか③実体を複数設定する場合それらの関係はどうか。〇この基準と順番で分析すると、思想派閥が整理しやすいと考える。
〇①は東洋思想と西洋思想を分かつ。東洋思想の中でも仏教の空思想である。神道は元来自然界の「生成変化」を根底とする。変化と実体は矛盾する。支那の気一元論なども非実体的思想である。印度は仏教の発祥地だが、主流はアートマン、ブラフマンという実体を認める「梵我一如」の実体論的思想である。
〇②は印度以西の思想となる。実体を人間の外に認める思想の代表は一神教である。一神教の神は絶対他者と言われる。実体を人間の内に認める思想の代表はグノーシス思想であろう。人が神とされる。人の内と外に実体を認めるのがバラモン教や新プラトン主義以降の西洋神秘主義である(「合一」系の思想)。
〇③の「複数の実体間の関係」の具体例を挙げる。グノーシス思想では霊魂と物質という二つの実体を認め、前者は善で後者は悪とされる。デカルト主義では精神と物質の二元論であり、身心二元論を帰結し後々まで心身問題を惹起した。自我と神を実体とする神秘主義では自我と神が最終的に合一するとされる。
〇逆に実体が無い事を「空」という。この場合、事物はどのように存在しているか。先述の「それ自体で存在している」の逆で「それ自体では存在していない→他の存在に依って存在している」。これが「縁起」である。縁起とは空。縁起によらないで存在するから「実体」なのである。縁起と実体は両立しない。
〇龍樹が説一切有部を批判したポイントもこれである。説一切有部は実体である75個の「ダルマ」(ここでは「存在要素」という意味)の離合集散が縁起だとした。龍樹は「実体を認める事自体が縁起に反する。存在のあり方そのものが縁起であり、実体などどこにも無く、一切は空だ」と批判した訳である。
〇最初期の仏典でも「世界が空なりと観ぜよ」「堅固なもの(自性=実体)を見いださない」と書いてある。つまり、「空」は大乗仏教から説かれ始めたのではなく、最初期から既に説かれていたのだ。龍樹は仏教に実体の観念を持ち込んでいた説一切有部を批判する事で原始仏教に回帰しようとしたのである。
〇中観と並ぶ唯識の阿頼耶識説も最初期の仏典に萌芽があると考えている。最古の仏典スッタニパータには「いかなる潜在的妄執も存せず、悪の根が根こそぎにされ」「煩悩の潜在的な可能力を断って」等とある。これは唯識で言う「種子」と同趣旨だと思う。初期大乗は原始仏教を理論的に精緻化した趣である。
〇是非メインテーマとして取り上げるべき大変、素晴らしいご質問を頂いたので、不十分だった回答を補強し、一気呵成に連投させて頂いた次第m(_ _)m
〇「実体」に関する思想分析をしたら「自民党を援助している」と言われた。どう考えても舶来品のカルト思想に被れた「似非保守」には都合が悪い言説だと思う のであるが。意味不明過ぎる。これが「自民党上げ」に見えるのだとしたら、「西洋伝来だから高級」という偏見・洗脳がある証拠である。
〇「実体論」は別に高尚な話でも何でもない。「自我」を実体として立てると我執をもたらすし、「モノ」という実体を立てると我欲を強化するし、「超越者」という実体を立てると、それを信じない他者に対して排他的になりがちである。実体論は、妄執・争い・不和を導きやすい思想なのである。
〇そう考えると、我欲・売国を事とするネオコン政党の思想の根幹に「中心に帰一する」という実体論があっても不思議でも何でもない。「実体論」は「高尚」な思想ではないのである。「高尚」ではない結果を導くのが「実体論」なのである。
https://twitter.com/kikuchi_8/statuses/730526850112356356
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抜粋終わり
>「実体」とは簡単に言えば、「他の存在に依存することなく、それ自体で存在する存在」。
>「実体論」は別に高尚な話でも何でもない。「自我」を実体として立てると我執をもたらすし、「モノ」という実体を立てると我欲を強化するし、「超越者」という実体を立てると、それを信じない他者に対して排他的になりがちである。実体論は、妄執・争い・不和を導きやすい思想なのである。
然りです。
参考にしてくださいね。
お読みくださりありがとうございます。
上記文抜粋
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ツイートまとめ テーマ:思想派閥の分析ポイントについて
〇西洋の思想は基本的に実体論的思想である。「実体」とは簡単に言えば、「他の存在に依存することなく、それ自体で存在する存在」。具体的にはキリスト教の「ゴッド」や、新プラトン主義で言う「一者」、グノーシス主義で言う「霊魂」、近代哲学で言う「自我」「理性」、唯物論で言う「物質」等である。
〇思想派閥を分析するには「実体」を基準に分析するとよいと思う。①実体を認めるか否か②人間の内と外いずれに実体を設定するか③実体を複数設定する場合それらの関係はどうか。〇この基準と順番で分析すると、思想派閥が整理しやすいと考える。
〇①は東洋思想と西洋思想を分かつ。東洋思想の中でも仏教の空思想である。神道は元来自然界の「生成変化」を根底とする。変化と実体は矛盾する。支那の気一元論なども非実体的思想である。印度は仏教の発祥地だが、主流はアートマン、ブラフマンという実体を認める「梵我一如」の実体論的思想である。
〇②は印度以西の思想となる。実体を人間の外に認める思想の代表は一神教である。一神教の神は絶対他者と言われる。実体を人間の内に認める思想の代表はグノーシス思想であろう。人が神とされる。人の内と外に実体を認めるのがバラモン教や新プラトン主義以降の西洋神秘主義である(「合一」系の思想)。
〇③の「複数の実体間の関係」の具体例を挙げる。グノーシス思想では霊魂と物質という二つの実体を認め、前者は善で後者は悪とされる。デカルト主義では精神と物質の二元論であり、身心二元論を帰結し後々まで心身問題を惹起した。自我と神を実体とする神秘主義では自我と神が最終的に合一するとされる。
〇逆に実体が無い事を「空」という。この場合、事物はどのように存在しているか。先述の「それ自体で存在している」の逆で「それ自体では存在していない→他の存在に依って存在している」。これが「縁起」である。縁起とは空。縁起によらないで存在するから「実体」なのである。縁起と実体は両立しない。
〇龍樹が説一切有部を批判したポイントもこれである。説一切有部は実体である75個の「ダルマ」(ここでは「存在要素」という意味)の離合集散が縁起だとした。龍樹は「実体を認める事自体が縁起に反する。存在のあり方そのものが縁起であり、実体などどこにも無く、一切は空だ」と批判した訳である。
〇最初期の仏典でも「世界が空なりと観ぜよ」「堅固なもの(自性=実体)を見いださない」と書いてある。つまり、「空」は大乗仏教から説かれ始めたのではなく、最初期から既に説かれていたのだ。龍樹は仏教に実体の観念を持ち込んでいた説一切有部を批判する事で原始仏教に回帰しようとしたのである。
〇中観と並ぶ唯識の阿頼耶識説も最初期の仏典に萌芽があると考えている。最古の仏典スッタニパータには「いかなる潜在的妄執も存せず、悪の根が根こそぎにされ」「煩悩の潜在的な可能力を断って」等とある。これは唯識で言う「種子」と同趣旨だと思う。初期大乗は原始仏教を理論的に精緻化した趣である。
〇是非メインテーマとして取り上げるべき大変、素晴らしいご質問を頂いたので、不十分だった回答を補強し、一気呵成に連投させて頂いた次第m(_ _)m
〇「実体」に関する思想分析をしたら「自民党を援助している」と言われた。どう考えても舶来品のカルト思想に被れた「似非保守」には都合が悪い言説だと思う のであるが。意味不明過ぎる。これが「自民党上げ」に見えるのだとしたら、「西洋伝来だから高級」という偏見・洗脳がある証拠である。
〇「実体論」は別に高尚な話でも何でもない。「自我」を実体として立てると我執をもたらすし、「モノ」という実体を立てると我欲を強化するし、「超越者」という実体を立てると、それを信じない他者に対して排他的になりがちである。実体論は、妄執・争い・不和を導きやすい思想なのである。
〇そう考えると、我欲・売国を事とするネオコン政党の思想の根幹に「中心に帰一する」という実体論があっても不思議でも何でもない。「実体論」は「高尚」な思想ではないのである。「高尚」ではない結果を導くのが「実体論」なのである。
https://twitter.com/kikuchi_8/statuses/730526850112356356
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抜粋終わり
>「実体」とは簡単に言えば、「他の存在に依存することなく、それ自体で存在する存在」。
>「実体論」は別に高尚な話でも何でもない。「自我」を実体として立てると我執をもたらすし、「モノ」という実体を立てると我欲を強化するし、「超越者」という実体を立てると、それを信じない他者に対して排他的になりがちである。実体論は、妄執・争い・不和を導きやすい思想なのである。
然りです。
参考にしてくださいね。
お読みくださりありがとうございます。
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