故国の滅亡を伍子胥は生きてみれませんでしたが、私たちは生きてこの魔境カルト日本の滅亡を見ます。
2024/05 04 < | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 | 17 | 18 | 19 | 20 | 21 | 22 | 23 | 24 | 25 | 26 | 27 | 28 | 29 | 30 | 31 | > 06 |
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京の風 より
上記文抜粋
・・・・・・・
ええっ、フクイチは2層構造で、地上の原発はダミーだ、という説。そして、川内は特殊だと。
参考までに、以下のブログを上げておきます。 真偽の程は、わかりません。
http://yaplog.jp/kenchicjunrei/archive/178
ここには、以下の図と、詳細な解説があります。
川内原発1号機が、昨年8月11日に再稼働を始めた後、21日に何らかのトラブルを起こし、その事態に基いて書かれた記事です。
昨年8月は、全国で安保法案反対デモが繰り返される中、フクイチでは、3月から吹き出した放射性水蒸気が、さらに猛烈に噴出している時でした。
少し、抜粋します。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
しかしながら、現在の蒸気の噴出状況を見ていると予断を許しません。福島については、多くの精度の高い情報がネットに掲載されており、本ブログで今更何かをコメントする意味を見出しかねますが、それでも敢えて言わせてもらえば、(裏)国家機関は汚染物質を宮城県内の山中で処理することを画策しており、福島地下原発サイトから宮城県内に向けて既に長い地下トンネルが貫通し、処理を始めているとの情報が入ってます。
PS;
今回、熊本で14日に地震が起きるの前の4月6日に、鹿児島で航空自衛隊のU125飛行点検機が失踪し、8日、御岳で墜落しているのが発見された。そのとき、捜査班は、防護服を着ていました。
一体、何があったのか? 国民のイノチとは、全く別次元のところで、日本の軍事関係者は、何をしていたのか?
・・・・・・
・・・・・・・
抜粋終わり
> 今回、熊本で14日に地震が起きるの前の4月6日に、鹿児島で航空自衛隊のU125飛行点検機が失踪し、8日、御岳で墜落しているのが発見された。そのとき、捜査班は、防護服を着ていました。
>一体、何があったのか? 国民のイノチとは、全く別次元のところで、日本の軍事関係者は、何をしていたのか?
私も同感。
特に明治以降、日本の為政者は、日本人を屁とも思わん。
湖南さん言い方ではないが、「特権階級・貴族」あるいは「自分たちは神」と思っているのではないのか。
参考
上記文抜粋
・・・・・・・
舞台は、南太平洋ニューブリテン島のバイエンで、ここを死守する部隊が、自分は死なないで逃げおおせようとする将校の玉砕命令に従って、絶望的な戦闘を繰り返していく話。
この漫画では、旧日本軍の非人間性と将校の人でなしぶりが端的に描かれている。
・・・・・中略・・・・
一方役人。役人は法の執行者であり、かつその執行の結果において個人として責任を問われることはまずない。よって役人のトップ層は、無謬かつ無責任というような地位となる。これについて日本郵政の社長までやられた西川善文氏が、テレビインタビューか何かで、高級官僚は身分であるみたいなことを発言していたのを記憶しているが、要するに人間として社会的に無謬かつ無責任であればそれは身分であるということかなと、その表現に感心した。
神が無責任であるわけではないが、無謬というのは神の属性であって人間の属性ではない。
国家神道の成立過程を見ていくと、岩倉具視らの影響も大きいが、役人が仏教の弱体化と天皇の現人神化を推進してきた部分も大きい。徳川の始めなら天海僧正のようなスピリチュアリストが神眼で未来や世界全体を見まわして大改革遂行してきたところを、おそらくは明治以降、神知らぬ只の人が高級役人として大改革したのであろう。
今軍人にはかつての権力はなく、文官全盛だが、文官がその守られた身分で神と関係なく国家を操縦すれば、かつてのように国民を塗炭の苦しみに追い込むことが現出せぬとも限らない。これを神をも恐れぬ所業とスピリチュアリストたちは見る。
・・・・・・・・
・・・・・・
抜粋終わり
そういえば、ふわふわしていないと、生きれない。そういう風な教育・社会にされてきた日本。
考えるとつぶされる。。。
アバンギャルド精神世界 より
上記文抜粋
・・・・・・・・・
ものの考え方がふわふわとして、とりとめがない
◎冥想によってより意識的であるべきこと
悟り直前は、人間の意識はオープンになり、神でも悪魔でも入り込めそうなタイミングはある。
そのようなオープンな状態には明らかに程度の差があり、それが意識の深化のレベルとか原始仏教の初禅から涅槃までの10段階とか、過去正統的な宗教では冥想段階として認識されてきた。この辺の段階分けは、ケン・ウィルバーなども得意とするところである。
以下の引用文の著者の加賀乙彦氏は元東京拘置所医務技官で、オウムの麻原も診察したという人で作家。
以下の引用文では、ニルヴァーナは問題にならないレベルだが、個人的無意識と集合的無意識でのある衝動が人を悪い行動に駆り立てるのだが、それを悪魔のささやきと呼んでいる。
この文章の前段で、悪魔のささやきに侵された例として、新約聖書で、イエスが狂人から悪霊を追い出したのだが、その霊は豚に乗り移り豚二千匹が群れをなして崖を下って、ガラリヤ湖におちて死んでいった話が挙げられている。これとオウム信者や戦時中軍部の言いなりになっていた日本人が、この豚のように悪霊にとりつかれていたのではないかと示唆されている。
『悪魔のささやきに動かされるときの人間の意識を見ていくと、ある共通点に気づかされます。
それは、慎重によく考えたうえでの行動ではなく、ふわふわと風のように動いている心の状態であるということ。思索とか理性とか意志とか決意といったはっきりした心のありようとは違って言葉ではうまく表現できない、あいまいでぼんやりとした精神状態において、悪魔がささやくという現象が起こりゃすいのです。
「意識」と言うと、周囲をよく見て自分が置かれている状況をつかんでいると思いがちですが、意識の中心ではっきりと認められるものとは別の、辺縁意識とでも言う、ふわふわした状態があるのです。
これを統合失調症の人の幻覚や妄想のもとだとしたのは、あとで詳しく説明しますが、精神医学者の西丸四方です。
また、人間の意識にとって重要なのは、雰囲気や口の感覚としての味であって、人間はそういう意識の中心ではない意識に動かされるという詳細な研究をしたのがドイツの精神医学者テレンバッハでした。
最近の日本人の意識は、まさにそんな状態と言えます。ものの考え方がふわふわとして、とりとめがない。中心もなく、方向性もなく、緊張感もなく、平和で豊かな日常のなかで、毎日ぼんやりと漂うように過ごしている。だからこそ、ちょっとしたことで――――何か困った事態に遭遇したとか、強い刺激だとか、誰かの声高な主張だとか、時代の風潮だとか、そういったものをきっかけにとんでもない方向に向かって暴走しかねない。悪魔のささやきに簡単につけこまれてしまう危険な状態に、今、私たちはあるのです。』
(悪魔のささやき/加賀乙彦/集英社P12-13から引用)
このふわふわとした意識の状態は、暗示の擦り込みを行うのに適した状態である。冥想により、醒める。つまり自分がそうした状態であることに意識的であることは、情報操作、洗脳にいいようにやられない一歩であると思う。
今の時代に、当たり前に生きるというのは大変なことである。
・・・・・・・・
・・・・・・・・・
抜粋終わり
>最近の日本人の意識は、まさにそんな状態と言えます。ものの考え方がふわふわとして、とりとめがない。中心もなく、方向性もなく、緊張感もなく、平和で豊かな日常のなかで、毎日ぼんやりと漂うように過ごしている。だからこそ、ちょっとしたことで――――何か困った事態に遭遇したとか、強い刺激だとか、誰かの声高な主張だとか、時代の風潮だとか、そういったものをきっかけにとんでもない方向に向かって暴走しかねない。悪魔のささやきに簡単につけこまれてしまう危険な状態に、今、私たちはあるのです。
なまじ中心があると、「従順でない」とされる。
いつも学校から会社・職場での、過度の競争にさらされ、中心も糞も無く、ひたすら、追従・空気読み・闘争の繰り返し・・・。
悪魔以前にナチが喜びそうな、末世日本阿呆帝国。
為政者たちは、命も国力も無視した国家ゲームに興じ、国民・衆生はその荒波に狂ったように酔い続ける。
御仕舞としか言い得ないでしょう。
お読みくださりありがとうございます。
上記文抜粋
・・・・・・・
ええっ、フクイチは2層構造で、地上の原発はダミーだ、という説。そして、川内は特殊だと。
参考までに、以下のブログを上げておきます。 真偽の程は、わかりません。
http://yaplog.jp/kenchicjunrei/archive/178
ここには、以下の図と、詳細な解説があります。
川内原発1号機が、昨年8月11日に再稼働を始めた後、21日に何らかのトラブルを起こし、その事態に基いて書かれた記事です。
昨年8月は、全国で安保法案反対デモが繰り返される中、フクイチでは、3月から吹き出した放射性水蒸気が、さらに猛烈に噴出している時でした。
少し、抜粋します。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
しかしながら、現在の蒸気の噴出状況を見ていると予断を許しません。福島については、多くの精度の高い情報がネットに掲載されており、本ブログで今更何かをコメントする意味を見出しかねますが、それでも敢えて言わせてもらえば、(裏)国家機関は汚染物質を宮城県内の山中で処理することを画策しており、福島地下原発サイトから宮城県内に向けて既に長い地下トンネルが貫通し、処理を始めているとの情報が入ってます。
PS;
今回、熊本で14日に地震が起きるの前の4月6日に、鹿児島で航空自衛隊のU125飛行点検機が失踪し、8日、御岳で墜落しているのが発見された。そのとき、捜査班は、防護服を着ていました。
一体、何があったのか? 国民のイノチとは、全く別次元のところで、日本の軍事関係者は、何をしていたのか?
・・・・・・
・・・・・・・
抜粋終わり
> 今回、熊本で14日に地震が起きるの前の4月6日に、鹿児島で航空自衛隊のU125飛行点検機が失踪し、8日、御岳で墜落しているのが発見された。そのとき、捜査班は、防護服を着ていました。
>一体、何があったのか? 国民のイノチとは、全く別次元のところで、日本の軍事関係者は、何をしていたのか?
私も同感。
特に明治以降、日本の為政者は、日本人を屁とも思わん。
湖南さん言い方ではないが、「特権階級・貴族」あるいは「自分たちは神」と思っているのではないのか。
参考
上記文抜粋
・・・・・・・
舞台は、南太平洋ニューブリテン島のバイエンで、ここを死守する部隊が、自分は死なないで逃げおおせようとする将校の玉砕命令に従って、絶望的な戦闘を繰り返していく話。
この漫画では、旧日本軍の非人間性と将校の人でなしぶりが端的に描かれている。
・・・・・中略・・・・
一方役人。役人は法の執行者であり、かつその執行の結果において個人として責任を問われることはまずない。よって役人のトップ層は、無謬かつ無責任というような地位となる。これについて日本郵政の社長までやられた西川善文氏が、テレビインタビューか何かで、高級官僚は身分であるみたいなことを発言していたのを記憶しているが、要するに人間として社会的に無謬かつ無責任であればそれは身分であるということかなと、その表現に感心した。
神が無責任であるわけではないが、無謬というのは神の属性であって人間の属性ではない。
国家神道の成立過程を見ていくと、岩倉具視らの影響も大きいが、役人が仏教の弱体化と天皇の現人神化を推進してきた部分も大きい。徳川の始めなら天海僧正のようなスピリチュアリストが神眼で未来や世界全体を見まわして大改革遂行してきたところを、おそらくは明治以降、神知らぬ只の人が高級役人として大改革したのであろう。
今軍人にはかつての権力はなく、文官全盛だが、文官がその守られた身分で神と関係なく国家を操縦すれば、かつてのように国民を塗炭の苦しみに追い込むことが現出せぬとも限らない。これを神をも恐れぬ所業とスピリチュアリストたちは見る。
・・・・・・・・
・・・・・・
抜粋終わり
そういえば、ふわふわしていないと、生きれない。そういう風な教育・社会にされてきた日本。
考えるとつぶされる。。。
アバンギャルド精神世界 より
上記文抜粋
・・・・・・・・・
ものの考え方がふわふわとして、とりとめがない
◎冥想によってより意識的であるべきこと
悟り直前は、人間の意識はオープンになり、神でも悪魔でも入り込めそうなタイミングはある。
そのようなオープンな状態には明らかに程度の差があり、それが意識の深化のレベルとか原始仏教の初禅から涅槃までの10段階とか、過去正統的な宗教では冥想段階として認識されてきた。この辺の段階分けは、ケン・ウィルバーなども得意とするところである。
以下の引用文の著者の加賀乙彦氏は元東京拘置所医務技官で、オウムの麻原も診察したという人で作家。
以下の引用文では、ニルヴァーナは問題にならないレベルだが、個人的無意識と集合的無意識でのある衝動が人を悪い行動に駆り立てるのだが、それを悪魔のささやきと呼んでいる。
この文章の前段で、悪魔のささやきに侵された例として、新約聖書で、イエスが狂人から悪霊を追い出したのだが、その霊は豚に乗り移り豚二千匹が群れをなして崖を下って、ガラリヤ湖におちて死んでいった話が挙げられている。これとオウム信者や戦時中軍部の言いなりになっていた日本人が、この豚のように悪霊にとりつかれていたのではないかと示唆されている。
『悪魔のささやきに動かされるときの人間の意識を見ていくと、ある共通点に気づかされます。
それは、慎重によく考えたうえでの行動ではなく、ふわふわと風のように動いている心の状態であるということ。思索とか理性とか意志とか決意といったはっきりした心のありようとは違って言葉ではうまく表現できない、あいまいでぼんやりとした精神状態において、悪魔がささやくという現象が起こりゃすいのです。
「意識」と言うと、周囲をよく見て自分が置かれている状況をつかんでいると思いがちですが、意識の中心ではっきりと認められるものとは別の、辺縁意識とでも言う、ふわふわした状態があるのです。
これを統合失調症の人の幻覚や妄想のもとだとしたのは、あとで詳しく説明しますが、精神医学者の西丸四方です。
また、人間の意識にとって重要なのは、雰囲気や口の感覚としての味であって、人間はそういう意識の中心ではない意識に動かされるという詳細な研究をしたのがドイツの精神医学者テレンバッハでした。
最近の日本人の意識は、まさにそんな状態と言えます。ものの考え方がふわふわとして、とりとめがない。中心もなく、方向性もなく、緊張感もなく、平和で豊かな日常のなかで、毎日ぼんやりと漂うように過ごしている。だからこそ、ちょっとしたことで――――何か困った事態に遭遇したとか、強い刺激だとか、誰かの声高な主張だとか、時代の風潮だとか、そういったものをきっかけにとんでもない方向に向かって暴走しかねない。悪魔のささやきに簡単につけこまれてしまう危険な状態に、今、私たちはあるのです。』
(悪魔のささやき/加賀乙彦/集英社P12-13から引用)
このふわふわとした意識の状態は、暗示の擦り込みを行うのに適した状態である。冥想により、醒める。つまり自分がそうした状態であることに意識的であることは、情報操作、洗脳にいいようにやられない一歩であると思う。
今の時代に、当たり前に生きるというのは大変なことである。
・・・・・・・・
・・・・・・・・・
抜粋終わり
>最近の日本人の意識は、まさにそんな状態と言えます。ものの考え方がふわふわとして、とりとめがない。中心もなく、方向性もなく、緊張感もなく、平和で豊かな日常のなかで、毎日ぼんやりと漂うように過ごしている。だからこそ、ちょっとしたことで――――何か困った事態に遭遇したとか、強い刺激だとか、誰かの声高な主張だとか、時代の風潮だとか、そういったものをきっかけにとんでもない方向に向かって暴走しかねない。悪魔のささやきに簡単につけこまれてしまう危険な状態に、今、私たちはあるのです。
なまじ中心があると、「従順でない」とされる。
いつも学校から会社・職場での、過度の競争にさらされ、中心も糞も無く、ひたすら、追従・空気読み・闘争の繰り返し・・・。
悪魔以前にナチが喜びそうな、末世日本阿呆帝国。
為政者たちは、命も国力も無視した国家ゲームに興じ、国民・衆生はその荒波に狂ったように酔い続ける。
御仕舞としか言い得ないでしょう。
お読みくださりありがとうございます。
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