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故国の滅亡を伍子胥は生きてみれませんでしたが、私たちは生きてこの魔境カルト日本の滅亡を見ます。
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男子戦わずして勝つべし―孫子 (人間学読本)  より

上記文抜粋
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 彼らのいう孫子の「絶対的王道」とは、純情の王道である。それが、日本の天佑を受けた万世一系の国体を等価になってしまうのが、二人の発想である。孫子は、そのように「純情」だったとは思えない。「道」を覇道とも王道ともいわなかったのは、彼の寄正の論法からすれば、どちらもありうるだけでなく。王道も覇道に逆転し、覇道も王道に逆転し、どちらがよしというものではないということを知っていたからだ。なによりも、敵味方もどっちも自らを「王道」といい、相手を「覇道」と決めつけるのが、ならいである。
 一方、孫子は、「詭道」という言葉を用いている。これに対比するものをさがすとすれば、「道」しかないだろう。あえて、かりにこの「道」を「正道」としよう。この場合も、対立するものの循環論法により、たがいが逆転しうるだろう。「寄正の変、無形に至る」とも孫子は言った。
 私は、もし孫子が「絶対的王道」などいうものを考えていたとするのならば、おそらく老荘の「無」に近いものだと思う万世一系の純情の王道などではない。そのようなフィクショナルなものを孫子が信じるはずもない。
 日本の純情の王道は、孫子の目からすれば、やはり「詭道」のうちであろう。国民を「純情」につなぎとめた大いなる詐術がそこにあったといわねばならないだろう。時過ぎされば、実際に
そうでもあったのだ。第二次大戦中の日本人は、ある意味で、挙国一致、「純情」だったともいえる。しかし、それは「狂信」だともいえる。しかも、その狂信は、孫子の言う「勢」でしかなかったといえる。「時勢」の力である。「勢」は、孫子にとって「詭」のうちである。
 詭であるのなら、そのようにうまく国民を「挙国一致」の真情に「日本帝国」はもちこんだともいえる。そうなら「交換条件附王道」でしかないだろうし、国民もまたそう思い込んだほうが、時勢の中で生きやすいという狡智もあったと見なければなるまい。日本人の戦後の生き方を見れば、その「虚実」は、胸糞の悪いほど、あきらかである。



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抜粋終わり

色付けは、私の編集です。


お読みくださりありがとうございます。
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