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故国の滅亡を伍子胥は生きてみれませんでしたが、私たちは生きてこの魔境カルト日本の滅亡を見ます。
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P R
中外日報 より

上記文抜粋
・・・・・・・・・
仏道歩む手助けになるか 施行された「障害者差別解消法」

今年4月、「障害者差別解消法」(障害を理由とする差別の解消の推進に関する法律)が施行された。日本国民の約6・7%が何らかの障害を有しているとされる。障害のある人もない人も共に生きる社会を目指そうという流れにあって、法の整備は障害のある人たちが仏道を歩もうとする助けになるのか、寺院・宗派も待ったなしの対応を迫られている。(甲田貴之)

障害者差別解消法では、「不当な差別的取り扱い」と「合理的配慮の不提供」が差別に当たると定めている。不当な差別的取り扱いとは、障害があるという理由だけで入店を断る、スポーツクラブや習い事教室への入会を拒否するといったケース。合理的配慮の不提供は、視覚障害のある人に書類を渡すだけで読み上げない、知的障害のある人に分かりやすく説明しようとしないことが該当する。不当な差別的取り扱いは禁止されているが、合理的配慮は会社や店舗などに対しては、負担が重過ぎない程度で対応することを求めている。

11月に開かれた真言宗豊山派の宗会代表質問で障害者差別解消法の施行をめぐり、障害者と僧堂修行の在り方について宗派の現状認識などが示された。

代表質問の議員は、「僧侶及び教師規程」第1条2で「左の各号の一に該当する者は、得度を受けることができない」とし、その要件に「僧侶として不適当と認められる者」と定めていることを挙げ、「具体的には何を示すのか」とただした。

これに対して内局側は「規程中に不適当の具体例を明示しているわけでなく、あえて言えば懲戒の対象となる行為をした者と認識している」と答弁。

さらに、同派僧侶が行う基本的な修行の四度加行を障害者が受けることを希望した場合を例に、「各専門道場で、どの程度の負担であれば受け入れが可能なのかが異なるため、宗派で一律に決めることは避けるべきで、現場の最高責任者に任せるべきだ」と述べた。

また、同内局の教化担当者は「障害者差別解消法において、宗派や寺院は事業者に当たると考えられ、施設や僧堂教育など様々なケースで合理的配慮をしなければならないだろう」と、今後対応を検討するとの前向きな姿勢を見せた。

「障害者は坊さんになれない?」 差別解消法は門戸を開くのか

各寺院では参拝者に対する施設のバリアフリー化を進める一方で、障害のある僧侶や僧侶を目指す人たちに対して、宗派や修行道場では等しく門戸を開く方向に進んでいるのか。今回の法整備以前から困難な中、障害がありながら僧侶の道を切り開いてきた人たちがいる。彼らからは宗派の取り組みに疑問や不信の声が聞こえる。

「障害者差別解消法」の制定にも携わった、NPO日本アビリティーズ協会副会長の萩原直三・曹洞宗社会福祉連盟理事(69)は「僧侶は自らが障害を持つかもしれないという意識が薄い。しかし、障害のある方々にはこの際、積極的に前に出ていただきたい」とし、各教団で差別解消のための研修会を開いて前に進む必要性を指摘する。

「片腕の人間は印が結べない」 忘れられない差別の言葉

「僧侶の世界でも差別はあった」。そう訴えるのは、真言宗智山派東円寺(栃木県市貝町)の山口幸照長老(64)だ。へその緒が体に巻き付いた「臍帯巻絡」の状態で生まれ、絡み付いていた右腕を失った。「一上肢の機能の著しい障害」として身体障害者3級に認められている。

5歳の頃に父の先代住職が亡くなった。社会福祉を学ぶため淑徳大に進学したが、跡を継いでもらいたいとの檀家からの要望もあり、卒業後は智山専修学院に入り、教師の道に進もうとした。他の院生と共にお経や加行を学んでいたが、当時の指導者から「片腕の人間は印が結べないので、僧侶にはなれない」と告げられた。真言宗中興の祖・興教大師覚鑁が『五輪九字明秘密釈』で説く「一密成仏」を「手に印を結ぶ身密ができなくとも、真言を唱える口密、あるいは心に本尊を観念する意密を行うことができれば良いと説いている」と解釈し、指導者に伝えたが、相手にはされなかった。

専修学院にいながら僧侶になれないことに失望し、修行期間に定められている1年を待たず、退学。1977年、僧侶の道を諦めて栃木県庁に勤めた。その後、師僧から教区講習会に出席するように勧められ、何度か参加していると、権律師の任命と住職辞令が届き、東円寺の住職となった。どのような経緯があったかは当時の関係者の多くがすでに亡くなっており、不明だ。

その後も「障害者は坊さんにはなれない」「障害者は生きるのが大変だろう」と他の僧侶から心ない言葉を投げられ、悔しい思いをした。一方で理解を示してくれる僧侶もおり、住職に就任することを喜んでくれた檀家が心の支えとなった。周囲の理解が進む中で、社会福祉に関する知識を生かし、高野山大の客員教授として医療現場の宗教の役割について研究を行うようになった。

すでに息子に住職を譲っているが、現在も毎月第4土曜日には護摩を行い、集まった檀信徒らと交流する茶話会を開いている。住職になって30年以上、常に工夫を重ね、護摩を焚く動作は滑らかだ。「普段の法要ではできないことはほとんどありません。大般若転読も経本を脇で固定して唱えることができます」。檀信徒から「相談に乗ってもらいたい」と声を掛けられることもしばしばだ。

「自分自身が障害を持って苦しんだ経験が、悩みに応えるのに役立っているかもしれない。今でも健常者であればどうだっただろうかと考えたり、受けた暴言を昨日のことのように思うことはある。しかし、僧侶として生きる上ではつらかったことが良い肥やしになっているのかもしれない。障害を持ちながらも僧侶として生きて救われたいと思っている人はいる。宗派として、しっかりとした見解を出してもらいたい」

障害に対し無関心 見えないハンディを努力で乗り越える

東京都にある寺院の住職(75)は生まれつき「網膜色素変性症」で視力が弱かった。徐々に視力は低下し、現在は全く見えない。「法要で読む表白文などは全て暗記する。そうした努力を続けてきた」と話す。本堂では何歩進めばどこに位置し、何がどこにあるのかは把握しているため、法務を行うのに支障はないという。

僧侶になるための修行道場に入った時には、弱視ではあったが視力があり、仲間の手助けもあったため、苦労はなかった。今も外出時、車から降りる際などには若い僧侶が手助けに駆け付けてくれる。「周りに親切な人が多い」と受け止めているが、宗派からの支援を受けることはなかったのも事実と話す。

遺伝のため、親族には同じく網膜色素変性症を患っている人もいる。近年、弟が急死して寺が住職不在になったため、鍼灸師を目指して勉強中だったおいが急遽、教師資格を取ることになった。その際、宗派の職員から「目が悪い人は僧侶にはなれない」と言われた。「実際に目が悪くとも住職をしている人間がいる中でそんなことを言うとは。宗派としての決まり以前に、面倒くさいから対応しないという姿勢に思えた」と憤る。障害者がいると何か問題があったときに困るといった、関わりたくないという僧侶がいることを指摘。また、僧侶になろうという障害のある人が少ないため、どう支援するかといったことは議論の俎上にも載らないのが現状とこの住職は言う。

人に手を借りなければならないというつらさもある中で、檀信徒が離れないよう宗教活動で「できないこと」がないよう努力してきた。「(目が見えないという)与えられた環境を受け止めて一生懸命やっている。障害者もまた僧侶としてやっていくためにはそれ相応の努力をしなければならない」とハンディを乗り越えた僧侶の強い気持ちを語る。


障害語れる教学が必要 授かった子に教えられ

髙佐宣長・日蓮宗善行院(東京都墨田区)住職(56)は重度の知的障害のある長男を通じて、教学の現代化の必要性を感じている。祖父の髙佐日煌が創立した日蓮宗霊断師会では、信心を持って題目を唱えることで御利益が頂けると説く。「我々僧侶も御利益を頂けていることを世間の人に分かりやすく伝えることが大切だが、一般の方々から見れば、障害を持った子どもを授かることが御利益とは思い難いであろう。御利益とは何なのか、成仏するとはどういうことなのか。障害を持った方々に向けて教学を補っていきたい。障害を持つ長男を授かったことで、考えるお役目を頂いた」と言う。

現在、17歳になる長男は自閉症系の発達障害を抱えており、実際の知能は2、3歳程度とされている。現在は特別支援学校に通っている。僧侶になってもらいたいという希望はあったかという問いに、髙佐住職は首を振る。「本人が意思を持って修行できるのかという現実的な問題がある。基本的に智の宗教である仏教にとって、重度の知的障害を持った人が僧侶になれるのかは根幹の問題であり、各宗派の教義においても同様だろう」と。

また、檀家の理解を得る難しさも指摘する。幼い頃には檀家の年回法要中に大声を出してしまうこともあった。檀家がどう受け止めているのかは分からない。法事などでは事情を知らない親族等も訪れる。「もともとお寺は世俗とは切り離された空間であり、そこに荘厳さもあった。障害を持つ子がいることで、儀式に求められる秩序を乱すこともあり、檀家さんの前に出て行かないよう配慮せざるを得ないことには複雑な思いもある」。それでも、寺の催す行事には参列し、今では団扇太鼓をたたいたりお題目を唱えている。

髙佐住職は、障害のある人もない人もそれぞれがその人らしく共に生きられる社会の実現を願っている。


・・・・・・・・・
・・・・・・
抜粋終わり


高野山真言宗 ちょっとした尼僧のちょっとした四方山話 より

上記文抜粋
・・・・・・

ここまでで、絶対やれるようになっておく、覚えておいた方がいいと思うぜっ!!!って事。

まずはニヒヒ

正座慣れしといて!!
1時間くらいは平気で正座ですゲッソリアセアセ

准胝観音さんの真言は覚えといて!
待機する場面がありますが、その時に長時間拝みます!お願いハッ


五体投地は練習しといて!
しかも足痺れた状態も練習しとくべし!
長時間正座のち、いきなり父母に三礼!!!!
とか号令かかって五体投地の三礼をしますから…
それはもう見事にバタバタと得度を受けに来られている仲間は倒れそうになり、まともにできません。アセアセアセアセアセアセアセアセアセアセ

衣の着方、如法衣の付け方は教えて貰えるなら教えてもらってたほうが無難!
時間が限られているので、そこでマスターするには厳しいかも。
だからちょっと教わっておくと、後が楽!

足を崩してもいいよの言葉には要注意!
習礼中、長い事正座が続くので、今は足を崩していいよと言われる場面が時折あります
その時は白衣を着ていますが、特に男性諸君は注意した方がいい!
崩していいと言われて胡座なんてかこうものなら!
今、貴方は何を着ていますか?白衣ですよ。
何を着ているかを意識して足を崩しなさい。
と、怒られます!
確かに…儀式に挑んでいるわけで、胡座はかいてもはだけないよう意識する心がけ、神聖な衣を付けているという事を忘れてはいけない。
ごもっとも…なわけですよ。
一瞬崩していーっていったじゃん!って理不尽なも聞こえるけれども、確かになーと思いましたよ。

つーか、そこが理不尽だろ!って思ってやまない人は、遅かれ早かれ戦線離脱はやってきそうだけどね…

だからだ…結果その人となりを見られてるわけなのよ。
そこをやれるかどうかを、今後のあたりを、結構みられてるぞーーー!

ってことです。ニヒヒおいで

あとはしっかり休むべし

本番は意外と朝早いっすよニヤリ晴れ

って事であまりにも長くなるので、今日は得度式習礼バージョンとしときますわえータラー

んでは皆々様

またまたまたまたにねーんちゅーピンクハート


合掌!!


礼拝!!!!
・・・・・
・・・・・・
抜粋終わり

>正座慣れしといて!!
1時間くらいは平気で正座ですゲッソリアセアセ

>五体投地は練習しといて!
しかも足痺れた状態も練習しとくべし!
長時間正座のち、いきなり父母に三礼!!!!
とか号令かかって五体投地の三礼をしますから…


こういうのは障碍者で、已む得ずできない場合もある。

そういう場合どうなるのだろうか・・・

>当時の指導者から「片腕の人間は印が結べないので、僧侶にはなれない」と告げられた。真言宗中興の祖・興教大師覚鑁が『五輪九字明秘密釈』で説く「一密成仏」を「手に印を結ぶ身密ができなくとも、真言を唱える口密、あるいは心に本尊を観念する意密を行うことができれば良いと説いている」と解釈し、指導者に伝えたが、相手にはされなかった。

>1977年、僧侶の道を諦めて栃木県庁に勤めた。その後、師僧から教区講習会に出席するように勧められ、何度か参加していると、権律師の任命と住職辞令が届き、東円寺の住職となった。どのような経緯があったかは当時の関係者の多くがすでに亡くなっており、不明だ。


こういうのはどういうことなのだろうか・・・

一応知る限りでは、印を結べないと、身密は難しいって説だが。


>常に工夫を重ね、護摩を焚く動作は滑らかだ。「普段の法要ではできないことはほとんどありません。大般若転読も経本を脇で固定して唱えることができます」

なにか別の特殊な法もあり、それを山口幸照長老の工夫と合わせて、定型者と変わらないようにできるようになったようです。

あと、大石順教さんとかも居ますのでね・・・大石順教 ウイキ




>自分自身が障害を持って苦しんだ経験が、悩みに応えるのに役立っているかもしれない。今でも健常者であればどうだっただろうかと考えたり、受けた暴言を昨日のことのように思うことはある。しかし、僧侶として生きる上ではつらかったことが良い肥やしになっているのかもしれない。

五体満足でも、障碍者や弱っている人・不遇の人を理解し助けようともしない坊主よりも、障害があって多少瑕瑾があるかもしれないが、障害や不遇を理解できる坊さんの方が在家の人にはその方が有り難く、その方が菩薩で仏教者として真っ当ではないのか。



まあ、でも、身体をある程度経由しないと、仏教を始め、宗教はわからんところが多い。


ので、

>障害語れる教学が必要


のが必要にも思える気がする。


お読みくださりありがとうございます。
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