故国の滅亡を伍子胥は生きてみれませんでしたが、私たちは生きてこの魔境カルト日本の滅亡を見ます。
前漢末期から後漢をかけ儒教が浸透する事になるが、国策だけでなく光武帝中興までの混乱期の戦乱の特殊性も大きく影響していると思う。新末後漢初は、主役は群雄でなく放浪軍。賊の略奪に対し、民間や豪族・名士らは一族で塢を作り自守した。この際の親族間結束に儒教は支柱となりえたのではないか。
— 金印 (@rubu192rubui) 2017年5月23日
また、儒林列伝を筆頭に、両漢交替期動乱を生き抜き光武帝末に仕えた文官の面々は、家族で防衛中に赤眉賊に攻撃された際に撃破したのでなく「彼は立派な男だ。」と悪の筈の赤眉に助けられる例が異常に多い。樊崇らが儒の精神を持ったのが幸いか、命を拾った知識層に儒の価値は焼き付けられたと考える。
— 金印 (@rubu192rubui) 2017年5月23日
>家族で防衛中に赤眉賊に攻撃された際に撃破したのでなく「彼は立派な男だ。」と悪の筈の赤眉に助けられる例が異常に多い。樊崇らが儒の精神を持ったのが幸いか、命を拾った知識層に儒の価値は焼き付けられたと考える。
これは面白い。
普遍的な徳ってのは、彼我・敵味方を超えることが多々ある。
そういう意味で耶蘇は恐ろしい。そういう普遍的な徳をほぼ無視しているとしか思えんから。
同じ一神教でもムスリムはそういうところの許容があるから、ずいぶんマシに思える。
まさに「邪教のキリスト教」っていうのは正解だ。
お読みくださりありがとうございます。
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