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故国の滅亡を伍子胥は生きてみれませんでしたが、私たちは生きてこの魔境カルト日本の滅亡を見ます。
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文殊菩薩 ブログ版 より

上記文抜粋
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「全世界から日本を排除する!」 世界中から封じ込められ、孤立化する極右軍国主義・放射能汚染国家・日本! ←これが 日本の実態であり現実であることは否定できない。


我が畏友・亀さんのブログ『人生は冥土までの暇潰し』が、『行政調査新聞』の注目すべき記事を紹介してくれた。
その記事、『「日本孤立化作戦」発動 中国・韓国の作戦に嵌まり「孤立する」日本』は、恐ろしい記事である。
我が日本が、中韓の作戦にハメられ世界の孤立国家になってしまっている!というのだから…。
その「日本封じ込め戦略」は、中韓のみならず、ロシアもアメリカも黙認している。
黙認とは、口には出さぬが認めている!ということだ。

「全世界から日本を排除する!」
世界中から封じ込められ、孤立化する極右軍国主義・放射能汚染国家・日本!
←これが 日本の実態であり現実であることは否定できないだろう。

何はともあれ、いま、我が国が世界のなかで一体どんなふうに思われ、どんなふうな位置に置かれてしまっているのか? これをハッキリと自覚するために、熟読ねがいたい。
(飯山一郎)

「日本孤立化作戦」発動
――中国・韓国の作戦に嵌まり「孤立する」日本――

『行政調査新聞』 2014年 7月 04日(金曜日)


東アジアの将来を左右する「2015年問題」。昨年(2013年)2月に、韓国に初の女性大統領・朴槿恵が誕生し、彼女が反日姿勢を貫いていることから、「2015年問題」の方向性はほぼ決定された。

日韓首脳は平成24年(2012年)5月に北京で野田佳彦・李明博が会談して以来、2年以上も開かれないという異常事態に陥っている。韓国の状況を見て、日本政府だけでなく庶民大衆の側にも「仕方がない」といった諦めの気持ちはあるものの、日本人の多くは2015年問題に何ら危機感を抱いていない。

東アジアでは今、中国・韓国が中心となり、全世界を巻き込んで日本孤立化作戦が展開されている。このまま放っておけば、日本は本当に孤立し、危険な状況に陥ってしまう。

2015年問題とは何か

昭和40年(1965年)6月、「日韓基本条約」が締結された。このとき日本は「朝鮮半島における唯一の合法政府は韓国である」ことを確認し、日韓の国交が正常化された。日本は韓国に対し莫大な経済援助を行うことを約束し、この援助は約束通り履行されている。また日本はその他の援助も行い、これにより日本の韓国併合から大東亜戦争に至る「両国間の財産、請求権一切の完全かつ最終的な解決」を確認しあった。

このとき日本から3億ドル(1080億円)の無償供与、2億ドル(720億円)の長期低利貸付、3億ドル(1080億円)以上の民間借款が行われた。莫大な金額だったが、これらの多くは個人補償には回されず、ほとんどがダムや工場建設、道路整備といったインフラに投入された。その結果、それまで世界最貧国の1つとされ、生産技術も能力もなく、国民が飢えに喘いでいた韓国は「漢江の奇跡」と呼ばれる経済発展を遂げたのである。

来年、平成27年(2015年)6月に「日韓基本条約」締結50周年の節目の年を迎える。

日韓両国民が祝う記念行事が盛大に行われて当然の年なのだ。ちなみに基本条約を締結し、「漢江の奇跡」を起こしたのは朴正煕大統領。現在の韓国大統領・朴槿恵の実父である。

(朴正煕と朴槿恵の父娘関係に関しては本紙「「恨日」に凝り固まった朴槿恵」参照。)

韓国の重要な祝日の一つに「光復節」がある。

昭和20年8月15日に日本はポツダム宣言を受諾し、大東亜戦争に敗戦。これを以て1910年以降足掛け36年間日本の統治下にあった朝鮮は、日本支配から解放されることになった。韓国ではこの日を「光復節」と名づけ盛大なお祝いをしている。

来年、平成27年(2015年)8月に韓国は、日本から解放70周年の節目の年を迎える。

日韓の間で「日韓基本条約締結50周年」の大祝賀会が催されるのか、「日本からの解放70周年」のお祝いが韓国で催されるのか。この2つが同規模で行われることは常識的にあり得ず、どちらかが選択されることはずっと前からわかっていた。

反日思想に凝り固まった朴槿恵が大統領である以上、「光復節70周年」が大々的に催されることは予測できる。だが、単純に「日本からの解放70周年」祝賀イベントだけでは終わりそうにない計画が進められているのだ。その現実を日本のマスコミは隠し続けている。

光復軍を知っているか?

日本統治時代に中国で創立された韓国臨時政府「光復軍」の記念碑が中国の陝西省西安市に設置され、今年(2014年)5月29日に除幕式が行われた。

「光復軍記念碑」と聞いてどれほどの人が反応するだろうか。そもそも、こんにちの日本人の中で、「光復軍」を理解している人間がどれほどいるだろうか。

光復軍、あるいは光復節について正しく理解するには、歴史書を読みほどき、現実に何があったか理解する必要がある。そんな面倒は厭だという方のために、以下にきわめて簡単に韓国近代史を紐解いてみる。

韓国併合と独立運動

朝鮮半島最後の王朝は14世紀から20世紀初頭まで続いた李氏朝鮮(最後は高宗が王の時代に「大韓帝国」と名乗った)である。李氏朝鮮は、日本の室町時代から明治に至る時代に朝鮮半島に君臨した王朝だ。この李氏王家の実体は清国(中国)の傀儡であり、李氏朝鮮は王家と両班(貴族階級)が国を統治するという中国の属国、似非国家でしかなかった。

清(中国)の属国から独立しようと考えた人々は、王家打倒を目指して何度も決起し、ときには東学党の乱のように農民が立ち上がったこともあったが、そのたびに清国により反乱が鎮圧されてきた。

朝鮮半島に対して清(中国)が過大な影響力を及ぼしていることを危惧した日本は、日清戦争により半島から清の勢力を一掃した。ところが李氏朝鮮の王家と貴族階級の両班は、清(中国)に代わってロシアの庇護を求めるようになる。王家と両班にとっては、ご主人様が誰であってもかまわない、強ければ良かったのだ。

その後、日露戦争でロシアを破った日本は、朝鮮の閣僚たちの要求に従い、朝鮮を独立させるのではなく「日韓併合」を実現させた。明治43年(1910年)のことだった。

日本が朝鮮を併合すると、今度はこれを不当と考える勢力が反日運動を展開するようになった。この運動に参加したのは、かつての貴族階級・両班と、もう一つは共産主義者だった。両班と共産主義者という、思想的には真逆の勢力が反日でまとまった。

日本の朝鮮総督府による取り締まりが厳しかったこともあったが、何より独立を目指す勢力が分裂したことが反日運動の盛り上がりを阻害した。この当時、知られているだけで「大韓独立軍」、「大韓光復軍政府」、「耕学社」、「勧業会」、「扶民団」、「大韓人国民会」等々、独立を望む20以上の反日・抗日組織があった。どれも数人から数十人規模の団体で、連合することもなく、反日勢力が大きく成長することはなかった。

3.1運動と臨時政府の樹立

第一次世界大戦末期の1918年に米国のW・ウイルソン大統領が「植民地の公正解決――民族自決」を唱えたが、これに触発されて、朝鮮半島内に若者を中心とした独立への欲求が一気に高まった。もともと一気に沸騰点に達する民族的特性もあり、それまでの反日運動とはケタ違いのうねりが朝鮮半島内に生まれたのだ。

ちょうどこのとき、李氏朝鮮26代の王で、「大韓帝国」の初代王になった高宗が亡くなった(1919年1月21日)。この高宗の葬儀に合わせて1919年3月1日に大規模な独立運動「3.1運動」が開始された。このとき朝鮮半島の反日勢力が初めて結集されたといっていいだろう。

この運動を機に、バラバラだった朝鮮半島の反日運動は統一され、上海に「大韓民国臨時政府」が創設された。漢城を中心に活動していた勢力やウラジオストック等の反日・独立運動もこの臨時政府に統一された。臨時政府は李承晩を大統領に据え、韓国独立を唱えた活動を開始したが、間もなく半島の民族独特の主導権争いが勃発。抗日・反日勢力は分化、細分化を重ね、臨時政府もそうした勢力の中の弱小な一団体へと転落してしまった。

光復軍の創設

共産主義勢力は朝鮮半島北部や満洲で「抗日パルチザン」活動を展開し、また日本人の黒田善次によって設立された「朝鮮義勇軍」は中国国民党軍の支援を受けて日本軍将兵の暗殺などを繰り返していた。ところが上海の「大韓民国臨時政府」は軍組織を持たず、抗日活動などまったくしていなかった。活動もしないうえに臨時政府は日本軍を怖れて逃げ回り、上海から杭州、長沙、広州、柳州と点々と移動を繰り返し、1940年(昭和15年)にやっと重慶に落ち着いた。

1940年9月、重慶に落ち着いた「大韓民国臨時政府」はその軍事組織として「光復軍」を創設。ここで、「光復軍は韓国・中国2国の独立を回復するために、共同の敵・日本帝国主義を打倒し、連合国の一員として抗戦する」と高らかに宣言を行った。しかしその実体は軍組織と呼べるものではなく、1年ほど経てやっと200~300人規模の人員を確保したに過ぎなかった。

ここで大きな疑問が沸き起こるはずだ。

韓国の亡命政府を名乗った「大韓民国臨時政府」は、上海から点々と移動し重慶に落ち着き、ここで初めて光復軍を設立した。しかし今年5月に中国政府が「光復軍の記念碑」を設置したのは、重慶ではなく陝西省西安市である。

なぜ西安なのか。ここに中韓の野望が透けて見えるのだ。

米戦略情報局の活動

重慶で設立された光復軍は、軍とは名ばかりの組織で、実戦経験も訓練もほとんどゼロに等しかった。それでも当初、形だけは第1支隊、第2支隊、第3支隊など5つの支隊に分かれ、中国国民党軍に混ざって軍事訓練を行おうとしていた。

そんな矢先の1941年(昭和16年)12月に、日本は米英軍との戦争に突入する。

日本軍によるマレー半島とハワイ真珠湾攻撃により、日本と米英軍との戦争が開始されたのはご存じの通りだが、じつは日本が米英に宣戦布告をするよりずっと前から、米英軍は中国軍を支援していた。中国軍支援のために「援蒋ルート」という道筋が作られ、香港経由あるいはベトナム、ビルマ(現ミャンマー)から陸路、中国内陸の昆明や延安に物資が送り続けられていた。援蒋ルートは蒋介石の国民党軍だけではなく、毛沢東の人民解放軍にも支援物資を送っていた。

このルートを使って、米OSS(戦略情報局)も中国の内陸に深く入り込んでいた。

OSSとは1942年(昭和17年)に「情報調整局」から発展して作られた米国の諜報機関である。OSSを作り、それを駆使して活躍したのがウイリアム・ドノバン大佐(最終階級は少将)。ドノバンは「CIAの父」とも呼ばれており、OSSが進化したものがCIAと考えてほぼ間違いはない。

欧州戦線におけるドノバンとOSSの活躍はよく知られているが、じつは中国でもOSSは活躍していた。

余談になるがドノバンのOSSはフーバー長官が率いるFBIとは非常に仲が悪く、またマッカーサー将軍もドノバンを毛嫌いし、OSSのフィリピンでの活動を禁止したほどだ。後の朝鮮戦争にもドノバン対マッカーサーの軋轢が見られると分析する者もいるほどだ。

米国を巻き込んだ「日本孤立化作戦」

1942年(昭和17年)に誕生したドノバンのOSS(戦略情報局)は、太平洋での戦闘で捕虜にした日本兵を選別することから始まった。当時は日本兵といっても、日本国籍の朝鮮人も台湾人もいた。OSSは日本人捕虜の中から朝鮮人を選び出し、彼らに対日戦のための再訓練を施して中国の西安に送り込んだのだ。

捕虜となった日本兵の中から選別され、徹底的に対日戦を訓練された朝鮮兵は、西安の光復軍第2支隊に送り込まれた。ここにはじつは、朝鮮人になりすました日本人もいた。米軍に捕虜となったとき、日本人と判ると殺されるとの恐怖から朝鮮人のふりをした日本兵もまた、西安の光復軍第2支隊に送り込まれた。こうして光復軍第2支隊はどんどん勢力を拡大していった。

また余談になって恐縮だが、OSSが捕虜の兵士を訓練したのは、西安だけではない。陥落後のサイパン島やチベットでも、朝鮮兵などの戦闘訓練を行っていた。光復軍第2支隊やサイパンで育て上げられた兵士は、全員が韓国軍兵士となったわけではない。OSSの目的は日本軍との戦闘を有利に展開するためにある。光復軍第2支隊に編入された優秀な兵士の中には、満洲や北朝鮮に入り込み、抗日パルチザン活動を展開した者もいた。彼らはやがて北朝鮮の人民軍兵士となり、朝鮮戦争時には前線で韓国兵を相手に戦った。さらに、朝鮮人に化けたつもりが日本人であると判明し、それでも対日戦を戦い抜く米側の兵士となって日本本土に潜入させられた日本人もいた。実現はしなかったが、彼らは皇居襲撃、天皇陛下暗殺の司令まで受けていたといわれる。

話を本題に戻そう。中国と韓国が結託して韓国臨時政府の「光復軍記念碑」を西安市に設置した理由は、もうおわかりだろう。

中韓両国は「光復軍記念碑」を西安に置くことで、「米国もわれわれと一緒に日本と戦った同志だ」という事実を強調し、「戦後70周年記念イベント」の主客として米国政府要人、できれば大統領を招こうとしている。

全世界から日本を排除する

「戦後70周年記念イベント」に米国を招待することは、100%間違いのないことだ。しかも中国は、この記念イベントをロシアと共同で開催するという。

5月に訪中したロシアのプーチン大統領は、習近平との首脳会談で中露戦略連携パートナーシップを謳い上げ、共同声明で「戦勝70周年」を祝う記念行事を、中露共同で行うことを発表している。

「第二次大戦における欧州及びアジアの戦場でのドイツ・ファシズム及び日本軍国主義に対する勝利70周年を慶祝する活動を共同で行い、歴史を歪曲し、戦後国際秩序を破壊する企みに引き続き断固反対していく。」

中韓だけではない。米露も巻き込んで「日本に戦勝したお祝い」をやり、日本を孤立化に追い込もうとしているのだ。しかし西安に「光復軍」の記念碑が設置された奥底に、もう一つ別な意味が隠されている。南北問題に関係するものだ。

朝鮮半島の南北統一は、北朝鮮にとっても韓国にとっても望ましいことで、両国はその日が来ることをずっと待ち望んでいた。かつては遠い夢物語だった半島統一は、いま非常に現実味を帯びた話になってきている。

半島統一の話題が出るたびに、北朝鮮主導か、韓国主導かが問われる。経済的には韓国が優位にあるが、精神的には北朝鮮が優位だ。どの程度が真実かは別として、北朝鮮建国の指導者である金日成は、抗日パルチザンとして戦い抜いた英雄。いっぽう韓国の李承晩は、上海の亡命政府(大韓民国臨時政府)の初代大統領だったが1年もしないうちに追放同然で米国に渡り、米国では韓国独立より「朝鮮半島の国連委任統治」を主張していた人物。朝鮮民族としてどちらを採るかとなれば、明らかに金日成に軍配が上がる。

しかし、大韓民国臨時政府が日本に対して抗日パルチザンばりの武力戦を挑んでいたとしたら、話は変わってくる。歴史とは真実の物語ではない。いかに説得性を以て語られるかである。

光復軍の物語は、金日成神話に対抗するためにも必要な物語であり、重要な記念碑なのだ。

今年になって日朝交渉が速度と内容を伴って進展している。日本独自の制裁は一部が解除され、日本人妻を初めとする大人数の日本国籍者が帰国する可能性も出てきている。このスピードで進展すれば、平壌宣言に基づいた日朝国交正常化も早期実現の可能性がある。そして日朝交渉に合わせるかのように、韓国の対北政策も変化し、統一を遠望した物語が動き始めている。

日朝国交正常化は、日本の政治経済に莫大な影響を及ぼすだけでなく、北東アジアの勢力図を大きく変化させる。しかし中韓だけでなく、米国を初めとする世界は、日朝国交正常化を望んでいない。とくに反日感情が強い韓国にとっては、日朝国交正常化は許しがたいものがある。

また北朝鮮、韓国両国民にとって、日朝よりも半島統一が優先されることも確かだ。

日朝国交正常化交渉が煮詰まってきたとき、半島統一というエサが撒かれれば、必然的に日朝交渉は後回しになる。韓国の動きは、近未来に半島統一がなされるという前提のものとも考えられる。そしてそこでは当然ながら、「反日思想に基づく半島統一」という理念が叫ばれる。

2015年(平成27年)に向けての「日本孤立化作戦」が着々と進んでいる。それは今この瞬間も、そして今年の終戦記念日、韓国の光復節の際にも、はっきりと姿を現すだろう。
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・・・・・・・・・
抜粋終わり


原発スキスキで、「放射能を食べて死のう!」スローガンで、さらに「アメリカ様のために死ね」が加わった日本の権力者・指導層は、中韓が策を凝らさずとも、世界の孤児になる。

マスコミ・東大・霞が関は、日本の「北朝鮮化」を狙っている。



まあ、死ねばいいのだ。


お読みくださりありがとうございます。
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