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故国の滅亡を伍子胥は生きてみれませんでしたが、私たちは生きてこの魔境カルト日本の滅亡を見ます。
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P R
DEEPLY JAPAN  より

上記文抜粋
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行き当たりばったり主義が見えすぎて

今週はそういえば即位式なるものがあったのだった。

なんというか何をしようが神意はそこにないって感じがどうもしてしまっているので、特に興味は持てないので追いかけてまで見ようとは思わなかった。

しかしそう思ったことを記しておきたいと思ったので一応エントリーを開けてみた。

即位式の時に安倍が敷居を踏んだというのが騒ぎにあっていたが、敷居があろうがなかろうが、そもそもあの形式が、なんてかこう、コスプレ感がひどすぎて到底真面目に見る気になれないというのが私の感想。

何がいけないって、やっぱ建物が日本の朝廷の伝統と縁もゆかりもないってのがまるわかりで、なんだかこう取ってつけたように要素で「それっぽく」しました感がありすぎ。

こんなの見て、素晴らしいとか、伝統を感じるとかいう思う人の気がしれない。絶望的に場がおかしい。体育館で何やってんの?って感じ。


を感じるとかいう思う人の気がしれない。絶望的に場がおかしい。体育館で何やってんの?って感じ。




https://www.bloomberg.co.jp/news/articles/2019-10-21/PZGGG4T0G1KX01

まぁこういうところでやるからフィット感が出るといったところなわけですよ。


Kyoto-gosho Shishinden zenkei-4-2.jpg


で、その中のこういう建付けで、御簾がぶらさがってて外からは中があんまりよく見えないというのも重要。

しかし、こういうところでやると、実は日本の天皇ってとっても簡素なところに住んでて、その建築物の意匠は唐に色濃く影響されてて、総じていえば日本の支配者階級がそのつもりになっていた体制とはある種ミニ唐みたいなものだったとわかっちゃうという点で、うれしく思わない人もいるのかもしれない。

しかし、事実そうだったものを隠してたらなんだかさっぱりわからないモノになるのも理の当然ではある。



欧米の儀式の多くは教会でやったりするでしょ。あれはああいう場が非常に重要だとみんなよくわかってるから再建してでもやるんだと思う。ああいう場が残る(再建でも)ことが既にして歴史なわけ。そしてその場と式典の中身が一緒になって、過去の来歴が投影される。人々が見ているのは今の人間だとしても、人々が感じ取るのはその過去の歴史である可能性は非常に高い。

日本の場合、そもそも現代の皇室は徳川氏の居城である江戸城を奪取して住んでるわけで、当然のことながらそこに過去は投影されない。投影されるのはせいぜいこの150年。

事実その150年が、まぁ現在の皇室にとってのすべてではあるのでしょう。



それを明確にしているのは、場の問題もそうだけど、正装なるものの問題も平仄を一にしていると思う。

皇室の正装は19世紀のイギリス人みたいな服装なわけでしょ。ファッションセンスにおいて一度として褒められた試しのないイギリス人上流階級の昔の服みたいな服を着る日本の皇室の女性群を見るたび、私は嘆かわしいと思ってる。

多くの日本人がこれに気づかないのは、そもそも外国人(特に西欧人)が儀式などでどんな恰好をしているのかあんまりよくわかってないというのが1つあると思う。

そしてもう1つ、明治維新とともに旧来のドレスコードをはく奪されているからというのが大きい。

翌明治5年(1872年)に、明治5年11月12日太政官布告第339号(大礼服及通常礼服ヲ定メ衣冠ヲ祭服ト為ス等ノ件)によって、礼服が定められ当時のヨーロッパ人の着るものが正式扱いされた。wikiにもあった。これこれ。大礼服

大礼服は当時ヨーロッパ宮廷での最上級正装として使用されていた宮廷制服(Court uniform)に倣って新たに定められた。第339号布告では、これらの大礼服に対して現代の正装であるホワイトタイの燕尾服が通常礼服とされた。通常礼服は小礼服とも呼ばれ、民間人などの大礼服が制定されていない者はこれを正装とした。そして、通常服はフロックコートであった。太政官布告で「大礼服並上下一般通常礼服ヲ定メ、衣冠ヲ祭服トナシ、直垂、直衣、裃等ヲ廃ス」として和服は祭事のみで、洋服が正式になった



これってもうこのレジームは外国勢力の略奪みたいな仕様だとしかいいようがない。

これに比べたらソ連のほうがずっと自律して自立してる。ユダヤ人集団に担がれて騒動が起きて革命が起きてロマノフ朝を倒したものの、だからといってアメリカ人やらイギリス人の服を着ようとはしてないでしょう。その代わりに野暮ったい服着てたわけだけど。

で、そこから幾星霜。今般、新しい天皇の即位のための即位礼正殿の儀に参列するため皇居・宮殿に到着した王岐山中国国家副主席。燕尾服を着ようとはしないわけですよ。




いわゆる中山服の高級版みたいな感じだし、よく知らないけど、中国共産党が作った新チャイナの要人がどこかに列席する際の服装、なんでしょうね、多分。後ろの人が同じ仕様の服を着ているけど、王さんの方がよく着こなしてる。白が半襟みたいに出てるのがいい感じ。




■ 紋付羽織袴

そこで思い出す本庶先生。去年ノーベル賞の授賞式に紋付羽織袴姿で出席されたというので話題になったこの方。

私はこれは好感してます。実際似合ってる。




というか、よほどペなぺなな素材でない限り、日本男子の多くにとって着れば様になる恰好だとも思う。

そう。その民族が着こなしてきたものというのは、基本的にその民族の人たちにとってだいたい合ってる、カッコいいから続くわけでしょ。だから、なんら類似点もない人たちが同じ服着てみたってしょーがねーだろうと、審美的な点からもそう思う。

奥さんもいいじゃないですか。でも、どうして主人が紋付なのに色留袖にしないのか、と一瞬思いはしたが、でも、あの場には日本式の序列はないわけだし、小柄のおばさんが豪華さを見せるには胸元に柄が来るのはこの場合良い選択だなとかも思った。柄は私の好みではないが。






■ 武家から考え直す日本の歴史

で、紋付羽織袴姿は明らかに公家系統からの発出ではなくて、公家→武家→裕福町人階層と降りてきて、なんとなくこれなら誰でも着てもいいとなって現在があるわけですね。

ここにあるのは実は身分の問題。衣類は基本的に身分を表に表す目印として着用されるわけだから、みんながみんな同じ類のものを着ていたわけではない。

だがしかし、ともあれ、流れ流れて、誰でも着たければ袴付けてカッコよくしていい世の中なんだから、こっちの方を主体とした歴史の見方をすればいいだけなんだろうと思う。

明治にできたカルト大日本帝国を私は「明治朝日本」として相対化すべきだと考えているので、その考えていえば、明治朝日本ではない日本の歴史を考え直すための下地を見直すための手がかりの1つとして服装を考えてみるのもいいんじゃないかと思う。



でもって、日本の上流階級はとにかく「唐物」が好きなんだと思うよ。昔はChinaからの輸入品を「唐物(からもの)」と呼びならわしていたわけだけど、とにかく公家とか一部上級軍事貴族は唐物が好きだった。

で、150年前からの上流階級はイギリス風になることが素晴らしいと思ってるらしいわけだが、なんというかこれって「伝統」だと思う。舶来好きこそ日本の上流階級の証みたいなもの。行き当たりばったりで強いものの権威を借りて偉くなった気になる。

庶民の方はそんなこと関係なく秩序を作っていったらいいと思う。


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・・・・・・・・・・
抜粋終わり

>舶来好きこそ日本の上流階級の証みたいなもの。行き当たりばったりで強いものの権威を借りて偉くなった気になる。


同感だ。

やっぱり、天皇家とその閨閥は、根無し草の、売国奴なのである。

要するに、もう思想も志操もぶっ壊れているのが、日本なのですは、特に為政者層がレベル低すぎる。
その低能政治の根源が「天皇」


天皇なくして、日本人生き延びる。


さらに

酔生夢人のブログ より


上記文抜粋
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白虹の意味

「続日本紀」より転載。或る辞典によれば、白虹は兵乱の兆しとされたらしい。
白虹がかかった養老4年の出来事で際立つのは、初期の天皇家を後ろで操ったらしい人物、あるいは天皇を傀儡化して政治実権を握る政治手法の創始者と目される藤原不比等の死である。
白虹は今年から来年にかけての大きな政治的事件の勃発を意味するのかもしれない。
ただし、不比等の死の後にこそ藤原一族による政治の壟断は激しくなったとも言えるので、その動乱が国民にとってプラスかマイナスかは分からない。
令和という時代が日本という国にとって大変動の時代になりそうではある。


(以下引用)


《養老四年(七二〇)正月甲子【十一】》○甲子。授正五位下大伴宿禰宿奈麻呂。大伴宿禰道足。多治比真人広成並正五位上。従五位上三国真人人足。阿倍朝臣秋麻呂。佐味朝臣加佐麻呂。上毛野朝臣広人。大伴宿禰牛養並正五位下。従五位下民忌寸于志比。車持朝臣益。阿倍朝臣駿河。山田史三方。忍海連人成。榎井朝臣広国。中臣朝臣東人。粟田朝臣人上。鍜治造大隅。石川朝臣若子並従五位上。正六位上佐伯宿禰智連。猪名真人石楯。下毛野朝臣虫麻呂。美乃真人広道。高向朝臣人足。石川朝臣夫子。多治比真人占部。県犬養宿禰石次。当麻真人老。阿倍朝臣若足。巨勢朝臣真人。紀朝臣麻路。正六位下田中朝臣稲敷並従五位下。是日。白虹南北竟天。
《養老四年(七二〇)正月庚午【十七】》○庚午。〓惑逆行。
《養老四年(七二〇)正月丙子【廿三】》○丙子。遣渡嶋津軽津司従七位上諸君鞍男等六人於靺鞨国。観其風俗。
《養老四年(七二〇)正月庚辰【廿七】》○庚辰。始置授刀舍人寮医師一人。」大納言正三位阿倍朝臣宿奈麻呂薨。後岡本朝筑紫大宰帥大錦上比羅夫之子也。
《養老四年(七二〇)二月乙酉【甲申朔二】》○二月乙酉。令検校造器二司造釈奠器。充大膳職大炊寮。
《養老四年(七二〇)二月戊戌【十五】》戊戌。夜地動。
《養老四年(七二〇)二月壬子【廿九】》○壬子。大宰府奏言。隼人反、殺大隅国守陽侯史麻呂。
《養老四年(七二〇)三月丙辰【癸丑朔四】》○三月丙辰。以中納言正四位下大伴宿禰旅人。為征隼人持節大将軍。授刀助従五位下笠朝臣御室。民部少輔従五位下巨勢朝臣真人為副将軍。
《養老四年(七二〇)三月癸亥【十一】》○癸亥。勅度三百廿人出家。
《養老四年(七二〇)三月甲子【十二】》○甲子。有勅。特加右大臣正二位藤原朝臣不比等授刀資人卅人。
《養老四年(七二〇)三月己巳【十七】》○己巳。太政官奏。比来百姓例多乏少。至於公私不弁者衆。若不矜量。家道難存。望請。比年之間。令諸国毎年春初出税。貸与百姓。継其産業。至秋熟後。依数徴納。其稲既不息利。令当年納足。不得延引数有逋懸。又除租税外公稲。擬充国用。一概無利。恐其頓絶。望請。令諸国毎年出挙十束。取利三束。仍令当年本利倶納。又百姓之間。負稲者多。縁無可還。頻経歳月。若致切徴。因即逃散。望請。限養老二年以前。無論公私。皆従放免。庶使貧乏百姓。各存家業。」又謹検和銅四年十一月廿二日勅。出挙私稲者。自今以後。不得過半倍者。比来出挙多不依法。若臨時徴索。無稲可償者。令其子姪易名重挙。依此姦計。取利過本。積習成俗。深非道理。望請。其稲雖経多年。仍不過半倍。」又検養老二年六月四日案内云。庸調運脚者。量路程遠近。運物軽重。均出戸内脚獎資行人労費者。拠案。唯言運送庸調脚直。自余雑物送京。未有処分。但百姓運物入京。事了即令早還。為無帰国程糧。在路極難艱辛。望請。在京貯備官物。毎因公事送物還、准程給糧。庶免飢弊。早還本土。」又無知佰姓不閑条章。規避徭役。多有逃亡。渉歴他郷。積歳忘帰。其中縦有悔過還本貫者。縁其家業散失。無由存済。望請。逃経六年以上。能悔過帰者。給復一年。継其産業。奏可之。」改按察使典。号記事。
《養老四年(七二〇)三月乙亥【廿三】》○乙亥。按察使向京。及巡行属国之日。乗伝給食。因給常陸国十剋。遠江国七剋。伊豆・出雲二国鈴各一。
《養老四年(七二〇)四月庚戌【癸未朔廿八】》○夏四月庚戌。制。三位已上妻子及四位・五位妻。並聴服蘇芳色。
《養老四年(七二〇)五月辛酉【癸丑朔九】》○五月辛酉。制。皇親服制者。以王孫准五位。疎親准六位焉。
《養老四年(七二〇)五月壬戌【十】》○壬戌。改白猪史氏。賜葛井連姓。
《養老四年(七二〇)五月癸酉【廿一】》○癸酉。太政官奏。諸司下国小事之類。以白紙行下。於理不穏。更請内印。恐煩聖聴。望請。自今以後。文武百官下諸国符。自非大事。差逃走衛士・仕丁替。及催年料廻残物。并兵衛・采女養物等類事。便以太政官印印之。奏可之。」頒尺様于諸国。」先是。一品舍人親王奉勅。修日本紀。至是功成奏上。紀卅巻、系図一巻。
《養老四年(七二〇)五月乙亥【廿三】》○乙亥。給伊豆。駿河。伯耆国三剋鈴各一。
《養老四年(七二〇)六月壬辰【壬午朔十一】》○六月壬辰。文部黒麻呂等十一人賜文忌寸姓。
《養老四年(七二〇)六月戊戌【十七】》○戊戌。詔曰。蛮夷為害。自古有之。漢命五将。驕胡臣服。周労再駕。荒俗来王。今西隅小賊。怙乱逆化。屡害良民。因遣持節将軍正四位下中納言兼中務卿大伴宿禰旅人。誅罰其罪。尽彼巣居。治兵率衆。剪掃兇徒。酋帥面縛。請命下吏。寇党叩頭。争靡敦風。然将軍暴露原野。久延旬月。時属盛熱。豈無艱苦。使使慰問。宜念忠勤。
《養老四年(七二〇)六月甲辰【廿三】》○甲辰。始置神祇官史生四員。
《養老四年(七二〇)六月戊申【廿七】》○戊申。河内国若江郡人正八位上河内手人刀子作広麻呂。改賜下村主姓。免雑戸号。
《養老四年(七二〇)六月己酉【廿八】》○己酉。漆部司令史従八位上丈部路忌寸石勝。直丁秦犬麻呂坐盗司漆。並断流罪。於是、石勝男祖父麻呂年十二。安頭麻呂年九。乙麻呂年七。同言曰。父石勝為養己等。盗用司漆。縁其所犯。配役遠方。祖父麻呂等為慰父情、冒死上陳。請、兄弟三人没為官奴。贖父重罪。詔曰。人禀五常。仁義斯重。士有百行。孝敬為先。今祖父麻呂等。没身為奴。贖父犯罪。欲存骨肉。理在矜愍。宜依所請為官奴。即免父石勝罪。但犬麻呂依刑部断。発遣配処。
《養老四年(七二〇)七月甲寅【壬子朔三】》○秋七月甲寅。賜征西将軍已下至于抄士物各有差。
《養老四年(七二〇)七月壬申【廿一】》○壬申。免祖父麻呂・安頭麻呂等従良焉。
《養老四年(七二〇)八月辛巳朔》○八月辛巳朔。右大臣正二位藤原朝臣不比等病。賜度卅人。詔曰。右大臣正二位藤原朝臣疹疾漸留。寝膳不安。朕見疲労。惻隠於心。思其平復。計無所出。宜大赦天下。以救所患。養老四年八月一日午時以前大辟罪已下。罪無軽重。已発覚。未発覚。已結正。未結正。繋囚・見徒。私鋳銭。及盗人。并八虐。常赦所不免。咸悉赦除。其癈疾之徒。不能自存者。量加賑恤。因令長官親自慰問。量給湯薬。勤従寛優。僧尼亦同之。
《養老四年(七二〇)八月壬午【二】》○壬午。令都下〓八寺一日一夜読薬師経。免官戸十一人為良。除奴婢一十人従官戸。為救右大臣病也。
《養老四年(七二〇)八月壬辰【十二】》○壬辰。勅。征隼人持節将軍大伴宿禰旅人宜且入京。但副将軍已下者。隼人未平。宜留而己屯焉。
《養老四年(七二〇)八月癸未【三】》○癸未。詔。治部省奏。授公験僧尼多有濫吹。唯成学業者一十五人。宜授公験。自余停之。是日。右大臣正二位藤原朝臣不比等薨。帝深悼惜焉。為之廃朝。挙哀内寝。特有優勅。弔賻之礼異于群臣。大臣、近江朝内大臣大織冠鎌足之第二子也。
《養老四年(七二〇)八月甲申【四】》○甲申。詔以舍人親王為知太政官事。新田部親王為知五衛及授刀舍人事。
《養老四年(七二〇)八月丁亥【七】》○丁亥。詔。諸請内印。自今以後。応作両本。一本進内。一本施行。
《養老四年(七二〇)九月庚戌朔》○九月庚戌朔。日有蝕之。
《養老四年(七二〇)九月辛未【廿二】》○辛未。諸国申官公文。始乗駅言上。
《養老四年(七二〇)九月丁丑【廿八】》○丁丑。陸奥国奏言。蝦夷反乱。殺按察使正五位下上毛野朝臣広人。
《養老四年(七二〇)九月戊寅【廿九】》○戊寅。以播磨按察使正四位下多治比真人県守為持節征夷将軍。左京亮従五位下下毛野朝臣石代為副将軍。軍監三人。軍曹二人。以従五位上阿倍朝臣駿河。為持節鎮狄将軍。軍監二人。軍曹二人。即日授節刀。
《養老四年(七二〇)十月戊子【庚辰朔九】》○冬十月戊子。以従四位上石川朝臣石足。為左大弁。従四位上笠朝臣麻呂為右大弁。従五位上中臣朝臣東人為右中弁。従五位下小野朝臣老為右少弁。従五位下大伴宿禰祖父麻呂為式部少輔。従五位下巨勢朝臣足人為員外少輔。従五位上石川朝臣若子為兵部大輔。正五位上大伴宿禰道足為民部大輔。従五位下高向朝臣大足為少輔。従五位上車持朝臣益為主税頭。従五位上鍜治造大隅為刑部少輔。従五位下阿倍朝臣若足為大蔵少輔。従五位下高橋朝臣安麻呂為宮内少輔。従五位下当麻真人老為造宮少輔。従五位下県犬養宿禰石次為弾正弼。従五位下大宅朝臣大国為摂津守。従五位下高向朝臣人足為尾張守。従五位上忍海連人成為安木守。
《養老四年(七二〇)十月丙申【十七】》○丙申。始置養民。造器及造興福寺仏殿三司。
《養老四年(七二〇)十月壬寅【廿三】》○壬寅。詔遣大納言正三位長屋王。中納言正四位下大伴宿禰旅人。就右大臣第宣詔。贈太政大臣正一位。
《養老四年(七二〇)十一月丙辰【己酉朔八】》○十一月丙辰。南嶋人二百卅二人。授位各有差。懐遠人也。
《養老四年(七二〇)十一月乙亥【廿七】》○乙亥。河内国堅下・堅上二郡。更号大県郡。
《養老四年(七二〇)十二月己亥【己卯朔廿一】》○十二月己亥。詔除春宮坊少属少初位上朝妻金作大歳。同族河麻呂二人。并男女雑戸籍。賜大歳池上君姓。河麻呂河合君姓。
《養老四年(七二〇)十二月癸卯【廿五】》○癸卯。詔曰。釈典之道。教在甚深。転経唱礼。先伝恒規。理合遵承。不須輙改。比者。或僧尼自出方法。妄作別音。遂使後生之輩積習成俗。不肯変正。恐汚法門。従是始乎。宜依漢沙門道栄。学問僧勝暁等転経唱礼。余音並停之。



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抜粋終わり

富士山の白い虹。 参考

さらに、皇居に二重の虹。で、たぬき風では、即位式の旗が三本倒れる。

って、明治・大正・昭和の三代の偽りと、昭和・平成・令和の悪事が、バレるか?

虹は犯罪者が残っていることを意味することも。まあ皇居など犯罪者の巣窟だからな。


>当然のことながらそこに過去は投影されない。投影されるのはせいぜいこの150年。

>事実その150年が、まぁ現在の皇室にとってのすべてではあるのでしょう。

>それを明確にしているのは、場の問題もそうだけど、正装なるものの問題も平仄を一にしていると思う。

犯罪者が、外国人の真似をしただけ。

西郷が、大久保を見て「大丈夫か?」と心配したが、それだ。


自分の姿・本性を見ないで、他者になり切る。

まさに、天皇特に明治以降の天皇とその閨閥そのものの、卑しく汚い日本の政治・指導層を表している。






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イギリスの喪服で即位殿の敷居を踏む安倍晋三!
  • from ローレライ :
  • 2019/10/27 (14:43) :
  • Edit :
  • Res
イギリスの喪服で即位式殿の敷居を踏む安倍晋三の白人かぶれの本音丸出し!
Re:イギリスの喪服で即位殿の敷居を踏む安倍晋三!
2019/10/27 18:18
>イギリスの喪服で即位式殿の敷居を踏む安倍晋三の白人かぶれの本音丸出し!

まあ運命の子安倍晋三。

日本はすでに天皇と米英の植民地に過ぎないことを明らかにした。
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