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故国の滅亡を伍子胥は生きてみれませんでしたが、私たちは生きてこの魔境カルト日本の滅亡を見ます。
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P R
geneumiのブログ  より

上記文抜粋
・・・・・・・・・・
ゴールなき牢獄

子どもの頃、義務教育課程が終わる度に感じたのは「ゴールなき牢獄」からのつかの間の開放感。
夏休みも然り。
子どもは瞬く間に「ゴールなき牢獄」に引き戻される。
その憂鬱さがたまらなかった。

何が目出たいのか分からぬままに小学校の卒業式。
間をおかず中学校への入学式。

春はつかの間、桜吹雪の下で子ども心に思うものの哀れ・・・。w



誰も異論を唱えない。
周囲の大人が当たり前のように振る舞う違和感。
それでも友達がいて、魅力的な先生もいて・・・。
それなら学校も悪くない。

義務教育修了。
子どもは開放される・・・訳がない。

安倍晋三偽総理小学校は幻に終ったが、塚本幼稚園児は気の毒。
だが、日本人なら程度問題、みな同じ境遇である。

平均的優等生は進んで「ゴールなき牢獄」の覇者となり一流高校、大学、企業または役所に就職する。
そこにどんなゴールがあるのか?

ま、こんな疑問を持つ人間はアッチでウロウロ、コッチでウロウロ、落ちこぼれの根無し草である。
それでも生きていかないといけない。
非正規でも何でも就労して税金を納めて。

ほとんどの大人は、あなたの努力が足りないという。
学業がダメ、運動もダメ、規則を守れない、人の意見を聞かない。
早い話、義務教育時代の成績優秀者以外はお呼びではない。

もの凄く狭いレールの上を真っすぐブレずに走り続けないといけない。
その目的は何か?
最低限人並みの暮らしをするために必要な資質を身につけるため?

企業に入れば取締役コース。
公官庁なら天下りコース。
それがゴールか?

部落出身者とか、在日朝鮮人とか、貧困家庭の子弟とか、進んで義務教育から落ちこぼれた人間にもゴールはある。

学校法人をつくって、府や国のカネをかすめ取り、総理夫人を名誉校長に据えて押しも押されぬ理事長に就任。
これも一つのゴールである。

日本会議(朝鮮懐疑)に所属して、裏権力を使いながら国に影響力を及ぼす。
影響力イコール権力またはカネ。

一方、エリートコースを歩む官僚も、いつか何処かでコイツらとバッタリ鉢合わせ。
違う道を歩んできたはずなのにいつの間にか共犯関係。
上役はトンズラ、哀れ責任を押し付けられてスピンアウト。

さすが裏街道で場数を踏んだ輩の手練手管は並じゃない。
経験の少ない表官僚など赤子の手をひねるが如し。
二言目には「愛国心」。
明治帝国憲法の精神を踏みにじるなと凄んでみせる。

あのマムシのような理事長は幼稚園児がイッパイイッパイである。
小学生?
無理無理。
普通のセンスを持った大人?
無理無理。
彼らのハッタリが通用するのは幼稚園児だけ、である。

つまり、偽総理もその奥方も幼稚園児並の幼い人間、ということか?

ま、そんなことはどうでもいいが、そろそろ日本人は「ゴールなき牢獄」から抜け出したい。

自分の頭で考え、自分の意識で行動する。
間違っても損しても自業自得。
狭いレールの上を真っすぐ走るしか脳がないリニア新幹線にはなりたくない。

始発と終点の往復だけ。
ひたすら往復してある日パッタリと動かなくなる。
これがゴールか?
電車は機械だが、人間は気が狂う。

GHQが考えたのか、偽ユダヤ教徒が考えたのかは定かではないが、一国の国民全員を往復する電車の乗客にする「ゴールなき牢獄」。
これを植民地と言わずして何を・・・。

当ブログ管理者もそうだが、見事にそれに乗って早く走りつづけ、いつかゴールを見いだそうとした。
だが、その軌道にゴールはないのである。

では、ゴールはどこに在る?

物理世界には存在しない。
自然の巡りはある時点からアッチの世界へ通じている。
それも含めたボーダーの先にしかゴールはない。

では、今日現在、日本人がせっせとやっている行為は何なのか?

自慰である。



条件反射で自慰を強制され、死ぬまでやり続ける猿と変わらない。
それ自体、まったく無意味ではないが、それほど意味もない。
一億人がこぞって夢中になる価値なんてあるわけない。

世界中で、目覚めた人類は、それぞれのゴールに向かって歩き出している。

だが、現在はあちらこちらに、意志を妨害する仕組みが残っている。

イエズス会、イルミナティー、統一教会に創価学会、日本会議に何とかかんとか・・・。


将門塚はGHQも官僚も動かせなかった・・・

御陰さまでトンチンカンな「愛国心」とか、エリート幻想とか、単なる欲ボケ爺を一流の人士と見なす慣習とか、ゴロツキほど幅を効かせるジミン党的絶望社会が成り立ってきたが、そろそろオシマイ。

当ブログ管理者はフィリピンの自然から学んだことがある。
それは、世の中に教育者は存在しない。

自称教育者とか、教育委員会とか、ゴロツキヤクザのくせに「教育勅語」を持出す連中など論外。
教師づらをする(先生と呼ばれて平気な奴)を腹の底から軽蔑する。

人は何も教えられないのである。
なぜなら、三次元物理世界に確実なものなど一つもない。
全ては、関係性の中で合流したり剥離したりしながら変化している。

それを伝える言葉すら固定しない。
言語を凌駕する数学で説明される概念も絶対とは言えない。

そんな状況の中で、いったい何を教えるのか?
しかも、つい最近霊界から降りてきた(大人の何倍も霊的に輝いている)幼子に・・・。




・・・・・・・・
・・・・・・・・・
抜粋終わり

>子どもの頃、義務教育課程が終わる度に感じたのは「ゴールなき牢獄」からのつかの間の開放感。
夏休みも然り。
子どもは瞬く間に「ゴールなき牢獄」に引き戻される。
その憂鬱さがたまらなかった。


然り・・・


お読みくださりありがとうございます。
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