故国の滅亡を伍子胥は生きてみれませんでしたが、私たちは生きてこの魔境カルト日本の滅亡を見ます。
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http://delete-all.hatenablog.com/entry/2017/05/22/200000 より
上記文抜粋
・・・・・・・・
Fは大学から新卒で入った会社、確か教材を扱う出版社だったと記憶しているけれども、そこで心身を壊して入社初年度で退職し、以来現在まで20年間実家にひきこもっている。
僕はその話をずいぶんあとになってから知ったのだけど、そのときは、ただの甘えじゃないか、と思った。
「働かなくても生きていけるなんて羨ましい」
「出来るなら僕も働きたくない」。
日々外回り営業で走り回っていた僕には家にいるだけのFが、どう理由をつけても戦っているようには見えなかったからだ。
夏を思わせる暑い午後のスーパーマーケット。
向かい会う僕らは立派な中年男。過ごしてきた場所こそ違えど時間だけは平等に流れていた。
「やあ」「おお」。簡単に挨拶を交わしたあとFは溜まっていたものを吐き出すような勢いで話をはじめた。「あいつはどこに就職した?」「奴は何をしている?」「大学院に進んだ彼はどうしてる?」「お前は卒業できたのか?」
Fの口を突いて出てくる名前は、記憶の彼方に飛んでいったもの、久しく聞くものばかりだった。
引きこもり続けたFにとって20年前はつい昨日の出来事だった。
違う。
同窓会で思い出話をするときのクラスメイトとFでは表情も口調もまったく違うものだった。
センチメンタルも笑いもなく、ただただ、真剣そのもの。20年前の世界にしがみつくように、正確に記憶し続けることは、Fにとっての戦いなのだ。
僕にはFの姿が南方で終戦後何十年も戦い続けた兵隊の姿がダブって見えた。
勝ち組とか負け組とかそういうつまらない言い方に代表されるように、最近、世の中、見た目の結果ばかりを気にしているような気がしてならない。
僕はときどき思う。それは正解かもしれないけど、正しいことなのだろうか。
乱暴な言い方をするなら、結果や勝敗なんつーのは紙一重の差でしかない。
突き詰めれば、本人がやりきっていればどうでもよく、他人にどうこう言う権利などないのだ。実際、僕は20年会社で働いてきたけれど、この手に残ったのはささやかな貯金と取るに足りない経験、替わりのきく技術だけだ。たまたま僕は戦いをうまくこなしてきただけにすぎない。
そして僕は、昔話に戸惑うばかりの僕を心配してFがかけてくれた言葉に言葉を失ってしまう。
あのときと同じ言葉だったのだ。
高校三年の秋のあの日。連弾で弾いた「くるみ割り人形」。
結局、僕が途中でふざけてお色気番組「11PM」のオープニング音楽、ダバダバダバダってやつね、あれに展開して尻すぼみに終わってしまったのだけど、そのときもFはこう言ったのだ。
「大丈夫か。お前、進学の悩みでもあるのか?」
今日はスーツ姿の僕を心配して
「昼間からこんなとこにいて大丈夫か。お前、仕事で悩みでもあるのか?」
僕は世間体を気にする家族の要請でスーツを着ているけれども、Fと同じ、ただの無職だ。
正直に無職というのはFの気持ちを裏切る気がして
「暑いからさー。営業の合間に水を買いに立ち寄っただけ」
と嘘をついた。
俺みたいになるなよ、と笑うFに、後ろめたさから、適当に相槌を打つことしか僕には出来なかった。
僕みたいに適当にやっている人間のことはいいから、自分の心配をしろよー、そんなんだから壊れるんだぞーとダイレクトに言葉に出来たらどれだけ楽だったろう?。
人にはそれぞれの戦いがある。
その戦いはきわめて個人的で、戦局を一変させてくれる援軍はなく、自分の力だけで戦い抜くしかない。
Fは戦っていないように見えるけれどずっと、ずっと戦っている。
ご家族以外は誰も知らないFの戦いを僕は忘れないでいようと思う。
そして、いつの日かまた、一緒に、尻切れトンボに終わった「くるみ割り人形」を最後まで弾ける日がやってきますように、そう、僕は祈った。(所要時間22分)
・・・・・・
・・・・・・・
抜粋終わり
なんかいい文章です。
この文章を書いた人の想像力の確かさ優しさが見えます。
でも転載していいのかな・・・ダメなら、ちゃんと消しとこう・・・・。
こういう優しさ・想像力がなくなかったから、日本って沈没して行っているのだな・・・て思う。
お読みくださりありがとうございます。
上記文抜粋
・・・・・・・・
Fは大学から新卒で入った会社、確か教材を扱う出版社だったと記憶しているけれども、そこで心身を壊して入社初年度で退職し、以来現在まで20年間実家にひきこもっている。
僕はその話をずいぶんあとになってから知ったのだけど、そのときは、ただの甘えじゃないか、と思った。
「働かなくても生きていけるなんて羨ましい」
「出来るなら僕も働きたくない」。
日々外回り営業で走り回っていた僕には家にいるだけのFが、どう理由をつけても戦っているようには見えなかったからだ。
夏を思わせる暑い午後のスーパーマーケット。
向かい会う僕らは立派な中年男。過ごしてきた場所こそ違えど時間だけは平等に流れていた。
「やあ」「おお」。簡単に挨拶を交わしたあとFは溜まっていたものを吐き出すような勢いで話をはじめた。「あいつはどこに就職した?」「奴は何をしている?」「大学院に進んだ彼はどうしてる?」「お前は卒業できたのか?」
Fの口を突いて出てくる名前は、記憶の彼方に飛んでいったもの、久しく聞くものばかりだった。
引きこもり続けたFにとって20年前はつい昨日の出来事だった。
違う。
同窓会で思い出話をするときのクラスメイトとFでは表情も口調もまったく違うものだった。
センチメンタルも笑いもなく、ただただ、真剣そのもの。20年前の世界にしがみつくように、正確に記憶し続けることは、Fにとっての戦いなのだ。
僕にはFの姿が南方で終戦後何十年も戦い続けた兵隊の姿がダブって見えた。
勝ち組とか負け組とかそういうつまらない言い方に代表されるように、最近、世の中、見た目の結果ばかりを気にしているような気がしてならない。
僕はときどき思う。それは正解かもしれないけど、正しいことなのだろうか。
乱暴な言い方をするなら、結果や勝敗なんつーのは紙一重の差でしかない。
突き詰めれば、本人がやりきっていればどうでもよく、他人にどうこう言う権利などないのだ。実際、僕は20年会社で働いてきたけれど、この手に残ったのはささやかな貯金と取るに足りない経験、替わりのきく技術だけだ。たまたま僕は戦いをうまくこなしてきただけにすぎない。
そして僕は、昔話に戸惑うばかりの僕を心配してFがかけてくれた言葉に言葉を失ってしまう。
あのときと同じ言葉だったのだ。
高校三年の秋のあの日。連弾で弾いた「くるみ割り人形」。
結局、僕が途中でふざけてお色気番組「11PM」のオープニング音楽、ダバダバダバダってやつね、あれに展開して尻すぼみに終わってしまったのだけど、そのときもFはこう言ったのだ。
「大丈夫か。お前、進学の悩みでもあるのか?」
今日はスーツ姿の僕を心配して
「昼間からこんなとこにいて大丈夫か。お前、仕事で悩みでもあるのか?」
僕は世間体を気にする家族の要請でスーツを着ているけれども、Fと同じ、ただの無職だ。
正直に無職というのはFの気持ちを裏切る気がして
「暑いからさー。営業の合間に水を買いに立ち寄っただけ」
と嘘をついた。
俺みたいになるなよ、と笑うFに、後ろめたさから、適当に相槌を打つことしか僕には出来なかった。
僕みたいに適当にやっている人間のことはいいから、自分の心配をしろよー、そんなんだから壊れるんだぞーとダイレクトに言葉に出来たらどれだけ楽だったろう?。
人にはそれぞれの戦いがある。
その戦いはきわめて個人的で、戦局を一変させてくれる援軍はなく、自分の力だけで戦い抜くしかない。
Fは戦っていないように見えるけれどずっと、ずっと戦っている。
ご家族以外は誰も知らないFの戦いを僕は忘れないでいようと思う。
そして、いつの日かまた、一緒に、尻切れトンボに終わった「くるみ割り人形」を最後まで弾ける日がやってきますように、そう、僕は祈った。(所要時間22分)
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抜粋終わり
なんかいい文章です。
この文章を書いた人の想像力の確かさ優しさが見えます。
でも転載していいのかな・・・ダメなら、ちゃんと消しとこう・・・・。
こういう優しさ・想像力がなくなかったから、日本って沈没して行っているのだな・・・て思う。
お読みくださりありがとうございます。
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