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故国の滅亡を伍子胥は生きてみれませんでしたが、私たちは生きてこの魔境カルト日本の滅亡を見ます。
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P R
DEEPLY JAPAN  より

上記文抜粋
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望月さんと現代の在郷軍人会


東京新聞の望月記者が記者らしい仕事をするのが政府は嫌いだということらしい。

官邸報道室は東京新聞に宛てた書面で「未確定な事実や単なる推測に基づく質疑応答がなされ、国民に誤解を生じさせるような事態は断じて許容できない」として、再発防止を強く求めた。

http://www.sankei.com/politics/news/170901/plt1709010045-n1.html



未確定な事実や推測に基づいて事案を理解可能なものにするというのが嫌いらしい。反知性主義の権化みたいな政権なので期待はしていないが、それにしてもバカだなぁと相変わらずそう思う。

で、そこで終わってはいけないわけで、望月さんは記者として仕事をしている、どんどん疑問を追及してもらいたい、と多くの人が支援していくことが重要なのは論を待たない。

だけどそれだけじゃなくて、この構図を見抜くことも重要ですね。例えばこんなの。

孫崎 享‏ @magosaki_ukeru 20時間20時間前

東京新聞、望月記者.同人を擁護するツイートをすると「ネトウヨ」が反論ツイートをしてくる。そして内閣広報室が東京新聞に書簡で警告。多分こうした動きは連動しているのであろう。凄まじい統制社会になりつつある。昔、中央政府が締め付けると同時に、跳ね上がりの軍人等使って脅す構図と類似。
30件の返信 2,008件のリツイート 1,333 いいね

https://twitter.com/magosaki_ukeru/status/903780276744011777



私もそう思うんですよ。この「ネトウヨ」は、単なる提灯持ちのネトウヨ以外に、「芯のネトウヨ」がいる。そこが、方向づけして、ネタを振りまいてナラティブ管理してると思う。だからこそ連動できる。

官房長官他の政治家の発言に連動しやすいタームを埋めて、それを外側の「芯のネトウヨ」部隊がひっぱる。そうして「世論」を作ってる、って感じ。

あと、何かいいニュースがあっても、それが政権なり彼らが望む方向と異なるものであった場合、さりげなくかわいいアイコンのついたツィッターなんかで、冷や水を浴びせてたりする。つまり、ここに問題があることが直ちに察知できる人々がいるということ。

また、小池都知事の関東大震災と朝鮮人虐殺の問題も、彼女が本当に何かを考えてそうしているのではなく、これが支持者層と、折からの日本は本当は素晴らしい、素晴らしくないことが言われているとしたらそれは誰かの陰謀だ、みたいな人々を繋ぎとめる「ネタ」として機能することがわかっているからやっていると思う。

話が面倒だったらすべて、それはパヨクが、それは工作員で、シナがシナがシナが~、朝日が朝日が朝日が~、となる、と。アホだと見抜く人もいるだろうが、真に受ける人も当然いるわけで、無駄でははない(彼らにとって)。

そしてこの様子は、現在のアメリカのいわゆる「ロシアゲート」がそっくりだなとも思う。要するに仕掛けてる人たちが同じか、相互参照関係にあるってことなんだと思いますけどね。



で、孫崎さんのおっしゃる「跳ね上がりの軍人等」は、官僚さんらしく「等」がついているわけですが(笑)、現職の軍人もいるけど、結構重要なのは、その意を汲んで拡散する、もっと薄く大きい、いわゆる退役軍人、在郷軍人会でしょう。

この人たちは、おおむねそんなにいろいろ知ってるわけじゃない。しかし、軍という、上位下達の仕組みと、仲間意識の強さから、どんなに変なことでも力で拡大していくための駒になる。

戦前の政治操作にとってこれは重要な駒だったと思うんですが、正史めいた歴史理解ではこれがなかなか出てこない。いや、有名な国体明徴事件のあたりとかで出てくるんだけど、国民をマニピュレートしていったという観点からの追及が弱いと思うな。関東大震災にも関係あると思う。

概ねこのへんで書いたりしている通り。

空っぽの国体明徴運動と日本の「悩み」

日本ガラパゴス化完遂法案



だから、まとめて考えると、現在のネトウヨは、「芯のネトウヨ」にひっぱられた現代の在郷軍人会組織的だなということ。おそらくこれは戦後ずっとひっぱてきた「右派」と総称される中にあった仕組みなんじゃないかとも思う。体育会系とか限りなく「ヤ」のつく人々に近い何かが保守政権の周辺に常に垣間見えたことともかぶる。



で、昨日、ドイツでナチ党は別に圧倒的な民意で政権についたわけではない、ナチ党は憲法をいじってない、という話、

「過去の亡霊」をよみがえらせる、だって好きだから?

を書いて、日本の様子はナチがドイツの権力を奪取して暴発していく過程と被ると書いたけど、いやほんと並べてみると似てると思う。やっぱり全権委任法と同機能の「緊急事態法」は狙ってると思うな。

戦前の日本の成り行きとも当然似てるが、あらためて考えてみるにナチの方により似てる。

なぜか。

戦前の日本は、軍とその周辺が目に付くようになる以前の姿が近代の政治システムとしてはまったく未熟だったからでしょう。建前はなんか近代っぽいが国民の締め方は天皇に帰順させる、しない奴は親不孝みたいなニュアンスの国賊だった。全然政治言論的でなく、国賊で排除するのに理由なんかない、という仕様でいけた。

しかし、現在は考える人や表現できる人が圧倒的に増え、対立する勢力が議会制民主主義的に存在し得る。だからこそ、より高度に言語を使った(あるいは言語と現実の脅しを組み合わせた)マニピュレーション(操作)が必要になる、って感じか思う。

つまり私たちは、ようやく1930年代のドイツに近づいたということだろうか(笑)。

しかし現実には1939年のポーランドになろうとしている気がして気が気でない私だったりはするのだが。

前に、労働者は団結しなかったが、大資本家は団結していた、みたいなネットで拾ったジョークのことを書いたけど、現在の日本のハンドリングの様子は、ハンドリングする奴らは歴史を良く見ているが、ハンドリングされる側はまったく勉強しない、など言ってみたいとも思う。



いずれにしても、望月さんを支えないとだわ。そして、これって男女差別的な言い方になるのかもしれないが、しかしあえて言おう。男は何をしているのだ、男は。

なんのために大きなお茶碗でご飯を食べてると思ってるんですか、などとも言ってみたい。


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抜粋終わり


結構いい文。


明治の残骸が、ナチスの皮も着込んで、復活しようとしている。


シャンティ・フーラ より


上記文抜粋
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前川喜平・前文科省事務次官「学校に行かないことに負い目を感じる必要はない」「死にたいくらい辛いなら、学校に行くな!」と呼びかけ

竹下雅敏氏からの情報です。
 読者の方から情報を頂きました。なんと、あの前川喜平・前文科省事務次官が、“学校に行けないこと、行かないことに負い目を感じる必要はない”として、“もっと明るく不登校をするといい”と言っています。
 昨日の記事で、“積極的不登校、ポジティブな引きこもり”を勧めましたが、これはもはや、文科省のお墨付きをもらったようなものです。
 人間の価値は成績や学歴とは無関係です。成績優秀で官僚になって国税庁長官にまで出世しても、誰もかれもから嫌われるようでは、実に悲しい人生だと言わざるを得ません。その意味で、現在の安倍政権には、“人間、ああなったら終わりだよな〜”という反面教師が山のように居て、実に良い勉強になります。学校の先生は、ぜひとも、“人間はどう生きるべきか”を反面教師を題材にして、しっかりと道徳教育を行ってもらいたいものだと思います。
 誰もが幸福になりたいのです。ネット上には可愛らしい動物の癒し系動画があふれていますが、動画を見て癒されるのは、飼い主と動物たちの信頼関係のおこぼれに預かれるからだと思うのです。私たちは、可愛い動物たちに、“ただそこに居てもらうだけでいい”という関わり方をします。なので、そこに愛情も信頼関係も生まれるのです。
 親と子の在り方も、同じでは無いでしょうか。子供に成績のことを言うのは止めませんか? 宿題をする、しないなど、どうでもいい事ではないでしょうか。もし、両親が子供に対して、“ただ居てくれるだけでいい”という関わり方をすれば、親子関係は直ちに正常化します。
 本来の人間関係とは、このように一切の損得勘定無しに、互いに何も期待しないところで育まれるものなのです。夫婦関係、親子関係は、このような宝を育むために、天から与えられたものなのです。人間として成熟するための千載一遇のチャンスを与えられているのに、それを逃し、本来の喜びも充足感も得られない仕事に逃避する人々が、何と多いことか。
 間違った生き方をしている人々が多いという証として、離婚の多さが挙げられると思います。もし、あなたが十分な個人資産を持ち、1人での生活に困らないとしたら、現在の配偶者と果たして一緒にいるでしょうか? 現在、そして老後の生活のために仕方なく夫婦でいるというのは、偽りの関係です。
 要するに、地球上の人々の人間関係というのは、ほぼ100%損得勘定に基づいたもので、真の関係と呼べるものは、ほとんど存在していないと思われるのです。そのような関係は、若干、人間とペットの間に見受けられるように思います。
 その真の関係を、私たちは“愛”と呼んでいるのではないでしょうか。
(竹下雅敏)


「夏休み明け、死にたいくらい辛いなら、学校に行くな!」前川喜平・前文科省事務次官が子供たちに呼びかけ
引用元) HARBOR BUSINESS Online 17/9/1

◆“学校に行かない”キャンペーンをしたいくらい
「日本中の、学校に行きたくない子供に言いたい。死にたくなるぐらいの気持ちがあるのなら絶対に学校に行くな!
 前川喜平・前文科省事務次官が8月20日、東日本大震災の被災地・宮城県南三陸町で行われた講演会でこう呼びかけた。
(中略)
「『学校はどうしても行かないといけない所』という強迫観念が日本中を未だに覆っている。これをいかになくすのかが大事です。“学校に行かない”キャンペーンをしたいぐらいです。これから2学期が始まります。(夏休み明けが)本当に危ないのです」
(中略)
前川氏:(中略)… 自分の命が絶対に大事なのであって、命よりも学校に行くことを優先する考え方はまったく馬鹿げています。義務教育の「義務」というのは、親のほうの義務なのです。(中略)… 子供は権利者なのです。「(憲法第26条にある)すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する」とある。(中略)… だから、学校外で学ぶ場を正面から認める法律ができたんです。
学校に行けないこと、行かないことに負い目を感じる必要はない。「何か悪いことをしているのではないか」とかという気持ちを抱く必要はまったくない。もっと明るく不登校をするといいと思います。私のこの考えは、文科省の中でもかなり異端なのですが、この新しい法律ができたことでだいぶ変わってきています。
(以下略)

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抜粋終わり

HARBOR BUSINESS Online より

上記文抜粋
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「夏休み明け、死にたいくらい辛いなら、学校に行くな!」前川喜平・前文科省事務次官が子供たちに呼びかけ


◆“学校に行かない”キャンペーンをしたいくらい

「日本中の、学校に行きたくない子供に言いたい。死にたくなるぐらいの気持ちがあるのなら絶対に学校に行くな!」

 前川喜平・前文科省事務次官が8月20日、東日本大震災の被災地・宮城県南三陸町で行われた講演会でこう呼びかけた。その講演会とは、東北6県の高校生約50人が参加した「U-18東北次世代リーダーカンファレンス」(NPO法人「キッズドア」主催)。

 前川氏はこう続けた。

「『学校はどうしても行かないといけない所』という強迫観念が日本中を未だに覆っている。これをいかになくすのかが大事です。“学校に行かない”キャンペーンをしたいぐらいです。これから2学期が始まります。(夏休み明けが)本当に危ないのです」

※講演のときはまだ夏休み中

◆学校に行くのは、子供の「義務」ではなく「権利」

 男子高校生が前川氏に質問をした。

男子高校生:僕の学校に『学校に行かないといけない“義務”がある』という先生がいるのですが、それで学校を休めなかったりして心を痛めている人が友達にいます。どういうふうにお考えですか?

前川氏:「死にたいぐらい学校に行くのが嫌だ」とか、「またいじめられてしまう」とか、ものすごく辛い思いをしながら学校に行っている子供は多いわけですよね。いじめによる自殺は後を絶たない。学校に行って、死にたくなるくらいの思いをするのなら、絶対に学校に行くべきではない。

 自分の命が絶対に大事なのであって、命よりも学校に行くことを優先する考え方はまったく馬鹿げています。義務教育の「義務」というのは、親のほうの義務なのです。憲法第26条第二項、「すべての国民は法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負う」とあります。

 つまり「保護する子女に受けさせる」というのは、「親が子に対して教育を受けさせる」ということ。義務教育の義務が課されているのは親、保護者のほうなのです。

 子供は権利者なのです。「(憲法第26条にある)すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する」とある。子供は権利者なので、これを「学習権」と呼んでいるわけです。

 その学習権は、学校に行かなければ満たされないのかというと、そんなことはない。学校以外にも方法がある。だからフリースクールが存在しているし、フリースクールで学んで立派な社会人になった人もたくさんいる。学校がすべてではない。

 むしろ、学校に行ったら死にたくなるぐらいなら、絶対に行ってはいけない。そんな危険なところはないでしょう。命をかけてまで学校に行くべきではないんです。だから、学校外で学ぶ場を正面から認める法律ができたんです。

 学校に行けないこと、行かないことに負い目を感じる必要はない。「何か悪いことをしているのではないか」とかという気持ちを抱く必要はまったくない。もっと明るく不登校をするといいと思います。私のこの考えは、文科省の中でもかなり異端なのですが、この新しい法律ができたことでだいぶ変わってきています。

◆不登校の生徒や、学齢期に学べなかった人たちのために、全国に公立夜間中学を

 前川氏は「福島駅前自主夜間中学」という公立夜間中学で、手弁当での講師もしている。

「公立夜間中学」とは、不登校や貧困などを理由に中学で十分に学ぶことができなかった、15歳以上の人たちが夜間に通う学校だ。各地方自治体が経費を負担して運営している。すでに全国に31校あるが、東京や関西に集中しており、東北や北海道には一校もなかった。そこで「東北にも作ろう」と思い立った民間団体が、まず「自主夜間中学」を福島駅前で週1回始めていたのだ。

 私塾としてスタートして住民や自治体関係者らに必要性を認めてもらい、税金で運営する公立夜間中学の設立につなげようという”二段階作戦”だが、この活動を知った前川氏は自らボランティア講師を買って出ていたのである。東京と福島を往復する交通費も自腹だという。

 前川氏は「人にはいくつになっても学ぶ権利がある。夜間中学は義務教育の最後のよりどころだ」と語る。


「埼玉県川口市や千葉県松戸市、札幌市で公立夜間中学をつくる動きがでています。ぜひ福島市でも動き出してほしい。(全国で12万人いる)不登校の生徒にとって、公立中学のほかに別の中学があることはとても大事です。学校が辛くなったら、行かなくていい。

 そして、学齢期に学べなかった子どもたちに教育の機会を与えるために、特別な時間帯に開かれる学校が必要です。私は学びたい人たちが十分に学べる場を作る仕事をしていきたい。前文科事務次官の肩書きがどこまで通じるかわからないが、もしそれがなくなったら『福島駅前自主夜間中学』の前川喜平という肩書きで頑張りたい」(前川氏)

 前川氏の発言といえば加計学園問題ばかりに注目が集まっているが、こうした教育に対する真摯な姿勢にも注目していきたい。

<取材・文・写真/横田一>

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抜粋終わり

>「(憲法第26条にある)すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する」とある。子供は権利者なので、これを「学習権」と呼んでいるわけです。

> その学習権は、学校に行かなければ満たされないのかというと、そんなことはない。学校以外にも方法がある。だからフリースクールが存在しているし、フリースクールで学んで立派な社会人になった人もたくさんいる。学校がすべてではない。

> むしろ、学校に行ったら死にたくなるぐらいなら、絶対に行ってはいけない。そんな危険なところはないでしょう。命をかけてまで学校に行くべきではないんです。だから、学校外で学ぶ場を正面から認める法律ができたんです。


これは、逆な「明治日本偽帝国の思想的崩壊・革命」の序曲的な話。

脱天皇教・脱西欧崇拝・脱権威崇拝の序章とも言い得る話。


まさに、思想・信条の関ヶ原が日本で起きている。魂の関ヶ原が起きている・・・。

お読みくださりありがとうございます。
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