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故国の滅亡を伍子胥は生きてみれませんでしたが、私たちは生きてこの魔境カルト日本の滅亡を見ます。
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P R
ギリシアデフォルト さてどうなるか。

易に聞きました。

ネット上の使いました。

 

風雷益 上6 5

http://uqmk.blog106.fc2.com/blog-category-47.html 

上記文抜粋
・・・・・・・・・
42 風雷益(ふうらいえき)
fuurai.gif益 震下巽上(しんか そんじょう)

八卦のshinrai-n.gif震(しん)の上に、sonfuu-n.gif巽(そん)を重ねた形。

益は、益す、増加する、といった意。

交代生卦法によれば、もとは天地否より来たものとする。
天地否の九四が来たって初に居り、初六が往きて四に居るのが、この風雷益である。
これは上を損(へら)して下を益す様子である。
だから益と名付けられた。

しかし、山沢損同様に、これも全体から観れば剛柔の交代のみであって、損益はない。
それなのに、ことさら益という。
それは、国家経済を以って喩えれば、上君主の驕りを減らして、下万民を賑わし恵むときは、その国は大いに富むものである。
また、内卦を自分、外卦を相手とすれば、外を減らして内に益し、相手を減らして自分に益す様子である。
また、草木を以って言えば、上の枝葉を透かし減らし、その枝葉を肥料として下の根元に撒くときは、その草木は大きく育つものである。
また、家屋をもって言えば、上の棟木を減らして下の柱を益すときには、その建物は強固にして、倒壊の危険は少なくなり、安全性が益す。
したがって、これらの様子から、ことさらに、益と名付けられた。

また、交代生卦法に従って言えば、天地否の初往き四来るは天地陰陽の二気が上り下って相交わることである。
陰陽の二気が交わるときは、必ずよく雨を成す。
坤地はその雨を承(う)けて、震巽の草木を生じるものである。
天地の草木百物を発生養育するのは、益の根本である。
だから益と名付ける。

また、震を動くとし、巽を従うとすれば、これは自分が動いて相手が従う様子である。
自分が動いて相手が従うときには、互いに相助け益すことになる。
だから益と名付けられた。
また、震を長男とし男とし、巽を長女とし女とすれば、長男長女すなわち男女が相交わり相助け益す様子であり、そうであれば子孫は繁栄するものである。
だから益と名付けられた。

しかし、風も雷も形のないものであり、常に動いているものであり、損益のものである(乾の最下の陽を損したのが巽、坤の最下に陽を益したのが震である)。
雷は陽の気の動きであり、風は陰の気の動きである。
そもそも陰陽は、相助けて益すものである。
雷が奮えばそれに呼応して風が怒り、風が烈しいときは雷が呼応して轟く。
これは雷と風が相助け合って益している様子である。
だから益と名付けられた。

なお、風雷相助け益すことから益と名付けられたのなら、雷風恒もまた雷風の組み合わせだが、こちらはなぜ、益とは名付けなかったのか。
それは、震雷は陽気にして上に属し、巽風は陰気にして下に属すからである。
雷風恒は上に属す震雷が上、下に属す巽風が下にあるが、これは恒常の位置であり、従って恒と名付けられた。
そもそも陰陽は交わるを以って用をなし、交わらなければ用をなさない。
天地否は、天地の位置が正しいので陰陽が交わらないわけだが、それと同じことである。
震雷も下にあればこそ上に昇り、巽風も上にあればこそ下に降りて、上下陰陽の気が交わり益を生むのである。

また、天地水火の四卦にも、損益の意があるべきではないか、なぜ山沢と雷風の四卦に限って損益と名付けられたのか、という疑問もあるだろう。
これは、山沢が地にある損益のものであるとともに、風雷が天にある損益の現象だからである。
したがって、山沢風雷の四卦について、損益の道を見出したのである。
これを天地否の交代生卦法によって話せば次のようになる。
乾天は上に位置し、坤地は下に位置する。
初六が上って四に居るのは、地の気の上昇であり、九四が下って初に来るは天の気の下降である。
要するに、地の気が昇って風となり、天の気が下って雷となるのであって、天地の気が交わって風雷を生じ、風雷が相交わって草木百物を生じるのである。
したがって、天地間にある物は、皆この風雷二気の相益す作用によっての産物なのである。
だから、山沢雷風の四卦をもって、損益の卦とされたのである。


・・・・・・中略・・・・・・
九五、有孚恵心、勿問元吉、有孚恵我徳、

九五(きゅうご)、恵心(けいしん)に孚(まこと)有(あ)れば、問(と)うこと勿(なか)れ、元吉(げんきち)なり、我(わ)が徳(とく)を恵(けい)とするに有孚(ちがいな)し、

今、上を損(へら)し、下を益すの時に当たって、九五の君は、剛健中正の徳が在り、孚信誠実で、よく自分を省み、華靡を止め、下民を益し厚くすることを専らとする者である。
そもそも君上に、よく恵心が有り、兆民を益し厚くすることがこのようならば、これこそ君徳の最上にして、大善の吉であることは、問わずとも自明である。
だから、恵心に孚有れば、問うこと勿れ、元吉なり、という。

君上の徳が、すでにこのようであるのならば、下民は必ずやその君徳を恩沢仁恵として感謝するものである。
君上の徳こそが、下民にとっては恵なのである。
だからね我が徳を恵とするに有孚し、という。


上九、莫益之、或撃之、立心勿恒、凶、

上九(じょうきゅう)、之(これ)を益(ま)すこと莫(な)くして、之(これ)を撃(う)つこと或(あ)り、心(こころ)を立(た)つること恒(つね)勿(なか)ればなり、凶(きょう)なり、

上九は不中正の志行にして、上を損(へら)して下を益すというこの時であっても、その身は益の全卦の極に居て、道を失い、利を貪るの念が甚だしい者である。
したがって、下に益すことは考えず、自身の利益のみを求め貪るのである。
これは、時に悖(もと)り、道に逆(さから)い、人に背(そむ)くことである。
このような人物なので、他人もまた上九に味方することはなく、却って寇として撃つ者も出てくる。
だから、之を益すこと莫くして、之を撃つこと或り、という。

およそ、利を貪ることの甚だしい者は、進退共に利に由らないことはない。
不仁を恥じることなく、不義をも畏れず、直接の利が見えなければ勤め励むことのない小人である。
したがって、その心志、心の立ち様は変動して定まることがない。
これは恒常のない人である。
人として常の徳を失ってしまうのは、言うまでもなく凶である。
だから、心を立つること恒勿ればなり、凶なり、という。


 

・・・・・・・・
・・・・・・・・
抜粋終わり

変卦は、

地雷復 

http://uqmk.blog106.fc2.com/blog-category-29.html 


上記文抜粋
・・・・・・・・・

この地雷復は、一陽が復(かえ)り生じた卦であり、君子の道がこれから長じようとするときなのである。
だから、復は亨る、という。
また、震を動くとし、坤を順(したが)うとすれば、下卦の自分が動き、上卦の相手が順う様子であるが、これもまた、亨る、という根拠である。
しかしこの卦の陽は、初九の一陽剛のみであり、その勢いは微弱である。
したがって、元いに亨る、とは言えないのである。

そもそも陰陽消長は、出入共に少しの障り隔てはないものであり、天運の循環であるところの自然の流れである。
これに対して疾病は、陰陽の出入りが障り滞り、気血の不和より起こるものである。
したがって、陽が消滅し、今ここに再び来復したということは、疾病のときのような、陰陽の出入に障り隔たり滞りがあってのことではなく、まったく自然の流れなのである。
だから、出入りともに疾い无し、という。

また、この地雷復は、一陽初めて復り生じたのであって、今その勢いは微弱だが、次第に同朋の陽爻が来たって地沢臨となり地天泰となって行くわけである。
その来るところの朋は陽であり君子であるわけだから、朋来りて咎无し、という。
これが逆に、天風姤から天山遯、天地否となるときは、陰邪な小人の朋が来るわけだから、咎有りということになる。

また、この地雷復は、元々純陽の乾為天より段々と陽が消滅して行き、ついに純陰の坤為地となってしまったところに、今再び元の乾為天の初九の一陽剛がその本位に来復したのであって、その一陽剛が反(かえ)って来た意義は、陽であるがゆえに正しく大いにして、よく道に適うところである。
だから、反復するに其れ道あり、という。

さて、この一陽の復活だが、乾為天の初九が陰にとって代わられた天風姤から、天山遯、天地否、風地観、山地剥、坤為地、地雷復と、七卦にして、最下に陽が復(かえ)り来っている。
だから、七日にして来復す、という。
もとよりその来復するのは陽である。
だから七日という。
七は奇数なので陽の数であり、日は陽物だからである。
陽が来復することは吉であり、吉は速やかに来て欲しいと願うものである。
だから日にかけて七日と言ったのである。
地沢臨では、陰邪が来ることを、八月に至れば凶有らん、と示しているが、陰が来ることは凶であり、凶はすぐに来て欲しくないことである。
そして八は偶数なので陰の数であり、月も陰物である。
だから地沢臨では、地雷復とは逆に、少しでも遅くと、日ではなく月で言っているのだ。

また地雷復は、君子の道が長じ、小人の道が消えるときであって、下卦の自分が震で動けば、上卦の相手は坤で順(したが)うときでもあり、さらには順をもって動くという様子でもある。
そうであるのなら、何事でも、行うに問題はない。
だから、往く攸有るに利ろし、という。


・・・・・中略・・・・・

六五、敦復、无悔、

六五(りくご)、復(かえ)るに敦(あつ)し、悔(くい)无(な)し、

敦とは篤厚の義である。
今、復の卦の道に復る時に当たって、六五は柔中の徳が有り、君の位に居る。
これは、道に復ることの篤い君である。
だから、復るに敦し、という。
このようであれば、民を懐柔して国を治めるにおいて、悔が有ることはないものである。
だから、悔无し、という。

・・・・中略・・・・・

上六、迷復、凶、有災眚、用行師、終有大敗以其国君、凶、至于十年不克征、

上六(じょうりく)、復(かえ)るに迷(まよ)えり、凶(きょう)なり、災眚(さいせい)有(あ)らん、用(もち)いて師(いくさ)を行(や)らば、終(おわ)りに大敗(たいはい)有(あ)りて其(そ)の国君(こくくん)に以(およ)ばん、凶(きょう)なり、十年(じゅうねん)に至(いた)るとも征(せい)すること克(あた)わじ、

この卦は道に復るということから卦名が付けられたのであって、六爻ともにその復ることの遅速得失を以って象義を為している。
このうちの初九は、陽明剛正にして卦の初めに居るので、道に復ることが至って速やかな者であって、このようであるのなら、仁と称され、道と誉められよう。
一方、この上六は、陰暗柔弱にして卦の終りに居るので、道に復ることが至って遅く迷い、遂にはその身を終わるまでも復ることを知らない者とである。
このように初九と上六とは、反対にして、初九は復ることの速やかなることを以って元吉とし、上九は復ることが遅いことを以って、凶とする。
もとより上六は、始めより終りまで、道も仁も知らないのであって、暗い中に始まり、迷いの中に終わる者である。
少しでも仁や道を知っていれば、このような状態を悔い改めようとの念も有るところだが、情欲の海に沈み、暗昧の中を迷い行き、道も義も知らずに生涯を終わる者である。
だから、復るに迷えり、凶なり、という。
そして、爻辞のこれより下の部分は、この、復るに迷えり、の結末を書いているのである。

およそ凶害が来ることは、その形状は種々あるとしても、道を失ってのことより大なるはない。
その道を失う者には、天の災いと人の眚が並び至るものである。
だから、災眚有らん、という。
眚とは自らが原因となって引き起こす災難のことである。

さて、戦争を行うときの道は、公の道を以って私情なるを征し、大義を以って不義なるを伐し、順を以って逆を討ち、正しきを以って邪を誅することである。
このようであるのなら、天も順(した)がい人も順がうので、令も行われて衆人も服し従う。
その結果として、よく暴を除き、残を撥(はら)い、敵に克ち、乱を治めることを得るものである。
今、この上六は、大にこれに反している。
まず、自己はすでに道を失い、陰柔暗昧の志行にして、却って無道不義の軍隊を興そうとしている。
これは天に逆らい人に背いているのである。
このようなときには、令も行われず、人民も服せず、その軍隊は必ず大に敗退するものである。
その敗退は、徒に軍隊を喪うのみではない。
必ずやその国君の位にも及ぶものである。
だから、用いて師を行らば、大敗有りて其の国君に以ばん、凶なり、という。
国君とは、その君の国と自身とを共に指すのであって、国を喪い宗廟社稷をも滅するこを戒めているのである。
そのような戦争なのだから、何年費やしても勝てるわけがない。
だから、十年に至るとも征すること克わじ、という。
十とは極数の名にして、日を積み年を重ねて十年の久しきに至るとも、終りに軍功を成し得ることはできない、ということである。



・・・・・・
・・・・・・・・
抜粋終わり

よくないよね・・・・


>およそ、利を貪ることの甚だしい者は、進退共に利に由らないことはない。
不仁を恥じることなく、不義をも畏れず、直接の利が見えなければ勤め励むことのない小人である。
したがって、その心志、心の立ち様は変動して定まることがない。
これは恒常のない人である。
人として常の徳を失ってしまうのは、言うまでもなく凶である。
だから、心を立つること恒勿ればなり、凶なり、という。

ギリシアも、より以上にユダキン・欧州も、強欲で恐ろしい。

帰る・・・・て、土石に帰る・・・。


お読みくださりありがとうございます。
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