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故国の滅亡を伍子胥は生きてみれませんでしたが、私たちは生きてこの魔境カルト日本の滅亡を見ます。
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P R
道教法師 鮑義忠 より

上記文抜粋
・・・・・・・・
すでに始まっていた!

・・・・中略・・・・

”魔”と名の付くものには最大の注意が必要である!
魔にも種類があり
自我と無我がある。
自我は我で無我は自然
自然はどうすることができなくても
我の部分くらいは自らが精進して節制するしかない。


・・・・・中略・・・・

今回は明治に起きた廃仏毀釈と
易経の誤解釈などによって
この国では宗教絡みの事件がとても多く
そのメチャクチャな宗教や
中には犯罪集団にまで発展することに
なり、現代の宗教界へ影響を与えたと思われる事柄や
現在の先祖供養の
在り方に関して書きました。

道教の世界では先祖供養は亡くなり方(死因)
などによってそれぞれ異なる護符が存在します。
例えば
盲目、餓死、首吊り、断首刑、戦死、弓に射られた、
墓の問題、獄中死、邪霊や妖の障り、三世代続く災禍、馬に踏まれて死亡、溺死、突然死、圧迫死、獣に襲われて死ぬ、蜂に刺されて死ぬ、落雷死、先祖の不信心による災禍、刑罰や拷問による死などなど
さまざまな理由で亡くなった方を弔う護符が
存在します。

腰痛なのに歯医者に行くのは

お門違いなのと同じです。

それと同じですべて一律で行って先祖の魂が

浮かばれるわけがありません。

その諸悪の根源である間違った風習のせいで

現在では目に見えないものに対する

畏敬の念が損なわれたせいで

先祖供養の仕方が

かえって不幸になるものばかりです。


・・・・・・・
・・・・・・・
抜粋終わり


旅の密教僧 より

上記文抜粋
・・・・・・・・・・
略法のツケ

今日は子の日、大黒さまのご縁日です。

大黒さまの秘法の一つに 「一時千座法」 という法があります。

この法は、一升枡に納めた大黒さまに米や大豆などを一粒ずつ丁寧にお供えをしていきます。

この際、阿闍梨は秘印を結び、印をもって真言と共に供えます。

この法の功徳は 「大黒法」 を修法し、初めて効験を発揮します。

「一時千座法」 のみでは、形だけのものとなり、その効験は現れません。

もし 「一時千座法」 のみで効験をいただいてしまうと、その後のツケが大変だと先師さまが書き残された書物で読んだことがあります。

常日頃から行法により、招き接待(供養)をする積み重ねでいただくことができる功徳を 「一時千座法」 のみでいただいてしまうと、美味しいとこ取りと同じで、その後、何十年、何百年に渡り、いただいた何百倍もの功徳をもっていかれるそうです。

これは 「略法」 や 「一印法」 「小供養法」 などにも同じことが言えます。

辯天さまにも 「一印法」 や様々な小作法がありますが、これも日々の行法、辯天法あってのものとなります。

こういった略法など、それのみで得られる効験は、神佛の功徳ではなく、行者の自力、命を削って得られているものです。

これを繰り返す行者の最後は、悲惨だと学んでおります。

私自身も、数々とそういった行者さんの最後を見てきましたが、やはり悲惨な最後を迎える傾向にあると感じます。

密教における効験の原点は 「行法」 であり、これが全てです。

常日頃からの積み重ねる行法なしに、読経のみでの供養や回向は成立しません。

行法の功徳が読経によって供養という効験を発揮します。

俗世間も出世間も 「積み重ね」 から得られる結果は変わりません。

常にこの心構えを失わないよう、密教僧として神佛に勤めたいと思います。

合掌



・・・・・・・・・
・・・・・・・・・
抜粋終わり

>現在では目に見えないものに対する

>畏敬の念が損なわれたせいで

>常日頃から行法により、招き接待(供養)をする積み重ねでいただくことができる功徳を 「一時千座法」 のみでいただいてしまうと、美味しいとこ取りと同じで、その後、何十年、何百年に渡り、いただいた何百倍もの功徳をもっていかれるそうです。

>こういった略法など、それのみで得られる効験は、神佛の功徳ではなく、行者の自力、命を削って得られているものです。

>これを繰り返す行者の最後は、悲惨だと学んでおります。


なんとなく、大事に思った。

特に、略法の件は、「新自由主義経済やバブルで景気が良くなった、その事の反動」と似ていると思う。
数字の詐術と弱い者いじめの誤魔化し・・・


特に、自称好景気が、延々と続いている日本の現状は、まさに

>これを繰り返す行者の最後は、悲惨だと学んでおります。

これを繰り返した日本経済の今後は、悲惨でしょう・・・・


>常日頃からの積み重ねる行法なしに、読経のみでの供養や回向は成立しません。

>行法の功徳が読経によって供養という効験を発揮します。

>俗世間も出世間も 「積み重ね」 から得られる結果は変わりません。


我々在家は、せいぜい「読経」「真言念誦」くらいしかできないが、それの積み重ねが肝心。

というか、日常茶飯事を大事にする・当たり前の日常を大事にする。ってことの繰り返しなくして、真っ当に幸いな生活は、無いのだろう。


なんか上手く言えないが・・・


お読みくださりありがとうございます。







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無題
  • from kaze :
  • 2017/12/19 (17:47) :
  • Edit :
  • Res


(抜粋)

・・日常茶飯事を大事にする・当たり前の日常を大事にする。ってことの繰り返しなくして、真っ当に幸いな生活は、無いのだろう。


こちらの言葉と戦後の経済成長と、反比例をしているように思います。

たぶんお気づきの方はたくさんいらっしゃるのでしょうけれど、
経済という生き物に魂を売ってしまった人、飲み込まれてしまった人、様々・・

現在通過している時代は、高度成長する事を夢見た時代の後始末をする時なのでしょうか。
そのような時、精神世界を真剣に考えて、修正する必要が求められている。
この国の民族の意識が生み出せる精神性には期待ができそうな気がします。
修正する、具体的な入り口は家庭からでしょうか?

構築するための崩壊が今なのでしょうか?
そんなふうに感じています。
Re:無題
2017/12/19 19:18
>現在通過している時代は、高度成長する事を夢見た時代の後始末をする時なのでしょうか。
>そのような時、精神世界を真剣に考えて、修正する必要が求められている。
>この国の民族の意識が生み出せる精神性には期待ができそうな気がします。
>修正する、具体的な入り口は家庭からでしょうか?
>
>構築するための崩壊が今なのでしょうか?
>そんなふうに感じています。

経済といっても「経世済民」でなく「銭ゲバ」の経済に心奪われて根無し草になってしまった・・。

「経済」に追われているが、結構モラルハザードの一因に思えます。

学力が同程度の高校でも、校則が厳しめの高校よりも、競争の煽りが激しい高校のほうが、モラルも雰囲気も悪く、多くの退学者を出していたことを思い出します。

まあ高校ですから、それなりに校則の縛りがきついですが、その上に競争となると、すさまじく心が荒むように思えます。

まさに、今の日本の様相で・・・。


あと、もっと物事の「本質・根っこ」を考えるようになれば・・・


取りとめもない返事になりました・・・


書き込みありがとうございます。

無題
  • from kaze :
  • 2017/12/19 (21:02) :
  • Edit :
  • Res
「家庭」から・・と思います。と書いた理由の一つなのですが、

お百度参りとか、通信手段が整っていなかった時代、
母親は随分と心を痛めて、手元を離れる我が子を思う姿が・・たぶん、我が子を思う気持ちが「念」と云う昇華した域...元は愛情という単純な、


>もっと物事の「本質・根っこ」を考えるようになれば・・・

おっしゃる、こちらの言葉になるように思います。
シンプルに思考をすると物の見方が変わると思います。

それから
「見えない・・」 体験してしまったので
不思議なことを否定できなくなりました。

透視のような事ができる方はひっそりと、知られないように暮らしているようです。
「見えても言ってはいけない」と・・
私のことを口にして、親からお叱りの連絡が、らしいです。

詳細の書きようがないのです。見えない世界のことなので・笑。


Re:無題
2017/12/20 21:01
昔、赤外線も、紫外線も、超音波も見えないので、「なかった」だったが、技術が発展して「ある」となりました。

見えないことは、無いとは限らないのですよね。


わかる人は、それを心得て、謹慎にできます。


あと、「家庭」が大事ですが、その形式にとらわれると「日本会議」とかのカルトや三流儒学者・マナー評論家のように空しく人を苦しめるだけになります。

でも軽視していると、ドンドン土台も失い、生活や社会が破壊されます。

例えですが、項羽と劉邦の戦いで、戦に弱い劉邦が勝ったのは、しぶとかったことと、その「しぶとさ」を支えるショウ何の補給・統治会ってことです。
だいたいの戦いが、ショウ何のような補給や統治の名手を仲間に持って大切にする人が勝ちますし、長期的な政権を成立できます。

戦争ですら、人間の日常なら、生活や精神・魂の「本拠地」や補給源の「家庭」が、大事なのは言うまでもありません。その家庭を守る人に感謝しないのは、ショウ何を軽んじて、追いやるようなモノで、まあ負けるなり滅亡しますし、家庭・個人は、確実に不幸になりますよね。


なんか、上手くまとまりませんが、お返事に代えさせていただきます。

書き込みありがとうございます。

無題
  • from kaze :
  • 2017/12/21 (09:33) :
  • Edit :
  • Res
返信をありがとうございます。

物事の(本質、根っこ、基本、基礎・・これらに類する言葉)
>戦争ですら、人間の日常なら、生活や精神・魂の「本拠地」や補給源の「家庭」が、大事なのは言うまでもありません。その家庭を守る人に感謝しないのは、ショウ何を軽んじて、追いやるようなモノで、まあ負けるなり滅亡しますし、家庭・個人は、確実に不幸になりますよね。

12月20日の記事
「一人でも豊饒な房になる」

この言葉に現れる日常から我(吾)を 我(吾)をどのような房に育てる、と意識して生活をするか。
日常のすべてに知る機会があります、という事でしょうか。

それが 戦争ですら・・・
と、解釈をしてみました。

Re:無題
2017/12/21 09:41
同感です。

書き込みありがとうございます。
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