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故国の滅亡を伍子胥は生きてみれませんでしたが、私たちは生きてこの魔境カルト日本の滅亡を見ます。
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P R
https://diamond.jp/articles/-/207678 より

上記文抜粋
・・・・・・・・・・
体罰大国ニッポンが「1億総パワハラ社会」になる必然

「愛があれば」「やりすぎでなければ」、という前提付きで体罰やパワハラを認める日本人は、実は非常に多い。子供を持つ親はもちろん、テレビのコメンテーターやMCでさえ、堂々とこうした自説を述べる。つまり、日本はそれほどに「愛ある暴力」信仰が染み付いている国であり、これが変わらない限り、パワハラはなくならないだろう。(ノンフィクションライター 窪田順生)

教育には体罰も必要!?
日本にはびこるパワハラ必要論


 少し前、朝の情報番組を見て驚いた。

「体罰もやりすぎにならないならいい」
「命に関わることなどは、やっぱり痛みで教えたい」
「親にお尻を叩かれて、はじめて悪いことだと気づく」

 なんて感じで、街頭インタビューに登場したお母さんたちや、スタジオのMCやコメンテーターたちが、今国会で成立した「体罰禁止法」に不満タラタラなのだ。

 親による子供への体罰を禁止することを柱とした、改正児童虐待防止法が施行されるのは来年4月。そこから2年のうちに民法で認められた、親権者が必要な範囲で子供を戒める「懲戒権」の廃止も検討されるが、番組MCたちは、「しつけ」で子供を叩いた経験のある親は7割もいるというデータも持ち出して、「時にきつく叱るのも子どものため」と視聴者に訴えかけていた。

 個人的には、ここまで「叩かずにどうやって子供を教育するんだ」という親が多いことに驚いたのだが、その一方で妙に納得をした部分もある。

 なくせ、撲滅だ、と叫びながらも、企業や教育現場でのハラスメントや陰湿なイジメは一向になくならない。ここまで多くの人が「体罰」というものの教育効果を認めているのなら、このような「一億総パワハラ社会」になるのも、なんら不思議がないのだ。

 我が子をしつけたい親の「愛のムチ」と、理不尽なパワハラなんかを一緒くたにするなんて不愉快だ、と今すぐ筆者の横っ面をはたきたい衝動にかられている方も多いだろうが、実はこの2つの原動力となっている思想はほとんど変わらない、いや、全く同じと言ってもいい。

 それは、「暴力は絶対ダメだけど、私の暴力は愛があるからセーフ」という、なんとも御都合主義的な「ダブルスタンダード」である。

コメンテーターたちと
パワハラ上司の言い分は瓜二つ


 わかりやすいのが、先ほどの情報番組だ。

 ちょっと前、「しつけ」の名目で虐待された幼い子供が亡くなる事件が続いた時、MCやコメンテーターたちは、恐怖と暴力で子供を支配する親の身勝手さを糾弾し、理不尽な暴力を強いられたまま亡くなった子供がかわいそうだ、と目を潤ませながら訴えていた。

 また、そのさらに少し前、アマチュアスポーツ界で体罰が問題になっていた時には、「体罰が許される時代ではない」「これからの指導者は体罰をしない指導法を確立すべき」と神妙な顔で御託を並べていた。

 要するに、我が子のしつけのためであろうとも、五輪でメダルが狙えるような一流選手に鍛えるためであっても、「暴力」は絶対ダメだと訴え続けてきたのだ。しかし、今回の法案成立後、彼らはみな「子供を叩く自由」を認めろと言い出した。

「しつけ」名目で子供をボコボコに殴って殺してしまうのは一部の異常者であって、自分たちのような良識のある親は、殺さない程度に加減して、悪いことは悪いと体に叩き込む「良い暴力」を振るうことができる。それを禁じたら子育てなどできぬというのである。要するに、「建前的には暴力はダメだけど、あまりカタイこと言わず、時と場合によってはOKってことで見逃してくれよ」と言っているのと同じだ。

 御都合主義以外の何物でもないが、実はこれ、コピペしたのではないかと思うほど、瓜二つの主張をするのが、いわゆる「パワハラ上司」である。

 数年前、「死ね」「よくそんな仕事ぶりで給料がもらえるな」などの暴言を繰り返し、部下からパワハラで訴えられた、ある大企業の管理職にお話を聞く機会があった。物腰も柔らかく、温厚な語り口からは、とても部下を心療内科送りにしたようには見えなかったこの管理職が語った中で、最も印象的だったのが以下の「釈明」である。

「ニュースなどで報じられるパワハラと私のケースはまったく違います。本人にもっと成長をしてもらいたいという一心で厳しく指導をしただけ。暴言といっても、普段の人間関係のなかで、許される範囲のことしか言っていない」

体罰で言うことを聞かせると
長い目で見れば損失が大きい


 このパワハラ管理職氏は、世間一般で言われるような「パワハラ」はしていない、「厳しい指導」があまりに堅苦しい風潮の中で運悪く引っかかってしまったと主張していた。しかし、周囲から話を聞くと、指導ではなく、執拗にイジメているようにしか見えなかったという。

 つまり、この管理職の方は「パワハラは絶対ダメだけど、俺の場合は厳しい指導だからセーフ」という、極めて御都合主義的なダブルスタンダードに陥っていたというわけだ。

 親の体罰と、上司のパワハラの根っこにあるものが同じだということがわかっていただけただろうか。

 ということを言うと、「親父がぶん殴ってくれたおかげで目が覚めた」とか「先生が泣きながら殴ってくれたおかげで、道を踏み外さずに済んだ」とか『スクール・ウォーズ』的な体罰によって救われたという話をする人たちが出てくるが、それも当然である。親の言いつけを守らないヤンチャ小僧や、目上の人間への敬意を知らない小生意気な若造を、おとなしく従順にさせようと思った時、最もラクチンで、最も短時間で効果が出る教育方法は他でもない、「暴力」だからだ。

 実は行動分析学の世界では、「体罰」には一定の「効果」があるというのが常識だ。軍隊や昔のサーカスの動物を見れば明らかだが、「ムチ」をふるえば、痛い思いをしたくないので、人も動物も「ムチ」を持つ者に従順になるし、自分の行為を反省して、命令通りに動くということが科学的も確認されている。そこに愛があるかどうかは関係ないのだ。

 では、そんな手軽で効果の高い「教育方法」を、なぜ50カ国以上の国が法律で禁じているのかというと、人権意識高い系だとアピールしたいからーーなどではない。体罰依存が進んだ社会では、そこで得られる効果より、失うものの方が圧倒的に多いからだ。

 まず、「ムチ」では信頼関係が築けない。従順にした方は気分がいいだろうが、力で従順にされた方は自己の尊厳を失うので、心の健康が徐々に蝕まれ、自分を大切な存在だとも思えなくなる。パワハラ被害者が自ら命を絶つのは、これが理由だ。

 また、先ほどから述べているような「暴力の再生産」が行われる。少し前、将来有望な女子体操選手にコーチが張り手をして恫喝をしている映像が公開され、暴力指導ではないかと大きな社会問題となった。その謝罪会見でコーチは、自分も現役時代に体罰を受けたと明かし、「叩いてでも教えることが必要だと思っていた」と自分の暴力体験を再現したことを認めた。


「愛があれば良い暴力」との
思い込みが日本を蝕む


 このように、「体罰」には確かに効果はあるものの、その代償として「負」の部分が圧倒的に多い。だから、犬を飼っている人ならばわかると思うが、犬のしつけで暴力はご法度だ。犬を叩くなどの「しつけ」をすると、確かにいっときは従順になるが、飼い主との信頼関係が築けず、心の傷となって後で問題行動を起こすケースが圧倒的に多いのだ。

 つまり、「あの時、殴られたおかげでグレずに済んだ」「先輩にきつくシゴかれたので今の自分がある」というのも確かに一面では事実なのだが、そのように暴力やハラスメントを乗り越えて成長をした人というのは、実は本人が気づかぬうちに、負の代償を払っているのだ。

 殴られて更生できたと信じる人は、誰かを自分の思う方向へ導きたい時、必ず手が出てしまう。壮絶なパワハラに耐えたことで、一人前のビジネスパーソンになったと信じる人は、後輩や部下を強く育てたいという一心で、壮絶なパワハラを再現してしまう。

 人間は自分が歩んできた道を正当化したがる。やってきたこと、苦しんだことが、意味がなかったと考えることほど怖いものはないからだ。だから、自分の体験はすべて今の自分の糧になっている、と都合良く解釈するのだ。

 もちろん、そういう考えの方が人生は充実する。が、日本人が問題なのは、そのような御都合主義が、「暴力」にまで適応されてしまうことだ。

 親や教師にボコボコに殴られたことが、実は何の意味もなかったと認めたくないので、あれで自分を大きく成長できた、と暴力に「価値」を後付けする。そして、それが自分の思い込みではないことを証明したくて、かつての自分のような弱い立場の人間に、その「暴力」を再現するのだ。

 暴力には、「良い暴力」も「悪い暴力」もない。殴られた側からすれば、そこで生じる痛み、感じた恐怖は何も変わらない。

 しかし、なぜか日本人の多くは、この2つが違うという強い思い込みがある。「悪い暴力」を振るう人間は厳罰に処して刑務所送りにせよ、と叫ぶ一方で、殴る相手のためを思って振り上げた拳は「正義」とされる。そして、多くの家庭、多くの部活動などでは、この「良い暴力」が、子供を「良い子」へ成長させると考えられている。

 その「良い暴力」信仰を持った人間が、毎年、百数十万人も社会に送り出される。これで「パワハラ社会」にならない方がおかしいではないか。

 皆さんの会社でも、当たり前のようにパワハラ研修をやっていることだろう。その前段階の学校でも「イジメは良くない」「暴力は良くない」「相手の気持ちを考えよう」という教育を耳にタコができるほど受けてきたはずだ。

 しかし、この世の中が何も変わらないのは、実は会社や学校に入った時点で、もう既に手の施しようがないほど「良い暴力」に対する信仰が固まってしまっているからなのではないか。

 日本の家庭が「愛があれば良い暴力」というダブルスタンダードから脱却できぬ限り、日本社会からパワハラが消えることはない。

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・・・・・・・・・・
抜粋終わり

>体罰依存が進んだ社会では、そこで得られる効果より、失うものの方が圧倒的に多いからだ。

>まず、「ムチ」では信頼関係が築けない。従順にした方は気分がいいだろうが、力で従順にされた方は自己の尊厳を失うので、心の健康が徐々に蝕まれ、自分を大切な存在だとも思えなくなる。パワハラ被害者が自ら命を絶つのは、これが理由だ。


簡単に、裏切るようになる。それが体罰のもう一つの危険性。

左氏春秋でも、体罰を受けて恨みを持った人が、主君の謀殺に加担したり、主人を貶める謀略をなしたり、国家や主君を平然と裏切る。


神戸さんがブログで

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皇国史観に染られ憲兵に監視され、中央集権下に育った人たちは、それが自分だって嫌だったくせに、我が子に対して、同じように対応する・・・そのことが、家庭を暗くし、結婚しない子供を続出させ、はては、少子化にまでつながった。

弊害を受けたのは女だけかと思っていたけど、違った。


皇国史観、天皇の命令は絶体。そういう下で育った父親は、男の子を、型にはめようと暴力をふるい、男の子を破壊したのだ。

この抑圧に反発して「全共闘など左翼運動」が燃盛った。

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て書いたが、それがこれである。


そんな意味で、ある程度の移民と天皇制根絶やしは、日本存続に不可欠だろう。

もう在来日本人の手だけでは、この天皇カルトの汚染を改善できない。

その病原たる天皇制を根絶やしにして、もっとまともな文化・モラルを、移入しないと、

在来日本人は、完全に根絶やしになる・・・



まさに、体罰栄えて、国滅ぶ。天皇栄えて、日本人死に絶える。である。



お読みくださりありがとうございます。



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エスエムがこくぎの国は加害文化の国!
  • from ローレライ :
  • 2019/07/05 (08:32) :
  • Edit :
  • Res
エスエムが国技の国は簡単に侵略戦争する加害文化の国である。イギリスの傭兵牧場としてトラウマ国民が作られた!
Re:エスエムがこくぎの国は加害文化の国!
2019/07/05 12:44
>エスエムが国技の国は簡単に侵略戦争する加害文化の国である。イギリスの傭兵牧場としてトラウマ国民が作られた!

明治維新が敗戦だった。天皇がそれの誤魔化しのエンブレム・・

書き込みありがとうございます。
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