故国の滅亡を伍子胥は生きてみれませんでしたが、私たちは生きてこの魔境カルト日本の滅亡を見ます。
2024/05 04 < | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 | 17 | 18 | 19 | 20 | 21 | 22 | 23 | 24 | 25 | 26 | 27 | 28 | 29 | 30 | 31 | > 06 |
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スピリチュアル野郎の超常的日常 より
上記文抜粋
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地球を救う8人の勇士と5千万人!?
新年明けたがおめでたくない。
今年は大災害連発と戦争と世界経済恐慌の年になる可能性が非常に高いからだ。
戦争に関しては次回の記事に書きたい。
近々とんでもない事が起きるんじゃないかと思っている。
毎年元旦恒例の松原照子氏の大世見も今年はほぼ全て地震と災害に関する内容だった。
最近の世見の会員コンテンツで面白い記事があったので紹介したい。
【第34回ムー制作担当者のこぼれ話+】地球を救う5000万人の同志とは?
松原氏の昔の予言「恐怖の男アベ」も的中したので、この28年前の予言もいずれ現実になると思う。
しかし、地球を救う8人の勇士って南総里見八犬伝か幻魔大戦みたいだな。
・・・・・・・・
・・・・・・・・・
抜粋おわり
安部晋三の登場は、予見か予告かわからんが、安部晋三を押し上げようとする人たちは「晋三ってここまでアホで邪悪になれる」って思っていただろうが、そうなった。
予言なのか予告なのかわからんです。松原さんは。
力もあるけど、裏も見えるように思えます。
が、まあ景気が良い話ですよな。
>「あなたのもとには、8人の勇士が近いうちに現われます。その勇士が開眼したときに、新しい未来が開けるはずです。
>そのとき日本に、私たちの心を知る、意識体5000万人が目覚めるのです。その人たちと力を合わせ、地球星を救いなさい」
本当か嘘か。わからんけど、この8人と5000万人ってので、悪事を為す可能性も十分あります。
が。
ね。
そんなもん、作った人間の思惑を超えてしまうってのも日常茶飯時。
光武帝と建武二十八宿伝 より
上記文抜粋
・・・・・・・
劉秀が皇帝になるという予言書
こうした王莽の失政は、新への期待を失わせ、漢の時代の復活の望む人たちを増加させた。
当時の王莽の腹心に劉秀という大臣がいた。もともとの名前は劉歆で、後に劉秀と改名した人である。その父の劉向は中国最古の図書目録を作った大学者であり、『説苑』『新序』『列女伝』など著書がある。
王莽の政権の末期、人々はもう一度劉氏の漢王朝に戻ることを望むようになったが、そのときに出現した予言書に「劉秀が皇帝になる」と書かれていた。
この予言書は大臣の劉秀が皇帝になって漢を復活させるという意図の元に、道士の西門君恵らによって作られたものであった。おそらくはもう一度平和的に禅譲によって劉氏へと政権を交代させることをねらったものである。故にリークされて様々な人たちに知られるようになっていた。それは遠く南陽の劉家にも伝わっていた。
ここで一つ誤解をただしておく。実は劉歆の改名は劉秀の生まれた年のことで、そのことについて『漢書』の注釈に、劉歆の改名が予言書に合わせたものという後の時代の人の追記がある。しかしこれはあまり信頼性がないとされる。
中国思想史の研究者板野長八は、予言書の作成は新王朝の晩年の事であると指摘している。劉歆の学問の傾向から予言書への志向は見いだせず、行動もかみ合わないという。そもそも光武帝劉秀が生まれた頃の王莽は、人望も高く大きな権力があり、こんな予言が広まれば放置するはずがなく、劉歆自身の命も危ない。
すなわち、まず劉歆が劉秀と改名し、その後に劉秀の父の劉欽が大臣にちなんで息子を劉秀と名付け、そしてそのずっと後の新王朝末期になって、王莽を倒す必要を感じた大臣の劉秀が、劉秀が皇帝になるという予言書を作って世に広めたのである。
僕が皇帝になるんでしょ?
この「劉秀が皇帝になる」という予言はさまざまな人に知られるようになる。それは後の光武帝である劉秀の一家もまた知ることになった。もちろん我が家の劉秀が皇帝になるのだと考える者は誰もいなかった。
劉秀は兄劉縯と姉の夫である鄧晨たちと南陽郡の首都である宛に行き、穣県の人蔡少公らと酒盛りしながら語り合っていた。
蔡少公は予言書に詳しい。さまざまな予言書について解説していたとき、その一つとして「劉秀が天子になる」というものを紹介した。
するとその場にいた一同は顔を合わせて蔡少公に質問した。
「国師公劉秀のことですか?」
国師公劉秀とは今の大臣の劉秀のことである。歴史的には改名前の劉歆として有名だ。
すると劉秀がいたずらっぽい笑顔を浮かべていった。
「どうして僕のことじゃないってわかるのさ(何用知非僕邪)?」
突然の劉秀の発言にその場は大爆笑となった。
僕
この言葉のおもしろさの一つに、"僕"という一人称がある。古代中国の一人称には、"我"、"吾"、"僕"の他に、自分の名前をそのまま使う場合や、皇帝の使う朕などがある。"我"と"吾"はワタシとオレの中間ぐらい、僕は日本語のボクに等しく、自分の名前を使うのはワタクシはという謙譲表現である。
劉秀の発言は、内容が実に大胆不敵であるのに、"僕"という実に自信なげな表現とのミスマッチがまた可笑しいのだ。
しかも発言者は、気が小さく、誰かと口論するところさえ見たことがないほどおとなしい青年劉秀である。あり得なさすぎる。
大爆笑の中、一人心の中で喜んでいた者がいた。鄧晨である。鄧晨は劉秀と仲がよく、しばしば一緒に行動していた。そのため劉秀の才能や隠れた側面に気づいていたようである。
後に劉秀が皇帝に即位して後に、再会した鄧晨はこのときのことをよく覚えていて、こう言ったという。
「"僕"はついにやりましたね」
皇帝のエピソード
あらゆる建国の英雄には、予言的エピソードがある。それは中国史の史書記述の公式ルールとして定められている。本当かどうかは考えてはいけない。
項羽は始皇帝を見て「奴にとってかわってやるぜ!」と叫び、漢の高祖劉邦は始皇帝を見て「男ってのはこうあるべきだ……」とため息をついた。
三国志の劉備は近所の大きな桑の木を見て「こういうのがついた車に乗るんだ」といった。これは屋根の付いた皇帝の車を示すとされる。
ちょうどこれらのエピソードに対応するのがこの劉秀の発言である。皇帝への志を示すエピソードが、笑いに包まれているのが劉秀らしい。
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・・・・・・・・
抜粋おわり
>そしてそのずっと後の新王朝末期になって、王莽を倒す必要を感じた大臣の劉秀が、劉秀が皇帝になるという予言書を作って世に広めたのである。
が、全然変わって、別の現実が現実になった。同じ劉秀でも別人の。
笑い話で、受けを狙ったら、当たってしまった・・・。
まあそんなものもあるし、いい未来を都合よく解釈して開くこともできる。
てなことで、あえて、景気よく行きましょうか。未来など本当は誰も見てないからね。
お読みくださりありがとうございます。
上記文抜粋
・・・・・・・・・
地球を救う8人の勇士と5千万人!?
新年明けたがおめでたくない。
今年は大災害連発と戦争と世界経済恐慌の年になる可能性が非常に高いからだ。
戦争に関しては次回の記事に書きたい。
近々とんでもない事が起きるんじゃないかと思っている。
毎年元旦恒例の松原照子氏の大世見も今年はほぼ全て地震と災害に関する内容だった。
最近の世見の会員コンテンツで面白い記事があったので紹介したい。
【第34回ムー制作担当者のこぼれ話+】地球を救う5000万人の同志とは?
- 2019年10月14日 (月曜日)
- 「幸福への近道」を継続的にご覧の皆様なら、不思議な世界の方々のおひとり、「ブルーグレーのおばちゃま」をご存じだと思います。
- この方が初めて照子さんのもとに現れたのは、今から34年前、1985年のことでした。このときブルーグレーのおばちゃまは、照子さんに「地球を救いなさい」と告げます。
- そのときから、ずっと照子さんは、おばちゃまの言葉の意味を考えつづけていたようです。
- 6年後の1991年に、照子さんが書いた文章をご紹介します。
- 「地球を救いなさい」
- そういわれて6年目を迎えます。
- 私のような者がなぜ地球を救えるのかと、何度も考えました。
- 不思議な世界から来られる私にとっての先生方は、地球が今大変な状況であることを深刻な表情で話されます。
- 自然破壊は私たちが想像する以上の局面にきているおこと、それを我々人間が受けとめ、本来の地球の姿に戻す働きをしないと、
- 心ならずも我々人間に対して、あちらからの戦いが始まるというのです。
- 事ここに至っては、私たちが犯した罪に対しての罰は仕方のないところです。
- でもあちらの皆様は、「宇宙における共存共栄」が基本精神であることを強調されます。
- 私自身は、筆を走らせ、心ある人たちに訴えることが、今世での使命であり、仕事だと思えます。
- できることなら、私個人が書いたものだと思わず、不思議な世界の方々からのメッセージと受け取っていただければ、私の心が楽になります。
- 私個人はこれからの人生を、人知れず、私なりの地球へのお役立ちを考えて過ごしたいと願っているからです。
- これからの地球は、あなたが想像されておられるような世界ではありません。
- SF映画を現実で見る世界です。
- 嬉しい出来事なら何も話しますまい、書きますまい。
- 知らないことが喜びを倍にしてくれるからです。
- でも、恐ろしい出来事は、だれも体験したくないはずです。
- 私からのお願いです。
- 人として、ご自分が歩まれる道すがらに出会う人や、物や、他の生物に慈しみの心を与えてあげてください。
- あなた様が救われる道は、慈しみの心から始まります。
- 自分を含め、多くのものを愛することです。
- どうか、私が書くことを興味本位で読むことだけはおやめください。
- 人間として、美しき道を進むためにお読みになってください。
- お願いいたします。
- ここ数年の異常気象を肌で体験する一方、ITやネット社会の進化を見るにつけ、「SF映画を現実で見る世界です」という言葉が現実のものになった感じがします。
- 「あなたのもとには、8人の勇士が近いうちに現われます。その勇士が開眼したときに、新しい未来が開けるはずです。
- そのとき日本に、私たちの心を知る、意識体5000万人が目覚めるのです。その人たちと力を合わせ、地球星を救いなさい」
- 「地球を救うのに、人としてのランクなどあるはずがありません。あなたも8人の勇士も、5000万人の人々も、同じ意志を持つ同志なのです」
- この文章に続けて、照子さんは、「私の書いたものを読んでくださるあなた様は、5000万人のひとりだと信じています」と述べています。
- お心当たりのほどは、いかがでしょうか?
松原氏の昔の予言「恐怖の男アベ」も的中したので、この28年前の予言もいずれ現実になると思う。
しかし、地球を救う8人の勇士って南総里見八犬伝か幻魔大戦みたいだな。
・・・・・・・・
・・・・・・・・・
抜粋おわり
安部晋三の登場は、予見か予告かわからんが、安部晋三を押し上げようとする人たちは「晋三ってここまでアホで邪悪になれる」って思っていただろうが、そうなった。
安倍晋三の出生ホロスコープ(誕生天球図)の「人格元型コード」(四度取り太陽の1番目)は、ルナーコード360と並んで「宇宙で最も下賎、下品」なるサタンコード176。
— 預言者 天瀬ひみか Speak (@amasehimika147) July 22, 2018
予言なのか予告なのかわからんです。松原さんは。
力もあるけど、裏も見えるように思えます。
が、まあ景気が良い話ですよな。
>「あなたのもとには、8人の勇士が近いうちに現われます。その勇士が開眼したときに、新しい未来が開けるはずです。
>そのとき日本に、私たちの心を知る、意識体5000万人が目覚めるのです。その人たちと力を合わせ、地球星を救いなさい」
本当か嘘か。わからんけど、この8人と5000万人ってので、悪事を為す可能性も十分あります。
が。
ね。
そんなもん、作った人間の思惑を超えてしまうってのも日常茶飯時。
光武帝と建武二十八宿伝 より
上記文抜粋
・・・・・・・
劉秀が皇帝になるという予言書
こうした王莽の失政は、新への期待を失わせ、漢の時代の復活の望む人たちを増加させた。
当時の王莽の腹心に劉秀という大臣がいた。もともとの名前は劉歆で、後に劉秀と改名した人である。その父の劉向は中国最古の図書目録を作った大学者であり、『説苑』『新序』『列女伝』など著書がある。
王莽の政権の末期、人々はもう一度劉氏の漢王朝に戻ることを望むようになったが、そのときに出現した予言書に「劉秀が皇帝になる」と書かれていた。
この予言書は大臣の劉秀が皇帝になって漢を復活させるという意図の元に、道士の西門君恵らによって作られたものであった。おそらくはもう一度平和的に禅譲によって劉氏へと政権を交代させることをねらったものである。故にリークされて様々な人たちに知られるようになっていた。それは遠く南陽の劉家にも伝わっていた。
ここで一つ誤解をただしておく。実は劉歆の改名は劉秀の生まれた年のことで、そのことについて『漢書』の注釈に、劉歆の改名が予言書に合わせたものという後の時代の人の追記がある。しかしこれはあまり信頼性がないとされる。
中国思想史の研究者板野長八は、予言書の作成は新王朝の晩年の事であると指摘している。劉歆の学問の傾向から予言書への志向は見いだせず、行動もかみ合わないという。そもそも光武帝劉秀が生まれた頃の王莽は、人望も高く大きな権力があり、こんな予言が広まれば放置するはずがなく、劉歆自身の命も危ない。
すなわち、まず劉歆が劉秀と改名し、その後に劉秀の父の劉欽が大臣にちなんで息子を劉秀と名付け、そしてそのずっと後の新王朝末期になって、王莽を倒す必要を感じた大臣の劉秀が、劉秀が皇帝になるという予言書を作って世に広めたのである。
僕が皇帝になるんでしょ?
この「劉秀が皇帝になる」という予言はさまざまな人に知られるようになる。それは後の光武帝である劉秀の一家もまた知ることになった。もちろん我が家の劉秀が皇帝になるのだと考える者は誰もいなかった。
劉秀は兄劉縯と姉の夫である鄧晨たちと南陽郡の首都である宛に行き、穣県の人蔡少公らと酒盛りしながら語り合っていた。
蔡少公は予言書に詳しい。さまざまな予言書について解説していたとき、その一つとして「劉秀が天子になる」というものを紹介した。
するとその場にいた一同は顔を合わせて蔡少公に質問した。
「国師公劉秀のことですか?」
国師公劉秀とは今の大臣の劉秀のことである。歴史的には改名前の劉歆として有名だ。
すると劉秀がいたずらっぽい笑顔を浮かべていった。
「どうして僕のことじゃないってわかるのさ(何用知非僕邪)?」
突然の劉秀の発言にその場は大爆笑となった。
僕
この言葉のおもしろさの一つに、"僕"という一人称がある。古代中国の一人称には、"我"、"吾"、"僕"の他に、自分の名前をそのまま使う場合や、皇帝の使う朕などがある。"我"と"吾"はワタシとオレの中間ぐらい、僕は日本語のボクに等しく、自分の名前を使うのはワタクシはという謙譲表現である。
劉秀の発言は、内容が実に大胆不敵であるのに、"僕"という実に自信なげな表現とのミスマッチがまた可笑しいのだ。
しかも発言者は、気が小さく、誰かと口論するところさえ見たことがないほどおとなしい青年劉秀である。あり得なさすぎる。
大爆笑の中、一人心の中で喜んでいた者がいた。鄧晨である。鄧晨は劉秀と仲がよく、しばしば一緒に行動していた。そのため劉秀の才能や隠れた側面に気づいていたようである。
後に劉秀が皇帝に即位して後に、再会した鄧晨はこのときのことをよく覚えていて、こう言ったという。
「"僕"はついにやりましたね」
皇帝のエピソード
あらゆる建国の英雄には、予言的エピソードがある。それは中国史の史書記述の公式ルールとして定められている。本当かどうかは考えてはいけない。
項羽は始皇帝を見て「奴にとってかわってやるぜ!」と叫び、漢の高祖劉邦は始皇帝を見て「男ってのはこうあるべきだ……」とため息をついた。
三国志の劉備は近所の大きな桑の木を見て「こういうのがついた車に乗るんだ」といった。これは屋根の付いた皇帝の車を示すとされる。
ちょうどこれらのエピソードに対応するのがこの劉秀の発言である。皇帝への志を示すエピソードが、笑いに包まれているのが劉秀らしい。
・・・・・・・
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抜粋おわり
>そしてそのずっと後の新王朝末期になって、王莽を倒す必要を感じた大臣の劉秀が、劉秀が皇帝になるという予言書を作って世に広めたのである。
が、全然変わって、別の現実が現実になった。同じ劉秀でも別人の。
笑い話で、受けを狙ったら、当たってしまった・・・。
まあそんなものもあるし、いい未来を都合よく解釈して開くこともできる。
てなことで、あえて、景気よく行きましょうか。未来など本当は誰も見てないからね。
お読みくださりありがとうございます。
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明の六王とか、人民中国の十大元帥とか。
いや、モンゴル帝国の、四駿四狗だな。