故国の滅亡を伍子胥は生きてみれませんでしたが、私たちは生きてこの魔境カルト日本の滅亡を見ます。
2024/05 04 < | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 | 17 | 18 | 19 | 20 | 21 | 22 | 23 | 24 | 25 | 26 | 27 | 28 | 29 | 30 | 31 | > 06 |
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ネットゲリラ より
上記文抜粋
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登山靴もザイルもハーケンもない
野次馬 (2019年9月13日 15:12) | コメント(2)
近代登山の前から日本には山に住むヒトというのがいて、その中でも修験者というのは「山に登るのが仕事」なので、わけもなく高いところに登りたがるわけです。剱岳山頂には、近代登山以前に修験者が残した建物の跡があったと言われている。
残暑厳しき後立山連峰を日帰り縦走(マウンテン・ティムさん)
近代登山とは何か? というと、「都会の人が山に登る」わけです。そこに住んでいるわけじゃない。修験者は山麓に根拠地を持ちながらも、山に何ヶ月も籠もって暮らせるだけの準備をいつも持っている。薪炒り番茶KKの茶畑のある「ずしゃだち」は、修験者がベースキャンプにした土地らしい。作物らしい作物が穫れる限界に近く、そこで自給自足の環境を整え、山を放浪する。山を知り、山で生きるのが修行であり、山頂に到達するのが目的ではない。
・・・ 中略・・・・・
中世の修験者は近代装備もなしに、どうやって劔岳や最難関クラスを登頂しまくってたんだ??、というわけで、例によって2ちゃんねるでは無責任なネットすずめたちがピーチク騒いでおります。ニュース速報板からです。
・・・・・・・・・
・・・・・・・・・
抜粋終わり
副島隆彦さんが、「修験者って、山岳走行能力は、自衛隊のレンジャー部隊以上。自衛隊レンジャーでも大峰走り抜けをしたら、迷って死にかねない。」
てなことを書いていたと思う。
新井さんも
なぬとチャンネル より
上記文抜粋
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また、小菅の集落に移り住んだ、山伏さんも、この企画の応援団に加わり、仲良くなりました。
最近は、オンナ山伏(女性の修験道の行者)を志す人も増えだしたとのことです。
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・・・・・・・・・
抜粋終わり
なんか多少裏はある気もするけど、反西欧的な正気の動きも、リンクしている。
南無神変大菩薩
南無大聖不動明王・・・てか・・
お読みくださりありがとうございます。
上記文抜粋
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登山靴もザイルもハーケンもない
野次馬 (2019年9月13日 15:12) | コメント(2)
近代登山の前から日本には山に住むヒトというのがいて、その中でも修験者というのは「山に登るのが仕事」なので、わけもなく高いところに登りたがるわけです。剱岳山頂には、近代登山以前に修験者が残した建物の跡があったと言われている。
残暑厳しき後立山連峰を日帰り縦走(マウンテン・ティムさん)
近代登山とは何か? というと、「都会の人が山に登る」わけです。そこに住んでいるわけじゃない。修験者は山麓に根拠地を持ちながらも、山に何ヶ月も籠もって暮らせるだけの準備をいつも持っている。薪炒り番茶KKの茶畑のある「ずしゃだち」は、修験者がベースキャンプにした土地らしい。作物らしい作物が穫れる限界に近く、そこで自給自足の環境を整え、山を放浪する。山を知り、山で生きるのが修行であり、山頂に到達するのが目的ではない。
・・・ 中略・・・・・
中世の修験者は近代装備もなしに、どうやって劔岳や最難関クラスを登頂しまくってたんだ??、というわけで、例によって2ちゃんねるでは無責任なネットすずめたちがピーチク騒いでおります。ニュース速報板からです。
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- 気合いだけで登れるのか?
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- 本当に登頂してたんだろうか
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- ↑劔岳山頂には中世の修験者の持ち物が遺されてた
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- いっぱい登って
- いっぱい死ぬ
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- 19歳の死んだ話かと
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- 下から錫杖を頂上に向かって投げた
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- 空海かよ
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- ↑空海がそんなことしたら空から温泉降ってくるぞ
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- 昔の人は猿に近い身体能力があったのかも知れない。今は便利になりすぎて退化してしまったのかも
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- 神通力
- そして若い女の脛に見とれて滑落
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- 人権思想が無い頃の方が色々できます
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- 劒岳の件に関しては、錫杖などは「山頂で発見された」という明確な記述はないぞ。それでも千数百年も前の人が登頂に近いレベルで登ってたのには驚くけどな
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- まあ、昔は死ぬ覚悟はあったんだろ。
- 今は生還が当たり前みたいなんだがな。
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- マロリーみたいに帰りで死んでたかもわからんな
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- なんて言うんだっけ法力とか念力とか
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- ↑修験道なら験力だな
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- ↑ああそれそれ
- でもそういうの割と本気であるんだと思うよ
- 東洋は目に見えないそういう力信じる面あるよな
- 今では頭おかしい国筆頭の中国だって昔から気功とかの概念があるんだし
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- 鎖があるぶんヌルゲーになってんだよなぁ
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- ↑現代のエベレスト登頂もシェルパが荷物をより多く運び、道を切り開いてお客さんを先導するんだけどな
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- ↑シェルパ普通にすごいよな
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- そりゃあ中世は現代みたいな便利なもんは無かったわけだからな
- 日常生活=トレーニングみたいな生活だったわけ
- 現代人より遥かにタフな人達だったわけでさ
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- ↑あと背低いし軽量だったなら筋肉の強さの割に負担少なそう
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- 死んでも普通な時代や
- 千日回峰行なんかはできんかったら自殺してた
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- 極地法だろ
- 剱岳山頂に建築物があった形跡が
- 残されてたんじゃなかったっけ
- 元々修験道は複数の人間で行動するもの
- 山奥の崖だのとんでもないところに
- 祠だの社だのを建てて周った異能集団
- ノウハウもマンパワーはあったと思うよ
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- ↑これが一番納得できるレス
- 口伝や内々だけの技術として伝えられていたのなら
- 残っていなくてもやむを得ないし
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- ↑八甲田山のやつなんかは、そういう現地民のノウハウを軽視していたのも一因だしな
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- 基本は下から拝むだけじゃね?
- 仏像の頭に乗るようなもんだし。
- 下の方で走り回ってただけ。
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- 室堂からはアップダウンがそれほど無くて
- 夏場なら女性でも楽々行けるみたいだな
- しかし夕方から登るってのは命知らずだし
- 台風も来てたし突風で飛ばされたんかな
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- 19世紀末にヒマラヤを越えた日本人がいる
- 憶えておいてもいいと思う
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- 今で言うエベレスト的な感覚だろうな。写真も地図もないから異世界感半端ない
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- 千日解放業みたいな業がある時点で、登ってても不思議ではない
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- 明治の陸地測量隊も、鎖とか無いまま登ってるな
- 登山家でもない測量屋なのに
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- まあ、昔は死ぬ覚悟はあったんだろ。
- 今は生還が当たり前みたいなんだがな。
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- 業によっては失敗したら(諦めたら)自害しなければならないので、業に入る前に生前葬みたいのをやるものもある
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- 雨ふってきたら体冷えただろうな
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- 食料は何をどれくらい持って行ったんだろう
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- ↑基本はコメじゃね
- 乾飯にしてね
- そのままでも食べられて20年保存できる最強保存食だし
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- 登山靴もザイルもハーケンもないからな
- 頑張って登れよ
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- チャクラを手のひらや足先に集中して壁に接着
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- マタギとか何週間も山で獲物を追って過ごした
- すごいよね
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- 背中を押し当ててじわりじわり登ってった
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- 剛力彩芽もZOZOの最高峰を簡単に登頂征服したように登山者の荷物を運ぶ地元の剛力には最高峰登頂も今でも簡単なことなんだよ。
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- 生き残った奴だけ登頂した
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- ヘリで山頂に一直線
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- 黒部ダムを作る時の情報伝達かなんかをサンカかマタギかがやったとかいう話が確かあったと思ったけど、行って帰ってくるのが無茶苦茶速かったらしいな
- 自然にそこそこ慣れてる当時の人からみても速いんだから、山に住む人は想像以上に凄かったんだろう
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- 本州は山づたいに移動すればほぼ平地に降りずに端から端までいける
- しかし、唯一下に降りねばならないのが近江国
- ここが日本のハートランドと呼ばれ近江を制したものが天下をとれるといわれてきた由縁である
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- 真言唱えて仏の加護を祈りながら登ると、超常的な力が出るんだろな
- これが宗教の力
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- ネット情報よりも長年の経験と、ベテランとの動向で養った技術だろうね
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- 高下駄は最強のトレッキングウエポン
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- 天狗か
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- 単純に考えて、全員が生還出来る場所じゃないから、死地に赴く意味での修行の場だったんだろう。
- たぶん半数以下は、遭難や事故で戻ってこなかった。
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- ゴアテックスの着物とワラジを着用してた
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- あの鎖とか付けたのって誰?軍関係?
- そいつらが一番すごい
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- ↑山の頂上付近によく社や鳥居を建ててるけど、建材運び込むのすごい手間だよな
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- 上司からストレス解消にと「大峰山」という変な名前の覗き部屋に誘われる
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- 加賀藩の藩士も領界警備で草履に編み笠で稜線を闊歩していた
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- 天から与えられた丈夫な身体をひたすら追い込むのが修行
- 丈夫でない奴は死ぬだけ
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- 山羊的な何か
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抜粋終わり
おはよー皆の衆!(*'▽'*)
今日はマスターが今年3回目にして初の山上ヶ岳の大峰山寺単独登拝目指すと言ってるので、見守り隊で行ってきます!
夕方くらいまで音信不通になりますので、よろしくお願いします。m(_ _)m
それでは、本日もハリキッて行きまっしょい!!!!\\\\٩( 'ω' )و //// pic.twitter.com/yWiuiwX5Hl
— 役小角奈@10月13日 第二回小角奈祭開催決定! (@ruchisyougun) September 8, 2019
副島隆彦さんが、「修験者って、山岳走行能力は、自衛隊のレンジャー部隊以上。自衛隊レンジャーでも大峰走り抜けをしたら、迷って死にかねない。」
てなことを書いていたと思う。
新井さんも
なぬとチャンネル より
上記文抜粋
・・・・・・・・・
また、小菅の集落に移り住んだ、山伏さんも、この企画の応援団に加わり、仲良くなりました。
最近は、オンナ山伏(女性の修験道の行者)を志す人も増えだしたとのことです。
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抜粋終わり
だし。おはよー皆の衆!(*'▽'*)
昨夜の雨から一転、だいぶ涼しくなりまして今朝はめっちゃ良い天気♪
機構もバッチリなのに、今日は州の谷間の木曜日。(><)
まあ、ぼちぼちやりますかw
本日もハリキッて行きまっしょい!!!!\\\\٩( 'ω' )و //// pic.twitter.com/mLyWbKY5mj
— 役小角奈@10月13日 第二回小角奈祭開催決定! (@ruchisyougun) September 12, 2019
なんか多少裏はある気もするけど、反西欧的な正気の動きも、リンクしている。
南無神変大菩薩
南無大聖不動明王・・・てか・・
お読みくださりありがとうございます。
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なるほど。