故国の滅亡を伍子胥は生きてみれませんでしたが、私たちは生きてこの魔境カルト日本の滅亡を見ます。
2024/05 04 < | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 | 17 | 18 | 19 | 20 | 21 | 22 | 23 | 24 | 25 | 26 | 27 | 28 | 29 | 30 | 31 | > 06 |
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大摩邇(おおまに) より
上記文抜粋
・・・・・・・・・
【驚愕】仕事ができない社員を退職に追い込んだら、予想外のことが起きたwwwwww
ねこ的ニュース速報さんのサイトより
http://blog.nekotekinews.com/archives/1040939508.html
<転載開始>
様々な会社から問題社員に関する相談を受けることがあります。
内容としては、「仕事ができない」という能力的な問題と、「仕事をしない」という取り組み姿勢や仕事観、責任感にかかわるようなものの、おおむね2つに集約されます。
問題があると言われているご本人からお話を聞くこともありますが、そう言われても仕方がないと思うことも、周りがもう少しフォローしても良いのではないかと思うことも、どちらの場合もあります。
こういう時に、経営者なども含めてその人の上司にあたる人が必ず言うのは、「あの人がいなくても仕事は回る」ということです。上司から見れば、「役に立っていない」「貢献していない」という見方でしょうから、そういう話になるのは、ある意味仕方がないでしょう。
こういう評価をされてしまうと、それがいつかはともかく、結局は退職してしまうようなことが多いです。
ただ、実際にその人が辞めてしまった後で、初めに言っていた通りに仕事が回っているかというと、意外とそうでない場合が多いように思います。現場を見ていての私の感覚では、仕事上の支障が出た場合とそうでない場合の割合は半々くらいか、もしくはうまく回っていないケースの方が多いのはないでしょうか。
これはある会社であったことですが、明るいムードメーカーで、社内の親睦イベントなどではいつも中心的な役割であるにもかかわらず、仕事のパフォーマンスがあまり思わしくないという男性社員がいました。昔で言えば、宴会部長のような位置づけになるのでしょう。
どんなに性格がよくても、仕事ができなくては話にならないということで、その男性社員の上司はかなり厳しく指導したようですが、なかなか上司が思うようには育たなかったようです。
本人も、毎日怒られてばかりではだんだん会社に嫌気がさしてしまったようで、結局は退職することとなってしまいました。上司は、「残念だけど、本人の意志だから仕方がないし、仕事上の影響はほとんどない」と言っていました。
しかし、彼が辞めてしまった後の会社では、雰囲気の明るさが何となく減り、親睦イベントはいまいち盛り上がらなくなり、特に若手社員たちからの会社への不満が増え、そこから辞めてしまう者が少しずつ増え始めました。
後から話を聞くと、辞めてしまった男性社員は、実は自分の後輩たちから裏ではいろいろ相談されていたようで、後輩たちを励ましたり諭したり、食事会や飲み会、有志のレクレーションなどでコミュニケーションを取ったり、みんなが前向きに働けるようにといろいろ気を遣っていたようでした。周りの人たちには、「自分も仕事は全然できないけど、頑張れば何とかなるからみんなも頑張ろう」などと言っていたようです。
結局は自分自身の気持ちが切れてしまい、辞めてしまったわけですが、周りの後輩たちからすれば、「あんなに前向きに頑張ろうとしていた人を会社は退職に追い込んだ」という捉え方になってしまったようです。
会社や上司が知らないところで、実は大きな役割を担っていたことに気づかなかったために、広い意味での仕事上の支障につながってしまったということです。
組織に属していれば、そのほとんどの人が何らかの役割を担っていると考えることが自然であり、一見すると、「役に立っていない」「貢献していない」と見える人であっても、それは上司の価値観に基づく一方的な見方であることを忘れてはなりません。
「あの人がいなくても仕事は回る」が本当なのか、あらためて注意して見直す必要があると思います。
・・・・・・・・
・・・・・・・・・・
抜粋終わり
見えない仕事。ってある。
それも数字や外見では・・・
そういうことで、ショウ何を最大の功臣とした劉邦は尋常でない目の持ち主だった。
光武帝・劉秀のこういう話も思い出す。
http://www.geocities.jp/kaysak864/liuxiu/42.htm#sha
上記文抜粋
・・・・・・・・・・・
劉秀は優れた人物はその母や妻が優れているからだと考えていた。大臣馮勤との宴会の席に常に馮勤の老母を呼び、馮勤を尊貴にさせたのは母であると賞賛し、拝礼を免除し介添え人をつけた。
この他、岑彭の母、王常、来歙の妻、祭遵の妻も特別に賞賛された。来歙が凱旋したときはその妻に賞与が与えられたし、王常が凱旋したときはその妻を称えた。岑彭が凱旋したときはその母を栄誉を持って待遇し、岑彭が暗殺されたときその妻に特別な賞与を与えた。
劉秀は女性を男性のように優れていると考えて尊敬するのではなく、男性とは違った女性性の中に尊いものを見ていたようだ。
もちろんこれは劉秀がフェミニズムのような思想を持っていたことを意味しない。劉秀は、理念から演繹する理想主義者ではなく、すべてを体験から帰納的に考える現実主義者である。劉秀はもともと世話好きで、人を支えることを何よりも楽しみとする人間であった。そのため家庭の中で男たちを支えた女性の行為を、人間の営みの中で真に重要なものと考えていたのである。劉秀は女性によるシャドウ・ワークをよく理解していたと言えるだろう。
・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・
抜粋終わり
見ないところの「支え」の重要さを熟していた文叔さん。
友人で隠者の厳光を、その意思を尊重したのは、隠者という有り方も、これも社会を支える重要な「シャドーワーク」と捉えていたからかもしれない。
参考
参考
http://tyuubukou.blog.shinobi.jp/名言の備忘録/器に違いがある。
「100人の将」の視野では、世界・天下ことは図り切れない。
その程度の思慮では「シャドーワークの重要性」はわからんと思うような気がする。
小物が自分の狭量な視野でやってばかり。
教養もなく、器もない。それがセレブだから、そりゃ日本は滅びますよな。
お読みくださりありがとうございます。
上記文抜粋
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【驚愕】仕事ができない社員を退職に追い込んだら、予想外のことが起きたwwwwww
ねこ的ニュース速報さんのサイトより
http://blog.nekotekinews.com/archives/1040939508.html
<転載開始>
様々な会社から問題社員に関する相談を受けることがあります。
内容としては、「仕事ができない」という能力的な問題と、「仕事をしない」という取り組み姿勢や仕事観、責任感にかかわるようなものの、おおむね2つに集約されます。
問題があると言われているご本人からお話を聞くこともありますが、そう言われても仕方がないと思うことも、周りがもう少しフォローしても良いのではないかと思うことも、どちらの場合もあります。
こういう時に、経営者なども含めてその人の上司にあたる人が必ず言うのは、「あの人がいなくても仕事は回る」ということです。上司から見れば、「役に立っていない」「貢献していない」という見方でしょうから、そういう話になるのは、ある意味仕方がないでしょう。
こういう評価をされてしまうと、それがいつかはともかく、結局は退職してしまうようなことが多いです。
ただ、実際にその人が辞めてしまった後で、初めに言っていた通りに仕事が回っているかというと、意外とそうでない場合が多いように思います。現場を見ていての私の感覚では、仕事上の支障が出た場合とそうでない場合の割合は半々くらいか、もしくはうまく回っていないケースの方が多いのはないでしょうか。
これはある会社であったことですが、明るいムードメーカーで、社内の親睦イベントなどではいつも中心的な役割であるにもかかわらず、仕事のパフォーマンスがあまり思わしくないという男性社員がいました。昔で言えば、宴会部長のような位置づけになるのでしょう。
どんなに性格がよくても、仕事ができなくては話にならないということで、その男性社員の上司はかなり厳しく指導したようですが、なかなか上司が思うようには育たなかったようです。
本人も、毎日怒られてばかりではだんだん会社に嫌気がさしてしまったようで、結局は退職することとなってしまいました。上司は、「残念だけど、本人の意志だから仕方がないし、仕事上の影響はほとんどない」と言っていました。
しかし、彼が辞めてしまった後の会社では、雰囲気の明るさが何となく減り、親睦イベントはいまいち盛り上がらなくなり、特に若手社員たちからの会社への不満が増え、そこから辞めてしまう者が少しずつ増え始めました。
後から話を聞くと、辞めてしまった男性社員は、実は自分の後輩たちから裏ではいろいろ相談されていたようで、後輩たちを励ましたり諭したり、食事会や飲み会、有志のレクレーションなどでコミュニケーションを取ったり、みんなが前向きに働けるようにといろいろ気を遣っていたようでした。周りの人たちには、「自分も仕事は全然できないけど、頑張れば何とかなるからみんなも頑張ろう」などと言っていたようです。
結局は自分自身の気持ちが切れてしまい、辞めてしまったわけですが、周りの後輩たちからすれば、「あんなに前向きに頑張ろうとしていた人を会社は退職に追い込んだ」という捉え方になってしまったようです。
会社や上司が知らないところで、実は大きな役割を担っていたことに気づかなかったために、広い意味での仕事上の支障につながってしまったということです。
組織に属していれば、そのほとんどの人が何らかの役割を担っていると考えることが自然であり、一見すると、「役に立っていない」「貢献していない」と見える人であっても、それは上司の価値観に基づく一方的な見方であることを忘れてはなりません。
「あの人がいなくても仕事は回る」が本当なのか、あらためて注意して見直す必要があると思います。
・・・・・・・・
・・・・・・・・・・
抜粋終わり
見えない仕事。ってある。
それも数字や外見では・・・
そういうことで、ショウ何を最大の功臣とした劉邦は尋常でない目の持ち主だった。
光武帝・劉秀のこういう話も思い出す。
http://www.geocities.jp/kaysak864/liuxiu/42.htm#sha
上記文抜粋
・・・・・・・・・・・
劉秀は優れた人物はその母や妻が優れているからだと考えていた。大臣馮勤との宴会の席に常に馮勤の老母を呼び、馮勤を尊貴にさせたのは母であると賞賛し、拝礼を免除し介添え人をつけた。
この他、岑彭の母、王常、来歙の妻、祭遵の妻も特別に賞賛された。来歙が凱旋したときはその妻に賞与が与えられたし、王常が凱旋したときはその妻を称えた。岑彭が凱旋したときはその母を栄誉を持って待遇し、岑彭が暗殺されたときその妻に特別な賞与を与えた。
劉秀は女性を男性のように優れていると考えて尊敬するのではなく、男性とは違った女性性の中に尊いものを見ていたようだ。
もちろんこれは劉秀がフェミニズムのような思想を持っていたことを意味しない。劉秀は、理念から演繹する理想主義者ではなく、すべてを体験から帰納的に考える現実主義者である。劉秀はもともと世話好きで、人を支えることを何よりも楽しみとする人間であった。そのため家庭の中で男たちを支えた女性の行為を、人間の営みの中で真に重要なものと考えていたのである。劉秀は女性によるシャドウ・ワークをよく理解していたと言えるだろう。
・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・
抜粋終わり
見ないところの「支え」の重要さを熟していた文叔さん。
友人で隠者の厳光を、その意思を尊重したのは、隠者という有り方も、これも社会を支える重要な「シャドーワーク」と捉えていたからかもしれない。
参考
参考
http://tyuubukou.blog.shinobi.jp/名言の備忘録/器に違いがある。
「100人の将」の視野では、世界・天下ことは図り切れない。
その程度の思慮では「シャドーワークの重要性」はわからんと思うような気がする。
小物が自分の狭量な視野でやってばかり。
教養もなく、器もない。それがセレブだから、そりゃ日本は滅びますよな。
お読みくださりありがとうございます。
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ってはるちゃんに言った時
えんえんは はるちゃんにこう言われたのです
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「
悪夢は悪いものじゃない
悪い事を回避するため 現実を手に入れ続ける為に見る夢 」
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「
現実を手にし続けたい人は
常に悪夢を見続けることが必要
それが現実を維持する守り 」
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「
楽しい夢は楽しいけれど
現実を失くしていく危険もあるんだよ
楽しい夢を見てるうちに 現実が消えていく
」
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「
それが竜宮城
竜は悪夢を見続けるから 竜
生きてるってそういうこと 」
ohirunegoronyantou.blog.fc2.com/blog-entry-4644.html?spから引用
妖怪ウォッチ
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%A6%96%E6%80%AA%E3%82%A6%E3%82%A9%E3%83%83%E3%83%81
妖怪ウォッチの妖怪とケイタ君が仲良くするように私も悪夢と友達になれたらいいなと思います。
>妖怪ウォッチの妖怪とケイタ君が仲良くするように私も悪夢と友達になれたらいいなと思います。
悪夢とは、現実とそこから導かれる想定される悪しき未来かもしれない。
でも、それだから、仲良くなるのが大事と思う。
すると、それは良い未来という現実になっているからかもしれない。
なんて。
書き込みありがとうございます。