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故国の滅亡を伍子胥は生きてみれませんでしたが、私たちは生きてこの魔境カルト日本の滅亡を見ます。
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P R
読めないニックネーム(再開版) より

上記文抜粋
・・・・・・・・・
ユダヤ陰謀カルトの歴史をクソバカ丁寧に解説
http://neutral-neutral.com/archives/6015

神道に教義も教典もないならユダヤ教なわけないじゃん。
旧約聖書も十戒もないユダヤ教ってなんだよ
どの宗教か特定できませんよね
キムタクよりキムタカの方が何倍も面白い
同祖論者にはまず、
「聖書の登場人物の実在を示す聖書以外の物証を引用元の情報とセットで教えて下さい。私は聖書の登場人物の実在が大前提の同祖論は聖書思想に基づく単なる同祖「教」と考えております」
と言ったらいいよ。


・・・・中略・・・・・・

ユダヤ・フリーメイソンを攻撃したナチスのスポンサーが、反ユダヤ主義・ユダヤ陰謀論)・フリーメーソン弾圧の三位一体カトリックであることに注意。
重要なのは、
①メイソン叩きのさいに、ユダヤがセットで叩かれている
②メイスンとユダヤを叩くのはキリスト教と神道カルト(和風キリスト教)勢力がほとんど
であること。
「困ったらユダヤのせい」


・・・・・・・中略・・・・・・

ユダヤ=フリーメーソン陰謀論?ああ、大本教や、大本教とキリスト教には絶対に逆らえないオウム真理教が言っていましたね。

陰謀論者判定法 イエズス会三大発明 ①日ユ同祖論 ②ユダヤのマークとしてのダビデの星 ③秘密結社の陰謀論 聖書が根拠の①を否定し、②と③がキリスト教製だと指摘しているならOK。 ※通用しない勢力もいるので注意
欧米の秘密結社あたりが持ってる世界の秘密の情報を、カルトの教義に混ぜ込んで発表させて、既存の歴史学は信用できないと固定観念を破壊した後にカルトの教義で洗脳するという悪質な方法を取るのがカルト。

キリスト教のデマパンフの劣化コピーを喧伝する紐付きの秘密結社陰謀論では決して、「銀行こそが秘密結社であり、中枢はクリスチャン」だと言いません。


・・・・・・・中略・・・・・


神道カルトの特徴
神道家の天皇崇拝
日ユ同祖論
ユダヤ陰謀論
キリスト教製と明治以降に広まったものばかりの癖に「伝統」だそうです。
仏教国教時代と仏教徒の天皇
白人偽ユダヤ人が銀行を支配=白人キリスト教徒が銀行を支配。「ユダヤ=キリスト教製の煙幕」 をなくすと、黒幕=キリスト教が丸見え。


・・・・・・中略・・・・・・

本ブログの読者なら、ウィキの英語記事と日本語記事を比較して読むなどしたらいいでしょう。
私が日ユ同祖論のウィキの記事を英和で比較して、日ユ同祖論者がクリスチャンだらけで、日ユ同祖論の歴史に登場するのがクリスチャンだらけで、源流がイエズス会士であることを暴露したように。


・・・・・・中略・・・・


(人間を神として祀るなんて、一神教最大級のタブーじゃねーか!
ゴッドと人間には絶対に埋められない隔たりがあるから、一神教なんだよ!
人間が神になれるのなら多神教じゃん!
神道に無知な日ユ同祖論者が神道に教義も教典もないって言うことがあるけど、
十戒も旧約聖書もないユダヤ教って何教ですか?
神道に教義も教典もあるって神道学者が認めているんですけど?

同祖論者に最初にすべき質問は

「失われた十支族が実在することを示す、聖書以外の物的証拠を教えてください。
実在を証明できないなら同祖論は嘘です」

という大前提に関する質問にすべきですよ。
同祖論者がクリスチャンや和風クリスチャン=大本教などの神道カルト信者
だらけなのはこの大前提を信仰しているからですよ。

日ユ同祖論の源流にして、中ユ同祖論の発明者は17世紀のイエズス会士ロドリゲス。

17世紀のイエズス会士のロドリゲスが同祖論に『第四エズラ書』にある聖書の民が東に行った、
という記述を使っていると過去に書きました。
イスラエルの東のはずれはパプアニューギニアなので東に行っても日本にいけません。
メルカトル図法は方位が不正確。
方位が正確な正距方位図法ではイスラエルの東北の果てが日本であり、東の果てならニューギニア島あたり。
失われた十支族が実在する考古学的証拠がないので同祖論なんて成立しません。

中ユ同祖論の提唱者にして日ユ同祖論の原型を作った17世紀のイエズス会士ロドリゲス『日本教会史』と
茶の湯とキリシタン大名とキリスト教人脈と大河ドラマと
大日本皇道立教会と
鹿児島版田布施の加治屋町
http://yomenainickname.blog.fc2.com/blog-entry-90.html
“中ユ同祖論はイエズス会士ロドリゲスが最初。
ロドリゲスは中国から日本に渡ってきた人がいると言っているので、日ユ同祖論については原案あるいは起源レベル。
「十の民族が東へ一年半進んで、アルサレトに定住したとはエズラ第四書の第十三章に述べてある通り」は日ユ同祖論にも利用できます。
東ならどこでも同祖論にできちゃうぞ。
イェルサレムから日本への方向は「東北」であって東ではありません!
正距方位図で見て東かどうか確かめないといけませんよ。

日ユ同祖論の理論を詳しく発展――詭弁だけど――させたのは明治期のマクラウド。
マクラウドは英ユ同祖論に大いに影響されたと思われます。
日ユ同祖論者=無自覚含め宣教師。


・・・・中略・・・・・


日ユ同祖論は
①佐伯好郎(景教博士。最初期の論者。キリスト者)が功利的企画だと暴露
②ダビデの星がユダヤのシンボルになったのは十七世紀から(イエズス会製)
③カバラに生命の木が登場するのは中世から
④仏教徒の天皇も側近も縦書きの漢字を使用
⑤天皇は道教用語
を無視して捏造してね!


・・・・・・・・中略・・・・

神道は二つの意味で中国製。
①道教の一派。陶弘景の神道=道教
②キリスト教の一派。
中国語訳聖書のGODの訳語としての神が日本に入り、
国学者(アンチ仏教)でクリスチャンの平田篤胤が神道=和風耶蘇教(本教)を作る。
道教書と和風聖書が経典であることを隠すために神道に経典も教義もないとした。


菊池 ‏@kikuchi_8
ネストリウス派=景教は人性と神性を明確に区別する。マリアも「神の母」ではなく「人性としてのキリストの母」という扱い。カトリックより人格と神格が厳格に区別されている。人と神の距離が近く、同一視し、場合によって人が神に命じる関係(例:役小角と一言主神)すらある日本の宗教観と隔絶する。



・・・・中略・・・・

日ユ同祖論も、文明日本起源説も西洋への劣等感を抱いている人を洗脳するのに最適の悪質な思想だなあ。
コンプレックスから宗教を作ったり、信仰する事例は多いだろうし。
当ブログほど同祖論の矛盾と起源を書いているブログは他にないんじゃないかなあ?

・・・・・中略・・・・


・リンカーン大統領お付きの武官であるケイス大佐が後に証言したところによれば、リンカーンは四回続けて日曜日の晩にお気に入りの男性霊媒をホワイトハウスに呼びメッセージを聞き、これが「奴隷解放宣言」発令に大きく役立ったという。
またそのころ、後に霊言霊媒(霊感を受け、入神状態でメッセージを伝える霊能者)メイナード夫人として有名になった、当時16歳のネティ・コルバーンがリンカーンの前で入神状態になり、彼に向かって一時間半にわたって演説をした。
目が覚めたネティが見回すと、周囲は静まり返り、目の前の椅子に座ったリンカーンが胸のあたりに腕を組み、彼女をじっと見つめていたという。これは後年彼女が出版したメモワールによるものだが、ケイス大佐の証言もその事実を裏書きしている。この時のメッセージは、「奴隷解放宣言」を発令しなければ、南北戦争は終わらないだろう、というものだったそうである。
1862年の秋のことで、
翌年の1月1日に奴隷解放宣言が発布された。


・・・・・・・
・・・・・・・・
抜粋終わり

>リンカーン大統領お付きの武官であるケイス大佐が後に証言したところによれば、リンカーンは四回続けて日曜日の晩にお気に入りの男性霊媒をホワイトハウスに呼びメッセージを聞き、これが「奴隷解放宣言」発令に大きく役立ったという。

光武帝って、意外とオカルトを無視している。「緯書」を重視したが、ほかに自分では「政権の正当性」を保証できないってことらしい。
参考 その2

上記文抜粋
・・・・・・・・・
劉秀と予言書

 劉秀はこれほど理想像に近い君主であったが、必ずしも後世の評判は高くない。その最大の原因が予言書の問題である。すなわち予言書を信じた迷信深い君主とされ、あるいは史書を書く儒家から嫌われ非難されたのである。
 確実に言えることは、劉秀と同時代に生きた儒者は劉秀が予言書を信じていると考えていたことである。彼らはみな、怪しげな瑞兆や魔術士である方士を一顧だにしない劉秀が、なぜ予言書を信じるのか理解しかねると嘆いていた。しかし劉秀自身が本当に予言書を信じていたかどうか、疑わしい点が多い。
 劉秀は予言書を信じるにはあまりに現実主義者だった。
 たとえば劉秀は奇跡の瑞祥の報告を全く信じなかった。
 ある年の夏、洛陽に甘酒の泉が涌き出て、これを飲む者は重い病もすぐに治った。ただ、すがめやあしなえは治らなかった。また、赤い草が水の崖に生えたことがあった。郡国ではたびたび甘露であると上奏した。家臣はこうした奇跡を記録するように願い出たが、劉秀は決して聞き入れることがなかった。
 自分には徳がないといつも謙譲し、地方から奇跡の報告が送られてきても、ただちに差し押さえて自分のことではないとしたため、史官はまれにしか記すことをできなかった。
 甘露にしろ不思議な植物にしろ、それは天変地異であったり動植物の突然変異であるに過ぎず、何か特別な意味があるものではない。しかし民衆は同じ異変を見ても、時に不吉な兆候であると感じ、時に奇跡に天の祝福たる奇跡であると感じる。その違いは政治情勢にある。政治が不安定で民心が落ち着かないときは凶兆と報告し、政治が安定し社会が平和になると吉兆と報告するのだ。
 王莽の時代には不吉な天変地異や突然変異が、劉秀の晩年には天の祝福と見えたのは、それだけ劉秀の晩年の治世が平和であったことを意味しているのである。
 劉秀は奇跡のたぐいも信じなかった。例を挙げよう。陳留の劉昆が江陵県令となっていたとき、県で火災があったが、劉昆が火に向かって叩頭してお願いすると火はまもなく消えたという。また後に弘農太守となると、住んでいた虎が子虎を背負って黄河を渡って逃げたという。劉秀がこのことを劉昆に質問した。
「前に江陵県令のとき風に逆らって火が消え、後に弘農太守のとき虎が黄河を渡って去ったというが、どのように徳のある政治をすればこのようなことが起こるのであろうか」
 すると劉昆はただ一言、
「偶然に過ぎません」
 と答えた。側近たちはこの気の利かない言葉を失笑したが、劉秀は、
「これこそ長者の言葉である」
 と称えて劉昆を取り立てたのである。劉秀はこのような虚飾を嫌っていたのである。
 また劉秀は不老長寿を道士を信頼せず、全く相手にしなかった。劉秀は若い頃、薬を作ったという記録があるから、医学にも詳しく、不老長寿など幻想であると理解していたのかもしれない。
 当時の儒者は、奇跡や不老長寿などの迷信を瞬時に否定する陛下が、なぜ予言書のような虚偽を信じるのかと不思議がっていた。
 歴史上において予言書を信じたとされる人物は、そのために失敗するものである。歴史は予言できるものではないのだから当然であろう。ところが劉秀は予言書を信じたと信じられているにもかかわらず、予言書によってほとんど失敗せず、むしろ成功してしまったのである。
 この違いは何か。
 劉秀は予言書を自分で解釈したからである。誰かの解釈に従ったのではないのだ。予言書に惑わされた多くの人たちは、誰かの与えた解釈を信じて身を誤ったのである。


・・・・・中略・・・・・

インポスター・シンドローム

 面白いことは、桓譚は自分の発言が劉秀の帝位を否定することになるとは全く考えていないことだ。桓譚にしろ当時のすべての人間にとって劉秀が皇帝であることの正統性など、そもそも考慮にすら値しないほど当然のことと認識されていたのである。だから平然と予言書を否定したのだ。
 当時の中国には劉秀が皇帝であることの正統性について異議を持つ者など皆無であった。敵対する群雄の多くを自らの武力で討伐し、戦場でも統治でも常に先頭に立って実践する劉秀に、疑問を持つ者などいなかったのである。ただ一人の例外を除いては。
 この地上でただ一人、劉秀の皇帝としての正統性に疑問を抱く人間、それは何と劉秀本人である。
 劉秀にとって自分が皇帝であることは当然ではなかった。圧倒的実力で天下を取り、統一後どれほど政務に励んでも自分が皇帝であることへの違和感はぬぐえず、何か根拠がなくてはならなかったのだ。それが予言書なのである。
 劉秀の性格を理解するためのキーワードとして、インポスター・シンドローム(なりすまし症候群)を紹介しよう。インポスター・シンドロームは、臨床心理学の用語である。社会的に大きく成功し皆からもうらやまれる存在でありながら、本人はその地位を楽しまず、自分がその地位にいるのは何かの間違いであり、自分は偽者で周囲の人間を騙しているのだと感じている人たちを指す言葉である。
 劉秀は明らかにインポスター・シンドロームの傾向があった。劉秀は天下を取るために予言書の文言を利用した。そしてそれを信じておらず利用していたという意識があったから、自分は偽者で周囲の人間を騙しているのだと感じざるを得なかったのだ。
 史書は、劉秀が自らの力で大業を成し遂げながら、まるで何かに追われているかのように働き続け、緊張を弛めず休もうとしなかったと記すが、これなどまさにインポスター・シンドロームの典型的な症例である。
 これでなぜ桓譚の発言に激怒したのかもわかるであろう。予言書を信じておらず、予言書を利用したという意識がある劉秀にとっては、桓譚の発言はまさに「あなたは偽者だ!」と指摘するに等しい。これは劉秀のコンプレックスの急所を突き刺す発言なのである。
 
・・・・・中略・・・・

劉秀は、その死の遺言で「私は人々の役に立てなかった」と述べている。劉秀が行った統一の困難や、その後の政治改革の圧倒的な量を考えると、あまりに謙遜に過ぎると思える。しかしもし仏教の「縁起」の思想を知っていたなら、この発言は自然である。
 縁起とは、すべての事柄は関連性の中にあり、それ自体とか自己というものはないという考えである。例えば、野球選手が大活躍していれば、多くの人はその人の努力と才能によるものと考えるが、仏教では異なる。縁起の思想の元では、活躍できたのは良いコーチに教えてもらったから、才能があるのは両親の遺伝で強い肉体を受け継いだから、努力が続いたのは自由に野球ができる安定した社会に生まれたからなど、努力と才能の内容を分解していくことで、その人の行ったことは何もないという結論に至るのである。
 劉秀はめでたいことがあったときに功臣を集めて宴会を開いたが、献上物などをすべて功臣に配り自分は何一つ取らなかった。これも自分の力ではないと考えていたなら、当然の行為といえる。
 劉秀は平等主義者であり、人の上に立つのを嫌っていた。人と話すときは玉座から降りるか、相手を玉座の側まで呼び寄せた。皇帝になることも、泰山に登って封禅することも、数年間も断り続けていた。人々の上に立つよりも、人々の中にいることを望んだ人である。これは仏教の菩薩の思想に近い。
 菩薩とは、本来、仏陀になるための修行者の意味であったが、後に変化して、修行によって仏陀になるだけの資格を得ながら仏陀とならず、菩薩のままにとどまって人々の中に生き続ける存在のことである。仏教では、仏陀となるとこの世から完全に離れてしまうからである。菩薩の特徴は、仏陀として高みに登ることができるのに、敢えて大地に残り、人々とともに苦労し、人々ととも楽しみ、人々を助ける存在であるということだ。
 劉秀は天上人になることを嫌い、生涯現役として人々を導く存在として生きた。土地調査で死者が多く出たことを悲しみ、匈奴対策で廃棄された北方の荒れ果てたことを歎いていた。また「人とともに楽しめばその楽しみは長く続くが、自分一人で楽しむのは長く続かず無くなるものだ」という発言を残している。楽しみも苦しみを人々と共にしようとした劉秀は、ほとんど菩薩の思想を持っていたことがわかる。
 さらに似ているのは、秦の始皇帝や漢の武帝が永遠の命を得るために泰山の封禅の儀式を行ったのに、劉秀は泰山封禅をしながら万民の幸福と平和を願うのみで、方術のたぐいを一切行わず、自分のためのことは何一つ望まなかった。天上に昇る神になる資格を得ながら、それを捨てて皆とともに地上に帰っていったことは、まさに菩薩の思想に一致している。

・・・・・・・・
・・・・・・・・
抜粋終わり


予言書もないのに、奴隷解放しまくった光武帝・劉秀って、ある意味でけた外れだよな。



さらにまた戻ります。

さらに抜粋
・・・・・・・・・・
(スピリチュアリズムは巫女教でもあるから、祭政一致の神権政治が理想なのかな?
霊能者については
①はじめからインチキ
②はじめから後まで本物
③はじめは本物、後からインチキ
④はじめはインチキは、後から本物
⑤支配層に利用された
⑥初めから支配層が育成した
などいろいろなパターンが考えられます。
やはりもたらした結果が重要ですね。
スピリチュアリズムがもたらした結果
=19世紀における宗教改革
=キリスト教の弱点をなくした新キリスト教の隆盛。
世界はキリスト教を中心とする神学論争で動きますから。


・・・・・・・中略・・・・・

重要なのは徳川時代ってのは 天皇家や公家や仏教家の権力を 削ぐ政策も採ったって所だな。 特に朱子学には商業活動(つまり資本主義) を批判する立場を取っていた。 この商業の「商」の語源は 古代中国の「殷」の別名から 来ているらしくて、基本的に周の 時代
に発展した儒教はこの「殷」を 批判しているとの見方もあるらしい。 殷ってのは金儲け重視、オカルト偏重 の政治が特徴で、昔の朝鮮王朝や 日本の天皇家のご先祖様と言えるの だけど、(実際、周にやられた後、殷 の残党は朝鮮半島方面に逃げている)

この殷の創設者が「契」という 皇帝。これは「契約」という言葉 の語源だとも言われているらしい。 「商売」を行う際に「契約」を 重視するかららしい。

ところで儒教ってのはヒンドゥー教 みたいにカーストを設定する教え ではないからね?

既にカースト制が存在している社会 (つまり共同体としての国家の事) において、トップカーストのリーダー はどうあるべきかを説いた教えだから、 民衆を奴隷化するための教義という解釈の 仕方はズレている。

儒教は基本オカルト嫌いだしね。 易経が今ではオカルトだけど…… 当時は最先端科学だったしね。 MAGE政府の大嫌いな徳川システム が重視していた教えだから、 なんかいい事書いてあるんだろう。 訳書もないし。

江戸時代はキリスト教もフリーメイソン も長崎の出島に隔離されてた所が 重要ね。最も家康も初期の頃は キリスト教も、メイソン教にも寛大 だったらしいが。

・・・・中略・・・・

愛=執着=悪(仏教視点。愛憎を超えた慈悲は善)

(キリスト教的な)愛=善
に変えようと必死に取り組んでいた時期でもあります。

(キリスト教臭い)ラブソングがやたら多いのは、
愛の概念をキリスト教化(愛=善)することに成功した証です。

キリスト教では神の愛=執着=善。
善なのに悪を創った神様(=嘘吐き)に執着せよと説くのがキリスト教(=悪魔教)です。


・・・・中略・・・・

西洋文明はローマ的武断主義とヘブライ的金権主義の複合物だと考えるが、西洋式「右翼・左翼」もちょうどこれに対応していると見る。特に後者のヘブライ思 想から生まれたキリスト教のルサンチマン思想が左翼の嫉妬教の根源にある。一方力への意志を奉ずる西欧覇道右翼思想は前者に起源があると見る。

この「ローマ的武断主義」と「ヘブライ的金権主義」は西欧文明の二大根本要素。これに対し日本や東洋の理想は全く異なる。日本や東洋における「強者」とは 弱者に傲然と臨む者にあらず。己の負の情念に打ち勝ち心を整え、我欲に恬淡とし、他人や生き物に慈しみの気持ちを持つ。これが東洋的「強者像」。







・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・
抜粋終わり

>一方力への意志を奉ずる西欧覇道右翼思想は前者に起源があると見る。

ヤンキーの元ネタ。

>日本や東洋における「強者」とは 弱者に傲然と臨む者にあらず。己の負の情念に打ち勝ち心を整え、我欲に恬淡とし、他人や生き物に慈しみの気持ちを持つ。これが東洋的「強者像」。

本物の強者。絶滅危惧種かも。でも一番強いけど、阿呆だらけなので、今は隠れている。


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