故国の滅亡を伍子胥は生きてみれませんでしたが、私たちは生きてこの魔境カルト日本の滅亡を見ます。
2024/05 04 < | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 | 17 | 18 | 19 | 20 | 21 | 22 | 23 | 24 | 25 | 26 | 27 | 28 | 29 | 30 | 31 | > 06 |
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つながっているこころ 2 より
上記文抜粋
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菅野完「籠池氏は『安倍首相がんばれ』を『ウケると思って』やった」
菅野完「籠池氏は『安倍首相がんばれ』を『ウケると思って』やった」
https://dot.asahi.com/aera/2017050100063.html
>私が籠池泰典氏から聞いた証言で最も衝撃的だったのが、日本教育再生機構を知らなかったということ。「教育再生」と言っているが、それは流行言葉だと思っていたと。「安倍首相がんばれ」も「ウケると思ってやった」と。要するにファッションとしての愛国。経済的な利益を得るためというより、そのほうが他人ともめないという、一種のプロトコルになっている。
これは最近の日本全体の傾向とも合致しているように思います。
ネトウヨを含め、この傾向が強くなっている。
”ファッションとしての愛国”も
最近の薄っぺらな日本人にマッチしている。
薄っぺらなほうがウケるもの。
”他人ともめない”といういかにも日本の田舎的思考、
これも上手く利用されている。
>日本会議を考える時に忘れてはいけないのは、集票力は少ないという冷徹な現実。創価学会800万票に比べて、50万票。労働組合より少ない。しかし影響力はある。それは組織の力ではなく、言論の力なんです。
言論の力ね。
>もうひとつは、草の根や地域を大切にする点。国政選挙だと歯が立たないが、地方議会であれば、やる気のある活動家が一人いれば十分当選できる。そうすると、地方議員が日本会議化していく。その上にいる県会議員も国会議員も徐々になびいていくという構図です。
これも最近の日本全体の傾向と合致しているように思います。
沖縄にも浸透してきている。
>私が一番感じたこの組織の本質は、嫉妬のコントロールがうまいという点。高度なガバナンスです。崇教真光や佛所護念会といった多少創価学会的に動ける協力団体があるので、運動論からいうとそっちを大事にすればいいが、こういう人たちが前面に出てくると一般の人は入りづらい。そこで神社を前に出す。神社は歴史もありプライドが高いので、新興宗教とは扱いをきっちり分ける。日本青年協議会の人が神主さんを扱うときの丁寧さといったらないですよ。
嫉妬はやっかいな感情だから
このコントロールが上手いというのは、
しかし、神社とは上手く考えたものだ。
陰によほどの指南役がいるんでしょうね。
学生運動や市民運動の失敗をみてきて学んだのでしょうか。
●左派はすぐ拗ねる
>左派の人たちは、運動にすぐ答えが出ると思っている。出ないと拗ねてやめる。でも日本会議の人たちは、早く答えを出そうとは微塵も思っていない。それは学生運動の頃に自分たちの運動がマイノリティーだったという、強烈な原初体験があるからでしょうね。
以前も書きましたが、
何かを阻止するためにはじめた運動なのに
運動自体が目的になることがほとんどです。
運動が目的になるからやり方が違うと言ってもめる。
やり方が違うならそれぞれでやればいいのに
こんな奴と一緒にやってられるかって辞めちゃうんです。
私が実際にみてきた左派の特徴。
日本会議に限らず、権力者たちは地道に
気が遠くなるような長い時間をかけている。
>今回、マスコミの報道で明らかになったのは、言論として政権に対峙するスキルを日本のメディアは失ってしまったということ。問題の本質は、やはり教育勅語なんです。そういう教育方針の学校が私学といえども設立されようとし、公金を受けながら運営されようとしていた。一時は内閣総理大臣がそれを是とした。それは「忖度(そんたく)」とか8億円のお金よりも、とても大きな問題です。本来なら野党もメディアも真正面からそれを言わないといけなかった。しかし、それを正面からできなかった理由こそが、日本会議が拡大してきた理由でもあります。言論の自由の範囲内での意見だとして見過ごし、言論として対峙してこなかったことの問題はとても大きいです。
そのメディアを飴とムチで手の内にしてしまった。
>ロッキード事件以来、日本のメディアは政治家と対峙する際、金とセックススキャンダルだけになってしまったのではないか。それでは「清廉潔白な危険思想の持ち主」が出てきたときに、対抗する軸を持ちえないんです。
「清廉潔白な危険思想の持ち主」の表現に拍手。
上手い表現ですね。
以上。
・・・・・・・・
・・・・・・・・・
抜粋終わり
>左派の人たちは、運動にすぐ答えが出ると思っている。出ないと拗ねてやめる。
これは正解。
私も似たところがあった。
だが、政治や兵書・歴史書を読むと、
>日本会議に限らず、権力者たちは地道に
気が遠くなるような長い時間をかけている。
マジに世の中を変えようとするなら、当然「時間をかけることを厭わないし、耐える。」
周恩来が「たとえ娼婦となろうが、歯をのみこんでも、耐える」とか言っていたが。
それは全くない阿呆な日本の左翼。
ちょうど「維新志士」や「青年将校」と同じメンタリティーですは。
これでは「テロリスト」になれても、政治家にはなれない。政治をして理想を実現できない。
まあ戦後の左翼の連中は、古典・特に漢籍の歴史書と兵書を読まんので、きれいごとは言っても、あまり現実の政略を潜り抜けて政策を実現するのは役に立たない。左翼系の学者連中も同じ。
漢籍古典を読まなくなって、日本人は根っこから阿呆になりつつある・・・。
お読みくださりありがとうございます。
上記文抜粋
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菅野完「籠池氏は『安倍首相がんばれ』を『ウケると思って』やった」
菅野完「籠池氏は『安倍首相がんばれ』を『ウケると思って』やった」
https://dot.asahi.com/aera/2017050100063.html
>私が籠池泰典氏から聞いた証言で最も衝撃的だったのが、日本教育再生機構を知らなかったということ。「教育再生」と言っているが、それは流行言葉だと思っていたと。「安倍首相がんばれ」も「ウケると思ってやった」と。要するにファッションとしての愛国。経済的な利益を得るためというより、そのほうが他人ともめないという、一種のプロトコルになっている。
これは最近の日本全体の傾向とも合致しているように思います。
ネトウヨを含め、この傾向が強くなっている。
”ファッションとしての愛国”も
最近の薄っぺらな日本人にマッチしている。
薄っぺらなほうがウケるもの。
”他人ともめない”といういかにも日本の田舎的思考、
これも上手く利用されている。
>日本会議を考える時に忘れてはいけないのは、集票力は少ないという冷徹な現実。創価学会800万票に比べて、50万票。労働組合より少ない。しかし影響力はある。それは組織の力ではなく、言論の力なんです。
言論の力ね。
>もうひとつは、草の根や地域を大切にする点。国政選挙だと歯が立たないが、地方議会であれば、やる気のある活動家が一人いれば十分当選できる。そうすると、地方議員が日本会議化していく。その上にいる県会議員も国会議員も徐々になびいていくという構図です。
これも最近の日本全体の傾向と合致しているように思います。
沖縄にも浸透してきている。
>私が一番感じたこの組織の本質は、嫉妬のコントロールがうまいという点。高度なガバナンスです。崇教真光や佛所護念会といった多少創価学会的に動ける協力団体があるので、運動論からいうとそっちを大事にすればいいが、こういう人たちが前面に出てくると一般の人は入りづらい。そこで神社を前に出す。神社は歴史もありプライドが高いので、新興宗教とは扱いをきっちり分ける。日本青年協議会の人が神主さんを扱うときの丁寧さといったらないですよ。
嫉妬はやっかいな感情だから
このコントロールが上手いというのは、
しかし、神社とは上手く考えたものだ。
陰によほどの指南役がいるんでしょうね。
学生運動や市民運動の失敗をみてきて学んだのでしょうか。
●左派はすぐ拗ねる
>左派の人たちは、運動にすぐ答えが出ると思っている。出ないと拗ねてやめる。でも日本会議の人たちは、早く答えを出そうとは微塵も思っていない。それは学生運動の頃に自分たちの運動がマイノリティーだったという、強烈な原初体験があるからでしょうね。
以前も書きましたが、
何かを阻止するためにはじめた運動なのに
運動自体が目的になることがほとんどです。
運動が目的になるからやり方が違うと言ってもめる。
やり方が違うならそれぞれでやればいいのに
こんな奴と一緒にやってられるかって辞めちゃうんです。
私が実際にみてきた左派の特徴。
日本会議に限らず、権力者たちは地道に
気が遠くなるような長い時間をかけている。
>今回、マスコミの報道で明らかになったのは、言論として政権に対峙するスキルを日本のメディアは失ってしまったということ。問題の本質は、やはり教育勅語なんです。そういう教育方針の学校が私学といえども設立されようとし、公金を受けながら運営されようとしていた。一時は内閣総理大臣がそれを是とした。それは「忖度(そんたく)」とか8億円のお金よりも、とても大きな問題です。本来なら野党もメディアも真正面からそれを言わないといけなかった。しかし、それを正面からできなかった理由こそが、日本会議が拡大してきた理由でもあります。言論の自由の範囲内での意見だとして見過ごし、言論として対峙してこなかったことの問題はとても大きいです。
そのメディアを飴とムチで手の内にしてしまった。
>ロッキード事件以来、日本のメディアは政治家と対峙する際、金とセックススキャンダルだけになってしまったのではないか。それでは「清廉潔白な危険思想の持ち主」が出てきたときに、対抗する軸を持ちえないんです。
「清廉潔白な危険思想の持ち主」の表現に拍手。
上手い表現ですね。
以上。
・・・・・・・・
・・・・・・・・・
抜粋終わり
>左派の人たちは、運動にすぐ答えが出ると思っている。出ないと拗ねてやめる。
これは正解。
私も似たところがあった。
だが、政治や兵書・歴史書を読むと、
>日本会議に限らず、権力者たちは地道に
気が遠くなるような長い時間をかけている。
マジに世の中を変えようとするなら、当然「時間をかけることを厭わないし、耐える。」
周恩来が「たとえ娼婦となろうが、歯をのみこんでも、耐える」とか言っていたが。
それは全くない阿呆な日本の左翼。
ちょうど「維新志士」や「青年将校」と同じメンタリティーですは。
これでは「テロリスト」になれても、政治家にはなれない。政治をして理想を実現できない。
まあ戦後の左翼の連中は、古典・特に漢籍の歴史書と兵書を読まんので、きれいごとは言っても、あまり現実の政略を潜り抜けて政策を実現するのは役に立たない。左翼系の学者連中も同じ。
漢籍古典を読まなくなって、日本人は根っこから阿呆になりつつある・・・。
お読みくださりありがとうございます。
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なるほど。
書き込みありがとうございます。