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故国の滅亡を伍子胥は生きてみれませんでしたが、私たちは生きてこの魔境カルト日本の滅亡を見ます。
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先日、ギリシャ危機・箱根小噴火・新幹線焼身心中、という現状で、日本は?

と易に問いました。

略ゼン法で聞きました。

沢水困 九五  

http://uqmk.blog106.fc2.com/blog-category-52.html 

上記文抜粋
・・・・・・・・
八卦のkansui-n.gif坎(かん)の上に、sdataku-n.gif兌(だ)を重ねた形。

困とは、苦しむ、困窮して自らの力では打開できない、という意。

易位生卦法によれば、もとは水沢節から来たものとする。
水沢節は、坎の水が兌の沢の上に在り、沢水が溢れず枯れずほどよくある様子である。
それが今、上下が入れ替わると、兌の水は悉く漏れ下り、この沢水困となる。
これは、沢水が涸渇した様子であり、困窮厄難を示す。
だから困と名付けられた。

・・・・中略・・・・

卦辞
困、亨、貞、大人吉、无咎、有言不信、

困は、亨(とお)る、貞(ただ)しかるべし、大人(たいじん)は吉(きち)、咎(とが)无(な)し、言うこと有れども信ぜられじ、

この卦は、坎を険難、兌を悦ぶとすれば、険難のときに悦んでいる様子となる。
険難のときであっても悦んでいるのは、一見問題がありそうだが、実はこれこそ困のときの正しい道なのである。
天命に身を委ね、その困窮に甘んじ、時期を待つしかないときである。
徒に悩んでも解決するものではない。
とすれば、その険難に置かれている状況を悦び楽しみとするのが、一番精神衛生にもよいし、そのようにしていれば、人間としての器の大きさも評価されるのである。
逆に、困窮を脱しようと右往左往しても、おいそれとは脱出できないものである。
なんとか現状を打開するためにと、甘い見通しを立てて無理して金策に走り、結局は失敗し、さらに借金に借金を重ね、ついには泥沼に陥ることがあるように。
したがって、今置かれている険難の状況を悦び楽しむ余裕こそが大事なのである。
そうしていれば、やがて必ず困窮を脱するときが来るものである。
だから、困は亨る、貞しかるべし、という。
亨るというのは、今すぐにではない。
貞しく、というのは、この場合は、険難を悦ぶ余裕で耐えることである。
困のときだからこそ、貞しく険難を悦ぶ余裕で耐えていれば、いつか困窮から脱して、そのときに亨通する、ということである。
大人ならば、どんなに困窮しても、天を恨まず、他人を咎めず、ひたすら貞正の道を守り、険難を悦び、時が至るのを待つものである。
右往左往するのは小人である。
だから、大人は吉、咎无し、という。
咎无しとは、道に違はざることである。
これが小人ならば、凶、咎有り、ということになる。
およそ人は困苦のときに遇うと、必ずその困窮を緩和し、険難を脱しようと、数々の辛酸を舐め、恥辱を耐え、耳を低くして尾を伏せ、他人に哀れみを求め、救済を乞い、哀しみ訴えるものである。
しかし、そうして訴えても、どこまで相手から信用され、助けて貰えるだろうか。
世の中というのは、そんなに甘くない。
自分がその困窮をあれこれ言っても、話半分にしか聞いて貰えないのが普通である。
だから、言うこと有れども信じられじ、という。


・・・・中略・・・・



劓(はなきら)れとは、上に在る者の困難の喩えであって、君上の困である。
刖(あしきら)れとは、下に在る者の困難の喩えであって、下民の困である。
赤紱(せきふつ)は諸侯の飾りにして、九二を指しての喩えである。

今、困の時に当たって、九五は君の位に居る。
そもそも人君の主たる務めは、天下の憂いを以って自身の憂いとし、天下の困苦を以って自身の困苦とすることである。
これを以って、上下の困難厄窮を一身に集め、自身が刑罰を受けているかのように苦しむ。
だから、劓れ刖れ、という。

もとより九五の爻は、剛健中正の徳が有るとしても、今、天命困窮の時にして、とても一人では天下億兆の困を済(すく)うことはできない。
そこで、九二の賢者が下に在るので、援助を求めようとするが、共に陽剛なので、相応じ難い。
これが九五の困(なや)むところである。
だから、赤紱に困しむ、という。

しかし、九五の君からすれば、九二以外に、応位の求めるべき者はいないので、心を専らにし、志をひとつにし、礼を崇(たか)くして、懇ろに九二の賢者を求めるべきである。
そうすれば、九二もまた剛中にして同徳相応じる象義があるので、時間はかかるが、必ずや来て九五を補佐してくれる。
九二が来て、君臣が徳を合わせれば、天下の困窮を済(すく)うことができる。
困窮から済われれば、大いに悦び楽しめる。
だから、乃ち徐に説び有らん、という。

さて、天下に君たらん人は、天下の困窮険難を見ては、一日片時も徒然として空しく過ごしてはいけない。
千慮百計して、以って困を済う方策を求めることは勿論であるが、粉骨砕身して人事人力を尽くしても解決しないことは、天地神明に祈り求めるべきである。
要するに、人事を尽くすだけでは足りないところを、祭祀を行い、天地神明に祈るのであって、今がその時その位なのである。
だから、祭祀を用うるに利ろし、という。

・・・・・
・・・・・・
抜粋終わり

ロシアだろうが、中国だろうが、助けを求めよ。

てことかも。

格下と思っている相手でも、これ!と思うものに助けを求めよ。

でも、安倍さんや「イヌ日本人」には難しいよな・・・。

>しかし、そうして訴えても、どこまで相手から信用され、助けて貰えるだろうか。
世の中というのは、そんなに甘くない。
自分がその困窮をあれこれ言っても、話半分にしか聞いて貰えないのが普通である。
だから、言うこと有れども信じられじ、という。

明治期の近代産業遺産のユネスコ登録を巡り、韓国と激しく言い合いになっている。

私は「戦争と植民地支配の罪過・過ちを認めて、飲め」と思うけど、

「対馬わが祖国」と対馬に堂々と広告塔を立てる、あちらの恥知らずも知っているので・・・

わが方は「自己の過ちを認めない恥知らず」で、

あちらは「自己の優位性を笠に着て、無体つき道理を踏みにじる恥知らず」

なので、恥知らず同志勝手にしやがれ!って気分。

もっと大変ことで「言うことあれど、信じられない」ことが続出してくると思う。

この卦はもう一つは「相手の言うことを信じるな」てもある。

マスコミ・国家・学校のいうことをウカウカと信じるな!っていう易の日本人への警告もあると思う。



変卦

雷水解 5

http://uqmk.blog106.fc2.com/blog-category-45.html

上記文抜粋
・・・・・・・・・・
八卦のkansui-n.gif坎(かん)の上に、shinrai-n.gif震(しん)を重ねた形。

解とは、解消、解決、解散といった意。
易位生卦法によれば、もとは水雷屯から来たものとする。
屯は険難の中で動く様子だったが、その屯の内卦の震が動き進んで坎の険難の外に出て、険難が解消したのが、この雷水解である。
だから解と名付けられた。
また、水雷屯のときには、震雷が下にあって上昇しようとし、坎水が上にあって下降しようとし、その結果として両者が交わっていたのだが、今、震雷が動いて上り、坎水の雨が和して下り、両者が交わらなくなったのが雷水解である。
これは雷と雨が解散した様子である。
だから解と名付けられた。
また、水雷屯の内卦の震が動き進んで、坎の大川を渉り切り、険難を脱出解決した様子である。
だから解と名付けられた。

また、六五の君は柔中の徳が有り、
九四執政の大臣とは陰陽正しく比し、九二剛中の大臣とは陰陽正しく応じている。
これは、六五の君がよく賢良の二大臣に委任し、二四の両大臣もまた共に剛健の才力を発揮して天下国家の険難を解決する才徳が有る様子である。
だから解と名付けられた。

卦辞
解、利西南、无攸往、其来復吉、有攸往夙吉、

解は、西南(せいなん)に利(よ)ろし、往(ゆ)く攸(ところ)无(な)くば、其(そ)れ来(き)たり復(かえ)りて吉(きち)、往(ゆ)く攸(ところ)有(あ)れば夙(はや)くして吉(きち)、

この卦は、来往生卦法によれば、もとは地水師から来ていたとする。
地水師の内卦の外より一陽剛がやって来て、その上卦坤の体中に入り九四となったのである。
坤は西南の方位であり、衆とし、師とは軍旅のことである。
そもそも天下の険難を解くためには武力行使も必要である。
今、九四成卦の主として、摂政の位に居る。
これは西南坤の方に往きて衆を得た様子である。
だから、西南に利ろし、という。
そして、険難が解消して最早解くべきところがないのであれば、さらに何かをするのではなく、安静にしてその位を守るようにするのがよい。
だから、往く攸无くば、其れ来たり復りて吉、という。
往くというのは場所の移動ではなく、行動する、というニュアンスである。
来たり復りて、というのは、往くという字に対するものであり、行動する前の、平時の状態に戻ることをいう。

また、この卦は、もとは雷地予から来たともする。
雷地予の卦の中へ一陽剛が外卦の外からやって来て、九二となり、内卦の主となったのが、この雷水解である。
これは、険難が解ければ、人々は予楽和順する、という様子を示しているが、このときには、九二は来たり復って中を得ているわけである。
これもまた、来たり復って吉、という所以である。

しかし、もし、未だ解消していない険難があるのならば、速やかに解くべきである。
時は得難く失いやすいものである。
どうしようどうしようと躊躇していると、タイミングを逸し、速やかに行動すれば解決できたものが、解決できなくもなる。
だから、往く攸有れば夙くして吉、という。

・・・・・中略・・・・

六五、君子維有解、吉、有孚于小人、

六五(りくご)、君子(くんし)維(こ)れ解(と)くこと有(あ)り、吉(きち)なり、小人(しょうじん)に孚(まこと)とせらるること有(あ)り、

君子とは、九ニと九四のニ陽剛を指す。
今、ニと四の両大臣は、共に陽剛の才徳が有り、よく天下の険難を解くに堪える者なので、これを称美して君子と言う。
小人とは、ここでは天下の民衆を総称する義である。
これは、在位の君子に対する文言である。

さて、六五は柔中の徳を以って、恭しく君位に居る。
これは天下の険みを解くの主である。
もとより九四陽剛の執政大臣とは陰陽親しく比し、また、九二剛中の賢臣とは陰陽正しく応じている。
とすると六五は、よく人を知り、賢を官にしているのであって、股肱の良臣に委ね任して疑い慮ることがない明主である。

そもそも九二は、すでに三狐の佞人を除き去り、九四は私係陰累の初六の拇を解き去っている。
要するに、ニ四の両大臣は共に偏りなく公正の道を以って天下の険みを解いているのである。
したがって六五の君上は、自分からあれこれ動くことなく、この二人に任せて、見守っているだけでよいのである。
だから、君子維れ解くこと有り、吉なり、という。

およそ民を治める道は、寛仁と威権と兼ね備わるに在るものだが、その中について、なお細かに割論すれば、臣を以って民に臨むには公正を先として威権を主とし、君を以って民に臨むには慈愛を先とし寛仁を主とする、ということになる。
今、九ニと九四の両大臣は、剛明の威権を以って、天下の険みを解き去ることを主としているので、六五柔中の君としては、柔中の仁徳を以って、万民を懐柔することを主とするのがよい。
そうすればね天下億兆の小人は、両大臣の剛明の威権に謹み畏(かしこ)み、反対したり罪を犯したりせず、君上の寛仁に懐き服すものである。
だから、小人に孚とせらるること有り、という。


・・・・・・・・・
・・・・・・・・・
抜粋終わり

>しかし、もし、未だ解消していない険難があるのならば、速やかに解くべきである。
時は得難く失いやすいものである。
どうしようどうしようと躊躇していると、タイミングを逸し、速やかに行動すれば解決できたものが、解決できなくもなる。
だから、往く攸有れば夙くして吉、という。


放射能・消費税・戦争法案・年金カット。
ことごとく、日本人を殺しつくそうとしている日本国。

それが「さっさと課題・問題を解消する」ことなど無いは!

まさに「日本国」自体が、日本の衆生の最大の問題。


易は

「早く解決すると、美味しい思いできますよ・・・」

と誘ってくれてますけど、

不安で、不幸と死にしがみついている日本。

>君子とは、九ニと九四のニ陽剛を指す。
今、ニと四の両大臣は、共に陽剛の才徳が有り、よく天下の険難を解くに堪える者なので、これを称美して君子と言う。
小人とは、ここでは天下の民衆を総称する義である。
これは、在位の君子に対する文言である。

>さて、六五は柔中の徳を以って、恭しく君位に居る。
これは天下の険みを解くの主である。
もとより九四陽剛の執政大臣とは陰陽親しく比し、また、九二剛中の賢臣とは陰陽正しく応じている。
とすると六五は、よく人を知り、賢を官にしているのであって、股肱の良臣に委ね任して疑い慮ることがない明主である。


この六五の賢君を「安倍首相」って思いますか?

どう考えても違いますよね。

変爻は、5、すなわち最高指導者。

これが変わらないと、悩み・苦難の解消はできないのですから・・・


で、お金持ちのひとは自公・馬鹿は維新を応援して、一生懸命バカ殿に殺されるのでね。


お読みくださりありがとうございます。
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