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故国の滅亡を伍子胥は生きてみれませんでしたが、私たちは生きてこの魔境カルト日本の滅亡を見ます。
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まあ、これは調べないといけないと、易に聞きました。

火沢ケイ の5 6 爻

http://uqmk.blog106.fc2.com/blog-category-43.html

上記文抜粋
・・・・・・・
睽 兌下離上(だか りじょう)

八卦のsdataku-n.gif兌(だ)の上に、rika-n.gif離(り)を重ねた形。

睽とは背くという意。
この卦は離火が上に在り、兌沢が下に在るが、火は上に燃え上がり、沢を流れる水は低い方へ向かう。
したがって、両者が目指す方向は逆であり、背いていることになる。
だから睽と名付けられた。
また、離火が上にあり、兌水が下にあれば、水と火は交わらず、これも両者が背いていることになる。
交わるとは、相互に作用を及ぼし合うということであって、火の上に水をかければ火は消え、水を入れた鍋を火の上に置けば中の水は温まる、ということである。
しかしこの卦のように、火が上で水が下だと、例えば水の上に火を近づけても何も変化がないように、両者は何も作用を及ぼし合わないのである。
だから両者は背いているとして、睽と名付けられた。

なお、火を上にして水を下にするのは、火水未済も同じだが、火水未済は離火と坎水という正対の卦の組み合わせであり、この火沢睽は離火と兌水で正対の組み合わせではない。
正対とは、表裏の関係にある卦のことで、坎水の裏卦は離火だが、兌水の裏卦は艮山である。
正対であれば、その情は互いに通じるものがあるが、正対でなければ、その情は疎かにして背くものである。
したがって、坎水と離火の場合は、たとえ交わらなくても互いに背くまでのことはないのである。
これに対し、この卦は兌水と離卦という正対ではない組み合わせだから、交わり感じるところがなく、両者が相対するれば、その情は必ず背くのである。
だから睽となづけられた。

また、この卦は離の中女が上に在り、兌の少女が下に居る形でもあり、これは二女同居の様子である。
しかし、二女が同じく父母の家に生育するとしても、何れは別々のところへ嫁ぐことになる。
したがって、その思うところもまた同じではなく、背くことになる。
だから睽と名付けられた。
また、易位生卦法によれば、もとは沢火革から来たものとする。
沢火革の離が下から動いて上がり、兌水が上から動いて下ったのが、この火沢睽である。
これは、これまでは互いに行く方向が向き合っていたのが、その方向へ行ってしまったばかりに、あとは背き離れてしまうしかない状態になった様子である。
だから睽と名付けられた。

ところで、「そむく」という意の字は、背く、乖く、などもあるが、何故、他ではあまり使われることのない睽が用いられたのだろうか。
これは、睽の字が、この卦の形を表現しているからである、というか、この卦の形から睽は作られた字なのである。
睽は、目と癸の組み合わせである。
上卦の離は火であるとともに人体では目に配される。
背くことを反目するというように、目は背くことを表現する重要なポイントである。
一方、下卦の兌は、「はかる」という意味を持つとともに、兌沢に水が流れることから、水を意味する弟分の卦である。
弟分というからには、兄がいるわけだが、それは言うまでもなく坎水である。
十干で水を意味するのは、壬(みずのえ=水の兄)と癸(みずのと=水の弟)であり、壬癸はともに北方に位置する。
北は、君子南面のときの背中が向いている方角である。
だから背の字には「そむく」という意味があるのだが、その北を指す十干の壬癸のうち、癸という字には、兌が持つ「はかる」という意味もある。
そこで、上卦の離から引き出した目と下卦兌から引き出した癸を並べたのが、この睽なのである。

卦辞
睽、小事吉、

睽は、小事(しょうじ)には吉(きち)、

何かをやろうとするときは、まず人の和を大事にしないといけない。
しかしこの卦は、背き離れる様子である。
これでは、大事を成すことは無理である。
また、内卦の兌を悦ぶとし自分とし、外卦の離を麗(つ)くとして相手とすれば、自分が悦んで明らかな相手に麗く様子である。
自分は明らかに物事を見ることはできなくても、明らかに物事を見られる相手に、仕方なくではなく、悦んで麗くのであれば、小事ならなんとかなるものである。
だから、小事には吉、という。
また、来往生卦法によれば、もとは天沢履から来たとする。
天沢履の卦中へ、六五の一陰が卦の外から進み上り、中を得て九二の剛に応じたのがこの火沢睽である。
天沢履のときは、柔中の徳を得ず、なおかつ二五の応も無かったが、今六五が上り往きて中徳を得て離明の主爻となり、剛中九二に応じている。
これは、六五の君主が柔中にして、九二の剛中の臣に輔(たす)けられる様子である。
とすると、大事を決行するにもよさそうではあるが、今は睽の背くときであるとともに、進み上ったのは弱い陰柔だから大事は無理だとして、小事には吉、という。



・・・・中略・・・

六五、悔亡、厥宗噬膚、往何咎、

六五(りくご)、悔(く)い亡(ほろ)ぶ、厥(そ)の宗(そう)膚(ふ)を噬(か)むがごとし、往(す)ること何(なに)の咎(とが)かあらん、

六五は柔中の徳が有り、君位に在るとしても、睽のときなので、臣民の情は背き離れる。
もとより九二の応は有るが、睽の背くのときなので、六五の君より九二に睽き、謁見をだに許さない。
これは悔いが有ることである。
しかし、物事は睽いたまま終わることはない、いつかは疑惑も解けて和親する。
そうすれば、九二は必ず応じ来て、誠忠を国家に尽くすものであり、そうなれば、睽いた悔いは亡ぶのである。
だから、悔い亡ぶ、という。
この悔亡の二字で、この爻の終始の義を提挙して示しているのであって、以下の文言は九二に対する誤解について書いている。

厥の宗とは、九二の爻を指す。
九二は、実質は臣だが、これを臣と呼ぶ時には、今は睽の時なので、その情意が疎かでよそよそしく、睽き離れることを肯定しているかのような意になる。
したがって、臣ではなく宗と呼ぶ。
宗とは、同宗の義にして親しみを専らとするの辞である。
今は睽のときなので、骨肉の親だとしても、離れ睽きやすいのであって、君臣ならばなおさらであり、だからこそ六五と九二も相睽くのである。
このような状況のときに、九二の忠臣の方から、君に和合を申し出ることは、君臣上下の礼儀もあるので、至って難しい。
だから、九二の爻辞では、主に巷に遇う、咎无し、と、難しくてもなんとか和合するきっかけを作ることを勧めているのである。
しかし、六五の君から九二の臣に和合しようと申し入れることは、君臣の礼節を逸脱することではないので、甚だ容易である。
だから、厥の宗膚を噬むがごとし、という。
膚を噬むとは、火雷噬嗑の六二の爻辞にもある言葉であり、この火沢睽の六五の爻辞にては、君臣の和合が容易なことを示す喩えである。
往るとは、為すべきことが有るという義である。
六五の君は柔中だとしても、陰弱にして、一旦の疑い睽きにより、九二剛中の大忠臣と睽き離れたわけだが、このままではいけない。
今、六五はこれを親しみ和すること、同宗の念を為して、速やかに和合し、篤く親しみ信じて、その国政を輔弼させれば、大いに為ること有るのであって、何の咎があるだろうか。
だから、往ること何の咎かあらん、という。
咎かあらん、というのは、咎があるのではなく、逆に、大いに得ることが有る、という意である。
咎无し、というよりも優れているのである。


上九━━━○
六五━ ━
九四━━━
六三━ ━
九二━━━
初九━━━

上九、睽孤、見豕負塗載鬼一車、先張之弧、後説之弧、匪寇婚媾、往遇雨則吉、

上九(じょうきゅう)、睽(そむ)きて孤(ひと)りなり、豕(いのこ)の塗(ひじりこ)を負(お)い、鬼(おに)を載(の)せること一車(いっしゃ)なるを見(み)る、先(さき)には之(これ)が弧(ゆみ)を張(は)り、後(のち)には之(これ)が弧(ゆみ)を説(はず)す、寇(あだ)するに匪(あら)ず婚媾(こんこう)せんとす、往(ゆ)きて雨(あめ)に遇(あ)えば則(すなわ)ち吉(きち)なり、

上九は六三と正応だが、睽の極に居るので、睽き離れて、その応爻を捨て、自ら孤独となる者である。
だから、睽きて孤りなり、という。
そして上九は、その睽き疑う意が甚だ盛んにして、いつしか六三を憎み見ることが、例えば汚穢(けがらわ)しい豕が、その汚穢しさの上にさらに泥塗を負っているような、不浄不潔の至極と思う。
そう思うと、睽き憎む情はさらに増長し、恐怖心さえも生じて来て、ついには六三を醜鬼のように思う。
鬼というのは、そもそも無形の者である。
それなのに、実際に存在する者と考える。
これは疑い睽く情が極まって、妄想の甚だしい様子である。
もとより鬼は、陰邪にして忌み憎むべき者である。
それが一人ならまだしも、無数無量に変現して、車に満杯に積載していると思い込むのである。
だから、豕の塗を負い、鬼を載せること一車なるを見る、という。
そして上九は、その睽き疑い忌み憎み怖れる妄念により、遂に六三を殺害しようと思い、弧=弓矢を手に取り、すぐにも六三を射ようとする。
しかし、睽の背くということは、そもそも疑念から生じているのであって、その疑惑ということも既に極まれば、豁然と解けるものである。
解ければ忽ち睽く意も止み、害念も絶して、その弓矢も射らずに捨てる。
だから、先には之が弧を張り、後には之が弧を説す、という。

要するに、今は睽の時なので上九は六三を疑い、寇仇の如くに思うが、睽くことが極まって、その疑いが解けて、よく平常心になって考えれば、六三は寇仇ではなく、そもそもは親密な者同志である。
男女で言えば、結婚相手である。
だから、寇するに匪ず婚媾せんとす、という。
上九は夫、六三は妻であり、だから婚媾という。

男女が親密になることを、天地陰陽の交わりに擬えると、それは雨である。
今、上九が六三に応じ往き、相親しく和すれば、睽の時は尽き果て、互いに安寧になる。
だから、往きて雨に遇えば、則ち吉なり、という。


・・・・・・・
・・・・・・・
抜粋終わり


イスラム国は、実は「妄想だった」ということを易は言っているかも。

そりゃ、アメリカとイスラエル謹製の、テロ集団ですから・・・

この「脅し」は、実はイスラム国からの「求愛」かもしれない。

でもイスラム国は、国家と名乗るが、実はイスラムですらなく、国家でもない。



でも、そこに住むイスラム教徒とは「仲良くなれる」とも言い得る。

変卦は

ダ為沢 


http://uqmk.blog106.fc2.com/blog-category-63.html

上記文抜粋
・・・・・・・・
兌 兌下兌上(だか だじょう)

八卦のdataku-n.gif兌(だ)を重ねた形。

兌は、悦ぶ、という意。
八卦の兌を重ねた形なので、八卦と同じ兌と名付けられた。
そもそも易は、陽を剛とし、尊いとし、陰を弱いとし、卑しいとする。
八卦の兌は、一陰が卑賤微弱であるにもかかわらず、二陽の尊貴剛健に最上位を譲られ、最上位に上げられた形である。
一般に、自分よりも偉いと思っている人から最上位を譲られて悦ばない人はいない。
だから、悦ぶという意が発生し、兌と名付けられた。

卦辞
兌、亨、利貞、

兌は、亨(とお)る、貞(ただ)しきに利(よ)ろし、

およそ天下の事は、大小となく、軽重となく、悦ぶところに至れば、その行う事は必ず亨通して進み遂げ、成功しないということはないものである。
『論語』には、これを知る者は、これを好む者に如かず、これを好む者は、これを楽しむ者に如かず、とある。
悦ぶというのは、楽しむとほぼ同じと考えてよい。
だから、兌は亨る、という。

しかしながら、その道その事を心には悦ぶとしても、未だこれを身に行わず、事業の上にも現さないときには、その成功を得ることが確実とは言えないので、元(おお)いに亨る、とはせず、単に、亨る、とだけ言ったのである。
としても、巽為風の「小しく亨る」というのに比べれば、やや優れてはいる。
そもそも八卦の次元で言えば、巽も兌も、同じく少陰の卦であるが、巽は従うであり、従うとは己を捨てて他に委ねることであり、自己より進むことの専らではない様子であり、対する兌は、自ら悦んで心より進む様子である。
したがって、巽為風の「小しく亨る」と、兌為沢の「亨る」というのは、その亨るという意味合いにも違いがあるのである。
巽の「小しく亨る」は、従えば亨る、ということであり、兌の「亨る」は、自ら悦んで進めば亨る、ということである。

さて、兌の悦ぶという道にも、正邪の別がある。
正しい道に悦ぶときには、よくその身を修め、前途は明るく広がる。
これが正しくない道に悦ぶときには、身を滅ぼし、ついには何もかも喪うことにもなろう。
言うなれば、相手を悦ばせることを悦びとするのが正しい道であって、自分が悦ぶことにだけ執着するのが、正しくない道である。
だから、貞しきに利ろし、と諭すのである。

・・・・・・中略・・・・・・

九五、孚于剥有、

九五(きゅうご)、剥(はく)に孚(まこと)あれば(あやう)きこと有(あ)り、

剥とは陰邪なるものの陽正なる者を削り落とすの義にして、ここでは上六の陰柔を指している。
もとより九五は君の位に在って、剛健中正の徳が有るとともに、上六と密比している。
その上六は陰柔不中の爻にして、不満を抱えて全卦の極にいる兌口の主であり、巧言便口を以って悦びを求めようとする者である。
これは九五の徳を輔佐する者ではない。
しかし九五は、これと陰陽密比しているので、親しみ睦もうとする。
さらには、陰陽密比しているので、九五は上六を信用し切ってしまいやすい。
とすると、その上六の陰柔のために、九五の徳は剥し尽くされるというものである。
上六の巧言佞媚を悦んで信用すれば、大変なことになり、危険である。
だから、剥に孚あればきこと有り、という。


上六━ ━○
九五━━━
九四━━━
六三━ ━
九二━━━
初九━━━

上六、引兌、

上六(じょうりく)、引(ひ)きて兌(よろこ)ぶ、

この爻は兌の悦ぶの主であるとともに、成卦の主爻にして悦ぶの卦の極に在る。
したがって、自分が悦ぶの至極なるを以って、人もまたその悦ぶ様子に感じ引かれて来たり集まり悦ぶのである。
だから、引きて兌ぶ、という。
ただし、その悦ぶところの邪と正とによって、その吉凶は異なる。
したがって、吉凶の辞は付いていないのである。

なお、この爻の義は、九五の爻にては、巧言便口を以って佞媚を薦めて君の徳を剥すところの陰邪な小人としているが、この上六の本位では兌の卦極の義を主として、悦ぶの至極としている。
このように、爻の義は、どの爻から観るかで、その爻の意味合いが変わって来る場合がときどきあるので、注意が必要である。



・・・・・・
・・・・・・・
抜粋終わり

>なお、この爻の義は、九五の爻にては、巧言便口を以って佞媚を薦めて君の徳を剥すところの陰邪な小人としているが、この上六の本位では兌の卦極の義を主として、悦ぶの至極としている。

銭と流血に喜ぶのなら、それは凶で不幸になる。

命と共存共栄を喜ぶのなら、それは日本の幸いで地球の福となる。

引いて喜ぶって、ガツガツと「自己の利益だけ」を追い求めず、ムスリムや中東の幸いに貢献すると共に至高の喜びを得られる。

てなるかな・・・


お読みくださりありがとうございます。
PR
http://map.ipviking.comをみてもわかりますけど、サイバー世界大戦の真っ最中です。

きのこ姉さんも続報

上記文抜粋
・・・・・・・・
セントルイス

しかしながら、モンサント、エマソン・エレクトリック、RGAなどフォーチュン500にランクインする企業は10社近くに上り、また、マスターカード、マイクロソフトなど数多くの大企業が拠点を置いている。その他、大学研究施設も多く、医薬品、医療機器、バイオテクノロジーなどケミカルの分野で全米をリードしている。ここ数年は市勢を盛り返しており、2006年には都市域人口でも1950年以来の人口増加となった。しかし、その後リーマンショック以後は、市勢が再び停滞しており、都市域、都市圏ともに人口が漸減している。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BB%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%AB%E3%82%A4%E3%82%B9


というわけで、なぜセントスイスなのか
おわかりになりましたか?www

軍や捜査機関というのは指令を受けて
無条件反射で動く
パブロフのポチ、
思考停止の暴力団なのです。

司令塔はどこかというと
政府でも軍でもなく
悪の民間企業集団だったわけで。

サイバーテロ、バイオテロ、マスゴミテロ
その中枢が、セントルイスだった。

FBIはセントルイス様に頼まれて
「北朝鮮の逆切れだ!」と仕向けようとした。

でも、全世界から、集中砲火あびてんじゃん、と。
パブロフのポチのはずが、プロの軍人まで
お前らのキチガイ妄想戦争ごっこに、きれちゃったね、と。

これでばれちゃったね、と。


そして、これは明らかに
第三次世界大戦 サイバー戦争なのです。

でも、テレビもネットも
無視りんこすね。

統制とれすぎです。

つまり、そういうことです。

ヌッポンの諜報活動とは、
どっかのアホを筆頭に、
どっかから金もらって動いてる
ひも付き、お手付き、飼い犬「集団」が
ネットを支配しており、
テレビも新聞も同じであり

まるっとまるごと
「言論の自由が存在している民主主義という幻想」を抱かせるドラマ

壮大で低レベルな、マッチポンプ国家です。

まともな人がネットからことごとく消えていったのは
うんざりしたからです。


今は、第三次世界大戦です。
とんでもない事態です。

なぜ、無視ってるの?と
どこからお金もらってるの?
相場はいくら?どのランク?と、

自称ジャーナリストたちに
聞いてみるのもいいかもです(爆w)


・・・・・・
・・・・・・
抜粋終わり


で易に聞いてみた。

火雷ゼイゴウの 初爻

http://uqmk.blog106.fc2.com/blog-category-26.html


上記文抜粋
・・・・・・・・
21 火雷噬嗑(からいぜいこう)
karai.gif噬嗑 震下離上(しんか りじょう)

八卦のshinrai-n.gif震(しん)の上に、rika-n.gif離(り)を重ねた形。

噬嗑とは、噛み合わせる、という意である。
この卦は来往生卦法によれば、元は山雷頤より来たものとする。
山雷頤は頤(い=おとがい)すなわち口の形の卦であり、その頤口の中へ九四の一陽爻が内卦の外から入り来て、上下を隔てて障りをなしている様子である。
頤の中に物があり、隔て障りをなすときには、必ずこれを噛み砕き、その後に上下相合うことを得るものである。
だから、噛み砕いて合うという意で、噬嗑と名付けられた。
ちなみに、口は、上の歯は動かず、下の歯(顎)だけが動いて、口の中の物を噛み砕くものである。
この卦は、上卦の離は付着、下卦の震は動くとすれば、九四の一陽爻は上の歯に付着していて、それを下の歯が震で動いて噛み砕く様子である。
だから、噬嗑と名付けられた。

卦辞
噬嗑、亨、利用獄、

噬嗑(かみあわせ)れば、亨(とお)る、獄(訴えを聞く)に用(もち)いるに利(よ)ろし、

噬嗑、亨、というのは、直ちに亨ることではない。
口の中に物があれば、それを噛み砕いた後に亨る、ということである。
自分と相手との間に何かがあり、それが障りとして両者を隔て、和合できないような場合は、口の中に物があるのと同じようなことである。
だから、その物を噛み合わせて砕いてしまえば、その後に、両者は心が通じ、和合もできようというものである。
獄とは、牢獄のことであり、罪人を入れて置く場所である。
罪人とするか否かは、訴えを聞いて、その理非曲直を断じて決するものである。
そこで、この場合の獄の字は、訴えを聞いて、その理非曲直を断じることを、指し示すのである。
そもそも訴えは、自分と相手との間に障壁があり、両者を隔て塞ぎ、彼我上下相合うことができないから、その情も互いに乖離し、不和となり、起こるのである。
今、訴えを聞くというのは、頤の中の一物を噛み砕いて、上下相合わせるようなものである。
とすると、訴えを聞く人は、威厳と文明を兼ね備えていなければ、その任に耐えないものである。
しかしこの卦は、震の威厳と離の文明を兼ね備えている。
そして、六五の君の爻は柔中の仁徳がある。
その威厳と文明と仁徳は、訴えを聞くにあたっては、とても重要なことである。
文明でなければ、相手の言いなりになってしまい、偽りを察し、理非曲直を分かつことができない。
威厳がなければ、侮られ軽視され信服されない。
仁徳がなければ、明徳威断に過ぎて、人々はビクビクしていなければならない。
この卦には、これら重要なことが全部揃っているわけだが、訴えを聞くためには、その罪状により、牢獄を用いることもある。
火雷噬嗑は、最上最下の二陽爻は剛実であり、中は空虚の間に九四の一陽があるが、これは牢獄の中に一人の囚人がいる様子でもある。
だから、獄を用いるに利ろし、という。
また、交代生卦法によると、元は天地否から来たものとする。
天地否の九五が下にやって来て、初爻の位に居り、初六が上に往き、五爻に居るのが、この火雷噬嗑である。
天地否のときには、坤は純陰、乾は純陽であり、両者は否塞して理非も分らない様子だが、これが今、剛柔分かち動き、明らかになったのが火雷噬嗑である。
また、来往生卦法によれば、元は天雷无妄から来たとする。
天雷无妄のときは、上卦の乾は剛強なだけで明徳がないが、今、内卦の外から一陰がやってきて、六五となり火雷噬嗑となると、五爻は離明の主となり、柔中の徳も有することになったのである。
もとより訴えを聞く者は、剛決であることを要するが、それだけではなく、文明も仁徳も必要である。
この三つが揃ってこそ、適正な裁きができるのである。


彖伝(原文と書き下しのみ)
頤中有物曰噬嗑、
頤中(いちゅう)に物(もの)有(あ)るを噬嗑(ぜいこう)と曰(い)う、

噬嗑而亨、
噬嗑(かみあわ)して而(しこう)して亨(とお)るとなり、

剛柔分、動而明、雷電合而章、柔得中而上行、雖不当位、利用獄也、
剛(ごう)柔(じゅう)分(わか)ち、動(うご)いて而(しこう)して明(めい)なり、雷電(らいでん)合(ごう)して而(しこう)して章(あや)なり、

柔得中而上行、雖不当位、利用獄也、
柔(じゅう)中(ちゅう)を得(え)て而(しこう)して上行(じょうこう)す、位(くらい)当(あ)たらずと雖(いえど)も、獄(うった)えをきくに用(もち)うるに利(よ)ろしき也(なり)、

象伝(原文と書き下しのみ)
電雷、噬嗑、先王以明罰勅法、
電雷(でんらい)あるは、噬嗑(ぜいこう)なり、先王(せんおう)以(も)って罰(ばつ)を明(あき)らかにし法(ほう)を勅(ただ)せり、

・・・・・・・
・・・・・・・・
抜粋終わり


さらに爻の説明

http://www.keisho.server-shared.com/64/k21.html

上記文抜粋
・・・・・・・・

初爻

爻辞 〓校滅趾。无咎。
(こうをはきてあしをやぶる。とがなし。)
対処法

「校」は足かせのこと。「足かせをはかせて足を傷つけ、歩けないようにする程度で問題はない」。相手は小物ですから、少し懲らしめて やれば効果てきめんの時です。しかし、あなたが今やろうとしていることは踏みとどまるべきでしょう。

・・・・・・・
・・・・・・・・
抜粋終わり


足かせをする。

よくよく考えると、これは「中露・人類平和連合」の勝利。と見る。

仮に、アメリカ戦争屋が勝つと「足かせ」程度では終わらない打撃をロシアは受けるから、これは「ロシアのサイバー戦争の勝利」ということ。

まあマスコミに洗脳されて、長州自民党信者が多い日本の占い師の多くはそう見ないでしょうけどな。


変卦は

火地晋 の初爻

http://uqmk.blog106.fc2.com/blog-category-40.html


まだ戦いは続くが、もし人類平和連合・中露が勝利するとなると、これからの展望は明るいと思う。

上記文抜粋
・・・・・・・
また、来往生卦法によれば、もとは天地否より来たものとする。
その否塞の卦中に、六五の一陰爻が外から進み上ってこの卦となったのである。
だから、その一陰が進み上がったということにより、晋と名付けられた。


・・・・中略・・・・

この卦は昇り進む時であって、太陽が地上に在って万邦を照らす様子であり、君が文明にして四海を統御する様子であり、また、君徳が上に明らかにして、諸侯に順う様子であるが、要するに、世の中が上手く治まっている様子である。

・・・・・・・・
抜粋終わり



ていうように。

お読みくださりありがとうございます。

まあ、来年はみな「激動」とみてます。

タロットにも聞いてみました。

マンデン・ホロスコープとかいう型で行きました。

デッキはマルセイユ版


1、国民生活 カップの6 逆
http://www.lyrical.jp/library/tarot/minor/cups/cups06r.htm

http://www.kitsune.ne.jp/kitsune/tarot/arcana/41.html


2、経済面 棒の5 逆
http://www.lyrical.jp/library/tarot/minor/wands/wands05r.htm

http://www.kitsune.ne.jp/kitsune/tarot/arcana/28.html


3、通信・交通・マスコミ 1{魔術師} 逆
http://www.lyrical.jp/library/tarot/major/major01.htm

http://www.kitsune.ne.jp/kitsune/tarot/arcana/01.html

4、天候・地震  金貨の1 逆

http://www.lyrical.jp/library/tarot/minor/pentacles/pentacles01r.htm

http://www.kitsune.ne.jp/kitsune/tarot/arcana/74.html


5、スポーツ・芸能  金貨の6 逆

http://www.lyrical.jp/library/tarot/minor/pentacles/pentacles06r.htm

http://www.kitsune.ne.jp/kitsune/tarot/arcana/69.html


6、健康・労働問題  金貨の3 逆

http://www.lyrical.jp/library/tarot/minor/pentacles/pentacles03r.htm

http://www.kitsune.ne.jp/kitsune/tarot/arcana/72.html


7、外交・対外関係  8{正義} 正

仮に11{正義}でみます。

http://www.lyrical.jp/library/tarot/major/major11.htm

http://www.kitsune.ne.jp/kitsune/tarot/arcana/11.html


8、外国の経済 死亡率  16{塔} 逆

http://www.kitsune.ne.jp/kitsune/tarot/arcana/16.html

http://www.lyrical.jp/library/tarot/major/major16.htm


9、貿易 宗教界  棒の騎士  逆

http://www.lyrical.jp/library/tarot/court/knight/knight_wands.htm

http://www.kitsune.ne.jp/kitsune/tarot/arcana/35.html


10、政府・政治  20{復活} 正

http://www.lyrical.jp/library/tarot/major/major20.htm

http://www.kitsune.ne.jp/kitsune/tarot/arcana/20.html


11、国会議員・友好国  棒の3  逆

http://www.lyrical.jp/library/tarot/minor/wands/wands03r.htm

http://www.kitsune.ne.jp/kitsune/tarot/arcana/30.html


12、福祉問題 病気 犯罪 剣の8  逆

http://www.lyrical.jp/library/tarot/minor/swords/swords08r.htm

http://www.kitsune.ne.jp/kitsune/tarot/arcana/53.html

13、総合的な運勢  カップの10 逆

http://www.lyrical.jp/library/tarot/minor/cups/cups10r.htm

http://www.kitsune.ne.jp/kitsune/tarot/arcana/37.html


見かけだけの幸せにとらわれている。

さらに、金融恐慌やら国家や社会や権威はボロボロになるでしょう。

でも未来のへの曙光は見えてくるようです。

復古主義の中でも健全なモノもでてくるかも?

明治よりも前の時代の良さがわかってくるかも。


大変だけど、来年が底かな・・・。


お読みくださりありがとうございます。

追記

徽宗皇帝さんが旨くまとめてくれました。

感謝いたします。

上記文抜粋
・・・・・・・・

1、国民生活 カップの6 逆


新しい状況や可能性の中で、明るい未来や成功が見えてくる過程を表しています。

成長。未来。将来。挑戦。希望。前進。可能性。心機一転。新しい気持ち。

2、経済面 棒の5 逆


混乱した状況の中でも、友達やライバルと競い合うことで、気持ちが高まることや、技術などが磨かれていくことを表しています。

競争。対立。信用。信頼。影響。進歩。共闘。仲間。好敵手。

3、通信・交通・マスコミ 1{魔術師} 逆


自分に自信が持てなく、はっきりした目的や意識をもつことができずに、行動に移せないことで、周りの変化や状況についていけなくなることを表しています。

凡庸。鈍足。詐欺。不信。曖昧。悪知恵。不安定。無気力。保守的。優柔不断。

4、天候・地震  金貨の1 逆

ある面では成功したはずなのに、精神的な面での満足感や安定感が得られないこと、タイミングを逃してしまうことを表しています。

堕落。荒廃。失敗。挫折。後悔。不安定。不満足。中途半端な成功。

5、スポーツ・芸能  金貨の6 逆

 将来に対しての明るい兆しや可能性が見てこなく、自分自身の力に失望してしまうことや、先に進めなくなってしまうことを表しています。

失敗。執着。過信。不安。偽善。嫉妬。不安定。自己満足。


6、健康・労働問題  金貨の3 逆

自分の技術や才能がまだ世間では通用しないことや、自己満足で終わってしまうこと、将来へのプレッシャーに変わってしまうことなどを表しています。

未熟。平凡。凡庸。自慢。半人前。自己満足。経験不足。中途半端。ありきたり。

7、外交・対外関係  8{正義} 正

仮に11{正義}でみます。


問題を解決し、状況を落ち着け安定させることができる状況と、その結果もたらされるプラス面を表しています。

正義。均衡。名誉。地位。裁判。安定。安住。正当性。正しい結論。正しい判断。

8、外国の経済 死亡率  16{塔} 逆

 今までの状況に終止符を打ち、新しい状況が始まりを告げることを表しています。新しい始まりは、過去の出来事を上回る良い状況になります。

再生。改革。解放。再建。崩壊。再開。再婚。復縁。復活。開始。事故。再出発。

9、貿易 宗教界  棒の騎士  逆

はっきりしない状況や気持ちが引き金になって、感情的になってしまったり、あせってしまい状況や関係を壊してしまうことを表しています。

決裂。失敗。後退。喧嘩。不和。離婚。分かれ。優柔不断。判断ミス。

10、政府・政治  20{復活} 正

新しい目標や状況が確立され、過去より肯定的で前向きな気持ちや状況になって行く過程を表しています。

再生。復元。復縁。復活。再婚。再開。再会。改善。覚醒。仲直り。最終的な決断。

11、国会議員・友好国  棒の3  逆

 新しい状況や、新しい人間関係を迎え、より肯定的で前向きな環境に身を置くことができることを表しています。また、肝心な最初の一歩を踏み出すことや、幸先の良いスタートを迎えられたことも表します。

旅立。信頼。尊敬。社会。計画。形成。門出。始まり。良い人間関係。

12、福祉問題 病気 犯罪 剣の8  逆

 抑圧的で拘束されていた状況から抜け出すチャンスや、実際に抜け出すことにより前向きな気持ちになって行くことを表しています。

自由。解放。出口。脱出。突破。救済。克服。改善。無制限。

13、総合的な運勢  カップの10 逆

 落ち着かない状況や、不安定な未来から来る不安や悲観的な気持ちを表しています。また、関係が崩れていく過程や、孤立してしまう状況なども表します。

堕落。問題。障害。孤独。不安。不和。不安定。関係の崩壊。見せ掛けの幸福。



・・・・・・・
・・・・・・・・
抜粋終わり

生活の党に、山本太郎が合流した。

易を立てたが、あまりいい卦ではない。

まあ次のアクションを待って、その時の占断を上げようと思うけど。

ともわれ、ついでに「これからの日本は?{2015年}」と問うて見た。

山地剥 の 1・3 爻

http://uqmk.blog106.fc2.com/blog-category-28.html 


上記文抜粋
・・・・・・・
23 山地剥(さんちはく)
sanchi.gif剥 坤下艮上(こんか ごんじょう)

八卦のkonchi-n.gif坤(こん)の上に、gonsan-n.gif艮(ごん)を重ねた形。

この卦は十二消長のひとつである。
純陽の乾為天から、天風姤、天山遯、天地否、風地観と、次第に陰柔が増長し、陽剛を消し滅ぼし、ついに今、僅かに上九の一陽剛のみが、どうにか残り止まっている。
しかし、この最後の一陽剛も、最早、剥され、消し尽されようとする時勢である。
だから剥と名付けられた。
また、艮山が崩れて坤の大地に付く様子でもある。
そもそもは、山の地上に聳え立つ様子だが、見上げると怖いくらいに高く聳えた山は、崩れ落ちて地に付くのではないか、と思わせるものである。
だから剥と名付けられた。
また、山が地上にあれは、いつかは消し剥がされて平地となりそうにも思えるものである。
だから剥と名付けられた。

卦辞
剥、不利有攸往、

剥(はく)は、往(ゆ)く攸(ところ)有(あ)るに利(よ)ろしからず、

まずこの卦は、坤を順(したが)うとし、艮を止まるとする。
これは順って止まることの重要性を示しているのである。
したがって、君子は宜しく順って止まり、その道を守るべきときとする。
また、陰を小人の道、陽を君子の道とすれば、小人の道が増長し、君子の道が消滅しようとしているときである。
君子としては、新たに事を起すようなことは慎み、時に順い止まり守るしかないときである。
そもそも易は、君子たる人間の生き方を尊び教える書である。
したがって、君子に戒めて、往く攸有るに利ろしからず、というのである。
何かをやろうとしても、小人の勢いが強く、とても太刀打ちできないのである。



・・・・・中略・・・・・

初六、剥牀以足蔑、貞凶、

初六(しょりく)、牀(しょう)を剥(はく)するに足(あし)より蔑(ほろ)ぼす、貞(かた)くすれば凶(きょう)なり、

牀とは、座ったり寝たりして寛ぐための台であって、要するにベッドみたいなものである。
初六は剥の始めなれば、これは小人が君子を剥し削るの初めである。
もとより君子なる者は、尊貴なので牀の上に居るものである。
初六の小人はその牀の下に侍り居て、密かにその牀の足より剥し落とそうとするの象がある。
だから君子に警め諭して、牀を剥するに足より蔑ぼす、という。
そももそ小人が君子を害そうとするのは、その策謀が実に奇妙不測にして、君子に気付かれないように忍び寄るものである。
例えば牀の上にいる君子を害するのに、まずは密かにその牀の足よりするがごとくである。
このようなことは、深く恐れて慎み防ぐことが大事である。
君子は幾を見て行動することを尚ぶものであっり、このような危険な時に当たっては、貞固に常経に執着し、旧格先例に固執するのは凶の道である。
臨機応変に小人の害を避けなければいけない。
だから、貞くすれば凶なり、という。

・・・・・・中略・・・・

六三、剥之无咎、

六三(りくさん)、之(これ)を剥(はく)するごとくなれども咎(とが)无(な)し、

この卦は五陰爻を以って一陽爻を剥し尽くそうとする象にして、言うなれば、五人の小人が徒党を組んで一人の君子を殺害しようと計画しているときである。
その中に在って、この六三の爻は、上九の応の位なので、直ちに進み往き、上九に害応して、これを剥し落とそうとする爻である。
これは上九の君子の危急切迫の時である。
しかし、幸いに六三の爻は、表面的には衆陰の小人と同じく、上九を害するがごとくの態度を示すが、内心は密かに上九に正しく応じて、これを補佐し守護する者である。
要するに六三は、表向き姦邪の衆陰に与しつつも、密かに上九の君子を助けるのである。
だから、之を剥するごとくなれども咎无し、という。


・・・・・・・
・・・・・・・
抜粋終わり


まさに末世・・・。

変卦は

山火ヒ

http://uqmk.blog106.fc2.com/blog-category-27.html


名ばかり国家なるのかもしれない・・・。


正直、自分の「流れからの予測」は、「日本は衰亡・滅亡しかない」とみているが、その通りのようです。

ほかの道など、見えてこない。

一体、どうしての、このモラルも愛もない社会が復活できるのか?

私には想像できない。

ネットウヨって、正直嫌いだが、でも彼らの若い人の多くは社会にいじめられて、それで早くに「日本の庶民のためでも、日本のためでもない政治が、日本人以外の人たちがつるんで行われている」と気が付いた。

でも悪党の詐術と、自身の「怨念」から、魔道に入りそうである。だが、生活が安定すると、ふと目覚めることが多い。

それでまだ恕するところがある。


でももっと怖いのは、中高年のそこそこ資産をもった安定した「名士層」に多くのネットウヨ信徒が居ることである。

5年ほどまえ、図書館でまだボランティアをしていたころ、そこそこ資産がある中年の女性に、かなりヘイトな意見を口酸っぱく言われて辟易したことがある。

そういう経験とか昨今の情報をみて思うと、日本の中産階級や保守知識層がきわめて愚劣でかつ、幼稚であるのを知ると、日本社会自体が、愚劣化幼稚化していると言い得る。

もっというと、地方や地域で指導的な立場は階層の人たちが、ネットウヨ程度のモラルと識見しかないという不徳でアホでは、到底社会が健全に回るわけがない。

私の個人的感想では、こういうネットウヨおやじやネット右翼ババアが、日本の癌階層であります。当然私は一番大嫌いであります。


中間層は腐っている。若者・下層は疲弊して自棄になっている。上層部・指導層は無責任。

これで日本の復活?あり得るはずもない。


まあ盛大に滅びな。

まともな日本の人間は、日本が滅亡するまで、隠れキリシタンのように隠れて生きましょう。

希望は戦争。でなく 希望は日本滅亡。

極論だが、「不死鳥は生焼けでは、復活できない」





お読みくださりありがとうございます。
まあ暇つぶしに、11月21日解散の、今回の総選挙。

易に聞きました。


沢雷随 の3爻

http://uqmk.blog106.fc2.com/blog-category-22.html

上記文抜粋
・・・・・・・・・
17 沢雷随(たくらいずい)

随 震下兌上(しんか だじょう)

八卦の震(しん)の上に、兌(だ)を重ねた形。

随は、したがう、という意。
易位生卦法によれば、元は雷沢帰妹である。
雷沢帰妹のときは、震の長男が兌の少女の上に位置していたが、今、この沢雷随の卦は、震の長男が兌の少女の下に下り随っている様子となる。
だから、随と名付けられた。
そもそも天地の定理では、男は尊く女は卑しい、長は尊く少は卑しい、である。
しかしこの卦は、男が女の下に下り、長が少の下に下っている。
これは、本来随わせるべき者に随っていることであって、随い難き道である。
だから、その随い難きを随うことの重要性を鑑みて、随と名付けられた。
これは、天沢履の履み行い難きをもって卦名としたのと同じスタンスである。
また、内卦を自分とし、外卦を相手とし、震を動くとし、兌を悦ぶとすれば、自分が動いて相手を悦ばせ、自分が積極的に相手に随う様子である。
だから、随と名付けられた。
また交代生卦法によれば、元は天地否から来たものとする。
天地否の上九の爻が来たり下って初九となったのが、この沢雷随である。
これは、高く卦の極に居た一陽剛が、初九の最下の地に下って、他の五爻の下に随っている様子である。
だから、随と名付けられた。
また、上卦の兌は二陽の尊きをもって一陰の卑しきに下り随い、下卦の震は一陽の尊きをもって二陰の卑しきに下り随っている。
このように上下とも、陽をもって陰に下り随っているのがこの卦である。
だから、随と名付けられた。

卦辞
随、元亨、利貞、无咎、
随(ずい)は、元(おお)いに亨(とお)る、貞(ただ)しきに利(よ)ろし、咎(とが)无(な)し、

およそ天下万般のことは、人に随い従って行うときには、その事業は容易であり、容易であればこそ、成し遂げることができるものである。
だから、随うということを念頭に行えば、物事は元いに亨るのである。
そもそも人に随うときには、一にも二にも、正しくすることが大事であり、そのようであれば、咎められることはない。
これが、悪に随い、邪に随うようであれば、言わずもがな、大いに咎められるものである。
だから、貞しきに利ろし、咎无し、という。


彖伝(原文と書き下しのみ)
随、剛来、而下柔、動而説、随、
随(ずい)は、剛(ごう)来(き)たりて、而(しこう)して柔(じゅう)に下(くだ)る、動(うご)きて而(しこう)して説(よろこ)ぶは、随(ずい)なり、

大亨以正、故无咎、而天下随之、随之時義大矣哉、
大(おお)いに亨(とお)るに正(ただ)しきを以(も)ってす、故(ゆえ)に咎(とが)无(な)し、天下(てんか)之(これ)に随(したが)う、随之時義(ずいのときのぎ)大(だい)なる哉(かな)、


象伝(原文と書き下しのみ)
沢中有雷、随、君子以嚮晦入宴息、
沢(さわ)の中(なか)に雷(かみなり)が有(あ)るは、随(ずい)なり、君子(くんし)以(も)って晦(くら)きに嚮(むか)って入(い)りて宴息(えんそく)すべし、

・・・・中略・・・・

六三、係丈夫、失小子、随有求得、利居貞、

六三(りくさん)、丈夫(じょうぶ)に係(かか)って、小子(しょうし)を失(うしな)えり、随(したが)えば求(もと)め得(え)ること有(あ)らん、貞(つね)に居(お)るに利(よ)ろし、

丈夫とは九四の爻を指し、小子とは初九の爻を指す。
この六三の爻は、六二とは逆に、九四と密接し、初九には遠い。
だから、丈夫に係って、小子を失えり、という。
これは、自分よりも劣っている者を捨てて、優れている者に随う様子である。
したがって今、六三は随うべき良き友の九四を得ているのであり、その九四に随順して利益を請えば、自然に彼の意を得られるときである。
だから、随えば、求め得ること有らん、という。
六三が九四に随うことは、陰を以って陽に随い、下を以って上に随うことなので、そもそも理に叶っているのである。
しかし、随順の道も、度が過ぎれば阿諛(あゆ)佞媚(ねいび)=おもねりへつらい、に流れる失も有る。
まして九四は執政権門の大臣にして、その威勢が赫々たる者である。
妄りに動き回って随うのではなく、慎戒して節度をわきまえないといけない。
だからこれを戒めて、貞に居るに利ろし、という。
貞は常恒の義、居るとは止まるの義である。
常を守り、分に止まって妄りに動かないように、という垂戒である。


・・・・・・・
・・・・・・・・・
抜粋終わり


なにやら、だれか捨てられるらしい。

意外と野党のぼろ負け?

それとも意外な政権交代?

{追記

この3爻の言葉をさらに読み込むと、「小子を捨てて、丈夫を得る」は、この丈夫が必ずしも「正統・適当」な相手ではない。

六三の適当な相手は、上すなわち一番上の爻と対応しなければならない。

政権交代しても、あるいは首相が変わっても、それは一時の利益になっても、長期的にはわからないのです。

まあ、現状としては「変わる」しか手は無いが、その変わる先を見ないと、革命ならず地震だけに終わることもある。

用心用心}

でも次の変卦は、もっと面白いよ。

沢火革 3爻

http://uqmk.blog106.fc2.com/blog-category-54.html

上記文抜粋
・・・・・・・
49 沢火革(たくかかく)
革 離下兌上(りか だじょう)

八卦の離(り)の上に、兌(だ)を重ねた形。

革は、変革、改める、という意。

この卦は兌水が上、離火が下にある。
水を入れた器の下に火があれば、火が盛んに燃えるときは、必ず水は沸騰し、ついには乾いてなくなり、水が溢れるときは、必ず火を消滅させる。
これは、水と火の性情が表裏反対にして、相互に克殺する者だからである。
火の勢いが盛んであれば水は蒸発してなくなり、水の勢いが盛んであれば火は消滅する。
これは、水火ともにその勢いが強く大きい方が、弱く小さい方に克(か)つということであって、こうして物事は変革して行くものである。
だから革と名付けられた。

しかし、このように水と火がその勢いの強弱で互いに相手を打ち消しあうことをもって革と名付けれたのであれば、水火既済も革と名付けれるべきではないか?という疑問が湧くが、これは沢水と坎水の違いによるのである。
水火既済の水は坎水であり陽卦であり、火は離火であり陰卦であり、さらに坎水と離火は表裏の関係にある。
したがって、互いに釣り合っているのである。
しかし、沢火革の水は沢水であり、沢水も離火も陰卦であり、したがって互いに釣り合っていないのである。
だから敵対して水と火が互いに害し合う様子とするのである。

また沢火革は、兌の少女が上に、離の中女が下にいる形であるが、これでは姉妹の序列が逆なので、変革する必要がある。
だから革と名付けられた。

また、兌の少女と離の中女が、共に父母の家に同居するとしても、将来嫁ぐところは異なるから、その志は同じではなく、その違いにより争い変革を求めようとする雰囲気がある。
だから革と名付けられた。

また、内卦の離を明とし、外卦の兌を悦ぶとすれば、内卦の自分は明らかにして、よく物の利害に通じ、改革するべきことを改革すれば、外卦の相手は、よくこれを悦ぶ。
改革するときはこのようであって欲しいものである。
逆に、相手が不愉快になる改革はよくない。
だから革と名付けられた。

また、内卦の離火をもって、外卦の兌金を熱する様子である。
火をもって金属を熱すると、金属は溶けるので、その形状を変革することができる。
だから革と名付けられた。
『書経』洪範に「金は革に従うという」とあるのは、このことである。

また、離を夏とし、兌を秋とすれば、夏から秋に季節が変革することを示している。
だから革と名付けられた。
そもそも四季の移り変わりは、春から夏、秋から冬、冬から春というのもある。
とすると、ここでことさら夏から秋への移り変わりをもって革とするのは、どういうことか?
それは、次のことからである。
季節が改まるということで言えば、どれも同じだが、陰陽の変化を考えれば、そこに違いがある。
春は少陽、夏は老陽、秋は少陰、冬は老陰である。
したがって、春と夏と分けて二つの如くなっていても、この両者は同じ陽の季節であり、要するに陽の強さが変化しただけであって、変革とまでは呼べない。
秋と冬も同様に、陰の強さが変化しただけである。
ところが、夏は陽は極まり、秋は陰の始まりである。
したがって、夏から秋への変化は陰陽変革の最も激しいときなのである。
なお、冬から春に変わるときも、老陰から少陽に変化するわけだから、陰陽変革は激しいわけだが、これは春夏秋冬一巡し、年が改まり、新たに四季が始まるときである。
だから冬から春へは変革のときとはしないのであって、夏から秋への変移こそが、四季の途中の変革なのである。

また、離を太陽とし、兌を西とすれば、太陽が西に没する様子である。
これは昼から夜への変革である。
だから革と名付けられた。
なお、太陽は、没しても、また翌朝には昇る。
そのくり返しを明らかに計算したものが暦である。

卦辞
革、*已日乃孚、元亨、利貞、悔亡、

革は、已日(いじつ)に乃(すなわ)ち孚(まこと)とせらる、元(おお)いに亨(とお)る、貞(ただ)しきに利(よ)ろし、悔(く)い亡(ほろ)ぶ、

*已は「すでに」という意で、*已日は、改革し得て、功成り事を遂げる日のこと。
およそ改革ということは、初めはなかなか人々に受け入れられないものである。
旧習に慣れ親しんでいるからである。
したがって、その改革をした後、それが自他共に素晴しいと思えるものであれば、そのときに漸く人々はその改革を信じ、歓迎するものである。
だから、革は已日に乃ち孚とせらる、という。
そもそも改革するに当たは、古い害を除き去り、新しい利を益すことが大事である。
そうであれば、改革した後に、その改革を推進した人は人望を高め、大いに亨通する。
もちろんその改革が貞正なものであることは重要である。
貞正であれば、最初は受け入れずに、その改革を後悔する場面もあったとしても、やがて改革が成就して来れば、人々は考えを改め、その後悔は杞憂に過ぎなかったことになる。
だから、貞しきに利ろし、悔い亡ぶ、という。
しかし、その事の利害に精通せず、その事の詳細に明らかでないのに、思いつきで改革するような場合は、却って大なる災害を生じるものである。
したがって、妄りに改革するべきではないのである。
これは沢雷随の、元亨利貞无咎、とあるのと同じニュアンスだと言えよう。

なお、*已は、もともと己(き)とあったものを、それは写し間違いだとして、朱子学以降はこの*已(い)として「事成り終わる日」という意に解している。
中州も、これに従っている。
それ以前は、己(き=十干の「つちのと」)のこととして解釈されていた。
例えば、『日本書紀』の神武天皇即位年算出の根拠となったとされる辛酉革命は、この沢火革からの考え出されたもので、その説はこの*已は己として成り立っている。
辛酉革命は『易緯』『詩緯』という書物の中にある予言説で、
戊午を革運と為し、辛酉を革命と為し、甲子を革令と為す、というものである。
六十干支が戊午のときに革命の運気に入り、それを初爻とすれば、干支との関係は以下のようになる。

甲子 番外       革令 
癸亥 上爻 ━  ━
壬戌 五爻 ━━━
辛酉 四爻 ━━━ 革命 即位
庚申 三爻 ━━━
己未 二爻 ━  ━ 革明 即位予告
戊午 初爻 ━━━ 革運 橿原入り

革命の主体は金属が溶けて液状になることとすれば、離の火で熱せられた兌金が溶けて坎水となることである。
これは、四爻が陽から陰に変じることである。
『日本書紀』を開くと、神武天皇即位前三年戊午歳に橿原に入り、翌前二年己未歳に、これからここに都を造ることを宣言し、翌々年辛酉歳正月一日に即位したとある。
己未については、『易緯』や『詩緯』の記載はないが、二爻は離明の主である。
離の火で兌の金を熱して溶かすのが革命であり、その意味からすれば二爻は離の火の燃える中心である。
とすると二爻に当たる時は、これから行う革命を明らかにする時、言うなれば革明であろう。
前二年己未歳の、これからここに都を造ることの宣言は、まさにこれに当たる。

そして、一度革命したら、爻一本を一年として、この卦が終わる上爻のときが過ぎるまでは、何があってもそのまま続けなければいけない。
すぐには改革を歓迎されなくても、その改革したシステムをきちんと直向に運営していれば、三年目すなわち上爻のときにはそれまで不満だった人々からもその改革が歓迎されるようになり、改革を発案した君子はまるで豹の如くに美しく見えるものである。
これ上爻の爻辞なのだが、とにかく君子豹変とは、本来そういう意味だったのである。
逆の、君子は変わり身が早いという意味で使われる場合も多いが・・・。
とにかく、この卦に沿って言えば、改革の手直しをするのは、要するに革命から四年目すなわち甲子以降にするべきなのである。
だから、甲子を革令と為す、という。



・・・・・・中略・・・・


九三、征凶、貞、革言三就、有孚、

九三(きゅうさん)、征(ゆ)けば凶(きょう)なり、貞(かた)くすれば(あやう)し、革言(かくげん)三(み)たび就(な)りて、孚(まこと)とせらるること有(あ)らん、

征くとは、改革することを指す。
九三も内卦の中の爻なので、まだ改革するべき時ではないことをいう。
時が至らないのに、妄りに改革すると、必ずその事は成らず、却って咎を生じるものである。
しかし九三は、過剛不中なので、焦って改革しようとする傾向がある。
その焦る志を改めずに固執し、時を犯して改革するのは、危険な道である。
だから、征けば凶なり、貞くればし、という。

さて、九三は、内卦が終わり、まさに外卦に移ろうとする幾(きざ)しが有る。
したがって、その事の勢いは止むを得ないものがあるが、そんな勢いだけでは、他人は賛同しない。
しかし、その終始を計算し、良し悪しを審らかに察し、なお再三にこれを質し明かし、その義が必定であることを納得できれば、誰もが賛同するものである。
だから、革言三たび就りて、孚とせらるること有らん、という。
三たびとは、何度もくり返し、ということであるが、爻について言えば、初爻にて一たび就り、二爻にて二たび就り、この三爻で三たび就り、初二三の内卦中にて三たび就りて外卦四に至って、改革の時を得るのである。



・・・・・・・
・・・・・・・・・
抜粋終わり



革命・・・・


いずれかわからんが、この総選挙の後に、革命。


たぶん、非自民党政権なので、地震を喰らわすでしょう。逆賊は自民党が大好きなのでね。


でもこの革命は、たぶん中途途絶しない気がする。

>革言(かくげん)三(み)たび就(な)りて、孚(まこと)とせらるること有(あ)らん、

三度目の政権交代。


これで、自公は終わりだろう。


って希望的観測を含めて。


でも地震に注意。

>征(ゆ)けば凶(きょう)なり、貞(かた)くすれば(あやう)し、

革命が成功するから、悪党が必ず地震を起こすだろう。

関東・太平洋側注意。


て地震は、前の記事の出典先とかで私の妄想を含めて。


お読みくださりありがとうございます。
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