故国の滅亡を伍子胥は生きてみれませんでしたが、私たちは生きてこの魔境カルト日本の滅亡を見ます。
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野球の記録で話したい。より
上記文抜粋
・・・・・・・・・・・
「いい遊び」としての野球
私はスポーツ全般が全然できなかった。それが劣等感になっていた。空き地の野球ごっこでも私はごまめになることが多かった。
高校に入ってから草野球に目覚めた。私の高校は甲子園の優勝校だったが、それとは関係なく草野球に加入し、ボールを投げているうちにだんだんいいボールが投げられるようになった。
大学に入ってしばらく、新聞配達をしていたが、朝晩自転車で新聞を配達しているうちに足腰が鍛えられてどんどん球速が伸びていった。
当時は、スピードガンが出回ったばかりだったが、軟式で110㎞/hオーバーを記録した。新聞販売店の野球大会ではほとんど安打を打たれなかった。これが私のキャリアハイだ。
大学では草野球の捕手をした。
大学を出て上方落語協会に勤めたが、この時期は年間100試合くらいした。このころにはたくさんお酒を飲んでいたので、野球の質は落ちたが、それでも野球好きはずっと続いた。
企業に勤めても、40歳過ぎまでは野球をした。グラウンドをとってチームを呼んでくるのは私の役割だった。
私は小さいころから「野球の記録好き」ではあったが、それと「野球をする」ことは全く別物だった。しかし、実際に野球をしたことで「数字がプレーと結びつく」リアリティを感じるようになった。そしてプロや天野選手の一つ一つのプレーが、いとおしいような気持になった。
当サイトにも「野球をしたこともないやつに何がわかる」と言う人が時々来るが、「野球をする」とは、高校や大学で本格的に野球をすることだけを言うのではないと思う。
レベルが低くても自分なりに「野球の楽しさ」を追い求め、自分の「キャリアハイ」を実感することができれば、それは「野球経験」といえるのではないか。
私は「厳しい練習」も「恐ろしい指導者」も直接的には知らないが、それはおそらく「野球の本質」とはあまり関係がないと思う。
「野球の本質」は「楽しいもの」であり、自信や喜びを与えてくれるものだ。つまるところ「いい遊び」なのだと思う。だから一生付き合っていきたいと思う。
今後の野球が生き残るためには「いい遊び」としての「野球」をはっきり前面に出していかなければならないだろう。
それは我々みたいな低レベルの野球だけでなく、トッププロの世界も同様だ。
・・中略・・・
1. 遍照飛竜 2020年01月05日 11:17
日本の諸芸が、野球同様に「いい遊び」でなくなって、細っていく傾向がみられます。
真剣にやると人・遊ぶ人・・とすみ分けできて楽しめたらいいのですが、真剣にやる人がおせっかいでまずつぶれます。
信仰と違うのだしね・・・
ひねくれた言い方をすると、まっとうな個々人の信仰なり哲学がないから、野球を「野球道」にする。
てね。
・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・
抜粋おわり
私のコメントも入れてみました。
そもそも日本人がやたらと諸芸を洗練化させすぎるのは、その個々人の信仰なり哲学・志操が貧弱で、その補償としての「諸芸・諸道」と思える。
洗練化させすぎて「楽しめない」
そもそも信仰でも宗教でもないのですは、野球もスポーツも。
その辺の事情って、合気道の植芝盛平が出口王仁三郎にイカレて大本教信者になったてことと。
形意拳・八卦掌を修めて、太極拳を習得したときに「形意拳・八卦掌・太極拳。それに儒学・道教・仏教に、武術は、根本が一致する」と悟って、孫氏太極拳を創始したけど、別に宗教にはまらず宗教を作らず、道教的信仰で生きて死んでいった孫禄堂。
の差で見える気がする。
参考
参考2
凡人からみたら、植芝も孫も巨人だが、あえて斜に見ると、孫のほうが器が大きい。
その一因が、天皇制・天皇で日本は政治思想・社会思想を発展させれなかったうえに、仏教を明治のときにぶん殴った。
これが庶民レベルの文系的な資質やモラルの衰亡の大きな原因と思えます。
天皇の威力が弱いと、上泉信綱や柳生宗厳のような、超人的武術家にして思想家を生み、天皇の威力が強いと、傑出した植芝盛平も準カルト信者になる。
こりゃ、「天皇」が日本人最大の害悪と了解できる。
お読みくださりありがとうございます。
上記文抜粋
・・・・・・・・・・・
「いい遊び」としての野球
私はスポーツ全般が全然できなかった。それが劣等感になっていた。空き地の野球ごっこでも私はごまめになることが多かった。
高校に入ってから草野球に目覚めた。私の高校は甲子園の優勝校だったが、それとは関係なく草野球に加入し、ボールを投げているうちにだんだんいいボールが投げられるようになった。
大学に入ってしばらく、新聞配達をしていたが、朝晩自転車で新聞を配達しているうちに足腰が鍛えられてどんどん球速が伸びていった。
当時は、スピードガンが出回ったばかりだったが、軟式で110㎞/hオーバーを記録した。新聞販売店の野球大会ではほとんど安打を打たれなかった。これが私のキャリアハイだ。
大学では草野球の捕手をした。
大学を出て上方落語協会に勤めたが、この時期は年間100試合くらいした。このころにはたくさんお酒を飲んでいたので、野球の質は落ちたが、それでも野球好きはずっと続いた。
企業に勤めても、40歳過ぎまでは野球をした。グラウンドをとってチームを呼んでくるのは私の役割だった。
私は小さいころから「野球の記録好き」ではあったが、それと「野球をする」ことは全く別物だった。しかし、実際に野球をしたことで「数字がプレーと結びつく」リアリティを感じるようになった。そしてプロや天野選手の一つ一つのプレーが、いとおしいような気持になった。
当サイトにも「野球をしたこともないやつに何がわかる」と言う人が時々来るが、「野球をする」とは、高校や大学で本格的に野球をすることだけを言うのではないと思う。
レベルが低くても自分なりに「野球の楽しさ」を追い求め、自分の「キャリアハイ」を実感することができれば、それは「野球経験」といえるのではないか。
私は「厳しい練習」も「恐ろしい指導者」も直接的には知らないが、それはおそらく「野球の本質」とはあまり関係がないと思う。
「野球の本質」は「楽しいもの」であり、自信や喜びを与えてくれるものだ。つまるところ「いい遊び」なのだと思う。だから一生付き合っていきたいと思う。
今後の野球が生き残るためには「いい遊び」としての「野球」をはっきり前面に出していかなければならないだろう。
それは我々みたいな低レベルの野球だけでなく、トッププロの世界も同様だ。
・・中略・・・
1. 遍照飛竜 2020年01月05日 11:17
日本の諸芸が、野球同様に「いい遊び」でなくなって、細っていく傾向がみられます。
真剣にやると人・遊ぶ人・・とすみ分けできて楽しめたらいいのですが、真剣にやる人がおせっかいでまずつぶれます。
信仰と違うのだしね・・・
ひねくれた言い方をすると、まっとうな個々人の信仰なり哲学がないから、野球を「野球道」にする。
てね。
・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・
抜粋おわり
私のコメントも入れてみました。
そもそも日本人がやたらと諸芸を洗練化させすぎるのは、その個々人の信仰なり哲学・志操が貧弱で、その補償としての「諸芸・諸道」と思える。
洗練化させすぎて「楽しめない」
そもそも信仰でも宗教でもないのですは、野球もスポーツも。
その辺の事情って、合気道の植芝盛平が出口王仁三郎にイカレて大本教信者になったてことと。
形意拳・八卦掌を修めて、太極拳を習得したときに「形意拳・八卦掌・太極拳。それに儒学・道教・仏教に、武術は、根本が一致する」と悟って、孫氏太極拳を創始したけど、別に宗教にはまらず宗教を作らず、道教的信仰で生きて死んでいった孫禄堂。
の差で見える気がする。
参考
参考2
凡人からみたら、植芝も孫も巨人だが、あえて斜に見ると、孫のほうが器が大きい。
その一因が、天皇制・天皇で日本は政治思想・社会思想を発展させれなかったうえに、仏教を明治のときにぶん殴った。
これが庶民レベルの文系的な資質やモラルの衰亡の大きな原因と思えます。
天皇の威力が弱いと、上泉信綱や柳生宗厳のような、超人的武術家にして思想家を生み、天皇の威力が強いと、傑出した植芝盛平も準カルト信者になる。
こりゃ、「天皇」が日本人最大の害悪と了解できる。
お読みくださりありがとうございます。
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同感。