故国の滅亡を伍子胥は生きてみれませんでしたが、私たちは生きてこの魔境カルト日本の滅亡を見ます。
逝きし世の面影 より
上記文抜粋
・・・・・・・・・・
「神社」に住むヘイトの女神櫻井よしこ
『日本人に生まれてよかった』
ネット検索「日本に生まれてよかった」で最初にヒットしたのが櫻井よしこ著の『日本人に生まれて良かった』というヘイト本
この人間のクズ櫻井よしこは東京・港区の一等地にある素盞嗚尊(すさのおのみこと)を祀る有名な赤坂氷川神社の豪邸に住んでいた。(破壊的カルトの創価学会信者でホモで暴行容疑で訴えられた演歌歌手の芸名はこの神社に由来するという)
・・・・中略・・・・
『“極右の女神”櫻井よしこは「神社」に住んでいた! 神社本庁と改憲運動の一方、神社の所有地に520㎡の豪邸』2017.05.06.LITERA
「別冊正論」特集がふれなかった櫻井よしこの自宅がある場所
安倍首相応援団の筆頭で、様々な民間右派組織の顔“極右のマドンナ”櫻井よしこを丸ごと一冊特集した雑誌別冊正論が発売された。
内容はまさに“アイドル本”論文や対談記事のまとめはもとより、私生活にもスポットライトを当てている。
しかし、そんな〈一冊まるごと櫻井よしこさん〉の大特集に一つだけ、不自然にも書かれていないことがある。それは、櫻井よしこが“どこに住んでいるのか”。
実は、櫻井氏は住宅地でなく、“神社のなか”に住んでいるのだ。
東京・港区の一等地にある素盞嗚尊(すさのおのみこと)などを御祭神とする有名な神社の木々茂る境内社殿の道脇に、衝立で囲われた一軒家がある。白を基調とした外観の巨大な鉄筋コンクリート造の表札がないが「櫻井良子」の自宅。
地上2階地下1階、総床面積約520平方メートルに及ぶ、個人の邸宅とは思えないような超のつく豪邸。
櫻井よしこと神社本庁の関係、境内での改憲署名活動の「顔」にも
いやはや、極右言論活動って儲かるんだなあ、と改めて感心するが、問題はその豪邸が建っている土地だ。
なんと神社の所有。つまり、櫻井氏は神社の境内の一角に、この巨大な建物を建てた、そういうことらしい。
となると、頭をよぎるのは、櫻井氏の政治活動と神社の関係だ。
周知のように、櫻井氏は少し前から、全国で約7万9000の神社を統括している宗教法人・神社本庁とタッグを組んで、改憲や歴史修正主義的活動に取り組んできた。
神社本庁、日本会議、「美しい日本の憲法をつくる国民の会」が神社境内で憲法改正実現の「1000万人」署名運動を行っているが櫻井よしこは共同代表。
改憲署名活動が行われた神社には、櫻井氏の顔が大きく写し出されたポスターが貼られ、「国民の手でつくろう美しい日本の憲法」「ただいま、1000万人賛同者を募集しています。ご協力下さい」なる文言とともに笑みを浮かべていた。
そんな櫻井氏が、神社の敷地内で生活しているなんて生臭い匂いがしてくる。
神社界(神社本庁)と一体化し、神社に巨大な建物を建てている。櫻井氏周辺からは「土地はただではないが、かなり格安で借りているらしい」という情報。
櫻井氏のことを「櫻井先生」と呼ぶ神社。一方で、櫻井氏は自らの言論活動で、その国家神道礼賛の主張を、神社土地を借りていることは隠したままPRした。
櫻井氏に質問状! 右傾化、神社本庁、自宅の土地 しかし返事はなかった
櫻井氏の言論が地主への利益誘導ではなかったとしても、思想的な影響はどうなのか。櫻井氏はかなり前から改憲を主張していたし、タカ派的な論客ではあったが、90年代頃まではここまで戦前回帰、国家主義的な思想を声高にがなりたててはいなかった。むしろ、薬害エイズ事件などでは、国家犯罪を追及する姿勢も見せていた。
それが、2000年代に入ると、GHQによる神道指令は誤りだったとの論陣を張って、極端な国家主義や歴史修正主義を声高に叫び始め、その思想をどんどんエスカレートさせていった。神社の敷地に家を建てたのは、その極端な右傾化のまっただなか。
・土地は神社の所有ですが、地代はいくらですか。
・土地を借りることになった経緯。
・「別冊正論」でプライベートも公開したが「東京都心ながら静かで緑の多い住宅地」と神社敷地内に住んでいることを隠した理由はなんですか。
・神社本庁と一の言論活動と、神社に建物を建てている関係、影響。
・利害関係にある宗教団体の言論を展開することは、ジャーナリストとしての独立性、倫理について。
・以前は、ここまで右翼的、戦前回帰的な主張はない。主張の変化に神社本庁との関係について。
しかし、櫻井氏がこの十数年の間に急速に右傾化し、利害関係にある神社本庁と完全に歩調を一にしていることはまぎれもない事実。
鈴木邦男氏も驚く櫻井氏の極端な右傾化の背景には…
新右翼団体「一水会」元顧問の鈴木邦男氏が「櫻井よしこさんの思い出」と、その思想の変化を書いている。(「マガジン9」第123回 13年4月17日より)
80年代初期新右翼過激派運動に没頭、当時「クリスチャン・サイエンス・モニター」の記者だった櫻井氏から外国人記者仲間との飲み会に誘われ、
〈「この人が鈴木さん。日本の過激な新右翼なのよ。怖いんです」と皆に僕を紹介する。「オー、ノー」とか、「テリブル」という声が上がる。それだけを覚えている。他は全て忘れたが。しかし、30年経った今、櫻井さんの方が怖いし、過激だ。〉
〈あの頃は、櫻井さんは中立だったし、やや左だったかもしれない。それなのに今は僕を飛び越えて右に進み、保守陣営の女神さまだ。〉
新右翼(鈴木)が〈怖いし、過激だ〉という櫻井氏の思想はどこからきているのか。
なぜジャーナリストが神社本庁や日本会議と濃密関係になり、極右の女神になってしまったのか。少なくとも、その主張がいったい誰を利するのかを、われわれはよく見定める必要があるだろう。
05.06.リテラ(抜粋)
・・・・・・・・・
・・・・・・・・
抜粋終わり
神社本庁や日本会議は、「日本人に生まれてよかった」と思わせないための組織だ。
彼等から言えば、当然在日や同和や左翼さらに、貧困や病苦・失業に苦しむ同胞も、「日本人」ではないのである。
ちょうど「ユートピア思想」である。あるいは「カルト集団」
自分の妄想的理想と違背する現実を徹底的に排除・破壊する。
ジム・ジョーンズだったかの「人民寺院事件」と思想・志向は同じなのである。
代替案のための弁証法的空間 Dialectical Space for Alternatives より
上記文抜粋
・・・・・・・・・
水戸学と吉田松陰とテロリズム 水戸学と横井小楠と教育勅語
前の記事で紹介した吉田俊純著『水戸学の研究 ー明治維新史の再検討』(明石書店)、大変に興味深い内容である。若干の論点を紹介してみたい。
著者は、水戸学が他藩にどのような影響を与えたのかを考証し、水戸学が明治維新に果たした役割が大きかった事実を論証していく。「水戸学と横井小楠」「水戸学と吉田松陰」「水戸学と長州奇兵隊」・・・・といった具合である。
「幕末でもっとも開明的な思想家」とも評価される横井小楠と、長州尊攘派のイデオローグ吉田松陰の水戸学の受容の仕方は対照的なのが興味深い。横井小楠は若いころには水戸学に心酔したが、後にその危険性に気付き、それを徹底的に批判するようになる。逆に吉田松陰は、当初は水戸学に批判的であったが、密航に失敗して萩に幽閉されてから、徹底的に水戸学を受容したテロリストになっていくのである。
横井小楠の尊攘テロリスト批判・神道批判
肥後の横井小楠は、若いころに藤田東湖と交流し、藤田の信奉者になる。しかし、水戸尊攘派が過激化するのを見るにつけ、尊王論と結びついた藤田の「誠」は、手段をわきまえない術策に陥ることは必然であると気づく。小楠は、水戸学の信奉者は「戦国の山師と同様」とまで述べ、尊王攘夷論を批判する。言い換えれば、藤田東湖の「尊王攘夷」とは、「誠」を大義に掲げつつ、そのためには、ありとあらゆる卑劣な手段を講じてもかまわないと考えるテロリズムに帰結することは必定であると批判するようになった。
水戸学は、儒教道徳と神道を結び付けたところに特徴があるが、小楠その危険性を察知して、神道も徹底的に批判するようになる。1864年には井上毅に対して「神道の害は甚だしく、水戸や長州のような神道を奉じる輩は、君父に向かって弓を引くまでの不埒者となった」と述べている。(『沼山対話』。井上毅は、「神道」を伏字にして紹介しているが、著者によれば、伏字の中に「神道」が入ることは明白である)
小楠は、『古事記』の神代神話も含めて全て真理と考えるようなカルト思想が、国際正義に背を向けた偏狭な国粋主義、さらに原理主義テロリズムに発展することを悟り、水戸と長州の過激派批判に転じた。そして、「儒教」の中から国際的に通用する普遍性を抽出し、儒教に基づいて西洋帝国主義も批判するという開明的思想家となった。
小楠と教育勅語
しかしながら、『水戸学の研究』の著者の吉田俊純氏は、小楠の思想の限界性も指摘していて興味深い。すなわち、小楠が神道を批判したとして、水戸学全体を否定したとは言えないからだという。著者は、明治に小楠が生きていたとしても、開明的な方向にのみ進んだとは限らないという疑問を呈し、その根拠として、「教育勅語は、小楠の影響を強く受けた後輩の元田永孚と井上毅によって作られたことも、思い起こすべきである」と述べている。
安倍政権の思想のキーワードでもある「教育勅語」は、国家神道と儒教道徳の混成物で、どちらかというと神道色を薄めて、儒教道徳を前面に出したという点、水戸学的要素がみられる。教育勅語の精神が、軍部の玉砕精神にもつながっているという側面は濃厚である。この教育勅語が、開明的思想家・横井小楠の影響を強く受けた後輩の元田永孚と井上毅によって起草されたという事実は、意味深であると言わねばなるまい。何故そうなってしまったのであろうか?
吉田松陰の水戸学受容とテロリズム
つぎに吉田松陰を見てみよう。吉田松陰は、密航に失敗する前、佐久間象山門下である当時は、水戸学に批判的であった。ペリー来航時の嘉永6年(1853)には、兄宛ての手紙で、「水戸の老公(徳川斉昭)でも阿部閣老(阿部正弘)でも、海外事情を何も知らないのでは戦の仕様がない」と述べている。安政元年(1854)には、やはり兄宛ての手紙で、水戸の会沢正志斎を批判して、「会沢は『新論』で偉そうなことを述べているが、攘夷だなんだと言ってみても、軍艦の作り方一つ知らないではないか」という趣旨の批判をしている。
吉田俊純氏の著作には書いていないが、この松陰の言葉は、佐久間象山の水戸学批判をそのまま展開したものであろう。西洋技術を何も知らない水戸学の学者たちが、「尊王だ攘夷だ」と叫んでみたところで、いざ西洋から侵略されれば、何の役にも立たない空言に過ぎないという批判である。
松陰は象山からそう言われ続けて、オランダ語や物理学など勉強しようとしてみたが、彼は語学も数学も全くダメで、一向に身に付かなかった。彼は思想のセンス的には、完全に藤田東湖的であったのだ。
松陰に、理系的な素養はなかった。頭では、象山の教えが分かっていても、西洋技術を学ぶセンスは自分にはない。それで悩んで、「ならばアメリカに渡ってしまえ」と考えたのかも知れない。(これも私の推測であるが)
周知のように松陰は密航に失敗して萩に幽閉される。そこで佐久間象山のくびきから逃れることができた。やれ「オランダ語を学べ」、それ「物理学も勉強しろ」、「西洋を知らずして西洋に勝てるか」といった小言ばかり述べる口うるさい師匠が目の前からいなくなったのである。
萩の獄中で、松陰は水戸学の著述をむさぼり読み、また本居宣長の『古事記伝』も読破して、『古事記』に書いてあることは神代の神話も含めて、すべて真理であり、疑うことは許されないと考える国家神道の原理主義者になった。佐久間象山がそれを知れば、唖然として松陰を叱ったであろうが、象山はいない。
松陰は水戸学と本居学を折衷させて、自己の思想を確立する。そしてついには、「尊王攘夷」の四文字のお題目を唱えれば道は開ける、身は滅びても魂が残ればよいと、と宗教原理主義的な玉砕テロリズムを鼓舞するようになる。かくして、合理的な思考をしていた象山門下時代の吉田松陰とは全く別人のようになってしまった。
水戸学の思想はテロにつながると危険視した横井小楠の危惧を、まさに体現したのが吉田松陰とその門下生たちであったといえるだろう。
・・・・・・・・
・・・・・・
抜粋終わり
>松陰は水戸学と本居学を折衷させて、自己の思想を確立する。そしてついには、「尊王攘夷」の四文字のお題目を唱えれば道は開ける、身は滅びても魂が残ればよいと、と宗教原理主義的な玉砕テロリズムを鼓舞するようになる。
まるで日蓮宗みたい・・・観音経信仰が彼の妹にあったし、どうも松陰にも観音信仰もあったのか・・。
妹に、観音信仰への助言を書いている。まあ「在家信者の一身についての論」なら、結構いい説かもしれないが・・・・。
参考
政治は「自分の身は滅びても魂が残ればよい」というのではない、それは「エゴイズム」にすぎない。
自分の魂の救済を政治に求めてはいけない。
>故に身をもって身を観み、家をもって家を観、郷をもって郷を観、国をもって国を観、天下をもって天下を観る。われ何をもって天下の然るを知るや。これをもってなり。
老子54章
て考えからいうと、そのまま「一身の法を、直接に天下国家に使ってもダメですは」よね。
>尊王論と結びついた藤田の「誠」は、手段をわきまえない術策に陥ることは必然であると気づく。小楠は、水戸学の信奉者は「戦国の山師と同様」とまで述べ、尊王攘夷論を批判する。
これも一種の日蓮宗系カルトとおなじですよね。
> 水戸学は、儒教道徳と神道を結び付けたところに特徴があるが、小楠その危険性を察知して、神道も徹底的に批判するようになる。1864年には井上毅に対して「神道の害は甚だしく、水戸や長州のような神道を奉じる輩は、君父に向かって弓を引くまでの不埒者となった」と述べている。(『沼山対話』。井上毅は、「神道」を伏字にして紹介しているが、著者によれば、伏字の中に「神道」が入ることは明白である)
これが横井小楠が暗殺された最大の理由に思われる。
もしかすると、和製人民寺院が「松下村塾」だったのか。
お読みくださりありがとうございます。
上記文抜粋
・・・・・・・・・・
「神社」に住むヘイトの女神櫻井よしこ
『日本人に生まれてよかった』
ネット検索「日本に生まれてよかった」で最初にヒットしたのが櫻井よしこ著の『日本人に生まれて良かった』というヘイト本
この人間のクズ櫻井よしこは東京・港区の一等地にある素盞嗚尊(すさのおのみこと)を祀る有名な赤坂氷川神社の豪邸に住んでいた。(破壊的カルトの創価学会信者でホモで暴行容疑で訴えられた演歌歌手の芸名はこの神社に由来するという)
・・・・中略・・・・
・・・・中略・・・・日本会議界隈のメッセージは、ちょっと捻りが入っていて、「日本人なら日本を愛するのは当然」となっている。そして「どう愛するかは、こっちが決める」とワンセットなので、「この方法で愛せないお前は日本人じゃない」まで一直線で、超キモい。クソレイシストの頭の悪さが面目躍如だ。
— 菅野完 (@noiehoie) 2017年4月23日
『“極右の女神”櫻井よしこは「神社」に住んでいた! 神社本庁と改憲運動の一方、神社の所有地に520㎡の豪邸』2017.05.06.LITERA
「別冊正論」特集がふれなかった櫻井よしこの自宅がある場所
安倍首相応援団の筆頭で、様々な民間右派組織の顔“極右のマドンナ”櫻井よしこを丸ごと一冊特集した雑誌別冊正論が発売された。
内容はまさに“アイドル本”論文や対談記事のまとめはもとより、私生活にもスポットライトを当てている。
しかし、そんな〈一冊まるごと櫻井よしこさん〉の大特集に一つだけ、不自然にも書かれていないことがある。それは、櫻井よしこが“どこに住んでいるのか”。
実は、櫻井氏は住宅地でなく、“神社のなか”に住んでいるのだ。
東京・港区の一等地にある素盞嗚尊(すさのおのみこと)などを御祭神とする有名な神社の木々茂る境内社殿の道脇に、衝立で囲われた一軒家がある。白を基調とした外観の巨大な鉄筋コンクリート造の表札がないが「櫻井良子」の自宅。
地上2階地下1階、総床面積約520平方メートルに及ぶ、個人の邸宅とは思えないような超のつく豪邸。
櫻井よしこと神社本庁の関係、境内での改憲署名活動の「顔」にも
いやはや、極右言論活動って儲かるんだなあ、と改めて感心するが、問題はその豪邸が建っている土地だ。
なんと神社の所有。つまり、櫻井氏は神社の境内の一角に、この巨大な建物を建てた、そういうことらしい。
となると、頭をよぎるのは、櫻井氏の政治活動と神社の関係だ。
周知のように、櫻井氏は少し前から、全国で約7万9000の神社を統括している宗教法人・神社本庁とタッグを組んで、改憲や歴史修正主義的活動に取り組んできた。
神社本庁、日本会議、「美しい日本の憲法をつくる国民の会」が神社境内で憲法改正実現の「1000万人」署名運動を行っているが櫻井よしこは共同代表。
改憲署名活動が行われた神社には、櫻井氏の顔が大きく写し出されたポスターが貼られ、「国民の手でつくろう美しい日本の憲法」「ただいま、1000万人賛同者を募集しています。ご協力下さい」なる文言とともに笑みを浮かべていた。
そんな櫻井氏が、神社の敷地内で生活しているなんて生臭い匂いがしてくる。
神社界(神社本庁)と一体化し、神社に巨大な建物を建てている。櫻井氏周辺からは「土地はただではないが、かなり格安で借りているらしい」という情報。
櫻井氏のことを「櫻井先生」と呼ぶ神社。一方で、櫻井氏は自らの言論活動で、その国家神道礼賛の主張を、神社土地を借りていることは隠したままPRした。
櫻井氏に質問状! 右傾化、神社本庁、自宅の土地 しかし返事はなかった
櫻井氏の言論が地主への利益誘導ではなかったとしても、思想的な影響はどうなのか。櫻井氏はかなり前から改憲を主張していたし、タカ派的な論客ではあったが、90年代頃まではここまで戦前回帰、国家主義的な思想を声高にがなりたててはいなかった。むしろ、薬害エイズ事件などでは、国家犯罪を追及する姿勢も見せていた。
それが、2000年代に入ると、GHQによる神道指令は誤りだったとの論陣を張って、極端な国家主義や歴史修正主義を声高に叫び始め、その思想をどんどんエスカレートさせていった。神社の敷地に家を建てたのは、その極端な右傾化のまっただなか。
・土地は神社の所有ですが、地代はいくらですか。
・土地を借りることになった経緯。
・「別冊正論」でプライベートも公開したが「東京都心ながら静かで緑の多い住宅地」と神社敷地内に住んでいることを隠した理由はなんですか。
・神社本庁と一の言論活動と、神社に建物を建てている関係、影響。
・利害関係にある宗教団体の言論を展開することは、ジャーナリストとしての独立性、倫理について。
・以前は、ここまで右翼的、戦前回帰的な主張はない。主張の変化に神社本庁との関係について。
しかし、櫻井氏がこの十数年の間に急速に右傾化し、利害関係にある神社本庁と完全に歩調を一にしていることはまぎれもない事実。
鈴木邦男氏も驚く櫻井氏の極端な右傾化の背景には…
新右翼団体「一水会」元顧問の鈴木邦男氏が「櫻井よしこさんの思い出」と、その思想の変化を書いている。(「マガジン9」第123回 13年4月17日より)
80年代初期新右翼過激派運動に没頭、当時「クリスチャン・サイエンス・モニター」の記者だった櫻井氏から外国人記者仲間との飲み会に誘われ、
〈「この人が鈴木さん。日本の過激な新右翼なのよ。怖いんです」と皆に僕を紹介する。「オー、ノー」とか、「テリブル」という声が上がる。それだけを覚えている。他は全て忘れたが。しかし、30年経った今、櫻井さんの方が怖いし、過激だ。〉
〈あの頃は、櫻井さんは中立だったし、やや左だったかもしれない。それなのに今は僕を飛び越えて右に進み、保守陣営の女神さまだ。〉
新右翼(鈴木)が〈怖いし、過激だ〉という櫻井氏の思想はどこからきているのか。
なぜジャーナリストが神社本庁や日本会議と濃密関係になり、極右の女神になってしまったのか。少なくとも、その主張がいったい誰を利するのかを、われわれはよく見定める必要があるだろう。
05.06.リテラ(抜粋)
・・・・・・・・・
・・・・・・・・
抜粋終わり
神社本庁や日本会議は、「日本人に生まれてよかった」と思わせないための組織だ。
彼等から言えば、当然在日や同和や左翼さらに、貧困や病苦・失業に苦しむ同胞も、「日本人」ではないのである。
ちょうど「ユートピア思想」である。あるいは「カルト集団」
自分の妄想的理想と違背する現実を徹底的に排除・破壊する。
ジム・ジョーンズだったかの「人民寺院事件」と思想・志向は同じなのである。
代替案のための弁証法的空間 Dialectical Space for Alternatives より
上記文抜粋
・・・・・・・・・
水戸学と吉田松陰とテロリズム 水戸学と横井小楠と教育勅語
前の記事で紹介した吉田俊純著『水戸学の研究 ー明治維新史の再検討』(明石書店)、大変に興味深い内容である。若干の論点を紹介してみたい。
著者は、水戸学が他藩にどのような影響を与えたのかを考証し、水戸学が明治維新に果たした役割が大きかった事実を論証していく。「水戸学と横井小楠」「水戸学と吉田松陰」「水戸学と長州奇兵隊」・・・・といった具合である。
「幕末でもっとも開明的な思想家」とも評価される横井小楠と、長州尊攘派のイデオローグ吉田松陰の水戸学の受容の仕方は対照的なのが興味深い。横井小楠は若いころには水戸学に心酔したが、後にその危険性に気付き、それを徹底的に批判するようになる。逆に吉田松陰は、当初は水戸学に批判的であったが、密航に失敗して萩に幽閉されてから、徹底的に水戸学を受容したテロリストになっていくのである。
横井小楠の尊攘テロリスト批判・神道批判
肥後の横井小楠は、若いころに藤田東湖と交流し、藤田の信奉者になる。しかし、水戸尊攘派が過激化するのを見るにつけ、尊王論と結びついた藤田の「誠」は、手段をわきまえない術策に陥ることは必然であると気づく。小楠は、水戸学の信奉者は「戦国の山師と同様」とまで述べ、尊王攘夷論を批判する。言い換えれば、藤田東湖の「尊王攘夷」とは、「誠」を大義に掲げつつ、そのためには、ありとあらゆる卑劣な手段を講じてもかまわないと考えるテロリズムに帰結することは必定であると批判するようになった。
水戸学は、儒教道徳と神道を結び付けたところに特徴があるが、小楠その危険性を察知して、神道も徹底的に批判するようになる。1864年には井上毅に対して「神道の害は甚だしく、水戸や長州のような神道を奉じる輩は、君父に向かって弓を引くまでの不埒者となった」と述べている。(『沼山対話』。井上毅は、「神道」を伏字にして紹介しているが、著者によれば、伏字の中に「神道」が入ることは明白である)
小楠は、『古事記』の神代神話も含めて全て真理と考えるようなカルト思想が、国際正義に背を向けた偏狭な国粋主義、さらに原理主義テロリズムに発展することを悟り、水戸と長州の過激派批判に転じた。そして、「儒教」の中から国際的に通用する普遍性を抽出し、儒教に基づいて西洋帝国主義も批判するという開明的思想家となった。
小楠と教育勅語
しかしながら、『水戸学の研究』の著者の吉田俊純氏は、小楠の思想の限界性も指摘していて興味深い。すなわち、小楠が神道を批判したとして、水戸学全体を否定したとは言えないからだという。著者は、明治に小楠が生きていたとしても、開明的な方向にのみ進んだとは限らないという疑問を呈し、その根拠として、「教育勅語は、小楠の影響を強く受けた後輩の元田永孚と井上毅によって作られたことも、思い起こすべきである」と述べている。
安倍政権の思想のキーワードでもある「教育勅語」は、国家神道と儒教道徳の混成物で、どちらかというと神道色を薄めて、儒教道徳を前面に出したという点、水戸学的要素がみられる。教育勅語の精神が、軍部の玉砕精神にもつながっているという側面は濃厚である。この教育勅語が、開明的思想家・横井小楠の影響を強く受けた後輩の元田永孚と井上毅によって起草されたという事実は、意味深であると言わねばなるまい。何故そうなってしまったのであろうか?
吉田松陰の水戸学受容とテロリズム
つぎに吉田松陰を見てみよう。吉田松陰は、密航に失敗する前、佐久間象山門下である当時は、水戸学に批判的であった。ペリー来航時の嘉永6年(1853)には、兄宛ての手紙で、「水戸の老公(徳川斉昭)でも阿部閣老(阿部正弘)でも、海外事情を何も知らないのでは戦の仕様がない」と述べている。安政元年(1854)には、やはり兄宛ての手紙で、水戸の会沢正志斎を批判して、「会沢は『新論』で偉そうなことを述べているが、攘夷だなんだと言ってみても、軍艦の作り方一つ知らないではないか」という趣旨の批判をしている。
吉田俊純氏の著作には書いていないが、この松陰の言葉は、佐久間象山の水戸学批判をそのまま展開したものであろう。西洋技術を何も知らない水戸学の学者たちが、「尊王だ攘夷だ」と叫んでみたところで、いざ西洋から侵略されれば、何の役にも立たない空言に過ぎないという批判である。
松陰は象山からそう言われ続けて、オランダ語や物理学など勉強しようとしてみたが、彼は語学も数学も全くダメで、一向に身に付かなかった。彼は思想のセンス的には、完全に藤田東湖的であったのだ。
松陰に、理系的な素養はなかった。頭では、象山の教えが分かっていても、西洋技術を学ぶセンスは自分にはない。それで悩んで、「ならばアメリカに渡ってしまえ」と考えたのかも知れない。(これも私の推測であるが)
周知のように松陰は密航に失敗して萩に幽閉される。そこで佐久間象山のくびきから逃れることができた。やれ「オランダ語を学べ」、それ「物理学も勉強しろ」、「西洋を知らずして西洋に勝てるか」といった小言ばかり述べる口うるさい師匠が目の前からいなくなったのである。
萩の獄中で、松陰は水戸学の著述をむさぼり読み、また本居宣長の『古事記伝』も読破して、『古事記』に書いてあることは神代の神話も含めて、すべて真理であり、疑うことは許されないと考える国家神道の原理主義者になった。佐久間象山がそれを知れば、唖然として松陰を叱ったであろうが、象山はいない。
松陰は水戸学と本居学を折衷させて、自己の思想を確立する。そしてついには、「尊王攘夷」の四文字のお題目を唱えれば道は開ける、身は滅びても魂が残ればよいと、と宗教原理主義的な玉砕テロリズムを鼓舞するようになる。かくして、合理的な思考をしていた象山門下時代の吉田松陰とは全く別人のようになってしまった。
水戸学の思想はテロにつながると危険視した横井小楠の危惧を、まさに体現したのが吉田松陰とその門下生たちであったといえるだろう。
・・・・・・・・
・・・・・・
抜粋終わり
>松陰は水戸学と本居学を折衷させて、自己の思想を確立する。そしてついには、「尊王攘夷」の四文字のお題目を唱えれば道は開ける、身は滅びても魂が残ればよいと、と宗教原理主義的な玉砕テロリズムを鼓舞するようになる。
まるで日蓮宗みたい・・・観音経信仰が彼の妹にあったし、どうも松陰にも観音信仰もあったのか・・。
妹に、観音信仰への助言を書いている。まあ「在家信者の一身についての論」なら、結構いい説かもしれないが・・・・。
参考
政治は「自分の身は滅びても魂が残ればよい」というのではない、それは「エゴイズム」にすぎない。
自分の魂の救済を政治に求めてはいけない。
>故に身をもって身を観み、家をもって家を観、郷をもって郷を観、国をもって国を観、天下をもって天下を観る。われ何をもって天下の然るを知るや。これをもってなり。
老子54章
て考えからいうと、そのまま「一身の法を、直接に天下国家に使ってもダメですは」よね。
>尊王論と結びついた藤田の「誠」は、手段をわきまえない術策に陥ることは必然であると気づく。小楠は、水戸学の信奉者は「戦国の山師と同様」とまで述べ、尊王攘夷論を批判する。
これも一種の日蓮宗系カルトとおなじですよね。
> 水戸学は、儒教道徳と神道を結び付けたところに特徴があるが、小楠その危険性を察知して、神道も徹底的に批判するようになる。1864年には井上毅に対して「神道の害は甚だしく、水戸や長州のような神道を奉じる輩は、君父に向かって弓を引くまでの不埒者となった」と述べている。(『沼山対話』。井上毅は、「神道」を伏字にして紹介しているが、著者によれば、伏字の中に「神道」が入ることは明白である)
これが横井小楠が暗殺された最大の理由に思われる。
もしかすると、和製人民寺院が「松下村塾」だったのか。
お読みくださりありがとうございます。
PR
ご紹介頂いた記事に書いてある内容が事実の可能性もありますが、
私の見解は、この話はすべてが加計学園獣医学部問題隠蔽の為の作り話という見解です。
二人の殺されたとされる高齢の女性はいずれも病院から退院したばかりだとされ、
いずれの事件も自宅に戻った直後に襲われたと言う話の設定になっています。
5月3日の現場とされる場所の周辺住人の話では「(人の行き来がないから)誰がどんな人と住んでいるのか分からない」と語っています。
つまり5月3日に死傷させられたとされる岡本さん親子は近所づきあいがない市営住宅に住んでいた事になります。
架空の嘘ニュースをクリエイトしやすいBESTの条件です。
4月26日に殺害されたとされる越智サツキさんは二階建ての一軒家に住んでいました。
越智サツキさんは介護が必要なほど病気を患って生活してきたとされています。
殺されとされる当日はヘルパーの訪問日で、死体はヘルパーが発見したとされています。
つまり近所の人々や身内が越智サツキさんを支えていなかった事が推測されます。
と言う事は越智サツキさんも近所づきあいがなかったのでしょう。
こちらも架空の嘘ニュースをクリエイトしやすいBESTの条件です。
つきあいが少ないと言う事は、ほとんどの人々は殺された人を知らない。
と言う事は、殺されたとされる人物は架空の人物だっていいのです。
私は岡本さん親子も越智サツキさんも架空の人物だと推測しています。
4月26日に殺害されたとされる人物を越智サツキさんと設定した理由は、
この事件はサツキ<皐月=5月>に持ち越すぞと言う暗示です。
その通り5月に持ち越され、5月3日に岡本さん親子が死傷したと言うSTORYに
なっているのです。
岡本という名字は全国名字ランキング47位で、
全国の人数はおよそ299,000人もいます。つまり架空の人物をでっち上げても怪しまれません。
越智という名字は愛媛県にとても多い名字です。つまり架空の人物をでっち上げても怪しまれません。
以上の要素から、今治市親子殺傷事件は、加計学園獣医学部問題隠蔽の為のフェイクニュースだと推測できる!
どんな嘘でも警察が発表しマスゴミが報じれば真実になるのですよ、
日本はマスゴミの大本営発表を信じる愚民がとても多いから。その愚民を減らす為に拙ブログを書いています。
嘘ニュースをクリエイトするついでに、今治のタオルの宣伝を入れたのでしょう。
http://ab5730.blog.fc2.com/blog-entry-907.html
なにせ公安をつぎ込んでますから、それのほうが「民事訴訟」とかなくていいかも。
でもこれも敵にしたら藪蛇になるかも・・・外堀は埋まりつつあるのでね・・
書き込みありがとうございます。