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故国の滅亡を伍子胥は生きてみれませんでしたが、私たちは生きてこの魔境カルト日本の滅亡を見ます。
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なぜ、天皇制が追い詰められているのか。


簡単にいうと、「嘘」ばかりで、

自分だけ楽しんでいる」から。

て今の皇族はマトモそうだが、天皇真理教徒は、仏教抜きでPTSDの肉塊となった明治以降の皇族のよう我利我利の亡者に見事になっているので、「お前だけ足抜けさせるか!」で籠池夫妻を苦しめる以上に「天皇と心中」を狙っている。


だからPTSD教の「天皇制」を辞めて、一介の栄光ある日本の庶民になりなさい天皇家の方々は・・。

そもそも「先制攻撃」が有効なのは、それで主導権を握れるからである。が、その先制攻撃自体が「戦略・外交」で誘導されたものならば、先制攻撃をしても主導権を握り返せるものではない。
前の戦争で真珠湾でドンといったが、結局主導権を握り切れなかった。米英に誘い込まれて「暴発した」だけで、米英に「日本を潰す口実を与えた」だけで、米英の戦略・外交での先制攻撃・主導権を奪還できなかった。

この安倍総統と天皇真理教国家の「先制攻撃容認論」は、簡単にいうと、「戦略・外交で負けたので、やけっぱちで暴発する」だけで、まあ放射能以上に早くリニアで浄土へ往きたいだけなのである。
まあそのような阿呆なことをするよりも念仏か真言でも唱えている方が、浄土へ確実に安心・安全にいけるけど、仏教を捨ててカルト信仰しているのでそのこともわからなくなった。


光武帝と建武二十八宿将伝 より

上記文抜粋
・・・・・・・・・

 劉秀は悪く言えば主体性がなく、周囲の期待を吸い上げて生きてきた。劉秀の生涯からは、彼自身の意志や願望がほとんど見えない。
 劉秀はいったい何を望み、何を夢見て生きたのか。
 劉秀は一貫して他人を喜ばせることで自分も喜ぶという人間である。劉秀の言葉には次のようなものがある。
「人とともに楽しめばその楽しみは長く続くが、自分一人で楽しむのは長く続かず無くなるものだ(楽人者其楽長,楽身者不久而亡。)」
 劉秀は天性の世話好きであり、お節介な人間である。酒も飲めないのに宴会好きなのも、他人が喜ぶ姿を見るのが楽しいのである。自分自身で楽しむよりも、他人と楽しむのがよいというのは心からの実感であった。
 家庭でも、家計を破綻させそうな兄の劉縯のため農業に努めて稼いだし、税金の減免交渉に出たり、姉の結婚相手を探すのに協力したりと、ここでも他人の世話ばかりである。長安での学生時代も同級生のために解説してあげたり、郷里から上京してきた人に情報を与えたりしていた。いい人づくしである。
 侠客とつき合いがあり裏社会に通じているという裏の面があると思ったら、そこで行ったことも逃亡者を匿って逃がしてあげることだった。どこまでも困っている人を助けるのが何よりも好きな性格なのだ。
 河北へ脱出したとき、自らのことを考えれば河北の有力者と連携し独立の準備をすべきなのに、そうせずに、王莽の新法で法律にかかって困っている人々を救済する作業を始めた。
 王郎との戦いが終わったとき、敵に内通した者の内心を思いやって許してやり、銅馬軍との戦いの後は自分の命をかけて不安におびえる銅馬軍を安心させた。皇帝に即位すると兵士たちの家族との再会の願いを叶えるため奴婢の解放令を出した。隠者を招聘しても相手が拒絶すれば強要せずに、相手の志に従った。
 皇帝になっても相手の気持ちを考えて喜ばせるという劉秀の行動原理は変わらなかった。
 死に際しての遺言が「朕は百姓に益するところなし」という衝撃的な言葉で始まるのも、自分が他人に何ができるかということを常に念頭に置いていたことを示している。最後の瞬間まで他人に対して何をできるかを考えていたのだ。劉秀の言葉や行動には、常に相手の視点から見て考え、相手の望みをかなえるという思想がこもっている。そしてそれを自分の喜びとして取り込んでいくのが劉秀なのである。
 この劉秀の性格をかつて馬援は、人にしてあげられることがあればすべてしてあげようとする人だ(極盡下恩)と評したほどである。
 ただ人の望みをかなえることばかり考えて、人に与え続ける生涯を生きた劉秀は、逆説的にも世界のすべてが自分のものになってしまう。それも文字通りの世界帝国の支配者としての物質的なものだけでなく精神的なもの――国民からの厚い信頼、美しい妻と愛する家族、生涯変わらぬ戦場の戦士たちとの友情……。
 しかしもちろん劉秀にとって何が本当に欲しかったものなのかは明白だ。
 無数の押しつけられるように得たものの中で、ただ一つ、公言して自ら望んで得たもの。
 ところがこのただ一つの願望を実現するには、信じられないほど大きなことを成し遂げなければならなかった。離ればなれになった陰麗華と再会するためには、皇帝になって郷里に帰る以外に道はなかったのだ。
 陰麗華との息子である明帝劉陽は、母親思いでしばしば両親の夢を見た。そこでは劉秀と陰麗華がいつものように楽しく会話していたという(先帝太后如平生歓)。"歓"とは声を出してにぎやかに騒ぐことを言う。冗談を言うのが何より好きな劉秀と、時にはその冗談が嫌いと反発した陰麗華。二人がどんな愉快で楽しい会話をしていたか想像に余る、二人の仲睦まじさが偲ばれるエピソードである。
 劉秀は、その夢を実現したのである。

・・・・・・・
・・・・・・・・
抜粋終わり


もう、朕とか天皇陛下とか辞めて、もっと自由に楽しく生きないと、西欧のゴロツキに皆殺しされるかもしれないよ・・・・。


お読みくださりありがとうございます。
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夢を取り返すと思ったこと
  • from ナオト :
  • 2018/02/27 (19:52) :
  • Edit :
  • Res
「時代が変わっても   生まれ変わっても


同じ意識   同じエネルギー


同じ魂に突き動かされ   生きていくから



それはきっと   私たちも同じ




何度も何度も   ループして


何度も何度も   同じ間違いを起こす


終わりかけてやっと   同じ失敗をしたことに


気づいて


気が付いたときには   生まれ変わって


記憶を消されて   また同じことを繰り返す





夢を取り戻さない限り」
http://suishounohibiki.blog.fc2.com/?m&no=863
から引用

Re:夢を取り返すと思ったこと
2018/02/27 20:37
>「時代が変わっても   生まれ変わっても
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>同じ意識   同じエネルギー
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>同じ魂に突き動かされ   生きていくから
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>それはきっと   私たちも同じ
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>何度も何度も   ループして
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>何度も何度も   同じ間違いを起こす
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>終わりかけてやっと   同じ失敗をしたことに
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>気づいて
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>気が付いたときには   生まれ変わって
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>記憶を消されて   また同じことを繰り返す
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>
>夢を取り戻さない限り」
>http://suishounohibiki.blog.fc2.com/?m&no=863
>から引用
>


多分。

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