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故国の滅亡を伍子胥は生きてみれませんでしたが、私たちは生きてこの魔境カルト日本の滅亡を見ます。
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P R
中外日報 より

上記文抜粋
・・・・・・・・・・
宗教は社会を支える柱と語る思想家 内田樹さん


「戦後問題」は「宗教問題」

戦後70年――。日本はあの敗戦から何を学んだのだろうか。「戦争のできる国」へ進もうとしているこの国の現状に鋭い批判の目を向ける。

(西谷明彦)

思想家 内田樹さん
1950年、東京生まれ。東京大文学部卒。東京都立大大学院博士課程中退。神戸女学院大名誉教授。専門はフランス現代思想、教育論、武道論など。合気道師範で武道と哲学の学塾「凱風館」(神戸市)を主宰している。

司法、医療、教育と共に、宗教を社会を支える4本柱の一つに挙げられていますが、日本人の宗教に対する関心は他の三つに比べて低いようですが。

内田例えば、内戦やクーデター、天変地異で社会秩序が崩壊したとします。生き残った人たちが集まってまずやることは、死者を弔うことです。そこからしか共同体の活動は始まらない。

「死者」という概念を持ったことで人間は他の霊長類と分岐した。サルは生きているサルと死んだサルを区別しますけれど、「死者としてのサル」の概念はない。だから墓をつくらない。

死者はもはやこの世には存在しないけれど、「存在するとは別の仕方で」生きている人間たちの振る舞いに影響を及ぼす。「あの人が今ここにいたら、何と言うだろう」「私の振る舞いをどう評するだろう」ということが規範となって、生きている人間を支配する。

確かに、「靖国問題」などにもそういう側面がありますね。

内田先の大戦でもアジアではたくさんの人たちが亡くなりました。特に日本軍に侵略され、支配された中国、朝鮮半島の人たちは日本の今の振る舞いに対して「こんなことを許したら死んだ人々に合わせる顔が無い」と思っている。靖国神社に首相が参拝しようがしまいが、現実の中国、韓国社会には何の実質的な影響もない。でも、彼らがそれを許せないと感じるのは「死者がそれを許さない」という信憑が深く根付いているからです。

今、日本で起きている外交上の「トゲ」は、我が国が戦後70年、戦争の死者たちを正しく弔ってこなかったことの負債です。日本の戦後問題は、ある意味では宗教の問題なのです。敗戦の問題、侵略の問題の宗教的意味、死者たちをどう鎮魂するかという問題に正面から取り組むことを怠ってきた結果なのです。


鎮魂とは死者について語ること


内田鎮魂儀礼というのは、どんな社会でもそうですが、死者がどんな人生を送り、どういう経験をし、何を成し遂げ、何を残し、そしてどのように死んだのか、それを詳しく語る。別に大げさに褒めたたえることも要らないし、神格化して顕彰する必要もない。ただひたすら語る、それが鎮魂の儀礼になるのです。

例えば源平合戦の死者の鎮魂のために『平家物語』をはじめとする膨大な物語が紡がれています。戦国時代の死者たちについても無数の物語が語られ、それは戊辰戦争の頃まで続きました。それらの物語では、常に敗軍の死者たちが主題でした。

『平家物語』はまさに敗者の物語ですね。

内田敗者として無残な最期を遂げた人たちが「祟り神」にならないようにすること、それが鎮魂の物語の人類学的な最優先課題ですから、何よりもまず無残な死を遂げた人々について語る。幕末でも、物語の多くは勝者ではなく、敗者であった新撰組や会津藩について語りました。子母沢寛や司馬遼太郎がしていたのは、国民的な追悼の儀礼だったと思います。

先の大戦の死者にはそういう弔いがなされていないと。

内田吉田満、大岡昇平、野間宏、五味川純平、大西巨人らが無残な死者たちについての物語を戦後すぐから1960年代にかけて書きましたが、それも自国の死者たちについてだけの物語でした。アジアの死者たちの鎮魂の物語を書いたものはほとんどない。自国の死者たちの無残な死についての物語も64年の東京オリンピックの頃を境に語られなくなった。高度経済成長期に入ると「もういいじゃないか、戦争のことは。これからは未来について語ろう」ということになってしまった。

それを踏まえ、「戦後70年」を機にやるべきこととは。

内田何よりも戦争経験の総括だと思います。まず基本的には事実をありのままに物語ること。先にストーリーを組み立てて、それに当てはまる都合の良い事実や資料を探すのではなく、中立的なまなざしで起きたことを愚直に記述することです。そして、どうしてあれほど日本は徹底的に負けたのか、敗戦の総括が不可欠です。

近著『街場の戦争論』では、42年のミッドウェー海戦の敗戦を機に講和していれば、との仮説を立てておられます。

内田一つの想像力の訓練のつもりで書きました。42年段階で講和していれば、広島、長崎への原爆投下や東京、大阪など都市部への大空襲などはなかったし、玉砕や特攻もなかった。日本の山河も街並みも温存された。戦死者のほとんどは最後の1年間に死んだのです。

どうして講和の決断ができなかったのでしょうか。

内田そこを研究しなければならないと思います。戦史研究ではなく、政治論、官僚論、メディア論などあらゆる分野で、なぜ「ふつうの敗戦」ではなく「破滅的な敗戦」を日本人は選択したのかを問うべきです。僕はそこに、現在にまで続く日本の最大の問題があると思うのです。

今の日本人にそのことが可能だと思われますか。

内田危機的な状況になっています。成熟した国民として敗戦の経験に真摯に向き合う構えが、特に社会の指導層に全く見られない。

敗戦の総括が不十分なまま「戦争のできる国」へ向かうとの批判があります。そして、そのような安倍政権の支持率は低くはない。

内田安倍支持の底流にあるのは反米感情です。戦後の日本は反米感情を制度的に抑圧されてきた。アメリカとの戦いで300万人の人たちが亡くなったにもかかわらず、戦後の日本はその勝者に従属してきた。反米ナショナリズムの情念はベトナム反戦闘争を最後に行き場を失ったままでしたが、それがアメリカへの過剰な、自滅的な従属という奇妙な病態をとるようになってきた。

「ふつうの敗戦」を選択していれば戦後、日本の歩んだ道は違ったものになっていたと。

内田ふつうの敗戦国は「次はどうやって勝つのか」という問いにまず向かいます。その上で選択された「敵国との同盟」であれば、それは冷静でリアルな外交戦略です。でも、日本は違う。あまりにも徹底的に負け過ぎたために、「次はどうやってアメリカに勝つか」という問いを立てることさえできなかった。アメリカへの従属はアメリカに命じられたもので、日本が選んだものではありません。この事例に向き合わずに、あたかも主権国家のようなふりをして対米従属を続けてきた。その欺瞞が日本人の国家戦略を根底から蝕んでいる。

沖縄の基地問題なども、そうした視点で捉えていく必要があるのでしょうか。

内田日本に蓄積している反米感情に今、一番敏感になっているのはアメリカだと思います。沖縄の基地問題でアメリカが妥協的になってきているのは、これ以上話をこじらせて反米感情が全国に飛び火すれば、日本人に潜在する反米感情がコントロール不能に陥るリスクがあることを知っているからです。

韓国やフィリピンなど同盟国での米軍基地は縮小されています。アメリカの西太平洋戦略の中で見れば沖縄の米軍基地の戦略的重要性はそれほど高いものではない。計量的な論議を詰めてゆけば基地縮小は可能なはずです。でも、そういうレベルの論議に持っていくことが日本政府にはできない。それは、米軍の駐留は主権国家としての日本が主体的に選択した国防戦略であるといううそに、政府がしがみついているからです。

しかし政権は普天間基地の辺野古移転にこだわっています。

内田 安倍首相は沖縄の基地問題を「反米の火種」として利用しようとしているのではないかと私は疑っています。アメリカに過剰にへつらうことで、国内の反米感情をかき立てながら、その一方で安倍首相は靖国参拝や歴史修正主義的発言などによって小まめに「アメリカが嫌がること」をしています。「対米従属を通じての対米自立」というのが伝統的な自民党の外交戦略でしたが、安倍政権の場合は「過剰で屈辱的な対米従属を通じて国内に反米機運を醸成し、これに乗じて対米自立を果たす」という、さらにこじれたものになっている。

そういう状況において、宗教者が果たすべき役割は。

内田今の日本を突き動しているのは知性や戦略ではなく、抑圧された情念です。それが制御しがたい暴力性や攻撃性として露出してきている。戦後70年、制度的に抑圧されてきたものが床下で腐敗して、腐臭を放ちながらガスを噴出し始めている。「戦後レジームからの脱却」というのは、その抑圧されたものが爆発的に回帰してくることです。

社会や人間の内面に潜むそうした暴力的で邪悪なものを抑制し、鎮めることこそが今日の宗教の本義だと思います。

今日の宗教界、宗教者にその力があるでしょうか。

内田その力がなければ困ります。今の政治過程は、見方によっては一種の「霊的な戦い」です。日米関係も、日韓・日中関係も、それぞれの国の死者たちをどう弔うのかという霊的な課題が外交関係に重くのしかかっている。霊の問題を扱うのは宗教者の仕事です。戦後70年で、今ほど宗教者に対して、政治的・市民的な成熟が求められている時代はなかったと思います。

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・・・・・・・・・
抜粋終わり

>戦後70年で、今ほど宗教者に対して、政治的・市民的な成熟が求められている時代はなかったと思います。


あまりに、未熟。

そう思う日本の宗教者。

なにか「ピュア」さを保とうとして、幼児化を進めている。


日本が、ダメになったのは、一つは宗教家・宗教界がきわめて幼児的なことにある。

と思える。



社会の指導者の一つの宗教家・宗教界が、幼児的なのだから、社会が幼児性に流れるのは、必然に思える。
まあ、今でも日本会議が自民党・日本を支配し、それを無邪気に信じる宗教界・宗教家ばかりだから、亡国も必然である。


まあ再来年には、たぶん日本は消滅しているから、大丈夫か・・・。


お読みくださりありがとうございます。




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政治家が消費税10%にこだわる理由
  • from ナオト :
  • 2015/09/08 (16:33) :
  • Edit :
  • Res
>>景気がまったく   不透明なのに


家計簿を見直すよりも    


政治家が消費税10%に   こだわっているようにみえる


10月の10%


これが想念の世界で   なにかの合図になってて


新世界秩序


新しい世界を始めるには   いったんこの世界を


終わらせなきゃならない


だから10へ移行するために   10の号令が必要
suishounohibiki.blog.fc2.com/blog-entry-855.htmlから引用

 消費税は暗号でしかなかったということか。
Re:政治家が消費税10%にこだわる理由
2015/09/08 20:12
>>>景気がまったく   不透明なのに
>
>
>家計簿を見直すよりも    
>
>
>政治家が消費税10%に   こだわっているようにみえる
>
>
>10月の10%
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>これが想念の世界で   なにかの合図になってて
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>新世界秩序
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>新しい世界を始めるには   いったんこの世界を
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>
>終わらせなきゃならない
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>だから10へ移行するために   10の号令が必要
>suishounohibiki.blog.fc2.com/blog-entry-855.htmlから引用
>
> 消費税は暗号でしかなかったということか。

なるほど。ありがとうございます。

消費税増税しなくても、これをぶち上げること自体に意味があるようなです。

書き込みありがとうございます。
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